*
これをやる。言って青年が服の隠しから木苺ひとつほどの大きさの石くれをとりだし、やると言われて、思わず差しだしたコロカントのてのひらにとんと落とした。取り落とされて彼女はてのひらを眺める。
裏庭での話だ。
まじまじと眺めていた彼女へ、
「悪いがほかにやれそうなものがない」
ギーと言う名前の青年が言った。
「これは」
石ですね?眺めて彼女は言った。
そうして青年がなぜこの石をえらんで自分に渡したのか、コロカントは不思議に思う。細工されているわけでもない、色がついているわけでもない、かたちが面白いだとかきらきら光っているだとか、そうした意味でとくべつなわけでもない。たとえば今落とされたこれを表の畑でなくしたとして、土にまぎれて見分けがつくかと言えば、答えは否だ。
畑に行くまでもない、この大きさや色や形の石は、いくらでもそのあたりに転がっていた。
だが青年はこれをやると言った。やると言うことは彼にとってだいじなものなのだ。
「――俺の生まれた国のものだ」
青年は言った。
「ギーの」
コロカントはぱちぱちとまじろぐ。
彼の生まれた北の国では、国をはなれる人間にこうして土のものをもたせ、戻る無事を祈る習慣があるのだと、青年は続ける。
「誰が持たせたかしらないけどな。――あるいは、最初で最後の親の情ってやつだったのかもしれないが」
「ギーの、おとうさんや、おかあさん」
「ああ」
「……もらえません」
くりかえしてそれから、だとすると青年が差しだした石が、彼にとってだいじなものという言葉にとどまらないほど重い意味を持つものだと言うことに気が付き、青くなってコロカントは突き返そうとした。
これは彼のお守りだ。
「もらえません」
「お前に、やる」
慌てた様子のコロカントをどこかおかしそうに眺めながら、青年は首を振った。いいよと。
おだやかな顔だった。
「もうちょっとましな……せめて飾りでもあると良かったんだけどな。他になにもない」
彼が身に着けているもの、与えられたもの、それらはすべてハブレストのものだと、
「だって、ギーのおとうさんやおかあさんが、持たせてくれたおまもりなんでしょう」
コロカントは聞いた。
願いを込めたまじない。どれほどちいさなものでも、仮にそれが習慣としての体裁を整えただけのしろものであったとしても、それは青年のすべてだったはずだ。
「もしかしたら、ってだけだ。館の下働きの人間だったかもしれないし、俺をハブレストまで送る兵士や馬飼いの誰かだったかもわからない。片道切符の俺に、戻れる無事を祈るって言うのも皮肉なもんだけどな」
「でも」
「――それしかないんだよ」
言った彼が不意に真面目な顔をした。
「俺の自由になる、たったそれだけが俺の領地なんだぜ」
「――」
「森の中をさまよって、寒くて、腹が減って喉が渇いて、もうだめだと何度も思ったんだ。どこに進んでいるのかもわからない。そこいらで野垂れ死ぬのが俺の最後かと思った。厄介扱いされて、ハブレストをたらいまわしにされた俺に相応しい、みっともない死にかただってな。長いんだか短いんだかよく判らない一生だと思った。途中からもう頭がよく回らなくなって、死ぬのは怖くなくなった。でも、死んだ体を犬どもに食われるのは嫌だった。木に登れればよかったけど、もう登る力もなくてあそこでへばって」
そこにお前が来た。青年は言う。
「ああ終わったって。お前はきっと悲鳴を上げる。悲鳴を聞いた誰かが駆けつけて、俺は始末される。野垂れ死ぬのかと思ってたのに、いざ目の前に突き付けられると、おかしなもんで急に怖くなった。でもそれももう終わりだ、お前は誰かを呼びに行く、そう思った」
ぽた。
石を見つめ神妙に聞いていた視界がゆらゆら揺れて、コロカントのまなじりから涙がこぼれる。どうして泣きたくなったのか判らない。ただかなしいと思った。
あのとき見上げた青年の眼差し。
泣くなよ。彼女の涙に気付いた彼は困った顔をする。べつに泣かせたいわけじゃない。
「……水も、飯も、うまかった。あんなにうまいと思ったのは生まれて初めてだ」
「――」
