<<ボクの下僕になりなさい。>>

   ああ、夏休み

       *

 「暑いです」
 「暑いですねー」
 「暑いです」
 「暑いですねー」
 「……」

  テーブルの上にぐんにゃり、だらしなく伸びきって生気の抜けた目をしながら、一体朝から何回目の問答になるのか、そいつはブツブツと呟いていた。
  ボクの名前はレイディと言う。
  王都カスターズグラッドで、憧れの魔法介護士になるべく試験を受け続け目下10連敗中の……花も恥じらう16歳。
  いや、自分で花も恥じらうなんていっちゃあ、ダメだな。
  好きなことは掃除と美味しいケーキ屋さんを探すこと。
  嫌いなのは、ゾンビや骨お化け。
  俗に言う、「不死生物(アンデッド)」てヤツだ。
  そう、この大陸には実にさまざまな種類の生き物たちが生息している。
  ボクにはあまり想像ができないんだけど、例えば童話のなかには魔法や魔物の一切いない、人間オンリーの世界なんかがあって、
  一体どういう気分なんだろうと不思議になったりすることがある。
  目の前の、テーブルに突っ伏している居候君も、そのさまざまな種類のうちのひとつだ。
  魔物、という分類になる。
  少なくとも人間じゃあない。
  シラスという。
  ファミリーネームとかセカンドネームが何なのか、そもそも人間のようにファミリーネームなんてものが存在するのか、そう言えば聞いたことがないのでボクは知らない。
  そんなシラスに、状況柄、育てられることになって育てられちゃったボクにも、やっぱりファミリーネームはない。
  レイディ、それだけなんである。

 「暑いです」
 「いい加減にしてよシラス。暑い暑いと言ったところで、涼しくなるわけじゃあないんだからさ」
 「だってよキミが地下室を追んだしたから……」
 「虫が湧いてたんだ」
 「あんなん湧いていたうちに入らねぇだろう」
 「1匹でも虫は虫です」

  そう。
  この暑い盛りの時期、というか普段から、
  大体シラスは地下室に日がな一日こもっている。
  魔物と言うのは基本的に太陽が苦手なんだという。
  苦手、ってだけで、別に苦しいとか痛いとかはないみたいなんだけど、それでも愉快な気分ではないようで、
  だからシラスは用事のない限りは、大体家の中に引きこもっていることが多い。
  せいぜい、地下室から出てきて、今のソファの上で昼寝をしている程度のものだ。
  普通は地下室なんていったら、酒樽とか、保存食品なんかを保存しておくのに使っていることが多い――というか、ご近所さんはきっと、みんなそう言う使い方をしているんだろうと思うけど、
  我が家は特殊な種族がいるので、地下室はシラスの私室となっている。
  私室といったって、せいぜいがところ壁の端から端まで大また5歩の正方形みたいなモンなんだけど、
  そこにボクには読めない言語の書類だの辞書だのを山と積んで、ランプひとつで陰気に読書しているのが好きなんだ、シラスは。
  たまたま、喉でも渇いたかなとお茶の差し入れをしたついでに、小さなワジカムを見つけちゃったのが、騒動の始まりだった。
  ワジカムというのは、朱と言うより赤?の背がつやつやとした平べったいムシで、どんな隙間でもするりと入ってしまう。
  大きさは大体親指と人差し指で丸を作ったほど。
  おそるべきはこのムシの繁殖力の高さで、
 「一匹見つけたら百匹はいると思ってください」
  といわれるほど、どエラい速度で増殖して行ってしまうのだ。
  別に毒をもっている、だとか、
  人を刺したり噛んだりする、だとか、
  服や本をかじってしまう、だとか、
  そう言うことはしないんだけど、でも生理的にイヤなものはイヤだ。
  ああ、思い出しただけで鳥肌が立ってきた。
  まあ、そんなこんなで、シラスの地下室にワジカムがいたもんだから、ボクは俄然張り切って、嫌がるシラスを追い出し、
  燻りだすために虫除けの香木に火をつけ、もうもうとする香木を地下室にブッこんで、

 「暑いです」

  半日になる。
  そのあいだ、いぶされるのが嫌なシラスは不承不承部屋から出ては来たものの、いつも所定のソファに寝転がる気にもなれないのか、テーブルに伏せたままぐんにゃりとしていた。
  もともと体温が高めのヤツなんで、暑いのがどうも苦手みたいなんだ。
  見てるとたまに、太陽より暑い方がイヤなんじゃないか、と思ったりする。

 「暑い」
 「死んだ魚の目をしてる」

  そりゃ確かに、汗びっしょり、シャワーを日に三回は浴びたくなるほどこのところ暑いけれど、
  基本的にボクは汗をかくのが嫌いじゃなかったし、
  汗をたっぷりかいたあとに食べるマネル(紫色の水気たっぷりの夏の果物)のおいしさは格別だし。
  涼しいところで食べるマネルなんて、美味しくもなんともないもんね。
  ボクは、父さんの顔も母さんの顔も知らないから、一体いつ生まれたのか判らないけど、この暑さ好きはもしかしたら夏生まれ……なのかなあ、だなんて思ってる。

