昭和60年4月、学校法人国際開洋学園を設立、理事長に就任、国際開洋第一高等学校学校長に就任。
なお着工の日には宮沢喜一も出席していた。
マスコミからの取材に対し、井脇は、住宅金融支援機構による競売を食い止めるため二階俊博に相談したと語ったうえで、「いま(二階グループの)金子善次郎先生が(機構を所管する)国土交通省の政務官でしょ。先生が住宅局長に相談してみてくれんか、と頼んでくれた」と発言したため、マスコミから「代議士の借金に政治力を使うとすれば、これも大問題」と指摘された。
また、井脇は、借入金について相談するため住宅金融公庫に赴いた際、「所長がすごい悪い奴で『お前保険に入っているやろうが。保険で殺したら全部できるやろうが』という言い方をした」と主張している。だが、住宅金融支援機構は「当機構は生命保険への加入を把握する立場になく、その加入を前提とした相談を行うことはあり得ません」と指摘している。
国際開洋第一高等学校の寮内での生徒の薬物使用が発覚し、静岡県警察の捜査を受ける。2005年、衆議院議員当選後の週刊誌の取材に対し、井脇ノブ子自身はこの事件を「陰謀」だとし、、井脇ノブ子に反感を持つ何者かが寮に薬物を郵送で送りつけたためだと説明している。なお、この事件が起きた直後に井脇ノブは衆議院議員総選挙に静岡3区から立候補していたが、柳沢伯夫に敗れて落選するまで国際開洋第一高等学校からは何の記者発表もされなかった。
開洋高校は例年、静岡県内からは生徒定員に対しておよそ1割程度しか志願者が集まらない(静岡県教育委員会]等による各年度私立高等学校募集定員・志願者数・倍率資料参照)。そのため、県外から志願者を募集したり、酒田短期大学同様、モンゴルなど海外から留学生を募集して当座をしのいでいる。ただ、酒田短期大学とは異なり、留学生はあくまで学業優先である。校内での留学生の活動はマスコミにも注目され、『中日新聞]』などでは連載記事として紹介されている。
開洋高校は全寮制のため、なかなか近隣住民と触れ合う機会がない。そのため、地元住民との交流やボランティアにも積極的である。これらの教育方針は井脇の教育理念でもある。
一方、井脇が校長を務める国際開洋第一高等学校は、周囲とのトラブルを度々起こしており、地元からは批判されている
(「父母OBが悲痛告発――井脇ノブ子『開洋学園』は『北朝鮮並み』の待遇だった――水風呂は当たり前、朝食は肉だんご2個」『
週刊文春』49巻47号、
文藝春秋、
2007年12月6日。)。
かつては、同校の水道料金滞納が社会問題化し
、地元の小笠町を悩ませることとなった。町長の黒田淳之助は問題の解決に向け奔走し、卒業式に招待された際に、黒田が教頭に対し料金の支払いを直談判する事態となった。当時を振り返り、黒田は「井脇さんは国会議員をしている場合じゃない。生徒のためを思うなら、学校にいなきゃ駄目だ」と述べ、井脇の学校運営を厳しく批判している。
第43回衆議院議員総選挙に立候補した際、井脇が理事長を務める国際開洋学園では、傘下の高等学校の教職員を選挙運動に動員した。そのため、国際開洋第一高等学校では、およそ1ヶ月に渡り授業が正常に行われなかった。
最終更新:2020年09月20日 17:16