*

 

 よいのですかと目の前でたずねられたので、俺は肯き、差しだされた書類を突き返した。ひと通り目はとおしてある。サインが必要なところに記入も済ませていた。
「見舞いにも行かれますか。」
 突き返した書類を受けとり、ファイルにさしはさんだそいつは、こちらを上目でうかがい聞いてくる。誰の、と問うと、彼女の、と閉じたファイルを指ではじいてかえされた。さししめした人間の報告書ではあったのだ。
「行かなきゃいかんだろうな……。」
 正直なところ、ひとであることをやめてしまった人間の相手をするというのはひどく大儀でしかなかったけれど、機関をまとめる人間として、一番最後に締めるぐらいのことはしてやらないと、あとあと周りからうるさく言われそうだった。行くよとこたえて立ち上る。
「いま?」
「今。」
 思いついたときがたずねどきだ。そうでなければきっと、行かずに済ましてしまうことになると思った。
 機関室を出て医局室へ回る。どちらも表ざたにはできない事件や事故を取り扱う場所であったので、必然的にそこへ詰める連中は全く陽のとどかない地下を蠢くことになる。上を歩く一般司祭のほとんどは、こうしたほの暗い場所があることを知らない。彼らはあくまで純粋に、こうべを垂れ偶像に祈るだけだ。仮に知っていたとしても都市伝説のたぐい。よくある、
「自分は知らないけれど、どうも、あると言う噂で」
 百物語。
 まる一日、ときには泊まり込みで三日も四日も太陽の差さぬ場所にこもりきりでいると、闇を徘徊する化け物を排除する役目のこちらがどうにも夜を好む生き物に思えてくるときがある。俺はまだいい。土食って生きる蚯蚓に似たようなものだとしても、囲まれているのは図書であったり書類であったり、とにかく、「文明のにおいのするもの」だ。ひとの手が加わる。科学が証明する。けれど、現地へおもむき化け物どもを追い立て、手にかける機関員はどうだ。血潮噴き、頭からぞろりと臓物をしたたらせ、身近にいたはずの人間のこときれた体を抱いて、
「彼女。」
「はい。」
「どんな様子だ。」
 律儀に後ろからついてきたそいつにたずねると、そうですねとしばらく考え込む風になって、それから、
「子供がえりとでも言いますか、」
 言った。
「……退行。」
「反復思考の連続です。連続と言うよりも壊れたレコードのように、同じところをぐるぐるとくりかえすに過ぎない。そうしてくりかえしていることに自覚はないのです。子供……そうですね、退行というよりは痴呆と言ったほうがよろしいか、」
「反復思考な。」
「楽しかった思い出とでもいうのでしょうかね?自分の見たいこと、聞きたいことしか拾いあげない。そのほかは素通りです。無害ですがね。最初のころは、暴れ泣き叫んで、拘束しないとどうにもならなかったのですが、このところ大人しいです。落ちつきました。おそらく受容しがたい記憶の部分を、頭が徹底的に拒否した結果だと思います。あれが自己防衛のひとつのかたちであるとしたら、それはそれで正しい姿かもしれませんがね。」
 言ってそいつは肩をすくめる。すくめでもしないとやっていられない。気がくさりそうだ。
 他人事なのだった。
 同情しようと、憐憫しようと、そいつには関係ない。どうせ他人事なのだよな。俺にしてもそうだった。
「片割れの体は?」
「とっくに埋葬しましたよ。埋葬と言えるかどうかは判りませんが、まあとにかく、弔いは終わらせました。」
「……そっちへも、いかなきゃならんだろうな。」
 面倒臭いなと俺は思う、嗅ぎなれた穴倉を出て別の場所へ行くというのはどうにも苦手だ。反復思考と先ほど後ろのそいつは言ったけれど、反復で言うのならば俺はぜひとも反復行動をとりたい。考えもなしにくりかえす毎日だ。幸せな日々に思えた。
 同じ時間に起床し、きまったものを食べ、職場へ向かい席へ着き、終業きっかりに立ちあがり部屋へ戻る、ボタンの押しすり減ったリモコンを手に、いつもの番組を時間まで眺めて、明かりをけして床に就く。
 ぞっとするほど幸福じゃあないか。
 市街地へ出かけるとき、俺はいつもぼんやりと住居をながめて思うのだ。
 最近は高層型アパートも郊外に建ちならび、ブラインドを下ろさないリビングの様子がうっすらとうかがえる、中では夫婦やらひとりものやらガキどもがかげぼうしになって動いて、その影は大きかったり小さかったり、ひとりであったり数人であったり、けれど所詮違いはその程度なのだ。同じ間取り。同じような家具。家族構成。同じようなものを食べ、同じような会話が食卓でかわされ、泣き笑い騒いで、そうして誰もが自分の家庭は隣近所とは別物だと思う、特別なのだと思っている。夜にもなるといっせいに同じ色の明かりがつくのに?
