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 自分の魂もまとめてあっち側へ強制送還した気がする。
 巣穴にひしめいていた全部の芋虫を、円陣に向かってかたはしから掴んでは投げ入れ掴んでは投げ入れ、終わった頃には夜中だった。
「……。……。……。」
 終わった。
 ようやくここ最近のなかじゃ一番に苦行だった作業が終わった。
 気力も体力も真っ白に燃えつきながら、ボクは先導するシラスの鬼火に続いてふらふらと空になった洞穴を後にする。終わったら思う存分わめいてやるんだ、とか祝杯を挙げてやるだとか、修行の開始した一、二秒くらいまでは思っていたんだけど、その全部がどこかへ散っていった感じだった。
 もういい。なんにもなくていい。とにかく部屋に戻ってベッドに入って眠ってすべてを忘れたい。
 だからボクは、親虫はどこに行ったんだろうだとか考える余裕もなかったし、後ろでボクに向かってあとは親探しだなって言ったシラスの言葉が全く耳にも入っていなかった。
 だけど。
 抜け殻のようになったボクへ、林の中から黒い影がものすごい勢いで飛びだしてきてぶつかった。有無を言わさず両肩を掴んで地面へ引き倒す。抵抗どころか声を上げる暇もなかった。
 どっさと倒れ込んだボクの体のうえにすかさず黒い影は馬乗りになって、
「……ッ」
 鬼火の薄あかりに照らされた恐ろしい顔は、村の司祭サマの顔だった。白目を剝いた、どう見たって正気の顔じゃあない。歯茎までむき出し、よだれをだらだらと垂らしながら、ボクの喉笛を食いちぎろうと体を伏せ、
「――レ、」
 刹那ボクは仰け反った視界の中に、驚愕に引き攣ったシラスを見た。相変わらず具合がよろしくないみたいで、それでワンテンポ反応が遅れたんだなってボクは頭の片隅で思った。それから、目を見開いた表情をしていても、馬乗りになっている司祭サマと違ってやっぱりなんとも憎らしいまでにきれいな顔だなって思った。
 そうして間に合わない、シラスがそこから腕を伸ばしても司祭サマがボクを食いちぎる方が早いって理解する。同じような発想を彼が浮かべたのが判った。顔が歪んだから。絶望って本当にいきなりやって来るものなんだって思う。
 その次の瞬間、真っ白な何かがボクと、ボクをかみ砕こうとした司祭サマの間に割って入って、
 間一髪だね。
 そんな含み笑いに似た嘲りがボクの耳を打つ。思わずボクは瞬いて、世界がいきなり動き出す。
「ナ」
「……」
「ナナシさ」
「うん」
 ボクの喉の代わりに食いちぎられた腕から鮮血がふき出す。さっき、シラスが魔法陣を書くために手首を噛んでいたけど、それとは比べ物にならないほどの出血量だった。痛いってもんじゃないだろうに顔をしかめもしない。
「腕!」
 ボクは悲鳴を上げてナナシさんに飛びつく。なんとかして傷口を押さえなきゃって、頭の中はそれだけだった。とっさに肩から掛けていた鞄から手拭いを出すと細く捻じり、腕のつけ根にきりきりと縛り付ける。
「ああもうどうしよう、どうしよう」
「……ごめんね?」
「なんでナナシさんが謝るんだよ!」
 半泣きになりながらボクは彼に八つ当たりした。ごめんねって言うのはボクの方だ。
「親があやつってるな」
 巣穴を荒らされたことを怒ってやがる。声がしたのでボクはシラスを振り向く。暴れる司祭サマの体をシラスが押さえて気絶させ、検分していたらしかった。
「あああもー……手間ばっかり増やしやがって」
「近くに来ているね」
 俺本当に早く帰りたいんですけど。シラスがゆらりと立ち上がり、そいつのこと見てろよ、ってナナシさんへ向けて言って、たちまち林の中の闇へ消えていった。ちょっと待ってとボクは呼びとめようとしたけど、シラスの周りを流れる怒りのオーラといおうか不穏な空気がハンパなかったので、つい制止の声が引っ込んでしまう。
 ていうかキレてますよね。
 本気でキレたシラスはとてもじゃないけどボクには止められない。
「注意していたつもりだったんだけど」
 縛り付けたものとは別の手拭いをもう一枚鞄から取り出して、ボクは次々と新しい血がしみ出す傷口に押し当て上からぐるぐると巻いた。村に戻ったら縫った方がいいかもしれない。どうしようどうしようって相変わらず頭の中はそればっかりで、巻いているボクの手つきを見おろしながら、ナナシさんがぽつりと言った。
