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 「……で」
  てっきり頭ごなしに、
  叱られるか、
  莫迦にされるか、
  呆れられるか、
  のどれかだと思っていたボクは、そのどれでもなくやけに淡々としたネイサム司教の声を聞いて、首を竦めて顔を上げた。
 「お前は私に何を聞きに来たのかな」
 「えっと、ですね」
 「お前の従僕がいなくなったことを、わざわざ報告しに来た訳でもないのだろう」
 「えっと、ですね……」
  なんて説明したらいいのやら、ここまで突撃しに来た割にボクはもごもご口ごもった。司教に頼みたいことがはっきりあって、ボクはここに来たのだし、来たのだから頼みごとを叶えたいのはもちろんなのだけど、
 「タマゴ」
 「はい」
  普段から飄々としてて、そんなに声を荒げる人ではないんだけど、今日はえらく静かな声でボクを呼ぶ。それから机の上に広げていた古文書から目を上げ、司教は眼鏡を外して、軽く息を吐いた。
 「お前の頭の中身当てクイズでもしようか」
 「いや、いいです」
  もしネイサム司教が、ばっちりとボクの思考を読み当てているとしても、やっぱり自分の口から言うべきだなと思うし。
 「いろいろ言われるの前提で、本題にいきます」
 「どうぞ?」
 「司教」
 「うん、」
 「シラスを探したいです」
 「ほう」
 「でも、ボクはシラスがどこに行ったのかさっぱり見当がつかないです」
 「私に、お前の従僕がどこにいるか探してほしいと言うのだろうか」
 「……そうではなくて」
  言われてぎくりとする。実は、それも考えないでもなかった。退魔士としてえらく腕のある司教のことだから、きっとある程度の力を持つ魔物の捜索――司教的には索敵とでもいうんだろうか?――の方法を持っているかもしれないって。
  考えないでもなかったけど、その甘ちょろけた考えはすぐに丸めてブン投げたのだった。そうしてどこまでも他力本願で、人に責任をなすりつけてばっかりいるから、だからボクは後悔したんだろって。自分が一番傷付かない、知らず庇護されて、ぬくぬくと暮らしているような生活だったからよくなかったんだろって、そう思ったのだった。
 「シラスは自分で探します」
 「ほう」
 「自分の足で歩き回るしかボクには能がないけど、誰に頼るでもなくてあっちこっち行こうと思います。そうしなきゃシラスはきっと出てきてくれないと思うんです。でも、それにはちょっと時間がかかって……」
 「――」
  なるほど、とネイサム司教はしばらく黙った後にぽつんと呟く。
 「休みが欲しいと」
 「はい。今忙しい時期だっていうのは判っているんですけれど。本当に自分勝手な都合で悪いとも思うんですけど。けど、お願いします。どうかお休みをください」
 「なるほど」
  もう一度呟いて、それから司教は眼鏡を司教服の裾で拭き始める。
  しばらくそのまま無言だったので、ボクも黙ってネイサム司教の返事を待った。
  司教は、ボクがシラスと暮らしていることを、もうとてとてとてつもないほど、よく思っていない。どのぐらいよく思っていないかと言うと、きっとルーフェンス酒場の特大饅頭三つよりもっとよく思っていないに違いない。例えがアレだけど。
 「……探すには遠くて近いだろうな」
  司教は急に口を開いてそんなことを言う。「遠くて近い」。なんか、赤くて青い、とか高くて低い、とかナゾナゾにそんな表現あったよなぁとか思う。
 「タマゴ」
 「はい」
 「お前もある程度は判っていると思うが、『あれら』は本質的に人間とは異なるものだ」
 「……はい」
 「そうしてあれらの本来住んでいる『魔界』と呼ぶそこは、別にどこかの大陸でも異世界でもない」
 「違うんですか」
  そういやシラスも前にそんなこと言ってたなと思う。面倒臭いから、と言って説明してくれなかったけど。
 「『魔界』、だとか呼ぶから勘違いを起こしやすいのだな。お前にも判るような表現だと――、そうだな」
