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地名(信長の野望) - (2010/08/17 (火) 12:42:52) の編集履歴(バックアップ)


ここは戦国時代の有名な都市・地名を動画内での状況などと併せて紹介していくページです。
史実の流れや各動画の軌跡を振り返ってみてはどうでしょう。




蝦夷(えぞ)

現在の北海道。
アイヌ民族が住んでいたが、蠣崎氏が渡島半島南部を領有し、強い影響力を持つようになる。

+ 始まりの地
特産物解放の夢を持つ、魚介乃類・銘酒濁酒の二人が徳山館の蠣崎氏に仕官する。

+ 始まりの地
岡崎夢美がちゆり尻拭いから仕方なく蠣崎氏に仕官、統一を目指す破目に。

  • やる夫の野望
+ アッー!!
蠣崎家の子達が色々と問題があった為、やる夫が養子となって統一を目指す。
ただ、一介の饅頭が大名の力を得るには、その代償は余りにも大き過ぎた。
後にやるおは奇策で新天地を目指した為、扱いが疎かになっている。


桶狭間(おけはざま)

尾張国。現在の愛知県豊明市・名古屋市にある。
1560年、上洛のため(?)西進した今川義元の大軍の本隊を、織田信長はこの地で急襲し義元を討ち取る。

+ 詳細を表示
寡兵の博麗霊夢軍が伊吹萃香軍に奇襲を仕掛けた地。
暗黒大妖精の謀略により萃香本人および周りの将兵は無力化、戦いは霊夢軍の勝利に終わり、チルノは敵将捕縛の功を得た。


大坂城(おおさかじょう)

摂津国。現在の大阪市にある城。
石山本願寺とほぼ同位置と伝わる。豊臣秀吉により天下一の巨城を目指して築かれたが、次代に落城し豊臣家は滅亡。
後に徳川家によって完全に壊され別の形に建て直された。

+ 孤立の城塞
秀頼母子が守る孤高の城。開始直後に周囲を大改造。摂津国全体を大要塞と化し徳川の猛攻に備えた。


小谷城(おだにじょう)

近江国(現在の滋賀県)浅井郡にあった堅城。
最終的に、浅井家は織田家に攻められてここで包囲され、1573年に滅亡する。

+ 因縁の地
本来チュートリアルは、国を富ませるとか兵を集めるとか拠点を作るなど準備をしてこの小谷城を落とす、という流れのはずなのだが、この動画においてはやり直しも含めて5回も落とされた。


小田原城(おだわらじょう)

相模国(現在の神奈川県)の城。
北条早雲が大森氏から強奪。それ以後5代に渡り、北条氏の政治的拠点となった。3代目北条氏康の代では上杉謙信・武田信玄の進撃を退けた。
1590年に豊臣秀吉が小田原城を落とし、秀吉の国内統一が完了した。


尾張国(おわりのくに)

現在の愛知県西部。
織田信長が統一。清洲城がある。


帰雲城(かえりくもじょう)

飛騨国白川郷保木脇村(現在の岐阜県大野郡白川村保木脇)の帰雲山にあった、内ヶ島氏の居城。
天正13年(1585年)の天正の大地震で、帰雲山の崩壊(大規模な土砂崩れ、あるいはそれに伴う土石流)に巻き込まれ、
城主や重臣はじめ、城下町や住人たちも全滅するという悲劇が起きた。城がどの地点にあったのかは現在もはっきりしない。
一部では 日本のポンペイ と呼ばれているとかいないとか。

内ヶ島氏が飛騨の鉱山を支配したことから、埋蔵金伝説もあったりする。
合掌造りのある「白川郷」(荻町地区)は、帰雲城の北約5kmにある。

信長の野望・烈風伝では「隠し支城」として登場する。
歴戦ゲープレイ動画的には、 内ヶ島氏理 が登場するたびに言及される。

+ お約束の地
当時の主人公一条兼定が内ヶ島氏理のことを気に入り、一条から内ヶ島に改姓。さらに居城筒井城も帰雲城に改名している。
ちなみに、本物の帰雲城は本編終了後に案の定、山崩れで埋まってしまう。



春日山城(かすがやまじょう)

