<<午後ティー>>
割とどうでもいいことなんだけど、気付いちゃったらどうにも気になることって結構日常にあるとボクは思う。
ほんとうに他人にとったらどうでもいいようなことで、たとえばお気に入りのスカートの折り目がちょっとまがってるとか。イチゴのタネであるゴマみたいな白いツブツブはなんでゴマの味がしないんだとか。通勤途中のからくり時計、そう言えば今日鳴ったっけとか。
そういう、とるにたらないくだらないことだ。
で、休みの日に居間でくつろいでたら、そんなどうでもいいことのひとつ的な疑問が目の前に転がっていて、どうするかな、とボクはこっそり呟いた。
どうするかとか言いながらもう心は決まっちゃってるんですけど。
休日に午後のお茶をしようと思って、でもひとりで飲むお茶なんて味気がなさすぎる。たいがい家にいるシラスは今日は近くの森へ野草を摘みに出かけちゃってて留守だったし、仲良しのミヨちゃんは平日は仕事だ。教会のお休みって交代で休むことが多くて、他の仕事のひとと重なることが少ない。平日休みだと空いていてラッキーなお店とかもいっぱいあるんだけど、こうして誰かと遊びに行くまでは行かなくてもちょっとした時間を取ろうとしてもなかなかあわないことが多い。難しいね。
だからボクは、いつの間にかお隣さんになっていたナナシさんをお茶に誘ったのだった。お茶飲めるかわからないけど。なんかほとんどボクらが食べるようなもの消化できないって言うし。
まぁお茶をするのはオマケのようなもので、本題は誰か向かいにでも座って話し相手になってくれればいい、くらいの感覚だったから、飲めるとか飲めないとかはあんまり問題じゃないです。
毎度のことながら主体性があまりないナナシさんはいいよと言ってウチにやってきた。しかし、自分でさそっといてなんだけど、このひとだいじょうぶなんだろうかってボクはたまに思う。この調子じゃ、どっかで悪質セールスとかに引っかかったりしてるんじゃないだろうか。なんか買うと幸運がまいこむツボとか。いま会員になって、さらにおともだち二人を勧誘するとゴールド特典がもらえるからお得とか。そういうたぐいの。
お茶菓子用意してお茶入れて、とぱたぱたしながらふと振り向くと、椅子に座りながらナナシさんはうたた寝していた。お茶を誘いにいったときに既に昼寝してたっぽかったので、眠かったのかもしれない。そういやもうすぐ新月なんだよね。おおかたの魔物は月の満ち欠けに体調を左右されるって言うし、ダルい時期なのかも。
そんなことを思いながら、ちょうどよく蒸されて茶葉のひらいた紅茶をとりあえず自分のカップに入れて寝てるナナシさんを眺める。起こそうかとも思ったけど、なんだか寝てる様子が気持ちよさそうだったので、悪いかなとか思ってしまった。しかしこれじゃ、お茶の時間の話し相手に呼んだ意味がまったくないですね。
ひとの顔って見てるようであまり見てないことが多い。家族とかコイビト同士ならともかく、普段話してる相手を必要以上に眺めたりしないよね。だからってワケじゃないんだけど、そういえばこのひと、右目を髪の毛で覆ってるよねって気がついた。ヘアスタイルってやつなのかもしれないけど、最初に会ったときは普通に両目見せてた気がする。
それに気がつくと、じゃあこの髪の毛のしたってどうなってるのかなとか思わず気になってしまった。
ほんとうどうでもいい話だ。髪のしたがどうなってたって、ボクの毎日の暮らしに支障はない。
だけど、「気になる」ってヤツは、一度気になるとどうしたって気になるもんで、今ならこっそりチラ見したっていいんじゃないかって思った。寝てるし。気づかないだろうし。
そうして、顔の前で手を振る。オーイ、とか小声で呼んでみる。
反応がないことを確認してから、ボクは音をたてないように立ち上ってナナシさんの横に周り、くたびれたような髪の毛に手を伸ばそうとして、やっぱりちょっとためらった。
これ、めくってみたらなんかいろいろすっごいことになってたらどうしよう。
すっごいことって何だって言われるとあんまり表現できないけど、つまりその……、夢にうなされる系の。
うなされるって言えば、あの白くて太くて大きな芋虫型の魔物の退魔依頼をここふた月で十件近くこなし、というかこなしてこいって丸投げされたんですけどね。仕事だから仕方ないんだけど。でも最初のひと月は、毎晩って言っていいほど、ほとんど毎日芋虫に囲まれる夢を見た。
