Not yet(前編) ◆X8NDX.mgrA
新たな来訪者から少し時間の経ったラビットハウス。
店内では、朝食を終えた女子三人が雑談をしていた。
笑い声こそ起きないが、それでも時折明るい声が響いている。
唯一の男子である
風見雄二は、少し離れた席で、二階から拝借した紙とペンを使いメモを取っていた。
情報をまとめて整理しておくことは、決して無駄にはならない。
それに、ただ防衛に徹しているだけではなく、殺し合いを打開する方法を考えたいという気持ちがあった。
「やはり情報が少なすぎる……」
このように、現段階で判明している危険人物を、危険度の高いと思われる順に並べて書いてみた。
しかし、疑惑も含めても、その数は八人。
第一回放送で呼ばれた死者の数を考えると、殺人者はこれよりも多いはずだ。
雄二はもう何度目になるか、明らかな情報不足を意識した。
同時に、足りないのは情報だけではないとも感じていた。
師匠、日下部麻子の言葉を思い出す。
――とにかく本を読め。そして気になったことは試せ。
――それが生きた知識となって、オマエを生かす糧になる。
その言葉通り、雄二は大量に本を読み、そして経験を積み、大量の知識を獲得した。
しかし、今現在その知識を活かせているだろうか。
遊月の話すカードゲーム『WIXOSS』など、知識のないものについては考えても仕方がない。
逆に言えば、既に得ている知識をこの場で活かせなければ、それは雄二の落ち度になる。
雄二は、これまでの人生で手に入れた、生きた知識で雄二自身と、この少女たちを守らなければならないのだ。
「風見さん、ちょっといい?」
「……ん、どうした?」
気付くと、雄二の周りには遊月たちがいた。
談笑していたときの雰囲気とは違う、真剣な面持ちだ。
話を切り出してきたのは、遊月だった。
「ちょっと気になったんだけど。
警察とか軍隊とか、助けに来てくれないのかな?と思って」
「警察?」
チノがテーブルに置いたコーヒーカップを手に取りながら、雄二は聞き返した。
遊月はその反応に勢いづいて、手ぶりを交えて意見を述べ始めた。
「私やチノやリゼさん、風見さんも、突然いなくなったら、親が心配して警察に連絡するよね?
しかも何十人も一斉に消えてるんだから、神隠しとかってニュースで騒がれそう。
だから、皆で安全な場所に身を隠していれば、救助隊が来るんじゃないかと思ったんだけど……」
遊月はそこで言葉を切って、どうだろう、と言いたげな視線を雄二に向けてきた。
聞いていたリゼとチノも、期待するような視線を向けてきた。
軍隊に所属していた者としての意見を聞きたいのだろうと、雄二は解釈した。
外部に救助を頼る。誘拐も同然のこの状況では、誰しも考え付くことだ。
しばし考え込んでから、雄二はこう答えた。
「現状では来ない可能性が高いな」
「え、どうしてですか?」
驚きの声を上げたのはチノ。思わず発したのだろう、口もとに手を当てていた。
雄二は微笑ましく思いながら続けた。
「ここまで大がかりな計画だ。繭も失敗を防ぐための手段は講じているはず。
そう簡単に、殺し合いの情報が外部に漏れるような愚行を犯すとは思えない」
ここまではいいか、と目で確認する雄二。
冷静沈着なその態度に、女子たち全員が頷いた。
「――そうだな、いい機会だ。主催者である繭の力を確認しておこう」
「繭の力、って?」
「とりあえず座れ」
雄二が促すと、遊月たちはいそいそと対面の席に着いた。
講義を受ける学生のように、やけに真面目な顔つきだ。
「まず、繭の力が途方もないことは全員理解しているだろう」
雄二の問いに、再び全員が頷いた。
このバトルロワイアル・ゲームの主催者が持つ力。
それは、七十人以上の人間(人外の存在もいるらしいが)を誘拐できる組織力。
また、無人島を所有し、幾つもの施設を造設、あるいは移設することができる財力。
相手が普通の少女でないことは、容易に想像がつく。
「ただ、それだけならまだ常識の範疇を超えない。
世間には総資産が数百億を超える人物もいる。彼らの道楽趣味と考えることもできなくはない」
この悪趣味なゲームに、どこか雄二は既視感があった。
そして放送の内容を思い出す中で気付いた。これはまるで本で読んだコロッセオだと。
コロッセオ。ローマ帝政期に建造された円形闘技場。
コロシアムの語源ともなったそこでは、何人もの剣闘士と何百匹もの猛獣が、血生臭い戦闘を繰り広げた。
ローマの市民は観客となって、悪趣味とも言える娯楽を楽しんだと伝えられている。
この状況と似ているではないか。
繭が観客で、参加者は剣闘士と猛獣。
殺すか殺されるかの勝負を繰り広げるさまを、繭自身が楽しんでいるとしたら。
この殺し合いは、繭にとって単なる娯楽に過ぎないのだ。
「……そんなのって」
不意に遊月が呟いた。そして次の瞬間、テーブルに両手を叩き付けて音を鳴らす。
身体をびくりと震わせるチノとリゼ。
間髪容れず、遊月は怒りを隠そうともせずに言った。
「つまり、この殺し合いって、繭が不思議な力を使って開いた道楽ってこと!?」
「落ち着け」
雄二は咄嗟に立ち上がり、遊月の肩を掴んだ。
僅かに息が荒くなった遊月に対して、リゼとチノは拳をぎゅっと握りしめながら、悲しむように目を伏せていた。
三人とも怒りの感情がある。その表し方が少し違うだけだ。
「……現状ではそう判断するのが妥当だと、俺は思う。
もちろん新しい情報が手に入れば、より詳しい考察もできるだろう。
ただ、目的もそうだが、重要なのは繭の力が財力や権力に留まらないという点だ」
繭は、雄二の常識では説明できない力を行使している。
それも、単なる娯楽にしてはやりすぎ、と言ってもいいほどに。
「例えばこのカード。これは明らかに、単なる道楽の範疇を超えている」
雄二は腕を遊月たちの前に出して、腕輪にはめ込まれたカードを指した。
魂を封じることができる、魔術が絡んでいると予測される不可思議なカード。
加えて、懐から赤と青、そして黒のカードも取り出して、見せた。
望むだけで食べ物や飲み物、果ては武器まで出てくる、物理法則を一切無視したカード。
これらの存在からも、主催者が非科学的な、雄二の常識を外れた力を有しているのは確実だ。
「更に言えば、繭は時空すら超える可能性がある」
しかもその力は、雄二が当初想定していたよりも遥かに大きいのだ。
ラビットハウスでの情報交換の際に、参加者間での常識の食い違いがあったことを思い出す。
チノとリゼで連れてこられた時期が違う?
