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 十三課室へいたる中途の医務局の前で、俺は足をとめ、報告書へいま一度目をとおす。みっちりと書面上にならべられた几帳面な文字、活版印刷で打ち出したように見えるけれども、いま時分あの文字の羅列は時代錯誤も甚だしい。それは手書きの文書だった。しかし「いまどき」、電子機器をほとんど受け付けず、手書きをかたくなに押し通す前時代の遺物、ヴァチカン、ローマ教区。その地下。
 みみっちいと言えばそれまでかもしれない。ほんとうはただ単に経費削減のために、しつらえることをしぶっているだけなんだろう、判っている、いちいち十二プラス一の各管理課へ最新鋭の設備投資をしていたら、あっという間に法王以下枢機卿をはじめ司教司祭は路頭に迷う、総本山の財布が底をつく。なにしろ機器のたぐいは特注ともなるとお高いものだ。
 しかし、ほんとうにすっからかんになるものだろうか?そらおそろしいほどゼロのつきまくった桁が、あちこちの銀行の地下でぶんぶん唸っているらしいけれども。
 時代遅れの几帳面な文字、ところどころのインクの濃淡がじっと見ていると規則性があって、わりと興味深い。たとえばこいつ、アルファベット「i」の文字を書きこむ際に、たぶんペン先をまわす癖がある、かならずどの部分でも同じようによれてふるえて、よくよく見直せば、几帳面ではなくてただの癖のひどい字だ。どんなやつが書いたのか、最後のペェジを捲り、しるされた人間の名を見たけれど、記号以上の意味合いはなかった。どこかの課にいたような気もする、それだけだった。
 顔すら思い出せない。目の前に立たれ、なにがしですと名乗りをあげられたら、ああそんなやつもいたっけなと、うっすら思いだすのだろうけれど。
 医務局のドアを開き、ずかずかと踏み入る。
 中に詰めていた医局員数人がちらりとこちらを見やっただけで、咎められもせず、声すらかけられることはなかった。当たり前か、この地下のほとんどの場所を、特待でもって俺は通過をゆるされる。たいがいの場所に顔をだすことができたし、ほとんどの文書書籍の閲覧が可能だった。声をかけられなかったのは、まあ、俺の人望のなさというもので、これをどうこうする気はない。
 いくつかの短い通路とドアを隔ててえらく白い空間があった。壁も床も、いやみなほど染みひとつなく白。どうせひとが行き来し、機材で汚れ血だの臓物がぶちまけられて、のちのち掃除が大変なのだから、いっそ黒だとか、黒といかないまでも黒に準ずる暗い色調に統一してしまえばいいのにとここに来るたび思う。律儀に毎度思う。そうしてこれまた律儀に、白にせよ、黒にせよ、どのみち俺がここを掃除することはないのだから、気をもんだところでしようがないという結論まで達する。毎度、毎度。ご苦労な頭だった。
 報告書へ目をおとし、俺は最後のドアを開いた。顔をあげたまま入室する気はなかった。
 貴様が顔をかたむけこちらを見ていることは、入る前からガラス越しに判っていたことだ。経過観察しやすいとかで、一番奥の治療室の四方のうちの一面はおおきなガラスが嵌められている。マジックミラーで、室内から通路はうかがえないつくりにはなっていたが、音も気配も俺は消すつもりもなかったし、だから貴様にとって、のっけからまる聞こえのはずだった。
 すざまじいな。視界のはしにうつる貴様を目にした俺がいだいた最初の感想だ。
 体中にはりめぐらされているおおよそ太めの血管だのリンパ腺管だのに、大小薬液を供給するくだが連結されていて、うかつに近寄ったらけつまずいてぶちまけてしまいそうだ。つながれた貴様の両腕の骨は折れ、片足はぶっちぎれかけ、ほか全身くまなく大なり小なり擦過やら裂傷やら、まったくの無傷だったのは頭部だけだった。