「目を離した隙に抜け出されていて」
「うん」
「ごめんね。俺の不注意であなたを危ない目に合わせてしまった」
「でも庇ってくれたじゃないか!」
「ぎりぎりだったよね」
 間に合わなかったら俺いろんな意味で死んでいるな。言って困ったような顔でナナシさんが笑った。水色の目が細くなる。眺めてボクは、彼の表情がいつもうすらぼんやりとしている原因の一つに思い当たる。このひと、白目がないんだって思った。今更気がつくボクもたいがいなんですけど。
 そんなボクの横でいきなりギャアッと鋭い声が聞こえて、茂みががさがさと揺れ、割って赤黒い何かが転がり出してくる。思わず飛び上がった。ゴツゴツとしていてスジっぽいというか節っぽくて、ちょっと組み立て式の棒人形みたいだな、とか思ってしまった。それにしては節が多い上に逆関節で曲がったりしていて、人間の形は成してないんだけど。
 転がり出したそれは二つあった。しばらくばたばたと暴れて、やがて静かになる。
「うわ、なにこれ」
「『親』だ」
 息を切らせたシラスが同じように茂みを揺らして続いて出てきて、それから地面の上で動かなくなって横たわったそれを見おろしてくそ、と吐き棄てた。
「一匹逃した」
「おびき寄せてみようか」
 同じように親虫を眺めていたナナシさんが、そう言って何か動作をしかけ、ふと思いだしたみたいにこっちを見る。
「うーん」
 よくないかもしれないなぁ。
「な、なに」
「――レイディ」
 ぼそぼそと口の中でひとり問答していたナナシさんが、うん、となにやら納得し、ボクの方へ手を伸ばして、その伸ばしたてのひらで視界を覆うようなしぐさをした。
「ちょっと目をつぶっていてね」
「え?」
「早くしないと逃げちゃうよ」
 なんで、だとか、何を見ちゃいけないの、だとか疑問は色々ふきでてきたんだけど、ここはきっと大人しく言う通りに従った方がいいように思った。ボクの疑問なんかより、とにかく逃げた親虫を捕まえる方が先だと思うし。
 言われた通りボクはいそいで目をつぶり、手をまぶたにあてていいよって言った。
 それから、何も見えない真っ暗な中で、そう言えばこんなにアクティブなナナシさんってはじめて見るかもって思う。自分からあんまり何か行動を起こすような人には思えなかった。でも、それもただのボクの思い込みなのかもしれない。
 目が見えない分なんとなく耳をそばだててしまう。周りの空気がやけにぞぞぞ、って重ったるく肌にまとわりついているような感じもした。冷たくない靄が渦巻いてるみたいな。でも目が見えない分敏感になっているだけで、本当は何もないのかな。手を外して何をしているのか見たい気持ちもあったけど、なんだかわからないけど見られたら困るんだろうなって思ったのでじっとボクは待った。
 そのうち、遠くの方からぎゃあぎゃあと甲高い鳴き声が聞こえてきた。うわ本当に寄せられるんですね。信じてなかった訳じゃないけど、こんなに当たり前のように引き寄せるとかすごい特技だと思う。
 ふと人が動く気配がして、それがシラスが動いた風の流れだってボクは気がついた。捕獲範囲に親が来たんだろう。ばき、とかごき、とかぐしゃ、とかちょっと異様な形容しがたい音が何度かして、それからまた唐突に静かになる。
 しんとした静けさって耳に痛い。
「……もういい?」
「いいよ」
 見ちゃだめだと言われるとなんだか見たくなるのに、もういいよって言われると逆に目を開けるのが怖くなる。ナナシさんの声におそるおそる当てた手の平を外して、ゆっくりと瞼を開けた。
「あ、あの」
 目を開けて見回すと、あっちとこっちにそれぞれしゃがみ込んでいるシラスとナナシさんの姿があって、えーちょっとどうしていきなりこんな引き分け展開みたいな、満身創痍になってるのとか思った。格上とか格下って言うランクがあるとしたら、どう見ても親虫は練習相手にもならなさそうな強さで、そこまで彼らと壮絶な死闘を演じたって言う風には思えなかったからだ。
「悪い。俺、ちょっともう限界」
