罪滅しと、新たな罪と(前編) ◆0RbUzIT0To
街中の住宅街を一人の青年と一匹の獣が闊歩していた。
その足取りは重いものではなく、だが決して軽いものではない。
強い決意と覚悟を決めた戦士のそれと同じものである。
青年は……つい先ほど、過去の過ちを仲間に打ち明けた。
それは到底許されるものではなかったが、しかし仲間は許すと言った。
言ってしまえば何の関係も無い者から言われたその言葉だが、青年はその言葉に救われたのだ。
そして、長い輪廻の果てにようやく見つけた奇跡を手に握り締め青年は運命を打ち破る事を決意した。
男の名前は
前原圭一、運命の鍵を握る者。
彼は今、
水銀燈の仲間がいると聞いた塔へと向かっていた。
「ピッピ、何か聞こえないか?」
「何か雑音のようなものは聞こえるけど……それが何かまではわからない。
でも、音からして沢山人がいるような気がする……」
ピッピの進化系であるピクシーは1km先で落ちた針の音さえも見事に聞き分ける能力を持っている。
だからこそピッピも、ピクシー程ではないにしろ耳の良さには自信を持っていた。
実際この能力が役に立ち、TASの襲撃の時には咄嗟に体勢を立てられたのだ。
……問題はその時相手が危険人物なのだとわからずにむざむざとやられてしまった事だが。
それはともかくとして、塔に沢山の人がいるというのはどうにも妙だ。
水銀燈から聞いていた情報によると、塔にいるはずの仲間は
永井博之と
ティアナ=ランスターの二人。
それ以外にいる可能性のある人物といったら……。
「何人くらいか正確にわかるか?」
「一人凄く五月蝿いのがいるけど、その他には三人かな……多分、四人だと思う」
それを聞いて圭一は歯噛みをしながら思考を練った。
しかし、どれだけ考えてみても頭を過ぎるのは嫌な予想ばかり。
襲撃してきた男達の人数も、銃を持った少年と刀を持った少年の二人だったはずだ。
確か銃を持った少年の方は何かを喚き散らしながら襲ってきたというし、五月蝿いというのも辻褄が合う。
「落ち着け、KOOLになれ前原圭一……!」
銃を持った少年と刀を持った少年……更に、ピッピの話ではかなり強いオタチっていうポケモン。
そいつらがいる以上、何も考えずに突っ込むだけじゃ命を無駄に散らすだけになってしまう。
水銀燈の仲間を助ける為にも、そしてまだ果たせてない贖罪の為にもそれだけはゴメンだ。
「ピッピ、お前はそのオタチっていうポケモンには勝てそうにないのか?」
「むむむむ、無理だよ! 僕とオタチじゃ文字通りレベルが違いすぎるんだ!
コロネならなんとかなるかもしれないけれど……あ、でもあのオタチもしかしたら氷や炎タイプの技を覚えてるかもしれないし」
オタチはキャタピーと違ってわざマシンが使えるし、ノーマルだから色んな技を覚えれるもんな。
僕はご主人様の意向で全然覚えさせてくれなかったけど、などと言いながらピッピは悩む。
タイプや相性といった事に関して圭一は何一つわかってはいないがピッピの様子だけでそのオタチという生物が危険なものなのだと判断していた。
だが、だとすればどう対処したものか……。
自分が持っているのは鋸と包丁だけで、そんな危険な生物に敵うとは思わない。
ピッピの『ゆびをふる』という技も聞いた話ではどんな技が出るかは完璧なランダムらしくあまりアテにしすぎるのも危険だ。
どうしたら……。
「でも……」
顎に手を当て、考え込んでいた圭一にピッピが呟くように言った。
オタチの姿を思い出し、少しだけ怯え震えながらもしっかりとした眼差しで前を見据えて。
「もしやらなきゃいけない状況なら僕は……戦うよ、圭一を守る為にも水銀燈の仲間を守る為にも……」
運良くノーマルに強い格闘タイプの技が出るとはわからないし、仮に地獄車や跳び膝蹴りが出たとしても外れる可能性もある。
おまけに素早さでも負けるかもしれないし、そうなれば自分の負け……即ち死亡は必至だ。
だが、ピッピは怯えながらもそう覚悟を決めた。
先の戦いで
ピカチュウは圭一を守る為に命を投げ捨て、TASを撃退した。
先の放送で混乱していたこなたに対し、圭一は懸命に説得をした。
先の告白で辛そうな顔していた圭一に、こなたはそれを知っている口振りで許してみせた。
「僕も皆の役に立たなきゃ駄目なんだ……!