――どちらかの記憶違いかもしれない。
承太郎は一九八七年から呼ばれたらしい?
――これも記憶違いだろう。
ジャンヌ・ダルクやジル・ド・レェといった史実の人物がいる?
――同姓同名か、あだ名と考えるのが普通だ。
世界的な大企業の名前や、世間を騒がせたニュースが浸透していない?
――たまたま世情に疎い人間ばかり集まったのだろう。
『記憶違いや偶然』で片付けるには、こうした食い違いが多すぎた。
折原臨也が提唱した『異なる世界』と『異なる時代』という発想が、これらを解決した。
オカルトを信じない人物なら一蹴したかもしれないが、雄二は既に魔術の存在を知り、スタンドが顕現するのを目の当たりにしている。
繭が『異なる世界』『異なる時代』から参加者を集めたという発想は、驚きこそすれ、可能性として考えない理由は皆無だ。
そして、この発想が正しければ、繭は時空を移動する技術を持つことになる。
ここまで聞いた遊月は、愕然とした表情をしていた。
「時間や空間を超える、って……そんなの」
信じられない、と言おうとした遊月だが、その言葉は続かない。
チノやリゼとの会話で、大人気モデルの
浦添伊緒奈や蒼井晶の名前を出したところ、知らないと言われているからだ。
何も言えず、遊月は押し黙った。
「信じられないのも無理はない。だが、可能性は高い」
それは形容するならば、人智を超越した、神にも等しい力。
常識的に考えれば、風見雄二という一個人に太刀打ちできるはずもない。
ましてや戦闘経験すらない遊月やリゼ、チノといった少女たちは、尚更だ。
ふと、雄二は疑問に思った。では、少女たちは何のために参加させられたのか。
(参加者選びに繭の意図が介在していることは間違いない。
ならば、戦闘経験のある人物と、そうでない人物を混ぜる意図とは――)
雄二の脳裏には、先程のコロッセオの例えが再び浮かぶ。
DIOや針目縫、キャスターといった殺人に忌避のない者が、誰彼かまわず食い殺す猛獣であるならば。
空条承太郎や
蟇郡苛のような力ある者は、その猛獣と殺し合う剣闘士の役割を期待されているのだろうか。
となると、弱者に分類されるであろう、少女たちは。
(さしずめ猛獣の餌、か)
優勝を狙う参加者にとっての格好の標的。
あるいは殺し合いを加速させるための、単なる数合わせ。
もしこの想像が正しければ、白羽の矢が立った少女たちは、ただひたすらに不幸だ。
雄二は歯噛みしたい衝動に駆られた。
無力な子供を集めて不本意な戦闘を迫り、ときには薬も使い、殺人機械を作り上げる。そんな輩を、雄二は繭以外にも知っている。
そう、あれは――。
「あの、風見さん?」
「話の続きは?」
「っ……すまない、別のことを考えていた」
チノたちの呼びかけで、雄二は我に返った。
思索にふける内に、本題から脇道にそれてしまったことに気付いた。
少女たちが招かれた理由は、今すぐに考えても意味がない。
「……繭が時空を超越しているという話だったな。
それについての情報は不足しているから、考えることは保留にする」
現状を打開するために必要なのは、まず情報。
時空を超える手段を知ることができれば、そこから現状を打開する術も思いつくかもしれない。
ただし、その手段がまだ不明である以上は考えても意味がない。
「本題はここからだ。超越した力を持つ繭も、おそらく万能ではない」
え、と三人が口を揃えて発した。
ここまで力の大きさを強調されていながら、万能ではないと言われれば、それは驚くだろう。
順を追って理由を説明するために、雄二は別の観点から話し始めた。
「繭は制限時間を七十二時間だと言っていた。つまり三日間だ。
これはゲーム感覚で、タイムリミットを付けたかっただけかもしれない。
だが、もしかすると『三日間で殺し合いを終わらせたい』のかもしれない」
雄二は白のマスターカードに、殺し合いの
ルールを表示させた。
ここに設定された多くは、殺し合いを円滑に進めるために必要なルールだ。
魂を封じるカードによって、殺し合いから逃れられないことを思い知らされる。
禁止エリアによって、参加者の行動範囲を狭め、また移動ルートの選択肢を減らすことで、参加者同士が出会いやすくなる。
「終わらせたい、って?」
「俺はこう考えている。
この島には、悪趣味なゲームの存在を外部から感知されないための技術が働いている」
この殺し合いには、爆弾や銃火器も凶器として支給されている。
もし、参加者がそれを使った瞬間を、島の外界から認識されてしまえば、間違いなくどこかの機関が捜査を試みるだろう。
殺し合いの主催者からしてみれば、そうした事態の対処は面倒に違いない。
となれば、外部から感知されないように手段を講じているはずだ。
「そして、その技術は、およそ七十二時間しか効力を発揮できない」
三日間という制限時間は、イコール技術の限界だ。
例えば、島全体を覆い隠すように光学迷彩が展開されていて、そのバッテリーが七十二時間しかもたないとか。
あるいは、魔術で殺し合いを隠蔽する何らかの偽装工作をしているが、それが三日で解けてしまうとか。
具体的な手段はさておき、繭が制限時間を設けた理由としては理屈が通る。