  これを見なさい、と机に広げた古文書を司教はボクに指し示し、それから利き手に先の鋭くとがった千枚通しを持つと、何十ページも突き刺してとん、と机に針を差し込む。
 「これは――何かな」
 「……え?」
  聞かれた意味が判らなくて、ボクは首を捻る。
 「この、机の上にあるこれは、お前には何に見える」
 「……本、に見えます」
 「そうだな」
  他には、と促されて、首をさらにひねりながらボクは見たままを答えた。ウィットのきいた答えを、期待されている訳じゃあないみたいだし。
 「何十ページにもわたって針が刺さっています」
 「そうだ。……タマゴ、この一番上のページと、一番下のページを貫いている針の位置はどうだ」
 「えっと」
  位置。位置って言うのは、緯度とか経度とかの位置ってことなんだろうか。
 「本の厚みがあるから、横から見たら高さはちょっと違いますけど……、上から見たら、一番上も一番下も、同じ位置にあると思います」
 「そうだな」
  深く頷いて、それからネイサム司教はようやくボクを見た。いつもは眼鏡の奥にある灰色の目が、今は邪魔するガラスもなくて真っ直ぐにボクを見ている。こういう目をするとき、ボクは司教に初めて会った日を思い出す。あの、たくさんのアンデッドに追いかけられて半死半生で逃げ回っていたボクに差し伸べられた、神様みたいにあったかい腕を。
 「この本が『こちら側』と『あちら側』そのどちらでもあって、それぞれが別のページだと言って、お前に判るだろうか」
 「あー……えっと……。ああ……なるほど」
  しばらく眉間にしわを寄せて、ブ厚い本に刺さった針を睨んでいたボクは、何度か司教の言葉を頭の中で反芻させて理解する。
  遠い世界とか、別の国の話じゃあない、ということがすとんと腹に落ちる。
  そういや階層がどうのだとかシラスも前に言っていたような気がする。
  うまく説明できないけど、うまく説明できないと言う状況に陥って初めて、シラスが説明が面倒臭いと言った意味が判ったけど、ボクの住んでいる「ここ」と、魔物が棲んでいる「そこ」は、つながっていると言うかなんと言うか、パイ生地みたいなもんなのだ。司教が本に千枚通しを刺した意味が判る気がした。
 「十日」
  唐突に、ネイサム司教がそう言った。
 「は……あ、え?」
 「期限は十日間だ。それで見つからないのなら、戻ってくるように」
  十日。
  ありがとうございます、と最初に言うべきだったんだろうけれど、ボクの口から漏れたのは別の言葉だった。
「えっと、司教」
 「何かな」
 「休みもらえるのは嬉しいんですけど、ボク、いろいろ覚悟してきたんですよね」
 「覚悟――ね」
  正直絶対ゴネられると思ったし、そうでなくても無理難題押し付けられるとか、そもそも魔物嫌いの司教なんだから、シラスのことも、いなくなって良かったじゃないかとか言われるかとも思っていた。
  正直、休みくれるとも思えなかった訳で。
 「タマゴ」
 「はい」
 「元気のないお前は気持ちが悪い」
 「すいませんね……」
 「私の仕事に支障が出る。早めに復帰してもらうに越したことはないだろう?」
  そう言ってネイサム司教は羊皮紙にさらさらと十日間の休みを許可する、と書き込んで、これを事務局に提出しなさいと言った。
  今度こそボクはありがとうございますと頭を下げて部屋を出る。ドアを閉めかけたところでタマゴ、ともう一度呼ばれた。
 「はい?」
 「お前の家に居候がもう一人増えているね?」
 「ああ、いや、その。増えたと言うか、不本意って言うか、押しかけたって言うか」
  一応カスターズグラッドを追放扱いになっているシラスが堂々と戻って来ていますと答える訳にもいかず、ボクはしどろもどろになった。
 「タマゴ」
 「ははははい」
 「お前を責めている訳ではない。話があるから、時間がある時に私のところへ来るようにその居候に伝えなさい」