うなされて自分のうなされた声ではっと目が覚めたり、たまに心配してたらしいシラスに起こされたりして、なんだ夢かって安心した。夢でよかったって。まぁ次の日似たような状況で囲まれてた訳なので、夢でも現実でもたいした違いはないんだけど。
だったんだけど、人間慣れって怖い。ひと月を過ぎると極端に悪い夢を見る回数が減った。自分の頭が仕事として割り切れるようになったのかも。可愛いとかさすがにどうやっても思えないけど、さわった程度でぎゃーって悲鳴をあげなくなった。平気な人は大したことないって言うのかもしれないけど、ボクにしたらすごい進歩です。
成長って言うんだろうか。違うような気もするけど。
その悪夢を思い出して、だからボクはナナシさんの右目を見るのが若干こわくなった。これ、言っちゃあなんだけど、めくったらぽっかり空洞が開いてた、だとかなんかうぞうぞしてる虫っぽいものが湧いてた、だとかそこだけアンデッド化してた、だとかあああついつい想像してしまった。
鳥肌が立つ。
そんな悩んでるくらいならじゃあやめろって思われるかもしれないけど、でも好奇心ってやつも相反してボクの心にいるのです。
で、ボクはしばらく迷ったのち結局見ることにした。好奇心と夢でうなされるを天秤にかけたら、好奇心が勝ちました。それにどうせなんともないに決まってるんだって思った。自分の想像力(というより妄想力)が強いだけだろって。
気持ちよさそうに眠ったままのナナシさんの顔におそるおそる手を伸ばし、こう、右顔面を覆っている髪の毛をそうっと払おうとする。そういやこの人の髪の毛の色もすごく不思議な色だと思う。似たような色をちょっと見たことがない。目立つかって言うと割と地味で人混みに紛れたら消えちゃうような色なんだけど。もしこれを一番ただしく言いあらわしなさいって問題があったら、
「桜が満開の土手のすぐ真下を流れるにごった堀の水の色」
ていうね。水って言っても透明なやつじゃなくて、雨が降って増水した次の日の感じで、それが満開の桜の色をいちおう反映しているようなしていないような微妙さ加減。そんな色だ。
それを考えるとシラスってどこもかしこも黒で、黒って表現しておけばまず間違いはないのでボクとしてはありがたいです。むずかしいこと考えなくてすむし。
そうして御開帳、とか思いながらいよいよ髪の毛を上げようとしたところで、
「なにしてんだよ?」
「わあ」
後ろからいきなり声がかけられてボクは文字通り飛び上がった。ついでに声まで出る。肝が冷えるってこういうことなのかと思った。慌てて振り返ると、怪訝な顔をしてボクを眺めていたのは、出先から戻ってきたシラスだ。手にしたかごに野草がたくさん摘まれていて、彼自身の体からも森のにおいがぷんぷんとする。
「うん、」
ボクが声を上げてしまったせいで、椅子に腰かけていたナナシさんが目を覚まして、眠い目をこすりこすりおはようって言った。もう夕方近いですって。
こすったついでに右目もちらっと見えて、それでボクはなんだか拍子抜けしてしまった。髪の毛に隠された右目は別に何ともなっていなくて、このお茶がカップ一杯分冷めるあいだボクはいったい何してたんだろうねって思う。ひとりで妄想して楽しんでいただけです。
「どうしたの」
すこしがっかりした顔をしていたのかもしれない。なんだかんだ言ってちょっとびっくり箱的なものを期待していたのかも。ボクを見上げてナナシさんが不思議そうな顔をしたので、右目を隠しているんだねってボクはそのまま言った。
「……ああ、これ」
青白い手で押さえて、すこし困った顔をして微笑む。それから、別に隠してるわけじゃあないよって言った。
「でも最初見たとき、別にそんな風に髪垂らしてなかったよね」
「うっとうしくなってしまってね」
「何が?」
重ねて聞くと、うーん、とか言いながらナナシさんが椅子の背もたれに身を預けた。髪の毛で視界覆っている方が、うっとうしい気がするんだけれど。
ちなみにシラスは自分に関係のないことだとばかり、さっさと自分の分のお茶を淹れて暖炉前のソファの上で、摘んできた野草を広げて分けたりしている。
あのね、とナナシさんは言った。
「……こっち側に来て俺が一番びっくりしたのって、太陽なんだよね」
「太陽」
そのままくり返して、しかしこのひとどの顔で驚いたというんだろうってふと思った。彼の喜怒哀楽のほとんどの表情が曖昧すぎてよく判らない。まぁ苦しいとかは判りやすいか。でもこの顔で怒るとか、いったいどういうことになるんだろうって思った。シラスも割と他人に対して無表情だったりするけど、あれはどちらかというと無愛想、とかそういうジャンルだと思うので、ナナシさんとはちょっと違う気がする。
