<<ボクの下僕になりなさい。>>


 「おいお前!」
 「お前……ってボク?」
 「そうだ。お前だ。おい、俺の家来にしてやる!」
 「……は?」

  いきなり後ろから声かけられ、頭ごなしにそんなコト言われたら、そう答えるより他、なかっただろう。
  ボクとソイツの出会いはきっと最悪だった。
  そうまとめるのが、一番適当なんだと思う。

  確かボクは、王都カスターズグラッドに引っ越してきて一週間かそこらへんで。
  うん、まだ近所の裏道とか抜け道も覚えていない頃だったな。
  だから、6歳か7歳の頃。
  引越し荷物もまだ片付け終わってない、ハコだらけの家を抜け出して、
  それでも、仲良くなった友達が、いっつも遊んでいる噴水広場だけはすぐに覚えて。
  朝起きて顔洗ってご飯食べたら、即効遊びに行ったものだ。
  シラスがお昼ご飯を呼びにくるまで、転がって遊んで、ご飯食べ終わったらまた集まって遊んで。
 「半日通り」、と呼ばれる、家と家がひしめき合ってる区画の住人同士のことだから、それぞれの家が裕福な暮らしをしてるわけでもなく、
  結構、その日暮らしの家が多い……んじゃあなかろーか。
  そんな友達同士だったから、特別なオモチャがあったわけでもなかったけど、
  なのに一日鬼ごっこしてるだけで本当に楽しかったんだ。
  とくに、ボクにとっては山奥の村から引っ越してきたばっかりで、王都の見るもの聞くもの全部がやたら新鮮で、ハイカラで、格好良くて、
  村には同じ年のコはひとりっきゃいなかったから、遊び友達が10人近くいつも集まるだなんて、もう夢のようだったね。
  ボクの中では毎日がお祭り状態まっさかり、だったんだ。
  毎日遊びまわってるボクに、シラスも何も言わなかった。
  家の手伝いしろー、だとか、
  魔法介護士になりたいなら勉強しろー、だとか。
  それが、夢中になって遊ぶボクを、温かく見守ってくれたゆえの黙認だったのか、
  自分が、日中引き摺りまわされなくてすむから楽でいいじゃん、的な黙認だったのか、
  聞いたことないから、よくは判らないんだけど。
  でも、毎晩のご飯のときに、「ああして遊んだ」、「こうして遊んだ」、そう言って報告するボクを、なんだか嬉しそうに見てくれていたことは、確かだ。
  あの頃は、本当に、毎日が夏休みだった。
  駆けずり回ってくたくたになるまで遊んで、そんな中でのヒトコマ。

  たしかアレは、隠れんぼの最中で、ボクは鬼役に見つからないように、広場の隅の木箱の陰に隠れてたような気がする。
  呼ばれた声に振り返ると、
  言っちゃあ悪いけど小生意気そうな男の子が、腰に手を当てふんぞり返ってボクのほうを見ていた。
  見覚えはない、初めて見る顔だった。
 「キミ……誰?」
  とは言え、なんせボクは引っ越して一週間なワケで。
  その間会ってないだけで、ここの広場の遊び常連なのかもしれない、そんな考えがチラと頭をよぎり、
  とりあえずボクは聞いてみることにした。
 「名前なんていうの?」
  すると、ふんぞり返った男の子は、ふんぞり返ったまま、大げさに驚いて今度は仰け反って見せたのだ。
  丈夫な腰である。
 「お前……俺のこと知らないのか?!」
 「うん。知らないよ」
  そう大声を出して驚かれたところで、知らないものは知らない。
  ボクは頷く。
  まぁ、この驚きっぷりからすると、ここいらへんのガキ大将なのかもしれない。
 「ボクはレイディ。初めまして」
 「……ふん」
  初めての相手なんだから挨拶するのがスジだろうと、若干えらそうな態度がハナにはついたものの、ボクは素直に頭を下げた。
 だのに、相手は挨拶を返すこともせず、ますますふんぞり返るわけだ。
  ……腹筋も鍛えれるかもしんない。
 「キミ何さま?」
  むっとしたボクは、思わずその、目の前の偉そうな男の子にケンカ腰になる。
  ――んが、しかし、
 「お前なー……頭が高い!控えろ!恐れ多くも、王都カスターズグラッドの未来を担う、王太子ハルメリアさまだぞ!」
  その食って掛かった相手から、どえらく難しい返事が返ってきたので、
  ボクのむっとした気分はどこかへすっ飛んで、びっくりしてしまった。
  アレだ、取っ組み技の、「出会いがしら」とか言うやつにちょっと似てる。
  目の前でパチンと手を打って、相手を驚かせてその隙を狙うという、アレね。
 「えーと」
  どう応えたら良いのかわからなかったので、とりあえず、頭の中でまとめてみる。
 「途中何語か判らなかったけど。オータイシ・ハルメリア、って名前なんだってのだけは、判った」
 「呼び捨てするなよ」
  むっとしたのは、今度は男の子のほうだ。
  構わず、ボクはその子に尋ねた。
 「『ずがたかい』って何?」
 「そ、そんなコト俺に聞くな」
  なんだ。
  難しそうな言葉を吐くから、当然頭がいいのかと思えば、男の子も単に丸暗記しているだけだったらしい。
 「オータイシ君て呼んだらいいのかな?」
 「……お前。それは、名前じゃない。『王太子』も知らないのか」
 仕方ないので、次の質問を口にしたボクに、目を丸くして男の子はとうとう、ふんぞり返るのを止めた。
 「うん。ボクね、こないだ王都に引っ越してきたばっかりで、まだここいらのコトよく知らないんだ。キミ、この辺りに詳しいの?」
  ガキ大将なら、いろんな秘密基地とか持ってるんじゃないか。
  期待にわくわくしてボクが聞くと、
 「詳しいっちゃあ詳しいけど……タダじゃあ教えてやれないな」
  その子――ハルメリアは、ニヤッと笑ってそう言うのだ。
  意地が悪いのかもしれない。
 「タダ……お金なんてボクもってないよ?」
  一応。
  お駄賃がないかと、ぱんぱんとポケットを叩いてみたけど、出てくるのは埃ばっかりで、シクル銅貨の音なんてしやしないのだった。
  お駄賃、昨日、買い食いして使っちゃったし。
 「金なんて宝物庫に腐るほどあるから、いらん。あんなモン食えないしな。」
 「キミ……お金持ちなんだねぇ」
  お金が果たして腐るのか、ボクにはちっとも判らなかったけど、ややっこしそうなので、そのまま聞き流すことにした。
  聞き流したついでによくよく見れば、
  ハルメリアの着ている服も靴も、なんだかボクや、半日通りの遊び友達とはちょっと様子が違う。
  どこが違うんだ、って言われてもよく判らないんだけど、なーんか、たしかに違う。
  くりくりと丸まった金のクセッ毛。
  真っ青な目。
  お人形さんみたいな顔をしている。
  着ている服が、どこかお人形さんみたいな服だから、なのかもしれないけど。
  キラキラした貝ボタンとか。
  まじまじと見つめるボクに気付くと、何を勘違いしたのか、ハルメリアはご丁寧にも再びふんぞり返ってくれた。
 「お金もお菓子もボクは持ってないけど……何がキミは欲しいの?」
  ボクは訊ねる。
 「お前、家来になれ」
 「えあ?」
  ああ、なんか、そう言えばさっきも、いきなり背後からそんなこと言っていたような気がする。
 「家来って、誰の」
 「俺の」
 「そんなのイヤだ」
  悪いけど。
  ボクが断ると、ハルメリアは慌ててポケットを探って見せた。
 「じゃあ逆に俺がお前に金をやろう。ほら。好きなものが買えるぞ」
 「うーん。別に今欲しいものないし」
  そう言ってシクル銀貨を見せてくれたけど、ボクは首を振った。
  知らないヒトから、お手伝いもしてないのに、、お金をもらえるなんて、そもそもなんかおかしいし。
 「菓子が欲しければくれてやる。家来になれ」
 「お菓子はもちろん大好きだけど、今食べたら夕飯美味しく食べられなくなっちゃうし。シラスに怒られるし。いらない」
  ごめんね。
  言った端から、ボクは思わずぎょっとなる。
  偉そうにふんぞり返っていたハルメリアが、
  泣き出しそうな、途方に暮れたような、そんな顔を浮かべたからだ。
 「な……、どうしたの」
 「どうしても家来にならないというのか」
 「だって……家来って、キミが命令して、ボクが『はい』って返事するんでしょ?」
 「まあ、概ねまちがってない」
 「別にそんなものになりたくないんだけど」
  それに、下僕ならボクだって一人(……いや一匹?)既にもってるんである。
  間に合ってます、ってヤツだ。
  言いながらボクは、ハルメリアの様子を伺っていて、急に気付いた。
  もしかして。
 「あのさ」
 「なんだ」
 「家来にはなれないけど、友達だったらいいよ」
 「と、もだち」
 「うん。キミも一緒に遊びたいんでしょう?」
  言うと、ど真ん中に図星だったらしい。
  見てて感心するほどに、さっと顔色が変わった。
 「なッ……別に俺はそんな、お前らみたいな下々のヤツらと仲良」
 「今から友達ね。よろしくね。ハルメリア」
  こういうタイプは、きっと言葉と態度が逆に違いない。
  むきになって否定するハルメリアに、ボクがにっこりと笑って手を差し出すと、その手を見てまた、ハルメリアが目を白黒とさせる。
 「ま、まあお前がどうしてもと願うから、仕方なく俺はその『友達』とか言うものになってやっ」
 「じゃあ早速、ここいら案内してよ」
  なんだかゴチャゴチャ言っているので、ボクはさっさと言葉を遮ってやった。
  本気でイヤなら、もっと嫌がってるはずだ。
  すると、ハルメリアはまだしばらく、ブチブチと口の中で呟いていたけど、不意に姿勢を正し、ごほんと咳をひとつして、
 「ハルアでいい」
 「え?」
  そう言った。
 「ハル……ア?」
 「親しいものは俺のことをそう呼ぶ。お前にも呼ばせてやるから、光栄に思え」
 「……『こうえい』って何?」
  ほんっと、難しい言葉をよく知ってると思う。
  勉強好きなのかな。
  ボクが首を捻ると、
 「……ああもう、面倒くさいから良い。ついてこい。案内してやる」
 「うん」
  煩わしそうに手を振り、それからボクの手を取って、ハルメリア――ハルアは、王都カスターズグラッドのあっちこっちを、
  ここの通り道は野良犬が出るから気をつけろ、だとか
  ここの柿の木はシブいから干して食えよ、だとか、
  ここのジィさんはたまに菓子くれるぞ、だとか、
  その日一日丁寧に、教えまわってくれたのだった。
  付いて回るうちに、偉そうなヤツだけど、別にそれが悪気から出てるんじゃないことにボクは気付いて、
  というより、口ではブツクサ言うくせに、迷子になったちっちゃい子の親を探してあげたりとか、
  ああなんだ。結構面倒見が良いヤツなんだな。
  と、いうことにボクは気付いた。
  市場の人ごみの中では、決してボクが迷子にならないように、手をつないでくれてるところとか。
  良いヤツじゃん。
  日が暮れるころには、ボクは、このちょっと偉そうなハルアを、すっかり見直していたのだった。

