1
「月火ちゃんになにやってんだ!」
叫びとともに気合一閃。目の前にあった月火の顔が一瞬でながれ行き、僕は壁までぶっとばされた。
常人なら首の骨が折れている。
僕は壁に当たって、重力にひかれてベッドに落ちた。
簡単にかかれているが、現実的にはかなりシュールな光景だ。
「う、があ……」
未知の痛みにうめきつつ、ベッドのシーツにひれ伏しながら、部屋の入り口をみる。
おっきいほうの妹がいた。
あいもかわらず、かわいいよりも格好いい、阿良々木火憐。
長めのショートカットといったヘアスタイルは、どこをとっても鋭く、凛々しく、格好いい火憐にはよく似合っているがあえつらえたように似合っていた。
ポニーテイルだった部分のなごりで、後ろ髪がちょっと長いのも高ポイント。うなじを隠す位の長さの髪が女の子をしている。
格好よすぎる。
僕の体に残るわずかな不死性のことを知ってから、ことさら暴力的になってしまった阿良々木家の長女が、理想的な前蹴りを繰り出した体勢でとどまっていた。
お気に入りサイクル・ジャージに身を固め、長い足をこれでもかと見せつけるレーパンを装備した火憐は蹴り脚をどん、と床にたたきつけ怒鳴った。
「月火ちゃんの眼球になにすんだ! 月火ちゃんの眼球を好きにしていいのはあたしだけだ! なあ月火ちゃん!」
「いや……火憐ちゃん……それもちょっと……」
ベッドに横になったまま、月火が若干引いていた。
ざまあみろ。
おまえと違って僕は月火の涙まで舐め尽くせるぜ。
首のすわりを確認しながら、やっとこ復活する僕。
あれ、いやちょっと待てよ?
火憐の奴、どうやってこの部屋にはいって来たんだ? 扉が開く音(火憐が扉を蹴り開ける音)もなにもきこえてこなかったぞ。
火憐でも扉を無音で蹴りあけることなど不可能だ。そんな忍者みたいなスキルは火憐の持ち物ではない。
トリックの証明よろしく、導き出される答えはひとつだ。僕は以前の失敗から(歯磨きゲームの際、月火に発見された失敗から)、部屋の扉は必ず閉じることにしている。だから、扉がもともとあいていたということは絶対にない。絶対に、だ。そしてカーテンからわずかに漏れる光に――火憐の濡れた指先が照らされた。
要するに、だ。
「おまえ、ドアをあけて僕と月火ちゃんの情事を覗いていたろ!」
そんな結論に達してしまった。達することすら恥ずかしい結論だが、的には必中しているはず。
火憐は一度おののくような動作をしたあと(もうこの時点でなにがなんだかばらしているようなものだが)、鼻でわらった。
「はぁ!? ふざけんじゃねえぜ兄ちゃん! なんで妹と兄の情事をどこぞの家政婦よろしく覗いてなきゃいけねーんだ!」
「家政婦が情事をのぞくわけないだろうがイメージでもの言うな! だったらその濡れた指先はなんだ。僕たちの情事を見て耽ってたなによりの証拠だろ!」
「はっ! 語るにおちたな兄ちゃん! さっき念入りに指をあらってきたから、濡れているとしたらそのときの水だ! ったく兄ちゃんの短慮にはおそれいったぜ!」
「語るにおちてんのはおまえだろ。自分から告白してるぞ!」
「う……なかなかやるぜ、兄ちゃん。そうだよ、二人の情事を見て耽ってたよ! 悪いか!」
「悪いかどうかは別として、もうちょっと頭を使え! 『外から帰ってきて手をあらうのは普通だ』っていう反論もあってしかるべきだろ! なんで思いつかねえ! あり得ない可能性を全部つぶさせろ!」
そして頼むから消去法をつかわせてくれ。
有効な証言をならべてくれ。
妥当な推理をさせろ。
「あ……なるほど。さっきのは兄ちゃんを試しただけだ。実は外から帰ってきたときに手を洗ったんだよ! だから手とか濡れてんだ!」
「『手とか』、とかさ……。なんかもういいや」
ほかにどこが濡れてんだよ、おまえ。
そんなに下着脱がされたいのか。
手を洗う前に着替えてこい。
その濡れた指先で後頭部をがじがしひっかきながら火憐が言う。