あの時、逃げ出しちゃって助けられなかった女の子の為にも……あの男の子は倒さないと!」
あの時、あの民家での会合で圭一が運命をぶち壊す事を決意したように、ピッピもその決意を固めていた。
勿論今でも足は震えているし、顔色も明らかに悪い。
どこからどう見ても強がりにしか聞こえないその言葉。
だが、それでもピッピは前だけを見ていた。
「いいいい、行こう圭一!」
「……ああ、そうだなピッピ!」
震える声で言ったピッピに、圭一はその手に鋸を握り締めて同意した。
そう、こんな状況では物怖じしてしまうのも仕方が無いのかもしれない。
しかし、例え怖かろうと戦わなければならない時が来る。
運命をぶち壊す為に、戦わなければならない時が。
「例え相手がどんだけ強かろうと関係ねぇ!
俺達はそんなもんに……止められる訳にはいかねぇんだ!」
運命を壊す為にも、立ち止まる訳にはいかない。
二人の戦士はお互いにそれを確認し合うと走り出した。
仲間さえいれば、どんな運命にだって敵にだって立ち向かえる。
KOOLになった結果、結局出た答えは精神論だった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「うわああああああああ!! HA☆NA☆SE!!」
「同志レナ……」
塔の付近は、正しく惨状というべき有様だった。
本来ならば愛らしい顔立ちをしているだろう少女は縄に縛られた体をくねらせ、髪を振り乱して絶叫。
まだ幼い童女は額から血を流し気絶し、その傍らにいる青年も疲れきった表情で虚空を見ている。
これがアニメなら、正義の味方が来て颯爽と助けてくれるのかもしれない。
でも、これはアニメじゃない。誰も助けてはくれない。
「もう、嫌よ」
ぽつり、と青年が呟いた。虚空を見ているその瞳には何も映っておらず、何を考えているのか見当もつかない。
だから、最初にその言葉を聞いた時誰もが何の事を言っているのかわからなかった。
「博之さん?」
「もう、疲れた……何で俺ばっかり、こんな目にあわなあかんねん」
兄を亡くし、母を亡くし、視力すらも失くした彼の精神は既に限界に近づいていた。
ブラコンやマザコンなどという訳ではなく、それは人として当たり前の感情。
肉親を亡くして悲しいと思わない、絶望しない人間なんていない。
突然視力を失って、正気でいられる人間なんていない。
「いきなり変な所に連れてこられて……! 殺し合いをしろとか言われて……!
人に襲われたり! 死人に会ったり! 兄貴とおかんを殺されて!!
俺が何をしたんぞ! 何でこんな目にあわないかんのんぞ!!」
思わず立ち上がり、絶叫する……が、その足がふらついた。
慌ててキバは博之の下に駆け寄り、肩を貸すようにして体を支えたが博之の悲しみはまだ止まらない。
その行動により、目が見えない以上立ち上がる事さえままならない体だという事を知ったからだ。
「落ち着いてください、博之さん……そりゃ、気持ちはわかりますけど」
「お前に何がわかるんぞ!!」
宥めようとしたキバに吐いたのは激しい罵声。
なおも暴れる博之を、しかしキバは我慢強く引き止める。
どれだけ暴れた博之の拳が体に当たろうと、罵声と共に飛び出た唾が顔に付着しようと必至に博之を支え続けた。
「兄貴も死んで、おかんも死んで! もう家帰ってもあいつらおらんやないか!!
ジーコおらんかったら配信出来ん……おとうやタツに、何て言うたらええんぞ!!」
「同志博之……」
「何が同志ぞ!」
更に、博之を心配した外山に対しても博之は構わず罵声を浴びせ蹴りを見舞った。
辺り構わず放ったそれは、外山の鳩尾に入り蹲る。
「外山、俺はあんたの事知っとるし好きやった!