 悲惨な顔をしたシラスがよろよろと立ち上り、出る、いろいろ出る、とか言いながら林の中に消えていった。あ、あっちは二日酔いコースでした。介抱しようか、それとも放っておかれた方が本人としては楽かも。
 どうしたものか。
 判断に迷ってもう片方の魔物にも目をやると、うずくまっていたナナシさんは少しだけ顔をボクの方へ持ち上げて、
「俺も限界かも」
 言って困った顔をした。
 元から青白いんだけど、なんだか真っ白な顔色の気がして、出血がひどいのだろうか、さっき傷口押さえたけどエラいことになっちゃったろうかって、ボクが慌てて傍らにしゃがみ込んで検めようとすると、そっちは平気だよって首を振られる。
「どこか、他にもケガした?」
「してないよ」
 そうじゃないんだって説明しづらそうに口ごもられる。そうして無理にとってしらべた片腕は、完全に傷が塞がっていた。
 えって、そりゃ魔物とボクらは体の構造が違うんだからそうなのかもしれないけどやっぱりボクはびっくりして、目を見張っているとレイディ、とナナシさんに呼ばれて我に返る。
「もう安全だと思うけど。村まで一人で帰れる」
「え、うん、そう遠くないしランタンも鬼火もあるし、帰れるけど。でも、司祭サマとか背負って行けって言われるとちょっと」
「彼は朝になったら俺が連れて行く」
「うん、けど、ナナシさんも具合、わるいの」
「悪くはないよ」
 具合は悪くないから平気だよと重ねて言われたけど、でもどう見ても普通じゃないです。二日酔いの方は原因が判ってるから放っておいてもよさそうだけど、原因が判らないナナシさんを放っておけないってボクは言った。
「かたちを、」
 ますますだるそうに体勢を崩しながら、切れ切れに彼は答える。かたち。
「力の加減間違って、今ちょっとこの、俺のかたちを保っているのが難しくて、ね」
 だから先に帰ってと彼は言った。
「たぶん、気持ちのいいものじゃないから」
 言った彼の肩口が一瞬ずるっと剝けた気がして、ぎょっとしてボクは立ちあがった。しばたたくとそこは普通通りに肩だったんだけど。
 放っておいていいものだろうか。けど本人がそうしてほしいと言っているんだから尊重すべきなのかも。
 それに、見られたくないものを無理やり見るっていうのもどうなのかって思って、ボクは頷いてじゃあ先に帰るよと声をかけた。
「……朝までは誰も辺りに近付かない方がいい」
 珍しくはっきりとした要望の言葉だったから、うん判ったと答えてボクは振り返らないで歩き出すことにした。振り返って色々はっちゃけた形になってたら、それはそれでボクは対応に困ると思ったから。
 それにしても、同じような形に見えて本当にシラスもナナシさんも実が違うんだなぁと歩きながらボクはおかしなところで感心した。シラスってわりと見た目が無害というか、黒い霧の塊みたいなものだから、あんまり素性見せても気味は悪くないけれど。
 比べてナナシさんはなんとなーくだけど、ちょっと、こう、アウトな気がしないでもない。湿り気があるというか。なんというか。裏庭の石をひっくり返したらわってわいて出てくる細かい虫、的な。
 あんまり深く考えるのはよそうと思った。そうでなくてもボクは精神的ダメージを負ったんだった。次々とハプニングすぎて覚えきれないけれども。
「いつもよりちょっとキミも元気ないねえ」
 ふよふよ、と隣をついてきてくれる鬼火をつつくと明かりが点滅する。本体は林に消えて行ったけど、今頃グロッギーになっているにちがいない。

               *

 次の日の朝、ボクが起きると司祭サマは村に戻って来ていた。ナナシさんに付き添われて、でも自力で歩いて戻ったらしい。二日と半何も口にしなかったので軽い脱水症状になっていたけど、症状としてはそれだけで、他に悪いところはなさそうだ。
 ひとまず安静にしてもらって、水分を補給しながら様子を見ていたんだけど、どうやら他に悪いところもなく大丈夫そうだった。
 後処理のようなものをしながら半日様子をうかがって、平気かなって判断する。
