*
結局、話し込んでいるうちに夜が明けた。
気付けば、暁光の気配が戸外に感じられる刻限だ。
「――朝か」
充血した目をこすりながらラルヴァンダードは呟き、夜明けまであと少しもないが寝ることにしようと腰を上げる。
同じように向かい、ななめ向かいに座っていたホルミスダスとグシュナサフも、重い腰を上げ首を回した。
いつの間にか暖炉の火は燻るほどに小さい。
室内はすっかり冷えていた。
さて、だとか言ってホルミスダスが自然な動作で階段へ向かいかける。視界のはしで見とがめて
「……ちょっと待て」
ラルヴァンダードは彼へ声をかけた。
ふりむき、半分まぶたの落ちた彼へ、
「お前はこっちだ」
指し示す。暖炉の前に藁をほぐし、敷布をかぶせた簡易の寝具をふたり分用意してあるのだ。
二階は、ラルヴァンダードとコロカントの共用の寝室になっている。二人分の寝床しかないことはホルミスダスも判っているのに、
「つれないなァ」
その彼が肩をすくめた。
「添い寝は、親父さんのお許しが出ませんか」
「……あのだな。その冷え切ったからだで、姫の傍らにもぐりこむつもりか」
呆れた声がでた。
たいがいのことばを粉飾する彼の本意は知らない。この年になって、出歯亀めいたことを言うつもりもラルヴァンダードはない。ただ、
「すこしは気を使え」
起こしてしまうだろうと言外にたしなめた。
興味のなさそうにホルミスダスをながめていたグシュナサフが、ぽんと彼の肩に手を置く。
「大人しくこちらで寝ろ」
口には出さなかったが、そう言いたかったのだろう。
「今日を逃したら、つぎはふた月後じゃありませんか」
「安心しろ。次もない」
えええ、と不満げな声をあげたホルミスダスをいなす。
まったくどこまでが本気の男なのかわからない。
諜報活動の「建前」を抜きにしても、ホルミスダスは女に好かれる。シビラの宮廷時代から、とかく周囲にうわさが絶えなかった男だ。
女好き、というよりは、相手方からまるで炎にひきこまれる羽虫のように、彼に近寄っている節がある。意図的なものではないのだろう。これもまた、
「性質」
だ。
その、女に好かれるがための自己防衛の一環なのか、それとも女に好かれようとする無意識の努力なのか、彼は口がうまい。
うまい、というよりも百の言葉の中にいくつ、彼の本心が含まれているのか判らないときがある。本人もよく判っていなかったろう。
「わかりました……」
がっくりを肩を落としてホルミスダスがひきさがる。先に寝入り支度をはじめたグシュナサフの横に腰を下ろし、
「ああ、そういえば」
「……うん?」
「年が明けると姫もひとつ年を重ねましょう」
おやすみ、のあいさつとともに息を吐きだした。話の切りだし口を狙っていたものか、それともふと思い付いたものか、
「――誕生日、か」
受けてラルヴァンダードが呟く。そういえばそんなものもあったな。失念していた自分自身に軽く落胆しながら、このつましい暮らしのなかで、どれほど祝いをしてやれるだろうかと思う。
「次にくるとき、なにか見繕ってきます」
「……そうだな。たのむ」
頷くとまかせてください、と張り切った声がして、その張りきりように思わずラルヴァンダードは笑った。
ちいさな燭台のあかりを頼りに、ラルヴァンダードはゆっくりとした足取りで壁に這う階段を上がる。燭台を枕元の木箱の上に置いて、それから自分の寝床へもぐりこみ、上掛けの中でまるくなる。
寒い。
指先がかじかんでいることにも気づかずに三人で夜明けまで話し込み、気付いたころには体がすっかりこわばっていた。
眠ってしまえばそのうち体はあたたまるのだろうが、その眠りに入るまでが実に寒い。
眉間を揉みほぐし、息を吐いて、無理矢理寝よう、寝てしまおうとしたところへ、背後でちいさく己を呼ぶ声がした。
レヴ。
よるべない幼児の声。
聞こえるはずのない時間に聞こえた声に、ああ自分の動きで起こしてしまったかとラルヴァンダードが寝返りをうちふりむくと、燭台のちいさな明かりに照らされ、片手にぬいぐるみを握りしめたコロカントがすこし離れて立っている。
泣きだしそうな顔だった。
「どうしました」
肩肘を突き、上半身を起こすと、レヴ、と彼女はもう一度小さくつぶやき走り寄る。雨宿りに軒下へ駆け込む鳥のようだと思う。
上掛けを持ち上げ中に招き入れると、ちいさな体は冷えてふるえていた。
「どうしました」
手のひらを包み、彼女をあたためてやろうとしながら、冷えきった体で隣へもぐりこむつもりかとどの口が言ったかな、だとかラルヴァンダードは思う。
彼が目にすればきっと、ずるいと文句を言うに違いない。
見おろすと、ぎゅうと目を瞑ったコロカントはべそをかいていて、
「姫?」
「……夢を見ました」
「夢」
「……家を出たんです。はじめはレヴも、ハナも、チチも、タマゴもいっしょに歩いていたのに、誰もいないんです。気が付くと、あたりは暗くて、とても暗くて」
目を覚ました部屋も暗くて。
「ベッドにレヴはいなかったし、まだ下でホゥルやガシューと、大事なお話しをしていると思ったんです。でも、下におりて、もし誰もいなかったらと思ったら、もっと怖くなった。……わたしはひとりぼっちになってしまったんじゃないかって」
「姫」
森のおばけは怖くない。おばけは朝になったら消えてしまうから。