 「まあ案内するところと言えば、こんなところか」
  出だしの噴水広場に戻ってきて、すっかり赤くなった空を見ながら、ハルアがそう言う。
 「今日案内できなかったところは、また今度案内してやる」
 「うん」
  一緒に隠れんぼしてた(途中でヌケたこと忘れてたんだけど)友達はもう家に帰ったみたいで、広場に姿は見当たらない。
  家へと戻る仕事帰りの人が、広場には溢れている。
 「知らないところいっぱい見れて楽しかった。ありがとうね」
 「あんなのでよければ、いつでも案内してやる」
  ニっと笑ったハルアが、そうだ、と言ってポケットからきれいな小石を取り出した。
  真っ黒な地に、白い縞模様の入った、見たことのない小石。
 「うわぁ。きれいな石だねぇ」
 「こないだ、河原で見つけた。近付きの印に、コレをやろう」
  ほら。
  手を出すことを催促されて、ボクが手を広げると、無造作にころころとハルアは石を渡してくれた。
 「うわ。こんなの貰っちゃっていいの?」
 「子分の印だ。ありがたく受け取れ」
 「ふーん。子分って、友達みたいなもの?」
  ダシを取るアレではないんだろうな。
  首を捻ると、ハルアは頷いた。
 「そうだ。お前、女にしてはイイ度胸してるしな。気に入った」
 「そっか。じゃあ貰っとく。ありがと」
  ややっこしい言い回しにもいい加減なれたので、ボクはありがたく貰っておくことにした。
 「宝物にするね」
  ボクが言うと、ハルアは急に顔を赤くして、それから背けて、
 「そ、そんなものいくらでもくれてやる」
  そう言うのだ。
 「だからまた一緒に遊べいいな?」
 「うん。いいよ」
  何を急に照れたのか、ちっとも判らなかったボクは、だからとりあえず頷いた。
  ボクの答えを聞くと、また不意にハルアはふんぞり返って、
 「じゃあ、またな!今度は厩舎に一緒に爆竹投げ込もうな!」
  嬉しそうに笑い、
  意外に不穏なことを怒鳴って、
  さっと背を向けて駆け出していってしまったのだった。
  態度と言ってることが、あんまり沿ぐあってない辺り、
  ……不思議なヤツだなあ。
  背を見てしみじみと、ボクは思ったもんだ。

 『おうたいし』と言うのが、オータイシ・ハルメリアって名前なんじゃあなくて、
  王都カスターズグラッドの国王の、二人いるうちの上の息子――つまりは次期国王後継者――だと言うことをボクが知るのは、
  それからずっと先、二年後ぐらいのことだ。


 「と言う不思議な夢を見ました」

  アレはなんと言うか、一種のムシの知らせ、だったのかもしれない。
  なぜなら。
  今日も今日とて。サンジェット教会に元気よく出勤したボクは、教会に頭を出した途端、神殿への出頭を命じられたからなのだ。
  出頭、というとなんか悪いことして怒られにいく――と言うイメージがあるけど、
  なんせ、ステンドグラスや祭壇はあれど、庶民的な教会と比べて、
  ガッチガチの石造りの神殿つーものは、いくら同じ教会の系列だからとは言え、
 「ここは神聖な場所ですよ。敬虔な者しか入れませんよ」
  なんて言われているようで、なーんか、馴染みにくい……と言うか、居心地の悪い場所なんである。
  ボク的には、「出頭」と言う言葉が、なんかしっくりくるのだ。
  まあ、カミサマを本格的に祀ってる場所なんだから、昼寝でもできちゃえそうな親しみ安さがあるほうが、どちらかと言えば問題なのかもしれない……けど。

  ちなみに、
  サンジェット教会、
  というのは別に「サンジェットの神さま」を祀っているわけじゃあなくて。
  サンジェット、と言うのは王都カスターズグラッドが出来る前の地名。
  旧地名とかいうヤツだ。
  王都が出来る前から、ここには教会があったんですよー、と言うシルシ、らしい。
  教会が祀っている神さまの名前は「ラグリア神」と言う。
  それこそ、この大陸の土着宗教にも似た、もうせんず――っっと昔からある宗教らしくって、
  一時期、「国」と「国」が、まだ戦争をして取ったの取られたの言っている、 そんな時代からずっと存在していたらしい。
  その時代時代で、結構教団もカタチを変えて存在して。
  だから、戦争に明け暮れていた時代にはかなりの割合で、好戦的な宗教集団でもあったようだ。
  今は(個人的に好戦的なウチの上司とか、そう言う問題児は脇へ置くとして)、
  平和的な庶民の皆さんに親しまれている、気安い教団である。
  教会、というのは、
  町の人たちがお祈りしたり、相談しに来たり、お願い事を頼みに来たり、そんな場所で、
  神殿、というのは、
  王都のイベント行事――例えば国王生誕祭とか、そう言う国の式典なんかを、行う割と広々した場所だ。
  教会で寝起きしている司教やシスターと違って、ここに住み込みでいるヒトの数も少ない。
  まあ、年に何度かのまつりごとの時しか活躍場がないんだし、
  そもそもそう言うときは、教会からボクらまで借り出されることが多いから、
  住み込みで神にその身を捧げている、というよりは、日常の管理や防犯のために住んでいると言った方が、正しいのかもしれない。
  と言うか。
  ここに住むヤツのことを知っているから余計に、ボクはそう思うのかもしれないけど。