 けれど、そういえば司祭サマの体内に産み付けられた卵はどうなったのか、虫下しは飲んだのかといきなりボクは気がついて、そうしたら気が気じゃなくなった。司祭サマ自身は自分の体に産卵されたことなんてきっと知らない。そこに虫に卵産みつけられていたんですよ、虫下し飲みましたでしょうか、だなんて聞けるはずもなかった。それってパニックにしかならないだろ。
 でも放っておいていい問題でもない。
 こっそり物陰から司祭サマを睨むように観察していると、取り除いたよってうしろから声がした。じろじろ見ていたのを見られてたらしい。
「ナナシさん」
「おはよう?」
 もう昼過ぎです。
 首をかしげて挨拶する彼は、最後に別れたときよりもずっと顔色が良くて、そうしていつものようにぼんやりしていて、ついでにきちんとひとのかたちを取っていたので、ボクは安心する。相手がだれでも、やっぱり具合が悪いよりは元気な方がいい。
 あと、非物体よりは有体の方がいい。
「そういや、シラスどうしたろ」
 具合が悪いと言えばあのあと彼は一向に宿代わりに借りていた部屋に戻ってくる気配を見せず、ことここにいたってまだ姿がない。林の中で野タレてるかもしれない。
 どうしたものかなって相談するでもなくナナシさんに呟いたら、そのうち気分がよくなったら戻ってくるんじゃないかなって当たり前の返事をされてしまった。その通りだと思います。ボクが心配しすぎなんだろうな。
 畑荒らしの犯人は突き止めたわけだし、司祭サマは無事に意識を取り戻したし、ボクが依頼された仕事は全部こなせたと思う。半分どころか九割見ていただけともいうけど。
 それはおいおい、自力でこなせるように努力するしかない。
 今から出発すれば、夜中までに家に戻れそうだった。もう一泊したってよかったんだけど、そういや荒らしっぱなしの我が家の中はどうなったんだろうって思ったら気になって、帰ることにした。片付けるかどうかはともかく確認しないといけないって思う。
 荷物をまとめて王都に戻る旨をオジさんたちに伝えると、ありがとうありがとうと感謝され、おまけにいろいろ野菜を頂いてしまった。鞄に入りきらなくて、ボクとナナシさんと二人で、両手で抱える大きさの麻袋を抱えて王都帰還です。行商できそうです。なんか当分根菜類にはこまらなそうです。こんなにたくさんありがとうございます。
 午後の遅い馬車を待ってナナシさんと二人で袋を抱えて乗り込む。結構重い。
 よいしょ、と気合と一緒に馬車の荷台に麻袋を引き上げ、それから幌の下に座り込んでひと息ついた。
 乗ってしまえば数時間、揺られているだけで何もない。
 昨日みたいに何かある方が困るんだけれど。
 ぬけるような晴天、だとよかったんだけどあいにくと薄曇りで、しかしまあ、こう、気圧の谷間っていうのはどうしていくら寝ても寝たりないんだろうね。
 荷物に寄りかかり、上下に揺れる馬車の上で次第にうとうとと眠くなる。昼寝って完全に眠り込むより、この寝るか寝ないかの微妙な狭間にいるときが一番気持ちが良いような気がする。ソファで本を読みながらもう半分以上寝てて実際読んでないんだけど、無理矢理開いて文字の上に視線を滑らせながら、バラララってページが顔に当たるとか。おとなしくベッドにいけばいいんだろうけど、ベッドで本格的に寝るのとは違う、何とも言えない退廃的な快楽。大げさだろうか。でもグダグダ感がけっこう好きだ。
 ボクだけかもしれないけど。
 その、一番気持ちが良い、今まさにスゥって睡眠にシフトチェンジしますよってところで、なんだ八百屋でも始めるのかとか耳元であきれた声がして、唐突にうつつに戻される。戻されながらああ勿体ないって、今一番気持ち良かったのにって恨めしくなりながら目を開いた。
 いつの間にか乗車していたシラスが、何食わぬ顔でボクの横にいる。
「どんだけ貰ったんだ」
「ありがたいよね」
 どうやって追いついたのかとか今さら驚いても仕方がない。いきなり馬車の中に一人増えたことに、少人数ながらも他の人たちが驚かないでいるってことも、取り合っても仕方がない。いまさらです。
 食費が浮いてよかったなって言いながら、不意にシラスがボクの片腕を取ってくんくんとにおいを嗅ぐ仕草をした。
「なに……?」
 寝る前に体を拭いたけど、汗臭いのかな。
 少し眠くてぼんやりしたまま、ボクは腕を取る彼を見上げた。
