春です。 ◆0RbUzIT0To
宴会は、おおいに盛り上がった。
ゆとり達が多数参加したせいで足りなくなるかもしれないと思った料理であったが、
KASがこちらに来る直前に釣っていたという魚もその場で焼きながら食べたり。
また、レナやつかさ、日吉が自分達の世界から持ってきた料理もあった為にさしたる問題は無かった。
なお、日吉の持ってきた料理は彼曰く「海鮮炒めじゃないんだよ!」らしいが、
それはどこからどう見ても海鮮炒めだった。
遊戯とつかさ、そしてKASが飲んでいたのは"おれんじじゅうす"という外の世界の飲み物らしい。
話によると外の世界では二十歳以下の者は酒を飲む事が禁止されているらしく、
彼らはこういう席ではそういった"じゅうす"などを飲んで過ごすのだそうだ。
幻想郷においては彼らのような年齢の者も酒を平気で飲んだりするものなのだが……。
これもまた文化の違いというものなのだろう、仕方が無い。
途中からは遊戯がこれまた持ってきていたあの戦いの遺産、"萌えモンパッチ"を使い。
もう一人の遊戯もこの宴会の席に同席する事となった。
そのもう一人の遊戯の姿を見たレナが再び暴走しそうになったのはご愛嬌。
ゆとり達の宴会芸にそれぞれの世界での近況報告。
楽しい時間は流れに流れ、時刻は既に今日から明日へと変わろうとかという頃になっていたその時。
「……そういえば霊夢ちゃん、それは?」
不意にレナが霊夢の胸元を見ながらそう呟いた。
一方の霊夢はというと、彼女の意図を図りかねながら首を傾げる。
視線を下に下ろして自身の胸元を見たところで、別段いつもと変わったところは無い。
そりゃレナよりかは大した事はないかもしれないが、それでもそれなりに自己主張をしている胸がそこにあるだけだ。
「一体、何?」
「その宝石だよ、綺麗だよねって……それ、どうしたの?」
「……ああ、これ?」
レナが指差したものは霊夢の胸元で紅く輝いている小さな宝石。
首から下げていたそれを霊夢は外し、手の上で転がす。
そういえば、あの戦いにおいてレナ達は"彼女"がこの姿になった場面は見ていなかった気がする。
だとすればこれが何なのかわからなくても不思議ではない。
「これは――『レイハの姐さんじゃねぇかッ!!』えっ?」
その宝石が何なのかを説明しようとしたその瞬間、レナのスーツのポケットの中から例の機械音が聞こえてきた。
慌て、レナがそれを取り出すとカード形態となっていたそのセクハラデバイスが更に捲し立てる。
『そうかそうか、レイハの姐さんも機動六課に帰らなかったんだな!
あの戦いで例の色気も何もねぇ裸になってやがった糞アマに回路やられちまったみたいだったけど……。
そうやって胸に飾ってるとこを見るともう大丈夫なんだな!?』
「クロスミラージュ……あれがレイジングハートって……」
『あ? ああ、レナは知らねぇか。
いや、俺達デバイスはよ、ああやって普段使わない時は携行しやすい形態を取るんだ。
俺がこうやってカードの形になってるみたいに、レイハの姐さんはあんな首飾りみたいになるのさ』
自慢げに解説をするクロスミラージュ。
その様子からはいつものセクハラっぷりは感じ取られず、仲間であるレイジングハートが無事だった事を心から喜んでいる様子だった。
だからこそ、霊夢は悲痛な面持ちをして彼の言葉を止める。
「待って、クロスミラージュ……あんた、ちょっと勘違いしてる」
『へっ?』
「レイジングハートは……直ってないのよ。 あの時から、ずっとあのまま……」
『なっ……!?』
クロスミラージュも、霊夢がレイジングハートを首から下げているのを見て、彼女がもう復活したものと勘違いしたのだろう。
壊れたままなのだとしたら、そうしていつも首に下げて武器として扱えるようにするとは考えにくいのだから。
霊夢がレイジングハートを首から下げているのは、単純に彼女に対する思いの為。
あの戦いで最後まで共に戦った彼女をどこかに閉まってしまうのは、どこか気が引けた為なのだ。
二人の会話を聞いていた周囲の者達は、いつの間にか静まり返っていた。
しばらく沈黙が辺りを包んでいたが、不意にその光景を見守っていたつかさが口を開く。
「あの、さ……レイジングハートちゃんは、直せないのかな?」
「私も……一応、この幻想郷で唯一こういう機械に強い妖怪――河童に見せてみたのよ。
でも、レイジングハートを直すにはそいつらの技術じゃ到底無理らしくて……」
『無理もねぇ、こんな辺境の次元世界の最先端技術程度じゃ、俺達は直せる訳ねぇ』