「でもよくわかるよなー。こんな真っ暗闇であたしの指のことに気がつくとは」
「あー……もうそんな時間か」
部屋の時計をながめる。夕食一時間まえといった時間だ。
さて火憐の指摘はもっともだったが、それにはトリックがある。
情事のおりには恥ずかしがって明かりを全面的に消したがる火憐と月火(どちらかといえば明かりを消したがるのは月火のほう。火憐は暗ければいいな、程度の消したがり)だが、実は吸血鬼スキルのせいで暗視が利き、わずかな光源さえあれば十分な明度が得られている。
だから二人が想像している以上に丸見えだったりするが、これに関しては黙っておく。いまさら照れられても困るし(萌えるけど)。
一人称なのにやけに細部が詳しいとしたらそのせいだ。
そもそもまっくらなのに桜色の頂点とかいえるわけがない。これは僕のスキルによるものだ。
決して一人称のルールをやぶるものではない。
さて、尋問を再会しよう。
「しかし、いつも乱入してくるくせに。今日に限ってどうして覗きだ」
「いやぁ。月火ちゃんのアヘ顔がかわいくって、つい。参加してるとさ、見えない面ってあるじゃん。それでタイミングを見失っちゃってさぁ。扉あけてても、兄ちゃんも月火ちゃんも気がつかねーし」
「気がつくかよ……。こっちは夢中なんだぞ? ただ覗きはわからなくもないけどな。おまえと月火ちゃんが絡んでいるときって、普段僕とやってるときと表情が違って見えるんだよな」
「……なんか語るにおちる以前の、とんでもない告白をされた気がするけどまあいいや。月火ちゃんサイコー」
「サイコー」
「月火ちゃんのどのあたりがいいのか聞くぜ兄ちゃん」
「そりゃもちろん――」
火憐とうなずきあう。僕と火憐。ちっちゃい妹のことに関して(特に情操面)ほとんどの場合意見が合致する。
「童顔な月火ちゃんの顔がゆがむのがいいんだよな……」
「童顔な月火ちゃんの顔がゆがむのがいいんだよ……」
「そろってロリコンかよ!」
月火が勢いをつけて起きあがった。いままでの情事の影響がうかがいしれる、快楽に疲労した顔をしながら僕と火憐を交互に見て、あきらめのため息をはきつつ言った。
「お兄ちゃんとお姉ちゃんが両方ともロリコンだったなんて……パパとママが知ったら卒倒しちゃうよ。長女と長男が犯罪者で、次女がその被害者なんて育て方を間違えたなんてレベルじゃないよ……」
たしかに僕がパパママの立場だったら自殺しかねない、子供たちの現状ではあるけど。まあ兄妹であるためには必要なことなので、しかたがないと目をつむってもらおう。
無理か。
でもばれないように細心の注意はしているし、大丈夫だろう。たぶん。
「まあ、僕の場合はロリコンとシスコンだけだからいいけど、火憐ちゃんの場合はロリコンかつシスコンかつ百合だからなぁ」
――かたくなに否定していた僕のロリコン、シスコン疑惑を一時的に肯定することによって、火憐との変態項目比べに勝利する。肉を切らせて骨を断つだ。
それに対して月火は目尻をつり上げて言った。
「お兄ちゃん、五十歩百歩っていう言葉知ってる? あとお兄ちゃんには最後に『鬼畜』って属性がくっつくから百歩百歩だからね~」
「ははは。冗談はよせよ。たしかに僕は中途半端な吸血鬼で鬼だけど、鬼畜じゃないよ」
「いやがる妹の腰を押さえつけて犯したのはいったいどこのだれだ!」
「鬼畜々木さんじゃないのか」
「お兄ちゃんだよ! というかいきなりボケにまわるのやめてよ! プラチナむかつく!」
対応しきれないよ、と全裸のままベッドの上で頭を抱える月火。
小動物がぶるぶるふるえているようにも見える。もちろん全裸で。
そんな月火を視て、僕と火憐が思うのはただ一つだけなのだが。
「「いやぁ、萌えるわ」」
「いやぁあああああ! お、おそれていたバランス崩壊が! パワーバランスの崩壊が! 枕を涙で濡らす日々が……」
「「矯声と淫夢を抱いて眠れ……」」
月火のことに関しては僕と火憐の意見はかなりの確率でシンクロする。
