<<Polyushko Pole>>


「広いね」

 ひとりで呟きながら、オレは適当に尻座りのよさそうな場所を定めて、そこに寝転がった。
 いい気持ちだった。
 太陽は燦々と照っていて、暑くもなく寒くもなく昼寝でもしてしまうには丁度いい陽気。うまい具合に懐もあったかで、三日ばかりはメシの心配をする必要もなさそうだった。
 町はずれの野っ原に、用もないのに昼寝をしに来るようなヒマな人間は、オレの他にはいないらしくて、寝たところで邪魔をされる心配もなさそうだった。ていうか、寝転がってしまえばほとんど草むらに隠れてしまって、ひと一人そこにいるなんて判りゃしない。唯一心配するとしたら、町から町を巡回してる連絡馬とか荷馬車がオレの上を通り踏みつけていくことだったけど、まぁそんな確率の問題心配してても仕方ないし。
 そういや馬と言やァ、最近連絡馬の行き来が割と頻繁で、そろそろどっかの国と一戦やらかすんじゃないのかって話だった。酒場なんかじゃ、酒の入ったオッサンどもが、その話で盛り上がってる姿をよく見かける。こっちはその話で盛り上がってくれてるおかげで、仕事がやりやすくなるってもんで、ありがたいワケなんだけど。
 自分の今いる国がどこかの国と戦争をする、とかあまりに規模が大きすぎてオレにはよく判らない。それが隣町にまで飛び火してきたとかなら、とりあえず避難するかって話になるんだけど、そうでもなけりゃどっかで戦っててもオレの生活になんら支障はないし。
 こないだまで、その一戦やらかす張本人たちが腹を探り合っている現場に、いたんだけど、今ひとつ実感がわかない。もう過ぎた話だし、そもそもオレはほとんど政治だとかそういう類の話に首を突っ込まなかったから。
 突っ込まなかったって言うか、突っ込めなかったって言うのが正しいのかもしれない。興味がなかったってのもあるけど、話している内容が難しすぎて、どうにも同じ言語に聞こえなかった。
 よくいろんな場面で、やたら首を突っ込む人間をウザいとか言うけど、あれ、首を突っ込むためには随分予備知識ないと突っ込めません。そう思えばまったくの無関心な人間より、突っ込んでくれる人間の方が関心を持ってくれている分、ありがたいってものなのかもしれない。論点ズレている気がするけど。
 そんなことを思いながら手元の葉っぱを引っこ抜いて、草笛を吹いた。
 高くて青い空にその音は吸い込まれるように消えていって、ああやっぱ空って言うものはこうでなくっちゃ、とか思った。
 このまま寝て夜になってしまえば、今度は降るような満天の星が見られると思う。よく星空を、「降るような」とか、「手を伸ばせば届く」とか、言うよね。あれただの詩的表現だとバカにしてたけど、皇都にいってみてオレははっきりと思った。あの表現は正しいです。
 皇都の空はどこもかしこも切り取ったように狭くて、なんでだろうって思った。建物がない場所でも同じように狭い。だからあれは一般感覚じゃなくて、単にオレの、自由になりたいだとか言う願望が錯覚させたものだったのかなとも思う。けどオレはそもそも、自由になりたいだとか望んでいたんだろうか。最初は確かに思ってた気がするけど。
 自由になりたかったのかな。
 むいしき、とか言うところの願望だったのだとしたらオレには判断の出来ないことだし、今更考えても仕方がないと思った。
 オレは、あのひとから逃げたかったんだろうか。

 それにしても本当に空が広い。

 ふと、あのひとはこうした広い空を見たことがあるのかなって思った。見たことがないんだとしたら勿体ない。人生の五分の一くらいは損してる。
 そうして、もし見たことがなかったんだとしたら、見せたかったなって思った。
 前にダインのオッサンと話した時に、そういう「見せたかった」とかいう気持ちって、あのひとにとっては重荷だったって言った。アンタはすっげェ鈍いから気付きもしなかったと思うけど、負担になってたと思うってオレは言った。たぶんその感覚は間違ってない。
 あのひとの許容範囲って言うか、受け止めきれる量って言うかそういうのって、えらく狭くて、まぁそれは育った環境とか体験した人生とかいろいろあるから、責めることでもないよね。たぶんあのひとは、自分自身を現状維持するのに必死で、それ以上の余裕がどこにもないんだと思う。カツカツで過ごしてるっていうか。自転車操業って言うか。
 なんであんないつもギリギリなのか、前は判らなかったけど今はちょっと判るような気がする。
 生きてるだけで精いっぱいだったんだろうなって思った。
 オレはそんなあのひとの脇に行って余計なちょっかいを出した訳で、例えるなら口開けて寝てたトラの口の中に、手を突っ込んで噛まれた、みたいなもんかなと思う。例えがアレですか。
 その余計なちょっかいを後悔したこともあったけど、今はそれもありだったのかなって思う。
 そんで、どんなに余計なちょっかいだったのだとしても、やっぱり一緒に空を見たかったなって思った。
 あの、塔の上からのような作り物のような空じゃなくて、オレが今見ているような本物の空を。