                    *
                
 「そんな出会いだったっけか」
  くくく、と楽しそうに喉を鳴らして笑いながら、目の前の、恐れ多くも「元」次期国王後継者サマであり、国王の長男坊サマであり、神殿の管理を任されている大司祭サマであり――、
  ボクのイタズラ仲間でもある、ハルアが優雅に紅茶をすすっている。
 「俺の頭の中ではもっとロマンチックに改変されているんだがな」
 「バラでも散ってるんだろどうせ」
 「おおむね、間違ってない」
  そう、今朝の夢の中で出てきた、どこかえらっそうな子供、の成れの果て……と言っちゃあ聞こえが悪いか、
  えー、成長したお姿の、ハルメリア「元」王太子。
  見た感じ、そう目だって変わったところは、ない。
  本気で「これは作り話ですよね?」と言いたくなるような、王子様然とした、見た目なのだ。
  きらきらの金色で、背中まで伸びる癖っ毛の髪。
  青い目。
  長身。
  整った顔立ち。
 「王子様」と言う絵を書いたら、見ないでも肖像画が描けちゃいそうな。そんな顔をしている。
  顔だけは。
  とっつきにくい高尚な、貴族的な、高慢そうな、
  そんな雰囲気はまるでなくて、「なぁなぁ」と肩を組んで一緒に踊っていたくなるような、そんな大司祭サマなんである。
  シラスやネイサム司教同様、やっぱりボクには理解できないんだけど、教会に通う女の人にはかなりの人気があるみたいだ。
  中身は……
 「そんなことより、わざわざ訪ねて来てくれたレイディ君に、素敵なプレゼントがあるんだ」
 「訪ねた……ていうか、むしろ呼び出したのはそっちだろ」
 「教会まで散歩するのが面倒だったんだ」
  ……これだ。
 「日頃神殿に引きこもってんだから、民意を知るためにも少しは出歩いたらどうなの」
 「引きこもりが心地よいのです」
 「歩かないと、太るよ」
 「神殿内が十分広くて掃除だけでかなり疲れるので、太らないのです」
 「まったく」
  減らず口は相変わらずなんだから。
  言いかけたボクに、
 「それに俺がホイホイ出歩いちゃ、オヤジがまたうるせぇだろう」
  長々とため息を吐きながら、ハルアが答える。
  オヤジ、と言うのは「王太子の父親」なんだからもちろん、王都カスターズグラッドの現国王のことだ。
 「あれ。なんだ。一応、気を使ってるんだ?」
 「毎日気を使いまくりだよ俺は。使いまくってヤツれてるだろ」
 「いえぜんぜん」
  ぶんぶんと首を振って否定して、それからボクは、紅茶と一緒に出されたクッキーに手を伸ばす。
 「そもそも、気を使ってるようなヤツは王さまに勘当なんてされないだろ」
 「ああ心臓が痛い」
  ……そう。
  なんで、「次期国王」のハルアが、こんなところで大司祭サマとは言え、平民に混じって生活しているかと言うと、
  早い話が王さまに勘当されちゃったんである。
  勘当と言うのは文字通り、
 「キミはもうわたしの子供じゃありませんよ」
  の、アレである。
  そもそも、発端はハルアにあるのだから、なーーーんにも言い訳と言うものが、たたない。
  わがまま放題、好き放題に可愛がられて育った、次期国王後継者サマは、
  あの、小生意気そうな子供のまんま、成長して大人になった。
  まあ、これはハルアに問題があるっちゃああるのかもしれないけど、
  彼を取り巻く環境とか、教育、忙しい国政にかまけて子供をまったく顧みなかった王さまにもちょっとは非があるんじゃないかな……なんて、ボクなんかは思っている。
  小さい頃は笑って済ませられたイタズラの数々も、
  もう成人していい年こいた大人が、本気で楽しんでやらかすんだから、問題にもなる。
  馬厩舎に爆竹なげいれるとか。
  侍女の部屋のベッド全てにカエル仕込んでおくとか。
  裏庭(庭といったって相当広いんだけど)の家畜小屋のブタを全部、王宮内に放すとか。
  悪意のないイタズラとは言え、
  子供だったら笑って許されたことだって、眉をひそめられて陰口を叩かれる原因になる。
  かく言うボクも、小さい頃はガキ大将のハルアと一緒になって、王宮のみなさんにはきっとたいそう迷惑をかけたには違いないのだ。
  もちろん、もう今はやらない。
  昔の話だ。
  でも、それを、最後まで続けたのがハルアだった。
  最初はたしなめる程度で済ませていた王さまも、
  回数を重ね、苦情の数がハンパなく増えてくるのに対して、さすがに危機感を覚えたんだろう。
  小言の回数が増える。
  強く叱る。
  ついには部屋に、軟禁してみる。
  それでもまるでアッパラパアなハルアにとうとうブチ切れ、「大司祭」と言う肩書きと共に、王宮からおん出したのだ。
  ちなみに、次期国王がいなくなっちゃうんじゃないかという問題は、なんら心配要らない。
  ハルアには、大人しい弟がもうひとりいたからだ。


 「ハルアだって存外にいいコなんだから、大人しく王さまのいうコト聞いてればよかったのにさ」
 「俺は悪い子だぜ」
 「何言ってんだか」
  にー、と笑うハルアを眺めて、ボクは呆れた声を出す。
  人間、裏と表は違うとかよく言うけど、ハルアがそのいい例だとボクは思う。
  口で言ってることややってることと、本来思ってることが大概違う。
 「幼馴染」と言えるくらいに、ハルアと遊んできたボクが言えることだ。
  そりゃきっと、もともとがイタズラ好きだし、お調子者ではあるんだろうけど、
  考えなしにアホなことをするヤツじゃあない。
  それは断言できる。
 「どうせ、弟くんのこと考えてたんでしょ」
 「さー。どうでしょう」
  ボクが横目で睨むと、ハルアはすっとぼけた。


  一応簡単に説明しておくと、
  ハルアの下には結構年の離れた弟ひとり、妹ひとり、がいる。
  ボクがハルアと出会ったときには、まだどちらとも生まれてなかったから……えーと、10歳離れ?
  だったと思う。
  王妃さま……つまり、ハルアのお母さんが、彼がまだ小さいときにお亡くなりになられてて、
  それからずいぶんして、王さまは二度目のお妃さまを迎えたんだ。
  ボクも、王さまの二度目の結婚式の時には、
  ハルアから教えてもらった、王宮の抜け道を通って、エラい人しかお呼ばれしてない結婚式を、実はこっそり覗きに行った、んである。
  白いドレスを着た若い王妃さまはとっても、とってもきれいだった。
  ハルアのお母さんというヒトは、ボクは肖像画でしか見たことがないけど、そのヒトと同じくらいとってもきれいだった。
  緊張のあまり、
  おかしな具合にしゃちほこばったハルアが、確か王さまとお妃さまに花束を渡してたっけ。
  顔を上げた拍子に、王さま、お妃さまと、テーブルクロスの下に隠れていたボクは、ばっちり目が合っちゃったりもしたんだけど、
  ふたりとも顔を合わせてニッコリ笑っただけで、なにも叱りはしなかった。
  今考えたら、(まあ市街の子供が何か害を成す、とは考えにくいけど)
  大事な式典に、ハルアの遊び仲間とは言え、関係ない子供が紛れ込んでたら、普通はつまみ出すよね。
  それを、大目に見てくれたりした。
  その上、式典が終わって、また裏庭からこっそり家に帰ろうとしたボクを引き止めて、
  来賓のヒトたちに式場で出していた、お菓子をくれたっけ。
  基本的に、優しい人たちなのだ。


  ハルアが今年……えーと、16のボクより6つ上なワケだから……22歳?
  で、弟くんが確か  11。か、12歳。
  これがまた、ハルアとは違ったタイプの男の子なんだ。
  ハルアがキラキラした見た目はともかく、中身はどえらく崩れまくった王子さま型、に比べて、
  どちらかと言うと深窓の姫君と言うか……、見たまんま、おとなしい性格の男の子だ。
  肩に付くか付かないかぎりぎりの長さの、猫ッ毛の黒髪。
  同じ色で大きな目。
  なんて言うの?ハルアが、ほら、絵本なんかに良くある、
  真っ白ソックス、かぼちゃパンツにゴテゴテカラー、が似合うのに比べて、
 (見たことないけど似合うと思う。仮装したらボクは絶対笑い狂う)
  弟くんは床までズルダラ長い竿頭衣、みたいなのがきっと似合う。
  絵本で言うなら……そうだな。伝説の魔法使い?みたいなヤツ。
 「それ、絶対スソに、ケ躓いてスッ転ぶだろ」と言いたいほど、なんかいっぱい布を巻いている、と言ったらいいのか。
  まあ、いいんだ。
  似合う服はこの際どうでもいい。
  そのくらいタイプが違うんだよ、と言いたかったんだ。
  妹は、弟くんのさらに三つも下。
  たまーに神殿へ、ハルアを訪ねて遊びに来ているところに出くわすと、ボクも一緒に混じっておままごとしたりする。
  とっても、可愛いんだ。
  そんな弟妹を、口には出さないけど、ハルアはとっても大事にしていて、
  ……だから、勘当されたのも実はそこらへんに理由があるんじゃないのかなー、なんてボクは勘ぐったりする。
  いい歳して、イタズラ好きで、発想も発言も突拍子もないけど、
  それでもバカじゃあない。
  単純に「自分が王さまになりたくないから」なんて理由で、勘当されたとは、考えにくい。
  口には出してくれないから、(あえて突っ込んで聞くことでもないしね)よく判らないんだけども。