  以上だ。そう言ってまた司教は手元の書類へ目を落とした。そういえばハルアって、王都を追放される前は「司祭」だったワケで、年齢的にはネイサム司教の方が十は上だけど、階級(って教会の場合も言うのかな)はハルアの方が上なんだよね。司祭と司教の違い、とか確かいつか勉強したはずなんだけどさっぱり忘れた。本気で忘れた。どんなに一生懸命頑張って詰め込んでも、日常生活に必要ないことはすぐに忘れてしまうので困る。
  そうしてボクは、ウチに下宿しているハルアを知っている司教(ああややこしい)に、何と言っていいものやら判らなくなったので、そうしますとだけ答えてそっとドアを閉めたのだった。


  乗合馬車に揺られながらボクは考える。
  昨日。
  シラスがいなくなってしまった地下室からボクは動けなかった。どうしたらいいのか、どう考えたらいいのか判らなかった。でも、このまま何もなかったふりをして、ここで待っていてもシラスは二度と帰ってこないような気がした。
  それだけのことをボクはしたから。
  途方に暮れているところに、ハルアがやってきた。心配してくれたのかな、と思って聞くともう朝だぞって言う。えーって、そんな一晩中ここに突っ立ってたのかって、びっくりして、でもやっぱり足が痺れたように動かなかった。
  それを見て、ハルアが不思議そうにどうしたのかって聞いた。
  ボクはシラスがいなくなった、と答えた。
  いろいろ付け足したいことも出てきたけど、事実としてはそれだけだろうと思ったからだ。
  そうしたらハルアはますます不思議な顔をして、シラスって誰だ、とか言う。昨日だったかアリオンが酔っ払って似たようなこと言ってたけど、こういう時に言う冗談にしたらキツいです。もしかすると、おどけて笑わせてくれようとしたのかもしれないけど、ボクは笑える気分じゃあなかった。悪いなとは思ったけど。
  そうしておかしな顔をしたボクを見咎めたのか、ハルアが今度はじっとボクを見た。えらく真面目な顔だった。
 「レイディ」
 「うん」
 「シラスって誰だ」
  ハルアがもう一度聞いた。
  何言ってるの、とボクはいい加減いらいらして、文句の一つでも言おうと口を開いて――また閉じた。ハルアは冗談を言っている訳じゃあないって気付いたから。
 「ハルア。……ハルメリア」
  だからボクはハルアの名前を読んだ。ハルメリアって言うのは、ハルアの正しい名前だ。普段はそんな風に呼ばない。長いからって言うよりは、親しいものにしか呼ばせない、「ハルア」って言うあだ名を呼んでいいよと彼が言った、その気持ちをボクは大事にしたかったから。
  だから逆にこうしてきちんとした名前を呼ぶと言うことは、ボクとハルアの間で絶対に嘘をつかない時、真面目な話をするときのの約束ごとだった。
 「ハルメリア」
 「ああ」
 「念のために確認するけど、シラスが、判らないの」
 「……シラス」
  それは誰だ、とハルアの口が呟いていた。
 「ボクとずっと一緒に暮らしてたヒトだよ」
 「……レイディと?」
 「ついさっき、アドグに抱きつかれた時に怒ってボクを引っぺがしたヒトのことだよ」
 「……」
  どうしよう。
  いきなりハルアは記憶喪失、とかになっちゃったんだろうか。
 「ふざけてるんじゃ、……ないんだよね」
 「ふざけてない。お前のことからかっているつもりもない」
  さっき家に戻るまで、ハルアが頭を強く打ったとか、衝撃的な光景を見たとかまったくそんなことはなかった。アリオンみたいに、酒飲みすぎて記憶飛んだとかそう言うのなんだろうか。それとも、シャワー浴びている時にスッコロンで、頭強く打ったんだろうか。
 「……ボクのことは判るんだよね?アドグのことは?……カスターズグラッドのこととか、覚えてるんだよね?」
  顎に手を当てじっと床を見つめて考え込んでいたハルアは、そうじゃない、と言った。
 「そうじゃないって」
 「忘れた訳じゃあない」
 「……どういうことだよ」
  ハルアが何を言っているのかさっぱり判らない。記憶喪失じゃあないと言うなら、一体なんだっていうのだ。
 「記憶がすっぽ抜けているだとか、何をしゃべっただとか、忘れてる訳じゃあない。お前と出会った時のことも、去年王都で起こったことも、半月前にこっそり王都に戻ってきたことも忘れていない」