 俺はようやく紙面から視線をながし、腕を組み、貴様の体をひと通り眺める。入室し、しげしげと眺めまわし、それから一脚しつらえた椅子へ俺が腰を下ろしても、貴様は口を噤んだままだった。熱でも出ているのか、それとも鎮痛剤の作用か、貴様の目玉の表面が天井の蛍光灯を反射してうるんでいた。視線は安定しない。その言葉がまったくそぐわないことは俺も理解していたが、ゆめみごこち、にでもなっているのだろうか。体内の血液がごっそり減ると、脳みそがおかしな化学反応を起こして恍惚状態になり、動けなくなるらしいが、さて貴様がうごけないタマかな、そんなことを思い、俺はまた視線を逸らし、黙ってくだの中をながれる透明やらうす黄色の液体を眺めた。
 ――対象の戦闘行為は、たいへんに問題あるといわざるを得ない。
 報告書に記された文字。現場補佐官と言う名目の、視察、評価管理官だった。十三課の機関員の夫夫には、ときに別の管理課より監視が入る。これはまあ手がけている内容を鑑みればしようがないと言えばそうで、神の慈愛を説法し、まよえる子羊に悔悛をうながす職務とまるで対極のことをしているのだから、いちいち横やりが入ることへ目くじらを立てていてもきりがない。判っていた。
 月に一度、年に一度、人員とその実力によって調査と調査の空白期間は違う。視察のはいった機関員は再評価され、各課へ報告され、記録される。こいつは使えるやつかどうか。いざというときためらいなく死ねるかどうか。
 目の前の、くだにがんじがらめにとらわれた貴様が前回調査されたのは、五年もまえの話だった。それだけときが経ったのか。前回の最終審査の際にも、俺がサインをした覚えがある。五年。間隔がひろいのは、貴様がそれなりに信頼をおかれているのだろう、貴様の本来もつ鋭利で獰猛な刃の部分ではなく、おもてむきの顔、が。
 フェルディナントルークス孤児院の、やさしいやさしい神父さま。
 おかえりなさい。
 貴様があの門扉のあたりへぬっと姿を見せるだけで、きっと目ざとく見つけたガキどもが、満面の笑みですかさず、もしくはおずおずとためらいながら、近づきとりかこむに違いないのだ。こんなところで、こんな風にくだだらけにして寝ていていいのか、はやく帰らないと夕飯の時間に間に合わないだろうに。好き嫌いの多い子供の席の横につき、ことさらうまそうに食ってみせるんだろ、嫌いなものもきちんと食えと貴様はあえて口にしない、大口を開けて頬張り、咀嚼する。だが子供はちゃあんと貴様の一挙一動見ている。うまそうに食ってみせる貴様につられて、気のすすまない様子、フォークの先で野菜をつついていたガキもついつい同じようにして口に運ぶ。貴様は見逃さない。おや、えらいことだ、きらいだった人参が食べられるようになったのですね。瞬間のガキの顔は見ものだ。人間の表情とはこれほど劇的に色になって見えるものなのか、さえない顔をしたやつがたちまちぱあと頬を染め、目を輝かせてありがとうございますと言う、うれしい。褒められてうれしい。やさしい先生がぼくを褒めてくれた。
 あのガキどもがまっているだろうに。だからこんなところで寝ている場合じゃあないのだ。
「油断しました。」
 俺がどうして口を開こうか思案している間に、貴様が静かにつぶやいた。穴の開いた腹から空気が漏れるのか、一語一語区切るようにじっくりとした話しぶりだった。
 無残なものだな、俺は思う。
 頭部だけが無傷にみえるのは、とくだん意図的に貴様が頭を庇って浄化したからじゃあない、ただ頭を損傷すると四肢のコントロールがうまくいかなくなるから、全身にほどこされた再生儀礼のなかでも、いっとう厳重に頭部への施術はなされていたし、かりに損傷した場合でもまずいちばんに治癒再生する。そういう風にされたのだ。だからたぶん、貴様はほかの部位と同じぐらい顔にも頭蓋にもダメージを受けて、ただそれが優先的に復調しただけだった。無残なものだ、全身ことごとく動かない状態であるのに、頭だけはまともに機能してしまうというのは。