 「で?」
 「ぅん?」
 「ボクにプレゼント、だかなんだか言ってなかったっけ、確か」
 「ああ」
  訊ねたボクに頷いたハルアは、
 「プレゼントじゃあない」
  素敵なプレゼントだ、とか言いながら、空席の椅子に転がしてあった布袋を取り上げる。
  丁度、両手で受け取るくらいの大きさ。
 「……なに?」
 「実はだな」
  受け取ったボクは、開けてみろ、と言う視線に促されて袋の口を解きにかかると、
 「今度執り行われる夏の大祭の前夜祭に」
 「うわなんじゃこら!!」
  袋の口を広げたボクは、ハルアが言い途中だったにも拘らず、思わず歓声を上げてしまった。
 「かかかかかかか可愛い……!」
  中に入っていたのは、金糸銀糸の縫い取りのある、頭から被って前後に長い、
 「毎年、大祭の前夜祭で奉納の舞をするだろう」
  あまりの細かい刺繍の模様に、感動に打ち震えるボクを眺めて、ハルアが言う。
 「その奉納の舞を踊る巫女が、あいにく練習中に怪我してな――」
 「怪我」
  言葉に引っかかって顔を上げると、複雑骨折したんだ、と憂いを帯びた顔でハルアが応えた。
 「なんでまた」
 「舞台から落っこちたんだ」
 「うわは」
  王都に住んでいるボクも、もちろん三日間の夏の大祭は、楽しみにしてる年中行事のひとつである。
  前夜祭に、その、巫女さんが踊る舞を見に行くのも、例年のことだった。
  すごく、衣装が可愛いんだ。
  ヒラヒラーとした、短めの白い上下つなぎの服に、かがり火にギラギラ光るほどのひたたれ。
  その中を、太鼓と笛の伴奏に助けられながら、およそ四半時、高くこしらえられた舞台の上で、巫女さんは踊り狂う。
  前々から可愛いな、可愛いなとは思っていたけど、衣装をこんな間近で見られるとは思ってもいなかった。
 「あそこからオチたら痛そうだねー……」
  複雑骨折するかどうかはわからないけど、そこそこ高い舞台は、落ちたらやっぱり痛そうである。
  軽く済んでも足をヒネるくらいはするだろう。
  ちなみに、複雑骨折までしちゃうと、いくら王都カスターズグラッドに「魔法介護士」施設があるとは言え、完治は無理なんである。
  痛みを軽減させることは出来るそうなんだけど。
  結局はその人が持っている「治す力」を、魔法で高めているだけだから、だとか、ミヨちゃんは言っていた。
  あ、ミヨちゃんと言うのは、ボクん家の斜向かいに住んでる、魔法介護士のミズテイヨのことだ。
  最近は、互いに忙しくてなかなか話も出来ないけど、この子も、ボクの遊び友達。
 「で、だな」
 「うん」
  ぼんやり、ミヨちゃんに思いを馳せていたボクに、ずいとハルアが乗り出して言った。
 「急遽、別の人選が成された」
 「ふんふん」
  改めて衣装を眺める。
 「そりゃ、怪我しちゃったら別のヒトにバトンタッチするしかないよねぇ。……大祭まであと一ヶ月だし、地獄のような練習の日々になるとは思うけど」
 「そう言う流れになるよな」
 「うん。なるね」
  ボクは頷く。
 「で、その役目は必ず誰かが引き受けないといけないよな」
 「そうだね。みんなが楽しみにしているもんね」
 「そうだろう。そうだろう」
 「うん」
 「ところで、レイディ。お前、この衣装を着てみたいと思わないか?」
 「ああー……どうかなあ、似合うかなぁ。でも綺麗だよね。一度くらい、記念に着せてもらっても良いかもね」
  ……。
  …………ん?
  ……いやちょっと……まてよ?
  そんな世間話をするためだけに、ボクはわざわざ仕事を休んで、神殿に使いを出されたんだろうか。
  山と積まれたネイサム司教の始末書を、後回しにして。
 「あのうハルメリア大司祭」
 「うんなんだろう僧侶見習いレイディ」
 「ひょっとすると、ひょっとして、だけど」
 「その、ひょっとすると、の話を俺は今してるんだけどな」
 「え、えっと……それはまさか」
 「うん」
  ああ。
  自分で頬が引き攣っているのがわかる。

 「教会側と、国王側と双方共に協議した結果、代役にお前が選ばれた」

 「うぇえええええぇぇえええッ?!」
  そんなボクを知ってか知らずか――いやこれは確実に知っていて楽しんでいるんだろうな――、ハルアは堂々と宣言して見せた。
  びし、とボクに指を突きつけて。
  カエルがひっくり返った声を上げて、ボクも思わず椅子から転げ落ちていた。
 「ボボボボボボボクですか?!」
 「おおおおおおお前だ」
 「いや!吃ってるのはマネしなくていいから!って言うか!何!その、本人完全に無視しまくった人選方法って一体どういうコト!」
 「会議ってのは、主要人物だけ集まってするモンだろ」
 「この場合、代役のボクに事前通達があったりは……ああ……」
  ……ないんだろうな。
  頭を抱えてボクは唸った。
  いち市民のボクが、王宮だの教会だのの会議に入れるはずもない。
  ……いや、もしかすると、普通は入れるかもしれないけど、
 「お前の上司の、強い推薦で決まったんだぜ」
  うう。
 「どうせ、アレだろ……ハルアとネイサム司教で一言二言交わして決定しちゃったんだろ……」
  その光景が目に浮かぶようである。
  協議どころか、相談したかも怪しい。

 「巫女が怪我してよ」
 「タマゴを貸そう」

  絶対、その程度の会話しかなかったに違いないのだ。
  ボクは確信する。

 「来月……ああもう……来月まで一ヶ月しかないじゃあないか……」
 「正確に言うと20日と4日だな」
 「それであの延々長い踊りをマスターしろと」
  ボクはまた違う意味で頭を抱えた。
  無理だ。
  自分が極度の運動音痴だとは思わないけど、
  けど、反射神経、技術能力に、とびんでてる、とも思わない。
  朝から晩までカンヅメになったとして、覚えることが出来るだろうか。
 「という訳で、明日から、教会へは出勤せず直接こっちに来てくれな。ネイサム司教の許可は取ってある」
 「……」
 「前夜祭は祭りのハナだしな!頑張ろうぜレイディ!」
 「……」
 「憧れの衣装を着てみなの前で踊る、滅多にない晴れ舞台のチャンスだぜ?」
 「……」
  決定事項なのだろう。
  代役に立ててもいいか、の確認ではなく、既にボクに決定されてしまっているのだろう。
  今さらイヤだと言えない状況を作っておいて、
  呑気にアフタヌーンティーに誘うハルアも、
  のうのうと「神殿から使いが来た」なんて言い切っていたネイサム司教も、
 「……判りました……」
  がっくりとうなだれてボクは言った。
  どだい、強引な押しで勝とうとするのは無理ってものだ。
  きっと一生無理だろう。
 「じゃあ明日から一緒に頑張ろうなレイディ!」
  ニィ、と。
  小さい頃と変わらない、ガキ大将のイタズラ顔で笑って、バンバンとハルアはボクの肩を叩いたのだった。

                    *

  抵抗しても仕方ないと諦めたボクは、とりあえず手渡された(押し付けられた、とも言う)奉納の衣装を片手に、家へ戻ることにした。
  クダ巻いてても、決定事項を覆せるはずがないからだ。
  夕飯に使う野菜を、中央市場で買って帰ると、もう暗くなっていた。
  半日通りの路地裏や、噴水広場で遊んでいる子供たちも、さすがにみんなお母さんが呼びに来たのか、もう誰もいない。
  路地を入ると、あちらこちらの家からぷぅんとおいしそうな匂いが漂ってくる。
  ああ、平和だな。
  なんて、ボクが思わずしみじみ実感してしまう一瞬でもある。