「明るくてあったかくて、なんだろうって思って」
「ふうん」
魔階に太陽はないからなってうしろからシラスの声がした。ああそう言えば一度あっちに行ったときも、そうだったかもしれない。霧の中ぼんやりとした明るさみたいな、もしくはもう日が沈んだけれど暗くなる前の夕暮れどきみたいな。とにかくぼうっと霞がかってはっきりしない妙な具合のお天気だった。
最初の頃はこれが朝で、今から晴れるのかって思ったけど、そのぼんやりした明るさが最高の状態のようで、あとは夜になって暗くなるだけだった。あんなところでずっと生活してたら、そりゃお日様苦手になるかもしれない。苦手だからあっちに行ったとも言えるんだけれど。
「――で、あんまり不思議だったから、見ていたら何かわかるかと思ってちょっとのあいだ見てたんだけれど、どうもそれが良くなかったみたいで」
目がつぶれてしまったんだよねって。あのですね。ボタンが取れちゃったてへ、と同じようなさらっとした言い方しないでくれますか。
「は?え?目?見えなくなっちゃったの?」
そんなに魔物って太陽に弱いのかってボクはびっくりした。直視しただけで視界を奪われるとか。そこまで弱いだなんて知らなかった。するとボクはシラスをいつもいつも昼間外に引っ張り出すけれど、もしかしてものすごい、
「たった一週間だったのにねえ」
「……は?」
ボクは一呼吸のあいだにいままでシラスにしてきた数々の事柄を後悔して、でもって続いたナナシさんの言葉が頭に入った瞬間に、その後悔を丸めて投げてなかったことにした。
というかどこかに飛んで行ってしまうくらい、
「ぱ……パードゥン?」
「ぅん?一週間」
えごめんちょっと何言ってるのかわかんないです。
っていうか、それって魔物とか人間とかもうあんまり関係ないよね。一週間ブッ続けて太陽直視してたらだいたいの人は目おかしくしますよね。
目の前の相手がなに言っているのか信じられなくて、はあ?って引き攣って眺めてしまう。それとも魔物と言うものは、実は嫌いな割に太陽に強い部類なんだろうかって思ってボクはシラスを振り返ったけど、会話が聞こえてしまったらしい彼もなんだかありえないって顔でナナシさんを見ていた。ああ、魔物がおかしいんじゃないですね。この目の前の相手限定でおかしいんですね。
しばらく呆然としてナナシさんを眺めていたんだけど、そのうちこの人に常識とかいうものを望んでも、もしかすると仕方がないかもってなんだか納得してしまった。納得というか諦めの境地。変わってるって言うなら最初から変わってる人だったんだし、今さらなのかもしれない。
「で、今も?」
「うん……、?」
「今も見えないの?」
「――ああ、」
答えてうっすらとナナシさんが笑う。もうだいたい平気なんだよって言った。
「だいたいって」
「左側はほとんど元通りに戻ったんだけどねぇ。右がどうも、明るいか暗いか判る程度からなかなか治らなくて……、邪魔だから」
それで視界を覆ったんだって。覆えるなら何でもよかったんだけど、手拭いだと大げさでしょうって言った。聞きながらはー、ってボクの口から嘆息が漏れる。なんだろう、聞かなかった方が良かったかもしれないこの脱力感。
「まぁ、眼帯とか、そうね、目立つかも」
もうこの際目立つも目立たないもどうでも良くなったんですけど。
「でも実際つぶれるとは思わなかったね」
今ボクには思わなかったね、の「ね」のあとにはっきりと(笑)が見えた気がする。だめだこのひとまったく反省とか後悔って言うことをしていない。
もう一度振り返ると同じようなことを思ったらしいシラスが、とても気の毒な目付きでナナシさんを眺めていた。なんだろう。彼がこんな風に誰かほかの人を見るとか、ボクは初めて見たような気がする。
最初に感じていた、秘密が隠されてて、のぞいたらどうなるんだろうっていうボクのどきどき感はすっかりどこかに行ってしまっていた。残ったのは呆れというか、同情というか、このひとだから仕方ないのかもしれないなぁという達観。まだ知り合って数か月なんだけど、多分このひとずっとこんな感じなんだろうなって思った。
人それぞれって言うけど、ほんとうに世の中には色々な人がいるものだとボクはあらためて思う。まだまだ知らない世界がたくさんありそうだった。
でも、あんまり知りたくないかもしれない。
(20120421)
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最終更新:2012年04月21日 09:30