<<秋唄>>
いつになく真面目な顔をして空を眺めていたと思えば、次の瞬間にやにやと頬を緩めて口を開いている。
何か頭上に気になる一点でもあるのか、と、同じように見上げれば、天高い空に映える、枝にしなった秋の果実が見えた。
視点の向きから見てそれを眺めていたのだろうなと思い、寄る。
――食べたいのかな。
「え?」
音を立てたつもりもないが、忍び寄る気配を感じ取っていたのだろう、大して驚かず、こちらを向きもせず、猫は枝を眺めたままだ。
「なにを?」
――え?
逆に返されて見当違いだったのかと同じように視線を追うと、ああ、猫が嘆息した。
「うまいもんな」
実を眺めていた訳では――ないのかな。
「いや。見てたんだけどさ」
ここのところ毎日。
そう言って何が嬉しいのか猫が笑う。
ではやはり食したいのだろうと思った。
そうして横に立つ猫の身体を眺める。
痩せぎすで小柄なこの背丈では、到底あの枝に届きそうになかったし、助走を付けて跳ねたとしても難しいように思う。
枝は細くて、いかに軽い猫とはいえ、その自重を支えるにはやはり難しそうだった。
己が腕を伸ばして取ってやれれば良かったのだけれど、生憎と、体は真っ直ぐ伸びきれぬよう、斜めに引き攣れがある。
――ディクス。
斜め背後に控えた影に、肩越しに呼びかけると、心得た男がぬっと前へ進み出る。取ってやりなさい、言いかけたところに眉をしかめて頭を振る猫の姿が見えた。
「おい、ちょっと待てって」
うん、
「取るなよ」
見ていたのだろう。
「見てたよ。でも別に食いたかったワケじゃねェ」
好みではなかったかな。
「そうじゃなくてさ」
言葉を選んで一瞬黙り込むのは、猫の癖だ。恐らくすぐにでも口を衝いて出る一連の思いがあるだろうに、瞬間悩む。相手にとってどのように伝えると、一番に理解しやすいかと考えている節がある。
それが判りやすい言葉かどうかは、また別の話だ。
「……あーもう面倒くせェ。ちょっとここから眺めてみろって」
悩み、そうして言葉より行動で示した方が早いと思ったのだろう、猫が己をちょいと手招いた。
膝を屈めてそれと同じ視線の高さになり、眺めていた方向の空へ顔を向ける。
――枝に、しなる実。
それ以外目につくものはない。
そう告げると猫が困ったように首を傾げた。
動作にちりりと鈴が鳴る。
「あの橙色がさ。綺麗だと思わねェ?」
――色。
言われてもう一度見直す。
「ここんところ見てるんだけどさ、毎日毎日、だんだん色が濃くなって。透き通るように皮が薄くなって。透けそうなのに透けてないんだよ」
あったかい、橙色が綺麗だろ?
一週間前に見つけたんだ。得意そうに告げる視線は、枝から離れない。
「空の青に吸い込まれそうな色になってさ。なんか、宝石みてェだなって」
こうして空を眺めているのも首が疲れるのではないか、手に取って好きなだけ眺めればよいのではないか。
疑問を口に出すと、そういう問題じゃねぇし、と呆れたように溜息を吐かれた。
何が気に入らないのかさっぱり判らない。
「ここから見るから、綺麗なんじゃねェか」
――そう言うものかな。
「そうだよ。もう二、三日したらヘタが腐って下に落ちちゃうと思うんだよな」
ではやはり、今手に取れば良いものを。
少なくともその二、三日は好きなだけ眺めていられるだろう?
言うと猫は、相変わらずだな、言って笑った。
「消えてなくなっちゃうから今が綺麗なんじゃないか」
そう言う。
「取ったらそこで死んじゃうんだよ。枝にくっついて生きてるから、あれはあんなに綺麗なんだぜ」
――そう言うものかな。
「そうだよ」
猫の視線を追って再三、己も同じ高さから枝に鈴なる果実を眺めた。
成程。
理屈はよく判らないが、先と異って、透ける美しさと言う物を見たように思った。
――手に入らない宝石と言う物も、乙なものかもしれないね。
言うと猫が怪訝そうな顔で、こちらを見た。
(20101122)
最終更新:2011年07月21日 21:13