アットウィキロゴ
*



 つらなって町へ入り、それではまたふた月後、と手を上げて別れようとしたところを、まあ待てと言って引きとめられた。
 グシュナサフである。
 笑いを頬のあたりに含みながら、引きとめたホルミスダスが、もうちょっと一緒にいてくれてもいいじゃあないかと腕にしなだれかかった。胸糞悪い。
 男に寄られて嬉しい男がいるものか。むっとして顔をしかめると、逆に相手が気分を害したように、なんだその顔はととがめられた。とがめる方向が間違っていると思う。全くもって理不尽だ。
 溜息をついた。
「もうちょっと、愛想よくしたって罰はあたらないと思いますがね」
 見おろすように視線をながしてくるのも気に入らない。中背のグシュナサフよりもホルミスダスは頭半分上背で、だからからかう言葉は常に上から降ってくる。
 とんでもないと思う。
 口に出すには面倒臭かったので、心の中で相手を罵っておいた。
「何の用だ」
 代わりにぶっきらぼうに吐き棄てた。
「何の用って。……本当につれないなァ。昼飯食ってないでしょう」
「……飯か」
「あんたのおごりでいいですから、一緒にどうです」
 図々しいにもほどがあった。
 もうひとつ溜息をついてあきらめる。通りに面した手近な飯屋を目配せし、相手は先にさっさと店の木戸を揺らしていた。どうです、と口に出しておきながらホルミスダスの中では決定済だったのだ。
 しなだれかかり、グシュナサフの足をとめた場所が「ちょうど」飯屋の前であったというのも、おそらく計算づくだ。
 食えない。
 やれやれと首を回しながらグシュナサフは、まあ昼飯どきではあることだし、どうせここで別れたらふた月は顔を合わせない相手であるのだから、そうして仮にこのまま姿を消した場合、次に会ったときになおさらとやかく言われることを考えれば、おとなしく従うのが賢明と自分自身を納得させた。
 集られるのも毎度のことだ。慣れた。
 そう広くもない店内にはいると、昼飯どきにはすこし早いせいか、客はほかに見当たらない。通りをながめられる卓にさっさとホルミスダスは着き、注文を聞きに来た給仕の娘とさっそく言葉を交わしている。この店で働いているのかい。いいね。きみはなんてかわいいんだろう。こんなかわいい娘がいるなら、これから毎日ここに通っちゃおうかな、だとかなんとか。
 通りいっぺんの世辞と言おうか、心にもないおべっか。店に勤めているのなら、酔っぱらってノリのよくなった男どもから言われなれきっているはずなのに、娘は悪くないと言った風でそれもグシュナサフには不思議だった。
 相手の警戒をとくことが、ひじょうに上手な男だ。
 逆立ちしてもそんな歯の浮く台詞を言えない彼は、いっそ同僚の特技だと思っている。真似をしたいかどうかは別として。
「あんたは何食います」
 向かいの席に腰を下ろしたグシュナサフを見て、ホルミスダスがたずねた。とりあえずエール、と彼が応えると受けた同僚は、
「じゃあエールをふたつと……それからその、今日のおすすめとやらもふたり分、あとはこれとこれと」
 いつの間にか手にしていた品書きを適当に指差し、そうして娘が席をはなれるとグシュナサフの方へ顔をむけた。じっと見ていた視線に感付いたらしかった。
「……たまに思うんだが」
「なんです」
「女衒でもやっていけるんじゃあないか」
 わりと本心だった。言うとえええ、とのけぞり不本意な声を出される。
「それは俺のことを大いに誤解している」
「そうか」
 グシュナサフは頷く。反論する気はなかった。実際のところ、同僚が口先ほどに愛想が良い男ではないことも、同じように彼は承知していた。長年の付き合い、というものかもしれない。それゆえの肯定だ。
 おそらくグシュナサフ以上に、同僚は偏屈で、人間嫌いだ。人見知りが激しい。激しいから、余計に相手をおのれの範囲に踏み込ませないために、愛想をふりまく。一線を引き境界を越えられないように、常に自身から相手の境界へ押し入る。
 一種の攻め手である。よく知らない他のものはそれを見て、彼は人の中にいると実に生き生きしていると言った。