「だから諦めてたのよ……だから……」
「……ねぇ、ちょっといいかな?」
霊夢の悲しい呟きを遮り、遊戯が言葉を発した。
一体何事か、と周囲の目が自然と遊戯に集中するが遊戯は然程気にした様子も無く続ける。
「その直せない、っていうのは機械としてのレイジングハートの事なんだよね?」
「機械として……?」
「うん、いや、もしかしたらなんだけどさ、その……」
言いながら、遊戯は隣で周囲の者と同じように悲壮な表情をしていたもう一人の遊戯を指差す。
指差されたもう一人の遊戯はぎょっ、と驚いた様子を見せていたが、遊戯は構わず続ける。
「この……"萌えモンパッチ"をつけて、人間の状態にしたレイジングハートを正気に戻すのなら、僕達でも出来るんじゃないかな?」
「ッ!?」
その言葉に一同はハッと気付く。
確かにレイジングハートを技術的に"直す"事は現在の状況では不可能に近い。
しかし、人間の状態になったレイジングハートを"治す"のならば――。
或いは、可能かもしれない。
「でも、本当にそれで大丈夫なの? だって、元は機械なのに……」
「確証は無い……だが、治療を施せる可能性ならある」
つかさの問いかけに、相棒の真意に気付いたもう一人の遊戯が答えた。
真剣な眼差しをしてはいても姿形が幼女な為に少し迫力は欠けるが――まあ、それについては置いておこう。
もう一人の遊戯の話はこうだ。
今現在、もう一人の遊戯は物を食べたり飲んだりしているが、元は"パズル"である。
パズルは決して物を食べたり飲んだりしない、何故ならパズルは生きていないのだから。
しかし、現にもう一人の遊戯は飲食をしている――それは無論、パッチをつけているから。
つまり、パッチをつけている間はどんな無機物もたちまち生物として扱われるという事だろう。
「そしてここからが重要だが、このパッチをつけて受ける傷やダメージは元の状態――俺の場合はパズルになっても継続する。
逆に考えれば、元の状態で負った損傷もパッチをつけて人間状態になれば治療して治す事が出来るはずだ」
『俺もその考えに同意するぜ』
もう一人の遊戯の意見にクロスミラージュが同調した。
実際に萌えモンパッチをつけた事がある二人がこう言うのだから、間違いはないのかもしれない。
レイジングハートの現在の問題は、機械としての回路の問題。
それを人間に置き換えて、精神的な病とする事が出来るのならば――。
「でも……そんなに簡単に、治るの? 精神病って完治は難しいって聞くけど……」
「確かに簡単ではないだろうな……だが、望みはある」
「うん……そうだね」
またも口を挟んだつかさの問いかけに、もう一人の遊戯とレナが答える。
「ねぇ、その望みってもしかして……」
「ああ、そうだAIBO……」
もう一人の遊戯の語る望み――それは、実際に精神崩壊を起こした当人が立ち直ったという過去を知っている事である。
その精神崩壊を起こした当人というのは、この場にいる皆がよく知る人物――
海馬瀬人。
かつてもう一人の遊戯と闇のゲームをし、それに敗北した海馬は精神を崩壊させた。
「しかし、皆の知っている通り海馬はあの通りすっかり調子を取り戻した。
精神崩壊を起こしても、それを治せるっていう実例は確かにある」
「そう、確かに精神病は厄介かもしれない……でも、治療は必ず出来る。 完治も出来る」
もう一人の遊戯の言葉の後に、レナが続けて言った。
レナが提示するのは――レナ自身が抱えていた病、雛見沢症候群について。
あの戦いの以前から感染していたレナはあの場で発症した……最悪の形で。
もしもあのまま進行が進み、誰もレナを止める事が無ければ惨劇はより拡大しレナ自身も死に陥っていただろう。
「でも、そうはならなかった……何故なら、あの時私の病を助けてくれた人たちがいたから。
病は気からっていうけど、本当にそうだよ。
みんなの呼びかけが、思いが、病気を治してくれる……霊夢ちゃんが治って欲しいって素直な気持ちを伝えれば。
きっと、レイジングハートちゃんも治るはずだよ……」
「……そう、ね」
レナ達の言葉をかみ締めながら、霊夢はそっと手の中で眠る宝石を握り締めた。
時間はかかるかもしれない……しかし。
彼女を治せる可能性は確かにある、ならばやるべき事は一つだ。
「やってみるわ……何ヶ月、何年かかっても、この子を治す……」
固く固くその手を握り締め、霊夢は誓った。
「……そういえば、さっき海馬さんがどうとか言ってたけど」