 まだそう汗をかく季節でもないんだけど。でも暑くてかいた訳じゃなくても、昨日は脂汗的な、冷や汗的な、とにかく大量にいやああな汗をたっぷり垂らした自覚はあったから、部屋に戻ってから一応全身拭いたんだけど。
 そうしたら食ってもいい?とかこっちを見つめて聞かれて、ばっちり目が覚める。はあって、こんなところでなに寝ぼけたこと言ってるんですかっていう。
「村の事件を片付けたら食ってもいいって話だったよな」
 いや言いました。確かにボクはそう言いました。
 けど、なんというか時と場合を考えた方がいいんじゃないだろうか。人目もあるし、そもそも、
「気持ち悪いのはどうしたんだよ」
「丸一日転がっててようやくマシになった」
 そういえば昨晩遅くから軽く一日経過しているんだった。
 林の中でそれこそ芋虫のように転がっていたんだろうシラスの姿を想像して、ボクはついつい笑ってしまう。
 ヤケ酒した後のとんでもない事態とか、自分のことだと本気で地獄だけど他人がしてるとアホだなーって冷静な目で見れてしまうというか。
「食いたい」
「いや、でも、王都着いてからとかさ」
「今食いたい」
 あだめだこのひと聞く耳持たない。
 真摯な目でじっと見つめられて、しようがないって諦めた。約束は約束だ。魔物退治を手伝ってほしいって望んだのはボクで、彼は確かにその望みに応えてくれたんだし。
「でも、人目に付くような食べ方はちょっとやだな……」
 いくら少人数とは言え、他人もいる乗合馬車の中でうなじだの首筋に顔埋めるとか、事情を知らない人から見たらどうみてもエロスです。さすがにボクはそのあたりのツラの皮はまだ薄くありたいと思う。
 ふーんって言いながらじゃあこうならいいだろって、シラスがさり気ない動作で芋の袋の上に寝そべり、ボクの片手を取って人差し指の関節辺りをかるく噛んだ。まあなんだ、袋に隠れて一応他人からは見えないし、そう大きい動作じゃなかったから、許容範囲に入れてもいいように思う。一応譲歩してくれてるみたいだし。
 やれやれとためいきを吐いてボクももう一度袋に寄りかかり目を閉じると、少ししてひりつくような感触が指からもたらされた。ちりちりとしたわずかな痛みだったし、騒ぐほどのことじゃない。吸ってるんだろうなって何とはなしに目をやると、うっとりとしか表現できないような表情で、目を細めて一心に人差し指を舐めしゃぶる魔物の姿が見えた。
 見た瞬間横っ面を叩かれたような衝撃がある。
 ……神さま。
 これは視覚への暴力です。
 あっちはどうなのか知らないけど、ボクは恥ずかしい。そんな無心に食われるとなんだか身の置き所がない。
 慌ててぎゅっと目をつぶり、顔を背けて今見たことはちょっと無かったことにしたいって思ってしまった。どうでもいい別のこと考えよう。歴代市長の名前とか。
 しかし誰かが言ってたけど、食事をする姿ってエロティックなんだそうで、口の粘膜が他の粘膜と触れ合う態というのは、性交以外ではなかなか見かけないんだとかなんとかあああなんでボクはこんなことを今思いだすんでしょうね。
「いいなぁ」
 おいしそうだなぁって、唯一角度的に見えていたらしいナナシさんが小さく呟く声がして、なんでもいいから現状から気を逸らしてくれる救いにならないかとボクは目を開けてそっちを見る。
 片膝を着いてその膝に顎を乗せながら、彼はじっとこちらを見ていた。泣き笑いしてるみたいに眉が下がっていて、その顔を見ながら彼にまで食べたいとか言われたらどうしようかって思った。一日に二人はキツそうだと思う。さすがに。
 体力的にもそうだし、こんな視覚の暴力、日に二度も見せられたらボクは穴を掘りたい。どこでもいいから穴を掘ってその穴に全身埋まりたい。
 その気持ちが顔に出たのか、窺うような視線をボクの顔に走らせたナナシさんに、俺は食わないから安心してねって言われてしまった。先読みありがとうございます。でもボクってそんなに読みやすいですか。
「そういえばナナシさんて、こっち側にきてからきちんとご飯食べてる?」
 ふと前から気になってたことをボクは聞いた。