 いっそ意識不明にでもなって、此岸と彼岸のあいだをふらふらさまよっていることができれば、ましなものなのになとも思う。
「ひどくやられたらしいじゃあないか。」
「泡くってすっ飛んで来ると思ったのですがね。」
「私が?」
「はい。」
「私が?」
 莫迦を言うんじゃあない。思わず同じことを二度聞いた。貴様が帰還と同時に前後不覚の重体におちいったと聞いたところで、俺がどうして貴様をたずねる理由になるのかさっぱり判らない。俺は、俺の仕事場の椅子の上で他の人間から貴様の報告を聞いたし、そうしてそうかと頷きはしたけれど、それだけだった。頷いただけだった。報告書が手許にあがり、四日たった今でも、いよいよ貴様が起き上ることもままならんと耳にはさんで、だったらしかたがない、上司として手駒の見舞いのひとつでも行ってやらにゃあいかんかと、しぶしぶ腰を上げたほどなのだ。
 俺は忙しかった。
 ――アレクサンド・アンデルセン司祭が、浄化対象からの攻撃を避ける様子はなく、
「報告書に目をとおすまで、貴様がぶっ倒れたことも忘れていたな。受けてあらためて指折り、かわいいかわいい大事な部下が、もう四日も床をあげられないことに胸を痛め、こうしてきてやったんだ。感謝されても足りんくらいだ。」
「おやさしいことで。」
 は、と貴様が笑った。常の笑みと同じだったにもかかわらず、この白すぎて不愉快な空間の中では、ずいぶん力のないものに見えた。
「気落ちしているのか?」
「私が?」
 わたしが?なににたいして?嘲弄の残滓を口の端に漂わせたまま、貴様が言った。質問に質問で返すなと思ったが、不毛な言い争いになりそうだったので俺は口を噤む。まったくけったくそわるい報告書には違いなかった。そもそも俺は、今回の特別視察をふくんだ任務地へ貴様を派遣することについて、最初から乗り気じゃあなかった。他に手の空いている人間はいくらだっている。スナイプ数発で済むような場所へ、重戦車をわざわざ隊列組ませてひきつれて、おおごとをかますのと似たようなものだ。蟻を踏みつぶすのに象をもっていったようなものだ。いやがらせだ。あからさまな思惑がらみの、いやがらせだった。枢機卿のどいつが仕組んだかしらないが、多分に私怨のまじる派遣依頼書だった。
 言葉を発したことで変に力が入ったのか、じわ、と貴様の腹に巻かれた包帯に赤いしみが滲む。俺はそれを見やって、ここにきてまだ傷口が塞がっていないのかと、瞠若の思いだった。
 ――挙動はまったくの非効率で、
「何人だった。」
「十二。使徒と同じ数とは皮肉なものだな。」
 普段の、手すきであれば誰でもいい、迅速にこなせば是非は問わない、そうしてまわされる粛清の任務とは違って、きっちりと個人名義で、貴様を派遣せよという通達。たいした人数じゃあなかった、そもそも腑抜けのしわざだった。逃げ場をうしない、慌てふためいてたてこもった化け物、それと化け物にグール化された、元は人間の半価値たち。
 ――不可解な行動であり、不完全なばかりの戦闘体系であり、アレクサンド・アンデルセン司祭の、さらには彼を含む機関への、能力の評価を、残念ながらあらためざるを得ない。
 この結果は必然だった、俺はぎりぎりと歯噛みする。彼と、彼を取り囲む現状況を慮れば、彼が被傷することは予測してしかるべきではなかったのか。抗議し、振り上げる腕の行方はない。銃口をかまえる先はない。そうではない。おのれの存在意義を知れ。常に苛烈な微意識が、俺に自重を促す。笑え。傲慢不羈に笑え。天を指さし地に唾を吐き、足を踏み鳴らしてみせろ。そうでなくては血も涙もない十三課の存在意義がないだろう?