霊夢がレイジングハートを治療する誓いを立ててから物の数分。
再び宴会が盛り上がりつつあった頃、またしてもレナが口を開いた。
一体今度は何事か、とまたも全員がレナの方に視線を向ける。
「あの戦い……えっと、Nice boat.の時の事だけど……。
あの時、確か海馬さんが全ての打開を終えた時に見ろって言ってたメッセージなんだけど……」
「メッセージ?」
「ああ、そういえばそんな事言ってたっけ」
それはあの船内での戦いにて、アイスデビモンの凶弾に散った海馬瀬人がNice boat.に最期に残したもの。
全ての打開が終わった時に開けと言っていたあのファイルである。
ノートパソコンにファイルを移したのはいいものの、その後色々多くの事がありすぎ。
また、この幻想郷に無事帰還した後もドタバタしていてすぐにそれぞれがそれぞれの世界に帰った為、
日の目を見る事もなくなっていたのだが……。
「折角の機会なんだし、今見ちゃった方がいいんじゃないかな?
確か、霊夢ちゃんが持ってたよね?」
「ええ。 それじゃ、持って来るわ」
レナの言葉に同意しながら、霊夢は立ち上がり神社の居間の方へと姿を消すとすぐにノートパソコンを持って戻ってくる。
「えっ、と……どうすればいいんだったかしら?」
「レムー、変わろうか?」
「あんたに出来るの?」
「モロチン! このKASはムーメービーカーを使いこなすほどの使い手だぜ!?」
言ってる意味はわからないが、とにかく凄い自信だったので霊夢はKASにパソコンを手渡す。
すると、KASはそれをすぐさま立ち上げ、一同はその様子を固唾を呑んで見守っている。
パソコンが立ち上がりデスクトップの画面が出たところでKASはそこに見慣れぬアイコンがある事に気付いた。
青い目に白い体をした竜のアイコン……。
ファイル名は『yome』、拡張子はexeになっている。
「yome……嫁って事?」
「読めって事じゃない?」
「多分……そのどっちの意味でも合ってると思うよ」
レナと霊夢の言葉に、遊戯はあまりにも海馬らしいといえば海馬らしいそのファイル名とアイコンに少し脱力しながら突っ込みを入れる。
「それじゃあ、開いてみるぜ?」
KASが問いかけると、全員が無言で頷いた。
それを確認するとすぐさまKASはそのアイコンをダブルクリックする。
と、突然ノートパソコンから大音量の音楽が流れ始め、画面一杯に懐かしい彼の者の顔が映った。
「カ、カイバー!!」
その彼の顔に途端に懐かしさの込み上げてきたKASは思わず画面に縋り付こうとしたが、
霊夢に一発拳骨を喰らってすぐに後ろへと下がる。
画面の中の海馬はあの時から全く変わっていない……。
高慢で誇り高く、知恵と希望とカリスマを持ち合わせていた正義の味方のままだ。
『ふぅん……よくぞこのファイルを開いた。
このファイルを開いたという事は"打開"は全て成し遂げた後のようだな……』
不意に画面の中の彼は口を開いた。
『このファイルが存在するという事は、俺は恐らくはその場にはいないのだろう。
何とも複雑な思いではあるが……。
まずは打開を成し遂げた貴様らに祝いの言葉を送らせてもらおうか……』
ニヒルな笑みを浮かべたまま、彼はそう言った。
一同は思いがけない彼の祝福の言葉に驚きつつも、素直にそれを受け取る。
『この俺にはそこに誰がいるのか、何人いるのか、それはわからん。
もしかしたらたった一人しか生き残っていないのかもしれん。
或いは、俺の事など知らぬ者がこれを見ているのかもしれん。
だが……少なくとも、このファイルを見ている者はあの戦いを生き延びた者という事だ』
画面の中の海馬は一瞬寂しげな顔を見せたが、すぐにそれを振り払うと更に続ける。
『このファイルを見ている者達よ、誇りに思うがいい。
貴様らはあの凄惨な殺戮劇を生き抜き、戦いに勝利したのだ。
或いは……あの戦いで、大事な者を失くした者がいるかもしれん。
或いは……あの戦いで、大きな過ちを犯した者もいるかもしれん。
だがしかし、貴様らはそれでもあの戦いに勝ったのだ。
無理かと思われた脱出も、その手で完遂してみせた。
それは、誇りに思うべき事だ』
海馬の言葉を、一同は静かに聞いていた。
あの騒がしいゆとり達でさえ、黙って海馬の言葉を聞く事に集中している。
画面の中の海馬はいつの間にか組んでいた腕を解き、その右腕を大きくこちらに伸ばして画面の向こうにいる一同を指差している。
『貴様らは勝利した! だが、それは貴様らのロードの終着点ではない!