 お隣さんだから、最初の頃はオスソワケっていって多めに作った煮物とか持っていったんだけど、俺ほとんど人間の食べ物食べられないんだよねって謝られてしまった。そのあと彼がどういうものを食べていたのかよく判らない。だって断られるまで、魔物ってシラスと同じようにそんなに必要じゃないけどたいがいのものは口にできるって思ってたし。
 でも生き物なんだから、何かは食べていないと生きていけないと思う。生気を狙って王都で「食事」しないでねってクギは刺しておいたけど、だったら何を食べていたんだろうって思った。
「うん、昨日食べたよ」
「へえー……食べたの」
 実はずっと何も食べてないって答えが返ってくるものとばっかりボクは思っていたので、食べたと答えられて俄然興味が湧いた。たしか魔階にいったときに、いいにおいのするモヤのようなものを呷っていたし、花の蜜的な、仙人で言うところの霞みたいなものを食べたのかなと何の気なしに尋ねた。とりあえず現段階で生気を吸っている真っ黒黒スケから気を逸らせる話題なら何でもいいから食いつきたいっていうのも、ちょっとはある。
 アレかね、魔物で言うところのベジタリアンとかそういうことだろうか。
 でもそう言えば一昨日あたり、生気は食べないけど共食いみたいなカンジの嗜好だって聞いたような気がするあれちょっと待てよ。
「……昨日?」
「虫と卵」
 おいしかったよ?腹が満ちて満足した猫科の動物がするような表情でぺろりと舌なめずりをし、にっこりと彼は笑う。反してボクはぎょっとなって荷台から若干飛び上がり、つられて会話が耳に入っていたっぽいシラスも身を起こした。
 さすがに口が指から離れている。
 ああ――食べたんですか。
 思わず遠い目で空を眺めながら、ボクはますます現実逃避をしたくなった。
 そうして後悔した。
 何の気なしに尋ねてしまったことを心の底から後悔した。
 ……そう言えば畑で見たときからおいしそうって言ってましたよね。
 ボクが村に戻ってきたときに、芋虫たちの巣穴を突き止めたって彼は確かに言った。そう言ったけど、でも何をしてきたかまでは言わなかった。退治したとか目印付けてきたとか、そう言う口振りじゃなかった。
 ボクはただ、ナナシさんが自発的に動くってことが珍しくてそっちの方に気を取られていたし、だから巣穴に実際行って、シラスから幼虫の数が少ないって言われたときも、なんでだろうねって深く考えることはなかったけど、
「まだあるけど、食べる」
 え、って聞き返す前にナナシさんは懐を探り、いきなり目の前に握った拳をさしだして開いた。今度こそ、人目もはばからずぎゃああって叫んでボクはシラスを盾にして後ろに隠れる。
「おま、ちょ」
「無理無理無理無理ボクちょっと無理」
 ナナシさんのてのひらの上にはびっしりと産み付けられた白いツブツブが並んでいて、そのいくつかが蠢いている様子まで見たくもないのにボクは見てしまった。荷台の前の方にいたオジさんたちが一体なんだろうって顔でこっちを見ていたけど、お騒がせして申し訳ないですでももう許容範囲いっぱいです。
 盾にされ、卵と接近させられたシラスが、げ、とか呟きながらボクの前から退こうとしたけど、渾身の力をこめてホールドしたままボクはいいから早くしまってとナナシさんにお願いした。
「そっか」
 残念だねって言いながらナナシさんは卵をしまった。あんなもの懐に隠してたのか。
「でもよ、食わず嫌いってよくないぜ」
「キミが代理で食べなさい」
 食べたら、当分近くに寄りたくないけれど。
 半泣きのボクを肩越しに振り返ってシラスがそんなことを言うので、ボクはきっぱりと言い返してやった。村でもらったお野菜でボクは十分です。

               *

「そんなわけで、解決してきました」
「ご苦労さまだった」
 ついでにこれお土産です。
 あくる日、サンジェット教会にボクは出勤し、上司のネイサム司教に村の出来事をかいつまんで報告しながら、村のオジさんたちからいただいた野菜を司教に差し出した。おや、とか呟いて司教の片眉が上がる。
「見事な芋だ」
「シスターが喜んでました。しばらく困らないって」
 いただいた野菜はとてもウチで消費できる量じゃあなかった。とりあえず半日通りのご近所さんにオスソワケして、それでもまだ大量にあったので、教会に麻袋ごと、これ仕事先でもらいましたと調理場へ運びシスターにとても感謝されたのだった。