「ほんとうに、生き返ると思ったんだ。うれしかった」
「――」
「剣……突きつけて、ごめんな。もうちょっとでお前のこと斬るところだった」
「いりません」
涙声でコロカントは突っぱねた。これは彼なりの贖罪のつもりなのだ。だとしたら、どうしたって受けとれない。
「もらわなくたって、わたしはギーを怒ってなんかいないもの」
「明日、ここを発つんだ」
また不意に青年が話を変える。え、と言われた内容に驚いてコロカントは目を見張った。驚いたついでに涙が引っ込む。
「ここにやってきた彼らと一緒に、町へ戻れって、あのひとが、そう」
「……レヴが?」
彼らと言うのは、ホルミスダスとグシュナサフのことだろう。そうか、ふたりと一緒に青年はゆくのだ。思うと急にさびしさが湧いた。出会って半月にも満たなかったけれど、
「好きなところへ行けといわれた。一度死んだと思われているのなら、自由がきくだろうって。ハブレストから解放されて生きることもできるだろうって」
そうだ、彼はここにいる人間ではないのだ。それはコロカントにもよく判った。青年には青年の、生きる世界がある。
「俺は、ハブレストへ戻るよ」
「……ハブレスト」
告げた青年の目にぎらぎらとした光があった。だからどうして、と聞きかけた彼女は口を噤んでこらえる。無気力な青年の眼差しでは決してない、突き進む熱情。
「俺は逃げない。ハブレストへ戻って、力をつける。力をつけて強くなって、いままで馬鹿にしてきたやつらを見返してやる。そうしていつか、大手をふって俺は俺の国へ帰る」
「ギーの、国」
だからその領土はもういらない。青年は言った。
「二十二人の兄弟なんざ糞食らえだ。成り上がってやる。成り上がって、周りの国もうるさく言う人間も押さえ込んで、俺は俺の国を、俺のものにする。……約束する。俺がもし俺の国へ帰ったら、俺の国は絶対にお前を傷つけない」
だからその領土を預かっていてくれ。青年は言った。
「ギー」
「寒くて貧しい国だけど、花でいっぱいの国にしよう。市を開いたり、祭りを催したりして、たくさんの人間が自由に行き来できるような国にしよう。家や畑は燃やされず、毎年の実りを収穫できるのが当たり前の。……お前が大きくなったとき、お前が来たくなるような、そんな国に」
うつむいてコロカントはてのひらの上を見た。
木苺ほどの色もくすんだちいさな石。彼が今持つすべての領土。
「――約束?」
「ああ、約束だ」
もらうことはできない。けれど、預かるだけなら。言って大まじめな顔で小指をたてたコロカントを見て、瞬間驚いた青年がちいさく笑って同じように小指を差しだし、彼女に絡める。
「お前も、なにがなんでも大きくなって」
絶対遊びに来いよ。
じっと彼女を見つめた青年に、はいとこたえ、コロカントはこっくり頷いた。
*
椅子に深く腰をおろし、男は右手の人差し指を注視する。
指輪に彫られた家紋。彼が彼であることを象徴する模様。半面には彼の家柄をしめす茨の蔓が細工されている。もう半面は、亡国シビラの刻印でもある角を振り立てる鹿を模したもの。
この指輪の持ち主が、シビラにおいて絶大な発言力を持つものであると言うあかしだった。
養父が死んだ。
その養父だった人間の葬儀を先日ひととおりすませ、ようやくひと息ついてもよい気分になったのだ。
ひとがひとり死ぬ。
戦場ではそのことがどれほど軽んじられて取り扱われるか、そうして日常ではどれほどおおごとなこととして騒がれるか。
――どちらもたいした違いはない。
だったら戦場で果てたほうが、のこるものは幾分もましだ、なぜならその後の献花であるとか灯燭であるとか納棺であるとか埋葬であるとか。その一切合切の手間がない。散った、その報告だけで十分だ。周りはそれで納得する、うるさいものどもをそれで黙らせることができる。
だが養父はみにくく、無駄にあがいて死んだ。
やれやれと椅子の背に首をあずけ、肺の腑から長い息を吐きだす。まったく、まったくだとも。あいつもずいぶん手こずらせてくれたもんだ。
男の口の端があがる。
荷がひとつ下り、代わりにおのれの幕が上がった。