びしっと月火を指さすのも忘れない。
非常に馬鹿っぽいけど。
「ま、楽しんでいた月火ちゃんはちょっと置いておいて。兄ちゃん、いっしょに風呂はいろうぜ~。背中流そうぜ~」
とかいいながら、ベッドの上にのっかってきた火憐が僕の左手首を両手でつかんだ。
――これでは緊急性がいまいち伝わらないかもしれない。『火憐が僕の手首を両手でつかんだ』と、括弧つきで描写すれば、僕の背筋が凍りつくような戦慄がつたわるだろうか。
月火との情事の余韻なんて速攻で吹っ飛んだ。合気道式に固められているのか、どんなに力を入れてもふりほどけない。
ここで僕が、実の妹どうして風呂にはいらなければならないんだ気持ち悪いなどと吐こうものなら、動脈ごと手首をたたき折られる。予感ではなく、体で表現する予告に近い。
次回予告。
言うことを聞かないなら手首を折る――。吸血鬼スキルがあるから大丈夫――。
「な、なんだよいきなり。別に一人でも風呂くらい入れるだろ」
恐怖で声がうわずった。語尾がふるえなかったのは我ながら対したものだと思う。
火憐は僕の感情に気づいているのか、いないのか。
「それがさー。ためしてみたいことがあるんだよなー。でも兄ちゃんと一緒じゃないとできないことでさぁー」
火憐は手首を握りながらしなをつくり、ねだり声でつづけた。顔を身体を寄せてくる。おっぱいが――肘に当たった。
口ではおねだり口調なのに――手首の血の巡りが――停止する。
暴力が開始され、暴力を実行される。
やられたほうには恐怖しかない。
「僕がある程度の暴力に耐えられることを知ってから暴力がはげしすぎないか!? 手首の血の流れが完全にとまっているんだけど!?」
「実の兄をサンドバックがわりになんてしないよ。なんならダッチワイフにしてやるぜ」
「ダッチワイフにモノはない」
「性転換したダッチワイフだよ」
「それはすでにワイフじゃない!」
「兄ちゃんをワイフにしたいな……」
「その台詞。おまえがもし男だったら格好よすぎだからな!? 神原あたりなんていちころだ!」
「なぁ、兄ちゃんいいだろ? かわいい妹がこんなに頼んでいるんだからさぁ」
「一応聞くけどなにをするつもりなんだ」
「そんなおかしなことじゃねえよ。変態扱いすんな。このまえの歯磨きの続きだよ」
「は?」
「や、だから。歯磨きの延長で体磨きを」
「おまえに神原を紹介したのは、僕の人生のなかで一番の失敗だ!」
予想していたとはいえ、まさかこんなに早く神原に毒されるようになるとは。
火憐は不思議な顔をした。
「なんでそこで神原先生がでてくんの? あんまりにも脈絡がねーぜ、兄ちゃん」
「いまの体磨きのネタ元って神原じゃないの?」
「それはものすごく失礼じゃないか、神原先生に向かってさぁ。兄ちゃん――手首おっちゃうぞ?」
「かわいらしく言っても結局は暴力に訴えるのな!」
「あたしの暴力は芸術だ!」
「ちがう、ただの加害要素だ」
「あーもう。だから入るのかはいらないのか! どっちだ兄ちゃん! 入らないんだったらこっちにも考えがあるぞ」
手首の動脈がひきしぼられた。
握力だけで骨を握りつぶされる。
わずか数秒後には――。
たたき折られる――。
「はいるよ……」
結局僕は妹の脅迫に屈した。
「はいるよ!」
期待に胸を膨らませながら。
2
月火と火憐は、お風呂の時には電気を消そうとしない。消されたら危ないどころじゃないが、ベッドイン時よりも体の細部がよくみえるのに、ちっとも気にしていないのだ。
アンバランスきわまりないが、そこは男の僕にはわからざる理由があるのかもしれない。
高校生と中学生がふたりで浴槽に入って、スペースがあまるわけがないので、火憐は脚を浴槽の縁に投げ出している。僕は火憐の肩越しに顔をだして、水面のあたりに浮き沈みする乳房を何の気はなしにみていた。
わかったことがある。
どんなに発展途上中でもおっぱいは水に浮くのだ!