あの戦いは、あくまでも貴様らのロードの過程に過ぎない!!
貴様らは振り返る事などなく、ただ今を歩み続けろ。
その歩む道こそが、貴様らの未来へと繋がるロードとなるのだ!』
叫ぶようにそう言い切ると、海馬は数秒そのままの姿勢でこちらを見つめていたが。
やがて手を下ろすと少しだけ眉を下げ口元にその嫌味な笑みを浮かべて呟いた。
『過去の呪縛に捕らわれるな、貴様らは生きている。
……以上で、俺からの話は終わりだ。
……さらばだ』
海馬が最期にそれだけを残すと、画面は瞬間的にブラックアウトし再び先ほどのデスクトップ画面に戻る。
しかし、それを見ていた者達は皆しばらくその画面から目を離せなかった。
しばらくしてからようやく、何かに気付いたようにKASが小さく驚きの声をあげる。
KASはそのニヤけた目を上下に動かしてくまなくデスクトップ画面を見回した。
だが、どれだけ探してもKASの探すものは見つからない。
「……カイバーの野郎!!」
「どうしたのよ、KAS……?」
「あのファイルが消えてやがる! カイバーが残した、『yome』ファイルが!!」
デスクトップに見当たらない事を確認したKASは焦った様子でパソコンに検索をかけた。
しかし、やはりどこにも海馬瀬人が残したファイルは残っていない。
恐らくはあのファイルを最期まで見終わると同時に自動的に消去するようプログラムされていたのだろう。
KASが様々な手法で探してみても、彼が残したファイルは跡形も無く消え去っていた。
「……海馬らしいじゃないか」
不意に、そんな様子を見守っていた遊戯が口を開いた。
「あいつは言ってただろ、振り返る事なく今を歩み続けろってな。
ファイルを消すようプログラムしていたのは、
いつまでもそのファイルを残しておいたら俺達が呪縛に捕らわれるかもしれないと思っての事だろう」
「……海馬さん」
「……だが、俺はそれでも忘れないぜ。
呪縛に捕らわれるんじゃない……海馬瀬人という一人の男がいた事を、俺は忘れない」
確かに、思い出すキッカケというものが無くなってしまえば、今日この日の事さえ何ヶ月、何年か経過すれば記憶も薄れるだろう。
だが、それでも遊戯は忘れないと言った。
記憶が薄れようと――決して忘れる事はない。
海馬の事を、そしてあの戦いの場で散っていった数多の命の事を。
それはこの場にいる皆も同じ気持ちだったらしく、一同は遊戯の言葉に同意するように首を縦に振った。
KASは無言でノートパソコンを閉じ、霊夢に手渡す。
霊夢がそれを再び居間へと戻すと、どんちゃん騒ぎの宴会は再開された。
つかさとレナと霊夢の料理に舌鼓を打ち、日吉のテニヌ講座と己の武勇伝を聞く。
遊戯が持ってきた全員が遊べるような楽しいゲームをし、KASがどこか間抜けな事を言って全員に突っ込まれる。
ゆとり達の賑やかさも思ったほどウザったいものではなかった。
楽しい時間は瞬く間に過ぎ去っていき、時はどんどん流れてゆく。
料理も酒も尽きそうになった頃、ふと空を見てみると遥か遠くの地平線から太陽が顔を覗かせていた。
「……そろそろ、かな」
昇り始めた太陽を見ながら、つかさがぽつりと呟いた。
その手には再びデジヴァイスが握られている。
時刻を確認してみると5時ちょっと前……つかさがなるべく顔を合わせたくない彼女が、そろそろ来てもおかしくない時間だった。
「つかさ……」
「えへへ……早く帰らないと。 私も向こうの事が気になるし、ね」
自分の持ってきたタッパーを袋に詰めながら立ち上がり、周囲を見回しながらつかさは言う。
つかさの話によれば、今現在つかさのいる町では大変な問題が起きているらしい。
デジヴァイスによって導かれた異世界の住人達が、つかさのいる町へと侵攻しようとしているというのだ。
つかさ達はそれを阻止する為に一時的に自分達の世界へと帰り、今現在もその異世界の住人と戦っているのだという。