でも、お前が連れてきた仲間はただの狂人やないか! そんな奴は同志やないし、なりとうもない!!」
蹲る外山に向かって、叫び続ける博之。
彼は兄に比べて比較的まともで、尚且つ良識のある人物であると見られていた。
だが、それでも彼はあくまでもただの、一介の一般人だったし、
兄と母の死を自分一人だけで背負い込める程出来た人物でもなかった。
だからこそ博之は、その悲しみを人にぶつける事によってなんとか自分を取り戻そうとしていた。
もう兄も母もこの世にはおらず、そして蘇る事などない。それをわかっているからこそ、博之はただ暴れに暴れ。
何の関係もなく、むしろ自分を心配してくれているはずの外山とキバに暴力を振るい。
そして、外山もキバもただ博之のなすがままとなっていた。
「俺は……俺は……!!」
だが、そう簡単に悲しみは拭えない。人をどれだけ殴ろうと、蹴ろうと、気持ちは一向に晴れない。
握る拳に血が滲み、どれだけ罵声を浴びせても気持ちは一向に晴れない。
どれだけ殴り続けただろうか、気がつくと手の感覚すら無くなっていたその時。
「あはははははははははははははははははははははははははははははは!!」
突然、狂人の狂った声が辺りに響き渡った。
外山とキバがその耐え凌いでいた体をその声を発したであろう人物の方向を向き、博之も声だけを頼りにその方向へと顔を向ける。
「宇宙人同士で仲間割れか! ざまあみろ!!
地球を侵略しようとしても結局そうやってお前達は何一つ為せないまま死んでいくんだ!
どうせお前が言ってる兄も母も無意味な死を遂げている!
宇宙人なんかに地球を侵略させるもんか! もっとやれ! 仲間割れしろ!
全員死ね! 死ね! 死んでしまえええええええええええええええええええ!!!!」
狂った形相で、声で、全てを壊すように叫び続ける。
何が彼女をそうしたのか、答えはキバだけが知っていた。
「雛見沢症候群……」
「同志キバよ、あれを治す方法は?」
「薬があれば……完全に治す事は出来ませんけど、治める事は出来るはずです」
雛見沢症候群、雛見沢村固有の風土病。
症状は極端な疑心暗鬼による凶暴性とリンパ異常による喉を主体とした全身の痒み。正しく、今のレナの状況だ。
それを治すにはC120という治療薬が必要だが、そんなものは今ここに無いしこの殺し合いの場全域にあるとも思えない。
「薬局などには、治療薬は置いていないのか?」
「多分無理です、凄く特殊な病気である以上普通の薬局なんかにあるはずがないですから。
だから、他の方法でどうにかしないと……」
何故それをキバが知っているのか……そのような事は、この際どうでもいい。今必要なのはレナを雛見沢症候群から救い出す事だ。
治療薬を使わずに発症を抑える。魔法のような話だが、キバは不思議とそんな事例を知っているような気がしていた。
それは一体何だったのか……思い出そうと頭を捻っている、その背後から。
小動物が、レナ目掛けて一直線に駆け抜けていった。
その言葉を受けて更に加速し、レナへと突撃をするヲタチ。
縄で縛られ身動きの出来ない状態であるレナは当然吹き飛び、地面に倒れる。
だが、ヲタチに命令をした人物はその様子が見えない。
故に、更にヲタチに命令を課そうとする。
「ヲタチ! ほのおの……」
「やめろ、同志博之!」
命令を下そうとした博之の口を手で塞ぎ、外山は諌める。
キバも博之の後ろに回りこみ、羽交い絞めにしてレナの下まで走り出さんばかりの博之を止めた。
その判断は正しく、もし仮に走り出していたら目の見えない博之は転んでいただろう。
だが、それでも博之は怒りに身を任せて外山とキバを振りほどこうとする。
「ふざけんな! 何が無意味な死よ!!