15~16世紀初、守護代長尾為景の居城として築かれる。守護上杉顕定を破り、戦国大名の居城となり、整備が進む。
その後上杉謙信・景勝の居城として栄えるが、景勝会津移封に伴い、堀秀治が入城。福島城築城によって廃城となる。
謙信の代には数万人が居住する城下町を抱えていたという。


清洲城(きよすじょう)

守護代・守護織田家の本拠地。1582年に信長が本能寺に倒れて後、織田信雄が城主となり、大小天守を持つ近世城郭に改修された。
しかし、名古屋城の築城が始まると石垣は転用され、天守を初め主要な建物は名古屋に移された。


新発田(しばた)

越後北東部の地名。現在の新潟県新発田市。戦国時代には揚北衆のひとり、新発田氏が治めていた。
上杉氏が会津に転封されると「こっち見んな」こと 溝口秀勝 が6万石でこの地に入り、幕末まで溝口氏が治めるところとなった。

難しい字を使っていないのに読みにくい地名の一つ。
動画で新発田城を攻める際に、視聴者の間で今までにやった誤読の披露がされることがある。
「しんはつでん」とか「しんはった」とか「にいほった」とか、けっこうみんな読み間違えているようだ。



壇ノ浦(だんのうら)

現在の山口、福岡県の間にある関門海峡内。流れが速く現在も難所の一つ。
因みに関門海峡中程に舟島(巌流島)がある。
平安末期、此処で平氏と源義経との戦いがあり、平氏が滅亡している。

+ 壇ノ浦トライアングル
伝説によれば以下の通り。
小早川の将、黒田如水の召喚により「うみうし」なる海獣が現れた。
海獣は数万の敵を船ごと飲込み、ほぼ一瞬にして水面下に消えた。
かくてこれより更に徳川の家は傾かん。奢れる者も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。


躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)

甲斐国(現在の山梨県)にあった館。
武田氏の本拠地。信虎・信玄・勝頼の代まで60年余り使われた。

読みにくい地名の一つ。


土佐国(とさのくに)

現在の高知県。
一条・長宗我部など「土佐七雄」と称される諸勢力が争っていたが、長宗我部元親が統一。さらに四国統一の足掛かりとする。
「革新」PKにおいて、東土佐は国人、水軍の拠点があるため、天然の要害ともなるが、協定してない状態で一揆が発生すると厄介な状況になることも。



中村御所(なかむらごしょ)

土佐国幡多郡(現在の高知県四万十市)を治める土佐一条家の居城。

+ 始まりの地
領主一条兼定の暴政に対し、百姓の吾作らや家老の土居宗珊らの起こした一揆によって占領された。
一揆の際、作戦で機知を見せたマエリベリー・ハーンが新しい領主となる。

+ 始まりの地
領主一条兼定がある日目覚めると、家臣団全員があいそをつかして出奔。
代わりに全国各地から追い出されたダメ君主たちが集まり、新たな家臣団を形成する。


美濃国(みののくに)

現在の岐阜県南部。
元々土岐家の領国であったが斎藤道三が下剋上で乗っ取った。

+ 弾幕要塞
稲葉山城一帯は異常なまでの鉄砲櫓が立ち並ぶ弾幕要塞と化し、視聴者の度肝を抜く。
が、対武田の防衛戦勝利後は斎藤義龍が言ったように、櫓は取り壊される。



箕輪城(みのわじょう)

1500年頃、長野尚業によって築かれたと言われ、戦国時代にはあの長野業正の居城となった城。上州攻略を目指す武田信玄の軍勢を7度も追い返したことで有名。
72歳で業正が病没した後は、業盛が継ぐが団結力が崩れ、1566年箕輪城は落城する。しかし滅ぼした武田方も被害も大きく、この戦いだけで兵士を3万5千人程失ったという。
その後、武田→織田(滝川一益)→徳川(井伊直政)と支配が変わり、1598年に直政が高崎に城を移したことで廃城となる。



吉田郡山城(よしだこおりやまじょう)

安芸国、現在の広島県安芸高田市にあった城。
長らく毛利家代々の居城として使われた。

+ 失せ物
当主、長宗我部国親が守っていたが、浦上家の猛攻により重大な危機に追いやられる。





  • 桶狭間、角が立たないよう改訂させていただきました。 -- 名無しさん (2009-03-21 10:22:37)
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