「制限時間を設定してから技術を取り入れたのか、その逆か、は不明だが……。
先にも言った通り、殺し合う様子を見て楽しみたいだけなら、制限時間を設ける必然性は低い。
おそらく、外部から感知されないための技術が先にあって、それから制限時間を設定したのだろう」
雄二はそこまで話し終えると、手元のカップの中身を飲み干した。
チノが作りすぎたミルクココアは、コーヒーに比べると、とても甘い。
「なるほど……」
「分かるような、分からないような……?」
「それが、繭が万能じゃないって話とどう繋がるんですか?」
納得したように頷くリゼとは対照的に、チノと遊月は首を傾げていた。
中学生にするには言い回しが難解だったかと反省したが、生憎この話はまだ終わらない。
雄二は新しいカップに口を付けてから、更に話し続けた。
「繭は、殺し合いを高みから眺めて楽しんでいる。
しかしその一方で、やたらと殺し合いを加速させるための措置が見られる」
禁止エリアは言わずもがな。
見せしめや魂を封じるカードは、早々に覚悟を決めさせるため。
更には、食べ物や飲み物が出るカードでさえ、疲労を回復する食事に必要以上の時間を割かせないようにするため、と考えられるのだ。
そして事実、殺し合いはかなりの速さで進行している。
「この事実、おかしいとは思わないか?」
「え?」
円滑なゲームの進行とは、言い換えれば短期間でのゲームの終結だ。
これがゲームだというのなら、三日と言わず、何日でも何か月でも続ければいい。
長く続けば続くほど、いろいろな展開が見られるはずなのに、繭はあえて三日間でゲームオーバーにしようとしている。
雄二はそこに理由を見出した。
「これが道楽だとしたら、早く終われとは思わないはず、ってことか?」
「そう、その通りだ」
リゼの言葉に、雄二は頷いた。
殺し合いの観察を娯楽としている者が、早期決着を望む理由は何か。
「こう考えれば辻褄が合う。
繭は殺し合いを楽しみたい反面、繭自身に、殺し合いを隠匿する技術、つまり――」
雄二は言葉を切ると、手元のミルクココアを飲んで喉を潤した。
そして、疑問符を浮かべている遊月たちに、雄二は自分が出した答えを提示した。
「――『三日間以上、殺し合いを進行させる能力がない』のだと」
「あっ……!」
リゼが気づきの声を上げた。チノも驚いた顔をしている。
これこそが、雄二が繭は万能でないと考える理由だ。
「俺は、繭が開いたこの殺し合いに、協力者がいると考えている。
その協力者が、この舞台や、殺し合いを隠蔽する技術を用意した、としたら」
繭にいくら力があろうと、この殺し合いは一人で作り出すには規模が大きすぎる。
そう考えた雄二は、協力者の存在を思い浮かべた。
例えるなら、武器商人のようなものだ。殺し合いを企画した繭に技術を提供して、見返りに金銭を貰いでもしたのかもしれない。
元軍人であり、特殊工作員も務める雄二は、そうした裏稼業が存在することも承知している。
このような殺し合いに関与していても、全く不思議ではない。
「繭自身は、その技術を知らない……?」
「知らないか、知っていても繭は使えないか、だな」
繭による技術ではないとすれば、繭が扱える可能性は低い。
扱えるなら、その技術を永続的に作用させて、殺し合いをより長期間、継続させることができるのだから。
それが出来ないからこそ、繭は制限時間を設けた。
「繭は殺し合いを隠匿する技術を持たず、だからこそ三日間の制限を設けた。
そう考えると、見えてくるのは――」
「もういいよ!」
雄二が結論を言い終えるよりも速く。
つい先程と同じように、バシンという音が店内に響いた。
勢いよく机を叩いた遊月を見ながら、チノとリゼは驚いて言葉を失っている。
「要は繭に圧倒的な力があって、脱出は難しいってことでしょ!?」
遊月は雄二に強い口調で言い放った。その意見は、単純だが正しい。
雄二の考えを言い換えるなら、繭には『三日間は殺し合いを進行できる』確信があるということになる。
認めたくはないが、警察や軍隊が救助に来る可能性は限りなく低い。
しかし、それよりも気になるのは、遊月がどこか焦っているように見えることだ。
「遊月さん、落ち着いてください」
「チノはどうしてこの状況で落ち着けるの!?」
その会話で、雄二は遊月が余裕を失っていることに気付いた。
考えられる要因は一つ。元からの不安に加えて、雄二の考察が不安を煽ったのだ。
雄二は己の失敗を恥じた。
「万能じゃないとか協力者がいるとか、そんなことより具体的に繭を倒す方法を考えなきゃ意味ないじゃん!」
その通りだ。遊月の言葉は的を射ていた。
そもそも繭が万能ではないというのも、単なる憶測でしかない。
可能性と推論を次々と積み上げたところで、どうなるというのか。
雄二自身、その点を指摘されることは覚悟していた。
しかし、雄二には決意があった。
「確かにそうだな。繭を倒す方法を考えることは必要だ。
そして、現状ではそれは難しい。情報不足も甚だしいからな」
それまでと何ら変わらない、真剣な目つきで。
遊月を正面に見据えたままで、雄二は己の決意を告げていく。
「だが、ここで折原や誰かが来るのを待って、情報交換をしてから考察を始めるのでは遅すぎる」