あいつらは……そんなんで死んだんと違う! ジーコもおかんも……そんなんやない!!」
永井浩二は決して無意味な死を遂げた訳ではない。
四肢を失いながらも少年と戦い、博之とティアナを守り、見事に愛媛の打開を見せ付けた。
永井けいこもきっとそうだ、かつての離婚の危機でさえ子供が可愛いからと打開してみせた慈愛の心があるのだから。
きっと誰かを庇って死んでしまったのだ。
人の命を救ったのであろうその行動は決して無意味なんてものではない。
そして、その死を嘲笑ったレナは決して許せるものではない。
「何も知らん癖に宇宙人宇宙人……! 殺したる!!」
「待って下さい、博之さん……! アイツは今、病気で我を失ってるだけなんです! だから……」
なおもレナの下に行こうとする博之を抑えながら、キバは必死に博之を治めようとしていた。
先ほどまで自分達を殴って殴って、その悲しみとやり場の無い怒りを再び募らせてしまった博之を必死に。
当然外山も、博之を止めようとする。
だが、ここで二人が犯した過ちは二人がかりで博之を止めようとした事と、キバが後ろに回り羽交い絞めにした事だ。
成人男性である博之の身長は、キバのものよりも少し高い。
だからこそ、キバは博之の背中を見ながら羽交い絞めをする体勢になっていた。
当然、背中を見ながらという事なのでその前に何があるのかは見えない。
そして、外山は前から博之を必死に止めようとしているので後ろで何が起こっているか見えない。
勿論、博之は目が見えない上に興奮している為に物音がしようと何が起ころうと気付かない。
縄で縛っているから、大丈夫だろう。
その過信が油断を招き、彼らの背後を無防備にさせてしまったのだ。
外山もキバも博之も背後で何が起こっているかはまるでわからない。
だから。
「ぐおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」
何故、外山が絶叫を上げたのか。
そして、何故外山の腕が宙を舞い血飛沫が体にぶちまけられたのかも、わからなかった。
「う、うお、おおおおおおおおあああああ!?」
崩れ落ちるようにして、外山は地に伏した。
見てみると外山の右腕は肩口から先が無くなっており、断面に骨が見えている。
キバは思わず、その見てしまった生々しい断面図と血の臭いにより嘔吐しそうになるが辛うじて耐えた。
その視線の先に、もっと信じられないものを見つけたからだ。
「レナ……!」
そこには、顔を歪ませて大鉈を振りかぶったレナの姿があった。
咄嗟に博之を掴んで地面に転がり込むように回避するものの、頭上で大鉈を振ったぶおん!という快音が聞こえる。
おかしい、何故レナが起き上がっているんだとキバはなるべく冷静に頭を回転させた。
縄できつく縛っていた以上、解いたとは考えにくい。
だとしたら、何で今レナは自由になって俺達を襲ってきているんだ?
「おらああああ!! ぼやぼやしてるんじゃないよッ!!」
「うおわっ!?」
どうやらレナはひとまずの標的をキバに定めたらしく、再び鉈を振り回して突撃してくる。
それを寸での所で回避しながら、キバはその大鉈を持つレナの手に火傷の痕を見た。
もしかしたら、と再び視線をヲタチの方に向けるとヲタチは佇んで指示を待っているようだった。
その拳に、炎を纏わせながら。
「な、何が起こってるんぞ! なぁ、おい!」
「博之さん、ヲタチを戻して隠れてて下さい! レナが……手枷を破って襲ってきてます!」
「なっ!? なんでぞ!?」
目が見えず状況が飲み込めていなかった博之はその言葉を聞いてひとまずヲタチを呼び戻し、自分の警護に当たらせる。
突然顔に何か生暖かい液体が付着したと思ったら、外山の叫び声が聞こえて、何者かに押し倒された。
その後何か重そうなものが空を切る音が聞こえたら、レナが襲ってきたという。
何故そんな事になったのか……ヲタチを抱えながら考え込み。
そして、たまたまそのヲタチの手先に触れた際に……、ようやく全てを悟った。
「もしかして……俺のせいなんか?」
「もしかしなくてもそうだよばーか! やっぱりお前達は無意味だ! 無能だ! 汚物だ!!
折角縛った私を解放してどういうつもりなのかな!? かなぁ!?」
火傷した掌で大鉈を握り締め、レナは言う。
博之がヲタチに電光石火を指示した後、更に追加でしようとした指示は『ほのおのパンチ』
だが、全てを言い終わるまでに止められてしまったが為にヲタチは指示を完遂する訳にはいかず。
ヲタチは炎を拳に纏わせたままの状態で待っていたのだ。
電光石火で吹き飛ばした、レナの目の前で。
「縄を焼ききるのには時間がかかるからその間に気付かれるかもって思ったんだけどね!
お前達が仲間割れをしてくれたのはラッキーだったよ! こっちに全然注目してくれないんだからね!!」
「俺が……」
「あっははははははははは! 今更後悔したって遅いんだよ!?