 「ただいまー」
  土蜘蛛の穴倉のように、半分傾きかけていい加減今度の休みにでも直さないと、と思う玄関の扉を開けると、
 「おう」
  片手を上げて、留守番していた居候魔物がボクを振り返る。
 「おかえり」
  シラスだ。
  見慣れた定位置の暖炉前のソファの上で、胡坐をかいて本を読んでいたようだった。
 「ご飯は?」
 「食ってない」
  飽きたようにシラスが体勢を入れ替えると、ばさばさと膝の上に積まれていた本が雪崩落ちる。
  ボクには到底読めないような専門書や……、そもそも大陸のどの国の言葉でも書かれていないような本を、平気でシラスは読んでいたり、する。
 「イイ小遣い稼ぎになるんだ」
  楽しいの、と前に聞いたときに、そう答えられた気がする。
  すっごいすっごい昔の文字や、少数民族のまま絶えてしまった文字、なんかで書かれた文献と言うもの、
  探したらあるところには意外にあるらしく、それを欲しがっている酔狂なヒトたちも、結構いるらしい。
  ただ、よその国の言葉と違って、辞書、なんてものも存在しないわけだから、もはや読み取るというよりは、暗号解読に近い作業を延々と続けると聞いたことがある。
  一行訳すのに、二ヶ月で訳せれば万々歳、らしい。
  ボクには気が遠くなる。
  無駄に長生きしているおかげで、歩く百科事典並みに知識「だけ」は持っているシラスは、だからその筋の人たちには、とても重宝されてるようだった。
  つい先だって仕事で派遣された、シェトランゼ古墳の中に書いてあった言葉も、
  それこそ学術都市シアンフェスタの学者たちが聞いたら、涙をチョチョ切らせて喜びそうなほど、あっという間に解読してたりしたし。
  ただ、必要以上に――シラスの言うところの「小遣い稼ぎ」以上に――は、シラスは自分の知識をお披露目しようという意識はないらしく、
  だから、個人的にちょこちょこっとした翻訳を頼まれて請け負うことはあっても、
  張り切ってシアンフェスタに出掛けて行ったりはしない。
  しない、と言うかシラスは敢えてそれを避けている節がある。
  深い理由はボクには読み取ることが出来ないんだけど、きっと、
 「面倒くさ」くて、「目立つ」のがイヤなんだろうな、と思っている。
  なぜならシラスは人間じゃあないからだ。


 「……レイディ。なんかあったか?」
 「え?」
  ちゃっちゃと作った夕ご飯をテーブルに並べて、いただきますとフォークを取りかけたところに、
  向かい合っていたシラスが、グラス片手にボクをじっと見ていた。
  グラスの中にはワインが入っている。
  年代ものの、どろりと濃い赤いワイン。
  ボクに付き合って食卓には着くものの、基本的に食生活が人間と違うシラスは、ちょこちょことツマミ程度につつくだけで、大食いしたりはしない。
  シラスの食べ物は、「生気」だの「オーラ」だのと呼ばれる、人間がそれぞれ持っている「気」なんだそうだ。
  魔物でも霊感者でもないボクは、毎回説明されてもいまひとつ理解できないんだけどね。
 「ボク、顔に何か付いてる?」
 「目と鼻と口しか付くものは付いていないが、いつもより困った顔してるな」
  ぬう。
  人間観察に長けているシラス(まあ無駄に長生きだもんね)に、あまり隠し事はできないのだ。
 「そうかな」
 「仕事のトラブルか?」
 「うーん。トラブルっちゃあ、トラブルなのかもしれないんだけどね」
  神殿でのあの会話を、トラブルと片付けてもいいのかどうか。
  ピラクタス(今の時期に取れる、赤色で細長い野菜の名前だ)をフォークでつつきながらボクは言った。
 「どうした?」
 「……話すと長くなるんだけど。今日、神殿に行ってさ」
 「神殿か。オータイシは元気だったか?」
  ハルアの名前を、ボクがオータイシ君、だとカン違いしていたことを知ってるシラスは、ニヤニヤしながらグラスを呷る。
 「うん、元気そうだった。元気そうと言うか、相変わらずだった」
 「未だにシスターの尻追っかけてたりするからな」
  そうなんである。
  言い忘れてたけど、イタズラ好きの他に、困った性格のひとつとして、「女好き」と言うのがある。
  たいがいが遊び……というよりはほとんど冗談のようなもので、コナ掛けられるほうもニヤニヤ笑って終わり、と言うパターンが多いのだけれど、
  ボク的心のオアシスのシスターにまで、ちょっかい出すのは止めてほしい。
 「スカート捲りとかさ。幼稚なんだよ発想が」
 「育ちのいいお坊ちゃんだから、だろ」
 「悪いヤツじゃあないんだけどね」
  困ったヤツであることは確かだ。
  まあ、そんな困ったヤツであろうと、王さまに勘当されちゃったヤツであろうと、天下りであろうと、
  大司祭サマであることに変わりはないわけで、
 「実はね。ボクが、夏の大祭で」
  前夜祭の舞を踊ることになっちゃったんだ、と最後まで言うことが出来なかった。
  とんとんとん、と。
 「……ぅん?」
  音のした路地裏に繋がる出窓から、明らかに風じゃあない音がした。
 「シラス?」
 「誰かいるみてぇだな」
  ぐるり、と玄関の通りに回るのが面倒くさい裏の家のヒトが、おばんざいのおスソ分けでも持ってきたのだろうか。
  月に何度かはそんなコトもある、とくに珍しくない出来事だ。
  ので、ボクは食卓を立つと、何の気なしに、出窓へ近付いた。
  ちなみに、窓、と言ってもガラス自体はとても高価なものなので、ボクんところ(と言うよりはほとんどの家かな)では、家畜の膀胱を、なめして熨して、きれいにして張り付けてある。
  さすがに、ガラスと一緒、とまでは行かないけれど、十分に晴れた日は外の明るさを取り入れてくれるスグレモノだ。
  その、窓越しに、

 「――ひッ、」

  どちらさまですか、だなんてとてもじゃないけど口から出なかった。
  代わりにボクの口からこぼれ出たのは、思わず上げそうになった悲鳴を押し殺した、小さな呻き声だけだ。
 「レイディ――?」
  いぶかしんだシラスが、席を立つより早く、ボクは出窓に駆け寄って、勢いよく観音開きを開け放っていた。
 「ハルア!」
  今まさに、シラスと噂話していた本人が立っていたのだった。
  シャレにならない、尋常ない姿で。
 「一体、どうしたんだよッ」
  全身。擦り傷だの、打ち身だのでひどくやられているハルアが、顔をしかめながら立っている。
  駆け寄ったボクを見て、力なく、
 「よお」
  と、言った。
 「よお、じゃあないだろ!何だよコレ!一体何があったんだよ!」
  笑ったハルアに思わず怒鳴りかけたボクの耳に、ガチャガチャと鉄鎧のこすれあう音がした。
  弾かれたようにハルアが、顔を上げる。
  今までに見たこともないような、真剣な顔だった。
 「レイディ。頼む。匿ってくれ」
 「――上がって!」
  何がどうなってるのか、さっぱり判らなかったけれど、
  ハルアの口調から、何か差し迫った事態になっているんだとボクは判断し、そのまま出窓から、ハルアを引っ張り上げた。
 「早く!」
  引き上げ、ハルアが転がるように床に伏せるか伏せないかのタイミングで、カンテラを持った十数人の兵士が、路地裏へなだれ込んでくる。
  どの顔も、、尋常じゃあないほど殺気立っている。
 「こ、こんばんは」
  出窓を閉めるところまでは間に合わなかったボクは、だから仕方なく、内心引き攣りまくりながら、間抜けな挨拶をした。
  他に、なんと言ったらいいか判らなかったし。
 「レイディちゃん」
 「おじさん……、」
  ハルアと遊ぶために、日課のように王城へ出掛けていたボクだ。
  殺気立つ兵士のほとんどの顔を、覚えている。
  向こうもそれは同じわけで。
  見慣れた顔の一人が、ボクを見つけて声をかけてくる。
  殺気が、和らいだ。
 「ハルメリア大司祭が――こっちへ逃げてはこなかったかい」
 「だ、大司祭がですか?」
  内心の動揺が顔に出てないことを祈りながら、ボクは答えた。
 「大司祭が、どうかしたんですか?」
 「国家反逆罪で、追っ手がかかっている。国王陛下暗殺を企んだらしい」
 「ハルアが……王さまを、ころ、す……?」
  殺す?
  一瞬、馴染みのおじさんの言葉が、本気でボクには理解できなかった。
  何を言っているんだろう。
  からかわれているんだろうか。
 「殺す……」
 「ああ。王城は上を下への大騒ぎだ。市井にはまだ広まっていないがね」
 「――お、お、王さまは?王さまは大丈夫なんですかッ?」
  ボクは足元に伏せているハルアも忘れて、目の前のおじさんに噛み付くように質問していた。
  本来なら、極秘事項なのだろうけど、顔馴染みであることについつい、おじさんの口も滑ったのだろう。
 「陛下は――重篤だ。まだ判らない」
 「重、篤……」
  バカみたいに繰り返して、ボクはくらくらとした。
  どうして。
  一体、何があって王さまが、あんな底抜けに優しくておおらかな王さまが、暗殺なんて物騒な話に巻き込まれなきゃならないんだろう。
  そりゃ、戦国時代なら納得もする。
  でも、今、太平だよ?この1000年、戦と言う戦なんて起こってないんだよ?
  権力争いだの、世継ぎ争いなんかにもまーるで縁がなくて、
  のほほんとした王さまだったのだ。
  父さんも母さんもいないボクにとって、ハルアのところに遊びに行くたびに、声を掛けてくれる王さまは、
  恐れ多いのかもしれないけど、なんだかボクの父さんみたいな気もしていたのだ。
  大きくて、あったかくて。
 「王さま……王さま、どうしよ……どうしよう」
  どうしようと言ったところで、どうにもなるもんじゃないのは百も承知のはずなのに、
  オロオロしているうちに、なんだか目の前がぼやけてきた。
 「レイディ」
  いつの間にか側に寄ってきていたシラスが、ボクの肩に手を掛ける。
 「あいにく、大司祭の姿は見かけていない。見かけたら直ぐに通報しよう」
  涙ぐむボクの代わりに、警備兵のおじさんたちに向かって、シラスが言う。
  泣き出したボクを見て、困った顔になっていた兵士たちは、シラスの言葉にほっとした顔つきになり、
 「――ああ、判った。では、このことはどうぞ内密に」
 「了解した」
  あちらを探すぞ、の言葉とともにまた、ガチャガチャと去ってゆく。
 「……レイディ」
  放心して見送るボクの足元で、息を潜めていたハルアが長々と息を吐く。
 「大丈夫か?」
  シラスがボクの顔を覗き込んでくるけど、ボクはもうなんだか判らないほどに混乱していた。
 「だ、だ、大丈夫じゃないよ!……て言うか何?なんなの?暗殺って何?」
 「……判らないんだ」
  出窓を元に閉め、ブラインドを下ろしたその下で、
  ようやく身体を起こしたハルアが、顔を歪めて頭を抱える。
  長くて柔らかい金髪が、くしゃくしゃになって、ボクはこんなときだと言うのにもったいない、だとか考えてしまった。
 「ハルア」
 「……俺じゃあない」
  傍らにしゃがみこむと、まるで棄てられた仔猫みたいな顔をして、ハルアが不意にボクを見た。
  ひどく、苦しそうな顔で。