遊月が少したじろぐ様子を見せた。
チノとリゼは雄二を見つめて、じっと話を聞いている。
「救助が来るまでじっと待つのも選択肢だ。
ただ、それでは自分自身は何もしていない。受け身のままだ」
雄二には、救助を待つという方針を否定するつもりはない。
しかし、例えば地震が起きたとき。火山が噴火したとき。
そうした緊急時に命を救うのは、まずは本人の行動ではないか。
急いで高台に登ったことで、津波に飲み込まれる危機を回避した、というような話は誰しも耳にしたことがあるだろう。
そのとき、危機を回避した人は、少なくとも受け身ではなく行動した。
行動しても被害に遭遇する人はいるだろうが、何も行動せずに助かる人は少ない。
行動ありき、なのだ。
「俺の推論は、机上の空論といえばそれまでだ。
それでも、脱出の糸口を掴むきっかけになるかもしれない。
『可能性がないかもしれない』からといって足を止めていては、物事は進展しない」
殺し合いというこの緊急時でも、重要なのは行動することだ。
雄二は、この場で行動しなかったことを、終わってから後悔したくなかった。
何も出来ないまま、既に何人も死んでいるという事実が、雄二の中の何かを駆りたてていた。
「何もしないで終わるくらいなら、間違っていたとしても行動を起こした方がマシだと思わないか?」
それを聞いて、何か感じるところがあったのだろうか。
遊月は無言のまま、腰を席に下ろした。
「……ごめん」
「俺も徒に不安を煽るべきではなかったと反省している。
ところで、先程話しそびれた俺の考察を、最後まで聞いてくれるか」
沈黙を肯定と受け取って、雄二は話し始めた。
僅かな可能性を試すことが、いずれ実を結ぶことを願いながら。
「殺し合いを隠蔽する装置は、この島のどこかに仕掛けられているかもしれない、という話だ――」
■
紅林遊月は、同席者に気づかれないように、そっと溜息をついた。
これでいいのかと、このままでいいのかと自分に問い続ける。
シャロを探しに行くべきだったのでは?
頼れる男性に任せるのではなく、自分も動くべきでは?
そんな自分への問いに、遊月は答えを出せないでいた。
現在、ラビットハウスには女子三人だけがいた。
遊月とチノが同じテーブルに座ってコーヒーを飲んでいる。
リゼは一人、コーヒーカップを洗いに行っていた。
殺し合いを隠蔽する装置、それがこの島の中にあるという考察を語った雄二は、隣家まで探索をしに行っている。
既に、ラビットハウス内は全員で調べ尽くしていた。
何か異変があればすぐに駆けつける。そう言って雄二は店を出た。
雄二の考察は、遊月に小さくない衝撃を与えた。
ここが外界から隔離された場所である、という予感はあった。
『殺し合いに勝ち残らなければ、願いが叶わないんじゃないか』
ここに来て、そんな嫌な予感を抱いたことを思い出す。その予感は、より悪質なものへと変化した。
『例え殺し合いに勝ち残らなくても、ここから脱出することはできないんじゃないか』
雄二の考察は、遊月のそんな不安を大いに煽った。
もちろん希望も示された。
殺し合いを隠蔽する装置を破壊することで、外界と連絡が通じるかもしれない、という推測だ。
それでも、待つばかりでは救助される可能性はないと、ほぼ断言されたようなものだ。
嫌でも気が滅入る。
香月と二度と会えないかもしれない。そんなネガティブな思考が、鎌首をもたげてくる。
それは嫌だ。遊月はずっと、香月と一緒になることを夢見てきた。
もしかしたら二度と会えなくなるかもしれないなんて、絶対に嫌だ。
嫌だ、いやだ。会いたい。
抑えつけていた感情が、考えないようにしていた想いが、噴出しそうになる。
「あの、遊月さん」
そんなふうに、不安に押し潰されそうになっていたからだろうか。
「遊月さんには、兄弟っていますか?」
「……え?」
不意の質問に、遊月は返事に詰まった。
「あぁ、うん……いる、けど。それが?」
「私には、本当のお姉さんじゃないけど、姉がいるんです」
それは、口下手なチノという女の子の、少し婉曲的な話題提起だった。
そのことは、すぐに頭が理解した。
「この島にいるんです……ココアさん」
どこか陰のある表情を見て、チノの感情を察することもできた。
姉と慕う、ココアという女の子が近くにいないことが、寂しいのだ。
「へえ、そうなんだ」
自分と同じで不安なのだと、そう思った。
似た気持ちを抱えていた身としては、素直に共感することができた。
「どんな人なの?そのココアさんって」
遊月の質問に、チノは少し恥ずかしそうに答え始めた。
ラビットハウスに住み込みで働いていること。ウサギが大好きなこと。コーヒーの味が分からないこと。
ゆっくりと紡がれていく人物像は、明るく自由奔放なトラブルメーカー。
聞いていた遊月は、自分とは似ても似つかない、と思った。
ちょっと声が似ていると言われたときは、驚いた。
「いつもココアさんは私のことを妹扱いして……」
話は次第に、チノとココアの関係に踏み込んでいった。
偶然の出会いにしては、随分と良好な関係を築いている、と遊月は感じた。
口調こそココアのことを呆れているように聞こえるが、明らかに喜んでいると分かる声。