 先手を打てば、かならず相手は守勢にまわらざるを得ない。攻撃は最大のなんとやら、だとか頭の中に思い浮かべながら、グシュナサフは給仕の娘が運んできたエールに口を付けた。頼んだおぼえのないつまみも置いてある。娘が去り際にホルミスダスへ目配せをしていったので、これは彼女の心付けと言うことになる。なるほど、攻撃も時には便利なものなのかもしれぬ。
「これから、どうする」
 一気にエールを半分ほど干した同僚が、グシュナサフへ話を振った。
 実際のところ、今後の予定はラルヴァンダードの住まいでだいたい把握してあったから、これは打ち合わせというよりは簡単な確認、互いに無言では気まずいのでかわすただの雑談と言うものだ。
「予定通りだ。同胞団のいくつか――それに近隣諸国の様子を見て回ってくる。情報だけでは心もとないことも多いからな。……お前は?」
「……俺は、ハブレストへ侵入してみようかと思う」
「ハブレストへ」
「ああ」
 ホルミスダスが頷くところへ、グシュナサフは眉を寄せた。各国の情勢を窺ってくることは知っていた。しかし、相手がそこまで大胆に計画しているとは思っていなかったのだ。
 警備の隙をつき、ホルミスダスが何度もハブレスト国を訪れていることは知っている。あえて国の名前を口に出すということは、ただ動向をさぐるだけにとどまるつもりがないと言っているのと同じことだ。
「工作できる隙があるかどうか、詳しく知りたい」
「上層部」
「まあ、そうです。下辺では知れる情報も限られてきますしね」
「無茶をするなよ」
「心配してくれるんですか」
「――お前ではなく、姫の、な」
 意外な顔をされたのでちくりと釘を刺しておいた。
「いいか。お前に何かあるとまず物理的に姫に害が及ぶ。そうしてあの方はきっとお前のために心を痛められる。俺は、あの方に、お前がいなくなった辻褄を合わせるために嘘をつくのは嫌だし、と言って正直に話して泣かれるのも困る」
 心配など誰がしてやるものか。泣かせるなよ。釘を刺すとふたたびえええ、と不満な声をあげられた。
「俺の心配はなしですか」
「お前は自分で身を守れるだろう」
 つれないな、つれないなあ。くり返す相手にあきれた声がでた。
 剣技に自信がない、力仕事は苦手だと公言してはばからないホルミスダスが、実はそれなりの腕前であるということを知っていたものが、旧シビラの宮廷でどのくらいいたか。だいたい、敵方と対峙したときに軽くいなして逃げてしまう男なのだ。正面から向き合わない。やらんのか、たずねると怖いので逃げるんですよと返事が返ってきた。そうかとも思ったがそれにしてはこたえた目に恐怖はない。どこまでが本気かわからなかった。
 グシュナサフはホルミスダスの腕を知る一人だ。無意識におのれの額に触れていた。動きをちらと見止めたホルミスダスが、まじろぎひとつ分、形容しがたい表情になる。困った、ともなさけない、ともちがう、しかしどうしてよいものやら判らないと言った複雑な顔。
 グシュナサフの額から前頭部にかけて、彼の剣がかすめた痕がある。
 昔の話だ。
「そういえば、あんたはどうやって日銭を稼いでいるんです」
 雰囲気を変えるようにまた唐突にホルミスダスが話を振った。グシュナサフの傷がどうというよりは、単純にハブレスト上層部への接近を、事細かに探られることを嫌ってのことだろう。いつの間にかエールが空になっていて、ちゃっかり娘に二杯目を頼んでいる。
「俺か」
「壮絶な任務の末の報酬だったら、気軽にあんたに集ることもできない」
「お前の頭の中が心配だな」
 壮絶な任務と言うものが日常そこかしこに転がっていてたまるものか。冗談口だとは判っていたものの、いったいどうした思考回路になると、グシュナサフが特殊任務をこなして糧を得る生活に見えるものか、
「港の荷おろしだとか……あとは荷運びだな」
 日雇いや週雇いのそれらの力仕事は、グシュナサフには想像もつかない「壮絶な任務」とは違っていくらでもあたりに転がっていたし、雇う側も雇われる側も実に気楽なものだ。木賃がほしければ港か市場にゆけば良い。
「仕事をしたいのだが」