 「俺じゃあない。俺はやってない。……だのに。だのに、やったのは俺なんだ……!」


  一体どうなっちゃっているのか――とか、
  とにかく言っている意味が判らないから説明してよ――とか、
  言いたいことは、ハチきれそうなほどたくさんあったけど、ひとまず、ハルアをお風呂に押し込むことで、ボクは自分の気持ちを整理しなおした。
  家に上げたハルアは、あんまりにも、メタメタな格好をしていたからだ。
  追われているときに(ハルアの「俺はやっていない」発言が本当なら、「追われている」って表現もなんだかおかしい、けど)、あちこち引っ掛けたのか、お高そうな生地でできた服はカギザギがたくさんで、見られたものじゃないし、藪の中でも這ったような、引っかき傷がたくさんあるし。
  消毒するにも、とえいあえずきれいにしなくちゃ消毒できないしね。
  本当は、シラスの「やっつけ便利魔法(:ボク命名)」で、ボクの傷を治してくれたときみたいに、ささっと治してくれるのが一番なんだろうけど、どう頼んだって、シラスがハルアのキズを治してくれるとは考えにくい。
  いや別に、ハルア限定――ってワケじゃあないな、この場合。
  好き好んで「他人」で、しかも「男」のキズを、シラスが無条件で治してくれるとはボクには到底思えなかったし、なんだかんだ条件出されちゃうとまーた
 「喰う」の「喰わない」の話になるから、ボクとしちゃあ出来れば避けたかったし。
  いざ本当に命に関わるキズだったら、多分……、きっと……、おそらく……、シラスが治してくれ……
  ……ないかもしれないなぁ。
  ヘソ曲がりなヤツなんである。
  ううむ。
  憧れの魔法介護士である、斜向かいのミヨちゃん呼ぼうか、とも一瞬思ったけど、夜も遅いし、小さい頃の遊び仲間で顔見知りとは言え、ハルアのこの姿を、あんまり一目に見せないほうがいいんじゃないか――とも思って、ボクはミヨちゃんを呼ぶのはやめた。
  まあ、ボクの目から見ても、ハルアの身体はそうひどい状態ではなかったから、ボクなりの手当てでもきっと、いけるだろう。
  ハルアが転がり込んだ、窓下辺りの泥と血で汚れた床を雑巾でふき取りながら、どうしたもんかと溜息をついたところに、ハルアが悄然と浴室から出てくる。
  腰にタオル一枚な姿は、普通のお年頃の女の子なら
 「きゃあ!」とか
 「はれんち!」って騒ぐのかもしれないけど、
  あいにくシラスで見慣れているボクは、何の感慨もない。
  強いて言えば、「寒くはないかな。風邪ひかないかな」程度のものだ。


 「お茶……飲む?」
 「飲む」
  顔色を伺いながらボクが訊ねると、心配していたよりもしっかりした声で、ハルアが答えた。
  席に陣取って、黙ってワイングラスを傾けてる呑んべぇの分も、ついでに淹れてやる。
 「どうぞ」
 「ああ……、ありがとう」
  濡れてひとつにまとめた髪から、ぱたぱたと滴が滴って、受け取ったハルアが少しだけ笑う。
 「濡らしちまうな」
 「気にしないでいいよ。後で拭くから。……で。それよりもどうしたの」
  なるべく落ち着いた声で聞くと、笑いを収めたハルアが首を静かに振った。
 「風呂に入りながらいろいろ考えてみたんだが。やっぱり判らないんだ」
 「……『王さまが、暗殺されかけた』。そうオジさんたちは言っていたよね」
 「ああ。それは間違っていない」
 「……『ハルメリア大司祭がやった』、って」
  警備兵のオジさんの言葉を反芻して、ボクは言う。
  ハルアがやったの、だなんてとてもじゃないけど聞けなかった。
  聞いたハルアが顔をしかめて否定する。
 「馬鹿な。俺が親父を手にかける?どうして」
 「さっき、お風呂はいる前に言った言葉。どういう意味なの」
  俺じゃないのに俺がやったんだ、だとか何とか。
  そう、ハルアは言っていた気がする
 「つまりだな――……」