話を聞いているだけでも、仲の良さが感じられた。
「それも親しくなってからじゃなくって、初対面のときからなんですよ」
そんな二人を想像して、遊月はつい嫉妬してしまった。
チノとココアの、仲睦まじい様子が想像できたから。
「ことあるごとに姉アピールしてきますし。
私がシャロさんみたいな姉が欲しかった、って言っただけでショックを受けたこともありました」
そして、遊月は少しだけ不満を覚えた。
本当は嬉しいくせに、そういう態度を取らないチノに。
「ちょっとしつこいくらいですよ」
「ふうん……」
話を聞く限り、ココアはチノにかなり積極的に好意を向けている。
チノはその好意に戸惑いながらも、受け止めようとしている。
もしこれが男女だったなら、と遊月は考えた。
今までにいくらでもある、甘酸っぱい青春ラブストーリーの出来上がりだ。
(私もそのココアさんみたいに、積極的に行けたら……)
次に、もし遊月と香月の関係がこうだったなら、と遊月は考えた。
今よりも積極的に、遊月が好意を伝えていたなら。
おそらく、遊月が奇跡に願いを託すことはなかっただろう。
他人の願いを踏みにじることも、願いが反転する恐怖に怯えながらバトルすることも、なかっただろう。
それに比べれば、チノとココアの二人は、なんて幸せな環境だろうか。
二人は同じ屋根の下で、少しの不安もなく、仲良く平和に暮らしているのだから。
きっといつかは絶対、チノはココアの好意を受け止める。
幸せになることは確定しているようなものだ。
そう、遊月と香月の関係とは違って――。
(……なに考えてるんだ、私)
そこまで妄想して、遊月は自己嫌悪に陥った。
他人が仲良くしているのを羨む、嫉妬深い自分を見てしまったからだ。
(こんなのは止めよう)
嫉妬に囚われてもいいことなんてない。
必死に自分の中の情けない部分を消そうと、遊月は頭をぶんぶんと横に振った。
しかし、結果としてその気持ちは消えなかった。
チノが遊月の様子に気付かないまま、話し続けたからだ。
「たまに、ちょっとだけうっとうしく感じることもありますし……」
その言葉に、遊月は一瞬言葉を失った。
どうして、まっすぐに好意を向けるココアを否定するのか。
嫌がっている訳ではない。顔を見れば分かる。
嫌がっているのなら、そんな嬉しそうに顔を赤らめて話すはずがない。
「どうして――?」
素直に受け入れればいいのに。
喉の奥から飛び出しかけたその言葉は、リゼの言葉に遮られた。
「まぁ、ココアは感情をストレートに伝えすぎだよな」
いつの間にか食器洗いを終えて、戻ってきていたらしい。
カウンターの中でコーヒーカップを拭きながら、リゼがやれやれという様子で言った。
遊月は再び、言葉を失った。
どうしてそんなに呆れたふうに、人の感情を笑えるのかが分からない。
――遊月はまっすぐすぎる――
脳裏に甦るのは、想い人の声。
確か、ウィクロスの対戦をしていたときの声だった。
これを言われた直後に、遊月は『まっすぐで何が悪い』と強く言い放った。
まっすぐで、何が悪いのだろうか?
その答えは未だに出ていない。
「まっすぐすぎるのも困りものです」
このとき、チノは遊月の地雷を踏んだ。
逆鱗に触れたと表現してもいい。遊月がピンポイントで悩んでいたことを、そのまま口にしたのだ。
チノに悪意はない。
それでも、チノの言葉は、遊月の胸にちくりとトゲを刺した。
「――っ!」
思うように好意を伝えられない人だっている。
遊月はまさにそうだ。肉親である香月に好意を伝えれば、世間から白い目で見られることは分かっている。
それでも遊月は、香月を誰でもない、自分のものにしたいと考えている。
倫理観と純粋な感情の狭間で、揺れ動いている。
だから、まっすぐ自分の感情を伝えられるココアが羨ましい。
そして、そのココアの感情を恥ずかしいという理由で否定してしまうチノが――。
(……まただ。これじゃ、シャロさんのときと同じ)
遊月は頭を抱えた。
数時間前にも似たような罪悪感に苛まれたことを思い出す。
その場の感情に任せて、感情を暴走させていては、また喧嘩別れのような苦い気持ちを味わうだけだ。
必死に理性で感情を押し込めようとする。
必死に抑えなければならないほど、今の遊月には余裕がなかった。
「遊月さん、どうしたんですか?」
「……なんでもない!」
遊月は椅子を倒すくらいの勢いで、席を立った。
椅子が音を立てたことで、遊月に視線が集まる。
「っ……」
チノとリゼ、木組みの街に住む少女は、どこまでも穏やかで。
願いを叶えるために、他人の願いを潰す闘いがあることなんて、想像もしたことがなさそうで。
そんな二人と話していると、遊月はどうしても、自分の在り方がひどく歪んだように思えてしまう。
理解していたはずのそんな事実を、改めて突き付けられた気分だった。
「……私は、まっすぐにしか進めないんだと思う」
ぽつりと呟いて、遊月は店の外へ出ようとした。
目的があるわけではない。今はこの場所から、少し離れていたかった。
いたたまれない気持ちが回復するまで。
「遊月さん!?」
その足取りが、少しふらついたからだろうか、チノが心配したように声を上げた。