 「意味が判らない」
  じゃあ、なんでシラスって誰だ、だとか言うんだろう。それじゃあまるで、シラス「だけ」忘れてしまったみたいな言いようじゃあないか。
 「レイディ」
 「……なに」
 「お前はここで、この家で、最初から一人で暮らしていた……か?」
 「ボクが?」
  言われて驚いた。どうしたらそんな発想が出てくるんだ。思わず小さく笑ってしまった。
 「暮らせるわけないだろ?ここ来た時ボクまだ八歳だよ?」
 「そうだよな……」
  そうしてまたじっと考え込みかけるハルアに、だからボクは言ってやった。
 「ここで、ボクはシラスと一緒に住んでるんだよ?」
 「……シラス……」
 「言ったじゃないか。家に来て初めての時、キミの胸倉掴んで、ボクに手を出すなよって脅したのがいるって。キミもアリオンも軽くトラウマになってるって」
 「……」
 「ここに、この地下室に、巣食ってたヤツだよ」
 「……俺が」
  ゆっくり、自分に言い聞かせるように、ハルアはぼつぼつと言葉を紡いだ。
 「ガキの頃、俺がこの家に来た時、確かに誰かに脅されたような気は……する。お前が誰かと暮らしていたような気もする。そうして……、そこの机にカップが二つあるってことは、お前がさっきまで誰かと話をしていたんだろうと言うことも判る。判るし、俺は知っていた気がする。するんだが……、するんだが、でも」
 「……判らないの?」
  浅く頷くハルアに、じゃあこれを見なよ、だとか言うつもりで、ボクはシラスが依頼されて翻訳している途中の、ブ厚い本を手に取った。開いて、そこに書かれた翻訳内容を見せて、ほらこれがシラスが翻訳したヤツだよ、とか言うつもりだった。
 「あ……れ?」
  なんで、とかどうして、だとか言う言葉が、ぐるぐると頭の中を回る。本にはさまれた羊皮紙には全く何も書かれていなかったからだ。
 「あれ、これさっきまで書きかけの……おかしいな、えっとじゃあ引き出しの中に」
  鍵の壊れた引き出しの中を慌てて探る。中からは何枚も何枚も、何も書きつけられていない羊皮紙の束だけが出てきた。どれもこれもまっさらだった。
 「あれ……あれ?」
  シラスの書いた文字がない。
  じゃあ他にシラスがいたことを証明するもの、だとか考えて、ボクはぎゅっと心臓を掴まれたような気持になる。
  シラスに限ったことじゃない。ひと一人が存在しているための証明だなんて、そんなにたくさんあるもんじゃあないんだ。その大部分を頼っているのがひとの記憶で、だけどハルアはそれがないって言う。そうして書きつけの文字がなければ、もうボクはここでシラスがいたと言うコトを、ハルアにほとんど説明できる手段がないのだ。
 「俺は、どうにかしたんだろうか……?」
 「アドグは?」
 「え?」
 「ハルア、アドグのことは判るんだよね?」
 「判るぞ?」
  てことは、魔物って言う存在そのものを忘れた訳じゃあないんだ。
 「アドグは?アドグは上に、いるんでしょ?」
 「ああ……?上の居間で休んでいるが……っておい!」
  ボクが下に降りてくるまで、アドグはシラスに似た姿かたちを取っていた。じっくり見たらあちこち違うけど、パッと見は結構似ていると思う。アドグの姿を見たら、ハルアだってシラスがいたこと思い出すに違いない。
  思うとなんだかたまらなくなって、二段跳び抜かしで階段を駆け上がり、居間の扉を開けてボクは固まった。
 「なん……、どうし、」
  アドグはいなかったわけじゃあない。
  確かに居間に渦巻いていたけれど、それはもうシラスの姿かたちはしていなくって、アドグという魔物元来の、黒くて泥とも霧とも付かない塊になっていたのだった。


  魔物の生態だとかそういうのはボクは詳しく知らないし、知ったところでシラスがいないことには変わりがないと思う。そうしてボクは、ヤツに謝りにいかないといけないんだって。