「こうやって二人でお風呂もひさびさだなあー」
ん、と体を少しのばしながら言う火憐。
確かに、『二人』で入るのはひさびさだ。
あの日以来、『三人』で入るのはめずらしくなくなったけれども。
「……そーだな。まさかこの年になってまで実の妹と風呂にはいることになるとは思っていなかったよ」
「あたしだって思ってなかったぜ」
まーいいじゃん、甘露甘露、とどこぞのおっさんのようなことをいいながら、火憐は僕に体重を預けてきた。
湯船にはったお湯に波紋が広がる。火憐の下敷きになっている格好だが浮力が効いているおかげでちっとも重くない。
そもそも火憐は格闘技に傾倒している割には軽い。本人曰く適切に鍛えられた筋肉と、タイミングさえあれば十分有効打になるのだそうだ。
理屈としては正しいが実際にはとんでもない高等技術だし、実行できる人間はそうはいない。中学三年生の分際で、そこまでの高みにのぼりつめてしまった火憐の最終着地点はいったいどこになるのか見当もつかない。いまだ成長期まっただなかの妹を体の上にのせながら、僕はそんなことをおもいつつ、湯船に肩を沈める。
情事のあとのけだるさが残っているので、ぬるめのお湯がちょうどいい。
しかし、それにしても……。
「脚がながいよな……火憐ちゃんは……」
踝から上を湯面の外に出し、浴槽のへりにのっけられた脚は、そして僕よりも若干長い脚は、べつにその方面のフェチでなくてもおもわずうっとりするような、そんな肉感的な美しさがある。
脚先から視線をおろしていくと、脂肪のかけらもない下腹部と恥毛がみえる。この下腹部。実はまことにさわりごこちがいいので、じゃまな恥毛を全部剃ってやったことがあるのだが、また生えてきてしまったらしい。こんど機会があったら、月火と一緒に剃ってやろう。
ちなみに月火はお休みして回復中。以前はすぐにでも求めてきたものだが、このごろはお休みしないと体が動かないらしい。
喜ばしいことだ、まったく。骨を折った甲斐はあるのだ。火憐に関して言えば、本当に骨を折っているわけだし、努力と傷はいまのところ報われている。
湯の中でゆらゆらゆれる黒若芽をぼうっと見つめる。黒いなー、つやあるなーとか思っていると、
「ん? なんか一瞬、股間のあたりに悪寒がはしったんだけど……兄ちゃん心当たりあるか?」
火憐が言う。
「妹の股間なんぞに興味なんてねえよ」
大嘘をはいた。
「妹の裸体を見て喜ぶ兄がどこにいるっていうんだ?」
念を押すようにもう一度言った。
そうだ。同年代の中学生よりもよっぽど色っぽい腰のラインや発育途上の乳房にときめいたりは、しない。
目隠しをされたまま局部の感触だけで二人の秘処をあてるゲームなど、やって、いない。
「兄ちゃんって本当に嘘が大好きだよな。体は正直だけど」
火憐はごそごそと体をゆすった。
下敷きにしているのは僕であり、僕のモノでもある。
火憐の全裸に反応してわずかに勃起していたのを見逃してはくれなかった。弾力のある尻の下にモノが敷かれているだけだが、刺激に対して僕のモノは素直だった。堅くなっていく。
「う……」
「にゃは。妹あいてになに欲情してんひゃっ!?」
最後までいわせるかと、僕は脇の下から手を通して、火憐の膣口にふれた。
明らかにお湯とはちがう粘ついた感触がした。そのまま入り口付近の肉皺を指先でもてあそぶ。男の体にはない、いく相も重なった皺を一つ一つ辿るように、指を動かす。
ひくっ。
太股の火憐がそのたびにひくぅ、ひくぅ、と震える。
「兄相手に欲情してんじゃねえよ。どれだけ淫乱だよ、おまえ」
「っ――手、はなせよ……」
火憐の手が僕の手首を補足する――が、力はあまりにも弱々しい。本気を出せば手首くらいたたき折れるはずの火憐は、むしろ手を添えるくらいの握力で僕の手首を握った。
体は正直だ。
さきほどのような殺気はまるで感じない。まるで続きを欲しているかのように、体を僕にすり寄せる。
お湯とは明らかに温度がちがう、火憐の体温をかんじながら指を進める。
想像よりも簡単に、火憐は僕の指を受け入れる。角度的に奥へ進入させるのは無理そうだったので第一関節までを膣道につき入れて、まさぐってみた。
「あっ……ひっ……」
風呂場のタイルに反響して、火憐の声がいつも以上に響きわたる。