養子にむかえられると聞いた端から、男はおのれの処遇に不満をいだいた。どれだけ貧乏くじを引かせる気だと、報せた使者にくってかかりたいこころもちだった。
それともなんだ、おれのもとよりの生まれがそうした不幸な星のしたとでも言いたいのか。
たいそう憤慨して当り散らしたりもした。
落ちぶれた侯爵家。亡んだ国。おのれとかの地をつなぐものは、ひどく細い一本の糸で、断ち切ることができたらどんなにかせいせいすることだろう。血縁。傍系。ばかにするなと言いたかった。常日頃やっかいものあつかいしておいて、都合よく必要になると引きずりだす周囲に反吐が出た。
順理だの無私だの篤実だの、養父をさししめすすべての称賛に鳥肌が立った。まこと、彼の方は立派な義人でございました。来るなと言ってあるのに、弔問に訪れるものどもが涙を浮かべて切々と語るたびに、一緒になって手巾で目尻をぬぐいながら、心の中で嘲弄した。
どこが立派なものか。ただ目の前のみとめたくない現実から目を背け、おきれいな倫理を掲げただけの稀代のおろかものだったのだ。
シビラは亡んだ。
養父の権威は失墜した。
ただほそぼそと荘園からあがる収穫のおこぼれを頭をさげていただいてまわっては、侯爵であると誉めそやされる道化。それにあいつは気付いちゃあいなかった。時機。そうだ、あいつは時機と言うものを理解していなかった。ただ蜘蛛の巣の張ったおめでたいあたまで、おっ死んだ前国主をしのんでは、再起だの自主だのといった理論の旗を掲げて、同じようにおめでたい輩と盛り上がっていただけだ。
それとも本当にハブレストを出し抜きセイゼルと共闘して、シビラを復興できるとでも考えていたのか?
わずらわしかった。
おれはこんなところで埋もれるような人間じゃあない。男は豪奢な縁飾りのついた椅子の肘当てを撫で、そうだとも、と言い聞かせる。
再起復興、結構じゃあないか。いただけるものはいただいておこうと言う考えは悪かあない。
――だが、あいつの考えは生ぬるい。
生き延びたシビラのガキを頂点に立てて一旗、そうして万々歳の終幕?花吹雪が散り、観客は一同総立ちになって熱狂に包まれ歓声を上げる?
だがそのあと、いったいどうするつもりだったのだ?
統治できる力のないものが頂に据えられたとして、その力がいったいどれほどもつと言うのだ。傀儡政治、いいだろう、だがどうせなら人形がいない舞台の方が、いっそ清々するんじゃあないか?
いてもいなくても同じようなものならば、最初からいない方がよほどいい。
忠勤をはげめよ。
生前、まだ矍鑠としていたころの養父の声が不意によみがえり、男は頬をゆがめて笑った。
お前ほど愚鈍であわれな老害はいなかったよ。
にごった目玉が、光を探して右往左往していた。弱らせても弱らせても寝床を抜け出そうとするから、結局最後はくくりつけるはめになった。枯れ木のようになった体がもがき、異臭を放って、
「――閣下」
こん、と大仰な扉がかたく叩かれ、考えのうちに沈んでいた男はびくりと肩を揺らして目を開く。
仕事をこなす以外に無関心な侍従が、いらえをかえすと扉を開き、堅苦しい動作で腰を折った。
面会を希望していた人間が、到着したと言う報せ。
「……きたか」
「お通ししても」
「通せ」
鷹揚に頷いて、男はあらためて椅子に座りなおす。そう言えばこの椅子も、「当主の椅子」だとかなんだとか、たいそうな名前のついたしろものであったな。座りなおしたついでにそんなことに気がいった。
くだらないな。
儀礼。形骸。そんなものにこだわっているから、よそから攻め入られて亡ぶのだ。
隙を見せないこと。利用できるものは最大限利用すること。
倫理だの善だの決して信じないこと。
もう一度家紋の指輪を、男は眺める。
茨が男をからめとる。
利用されるのには飽きた。次はこちらの駒を動かす番なのじゃあないかと。
--------------------------------------------------------------
最終更新:2012年11月04日 10:40