お前達はここで死ぬんだ! 宇宙人なんかみんなみんな死んでしまえ!!」
博之はその言葉を聞き、絶望に打ちひしがれた。
自分の軽率な行動のせいで、キバを、外山を危険に晒してしまった事に。
そして、その時。
それらの喧騒を聞いて、目を覚ました者がいた。
「ひっ!?」
その童女が最初に見たのは、目の前で鉈を振り回す女とそれから懸命に逃れている男の姿。
頭が痛む、触ってみると何かぬるっとしたものが手に付着した。
見てみると……それは、真っ赤な色をしたナニカ。
わからない……? いや、そんな事はない。 これは、ここに連れてこられて一番最初に見たはずだ。
さっちゃんと名乗っていた女学生を刺し殺した時に見た、赤い液体。
血だ。
「いやあああああああああああああああああああ!!」
「妹ちゃん!? うおっ!?」
「ほおら、どこ余所見してんだか! ガキの叫び声なんかに気を取られてたら死ぬよ!?
それよりそんなに早く殺して欲しいのかな!? かなぁ!?」
目の前での光景、自分に恐怖を与えたその対象、そして自身から流れ出ている血を見て少女の恐怖心は限界を超えた。
辺り構わず泣き叫び、頭を抱えて身を縮める。
まるで生まれたての赤子のように、恐怖によって何も考える事をせずにただそうするのみ。
目の前から逃げるだとか、立ち向かうだとかいう思考にすら至らない。
「くそっ……妹ちゃん落ち着いて! 大丈夫、絶対に守るから!」
キバはレナの攻撃を避けながらも、妹が正気に戻るよう懸命に説得をする。
だが、そんなキバに対してレナは無情にも冷酷で残忍な言葉を放つ。
「へぇ! 本当に守れるのかなぁ!? だったら、試してみようか!」
「なっ!?」
そう言い、レナが振り下ろした大鉈の先には少女の姿。
キバは言った、
キョンの妹を絶対に守ってみせると。
だが、今からでは到底間に合わない。
メタルブレードを発射しても振り下ろされた大鉈はレナに届く前に少女を捕らえるだろう。
キバがキョンの妹と交わした約束は、守る事が出来ない。
届かない、叶えられない、助けられない。
「あ……あああああああああああ!!」
「死んでしまえええええええええええええええ!!」
少女の顔が恐怖に凍りつく。
そして鉈が少女へと向かう間、少女は瞬間的に自分の行いを後悔しはじめていた。
どうせ死ぬのならば……人を殺さなければよかった。
生きて、取り入って、最後まで残って、兄を生き返らせるつもりだったのに。
失敗ばかりをして、結局のところ何も成す事が出来なかった。
こんな事ならば誰も殺さず、せめて最後まで後悔する事の無いように生きたかった。
だが、今更そんな事を思い出してももう遅い。
レナの振り下ろした大鉈がついに少女の眼前に迫っているのだ。
思わず少女が目を瞑り、レナが今正に叩ききろうとしたその瞬間。
「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
少女を庇うようにして、一つの影がその前に立ちはだかった。
ぐしゃり、と嫌な音が鳴った。
その音が聞こえた事と自分にかかる重圧、そして何かのうめき声を聞き。
少女は固く瞑っていたその目を再び開ける。
死んだのだろうか、だが、それにしては痛みも感じない。
そんな事を考えながら、おぼろげに瞳を開けたその先にあった顔は……。
瞳を閉じ、言葉も無く倒れ伏したキバの姿。
「キバくん!?」
「…………」
思わず声をかけてみるものの、答えは返ってこない。
当然だろう、少し考えてみればどういう状況で、何が起こったのかくらいわかる。
キバは……少女を庇ったのだ。
それは、確かに言葉通りの、約束通りの行い。
そして少女が望んでいた、自分を庇ってくれる守ってくれる駒として当然の結末。
本来なら、自分の幸運に喜ぶべき事だったのかもしれない。
そう、本当なら、嬉しい事のはずなのだ。
なのに、涙が溢れて止まらないのは、何故なのだろうか。
「キバくん……! キバくん!!」
どれだけ揺すっても声をかけても叩いても、キバは目を開けない。
当然だ、自分を庇って大鉈の一撃を受けてしまったのだから。
でも、それでも、少女はキバの死を認めたくは無かった。
「どうして……キバくんが……」
少女に覆い被さり、ぎゅっと抱きしめているキバの体はまだ温かい。
こんなにまで抱きしめて、守ろうとしてくれたのだ。
裏切る為に接触をしていた自分の事を、命を挺して。
「あはははははははははははははははははははははははははははははは!!