 責任を問われるべきは、貴様をそうした場所へ派遣した、そうして派遣する際に貴様のそのあまっちょろさを封殺しておかなかった俺、俺の決定的なミスでしかなかった。
「雨が降っていますか?」
 貴様が唐突に言った。なんだ、と俺は眉をひそめる。
「幻聴だろ」
 ここは地下だ。地上まで数階へだてた土竜穴、勿論窓も、通気口なんてものもない、まったくの墓穴だ。
「降っているだろう。」
「まあ、俺が昼間に見たときは降っていたようだが。……聞こえるのか?」
「いいや、」
 どう耳をすませたところで、エアコンプレッサーの唸る音、それに貴様につながれた各機器の振動音、ファン。そんなものしか聞こえない。生きている音はせいぜい、医務局員の話し声と咳払いだ。
「あなたが湿気を連れてきた。」
 言ってなにがおかしかったのか、貴様はまたくつくつ笑った。じわ、と腹の染みが大きくなる。どう意味か、たしかに雨は降っていたけれど、俺は濡れたおぼえもない。湿気た上着がにおいでもはなったかとくんと腕のあたりを嗅いでみたが、さっぱり判らなかった。
 薬で朦朧としている、貴様のうわ言のようなものだと思う。
「とっとと誤魔化せる程度に回復させて、はやく院へ戻ることだな。貴様の子守唄でないと寝られないガキどもが、私を呪詛しかねない。」
「まさか。……呪うなんて、どうあってもしないでしょう。みな、いい子です。」
「ああ、ああ、まったく、いい根性のガキどもだ。」
 言って俺は、いい加減にうるさくなってきた報告書のしたから、ヒモで束ねられた封筒を取り出す。ひらひらと貴様の顔の前で振って、見えるようにしてやった。
「貴様が約束した日より遅れて、院に帰ってこないのはどうしたのかと、私宛てに訴状が山と送られてきたぞ。たくさんすぎるお仕事させないでください、先生を働かせすぎないでください。あのな、言っておくが十三課のポストは、ガキどものお遊戯会のあて先じゃあないんだぞ。私は忙しい。目をとおす暇もないくらいだ。これだけ不眠不休で涙ぐましく仕事をこなしているというのに、私のせいで貴様が帰ってこないと思われている。とんだ迷惑だ。」
「それは、」
 俺が不満をブチまけている中途から、貴様はうっすらと笑っていた。子供らからの手紙に対しての、うらおもてのない、しんからうれしいと思わせる貴様の笑いだった。それを目にして、俺は、はっとする。
「それははやく帰らなくちゃあならない。」
 そうだろうそうだろうと俺は言ってみせた。ことさらおおきく頷いて見せた。これは俺が預かっておくから、だから起き上がれるようになったらすぐにでも報告にきて、それから孤児院へ早急に帰れ。
 心臓が痛いのはなぜだ。
「再審査では?」
 俺の言葉を受けて貴様がつぶやく。戦い方がまともでなかったことぐらい、自覚はあるようだった。再審査、あるわけないだろう。報告書を指ではじき、俺はこたえる。
「満場一致の一発通過。ほかの機関員どもにしめしがついたな。よかったじゃあないか。」
「……あれで?」
 あれで?いぶかしんで貴様がいう。低い声だった。判っているなら、判っていたなら、見苦しい戦闘をするなと、視察員に失態をさらすなと俺は思わず怒鳴りそうになった。何度死んだ。普通の人間がうけておっ死ぬような傷を、貴様は何度あまんじてその身に受けた。
「おやさしい視察員に感謝するんだな。」
 言って俺はさっさと身をひるがえす。長居をするつもりは毛頭なかった。来たときと同じ、数枚のドアと通路を過ぎて、あいかわらずこちらに目もくれない人間どものいる医務局室にいたる。通路へつづくドアには直行せず、つかつかと室内記録を担当するモニターの前に足をすすめ、治療室の会話を記録したデータを消去し、テープを抜きだした。聞かれて困る会話もしていないが、知らないところでのぞき見されることは実に不愉快だ。
 医局員はやはり反応しない。基本的に解剖だの改造だの以外に、関心のないやつらなのだった。肉体組織の結合具合に興味をしめしても、管理課のだれそれがどこと癒着しているか、些末事には目を向けやしない。
「血が出たぞ。」
 言うとああ、と別のモニターから、身体検査を記録するモニター画面へ視線をずらした医局員が頷いた、数値を手っ取り早くたしかめ、だいじょうぶでしょうと言う。
「たいした出血量じゃあないです。濃厚血小板とコンファクトF、それにビタミンK剤を、大量に投入しておきますよ。」
「レバーのパテでも口に突っ込んでやればいいんだ。」
