日誤会(日本語を誤用したら開き直って造語する会)運動本部
日本語と神道
神道には教典がないといはれます。
確にキリスト教の聖書やイスラム教のコーランに相当する経典はありません。
聖書やコーランは、神と人との契約の書物といふ性格を有していますが、日本古来の神道にはさうした感覚はありませんでした。
祖先以来の生活の姿、現代風にいへばライフスタイルの在り方が原典であり、それが経典に換るものでした。
そのライフスタイルを支へるものは何かといへば、広くいへば文化あるいは伝統といふものですが、より具体的には、歴史と言語(ことば)であります。
これにより、私たちは祖先のライフスタイルを伺ひ、その中から現代に必要なエッセンスを汲み取り、より良い現代生活を営むとともに、未来にこれを継承するのです。
ですから、正しい日本語を守らうとすることは、神道的生活の基本ともなるのです。
この文章は歴史的仮名遣ひで記述されてゐますが、これも宮司の日本語を守りたい信条によつてゐます。
正しく日本語を使用することは、単に古典に親しみ、祖先の文化に触れることができるといふことだけではなく、日本語の中にある人間関係、その心、その精神を知り、それを自分の生活行動に取入れることとなり、神道的生活の規範の源泉ともなります。
ですから正しい日本語が、神道の経典ともなり得るのです。
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最終更新:2009年03月16日 15:17