「早く戻らないと……何か、起きてたら大変だしね」
「……そう、ね」
霊夢は少し寂しそうな様子を一瞬だけ見せたが、すぐにそれを振り払うと笑顔を見せた。
それを見て、つかさもまた笑顔を見せ手を差し出す。
二人は手を取り合い、強く握り合った。
恐らく……もう会う事は無いだろう。
これが今生の別れかと思うと、霊夢は再び表情を崩しかけたが必死に堪えた。
「ありがとう……今日は、本当に楽しかった。
みんなとまた会えて、本当によかった」
つかさは霊夢から手を離すと、他の面々にも握手を求める。
日吉は少しだけ照れた様子で、遊戯たちは優しい笑顔で、レナはやはり少し寂しそうな顔で、KASはいつものにやけ面で。
それが終わるとつかさは小さく深呼吸をして、視線を空へと向けデジヴァイスを天高く掲げた。
するとつかさが現れた時と同じように虹色の光が神社に溢れ、つかさの身体が浮かび上がる。
「みんな……ありがとう……!!」
浮かび上がりながら、つかさは叫ぶ。 瞳に涙は浮かんでいたが、決してそれを流してはいなかった。
やがて光はつかさの身体全体を包み込み――彼女の身体は、一瞬の内に消えて無くなった。
しばらくは誰もが無言だった。
ゆとり達も空気を読んだのか、宴会の後片付けをするとそそくさと帰っていった。
今、この場にいるのは霊夢を除き紫が呼んだ四人のみ。
唯一KASはいつものように辺り一面を走り回ってもうその声など届かないというのに、つかさに向けて別れの言葉を投げかけている。
そうしてしばらく皆が呆けていると……霊夢の前に、例のスキマが現れた。
「おはようございます、昨夜は楽しめまして?」
「ああ、あれだけ楽しく酒を飲んだのは久しぶりだったぜ」
「僕はお酒は飲んでないけど、凄く楽しめたよ。
紫さん、ありがとう」
すっかり慣れたのか日吉も遊戯も物怖じせず、当たり前のように紫と会話をしている。
その光景を見ながら、霊夢は漠然と思った。
ああ、これでとうとう本当の別れの時が来たんだな……と。
「帰り支度はもう完了でしょうか? ……結構、では参りましょう。
では、まずはどなたからお送りしましょう?」
「じゃあ先に俺を送ってくれ。 そろそろいつもやってる早朝トレーニングの時間だ。
急がないと遅れっちまう」
言いながら、日吉は前に一歩進み出る。
紫は日吉の言葉を受け入れスキマを一つ作り、その中へ入るようにと指示する。
そのまま日吉はスキマへと足を伸ばし――入ろうとした直前、足を止めて霊夢たちの方を振り返った。
「じゃあな、お前ら。 もう会う事も無ぇだろうが、達者で暮らせよ」
「ピヨシもな! テニヌ界の王子様になってやれ!!」
「へっ、俺はもう王子なんて年じゃねぇよ」
KASとくだらない掛け合いをして笑いながら、日吉は続ける。
「でもまぁ……上を目指し続けるってスタンスを変えるつもりは無ぇけどな。
追いかけて、追いついて、ぶっちゅーする。
それがこの俺、アグレッシブベースライナー・
日吉若の信条――下克上だ」
日吉は晴れやかな顔をしながら、天を見上げた。
つかさが帰った頃より少し高くなった太陽の光が日吉目掛けて降り注ぐ。
その光を一身に受けながら、日吉は笑った。
「お前らと力を合わせて戦った事、忘れねぇ。
あの戦いがあったお陰で俺は大切な事を学べた……お前らのお陰で、学べたんだ。
……ありがとよ」
照れながら、しかし真っ直ぐな瞳で霊夢たちを見つめながら感謝の言葉を告げる日吉。
「じゃあな!」
照れを隠すかのように、吐き捨てるように言うと。
日吉はそのままスキマの中へ入り込み、幻想郷を去って行った。
「次は僕でいいかな? 僕も早く帰らないと、今日も学校なんだ」
「わかりましたわ。 では、どうぞ」
日吉が去ってすぐ、続けて遊戯が挙手をして紫に願う。
またもスキマが一つ空中に出現し、遊戯の帰還ルートが一瞬にして出来上がった。
遊戯はスキマを見て頷くと、すぐにそれには向かわずに霊夢の方へと歩み寄る。