それでも振り向くことはせずに、遊月は扉へと向かう。
「えっ……」
遊月の手が触れる前に、扉が開いて、小気味よい音が来客を告げた。
少し驚いて、扉の前から離れる遊月。
しかし、その顔はすぐに安堵の表情に変わる。
扉の前には、背の高い学ランの男が立っていたからだ。
その男は、遊月を見ると、ほんの少しだけ微笑んでこう言った。
「よう、紅林。無事だったか」
■
針目縫は不愛想な仮面の下で、笑みを隠せない。
うまくラビットハウスに入ることに成功した。中にいたのは遊月も含めてウサギが三匹。
「承太郎か。どうした?駅に向かったんじゃなかったのか」
否、四匹だ。縫が到着したすぐ後に、風見雄二という少年が現れて声を掛けてきた。
どうやら承太郎はこの少年とも接触していたようだ。
少女たちよりは強いらしいが、所詮は人間。縫の敵ではない。
「その道中で針目縫に襲われた。奴と戦闘したが逃げられてな」
一人だけで行動している理由は、ちゃんと考えてあった。
雄二をはじめとするラビットハウスの面々は、あっさりとそれを信じた。
「衛宮はなぜか逃げ出したよ」
「そうか……それで、どうしてここに戻って来た?」
「針目がここに来ていたら不味いと思ってな」
承太郎の側に立ち、ここに来た理由を捏造する。
本当の目的は、遊月を血祭りにあげること。そして、承太郎の悪評を広める行為をすること。
更に、繭の情報があるかどうかも確かめたい、と縫は考えていた。
「なるほど。だがどうやら杞憂らしいぞ。この通り、針目縫はまだ来ていない」
そう言いながら、雄二は遊月の肩を抱くと、席に連れて行った。
「さて、WIXOSSのルールを教えてくれないか。そういう約束だったろう」
「え……そうだっけ?」
困惑した様子の遊月を無理矢理座らせると、雄二は縫を見た。
「承太郎もどうだ?もしかしたら繭を打倒する切り札になるかもしれない」
「そうかなぁ……?」
遊月は半信半疑といった様子で、雄二の顔を見る。
一方の雄二は、とても真剣な眼差しをしている。
縫は変なやつだと感じながら、承太郎らしくぶっきらぼうに断った。
「いや、俺はいい」
ピルルクからルールを聞いた限り、WIXOSSというのはただのカードゲームだ。
現状で覚える必要はないと、縫は判断した。
返事を受けて雄二は、そうかと答えただけで、再び遊月と向き直った。
「って、そんな真面目な顔されると困るなぁ」
「安心してくれ、こういうゲームは普段やらないが、覚えることは苦手ではない」
「いや、そうじゃなくて……まあ、いっか」
遊月は雄二にカードゲームを教え始めた。
カードの現物が無いらしく、遊月は紙に書いてルールを説明している。
雄二は熱心に頷きながら、同じように紙にメモを取っていた。
縫はそれを見ながら、大した連中じゃないのかもしれない、と判断を下した。
(もう少し様子を見て、情報がないようなら血祭りかな♪)
物騒なことを考えながら、縫はもう二人のウサギを観察した。
二人は仲良くカウンターの中にいた。
「じゃあ、私がコーヒー淹れるよ」
「あ、リゼさん、コーヒーなら私が……」
「いいって。それより遊月の説明を聞いた方がいいんじゃないか」
遊月と雄二のテーブルを指しながら、ちゃかすように言うリゼ。
少しばかりふて腐れた顔で、チノは席に戻ろうとしない。
「私にやらせて下さい。ラビットハウスの代理マスターですから」
年齢に不相応なくらい大人びた言葉を受けて、リゼは微笑んだ。
「はは、わかったよ。じゃあ一緒にやろう」
縫は手近にあった椅子に座りながら、そうした様子を見ていた。
誰一人として、縫のことを警戒していない。
狩りを今まさに行おうとしている縫の目の前で、ウサギたちは騒いでいる。
あまりに馬鹿らしいこの空間をそろそろ壊そうかと、立ち上がりかけたそのとき。
「そうだ遊月、二階にメモを忘れてきたから、取ってきてくれないか」
雄二のその言葉で、縫は上げた腰を元に戻した。
メモ。雄二は確かにそう言った。
「承太郎に見せるために書いたものだ。一番奥の部屋にある」
「え、忘れ物?……分かった」
真面目な表情をして、階上に向かう遊月。
その様子を不審に思いながらも、縫はこれを絶好の機会と捉えた。
まず血祭りに上げるのは、生意気にも逃走してみせた遊月。これだけは決めていた。
座席を立ち、自然な動作で階段へと足を運ぼうとした。
(一番奥の部屋に行き、遊月を殺してメモを奪う。それから――)
「承太郎、遊月が戻ってくる前に、見せたいものがある。
このラビットハウスの裏で、繭に繋がるものを見つけたんだ」
丁度そのとき、雄二がこう言うと席を立った。
縫はすぐさま反応した。第一目標はあくまで帰還すること。繭に繋がる手段があるなら、それは知っておくべきだ。
しかもメモに取れないものとあれば、重要度は上がりそうなものだ。
はやる気持ちを押さえたまま、店の外へと出た雄二を追いかける。
雄二が店と隣家の間にある細い道の入口に立ち、承太郎を手招きした。
「こっちだ。少し狭いから、承太郎が先に行ってくれ」
「ああ」
言われた通りに、縫は細い道に入った。
この時点で、縫は不審を抱きつつあった。繭に繋がる重要な手がかりがあるなら、どうして最初から見せようとしない?