  アドグとハルアには家で留守番をしててもらうことにして、ボクだけでカスターズグラッドを出発した。出発する前に、一応中央公園とか、大通りとか偏屈ジジィの酒屋とか、シラスが行きそうなところに顔を出して見たけれどやっぱりヤツはいなかった。
  他にアテはあるのかって言われてもよく判らなかったから、まず王都から近い場所、シラスが行きそうなところをしらみつぶしにボクは周った。ボクが心当たりある場所なんてたかが知れているし、そこにヤツがいるかどうかも判らないんだけど。
  会えるかどうかなんて自信はなかったんだけど、でも、左手の契約の印が消えてない事だけが強みだと思った。これは、どっちかが死ぬまでボクとシラスを結び付けている印で、イヤになったから解除する、だなんて生半可なものじゃあないらしい。ネイサム司教曰く。
  そんな強いものでボクとどうして結びついたのか、それってシラスにメリットはあるのか、とかボクは会ったら聞いてみたいことがたくさんある。エサだと思って一緒にいた訳じゃあないんだとしたら、一体キミは何の見返りを求めてボクと一緒にいてくれたんだろうって。そこまで考えて見返りとかそう言うものじゃあないのかもしれないって思う。ただ、一緒にいたってだけで、それが自然なことなんだとしたらあんまりそこに理由はないんじゃないのかな、だとか。
  どっちにしろそれはシラスにしか判らないことで、だからボクはどうしてもシラスに会って謝らなきゃいけないって思った。
  元の形に戻ってしまったアドグと話して判ったことは、シラスは今「ここ」にいないってことと、「ここ」にいない相手の姿にアドグはなれないんだってこと。「ここ」の言葉の意味がアドグの説明ではよく判っていなかったんだけど、司教に説明されて、階層の違いのことだったんだなって理解した。
  言ってみれば、人間界というよりは、人間階っていったらいいのだろうか。


  シュトランゼ古墳の中に今ボクはいる。
  手がかりなんてものが一切ない訳だから、こんなところくんだりまで来て、探しだせると思ってる方が、バカなのかもしれない。もしかしたらひょっこり王都の家に戻っているのかも。
  でもそんなことを考えながら、多分それはないなってボクは思った。あれは別にケンカしたとかじゃなくて、一方的にボクがシラスを傷付けたんだと思う。なんか、何を言っても割とブースカ言いながら流してしまうヤツだったから、何を言ってもいいんだって勘違いしてた。シラスだって傷付くんだよってボクはボクに言いたかった。
 「……まぁでもそんなデリケートな生き物じゃないかも」
  言いながら長い階段の壁をなぞって下へ向かう。ランプのオイルはたっぷり補充してきたし、半日くらいずっと点けっぱなしにしてたってたぶん切れることはないとは思うけど、でも歌でも歌っていないと怖くて仕方がない。
  そもそも古墳って言うくらいだから、石造りの巨大な地下である訳で、その中に一人で入るとか。頭煮えてますね。怖いのでランプ三つ点けてます。たぶん遠くから誰かが見たら何かって思う。
  でも、怖くても、ランプ三つ点けても、教会からこっそり失敬してきた開封の札を使っても、ボクはシラスを探さなきゃいけないと思った。ちなみに呪符に関しては、枚数を事務局できっちり管理してるので、帰ったらお説教決定です。
  どうしてここに来たのかって言うと、特別な思い入れだとかそういうものではなくて、確か「あっち」……ああもう面倒くさいから魔階とか呼んじゃおう。はい、ボク的造語きました。
  で、どうして古墳に来たのかと言うと、魔階につながる入口があるって前に聞いたから。つながるって言うのも変なのかな。パイ生地を何層かめくるって言ったらいいのか。
  墓泥棒がここの古墳に祭られている石を盗んで、抑え込んでいた封印が解けてバッチリ呪われたことがあった。で、ネイサム司教に仕事依頼が来たのに何故かボクに回されて、シラスとここへ来たんだっけ。もう一年くらい前の話になるのかな。もちろん古墳ががっつり呪われてたのは、その祭られていた石を動かしたことに原因があるんだけど、シラスはその時、「もともとよくないものが湧き出す場所」だって言ってた。あっち側とつながってるんだよって。