 グシュナサフが頼むと、たいがい忙しそうにしている雇い主たちは、ざっと上から下まで彼を眺めまわし、それからいいだろうと手招きするのが常だった。それなりの体格があって、それなりに言いつけられた仕事をこなせる風貌をもっていれば、断られることはまずない。言われた通りに一日黙々と仕事をこなし、日が暮れるころにその日の賃金を受け取る。だいたい明日もまた来いと誘いを受けた。
 あまり顔なじみになることは避けたかったので、せいぜい数日通う程度で雇い主を変えてしまうが、中には妙に気に入られて、年契約で一緒に船に乗らないかと荷卸し中の船主から話を持ちかけられたこともある。若い時分、傭兵の仕事で三、四月船に乗っていたことがあった。手際を見止められたらしい。
 ありがたい申し出だが、今はいけない。
 断ると残念がられた。
「荷おろしね」
「悪くないぞ。荷物相手におべんちゃらを言う必要もない。黙って働いていれば金がもらえるし、体をほど良く使う。鍛錬にもなる」
「あんたには鍛錬かもしれないが、俺には重労働ですよ」
「お前はもうすこし外にでて体を鍛えろ」
「嫌ですよ。――筋でもおかしくしたら、楽器をやれなくなるでしょう」
 言って二の腕あたりをこする。ああそうか、同僚の本業は別にあったな。言われるまですっかり忘れていたことにグシュナサフは気がついた。その彼を見て向かいの男が何です、とおかしな顔をする。
「まさか忘れていた訳じゃ」
「すまん。本気で忘れていた」
 正直に答えると苦笑された。

 あとは大した会話もせずに料理を平らげ、混雑してきた飯屋を出る。会計の際には支払っているのはグシュナサフなのに、娘が連絡先をわたしたのはホルミスダスと言う、どう考えてもおかしい流れになった。いつものことだ。
 そんなものを聞いてどうする、と店を出、通りを歩き、グシュナサフがたずねると、いつか何かに使うかもしれないでしょうと胸元にしまいながら同僚はこたえる。
「いつか、なにか」
「追われたときにちょっと匿ってもらうとかね」
「……そんなことに使っているのか」
「使っていませんて。例ですよ。あくまでたとえ、の話です。――ところで」
 女を巻きこむなよ。とがめたグシュナサフへ肩をすくめたホルミスダスが、
「巻き込まれついでにもうひとつ、付き合ってほしい場所があるんだが」
 言った。
「なんだ」
「姫の、誕生祝い」
「……ああ」
 合点がいってグシュナサフも頷く。そういえば、ラルヴァンダードとそんな話をしていたなと思いだしたのだ。
 どうせ次に相手と会うのは、どこかの馬宿か、そうでなければ廃屋じみた人気のない場所に決まっている。見繕うも何も、そこでは品そのものがない。事前に買っておきたいので付き合え、ということなのだろう。
「構わんが」
「あんたは一緒にいてくれりゃいいんです。そうしたら、ふたりで選びましたと胸を張って言えますからね」
「……まあ、それも、構わんが」
「市場はあっちです」
 安心してください、折半で俺もだしますから。言って表通りへ歩き出す。懐にまったく持ちあわせがない訳でもないらしい。おそらく飯屋に引きとめたのもただの口実で、コロカントへの品物選びが本題だったのだろう。だったら最初から市場へいざなえと、彼と知り合ったばかりのグシュナサフなら言ったかもしれないが、
「それじゃあ味気ない」
 だとか返されるのがオチだ。
 腹が減っていたのも好都合だった。腹は満ちた。それでいいのかもしれないと今のグシュナサフは思う。

 彼らのおとずれた町は主要街道に設置されたひとつで、であったから仲見世もまた軒先をずらりとつらね、日用使いの金物や布や野菜や果物や、土産もあれば花もあり、中にはちょっとした金細工の店もあった。
「なににするかは決めてあるのか」
「まだです。適当に、なにか良いものがあれば買いたいなとその程度で」
 たずねたグシュナサフも、こたえたホルミスダスも、色の氾濫に目を奪われ物色するのに忙しい。
 あちらこちらをのぞくうち、コロカントへの品物選びのはずが、乾物屋の前で足が止まった。つるされた燻製肉やら煮干しやらを眺めて、次に森へゆくときは、ラルヴァンダードから頼まれた以外にもいくつか品数を増やしてもよいかもしれないと、考えめぐらせる。
 うれしそうに包みを開けるコロカントを見るのが、グシュナサフは好きだ。