もしかして罠。その考えが浮かんですぐに、縫は振り向いた。
「っ!」
しかし、雄二の方がコンマ数秒早かった。
背後から聞こえた銃声に、縫はその場に膝を着いた。
着かざるを得なかったのだ。両手両足の感覚が、急に途絶えていた。
「あは……」
「無駄だ、関節を貫いた。すぐには動けない」
冷徹な声が細い道に響く。雄二は縫を罠に嵌めたのだ。
強引ではあるが、立派な背後からの奇襲。全てばれていたと知り、縫は今度こそ、笑いを抑えきれなかった。
「あははははは!!!」
「なっ――!?」
突然響いた声に、雄二は戸惑いの声を上げた。
可愛らしい女性の声で笑う、学ランの男がそこにいた。
「あははははははははっははははは!!!!!
このボクが撃たれたくらいで動けなくなるって、本当にそう思ったの?」
縫はすっくと立ちあがる。そして腕をぐるぐると回した。
振り向くが、雄二は言葉も出ないようだ。
数時間前に出会った、西部劇じみたガンマンもそうだった。
銃撃を胸に食らっても再生する縫のことを見て、驚いていた姿は、中々に滑稽だった。
「だとしたらご愁傷さま☆」
目の前にいるクールな少年の頬には汗が垂れていた。
異常な光景を見ながら、その銃口は確かに縫の心臓を狙っている。
所詮はただの人間。でも、そこだけは評価してあげようと、縫はいつもの笑顔を浮かべながら思った。
「ボクのことは遊月ちゃんから聞いてるんでしょ?」
縫は、もはや意味を無くした変装を解き、普段通りの少女の姿に戻った。
そして身の丈ほどもある鋏を懐から取り出して、雄二へと突き付けた。
「キミじゃあボクは――」
雄二が銃を撃ちながら後退し始める。
「た」
縫は鋏で弾き、例え食らっても意に介さない。
「お」
雄二は銃を片手に持ち、空いた手で懐から何かを取り出した。
「せ」
縫は走り、あと数歩で首を刈れる位置まで迫る。
「な」
雄二が取り出したものを投げつけてきた。
「い」
縫は鋏でそれを叩き切ろうとした。
「☆」
瞬間、オレンジ色の不細工な人形が目に入る。
それが何かを理解する前に、爆風が縫を飲み込んだ。
■
ラビットハウス裏の細い道を出たところで、雄二は縫の一撃を食らった。
大きな鋏を横に一閃。鮮血がシャツを濡らす。
「が、はっ……」
結論から言えば、ジャスタウェイで縫を倒すことは叶わなかった。
雄二は右ひざを着いて、斬られた右肩を押さえながら、縫のことを見上げた。
くるくると余裕の表情で鋏を回す縫に、外傷らしきものは一つとして存在しない。
「びっくりしたぁ。今の爆弾だったんだ。まぁ意味ないんだけどね♪」
正確には、外傷はつい一分前までは存在していた。
爆風による火傷と、破片による裂傷。そうした怪我は、雄二の目の前でみるみるうちに治癒していったのだ。
蟇郡から変身や再生力については聞かされていたが、その異常さに雄二は舌を巻いた。
「目的は、虐殺か?」
「うーんと、情報も欲しかったんだけどね。
さっきのメモはブラフみたいだし、いーらない♪」
何がそんなに可笑しいのか、縫は終始ニコニコしながら雄二をいたぶっていた。
おそらく、少女たちが出てくるのを待っているのだろう。
爆弾は幸運にもラビットハウスの壁を破壊しなかったが、その音と振動は届いているはず。
小屋から出てきたウサギを狩るつもり、とでもいうのか。
「趣味が悪いな」
「人を騙すような人間に言われたくないなぁ♪」
どうにか時間を稼いで妙案を思いつきたかったが、現実は非常である。
縫の苛烈な攻撃に、雄二はナイフ代わりに使用していたアゾット剣を取り落とした。
それを見た縫は、アゾット剣を勢いよく蹴り飛ばした。
あらぬ方向へ飛んでいく剣を、雄二は絶望的な表情で眺めた。
「銃はあっちに転がってるし、もう手はないかな?」
「……現状把握の協力に感謝するっ!」
しかし、諦めるわけにはいかない。
雄二はその一心で、もう一つのジャスタウェイを握りしめた。
使いどころを誤れば、とうとう武器が一つもなくなる。
「じゃあ、死んじゃえー☆」
鋭く振り下ろされた鋏を間一髪で避けると、雄二は再びジャスタウェイを投げつけた。
縫は当たり前のように、返す刃で爆弾を真っ二つに斬った。
爆発はなんらダメージを与えていない。
(万事休すか――?)
そのとき、銃声が響いて、縫の身体が倒れた。
雄二ではない、その銃を撃ったのは――リゼ。
雄二が上を向くと、紫色の髪の毛が窓からちらりと覗いていた。
ラビットハウスの上階から、縫の頭を狙った狙撃だった。
「…………」
雄二は倒れた縫を注視しながら、アゾット剣とキャリコを回収した。
縫を殺せたとは思えないが、倒れたということは、ダメージがあったということ。
どこに命中したのか、雄二には見えた。
(おそらく瞳――化け物だが、そこを狙えば可能性はあるか?)
