<<君が嘘をついた>>
全身がぎしぎしと縄で食い絞められたように痛んで、ラルヴァンダードは目を覚ましたのだ。ふしぶしがとんでもないことになっている。
痛い。
いったいなにごとかと、関節炎でも患ったか、それとも浴びるほどに酒でも飲んで無茶をしたろうか。
いや。ないな。
若気のいたりならまだしも、無茶をするには随分年を食っただろうにと呻きながら体の向きを変え、それからここはどこだろうと思ったのだ。
自分はいったい何をしていたのだったか。
寝床の感触がまず日頃のものと違う。はてと目をひらき、視線の先に馬の顔が見え、ますます意味が判らなくて上半身を起こす。ここは一階の戸口近くのようだ。見下ろすとわらを敷いた上にきちんと敷布が掛けてあり、だとすると酔いを深めて床に転がったわけではなく、はなから寝るつもりでここに寝床をこしらえたことになる。
しかし自分の記憶に、寝床を移動させた記憶はない。
そもそもどうしてここにいたったのかと思う。経緯がさっぱりつながらない。そう言えば自分はどこかに出かけた帰りではなかったかと、
「……姫?」
それと、畑に畝を作りかけていた途中だったな。
どうでもよいことを思い、がりがりと頭を掻き首をひねった視線の先に、床にかがんでほうきをひろう仕草のコロカントの姿があった。
なにをしているのだろうと思った。
思い、よく考えもせず声をかけた。おそらくもう朝のようだ。いつもにくらべてずいぶん外が明るいような気がする。寝過ごしたらしい。
起きて暖炉の火を熾し、彼女の朝食をこしらえてやらねばと思った。
甘やかされた子供ではない、ほうっておいても何か適当につまむように育っているけれど、春とはいえ朝晩寒い時期ではあるし、できれば温かい汁物を用意してやりたいと思う。パンを切って焼くだとか、絞った乳をあたためるだとか、簡単なことはできても料理となるとなかなかひとりでは難しいようだ。
まだ子供であるのだ。
そうして呼びかけた彼女は声もなくふりむいた。声をかけられたからふり向いたというよりは、ぎくりとこわばりふり返ったように見えた。
目を丸くしてかたまっている。
意味が判らない。
自分はなにか怯えさせてしまう言動でもしただろうかと男はいぶかしんだ。そうして、なぜそんなにこわいような顔をしてこちらを見ているのだろうと思う。
彼女が唇をわななかせ、彼の名をつぶやいたらしいが声にならなかった。
「目が、――目が、覚めたのですか」
やがてしぼりだしたような唐突な言葉は、互いにまじろぎもせず見つめ合ってだいぶん時間のすぎたあとだ。
「……?はい」
首をひねる。
「大丈夫なのですか」
「大丈夫……、」
「起きても平気なのですか」
「平気、とは」
言葉が理解できず、ぼんやりとくりかえした男の目の前で、みるみるコロカントの口がへの字に曲がる。
ぎょっとした。
驚いた彼の前で、こらえようと歪んだ彼女の頬が崩壊した。一瞬顔がふくれあがったように見えて、次の瞬間わっと火が点いたように泣き出している。
「姫」
意味が判らない。
おのれがここに寝ていることと同じくらい、彼女が泣きだした意味も判らない。彼女の感情の変化にもとまどって、しかしわあわあと手放しで泣いているものをほうっておくこともできない。どうしました。ふしぶしの痛いのはどこかに吹っ飛んで、ラルヴァンダードは慌てておきあがり、彼女のからだを抱きよせようと腕を伸ばし、
「――ああ」
伸ばした腕に巻いた手巾を見とがめて嘆息する。立ち眩みをおこすほど一気に記憶がよみがえり、すべての合点がいった。
「自分は」
森のなかでどうしようもないほど調子を崩したこと。木立の中を朦朧と、躓いてはまたおきあがり、戻らねばとぶつぶつとまじないのようにくりかえして歩き通したこと。
どの時点でここにたどり着いたか定かではないが、コロカントに抱きとめられたような気はする。抱きとめかねてそのまま彼女を巻き込みずるずると床に崩れ、そうして、
「……姫が付き添ってくださったのですか……」
