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 結局、三人でやくたいもない話を話し込んで気付けば暁光の気配がちらほらと戸外に感じられる刻限になってしまった。
 もう朝かと充血した目をこすりながらラルヴァンダードが呟き、夜明けまであと少しもないが寝ることにしようと言いながら腰を上げる。同じように向かい、ななめ向かいに座っていた私とグシュナサフもやれやれといった調子で重い腰を上げ首を回す。
 室内はすっかり冷えていた。
 寝入る前に約束したとおり、主である彼女と共寝しようと螺旋階段へ歩きかけると、お前はここだと低く呟く声がして振り向く。
 暖炉の前に藁を敷いた簡易の寝具が大人二人分、用意してあって、ラルヴァンダードがそのあたりを指差していた。
「添い寝は、親父さんのお許しが出ませんか」
「その冷え切ったからだで姫の傍らにもぐりこむつもりか」
 呆れたように言われる。隣でこちらを眺めていたグシュナサフが、諦めろと肩をすくめて見せた。
「最愛のあの方と枕を並べられる数少ない機会なんですよ」
「そういうざれごとは町でやれ」
 あなたと違って、と言いかけた切っ先を制して後見人が言い捨て、それ以上たしなめるつもりもなかったのか自身は階上の寝具にもぐるべく階段を上っていってしまった。下心が多大にあると思われるとは心外だ、しかも私は制しておいて自分は彼女の隣で寝るのはずるいと多少憤慨して天井を睨んでいると、お前の言葉はときに冗談に聞こえないのだと無口なくせにうるさい同僚がぼそと言う。
「うかうかしているとこわい」
「冗談とは一体何がですか」
「隣で寝かせておくと手をだしそうだということであろうよ」
「俺は常に真摯のつもりですが」
「なお悪い」
 相手は子供だぞ、横目で睨まれて親父さんの苦労も判ってやれと彼は言った。私と彼はいくつか年上のラルヴァンダードにたいして、敬意をこめて親父さんと呼ぶ。最初はいやな顔をしてなんだそれはと渋っていたラルヴァンダードも、最近ではどうでもよいことになったのか聞き流すようになった。畢竟慣れの問題である。
「苦労、とは」
「判ってて俺に言わせるか」
 また呆れた顔をされてしまった。
 判っているよと私は言った。上掛けと敷布のあいだへもぐりこむ。
「親父さんがどれだけ姫を思っているか」
 自由にさせてやりたいのだ。
 言いながら私は木目の浮く天井に、空をよぎる鳥を見た。
「かごの鳥という言葉があるな」
「……あるな」
「姫はかごの鳥ですらないでしょう?」
「――」
「かごの鳥もつかまる以前は大空を飛んでいたに違いないです。しかし還る巣をもたず、逃げこむ母鳥の翼をもたず、飛び方どころか世界というものがあることすら姫は知らない。あの方の世界の住人は、俺と、アンタと、親父さんだけです」
 あとはいくらかの生き物。
 だから、と私は言った。
「俺は世界というものを姫に見せて差し上げたい」
 つかさどる軸。
「世界軸が変更された瞬間、いったいそれはどれほどきらびやかないろどりで染まることか」
「――」
「あの方の未来は無限だ」
 有限でしかないものに囲まれて暮らす日々のなかにこそ秘められているといった、どこかの哲学者はなんという名前だったか、
「まるで詩人だな」
 呟いたグシュナサフが口にしてからああ、と嘆息し、そう言えばお前は詩人だったのだなと鼻から息を吐いた。
「だって俺はあの方が好きなんです」
 さらと言うとぎょっとしたように頭を上げて彼がこちらを見やる。失礼な男だと思う。
「思いませんか。年齢じゃあないんです。若くたって世辱にまみれてしまっているような人間はいくらでもいるでしょう。姫にはそれがない。あのまっさらな魂がうつくしい、あのまっさらさは町ではなかなかお目にかかれないしろものです。そうして、できればうつくしいままに生きていてほしいと」
 お前、
「おかしな気を起すなよ」
「起しませんよ。だいたい、あのこわい監視の目をかいくぐってなにかする度胸は俺にはないです」
 しかし彼女があと数年追熟したらどうなることだろうかとも言った。
「それは、どういう」
「世辞じゃない。引く手数多にきっとなる。違いないです」
「自己推薦」
 するといいんじゃあないか。
 珍しくグシュナサフが軽口を叩いたので、私は頭を傾けて彼をじろりと睨んだ。彼はこちらへ背を向けているので顔は見えない。
「俺はしがない一介の宮廷楽士ですよ。今はその宮廷すら持たない流れの歌歌いです。騎士のアンタが立候補すればいい。それとも俺が推薦しましょうか」
「どうしてそこで俺が出る」
「アンタも姫が好きでしょう」
 そうして、監視の鋭い後見人殿も。好きですよねといいかけて好きだとかそうした言葉でくくれない深層と言うものはあるのだと気が付いた。好きだ、大事な、大切な。どれもがそのようで、どれもが陳腐だ。
 呆れた声に隠してそのまま寝ようとする気配があったので、寝かせてなるものかと私は突いてやった。言われてこちらへ向けた肩がやれやれと言った調子で上下した。
「お前はそうして無闇に敵を増やして回るのか」
「誰もに好かれる治世者は幸せものなんです」