彼女がこわかったのは、
「誰もいないお部屋の中で、わたしはご飯を食べました。やっぱりひとりだった。さびしかったけれど、さびしいと言える人はいなかったです。置いてかれてしまったのかもしれない。でも、どこにも誰もいないって知っていたんです。窓もないお部屋は、とても静かで」
「――姫」
しゃくりあげた頭を撫ぜ、大丈夫ですよとラルヴァンダードは囁く。
「自分も、ホゥルもガシューもきちんとおります」
「……はい」
「姫を置いてどこにもゆきません」
「……はい」
いったいいつから起きていたものか、ぬくもりのようやく戻ってきた彼女の体を毛布でつつんでやる。
それでもしばらくぐずぐずと彼女は泣いて、日頃ほとんど駄々をこねない彼女にしては珍しいなと男は思った。
擦れた男の感覚ではもう判らない世界だ。
とんとんと上掛けの上から一定の調子で体を叩き、ラルヴァンダードはコロカントを落ち着かせるために歌を歌う。歌と言っても子守唄ひとつ知らない彼が歌えたものは、戦場でついえたものたちへはなむけの歌だ。
辛気臭いか、とも思う。思うが、他に知らないものだからこれは仕方ない。
もともと低い彼の声は、階下の二人を起こさないようにほとんどかすれて歌の形は成していなかったけれど、彼女にはそれで十分だったようで次第に泣きやみ、じっと耳をすます風になった。
「……あの」
「はい」
だいぶ経ち、窓の外は薄明るい。
落ち着いた様子のコロカントが、ごめんなさいとあやまった。
「何がですか」
「きちんと、ひとりで寝られるよい子になろうと思っていたのに」
「ああ――」
迷惑をかけないように、彼の邪魔をしないように。おさない彼女なりに最大限に気を使っているのが判って、どういうわけかいじましくなる。
「いいんですよ」
安心させるために毛布の上から抱きしめてやった。
「姫はもっとわがままを言っていいんです」
「わがままですか」
「子供はわがままを言って大人を困らせるのも、仕事のひとつです」
やぎの子供が乳をもとめて鳴くのと同じですよと吹きこむと、わがまま、と呟いてコロカントがすこし考える仕草をした。
「困らせる……、」
「姫は、もっと自分のなさりたいことを、自分やホゥルやガシューにぶつけていいんですよ」
「わがまま」
もう一度繰り返した彼女が、それから毛布から頭だけのぞかせて、じっとラルヴァンダードを見つめる。
「レヴ」
「はい?」
「わたしを」
「はい」
黒スグリの目。
「――たくさん食べて大きくなって、そうして大人の女のひとになったら、わたしをレヴのお嫁さんにしてくれますか」
「は、」
とっさに受け流しかけたラルヴァンダードの喉から、おかしな声が漏れでた。
「じ、ぶ、ん、……です……か……」
嫁がどうのだとか昼間彼女がホルミスダスと話していた気もするが、自分へ振られるとは思わなかった。この展開は考えていない。軽く混乱する。
かわし慣れた大人なら、そうですねとうわべで微笑み、大きくなったらそのうちとほらを吹くだろう。
だとするなら、彼もそうするべきだったのだ。いつか、かならずの口約束。子供のころのげんまん。誰もかなうとは思っていない。そう言うものだ。彼にも判っている。
しかしラルヴァンダードは口ごもった。
品行方正に生きてきた気は毛頭ない。
虚言は大悪だというつもりもない。
けれど、男はその場しのぎの嘘をつきたくなかったのだ。
言いよどんだ男の様子をじっと見上げて、それから不意にコロカントが今のはなしです、と口早に言った。
「無し?」
「別のお願いにします。いまのは別に、どうと言うことはないもの」
どうということはない。言われてああ、とラルヴァンダードはほぞをかむ。いま彼女が口にした希い、うちけしてしまった望み、わがままと聞いてすぐに彼女が思い浮かべ、日常口にできなかったもの。
口先だけでも彼は合わせることができればよかったのだ。
「お祭りと言うものが、町にはあると聞きました」
別の願いをすぐに思いついたのか、コロカントがあらためてラルヴァンダードを見上げる。
「はい」
男は頷いた。頷く以外に気まずさを押し隠す方法を知らない。
「道の両脇にたくさんの花柱が立ったり、花火と言うものが上がったりするんですって」
「はい」
「いつか、お祭りと言うものを見てみたいです」
「お祭りですか」
「……それも、むずかしいでしょうか」
困った顔で首を捻るコロカントへ、いいえとラルヴァンダードはこたえた。
「すぐには無理かもしれませんが、いつか祭りへ行きましょう」
「はい」
「きれいな服を着て、髪に花を挿して」
「はい」
代案だったにせよ、肯定してもらえたことが彼女にはうれしかったのだろう。ぱっと急に明るい顔になって、約束ですよと小指をさしだしてみせた。
「はい」
胸の前で指をからめ、おのれのあまりに無骨な指と小さくやわらかな指の差異を知る。ああ、と胸のうちで嘆息した。
たくさん食べて大きくなって。
そうして大人の女のひとになったら。
ハブレストは目に見えないかたちでじわじわと首を絞めてかかる。
(20120822:Re)
-------------------------------------------------------------
最終更新:2012年08月22日 23:44