  その後若干のすったもんだがあったけど、きちんとシュトランゼ巫女姫の石を戻したのだ。あと、途中で壊されちゃってたり壊しちゃったりした、お墓とか、お墓の中にいらっしゃった中身とか、そう言うのを丁寧に元に戻して供養しなおして、もう出てこないようにってナムナムしたのだった。
  だから、今はもう古墳の中に徘徊するような不死生物はいないって判っているし、でっかい狼みたいなバズスーとか、ああでもできたらグレイスはもう二度とお目にかかりたくないな……というか出てきたら泣いて王都に帰るな……逃げられるかどうかは別として。そういう魔物どもがいないのも判っていたけど、でも怖いものは怖いのだった。
  気持ちが悪いとは思わないけど、でっかい地下に一人歩いているとか肝試しもいい所だと思う。入口が封じられてるから、山賊とか、そういうのが入り込んでいないのも判ってるんだけど。目に見えなくたって暗いだけで怖いのだ。

  ここでドーンと音がした、とかそういうことがあれば盛り上がるところなんだろうけど、言った通り供養されてて中の住人たちは湧き出していないし、外からの侵入者はいないしで、古墳の中はそれこそ鼠一匹もいなくて静かで、なんの物音もせずボクはシュトランゼ古墳の一段下と言うか、巫女姫の石のところまでたどり着いたのだった。
  ここが一番階層のとじ目が弱い場所だってシラスは言ってた。ボクはあの時、何も考えずに石碑に近付いたら、白州の下に落っこちた訳で、
 「うわ」
  ……バカですか?学習能力とかないんですか?同じ穴にまた落ちるとかどういうことですか?
  また尻打ったし。もうこの古墳で何回尻打ちしてんのって言う。いい加減でかくなりそうです。
  そうして見上げると、そんなに大して落下してないはずなんだけどやっぱり頭上は見えなかった。お尻の痛さから言って、たぶん三メートルないくらいだと思うんだけど。腕を伸ばしても、何もつかめない。普通石が敷かれたところから落ちてきて、上から石が降ってこないなんてないのにね。これが階層の違いってヤツなんだろうか。ここのとじ目って本当に不安定なんだなって思う。
  周りを見回した。
  あの時とずいぶん違うのは、あの時のようなおどろおどろしいと言うか、ひんやりとした気配みたいのはまるでなくって、上と同じようにただ静けさがのっぺり広がっているだけだった。
  石があるだけでずいぶん違うもんだな。あの石の力ってすごいんだなって思う。
  壁画に詩が書かれているけど、シュトランゼ姫というのも別に高慢ちきな姫じゃあなかったんだぜって、そう言えばシラスが帰る道々言ってた。あれは、人柱にした人間たちがつくった物語だって。本当のシュトランゼ姫は、黙って生贄になったって。
  まるで見てきたように言うんだねって言ったら、見てきたよってシラスは言ってた。まぁムダに長生きしてるヤツだし、それも本当のことなんだろうな。千年も二千年も生きるような感覚、ボクにはさっぱり判らないけど。
  とにかく、今ボクがいるのは魔階で、あとはシラスを探すだけだ。
  どこにいるとか見当もつかないけど。
  あの時と同じように古墳の下層部に当たるところを歩く。あの時と違うのは、上に続く階段の広間の他に、外に続く通路があったってことだ。もしかすると前もあったのかもしれない。ただボクはグレイスに追っかけられていたから、気が付く余裕がなかっただけなのかも。
  通路を抜けると、そこはシュトランゼ古墳の湖の横だった。
 「あー……」
  もちろんちょっとは予想してたんだけど。本当に、階層が違うだけで、地形も建物も同じ形をしているんだね。
  もしかしてもしかすると、いきなり異世界の風景が広がっているのかもしれないってちょっと気負ってたので、肩透かしを食らった気分だ。
  はい。いらっしゃいませ。一名様ご案内です。
  ボクはこうして初めて魔階へ足を踏み入れたのだった。


(20110713)

最終更新:2011年07月13日 20:32