 ああでも、彼女を喜ばせるのならば肉や魚ではないな。
 ひとつひとつ軒先を丹念に眺め、色紙に包まれた菓子を無意識に探す。
 しかし、本当は、
「――こうした場所に連れてきてみたいが」
 見ているうちについ本音がもれた。もれたついでに連れてきてみたところまで想像する。
 きっと、あの黒スグリの目をまん丸にすることだろう。またたきもせず、まあ、とひとこと息をのんで、それから飽きもせず眺めていることだろう。
 彼女はこんな風に町に来たこともないし、通りを歩いたこともない。森の奥でラルヴァンダードとふたりの暮らしだ。
 不自由だと思う。だがその不自由だと思う暮らしは、周囲が強いたものだ。
 国家だとか大人の都合だとか、態のよい言い訳。ものごころ、というものがいったいいつから「つく」となるのか判らないが、そのずっと以前より彼女はシビラの旗頭として定められている。それを、
「当たり前のこと」
 と割り切るほどにはグシュナサフは人非人ではなかったし、ホルミスダスもラルヴァンダードも、きっと同じような感覚を持っているのだろうなと思う。だからときに心苦しい顔をする。体面と建前と、そうしたものがどうでもよく思えてしまうときがふとある。
 騎士としては失格なのかもしれない。それが世の習い、国への忠義と一心不乱に邁進できればどれほど気が楽か。
 すこし先に立っていたホルミスダスが、え、と言ってふり返る。雑踏にまぎれてよく聞こえなかったらしい。
 聞こえなくてよかったと思った。
「なんでもない」
 返して、それからグシュナサフは彼が手にしていた品に手をやり、目をむいた。
「……おい」
「なんです、今ちょっと取り込み中です」
「おいちょっと待て」
 肩に手をかけ強引に動きを止める。不満そうに眉をひそめるホルミスダスの顔を見上げ、
「ひとつ聞きたいが、それはどこかの奥方へ貢ぐつもりの品だな?」
 確認したくもなかったが、確認しない訳にはいかない。言われては、とホルミスダスがさらに眉間に皺をよせる。
「なに言ってるんですか。ここにきたのはあの方の誕生祝い選びだと」
「待て待て待て」
 一度それを下に置け。彼の不平を視線で押さえ込み、ついでに店の親父も牽制して、グシュナサフはぐいと相手の袖を引き軒下から連れ出した。
「おい、なんだ、乱暴な」
「あのな。お前、姫の年齢勘違いしてないか」
 向かい合う男二人の真横を、荷駄が邪魔そうに避けて通る。
「莫迦にしないでください。知ってますよ。年が明けたら、数え八つでしょう」
「……判っているなら、どうして八つの子供の祝いに下着を選ぼうとするんだ」
 お前、親父さんを怒らせたいのか。
 めずらしく咎める声がでた。男が指を突きつけると、意味が判らないと言った風にホルミスダスが鼻を鳴らした。
「いけませんか」
「いかんもなにも、いかんだろう」
 はっきりと否定する。
 祝いの品としてはあまりに日用的で特別感がないにしろ、たとえばホルミスダスが手にしていたのが木綿晒しの下穿きであるとか、ちいさな刺繍が入ったシャツであったなら、ホルミスダスも黙ってそれを選択肢のひとつとして認めただろうと思う。
 思うが、
「八つの子供が、レースの飾り下着を貰って喜ぶと思っているのか?」
 しかも彼が手にしていたのは、紫のてらてらとした生地に黒の縁取りがなされているものだった。ありえない。
「お前、もうちょっと、真面目に考えて選べ」
「俺は至極真面目ですよ」
「なお悪い。――とにかく、下着はなしだ。下着以外で選べ」
 往来の真ん中で下着と連呼する自分もどうかと思うが、ホルミスダスに任せておくととんでもない誕生祝いになる恐れがある。祝いの品だと言って渡して、ラルヴァンダードが卒倒するのは避けたい。いやさすがに卒倒はないと思うが。
 下着以外ねえ、とぞんざいに呟きながら、先に立つホルミスダスがふたたび仲見世をのぞきはじめる、目を離さないことにしようと決めて、グシュナサフもあとに続いた。

 市場にたちならぶ中にはわりと粗悪品と言おうか、悪趣味と言おうか、いったい誰が好きこのんでこうした品を買うものか、とグシュナサフが昔から不思議に思う商品を取り扱う店があった。ものには良し悪しと言うものがある。口うるさく言うつもりもないが、最低限の「良し」を満たしていない商品は、果たして商品と呼ぶに値するか。
