<<そらまめ>>
「なんだ。それは」
不審そうな声を出して、男が顔を上げた。
視線を投げていた膝の書類を、ため息と共に机上へ放り出す。
厭きた。
そう目が言っている。
朝から10時間。休憩も取らずにぶっ通しで働けば、嫌気も差すだろう。
「なんだ。それは」
差し出されたマグカップを、何の気なしに受け取りながら、男はもう一度声を上げた。
エンリコマクスウェル。
ヴァチカンにおける、隠匿部署。
一般に公表されている12種の課の、さらにもうひとつ先の、本来ありえないはずの13課。
の、筆頭。
若手ながらも、頭の切れと毒舌は、他に類を見ない。
卓越した才能というよりは、若干ヒネくれた性格の賜物。
「なんだ。それは」
返答のないことに軽く苛立ちを見せながら、マクスウェルは三度、問いを口にした。
「なんだ、とは」
なんですか。
語尾を最後まで発音しないのは、マクスウェルの目前に立つ、巨漢の癖。
彼の尋ねた「それ」を手にして、首をかしげた。
「その、右手にある、緑の。……野菜か?」
野菜なら食わないぞ。
巨漢が何も言わないうちから、マクスウェルが先手を制す。
食べるか、とも言っていないのに。
我がまま満載の彼の声に、巨漢――アンデルセン神父――は苦笑しながら、
「ああ」
言って視線を下げた。
「そらまめ――と言うそうですよ」
「そら、まめ」
「由美子の母国では、いま時分旬のものとして食べられるそうです。出先の市場で見かけたのだと、そう言って」
おすそ分け、というものなのだろう。
「ふうん」
あらためて、物珍しそうにマクスウェルはアンデルセンの右手を覗き込んだ。
幾房かの、サヤである。
巨大、と言っても差し支えはないのだろうが、アンデルセンの手に収まると、それすらも小さく見えて、なんともおかしい。
「マクスウェル?」
含み笑った彼をいぶかしんで、アンデルセンが声を上げ、
「……なんでもない」
マクスウェルはかぶりを振った。
「見せてみろ」
次の語を継ぐ前に、彼は手を伸ばす。
物珍しさと言うよりは、ただの好奇心。
「大きいな」
ふにふに、とサヤを両の指で押さえながら、単純に喜んだ。
実際、何でも良かったのだ。
今抱える仕事の煩わしさから、一瞬でいい、思考が解放される手段であるのならば。
「……うまいのか、これは」
食わないぞ、と先に告げた言葉をまるで無かったことにして、彼が尋ねると、
「どうでしょうね」
肯定も否定もせずに、巨漢が応えた。
「食べてみますか」
「食べてやらんでもない」
ぎ、
とおよそ一般の店舗であれば、アンティークに分類されていそうな、古い椅子に全体重を預けると、背もたれは悲鳴を上げて軋んだ。
「どうやって食う」
「塩茹でするのが一番簡単なのだと」
「ふうん」
押さえるサヤの硬さから、おそらく中身だけを食するのだと判断したマクスウェルが、
「あ。」
軽く爪を立て豆のサヤを等分すると、中から目に沁みる薄緑色の豆がこぼれ出る。
「外も大きいが、中も大きいんだな」
何気に、落ちかけた豆をつまもうと、サヤの内部に指を伸ばし、
「――」
そらまめを包む、サヤ内部の感触に、思わず息を呑んだ。
「マクスウェル?」
「……やわらかい」
ぼうとなって呟いて、それからちらりとアンデルセンを上目見た。
「マクスウェル?」
「なんでもない」
言って、慌てて目を逸らす。
それから、
含むように口の端を上げ、何度も何度も飽きるまで、サヤの内部を撫で続けた。
そらまめの、サヤに包み込まれた様子が
ひどくやわらかく、真綿にくるまれた宝物のように包み込まれた様子が
目前に立つお前の雰囲気に良く似ている
などと
マクスウェルは口が裂けても言わない。
最終更新:2008年05月25日 16:07