「じゃあ、これ……」
「あ……」
紫からは見えないように、こっそりと遊戯は霊夢に何かを手渡した。
それは先ごろ話題に出していた"萌えモンパッチ"。
それを先ほどまでつけていたもう一人の遊戯は、パズルとなって遊戯の胸の中で眠っている。
「必ず治してあげてね、レイジングハートは君の相棒なんだから」
霊夢が無言で頷くと、遊戯は安堵したように息をついてからスキマの方へと向かって歩く。
「僕は忘れないよ……皆と一緒にあの戦いを生き抜いた事。
あんまりみんなの役には立てなかったかもしれないけれど、僕は僕なりに一生懸命戦った。
もう一人の僕だってそうさ、他の……死んでいったみんなだって、ずっとずっと戦ってた。
僕はその事を忘れない……絶対にね」
それだけを言い残すと、遊戯は紫からリングのような何かを受け取りスキマの中へと入る。
そしてそのスキマが閉じられると同時に、彼はこの幻想郷を去った。
「じゃあ……次は私だね」
淑やかな声でレナが言うと、紫は無言でスキマを作り出した。
目を伏せながらレナは歩き出し、ゆっくりと振り返り霊夢を見つめる。
霊夢は無言でレナの瞳を見ていた。
静かに燃える青い炎……その灯火は、まだ消えていない。
それを見て、霊夢はレナの戦いがまだ終わっていない事を悟り――その瞬間、レナが口を開いた。
「……さっき、遊戯君が持ってきてたゲームをみんなでやったでしょ? あれ……凄く、楽しかったよね」
「……ええ」
「あのお陰で、ね。 一層、決心がついた気がするんだ。
……もう一度、あの日常を必ず取り戻すっていう。 より強い決心が」
言うと共に、レナはスキマに向き直る。
「私は必ず運命を打開する! 運命を、スクラップ&スクラップしてみせる!!
もう一度……クロスミラージュ君と一緒に、みんなと一緒に!!
……霊夢ちゃん、KASくん。 今まで本当にありがとう……みんながいたから、私は決意が出来たよ。
……この思い、絶対に実らせるから!」
半ば叫ぶようにして言い放ちながら、レナはスキマの中へと飛び込んだ。
彼女を手助けする事など、霊夢にもKASにも出来ない……これは彼女の戦いなのだから。
しかし……と、二人は思う。
手助けなどせずとも……レナならば、彼女ならば必ずその運命に打ち勝つ事が出来ると二人は信じていた。
どれだけ大人になり姿が変わったとしても、先ほどの
竜宮レナの瞳にはあの時と同じように青い炎が灯っていたのだから。
つかさが去り、日吉が去り、遊戯が去り、レナも去った。
残された一人の男は、尚もハイテンションで辺りを走り回っている。
その彼のあまりにもないつも通りっぷりに、霊夢は少し腹を立てながらも黙って彼を見ていた。
すると、不意に今まで何も言わなかった紫が口を開く。
「あなたは……どうするつもりかしら?」
「えっ?」
その言葉に反応し霊夢は紫の方へと顔を向けるが、紫は霊夢を見ていなかった。
紫が見ていたのは、霊夢と同じく紫の言葉を聞き反応を示したKAS。
先ほどまでの動きを止めていつものニヤケ顔に少しだけ困った色を浮かべているKASだった。
「確かあなたは、あの世界には帰らないと言っていたわね?」
「えっ!?」
「おうとも、KASに二言は無いのサ」
紫の放った言葉に、困りながらも堂々と答えてみせるKAS。
ちらちらと霊夢の様子を伺っているが、霊夢は紫の言葉に驚いておりしばらく反応が出来なかった。
「あそこはこのKASがいるべき世界じゃねぇ、だから帰る訳にはいかないのサ」
「では、どちらにお送りしましょうか?」
「そうだなぁ……」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
ようやく驚きから立ち直った霊夢はKASへと詰め寄る。
KASの襟首を掴み取ると強引に持ち上げ、揺さぶりながら問いかけた。
「どういう事なの、説明しなさい!
