保険医療社会学

[某催吐の記事をそのまま引用してます]

4時を超えてしまった・・・寝なければいけないのだが、インフォームドコンセントとパターナリズムの共存についての課題論文があるでしょ、医療保険社会学の。

これを、調べれば調べるほど、なんか煮詰まってしまって、この時間になってしまった・・・・

だって、結局はさー、医師の良心だと思わないか?

インフォームドコンセントにしたって、どこまで正確に情報を公開してくれて、それに対して、どんな選択権を用意するかも、結局は医師の良心にまかせるところが多いでしょ・・

パターナリズムなんて、その際たるもんだよね。ようするに、「おまかせしまっす!」って奴だもんね。

この2つが共存することは、ますます、医師の良心にゆだねられる部分が大きくなるんやないのか?

共存とか格好いいこと言いながら、結局は、パターナリズムに誘導すれば、医者は楽だよね。

それならば、いっそのこと、全部決めれたインフォームドコンセントの方が、いい気もする。

やはり、論文も、医師の良心という部分をピックアップしたほうがいいのかなー

しかし、ネットで調べれば調べるほど、なんか、医師と患者が対等の立場というのは、理想論のような気がしてならない・・・

http://www.ceres.dti.ne.jp/~gengen/ic.html
下のほうの「恐るべき結論」は怖いです。要するにインフォームドコンセントは、患者の決断が優先します。エホバの証人の輸血の裁判が有名です。私も授業後先生に質問したのがあるんですが、インフォームドコンセントによって、明らかに、患者が悪くなるのが推測できる場合であっても、患者の決断が優先されるそうなのです。

http://www.ne.jp/asahi/village/good/IC.htm
下のほうの、付録の欄に、アメリカで提唱されたインフォームドコンセントは日本ではなじめない理由についてかかれていますね。

http://www.akita.med.or.jp/kenko/fukuda/ic.html
インフォームドコンセントの具体的な運用方法が書かれています。医師患者関係の3モデルとかは、パーソンズの理論を批判、継承したスザッスとホレンダーの医療者患者の3区分とか出てきていますね(^-^)

(2)

昨日かなり遅くまでかけて、インフォームドコンセントとパターナリズムの共存についてをまとめた。

んで、授業終了後、先生に文を見てもらおうと思ったら、それはテストの点になるから出来ない。との事。考えれば当たり前か・・・

皆、覚えてるか?

夏休み前の授業で、先生は、「自分はインフォームドコンセントとパターナリズムは共存できると思います。」って、言ってたのを。

で、実際色々調べて見ると、そもそもインフォームドコンセントだけでも、色々な問題があるのに、パターナリズムと共存させてしまえば、ますます医師の良心にゆだねられるところが増えると思ったわけだ。

んで、授業終了後に、先生が、「作った文を添削する事は出来ないけど、質問ならどうぞ」と、言うので、

ミゾベー「先生は2つの共存ができると思う。っていいましたけど、インフォームドコンセントとパターナリズムを共存させることは、ますます医師の良心にゆだねられるところが増えるんじゃないんですか?」

と、質問をした。

ミゾベー「インフォームドコンセントを装い、その実、パターナリズムとなんら換わらなかったり・・」

先生「そうですね。確かに医師の良心にゆだねられるところが大きくなります。ただ、これからの医療は、医師と患者がお互い知識を高めあって、この共存に近づいていかなければならないと思ってます。」

ミゾベー「例えば、ネットで調べたんですが、エホバの証人の輸血問題で、インフォームドコンセントを重視した判決になりましたよね。」

先生「はい。インフォーウドコンセントの大事な部分は、患者が明らかに不利益に見える選択をしても、患者の意見を尊重させるのが大原則です。患者主体というのことですね。」

ミゾベー「では、これから先、パターナリズムとインフォームドコンセントの共存によって、患者の死と言う部分では、医師はパターナリズムを選択できると言う流れになるんでしょうか?」

先生「これは、これからの問題ですね。実際、どこまで、医師がパターナリズムを使用していいかは、今一番難しい問題なのです。しかし、これから先、そのような流れになるかもしれませんし、もしかしたら、ならないかもしれません。まだまだ、これからの問題なのです。」

って、感じでした。


しかし、テストの論文じたいは、どうやら、「インフォームドコンセントについて」、とか、「パターナリズムについて」、とか、そんなんでもいいらしい。

例えば、インフォームドコンセントがどんなもので、どのような問題が現在あって、それを解決するには、どのように持っていくのが理想か・・と、このような作りでもOKみたいだ。

また、批判文でも、論実が通っていれば、これでもOKらしい。

例えば、インフォームドコンセントはアメリカから来たが、アメリカ式だとなじまない。

日本の現在の医療制度では、キチンとしたインフォームドコンセントの運用は難しい。

インフォームドコンセントのような感じでも、うまいこと、パターナリズム持っていく医師が多い。だから、現在のインフォームドコンセントではダメだ!と、言う文でもOKみたいだ。

一応、頑爺さんに作った文を見てもらったら、「いいんじゃないんですか」と、言う返事をもらったので、昨日作った文でいこうと思う。

頑爺さんは、講師をしていたこともあるので、3年間彼についていけば間違いはない。


(4)

よっしゃー!

今日の医療保険社会学は出来たぞ!

バッチリや!!

ニュールンベルク綱領とヘルシンキ宣言の違いも出たし、日本型福祉の失敗も出たよね。

アイデンティティがエリクソンで8段階に分かれるとか・・・

しかし、パーソンズとかについて、もっと聞かれると思ったんだけどねー 役割理論とか、アメリカのウェーバーとかねー。

まあいいか。

なんと、今の所、普通の問題での間違いは見つかっていない!

すげーぜ俺。

まあ、油断は禁物だが・・・・

論文のほうは一応、少し裏に回るぐらいの量で書いた。

インフォームドコンセントとパターナリズムが、両立すると、医師の裁量が重要になるから、インフォームドコンセントを主におきながらも、部分部分でパターナリズムはどうかと・・

そんな感じの文つくりで、授業中に出てきた言葉、「医師同士、患者同士の勉強会」「円滑に運用できているかどうかを監視する機関」そんなんをちりばめて書いた。
最終更新:2006年06月12日 00:11
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