つたなくはあったけれど苦心して手当てをしてくれたらしいあちこちの傷や、即席の寝床を眺めなおしてラルヴァンダードは呆然と呟いていた。思えばおぼろに夜中目の前にちいさなしろい顔があったような気がする。自分の名を呼びながら何度も何度も大丈夫ですと言い聞かせてくれた、真っ黒な瞳。
突然に、不憫とも哀懍ともことなる、しかしどうしようもなくたまらないこころもちで胸がいっぱいになった。これをなんと呼ぶのか男は知らないと思う。
腕のなかで、少女は顔をゆがめつくったこぶしで涙をぬぐう。ぬぐうはしから次々に涙がこぼれ、彼女のこぶしはぐちゃぐちゃだ。
そうして何度となく、もういやですと言った。
聞き取れなくてえ、と口元へ耳を近づけラルヴァンダードは問う。
もういやですと今度はすこしはっきりした口調でコロカントが言った。
「どうしてレヴは無理ばかりするのですか」
「……無理、ですか」
「無理です……!」
怒鳴ったつもりだったのだろうが語尾がふるえて迫力がない。涙をぬぐっていたこぶしで胸板を数回たたかれた。物理的な痛みはない。ただここまで激しい感情を見せる少女と言うものは共に暮らしてはじめてのことで、面食らいながら男は見下ろす。
あなたが苦しむ姿を見るのは、いやなんです。
……あれは叱られたのだったな。
そんなことを思い返しながらラルヴァンダードは土の上に転がっていた。
両腕をひろげ足を投げだして引っくり返っている。
畑の横の、ちょうどよく育った樫の木が枝をはるその真下である。しらず、苦みばしった笑いが頬に浮かんでいる。
しばらく少女は泣きやまなかった。嗚咽をもらし肩を引き攣らせて全身で泣いた。
どうしたら泣きやんでもらえるのか男には判らず、しかし泣いている原因が自分にあることは承知していたから、ほとほと弱った。結局不器用にこころから反省している、悪いことをしたと思っていると十ほど誓いをたてた。
はたからながめれば滑稽な姿だったに違いないと思う。図体の大きな人間が、おのれの腰に届かぬからだに向かって膝をおり頭を下げる姿と言うものは。
叱られたのだな、再度考えて、それから女に叱られるという行為自体が実に何十年ぶりのことではなかったろうかと思いめぐらせた。
幼いころ乳母に叱られた記憶以来かもしれない。食事の時間を過ぎても家に戻らなかった、勝手に馬を駆り領地の外へ出た、乳兄弟ととっくみあいの喧嘩をした、勉強を投げ出して遊びに出かけた。そうした、誰もが叱られたであろう記憶の残滓。
あとでかならず叱られると判っていながらそれでもその場の勢いというものだ。生意気な、利かん気の強い子供だったのだろうと思う。怒りに顔を青ざめさせた乳母を前にうなだれ、長い小言に毎度後悔しながら、それでも遊び仲間と同じようなことをくりかえした。
だが、それもずいぶん昔の話、さすがに分別の付いた長じて以降、叱られた覚えはない。
そういえば妻は叱るどころか、声を荒げることすらなかったな。そう思う。
十代の頃にむかえた妻はおとなしい女だった。育ちの良さもあったろうけれど、もともと感情をむき出す人間ではなかったのだ。
おとなしい女であることをいいことに、家庭というものを省みずラルヴァンダードは戦場に召集されるまま馳せ参じ、家と言うものにおよそ居ついた記憶がない。最低の夫だったと今は思う。
一年のほとんどを戦に明け暮れてすごし、しばらくぶりに帰った屋敷で顔を合わせた妻は、不平を漏らすこともなくただ頭を下げ、ごくろうさまでしたと言った。
とくべつな交流はなかったけれど、やがて腹に子が出来た。孕んだと告げられたときも、だから男はそうか、という言葉以外たいした感慨が湧かなかった。大事にしてやりたいとは思った。無事に子を産めるとよいとも思った。だがそれは、妻を愛すると言う感情だったか。
ただ自分は、他人事のように報告を受けたのではなかったか。
よくない育ちをしている。ひと月後ふたたび参じた戦場に屋敷から連絡が入り、さすがにほうっておくこともできず、男は妻の顔を見るために領地へ戻った。