あの世界に帰らないってどういう事!? あんたがいるべき世界じゃないってどういう事なのよ!?」
「あわわわ、よせレムー!! KASのライフはもうとっくにゼロよ!?」
「いいから! 馬鹿な事言ってないで、さっさと説明しなさい!!」
「わかった! わかったから離せレムー!!」
数分後、ようやく霊夢から開放されたKASは、やはり意味不明で解読に時間のかかるKAS語を使い霊夢に説明をする。
自分の世界で自分が見てきた事。
出会った友人、出会った家族、出会ったもう一人の自分。
たった一日だけの……だけど、今もKASの胸の中にある大切な日常。
もう一人の自分との約束、永遠に消えないみんなとの絆。
「俺とあいつはKASだ! KASは同じ場所に二人いる訳にいかねぇ!!」
「待ちなさいよKAS……あんた、それ……」
KASは明るく話しているが、霊夢はその話をこの世の終わりのような表情で聞いていた。
自分が帰るべき場所だと思っていたところに、本当の自分がいて。
自分はその世界では"偽者"で、自分の中の記憶も何もかもは全て"偽者"で。
たった一日だけの日常を過ごして……あとはずっと、一人で山の中で世捨て人のような生活。
自分がいるべき位置に、別の自分が立っていたなど……。
「あんたは……それで、平気だったの……?」
「最初は辛かった! でも、今は平気なのサ!! 俺の日常は、ここにある!!」
そう言って、KASは胸ポケットに入っていた写真を霊夢に自慢げに見せた。
そこに写っているのはKASと友人、KASと彼女、KASと母親、KASと父親、KASと猫。
KASと、KASの周りにいる大切な人たちとのかけがえの無い大切な日常。
「これがある限り、俺はどこにだって行けるのサ!」
KASは満面の笑みを決して崩さなかった。
それは虚勢でも何でもなく、本心からの思いなのだろう。
霊夢はかける言葉も見つからないまま、何かを言おうとしては口を閉じを繰り返すのみ。
その様子を見ながら、KASは少しだけ黙り……しかし、またすぐに口を開く。
「そうだレムー、忘れてたぜ! リボン、返さなきゃな!!」
「えっ?」
言うが早く、KASは己の頭に括り付けていたリボンを取ると霊夢の被っていた帽子を強引に外し、霊夢の手にリボンを握らせる。
自分は霊夢から奪った帽子をかぶり――二、三度ツバを掴んでそのかぶり心地を確かめる。
「約束してたもんな、全部終わったらリボン返すって。
ほら、レイムーも早くリボンを付け直せっていう!」
「あ……」
霊夢はKASに押される形で、ゆっくりとした動作で久しぶりにその髪にリボンを取り付ける。
……約束は、確かにした。
あの城で括弧になるとKASが言ったあの時、交換した帽子とリボン。
全てが終わったならその時必ず返してもらうと、そう約束した。
「やっぱレムーも、リボンの方が似合うな!」
「KAS……」
彼は寂しくないのだろうか。
いつも馬鹿で能天気で考え無しでハイテンションで人の話を聞かない彼。
今もニコニコと笑っている彼は、寂しくないのだろうか。
約束を果たしたという事は――もう二度と会えないという事なのに。
……何を馬鹿な、と霊夢は頭を振った。
これでは、霊夢が寂しいと言っているようなものではないか。
そんな事はない、そんな筈はない……自分に言い聞かせて、前を向く。
「それじゃあ、俺は帰るなレムー! 元気でな!! みんないないからって寂しくて泣いちゃ駄目だぞ!!」
「あんたこそ、泣き言なんて言わないようにね」
KASは笑顔だった、霊夢もまた……笑顔だった。
今生の別れだからこそお互いが見る最後の顔が笑ったものでありたい。
KASが紫に頼み、紫が小さなスキマを一つ作り出す。
行き先はKASが生まれた世界――VIPマリオワールド。
KASはスキマの中に足を突っ込み、そのまますっぽり入り込もうとし――。
最終更新:2010年03月18日 12:26