 笑顔がとても綺麗なシスターは、相変わらずボクの心のオアシスです。
 そうか、と慇懃に頷いた上司は、ところでお前が帰ってくるのを待っていたのだよと机の引き出しをごそごそとさぐりながら言った。
「タマゴ」
「はい」
「お前が、本腰を入れて、司祭の仕事を覚えたいということで私は大変うれしい」
「そ、そうなんですか」
 司教がそこまで言ってくれるとは思わなかった。感情のよく判らない人だし、正直部下として自分自身が使えるのか使えないのか、ボク自身では判断できなかったからだ。
 思わず照れて頭を掻いたところに、
「と言うわけで僧侶のタマゴとして、以下の退魔をこなしてきなさい」
「は、」
 ……ああ、司教が手放しでボクのことを褒めてくれるとかちょっとでも思ったボクが間違っていました。
 引き攣りながら上司が差し出した数枚の羊皮紙を受けとる。読んで見なさいと言われて、恐る恐る開いてひとつずつ確認したボクは、読み進めるうち、自分の頬が次第に強張っていくのを感じてしまった。
「あの……」
「それにしても実に見事な芋だね」
「あの司教!」
「なにかな」
 渡された数枚の依頼書には、場所は違えど同じ魔物の種と思われる、と書かれた事務所からの付箋も貼ってあって、
「これボクが片付けてきた魔物と同じヤツじゃないですか!」
「その通りだよ?」
 思わず悲鳴になりかけたボクに視線を一瞬投げかけて、それから司教はまた手元の書類の山に目をむける。
「依頼を見事にこなしてきた優秀なお前のことだ。同じ手立てを反復することで、この魔種においてプロフェッショナルになれること間違いない」
 いやそうです。そうなんです。仰ってることは全くその通りで、司教は何も間違ったことを言っていないし、次々と新しいことを覚えるよりも、ひとつずつ確実に実践を重ねて体得していくって言うのは重要だってことも理解してるんです。
 でも。
「……しばらくアレはもう目にしたくなかったのにな……」
 昨日の夜盛大に夢の中でうなされた。
「何か問題は?」
「ないです!」
 やけくそになってボクは涙目で言いきった。どうせグチったところで耳を傾けてくれるような親切な人柄でもない。
「そうか。では心して依頼をこなしてきなさい」
「……はい……」
 がっくりと肩を落とし、でもそれ以上何も言うこともなく、ボクはそっとドアを閉めるとネイサム司教の部屋を退出した。
 用意する道具も手順も判ってる。
 問題は、最低ラインにまで落ち込んだ自分のテンションをどうやってあげるか、それだけだって思う。
 ヤケ酒でも飲むべきか。
 ボクは天井を見上げて溜息をついた。


 翌日、指定された場所へと向かう乗合馬車の上にボクと、シラスと、ナナシさんはいた。
 また退魔の仕事だから一緒に来てって言ったボクと、いつものようにタダじゃやらないと答えたシラスは、激しいミリ単位の交渉の末、今回食べ損ねているラヴェリーローズルの季節限定のケーキを三回買ってくるってことで一応の決着がついた。
 もちろん今回も、彼のゴハンは後払いです。
 それと一応伺いを立ててみたナナシさんは、こちらもいつものように自己主張ナシでいくよと頷いたけど、きっとこっちも、食欲に動かされてのことなんだろうなってことは今のボクにも判っている。
 もういい。ある程度悟りが開けた。いろんな人間がいる。食べないでとはボクは言わないです。
 でも、お願いだから、見えないところで食べてください。
 そんなことを思いながらボクはふと膨らんだ自分のポケットに気がつく。中身が何だったか、ああこっちの問題もあったんだったって思いだした。
「ねぇ?」
「あー?」
 隣で外套を頭からかぶって、まぶしい不愉快だ俺は寝るって不貞寝を決め込んだシラスを突いて、
「そういえばこれって、本当に食べたら不老不死になるの」
 言って彼からもらった「種」を取り出した。
 種を見てシラスがあ、とかまた顔をしかめる。
「なると思うよ?」
「なるんだ」
「いや、ちょっと待てよ、たしかに不老不死になるかもしれないが」
 向かいにいたナナシさんが差し出した種に目をやり頷いて、聞いたシラスが咎める声を出す。