 どう考えても誰も買わないだろう。そう思っていた。
 買ったとしてもらった人間は確実に喜ばないものをどうして店で売るものか、需要と供給という視点で考えれば確実に赤字ではないか。そのあたりが彼には理解できなかったのだ。
 ここにきて、ようやく長年の疑問がとけた。
 目の前の同僚のような人間が買ってゆくために、ああいった店は存在するのである。
 グシュナサフが後ろに着いてゆく中で、ホルミスダスが選んだもの。
 近隣諸国の国旗。模様が大雑把で間違いが多い。安物の練り香水。立ち眩むほど強烈で、半径数尋誰も寄らなくなるだろう。木彫りの熊。東の方向に置いておくと幸運がまいこむだとかいううたい文句の壺。ふぞろいな首飾り。着るはしから糸がほつれてゆく夜着。
 そうか。グシュナサフは唐突に理解する。目の前の相手は絶望的に感性というものがないのだ。
 以前から奇抜な服装を好む相手であるとは思っていた。思っていたが、それは個々の主義主張であり、自己表現と言うものである。また、ホルミスダスの役柄上、すこし目立つ格好であった方が、女に好かれ安いのかもしれない。そう解釈していた。
 おおいに誤謬のある解釈であった訳である。
 自分が特に感性に優れているともグシュナサフは思わない。自信もない。せいぜいがところ人並み程度だと思っている。むしろ戦場暮らしが長い分、そうした感性は鈍いものだと思っていた。
 だがすくなくとも彼のそれは、ホルミスダスの感覚よりも、
「まとも」
 だったようだ。
 考えてみればおかしな話だ。宮廷楽士という立場、グシュナサフよりもはるかに貴族の館に出入りし、職人の手による建造物や手の込んだ細工を目にする機会も多かった立場、楽譜を読み音を理解し表現できる立場、その彼が一方で全く美的感覚を持たない。
「天は二物を与えずとやらか」
「なんです」
 いい加減、手に取るはしから首をふられることに倦んだホルミスダスが、選ぶことをやめてグシュナサフの方を向いた。
「あれも駄目、これも駄目。これじゃあ姫の誕生祝いになにも選べませんよ」
「全部がいかんと言っているわけじゃあないだろう」
 市場に品物は山とある。
 ただ彼が手にしたどれもが悲惨なものだっただけで。
「……あんたなら、何を選ぶ」
 肩をすくめたグシュナサフへ、挑戦するように目をすがめ、ホルミスダスが問うた。
「俺にばかり選ばせないであんたも選んだらいいじゃないか」
「――そうだな」
 一緒にいるだけで良いと同僚は先にそう言った。そうかと思い、任せるつもりで付いてきたが、任せきるばかりもよろしくないかもしれない。
 では。
 言って実は先ほどから目星をつけていた店先へ歩を進めた。
「色気は、ないが」
 革表紙のにおいが漂う。古本屋である。
「本?」
 まったく候補に挙がっていなかったのだろう。目に留まってすらいなかったのかもしれない。意外な声を出す同僚へ、ああそうだとグシュナサフは頷いた。
「森の植生を、もっと知りたいと前に言っていた」
「ああ、たしか、まあ」
 言われてみればそんなことを言っていた。曖昧に頷くホルミスダスへ、調子よく話を合せてその実、コロカントの言ったことをほとんど覚えていないんだろうと軽く男は睨んでやった。
「忘れていた訳じゃない」
「ほう」
 ただ誕生祝いとして思いつかなかっただけだ。言い訳ながら軒下へ同じように首を突っ込み、みっしり積まれた背表紙の文字をしばらく追ってやがて、
「では――これは」
 どうだろうと言って、ホルミスダスは一冊の分厚い図鑑を抜きだした。頭の切り替えと適応ははやい男なのだ。これに感性さえくわわれば完璧なのにな。横目で眺めて惜しいと思った。
 ホルミスダスが手に取ったのは、大陸の植物分布図鑑だった。
 ずしりと重い。
 弾みをつけて持ち直し、開いてみると、乾いた革と埃のにおいが立ちのぼり、しかし顔をしかめるより先にほうと感心の声が漏れた。
 彼が無造作に選んだように見えた図鑑のつくりは意外にしっかりとしており、装丁もよい。日に焼けて黄ばみがあるのがやや難か。だが眺める分に支障はない。各頁に刷られた二色の植物図は丁寧に書きこまれ、