「まったくですな。」
 肩を揺らして同意する医局員を背に、俺はドアを開け、通路の壁に寄りかかるようにして立っていたハインケル・ウーフー機関員を目に留める。その横に三人の武装神父。みな俺の息のかかった、そうして貴様のつとめる孤児院選出の機関員だった。
「尻尾が掴めました。スカルラッティ司教と、その上司の指図のようで。」
 ハインケルが俺に近付き、短く囁く。判った。俺は了承の意をしめし、ひと仕事だとやつらに告げた。
「車は待たせてあるな?」
「手配済みです。」
 由美江が自分もつれてゆけと駄々をこねてたいへんでしたよ、彼が愚痴をこぼす、簡単にその図が想像できて思わず苦笑した。しかたないだろう。俺はかえす。
「尻尾を掴んだ我々が、尻尾を掴み返されちゃあかなわん。」
「説明したんですけれどね。」
「あいつの獲物は特殊すぎる。足がつく。今回において、そうじゃあないかと疑われるのと、そうだと確定されるのではこちらの有利さがだいぶ違う。」
「それも、説明したんですけれどね。」
 憤懣のやり場に困ったのだろうと、ハインケルは呟いた。どいつもこいつも頭にきてやがるのだ、試される、きっと失敗するだろうと手ぐすね引いて待ちかまえられる、そうした見え透いた罠のあと始末だった。
「さあ、楽しいお仕事の時間だぞ。」
「駆逐してやりますとも。」
 にいいと剣呑な笑みを浮かべて機関員がうつむく。薄暗い通路の中で、鼻にかけた眼鏡の硝子だけが反射して白い。ぎらぎらとした殺意のこもった、うれしくてしようがないといった風の、歓びの歌。
 貴様を派遣した、派遣すべきと後押しした、貉の住処に俺はふみ込む。回されてくる仕事のいかんにいちいち文句をつける気はないけれど、それでも我慢に限りはあるというものだ。手がかりを得るのに三日かかった、遅い、これで迅速とは呼べない。なお機関に俺の手を伸ばし、有無を言わさぬ組織に改変する必要があった。まだだ、俺の力はまだ足りない。
 まったく、われながら、部下思いの、あたたかみのある、上司の鏡と言うものじゃあないか。感謝されるべきで、ガキどもからの抗議は実にすじちがい、と言うべきだった。
 アルファベット「i」、癖のかかる、視察官。遺書となった報告書。手駒を差し向け、いまから、今夜、始末してやった。ブレーキが利かない、気の毒なことだ、運が悪かった、事故以外のなにものでもないだろう?おやすみ、よい夢を。
 先生、はやく帰ってきてください。
 たっぷりと束になった俺に向けられた、貴様宛ての手紙。困り果てた孤児院へつめる他の職員が、俺にそっと手渡したものだ。
 貴様の審査場所として指定されたのは、郊外の救貧院。中にいたのはたてこもった化け物一匹、そうして化け物に食われ、化け物へと成り果てた、シスターひとりと、まとわりつく子供、十二。
 使徒の数と同じ。
 ナイフを、火箸を、不器用にかまえ、知性を失くした子供が貴様へ襲いかかる。乱杭歯をむき出し、だらだらと涎をたらし、爪を立てるそいつら、ひとつひとつ丁寧に貴様は首を刎ねてやったのだ。
 ひとつひとつご丁寧に、貴様は避けようともせず、傷をうけおってやったのだ。
 すでに人間ではなくなってしまった十二の手が、それぞれに貴様の腕へ、足へのびる、それはすがりつく動きとよく似ている。
 腹部の損傷がいっとうにひどかったと報告書にはあった。抱きしめたのだろうか?両腕を伸ばし、冷えた体をその胸にひきよせたのだろうか。
 思い、莫迦なと俺は首を振った。感傷だ。あまっちょろい貴様、封殺しておかなかった俺。今回のことはただの俺のミスで、それ以外なにものでもない。甘さを見せるな。甘さは弱味だった。弱味はすぐに足元をすくわれる。まんまと俺は足もとをすくわれ、だからわずかなりと義務を感じ、こうして後始末に奔走しているだけだった。
 おやすみ、と俺は思う。白でもって統一された部屋、負傷してから四日たちなお動けない貴様、けぶるほどはりめぐらされた管。よい夢を見れるといいな。
「我々に盾突く、延いては、我らが神に盾突く、愚者の最後の一片まで絶滅させてやろう。」
 俺は言った。笑みが唇に浮かんでいる。昏く、甘い笑いだった。


(satis factio :罪の償いを果たすこと)



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最終更新:2020年08月08日 23:14