深く考える間もなく、縫は立ち上がった。
その眼からは血の涙が流れ、顔は笑っていても、瞳の奥は決して笑ってはいない。
雄二は覚悟する。これまでよりも苛烈な攻めが来ると。
そして再び、小さな戦端は開かれた。
「あははっはははははは!!!!」
■
承太郎は腕組みをしながら、戦車に揺られていた。
運転しているのは、つい数刻前に知り合った神父・
言峰綺礼だ。
目的地はラビットハウス。針目縫が襲撃する可能性がある場所として、承太郎が指定した。
縫が遊月に変身していたということは、縫は遊月と出会い、情報を引き出したということ。
――でもね。ボク、もっと面白いことを思いついちゃったよ――
承太郎の脳内には、縫の声が再生される。
縫は遊月から、ラビットハウスに参加者がいたことも聞いているはずだ。承太郎への意趣返しとして、彼らを殺害するかもしれない。
そう考えたからこそ、承太郎はDIOや衛宮切嗣よりも、縫を優先した。
「衛宮切嗣を追わなくてよかったのか」
「ああ。針目の件が片付いてから、改めて話を訊けばいい。
……それとも、あんたには衛宮にこだわる理由でもあるのか?」
もちろん、承太郎と綺礼は最低限の情報交換はしてある。
お互いの知る参加者と、今までに交流した参加者の名前を交換し合った。
綺礼とポルナレフが既にDIOと遭遇、交戦していたことも聞いた。
衛宮切嗣については、手段を選ばない傭兵であるという以上の情報はなかったが、綺礼の語り口からは、言外に気にしている様子が感じられた。
承太郎はそのことを追求したのだ。
「……いや。忘れてくれ」
綺礼は答えず、ただ戦車を走らせ続ける。
尋ねた承太郎としても、無理に問い詰めるつもりはなかった。
綺礼は八極拳を習得しており、あのDIOに不意打ちとはいえ一撃を見舞ったと聞いた。通用しなかったらしいが。
強い上に主催に反抗する意思もある、貴重な仲間だ。
下手なことを訪ねて関係を悪化させることはしたくなかった。
「もう少しで着く頃合いか?」
「ん……ああ。そろそろだぜ。あの角を曲がれば見える」
石畳を踏み鳴らしながら、神威の車輪が曲がり角を疾走する。
すると、承太郎の目に二つの人影が映った。
一人は学生服の男。そして、もう一人は最悪の可能性。災厄の権化だった。
「針目、縫……!」
遠目にも銃火が視認できた。戦闘は既に始まっている。
そして、どうやら雄二が傷を負い劣勢らしいことも判断できた。
それを確認すると、承太郎はすぐさま運転席の綺礼に向けて叫んだ。
「言峰、ヤツを轢き殺せ」
「了解した」
綺礼が手綱を操って、戦車のスピードを加速させた。
その速さはこれまでの比ではない。
征服王が乗り回した神威の車輪が真価を発揮すれば、十秒も経たない内に、戦闘の起きている地点に到達するだろう。
ピンク色の化け物を鋭く見つめながら、承太郎は厳しい戦闘の予感に拳を握りしめた。
■
「わぁ、あれで轢かれたら大変!逃げなくっちゃ――」
遠くから、牛たちが凄まじい勢いで駆けてくるのに、いち早く気づいたのは縫だった。
目を凝らすと、御者台に承太郎らしき姿が見える。
このままここにいれば、再戦は確定。疲労も増すだろう。
内心でイライラを溜め込んでいた縫は、逃げの一手を考えることにした。
しかし、そうは問屋が卸さなかった。
「――逃がすと思うか!」
「もう、うっとうしいなあ!」
敵わないと分かっていながら立ち向かってくる雄二に、縫は苛立ちを覚えていた。
動こうとする方向に銃弾を放ち、行動させまいとしつこい。
縫は余計な邪魔をされないように、雄二を一刀の下に切り伏せようとした。
「何もできないクセにっ☆」
このとき、縫は普段よりも冷静さを欠いていた。
戦車が轢き殺さんと迫っている状況。承太郎の偽物として悪事を働くという目論見の失敗。
これらが僅かに縫の思考を乱したのだ。
とりあえず殺そうという雑な気持ちで振り上げた鋏は、雄二の脳天を割るために振り下ろされることはなく。
次の瞬間、腕を取られた縫は、地面に組み伏せられていた。
雄二の呟きが頭上から聞こえてくる。
「骨はあるのか……つくづく理解に苦しむ生き物だな」
生命戦維と融合した人間の特徴は、常人離れした身体能力と、頭部を破壊されても再生するほどの生命力である。
生命戦維の人工子宮で育った針目縫も当然、そうした特性を持つ。
この殺し合いでは、制限こそかけられているが、
ホル・ホースの銃撃を胸に食らっても回復したことから、その異常性は分かるだろう。
しかし、決して異常なばかりではない。
人間と同様に心臓が機能している。血液は体内を巡っている。脳も骨も存在する。
そうした身体構造が人間と同じなら、『関節技』が通用するのだ。
「っ……」
鈍い痛みが縫の身体に走った。
関節を極められていることに気付いたのは、その数秒後。
今まで縫は、力で抑え込まれることはあっても、技で抑え込まれることはなかった。ゆえに、関節技から逃れる方法を知らなかった。
無論、縫がその力を発揮すれば、数秒で解ける拘束ではある。
「なに、あの速さなら、ほんの少し押さえていれば充分だ」
しかし、雄二もそのことは考慮していたらしい。
戦車が走り来る方向をじっと眺めながら、それでも縫の関節を極めた姿勢を崩さない。
そして数秒後、縫が力ずくで拘束を解くよりも早く、戦車が眼前に迫ったところで、雄二は飛び退いた。
「うわー☆」
とても轢かれる寸前に上げるとは思えないほど明るい声で、縫は戦車に蹂躙された。
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最終更新:2016年02月23日 21:18