偉い偉い! キバくんは妹ちゃんを守ったんだね! 凄いよ、尊敬しちゃうなぁ!! 嘘だけどね!!」
涙を流し、悲しみにくれる少女を尻目にレナはその狂気の叫びをやめない。
レナからしてみればキバがキョンの妹を庇った事は正直言って計算外だった。
どうせ仲間割れをするような宇宙人、守るなどといいながらも尻尾巻いて逃げるのがオチだと思っていた考えをひっくり返されたからだ。
だが、所詮イレギュラー。宇宙人が何を考えて庇ったのかなんてわからないし、わかりたくもない。
かつての仲間を殺してしまったなどという罪の意識なども当然無い。
レナが感じているのは宇宙人を倒した事によって得られた高揚感だけだ。
「さぁ、次は誰を殺そうかな!
まあここにいる全員は殺すつもりだから誰でもいいんだけど……ッ!?」
気分が昂り、鉈を持つ手に更に力が入っていたレナの目の前に再び現れた小動物。
その拳には先ほどとは違い、冷気が宿っている。咄嗟にレナはその小動物が構えている拳の射線上から離れる。
その時、瞳を閉じながらも指示を出していた青年を見つけた。
「ヲタチ! れいとうパンチ!!」
博之の指示通りに冷気のこもった拳を突き出すヲタチ、だが既にそこにレナはいない。
もっと早くに指示を出していれば……と思うかもしれないが、博之の目が見えない以上それは不可能。
攻撃すべきタイミングを掴み取れないのだ。
「や、やったんか? なぁヲタチ……キバ、外山さん?」
状況を飲み込めず、キバも外山に呼びかける。
だが、どちらからも返事はない。返ってくるのはヲタチの鳴き声だけだ。
「なぁ……ちょ、どうしたんな……おい!!」
「そんなに早く殺して欲しいんならぶっ叩いてやるよォォォッ!」
「!? おま……外山さんらは!?」
状況が見えない博之は、キバも外山もどうなったのか知らない。
外山の叫び声も聞こえた、キバの声も聞こえた。
だが、何がどうなって、どうしているのかが全く飲み込めない。
そんな博之に対して、レナは思い切り踏み込み鉈を振りかぶった。
そして、その鉈が博之の頭に当たり、かち割られる寸前。
鉈を持っていた右側の腕から、血飛沫が上がりその衝撃で鉈が吹き飛んだ。
「ッ!? 誰だ……!?」
痛みを感じた様子もなく左手で吹き飛んだ鉈を回収しながら振り返る。
そこには、倒れながらも拳銃を握り締めてしっかりとした面持ちでレナを見つめていた外山の姿。
「同志博之! ヲタチを下がらせろ、指示は常に出すんだ!
攻撃させては下がらせ、攻撃させては下がらせるように!!」
「う……わ、わかったわ! 外山さん、大丈夫なんか!?」
「ああ……私は大丈夫だ、気にするな同志博之」
もしかしたら、自分のせいで大怪我をしているんじゃないかと心配する博之に対して外山は安心させるように言う。
本当の事を言えば、かなり辛い。
右腕が欠落したことによるショックや痛みもそうだが、出血による眩暈が何よりも酷い。
だが、それは決して口にしない。
口にしては悪戯に博之を不安にさせてしまうという事をわかっていたからだ。
「ヲタチ、でんこうせっか! そん後すぐに俺んとこ戻って来い!」
その指令を聞いてヲタチはすぐさまレナの下に駆け寄り突撃する。
レナは即座に対応し突撃してきたヲタチを逆に撃退してやろうと鉈を振りかぶる……が。
「ぐあっ!?」
再び、外山の放った銃弾がレナの右手を掠めてそれもならず、思い切り吹き飛ばされる。
レナはすぐさま起き上がり、正面を見据える。
外山は未だこちらを向いて銃を構えているし、博之の下で指示を待っているヲタチもいつでも動けるようだ。
おかしい、おかしい、おかしい、おかしい。 何でここまで追い詰められなければならないのか。
最初は上手くいっていた、仲間割れし出した時にはしめたものだと思った。
炎で縄を焼き切り、鉈を手にとって戦っている間もずっと優勢だった。
おかしくなりはじめたのは、キバが少女を庇ってからだ。
それから博之がヲタチを使い攻撃をしてきて、外山がその手に持った銃でレナの右腕を貫いた。
「あああああああああああ!!」
がりがりがりがり。
喉を掻き毟りながら、レナは塔へ向けて走り出した。
そうだ、自分はこんな所でやられる訳にはいかない、宇宙人を倒さなければならないのだから。
このままでは多勢に無勢は必至、だからこそ塔に逃げ込む……そうすれば!