男の体のどこにもない、なめらかなおうとつを確かめるように指を這わせる。
外側からではけっしてみえない、つぶつぶを指の腹で味わう。
「んっ、んっ、んっ……! 指がエロい……! そんなとこ触るなって……」
「気持ちいいか? さっきから指が締めつけられるんだけどさ」
「締めつけてねえ、よっ、あっ……んっ……。ちょっとせつないだけだって……」
「おまえいつもそんなこと言うけど、結局最後は……」
「言うなよ兄ちゃん……はずかしいんだからさ……」
明らかに感じているくせに認めない火憐を陥落させるべく、もう少しはげしく責め立てようと手の角度を変えた。
「う、わっ……」
わずかな動きでも、ぴったりとひっついた指先の動きを敏感に感じとった火憐が小さく悲鳴をあげる。
でも、その動きのせいで僕の手に乗っていた火憐の手がお風呂の縁にぶつかった。
こつ。
とたんに火憐が顔をしかめる。
「つつっ……」
手を水面のうえに出して、様子をみる火憐。
指が長くて、とても暴力につかわれるものには見えない綺麗な手。
だけど、いまその手は不格好だ。かさぶたがはがれてできた、新しい皮のせいで。
まだ痛みがあるのとはおもっていたけど、この痛がりようは予想外だ。
「あ、ごめん……」
思わず謝ったが、火憐はこっちを振り向きもせず、
「んにゃ。大丈夫」
と言って、不思議そうに自分の指を視ていた。
体の外傷の方は治ったらしいが、重傷だった拳の傷だけは癒えていない。指の付け根から皮がずるむけ、拳の骨はひび割れ、手首は折れているというひどい有様だったのだ。
僕の血を垂らしたおかげでふつうより治りは早いし、ひびはすぐになおったけれども、よく見れば腫れはまだ引いていないし、破れた皮膚はカサブタが治った後で痛々しい。
外傷かつ、体の外側からはみえない後遺症ものこっているはずだ。本人は顔にださないし、あえて指摘しようとはおもわない。
あのときは月火をとめるのに必死だったからなぁ……。
「まだ痛むのか」
「んーときどき。チクチクする感じだから、すぐにもとにもどんだろ。月火ちゃん殴ったときの方が痛かった」
手をにぎったり開いたりする。動きにはさして問題なさそうだが、そうは言っても痛みはあるのだろう。
「それならいいけどさ。せっかくきれいな指をしてんのに、カサブタまみれじゃもったいねーぞ」
「にっしっしっしっ。師匠にもそういわれてほめられたぜ。おまえの指は人体を破壊するのに適切な指先だって。長く! 細く! 理想的にきれい!」
「一度おまえの師匠を紹介しろ。マジで」
「特に二本指で眼球をつぶす技には――」
「明日おまえの師匠を紹介しろ! マジで!」
場合によっては火憐から引き離さなくてはなるまい。僕の戦闘スキルはそのお師匠様におよばないだろうが、羽川がいればなんとかなるだろう。手練手管をつかって妹を救い出さなくてはいけない。人を加害する前に。
でもさ、と火憐が手をぶらぶらと振りながら言う。
「今回はちょっとやりすぎだけど、格闘技やってれば自然とこうなってくよ。皮がやぶれて、カサブタになって、それで皮が強くなる。拳もだんだん戦闘形態になってくんだよな。だからこれくらいどうってことねえよ」
「おまえのそのストイックさってどこから来るんだろうな……。M心からだろうけど」
「ちがうぜ、兄ちゃん。それをなすのは負けぬ、揺るがぬ、諦めぬ、普遍と、愛と正義のなせること――だと思う……」
「……」
「正義だぜ、兄ちゃん。たぶん……」
火憐の声が消え入るように小さくなっていく。
あれだけ公明正大、声を大にして語っていた正義が、最近めっきり火憐の口から聞こえなくなってきた。
正義はほかの正義に倒されるまでの前座であると、月火の家出を発端とした事件から火憐なりに――理解し始めているのかもしれない。
――なにせ、火憐の理想である強さ、どんな人間であろうと駆逐できる強さを得た月火の姿を見てしまっている。
強さに依った正義がどんなものなのか、すでに感覚でわかってしまっている。
頭の悪い部分を持ち前の直感力でカバーできる火憐は、理解したくなくても、感覚的に正義がどういうものかわかってしまっているはずだ。
最終更新:2010年01月02日 08:38