○ 原因 探求とは原因の追究
質料因・・・ある意味では、事物がそれから生成し、その生成した事物に内在しているもの
形相因・・・形相または原型(その事物の原因)-摂取する類
動力因・・・物事の転化 or 静止の第一の始まり
目的因・・・物事の終わり、物事がそれのためにあるもの。
目的因は形相因に似ている。動力因であるのが、自然物のように、自己の内部に運動の原因があり、したがって動かす力が内部にあるような場合は、動力因は目的因、形相因と同じものになる。よって、四つの原因は、質料因と形相因の二つの系列にまとめることができる。
質料とは、ものが存在するための条件で、ものを運動させる力ではない。したがって、ものを動かす真の原因は形相因―目的因である。形相因―目的因を「目的因」という語で表現すると、真の原因は、目的因であると言える。
○ 形相因―目的因の優先
もともとの自然物とは、「それ自身の中にある原理によって連続的に運動し、ある終わり(目的)に達する事物」である。
自然物を分析して、形相因or 現実態を見出したところに、目的因を優先する。
自然物にとって目的因は形相である。したがって、自然物を知るということは、原因である形相について知ることである。形相はあらかじめ、存在していなければならない。目的因である形相がなければ、何に向かって、生成が進むかわからない
世界はすでにできあがったものとして、永遠の相のもとにあり、この世の中に見ることができる。自然は、形相だけではなく、質料も必要とされるからである。
アリストテレスはプラトンのイデア論を地上に引き戻したといえる。
○ 運動
まず運動は自ら生成も消滅もすることなく、永遠である。運動とは、可能態が形相をめざし、あるいは、形相を原因にして変化していくことである。この運動が永遠であるので、生成・消滅はない。なぜなら、もし運動が生じたものであるなら、運動が生ずる前に運動を生じさせる運動があったことになる。また、もし消滅するなら、運動を消滅に導く運動があることになり、無限に続いていくからである。
運動とは、可能態が形相を目指し、あるいは形相を原因にして変化していくことである。この運動が無限であるので、自然物は形相or原因の系列を無限に進むことになる。
無限はアリストテレスでは未完成を意味する。この系列が未完成なのは、世界が未完成であるという矛盾を生むから究極的に、あらゆるものの目的になっても自分自身は他に目的を求めないもの、すなわち、まったくの現実態で質料を持たない形相そのもの(純粋形相)がなければならない。
純粋形相とは、他社に依存せず、永遠に必然的に存在するものである。
自らは動かず、他の全ての原因として、他を動かす、本性上、すべてに先立つものである。
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|第一動者|=|神|
人間が運動するとき、目的を思惟していなければならない。神もまた思惟する。
しかし、神の思惟は自明的な、いわば、思惟のための思惟である。
第一動者に近づくほど、思惟する必要がなくなるから、第一動者は神といえる。
人間が運動するとき、目的を思惟していなければならない。神もまた思惟する。しかし、神の思惟は、自明的な、いわば思惟のための思惟である。第一動者に近づくほど、思惟する必要がなくなるから、第一動者は神といえる。
○ 概念論
論理を言語の構造から考える。言語の「文」に対応して「判断」が生まれる。
「文」は、主語と述語からなり、一般に「AはBである」のかたちをとる。「判断」もまたこの形を取る。
アリストテレスの欠点はこの形式に還元される文や判断だけが取り扱われたことである。
それは、ともかく、文や判断における主語と述語は、特殊と普遍の関係に対応して、主語は特殊を、
述語は普遍を表すとされる。
系列で上位のものを「類」、下位のものを「種」
すぐ上の類を「最近類」すぐ下の類を「最近種」
一つの種を同じ類に属するほかの主から区別する特長を「種差」という
Ex)人間をほかの動物から区別する種差は「日本足で歩く」
述語になりうるものを「概念」
【人間 → 動物 →生物】
基準を動物にすると、人間は類であり、生物は種である。
このように種と類の系列を考えると、当然、系列の始めに、主語になっても述語にならないものがなければならない。
真の意味の個物で、第一実体と呼ばれるものである。
最高の類カテゴリー=述語の分類(存在のあり方)=言語の分類
【①実体 ②量 ③性質 ④関係 ⑤場所 ⑥時 ⑦位置 ⑧様態・状態 ⑨能動 ⑩受動】
最終更新:2007年07月29日 13:24