「ぐっ……逃げたか!」
「え? に、逃げたんか? ほんなら……」
「同志博之、ここを動くな! 同志妹を頼む!」
「なぁ!? ちょ、ちょ待てぇ!」
博之の静止の声には耳を貸さず、外山は歩き出し……いや、走り出した。
勿論、動くだけでも危険な状態だというのに走るともなれば出血の量は尋常でないものとなる。
だが、それでも外山は走り出した。
病に捕らわれ、我を見失い、全てを信じようとしなくなっても。
それでも外山にとって
竜宮レナは、同志であった。
「頼むって言われたかて……俺は……」
後に残ったのは、視力を失い頼る人物さえも失った男が一人。
そして、自分のせいで一つの命を散らせてしまった少女が一人だけ。
五月蝿く喚き散らすレナがいなくなったお陰で、辺りは静寂に包まれていた。
そして、博之はその静寂の中にある異常を感じ取っていた。
少女がすすり泣く声……これは、キョンの妹のもの。
近くで聞こえる鳴き声はヲタチのものだと、それらは簡単に見当がついた。
だが、足りない。
もう一人いるはずの仲間の声が、全く聞こえない。
「キバ……? どこにおるん?」
声は返ってこない。
よく思い返してみる、外山は同志妹を頼むと言ってこの場を離れていった。
ならば、キバも外山と共にレナを追ったのだろうか?
だが、だとしたらキバは何故自分に声をかけなかったのだろう。
単に外山が言ったから自分は言わなくてもいいと思っただけなのだろうか。
それに、気になる事はもう一つある。
何故妹が泣いているのか……それが、わからない。
やはり、レナに襲われた事がそれほどショックだったのだろうか。
「えーっと……妹、やったっけ? なぁ……いつまでも泣いてんと……」
おかしな名前だな……などと思いながらも博之はすすり泣きが聞こえる方向へ這って進んだ。
目が見えない以上、何かが落ちていて気付かず踏んでしまい最悪こける可能性がある。
誰も手を引いてくれない今の状態では、歩く事は出来ない。
「ひっく……ひっく……」
「おい、泣いとったらわからんど。 キバはどこいってん? 外山さんらはどこや?」
ようやく傍らまで進む事が出来た博之は泣き続けるキョンの妹に言葉をかける。
それがこの少女にとってどれだけ酷な質問なのかも知らずに。
戦闘中の話の流れで、博之が失明をしてしまった事はわかっている。
だからこそ、博之は少女に対して敵対心を全く見せずにここまで接近をしているのだろう。
だが、いつ自分の正体に気付くかわからない。
ふとした拍子に誰かが自分の持っている鋏を見てそれを指摘すれば、博之はきっとおかしいと思うだろう。
そうでなくても、あの時博之と一緒にいた羽を生やした人間が来てしまえばそれで終わりだ。
だから、今ここで……目の見えないこの男の息の根を止めて、逃げるのがベストなんだ。
本当なら……そう、本当なら……。
「キバくん……私、庇って……あの、人から……だから……」
「庇ってって……おま、庇ってて!?」
焦ったような調子で聞いてくる博之に、しかし、少女は再び涙を浮かべて答える事が出来ない。
何が悲しいのか、何で悲しいのかがわからない。
最初はただ単に自分を守らせる為だけの駒だったはずだ、なのに。
どれだけ涙を流しても、悲しみのせいで動く事が出来ない。
悲しい気持ちなんて、実の兄が死んだ時から封印していたはずだというのに。
「私が、私が悪いんだ……私のせいでキバくんが……」
「いや、妹ちゃんは悪くないよ」
突然、少女のすぐ近くからそんな声が聞こえた。
いや、すぐ近くというよりは目の前といった方が正しいだろうか。
その声は博之のものではなく、だがまだ年若い男性の声。
一体何事だろうかと、少女は溢れ出していた涙を手で拭い瞳を開けた。
そこには、死んで動かなくなっていたはずのキバの顔があった。
「キバくん!?」
思わず目を見開きキバの顔にべたべたと触れる少女。
その感触は間違いなく本物……触られて少し窮屈そうに苦笑いをしながらキバは微笑んでいる。
いや、まるで意味がわからない。
キバはレナに背中を叩き切られ、絶命したはずなのだ。
その証拠にあれからずっと動かなかったし、一言も喋らなかった。
これも不思議な道具や何かの効果なのだろうか……。
「いや、そうじゃなくて……一応、ずっと生きてたんだよ」
「え、ええええええええええ!?」
「ちょ、声が大きいよ! レナが戻ってくるかもしれないんだから……しーっ、しーっ!」
キバに言われ、思わず口を塞ぐ。
生きていた? 何故、どうして生きていたのだろうか?