「キミ、そんなもん食ったら」
「なってほしくない?」
「――え?」
「ボクが不老不死になったら、キミは困る?」
 ボクは真っ直ぐにシラスの顔を見て聞いてやった。聞かれた彼がわずかに狼狽えて目が泳ぐのが判る。ああこないだの光景と同じだって思った。彼は、うわべ的にはボクが普通に生活することを望んでいて、なるべく魔法であるとか魔物であるとか、そうした部分をボクの前から隠そうとする。知らないでいいことだって思ってる。
 でもそれで全部かって言うとそれだけじゃなくて、たぶんどこかで自分と同じような生き物になることを望んでいるんじゃないかって思う。魔物でなくてもいいけど、同じように年を取らない、死なない、彼の前から姿を消さない生き物。
 親虫にあやつられた司祭サマが林の中でボクを襲ったときのことを思い出す。
 馬車から転がり飛んで、岩肌にぶつかりそうになったときのことを思い出す。
 あの時のキミの顔。
 やめてくれどうにもならないでくれって、恐怖に引き攣った表情を浮かべていたことを思いだす。
 もしこれを食べたらキミは安心できますか。
 てのひらの上の種をじっと見て、だったら食べてもいいんじゃないかってボクは思った。正直、不老とか不死とか、どれほどたいそうなことか想像もできないけど、でも彼がボクが食べることで二度とあんな顔をしなくてもいいのだったら、それはそれでいいんじゃないかって思ってしまった。
 それから、ナナシさんからこの種を貰ったときは話半分しか信じてなかったのに、頭からすっかり信じてしまっている自分がいることに気がついた。
 ぎゅっと。
 てのひらので転がして種を見つめていたボクの手を包むように、いきなり隣からシラスの手が伸ばされて、
「そんなんじゃない」
 そう言った。
 そんなんじゃないって一体なんだよって思いながら顔をあげると、とてもまじめな顔をして、シラスがボクをのぞきこんでいた。握られた手に力が入ってちょっと痛い。でもそんなこと言えそうな雰囲気じゃないほどじっと見られていた。
 アホの子みたいにぽかんと口を開けて見返しながら、ボクはこの濃いブランディ色の瞳が細まるところは悪くないなって思う。
「俺は」
 そんなボクに考える素振りを見せながら、ひとことひとこと区切るように、
「俺は今のままのキミがいい」
 シラスはそう言った。
「今のままって」
「弱くて、やわくて、見ていないと気が気じゃないキミがいい」
「……でも」
 顔をしかめてボクは彼に包まれた手をもう一度眺める。てのひらから口元までの距離なんて、本当に些細なもので、ちょっと力をこめてぽいと投げ込んだら届いてしまう距離だ。
 でも永遠みたいなものだよね思った。
 距離は絶対だ。
 それから、急にボクは莫迦だなって彼に言った。
「え?」
「今なら食べたかもしれないのに」
 逃げた魚は大きいんだよってボクは言った。今のまま成長していってしまうんだよって言った。シラスの気が変わって今度食べろって言われたって、食べてやらないからなって。
 言いながら自分の手の中にあった種を、シラスの手に握らせる。あげるって言った。
 本当は、格好よくそのあたりに投げてしまえば良かったのかもしれないけど、向こう側のものなんだって思うと、こっちの階でどんな悪さヤラかすか判らないし、勝手に投げて失くしてしまうのもどうなのって思う。
 食べないんだねって見ていたナナシさんがいうので、うんまだいいんだってボクは答えた。もしかすると、どうしても食べたくなるようなときが来たらまた考えるかもしれないけれど。
「せっかくくれたのにごめんね」
「俺は別にかまわないよ」
 でも少しだけ残念だな。そんな風に彼は言った。悪いことをしたかなって思う。でも今のボクには必要がないものだからしょうがないよねって思った。だって今のままのボクがいいって言う人がいるんだから。
 種を押し付けたシラスへ目をやる。驚いた顔を一瞬した彼はそれからこっちを見て、安心したように、これでよかったのかと迷うように、笑った。


(20120415)
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最終更新:2012年04月15日 00:14