異様にふくれた腹をかかえ、ひどく痩せた妻は、やはり余計なことはなにも言わず、ごくろうさまでしたといつもと同じように頭を下げただけだった。
危険であることは素人目にも明らかだった。
日に日にやつれ壮絶になってゆくのだ。
そうして、大事ないかとおざなりな言葉しかかけてやることのできなかった自分へ、産みます、大丈夫ですと、おち窪んだ眼窩をぎらぎら光らせて妻はこたえた。
そこにはじめて妻の執情を見たような気がする。
こわかった。
逃げるように戦場へ戻った。
追いかけるように子はやはり流れてしまったと報せが届いた。そうか。男は頷いた。そうか。やはりいけなかったのか。
まみえることのなかった子と、不恰好にふくれた腹、そうして目をぎらつかせた妻を思い、彼はすこしだけ泣いた。
またしばらくして、肥立ちのよくなかった妻の訃報が届いた。ちょうどハブレストと交戦している最中の、幕営の中に飛び込んだ報せだった。
最後はまるで干からびた蟇のようでございました。
使者は声を詰まらせる。
そうか。男は言った。
頷いたきり今度は涙も出なかった。
激化する戦況に追われ、ただ息を吸って吐いて、剣と盾を構え馬に乗っては駆け回る日々だったのだ。決まった刻限ごとに交替し、泥の上に寝、蹴り起こされてはまた血のりでかたまった指を無理やりひらく日々だったのだ。
感傷は摩耗し、正直報告を受けても妻の顔をよく思い出すことができなかったのだ。
後添えをとすすめる周囲の声に蓋をして、以降はがむしゃらに戦を渡り歩いた。
シビラ随一の騎士だとか謳われるたびに、心のどこかに鼻で笑うものがある。莫迦な。声は言った。こんな人非人をもちあげてどうする。
妻だろうか。男は思った。湿った土のしたで或いは恨み言を吐いているか。
恨んでいるとよいなと思った。
「レヴ」
間近で声がして、ラルヴァンダードはいつの間にか閉じていた目をひらく。木立をわたる風の音や鳥のさえずりを聞いていたものが、いつのまにかべつの思い出に没頭していたらしい。少女が近付いてくる足音に気がつかなかった。
おきあがり首を巡らせると、すこし離れた場所からコロカントがこちらを眺めている。夜通し男に付き添い、さんざんに泣き疲れ、寝てしまった彼女のからだを二階の寝床へ運んでから半日ほど経過していた。
目が覚めたようだ。
こちらを見つめる彼女の目が若干不満の色をたたえている気がして、どうしましたと男は言った。
「……どこかへ行ってしまったのかと思いました」
目を覚まし、近くに彼の姿を見つけることが出来なくて慌てて外に飛び出したらしい。髪の毛にわらくずがまとわりついていて、おいでと手招き素直に近寄った彼女の頭から取り払ってやった。
「行っておりませんよ」
膝の上に座る彼女を後ろから抱きしめる。
「それに土の上にじかに寝ては冷えます」
まだ熱があるのでしょう。
気遣う彼女に、もうほとんど支障はないですと男はこたえた。
「それに、日なたはあたたかいですよ」
あたたかいというよりは暑いのだ。きっと寒いだろうと日向に寝転がり、じりじりと肌を焼く日光に辟易して木陰に逃げ込んだのである。
「きちんと治るまで、畑仕事は禁止ですからね」
「はい」
「一週間は遠出もなしです」
「はい」
殊更真面目な顔をして、男は頷く。頷いた彼をふり返り、厳しい顔のままもう一度じっと見つめたコロカントは、それから不意に眉尻を下げてなさけない顔になった。
「……なんだかレヴを怒ってるみたいでいやです……」
頬に手をあてうなっている。なさけない顔に妙に笑いをさそわれて、喉を鳴らすと睨まれた。
「笑い事じゃないです」
「すみません」
「もう心配するのはいやですよ」
「はい」
力を抜いて寄りかかってきた小さな肩に顎を乗せ、それでもついくつくつと男は笑った。
(20120531)
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最終更新:2012年06月11日 20:44