  そうして、ハルアはハルアなりの解釈を交えた、一部始終を語ってくれた。
  聞いたボクなりにまとめると、こういうことになる。


  ボクが神殿から帰ってしばらくして、一月後に迫った夏の大祭に向けての打ち合わせで、ハルアは王城の式典係の面々と会う約束をしていたんだそうだ。
  場所は、王城の一室。
  表向きは勘当されたとは言え、まだまだ幼い次期国王継承者の弟くんよりも、
  ちゃらんぽらんながら、神殿で大司祭として勤めを果たしているハルアに向ける王城の期待は、それなりに大きいものがある……みたいだ。
  で。
  打ち合わせも滞りなく終わり、王城へ出向いたついでに、勘当宣言を告げちゃった王さまはともかく、義母の王妃さまや、弟、妹にちょこっと顔を見せてから、神殿へ帰ろうと、ハルアはそう思ったらしい。
  案内がなくたって、勝手知ったる元我が家。
  先に弟妹のところへ顔を出して、その後に向かった王妃さまの私室に向かう廊下。
  なんだか判らないけど、イヤな気配がしたそうだ。
 「はっきり何なのか、俺にはわからない」
  ハルアはボクにそう言った。
  でもほら、たまにうす暗がりを歩いていると感じる、「あ、なんか今イヤな感じ。早く帰ろう」みたいな、そう言うもんだとボクは納得することにした。
  霊感だとか霊媒?の能力はあいにくボクには皆無なので(……と言うよりゾンビとホネで手一杯ですこれ以上出てくるのは勘弁してください)、それでも判る気配、と言うものはある。
  ゴソゴソと、音がした。
  すっかり日も落ちて、廊下のところどころに燈されたランプ以外は光源のないそこに、ハルアはワケの判らない黒い塊を見たそうだ。
  最初、影かと思ったらしい。
  ランプに照らされた、自分の影なんじゃないかと。
  だけど、それにしてはやたらはっきりとその黒い塊は動くし、
  そもそもランプを背にした自分の影が、足元にしっかりとあることに気付いたハルアは、思わず黒い塊に近付いたらしい。
  影じゃないとすれば、次に考えられるのは人間――と言うことになる。
  それも、二種類の。
  ひとつは、何かの用事、もしくは不意に気分が悪くなって、城の誰かが柱の影にしゃがみこんだ場合。
  ふたつめは、城に住んでいる以外の誰かが、不埒なことを考えて城に侵入していた場合。
  いくら1000年戦乱のない、太平の世の中とは言え、王太子と言う、危うい地位の上で過ごした経験のあるハルアは、さすがに世の中の人間全部が善人ってワケじゃないことを知っていたから。
  ひとつめならともかく、二つ目の理由だった場合、王妃狙いというコトも考えられる。
  人をあやめることで、何かが変わると期待する人間もいるんだ、とどこか達観した口調でハルアはボクに言った。
  そうして、
  廊下に飾られていたレプリカの剣を手に取りながら、その影に近付く。
  研がれて刃は付いていないとは言え、オドシぐらいにはなるだろう、そう思ったそうだ。
 「誰か」。
  言ってずいと近付いたハルアは、そのままぎょっとする。
  目の前に立ち上がった黒い塊は、別に柱の影にいたから黒く見えていたわけではなく、そのまま真っ黒な人型――だった。
  凹凸のないのっぺりとした顔。
  同じように、やわらかいのやら固いのやらさっぱり質感のつかめない、四肢。
 「お……前、は」
  なんだ。
  思わず後ずさったハルアの前で、ゆらゆらとその黒い塊は形を変える。
  ぼんやりと人の形を成していたモノから、
  徐々に指が生えそろい、
  細やかな髪が生え、
  やがて目鼻立ちがはっきりと整う。
 「鏡を見ているようだった」
  そのときの様子をハルアは言う。
  黒い塊だったモノは、いつのまにかハルアと瓜二つ、どこを比べてもそっくりな形になって、ハルアの前に立っていた。
  ひとつだけ違うのは、驚いて引き攣ったハルアとは対照的に、その元黒い塊のハルアにそっくりさんは、ニヤニヤと笑っていたというコトだ。
 「ジ・キ・コクオ・ウ」
  そいつは不意に口を利く。
 「ジキ・コクオウ・ハ・俺ノ・モノダ」
 「お……前は……なんだ?」
 「俺ハ・オウ・タイ・シ・ハルメリ・ア」
 「お前は――なんだ?」
  人間にしろ、人間でない別の生き物にしろ、穏やかな分類ではないと判断したハルアは、剣を低く構え、戦う姿勢を示しかけたところで、
 「殺ス」
 「え?」
  そいつの発した言葉に動揺する。
 「殺ス・コロス・コロス!」
  そうして、げたげたと笑いながら、そいつは急に方向転換して駆け出し始める。
  王妃の部屋へ向かうのではないかと、先読んだハルアは、まるで真逆の方向へ向かったそいつへの対応に一瞬だけ、遅れた。
 「待……てッ」
  力任せに投げつけた剣も、そいつを逸れて壁へと突き刺さり、不快な高笑いを発しながら、ハルアの形をしたそいつは真っ直ぐに、国王の執務室に飛び込んだ。
  途端に上がる、苦痛の声。
  いくつか上がるその中に、聞き覚えのある父親の声を聞きとり、心臓をわしづかみにされる恐怖を覚えて、ハルアは死に物狂いで執務室へ駆け込む、

  そして。

 「警護していた数人や侍従は即死――だった。親父も血だらけで机の上に伏していて……、俺の顔をした”アイツ”だけが、気味の悪い薄ら笑いを浮かべながら、どろどろと溶けていく……いや、黒い塊に戻る、とでも言うのか?よく判らないが、消えていく最中だった」
 「……」
 「声を聞きつけた辺りの人間が、次々に執務室へ駆け込んで、倒れた侍従たちと親父と――俺を、見た」
 「……」
 「累々と横たわる王城の人間と、唯一無傷で部屋に立っている、王城を追放された俺と」
 「……」
  言ってハルアは再び頭を抱える。
 「辺りはえらい騒ぎになり――言い訳は一切効かなかった。悲鳴と怒号。部屋から逃れようとするものと、部屋に入って俺を捕まえようとするものと」
  俺は、無我夢中で逃げ出したんだ。
  抱えた中からハルアは言った。
 「あのさ。抵抗しないで、その場に残って。たとえその時は捕まっちゃったとしても、きっと落ち着いたら、ハルアの話を聞いてくれる人の一人や二人、いるわけでしょ?」
  いくら破天荒な王子だからって、ハルアの深層を理解してる人間は、きっと城にもいる。
  ボクの疑問に、
 「ああ」
  ハルアが短く頷いた。
 「逃げたらますます、コトが大きくなるじゃないか。……誤解を解こうとは……思わなかったの?」
  今さら、
  違います。
  と言ったところで聞いてくれるとはボクにも思えない。
 「真相を知っているのは俺一人で。城のものが犯人だと判断した俺を、捕まえちまったら、きっと安心して警護を緩めるだろう?」
 「それは、そう……かもしれないけど」
  言われてそれもそうだと、ボクは頷く。
 「次に狙われるのは、義母上か、弟妹か。……いずれにせよ”アイツ”の目的が何なのか判らない限り、無駄に家族を危険にさらす手はない。俺が逃げ回っている限り、警護の手は緩まないだろう?」
 「まったく」
  本当に家族思いのイイヤツめ。
  ついつい、テーブル越しに俯いた頭をわしゃわしゃとかき混ぜたくなり、だけど、タオル一枚の男にそれもどうかと、さすがにボクは思いとどまる。
  自分の立場がどうなるのはさておき、追い詰められた状況で、考え得る最有効な手段を必死に考えて、ひとり、逃げたに違いないのだ。
  もし、捕まってしまったら、二度と言い訳が聞かないのも承知の上で。

 「”――”だな」
 「え?」

  思わず、その存在を忘れかけてしまうほどおとなしくグラスを呷っていたシラスが、不意にぼそ、と何か言った。
 「なに?」
  ボクの耳に、シラスの発音は聞き取れない。
 「ああ……そうだな。『こっちの』発音で言うと、”アドグ”と言ったトコロか」
  聞き返すと、面倒くさそうに宙を睨んだシラスは、しばらく考えてそう言った。
 「……あど、ぐ」
 「それが……あの塊の名なのか?」
  繰り返したボクの声に被せて、ハルアが身を乗り出して訊ねる。
 「まあ、そう言ったところだ」
  付き合いの長いハルアは、もちろんボクのうちに何度も遊びに来ているわけで、それとなく、シラスが「人間じゃない」ことも、知っている。
 「人間では、ないんだろう?」
 「魔物だな」
 「……魔物、か」
  ふうむ、と深刻そうな顔でハルアが繰り返す。
 「知能はそう高くない。喧騒を嫌う種類だから、本来なら深山幽谷あたりにチラホラといる程度で……、たまーに、サーカスの見世物代わりに飼われていたりもするが、まあ、かなり珍しい部類だろうな」
  さすが歩く百科事典。
  感心しかけたボクの耳に、
 「王城へ侵入したというのは……どう受け取ればいい」
  相変わらず真剣なハルアの声が飛び込む。
 「えらく大人しいタイプの魔物ではあるから、自分の意思で国王暗殺を企てたとは考えにくいな。……つうより、魔物の思考で暗殺を思いつくとは思えねぇ。誰かが仕組んだと、考えるのが一番妥当なんじゃねぇか」
 「……魔物の思考、と言うのは」
 「魔物は、人間サマの都合では生きていないってコトさ」
 「個人主義、てコト?」
 「そうだ」
  ボクが口を挟むと、シラスは頷いてよこした。
 「基本、人間が何をしようと、俺らには一切関係がない。関係がないというより――興味がないんだな。ウザけりゃその場から離れるし、気にならなけりゃそのまま居座るし。まあ、その程度のことだ」
  その姿勢は、なんとなく、普段シラスから感じることではある。
 「大陸の地図の形が変わろうが、治めている国王の名前が変わろうが、対象外。そう言ったものを気にするのは――人間同士だけ、だろ」
 「……裏で糸を引いているヤツがいるってことか……」
  突き放したような言い方に、ハルアの顔に苦渋の色が浮かぶ。
  勘当されようと、天下り的に神殿にすっ飛ばされようと、根っからの「第一王子」なんだなぁと、ボクは思わず感心した。
 「姿が変わるのはどういうわけだ」
 「アドグはな。擬態が得意なんだ」
 「ぎたい?」
  またまた口を挟んだボクに、シラスが視線をずらす。
 「前に。バブーンのときにチョコっと説明したろ?」
 「あー……えーと。血の色が変わるとか、そう言う話だっけ」
  話を振られて、ボクは眉間にシワを寄せて考え込んだ。
  記憶があやふやで、実はあまり覚えていない。
  と言うよりもあのときは、シラスがいっぱい血を出してびっくりしたのと、消えてなくなったらどうしよう、と思ったのと、そっちの方に意識が行って、説明はいまひとつ、判っていなかった……ような気がする。
 「はい、レイディ君復習」
 「……えーと。一口に魔物と言っても、魔物と魔獣は違くって。えーと。魔獣なんかは、あんまり野生の動物と変わらない」
 「そうそう」
 「で。えーと。一般に”魔物”と呼ばれるほうの、獣よりもうちょっと賢い中にもランクがあって、そのランクが上のほうに行くにつれて、確か姿かたちが自在に変えられる……とか。そう言う話だった……かな」
 「よくできました」
  よしよしと伸ばした手のひらで、シラスはボクの頭を撫ぜた。
 「ば、馬鹿にするなってば」
  慌てて払いのけてボクは否定してやる。
 「木を隠すには森の中。アドグが隠れるにはその土地に適した――大体は、動物なんかが多いんだが――人間が多いなら、人間にだって化けるだろうさ」
 「何が、目的なんだ」
 「そればっかりは、裏の黒幕フン捕まえねぇと判らねぇんじゃあないか?」
  そうだな。
  頷いて再びハルアが考え込む。
 「心当たりは――あるのか?」
 「あるにはあるんだが……いまひとつ、確証がない」
 「そうか」
  そう言って軽く頷いたシラスは、急に顔を上げると、
 「まあ、今晩はここに泊まって、明日からの宿を探すといい」
  えらく突き放した口調で、言った。