「いいんじゃあないか」
 説明文としてつづられた文字は、実質六つの子供が読み下すにはずいぶんと固く、むずかしい文章だろうなとは思ったが、読み手は常にそばにいる。文字を覚えると言う点でも使えよう。
「じゃあ、これにします」
 すこしはごねるかとも思ったホルミスダスは安易に同意し、
「おい親父」
 たいして値段も確かめず、包んでくれと手にしていた図鑑を店の主人に差しだした。
「……ホルミスダス」
「なんです?」
「お前はそれで良かったのか?」
 悪趣味な先の一連商品はともかく、たとえば砂糖菓子であるとか、色紙であるとか、ちいさな子供が喜びそうな品はほかにもたくさんある。そちらを選んで株を上げなくてもよかったのかと言外にたずねると、
「責任はあんたにあるからちょうどいいだろ」
 そんな風に肩をそびやかされてしまった。
「責任」
「姫が喜んでくれたら、俺が選びましたと言うし、あまりうれしそうでなければ俺が選んだんじゃない、あんたが選んだんだから仕方がない、そういう」
「……ああ」
 どちらに転んでも俺に損はないです、言われてまあそれでもいいかとグシュナサフは思った。ここでうるさく蒸し返して、悪趣味な下着だのと振出しに戻るよりいい。ずっといい。そう思ったからだ。
 油紙でまず包み、それから亜麻布をかぶせぐるぐると紐で巻いて、店主が図鑑をホルミスダスへ差し出した。うけとり、代価を支払う。
 この時代、そもそも識字率が低い。まして羊皮紙とはいえ書籍は高級品である。こうして仲見世に軒を並べている以上、一定の客層を見込んで出店しているのだろうが、それにしても日に何人の客がいるのか、それとも固定客が他にいるものか。
 通常「本」と呼ばれる紙を束ねただけの品とは違い、きちんとしたつくりのそれは、子供の誕生祝いにはすこし高価にも思えたが、ゆくゆくまで使えるものであろうし、
「特別」
 という意味でそれもよいかとグシュナサフは納得した。
 気に入ってくれるだろうか。喜ぶと良いなと思う。
「……それから」
 受け取った持ち重みのするそれをさり気ない動作で同僚はグシュナサフへ渡し、
「そろそろ、お開きの時間らしい」
 唇を動かさない呟き。
 ゆるみ、呆けた表情の中で視線だけが笑っていない。ああ、とグシュナサフも首を動かさず声だけで返した。
「……煩わしいと思っていたところだ」
「どうします。ふたつに分けますか」
「それが一番都合がいいだろうな」
 町に入ったときからずっと視線を感じていた。おそらくはハブレストの放った役人と言ったところだろう。常に監視対象の最重要人物と言うわけではないのだろうが、それでも旧シビラに属する人間だ。ふたり並んで歩いていれば悪目立ちもする。
 飯屋を出て直ぐは、様子を窺うにとどまっていたいくつかの視線は、市場に進み、仲見世を覗くころには倍になっていた。このまま人気の少ない場所へゆけば、態のいい口実をつけられ、呼び止められるに違いない。
 尻をまくって逃げるなら、半疑されているうちに限る。
「――七:三くらいで人数を分けてくれるといいなァ」
 弱い者いじめはよくないですよ。実に暢気な泣き言を残し、ついと身をひるがえしたホルミスダスは、そのまま表通りの人の波を縫うようにして駆け出した。彼の動きに一瞬殺気が膨らみ、ふたりを付けていたうちの七:三の「七」の人数が慌てて後を追いはじめる。希望通りわかれたな、だとかこちらも暢気な感想をいだいてグシュナサフは同僚の背を見送った。この人混みに一度も足をとめることなくかわしてゆくさまは見事だ。
 彼が望んだ人数対比の逆が追いかけていったが、まあなんとかするだろう。
 そうしてありがたく残りの「三」がホルミスダスに気をとられているうちに、グシュナサフもさっさと小路に身を滑らせ、彼とは逆の方向へこちらは鷹揚に歩き出した。
 抱えなおした包みの油紙が、手の内でさかさかと鳴っている。



(20120905)
--------------------------------------------------------
最終更新:2012年09月05日 10:44