 「暑……」
 「ねえ、どうせどこにいたって暑いんだし、涼みに行こうか?」
 「ぅん?」

  げんなりした顔のシラスが、そこでようやく顔を上げる。
  管を巻くだけ、というのも疲れたらしい。

 「涼み?」
 「どっか近場の森か湖のほとりでも行ってさ。お弁当持っていこうか。うん、そうだそうしよう」
 「いいよ俺は。面倒く――」
 「じゃシラス敷物と飲み物用意してね。ボク、パン買ってくるから」

  有無を言わさず、二の句を告げさせず、ボクは強引にそう決めると、え、だとかおい、だとかブツくされているシラスを尻目に、さっさと財布を手に家を出たのだった。
  文句をタレながらも、絶対その通りにしてくれちゃうヤツなんである。

       *

 「気持ちいいいいねええ!!」
 「あーー生き返る」

  くるぶしどころか誰もいないのをいいことに、太腿までスカートを捲り上げちゃって、ボクは嬉々として滝壺に入っていた。
  王都カスターズグラッドから歩いて30分。
  本当に近いところなんだけど、東の森の崖近くに細い滝があるのを思い出して、ボクはそこを提案した。
  細い、といったって、そりゃ大音響を響かせながら壮大に流れる滝、てほどじゃないけど、ボクが腕をいっぱいに伸ばしたくらいには、絶えずドバドバと轟き落ちる、それなりに見ごたえのある滝なんである。
  それがもう、めっちゃくちゃ涼しいんだ。
  ただ水が上から下へ落ちているだけなのに、もう当たり一体空気がひんやりとしていて、深呼吸を連発したくなる。
  ここまで歩いてくる間にも、汗でぐだぐだになった身体が、顔を洗うとその水の冷たさに、しゃきっとする気がした。
  歓声を上げてボクは早速滝壺へ突撃し、頭から飛沫まみれになる。

 「どうだよ来て良かっただ――」

  だろう?と、最後までボクは声を発する前に振り返り、
  声を呑んだ。

  荷物を置いた敷物の横の、草っぱらに寝そべって、シラスがいつのまにか寝ていたからである。
  もう本当に、呆れるほど即効眠りに落ちていた。
 「もう。風情ないなあ」
  言いながらボクは指折り月齢を数えてみる。
  そういや……もう直ぐ新月が近いんだっけか。
  魔物と月の関係って、ボクにはよく判らないけど結構密接した関係にあるようだ。
  満月に近いときほど、元気らしい。
  シラスももちろん例外ではなくて、満月の晩なんかやたら張り切って意味も無いのに散歩に行ったり、
  逆に新月に近くなると、地下室への引きこもりがいっそう増したりする。
  暑いだの月だの太陽だの、
  そう考えてみると、ボクらの過ごすこの世界は、ずいぶんと彼には居づらい世界なんじゃないか。
  とか思ったりもする。
  それでもきっと一緒にいてくれるのは、

  惰性なのか、
  極上のエサだからなのか、
  それとも他に理由があるのか、ボクは知らない。

  聞いてみようとしたこともあったけれど、なんだか面と向かってそんなコトを聞くのは、恥ずかしい気もしたし、なんだかおかしな展開になったら怖い気もしたから、
  聞いたコトがない。
  卑怯かなと思う部分と、有耶無耶に終わらせてしまいたい部分がごっちゃな感じだ。
 「まったく」
  すっかり気持ち良く冷たくなった身体を水から上げて、ボクは寝ているシラスへと近付いた。
  何気なく頬に触れると、はっとするほどひんやりとしていて、
  ボクは思わず縁起でもなく、シラスの胸が上下するのを確かめてしまった。
  うん。ただ寝ているだけだ。
  穏やかな寝息を立てて、シラスは眠っている。
  こうやって間近で眺めると意外にまつげが長かったりして、うわ、なんか妙な発見。
 「追い出しちゃってごめんね」
  なんて、絶対ヤツが起きているときに言えないけど、寝ている今なら謝れる。
 「でもワジカムはイヤだったんだよ」
  ボクも同じように寝そべって、頬杖をつき、寝こけるシラスをまじまじと眺めた。
  そう言えば魔物って、年を取るんだろうか。
  2000といくつとか、年齢を聞いたこともあるけど、それだけの時を過ごす感覚ってどんなものなんだろう。
  ボクの小さいころの記憶にあるシラスと、今見ているシラスと、そう大した変わりはなくて、まあ魔力の塊……ぎゅぎゅっと押し固めた結晶?なんだから、年を取るなんてないんだろうか。
  もし、年を取らない――取れない――んだとしたら、
  周りの景色だけがめまぐるしく移り変わっていく感覚、たったひとり自分だけが取り残されていく感覚、考えただけでなんだか絶望的にさみしい気もする。
  なんとなく、血の契約のしるしのある左手の甲を撫でて、ボクはシラスに寄り添って、少しの間だけ、昼寝してしまうことにする。

  うん。起きたらご飯を食べよう。
  シラスが気が進まないって顔をしても、相伴させて、それから家に帰ろう。

  ボクはまだ、『魔物』と言うものをよく知らなくて――、
  寝ている魔物も、その生態を口にしない。
  滝壺の水はどうどうと音を立てて砕け落ちているし、
  それを子守唄代わりに、ボクもそのうち眠ってしまったのだった。


僧侶と魔物にモドル
最終更新:2011年07月28日 07:40