 「な……なんてこと言うんだよッ?」
  驚いたボクが、当然抗議の声を上げると、
 「大司祭サマにも判っているだろうさ」
  ボクを見下ろしたシラスの視線は、いつになく冷たい。
 「俺は今回、深入りするつもりはない。レイディ――キミもだ」
 「シラスッ」
 「言っておくけどな。キミ、ちょっとは冷静に考えたほうがいい。――国王の安否は不明。下手人と思われている大司祭は街に逃げ込んで行方不明。王都カスターッズグラッドは、いつになく警護の目が厳しくなるだろう」
 「そ、そんなの」
 「『判っている』とでも言いたいのか?キミ、大司祭を匿ったことがバレたら、一体どうなるか考えてるか?」
  畳み掛けるシラスの言葉に、ボクはかっと頭に血が上る。
 「なんだよ!そんな打算で生きてるわけじゃあないだろ?!ハルアはボクの、大事な友達なんだよ!」
 「大事な友達の一大事に、キミが一生懸命になっている姿は可愛いと思うが、それとこれとは話が別だ」
 「それもこれも、ボクにとっては一緒の話だ!」
 「レイディ」
  あのな。
  カタン、とシラスは椅子から立ち上がり、
 「一生、牢暮らしがしたいか?」
 「な――」
  淡々とした物言いに、ボクは思わず絶句する。
 「腐りかけたコッペパンと、ウジの湧いたスープを啜って、生き延びるか?」
 「――」
 「キミの好きなお日様も二度と拝めないような、暗く冷えた地下牢で、痩せ衰え。慢性的な飢えと寒さで流行り病にでもかかって、コロっといきたいのか?」
  言っていることは、まるで突き放し口調なのに、シラスの瞳は真剣だった。
 「バレたらどうなるか考えてみたか?大勢に囲まれ、剣だの槍だのを突きつけられて、城に行くまで街中を引き回されて。キミのなりたい魔法介護士の夢も、僧侶のタマゴの仕事も、ぜーんぶパア、だ」
 「――」
 「キミが大司祭に手を貸すというコトは、それだけのリスクを負うというコトだ。言い出したら聞かないキミのことだから、キミはそれでもイイ、とかなんとか言うのかもしれないけどな。俺は」
  俺はキミがそんな目に遭うのはごめんだ。
  あまりに静かにシラスが言うので、ボクは一瞬どう反論したらいいのか判らなくなって、
 「でも――だって――だって――」
  ああ。
  シラスの言っていることに間違いはないんだろう。
  シラスがボクのことを考えて、そう言ってくれているのも判る。
  だけど。
  言い返せない悔しさで、なんだか涙が滲む。


 「……シラスの言うことが正しいと、俺も思う」
  しばらくして。
  気まずい沈黙の中、黙りこくっていたハルアが、ぽつ、と口を開いた。
 「ハル……ア」
 「後先考えずに、何故か手を借りれるような気がして、この家に飛び込んじまったが。さっき、風呂に入りながら考え直したんだ。見返りもなしに、手を貸してくれ――だなんて、都合が良すぎるよなあ」
 「そ……」
  そんなことない、と喚きたかった。
  だって、友達でしょう。
  お金だのお菓子だの。そんなのなくても、一緒にいるだけで幸せ、それが友達でしょう?
  だけど。
  シラスの言葉に舌が麻痺したようで、上手くしゃべれない。
  違う。
  シラスが、ボクのことを心配してくれているのが判ってしまったから、無下に否定が出来なくなってしまったんだ。
  ちがう、ちがう、と小さく呟いてボクは俯く。
  涙がこぼれそうだった。

 「――シラス。だから、頼みがある。見返りがあるなら、手を貸してくれるか」

  ニィ、と口端を吊り上げてハルアが笑った。
 「ふん」
  ほんの少し、興味を惹かれたようにシラスがハルアに顔を向ける。
  ハルアと似た笑みを、シラスも浮かべていた。
 「面白い条件提示だな。そう来るとは思わなかった」
  どんな見返りを思いついたんだ?
  立ち上がった椅子にもう一度腰掛けながら、シラスが訊ねる。
 「金も力も名声も、俺ァ欲しくはねぇぞ、『王子サマ』」
 「……今度の大祭の前夜祭のコトは、レイディから聞いたか?」
 「前夜祭?」
  怪訝な顔でシラスがボクへ振り向くのを、
 「説明しようとしたら、ハルアが来ちゃったんだよ」
  場の流れが飲み込めないボクは、とりあえず脱力しながら応えた。
  無理だ。
  シラスが、ボク以外の命令を聞くとは思えないし、
  さっきの言い分を聞いてしまったら、ボクには無理矢理、力尽くでシラスに命令を聞かせるなんてできっこない。
 「実はだな。いろいろあって、前夜祭の舞代役に、レイディが抜擢されたんだ」
 「ふむ」
 「夏の大祭まで、もうあとひと月を切っている。……このままじゃ、前夜祭どころか、大祭自体もツブれちまうだろうな」
  困ったなあ。
  まるで困った様子のないハルアに、黙り込んでいたシラスが、
 「舞と言うのはあの――奉納の舞、か?」
 「そう。衣装も貸し出し済みだ」
  低い声で訊ねると、得たりと言うようにハルアが頷いた。
 「……衣装か」
 「そう、あの衣装だ」
 「……」
 「……」
  な……なんのことだろう。
 「衣装」って、あの袋に入ってた可愛いヤツのことだよね?
  何を言い合っているのか、ボクにはさっぱり判らない。
  そもそも、「ボクが踊るから」程度の理由で、シラスがハルアに手を貸しそうに思えない。
 「見たくはないか?」
 「……否定はしないな」
  ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ。
  だのに不意に二人、顔を合わせて、なにやら企んだ顔でうんうんと頷きあい――含み笑いをしている。
  気味が悪い。
 「あ、あの……シラス?ハルア?」
  さすがに声をかけないとダメなような気がして、おずおずとボクが二人へ向かってそう言うと、
 「――せっかくの、レイディの晴れ舞台をツブす手はない。そうだよな?」
  ざっと音がしそうな勢いで、シラスが立ち上がる。
 「そうだ!それには下手人を捕まえて、事件を解決しないとな!」
  握りこぶしを作って、あからさまに力説したハルアも続いて立ち上がった。
  ……。
  絶対、
  絶対怪しい。
  ジト目で眺めるボクを尻目に、突然に意気投合した二人は、
  肩を組みながらなにやら、今後の相談を始めた。
 「……」
  なに、この疎外感。
  熱くなって一人で泣いたのがまるで……まるで馬鹿みたいじゃないか。
  ちょっとでも、シラスがいいヤツだ――だなんて見直して、損をした。
  すごく悔しかったので、とりあえず、
 「馬鹿ッ」
  手近にあった台布巾を、シラスの後頭部へ向けて投げつけて、ボクは一人で、すっかり冷えた夕ご飯の続きを再開したのだった。


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最終更新:2011年10月15日 18:32