少なくともあの一撃を食らって生き長らえる事の出来るような超人にも見えないし、かといってあの鉈が予想以上の鈍らだったとは考えられない。
あの鉈の威力は自身の身をもって知っている。
「どうして!? どうして死ななかったの!?」
「いや……凄く運がよかったんだよな……多分」
そう言って、キバはようやく少女の傍から離れて地面に座った。
思えばずっと二人は抱き合っていたのだ。
少女の頬が少しだけ朱に染まる。
座り、背中にかけていたデイパックを下ろすとその中身を取り出す。
「こいつがさ、多分俺を守ってくれたんだ」
そう言って少女に見せたものは物売るってレベルじゃないくらいに売れた次世代ゲーム機。
といっても、その姿は既に壊れてしまっていて原型を留めていないくらいに粉々になっている。
普通の代物が盾になっていたならばそのまま破壊され、キバの背中をレナの鉈が切り裂いていただろう。
だが、このゲーム機はただのゲーム機ではない。
銃すらも効かないといわれたとある次世代ゲーム機と第一線で張り合うゲーム機なのだ。
そして、ゲーム機としては異常なほどの重さと堅さをかねそろえている。
レナの鉈を貫通させなかったのも、ある意味当然といえよう。
「よかった……よかったよキバくん! キバくぅん!!」
「あー……まぁ、守れてよかったよ、妹ちゃんを」
「ありがとう……本当にありがとう。
でも、どうして生きてたのにずっと死んだフリしてたの?」
「死んだと思わせてレナを騙し討ちしようと思ってさ……でもね」
そう、キバは最初倒れた際に自分が受けたダメージをわかっていた。
PS3が身を挺して守ってくれたものの背中に受けた打撲の傷はそれなりに大きいものの、耐えられないものではない。
だからこそ最後の切り札ともなるであろう死んだはずの自分の一撃の為に死んだフリをしていたのだが……。
「その前にアイツは逃げちまった……追おうかとも思ったんだけど、妹ちゃん達を置いていけないし……」
「悪かったの、足手まといで……」
「ああいや、そんなつもりじゃなくて……」
卑屈になりがちな博之に慌てて弁明をしながら、キバは続ける。
「でも……このままだと危険だ、外山さん一人じゃレナを止めるなんて……」
「……それに塔の中には俺の仲間もおる、もしアイツに見つかったらヤバイかもしれん」
恐らくティアナはまだ塔の中に残っているはずだ。
勿論、塔の外に出て兄達を埋葬していた時に外に出た可能性も考えられなくは無い。
だが、それは限りなく低い確率であってほぼありえないだろう。
「追うか……俺、アイツ許せんしの……」
そう言う博之の語句には、再び怒気が含まれている。
混乱によって一度収まっていた感情……兄と母の死を侮蔑された事に対しての怒りが再び沸きあがっていた。
少女も立ち上がり、近くに放り投げられていた鋏を手に取る。
「……キバくんが行くなら、私も行くよ」
「ちょ、ちょっと待ってよ二人共! まだ慌てるような時間じゃ……」
「外山さんが危険や言うたんはお前やろが!」
博之にそう返されてキバは頭を抱える。
そうだ、追わなければ外山が危険に晒される……それに博之の仲間――ティアナも。
しかし、目が見えない男やまだ幼い少女を連れて行くというのも危険すぎる。
だからといって、二人を置いていく訳にもいかない。
誰が来るのかもわからないのだから。
思考のループに陥り、苦悩する。
だが、その考えはすぐに止められる事となった。
西方から、何者かが猛スピードで走ってきているのがわかったからである。
最初は敵かと身構えたキバだったが、その顔を見てその構えを解いた。
その人物を、キバは知っていたのだ。
キバが見たのはこの惨劇を止める事の出来るかもしれない、唯一の人物。
運命を打ち破る事を堅く誓った、二人の戦士達だった。
最終更新:2010年03月18日 11:30