「広いのにね」

 手を伸ばしたら届きそうな空も、滴るような月も、タマゴの黄身のような橙色の夕日も、あのひとは見たことがあるだろうかって思った。もしまだ見たことがないんだったら、今すぐオレの隣にやって来て並んで見ればいいのにって思う。やって来るハズがないのをオレは知ってるんだけど。
 だってオレがここにいることをあのひとは知らないし、そもそも皇宮から抜け出せるはずもない。夢でも見ない限りあのひとはでてこないし、オレはあのひとの夢を見ない。
 だからせめて、昼寝でもしながら、日が沈んで月が出るまで待っていようかって思った。悪いけどオレはここから大きくて立派な月を見るし。アンタはせいぜいあの塔の上からウソくせェ月を見たらいい。
 ざまァみろって思う。
 それでも本物だろうと偽物だろうと、見てる月は一緒だ。

 見てるといいなって思った。

 見てるはずがないって言うのは判ってたけど。
 固く閉ざされた皇宮の扉はあのひとそのもので、オレはそれ以上近づけなかった。言葉よりもそれは雄弁で、ああオレはもう要らないんだなって思った。
 あのひとをこれ以上掻き回しちゃいけない。
 オレが側にいたらどうしたってあのひとを掻き回すし、オレはあそこでは望まれていない。糞セヴィニアがそう言ってたし、そう言えばノイエさんもお見舞いに来た時にそんなようなことを言っていた。陛下が安定されるためには切り離さなければならないものもあるのかもしれない、だとか遠回しな意味フな言い方してたけどそれってつまりはオレに近付くなってことだよね。もっと判りやすい言葉で話してください。オレ、頭悪いし、そんな言葉の裏の裏の裏を読むとかとてもやりにくいです。
 オレは、あのひとを掻き回そうとしてあのひとの近くにいた訳じゃあなかったけど、結果的に、オレがオレらしくするって言うことがあのひとを掻き回すことになってしまうと言うのなら、それは仕方のないことなのかもしれない。だってオレはオレ以外のものにはなれなくて、アンタはアンタでしかないから。
 そう思いながら、こういう気持ちもあのひとにとっては邪魔なものだったのかなって思った。押し付ける気はなかったけど、どこかで無理させてたんだろうか。
 たまに、ワケ判んないタイミングであのひとがぎゅっとしてくる時とか、ああいうのも全部演技だったんだろうか。場の流れ、みたいな。でももしかしたらそうなのかもしれない、あのひとは外交だとかなんだかでよく女のヒトの手を取って恭しく口付けしたり、相手の腰に手を当てながら並んで歩いたりしてたし。ああいう時本当に面白くなさそうな顔をしていて、あからさますぎだろって思ってた。もうちょっと愛想良く笑えよって。
 そんな、あからさまに嫌なら、いやだってダダこねればいいのにって思ってた。やりたくないって言うとか。おそれ多くも皇帝陛下さまならそれくらいできるだろって思ってた。
 あのひと、きっとダダのこね方も知らない。
 お行儀よく育てられて、全てかくあるべしとか育てられて、目の前に出された物事を受動的に整頓することしかやったことがないんだって気付いた。
 いろんなものを溜めて溜めて溜めこんで、溜めていることにも気づかない。そうしてダダひとつこねられないあそこの空は、そりゃ狭くもなるよなって思う。

 ここは広いよって、もう一回呟いてみた。

 どうせ誰も聞いてないし、恥ずかしいも何もないだろって思う。それから、こんな風に一人で空見て呟いてみたり、あのひとも同じ月見てるかなって思ったり、もし今いきなりすっ飛ばしてきた連絡馬に踏みつけられてオレが内臓破裂か何かで死んでも、あのひとは何も知らないんだなって思って、虚しくなった。
 とても遠くに離れてしまったなって思う。
 今更縮められる距離じゃないんだけど、でもどうせ縮められもしないのだったら、無駄な努力はやめてやっぱり空でも眺めていようって思った。
 でも、ここの空は一人で見るには本当に広すぎる。
 もしもし、この声が聞こえますか。
 返事のない空に向かってオレは手を伸ばす。
 オレの住んでる町はずいぶん皇都から離れてて、噂とかもほとんど入ってこない。でもきっと、毎日つまらなさそうな顔をして生きているんですよね。こんな辺鄙な田舎町にエスタッドの皇帝サマが来るなんて、天地が引っくり返ったってありえないの知ってるけど、それなのにちょっとした馬群とか人の行列を見ると、もしかするとアンタが来てるのかなってどきどきしたりする。重症です。ありがとうございます。
 もう会えなくなって、そこで初めてオレはアンタに恋をした。会えなくなった瞬間から自覚し始めるとか、どれだけタイミング悪いのって思う。
 どうすればよかったのか、考えても判らなかったし、答えが出そうにもなかった。不貞寝をしようにもなんだか光が目にしみてうまく寝つけない。
 どうしようもないねって言いながら、オレはタンポポを弾いて綿毛を飛ばした。風に流れて飛んでいくそれはどこまでも行きそうな気もしたけど、あのひとのところまでは決して届かないことをオレは知っている。
 声といっしょだね。
 そうして同じようにこの抱えた思いもどこにも行先はないんだなって思って、思ったらなんだか少し笑えた。


(20110801)
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最終更新:2011年08月01日 15:24