 返された言葉は聞いていない振りをした。
「あの方はきっと、どこにおられても幸せになれるでしょう」
 それからしばらく互いに黙り込み、春暁にひびく森の獣の遠鳴きを聞いた。そのまま規則正しい呼吸が聞こえたので、そろそろ相手は寝てしまったかと私が寝返りを打ったときに、
「等身大の」
 背を向けたままグシュナサフがぼつりと呟いた。寝ていたわけではないらしい。はい、といらえると、幸せというものが各々あろうにと彼は言う。
「あの方のな」
 続けて彼が言った。
 彼女の幸せは彼女でしか推し量ることができぬのではないかと、そういうことが言いたかったらしいが、ぼそぼそと言いなおしているうちに飽きたのか寝息が聞こえてきた。常に会話を放棄する癖をどうにかしてほしいものだと思う。
 気心が知れた仲とは言え大変に失礼である。
 まったく、と今度は私自身も眠りに就くために寝返りを打ち直すと、ひたひたと階段を降りる裸足音が聞こえてきた。軽い。目を上げると片手にぬいぐるみを持ったコロカントが、そっと足音を殺しながらこちらをうかがう気配があった。起きるにはまだ早い時間だが、目が覚めたらしい。
 半身を起して姫、と呼ぶとびくりと影が揺れて、それからちいさな影が小走りにこちらへ向かってやって来た。雨宿りに駆け込む小鳥だと思った。
 上掛けをあげて迎えてやる。
 滑り込んできた体は、二階から一階まで降りてくる少しのあいだに冷えていた。冬眠の熊のように私は体を丸め、後ろから彼女を抱えるように抱きしめる。
 欠けていた部位が丁度ぴったりとおさまった、足りていない部分に上手い具合のかたちが嵌まった、そんな気分にさせられて、なぜかほっとした。
「目が覚めたら、ホゥルがいませんでした」
「ああ」
 姫を起してしまうと思ってこちらで寝ていたのですよ。彼女の長い髪を撫ぜながら答えると、気にしないでよいのにと返された。
「むずかしいお話は終わったのですか」
「終わりましたよ」
「よくない状況なのですね」
 この場合のよくない、とは旧シビラの国政を指すのか、それとも彼女自身の身辺についてだろうかと私は一瞬考える。どちらにせよ「よくない」ことにたいして変わりはないのだけれど。口ごもった私に、無理はだめですと小さくたしなめる声がした。年端もゆかない彼女に心配をかけるとはやきがまわったかなと思う。私も、グシュナサフも。ラルヴァンダードも。
 無理、と繰り返すと、あなたたちのことですと言う。
「ハブレストの目が光っていると聞きます。無理をして、危ない目にあわないか、心配です」
「我々は姫の御為になるならば、惜しむことはないです」
「それは、」
「命をかけることすらいといはしないということです」
「いけません」
 腕の中でくるりと体を返され、彼女がこちらを見上げる気配がした。どうしてそうした悲しいことを言うのですととがめるように言う。
「悲しいこと、ですか」
 大人はそれを英雄譚と呼ぶのだったが。
「ホゥルもガシューもレヴも、みんな、大事です。わたしは、わたしのために誰かが命をかけることをうれしいと思いません」
「それは」
「騎士でしょう」
 きっぱりと言い切られ、これが彼女の芯の強さかと思わず言葉に詰まる。
「ホゥルも、ガシューも、レヴも、騎士なのでしょう」
「それはそうですが」
「騎士は命を投げ捨ててはいけないのでしょう」
「己の信念のためであれば、或いは」
「守ることが仕事のはずです」
 いけませんよともう一度ささやかれ、彼女のちいさな手が私の頬へ触れる。
「どうかわたしを守ってください。ずっとそばにいて守ってください。あなたたちになにかあったら、わたしはとても悲しい」
 彼女の本音だ。
 暖炉の炎はいまや断末、ひどく小さくなっており、揺らいだ明かりはたいした光源を齎しはしなかった。だのにじっと見つめるふたつの黒が、自ら発光するかのように炯炯と私を捉えるのだ。寝息を立てているグシュナサフの耳にも、この会話は聞こえていることだろう。そもそも見た目よりも神経の過敏な彼が、主の声に目をさまさぬはずはなく、すると狸寝入りということになる。
 しかしこの場合、余計なことに口を挟まない彼の性格は私にとってはありがたかった。役得と呟いてまんまるの小動物の視線を私は独り占めすることにする。
「指切りです」
 言って目の前に小指を差し出される。ちいさな手のちいさな小指は、からめただけでぽきんと折れてしまいそうで、おそるおそる私は己の指を示した。示しながら、ああ、たまにラルヴァンダードの言う無骨な、という自身の表現は別段誇張したものでも卑下したものでもなくただこうして彼女の体の部位と比較対象してみると、まさしく無骨なとしか言いようがないのだと理解する。
 無垢な新雪の前には己のいぎたなさがいっそう浮き出て見えるものだ。
 指をからめると、彼女が笑う気配がする。
 足ることを知るということが最大限の幸せなのではないかと、そのほころびを見るたびに私は思うのだ。


(20120306)
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最終更新:2012年03月06日 00:08