 電球を変えてみたところで、せいぜい白色か橙色か、あとは光量。その程度の違いでしかないのだ。
 外から眺める俺は、その似通ったモデルが並ぶ蜂の巣ひとつひとつの穴に、違和感をおぼえ、また羨望をおぼえるのだ。自分が隣と同列であることに、中にいる人間は気づかない。気づかないことの、知らされないことの絶対的な幸福。思う俺自身も奴らと変わりがない、自分のことを特別と思い、ほかとは違うと信じて、けれど現実、神の目とやらで空高い場所から眺めてみるとなにも特別なことはない、ほかのかげぼうしとの違いはない。なのに自分は「別」だと誰もが信じている。思い込んでいないときっと人間は動けないのだ。
「それと、」
 後ろのそいつがまた不意に口を開いた。俺は思考を引き戻される。
「おそらく医局から別件で連絡が行くと思われますので、先にお知らせしておきますが、アンデルセン司祭の施術でひと悶着あったようです。」
「……は?」
 俺は思わずふり向いて、眼鏡の奥の目を見返す。淡々と事務的以外の色を見せないそいつが、わずかに頷き苦笑を滲ませるのが判った。
「あれの体の定期点検と上書きは、別にいつも決まっていたことだろう?」
 反復行動。
「点検に支障はなかったようですよ。ただ、司祭が、」
「アンデルセン?」
「新規の……というよりは、その。かなり無謀な上書きをのぞんだようでして、」
「……あの莫迦。」
 渋り躊躇する医局員と、押し切ろうとする直情者の問答が目にみえて俺は舌打ちし、踵を返す。機関員の彼女をたずねるより先に、医局室へ顔を出す気になった。どちらにせよ双方顔をださねばならないだろうし、だったらやっかいな案件を片付けるのが先だった。どうせ同区画なことに変わりはないのだ。
「機関長?」
「先にそちらを片付ける。彼女は別に急ぎじゃあない。」
「はあ、」
「ほかになにか俺に言うことは?」
「ないです。」
「では、貴様は貴様の職務へ戻れ。」
 言って俺はそいつを部屋へ帰し、ひとりすすむ先を変更する。
 まったく常にやっかいごとを持ち込むのが上手だなと、俺は心の中で悪態をついた。
 一度でいい、朗報だけをかかえて俺の耳へ聞かせることはできないものか、いつもいつも貴様が起こしたボヤ騒ぎの後始末、ぶすぶすくすぶるあちらこちらに奔走するはめになって、脅しをかけ、なだめすかし、ときには泣き落としも使いながら、むきになって鎮火させる、それでよくやったと褒めてくれる人間のひとりもいればいいが、上に立ちまとめるものとして「当然の」、責務をこなしただけで結局評価のひとつもない。どころかやあやあ、いつ見てもおたくは忙しそうですななんぞ、おべっかまじりの嫌味が寄越される具合で、正直言って俺は心底辟易しているのだ。
 貴様が。貴様が持ち込むすべてが。
 ジョーカーだとか、渾名をつけられていい気になっているものかと思う。うぬぼれるな。ジョーカーとは結局のところ、特別な一枚のカードでしかありえなかった。十派一絡げのものとはちがう、それは他に説明するときに絶大な効果を発揮するものではあるけれど、「それだけ」のことで、異端であることに変わりはないのだ。混じりえない。切り札として、同じような性質を肩代わりできながら、同質のものには決してなれない。畢竟もとのカードが強いことを思い知るしかないのだ。A(エース)は、Aであることに価値がある。ジョーカーはAそのものにはなれないのだった。
 そういえば、貴様の名前も「A」を冠していたな。A・A。どこかでAを拾いあげることができれば役上がり、スリーカードだ。
 ふとそんなことを思い、俺は妙におかしくなって廊下を歩きながらひとりにやにやとした。どうでもよいことだった。
 医局室のドアを開き中へ入ると、室内にいた数人が顔を上げて俺をながめ、そのうちのひとりが、ああと言った顔になって、のぞきこんでいたモニターから目をはなし、こちらへやってきた。おしらせしようと思っていたところです、先だっての事務局員と同じような苦笑をにじませて、そいつは俺にそう言う。
「実は、今日の定期点検の際にですね、」
「聞いた。あいつが相当無理を言ったらしいな。」
「そうです、そうです。……いやまったく、弱りました。」
「泣かされたか。」
「ええ……、しかし残念ながら、自分の涙腺はとうの昔に切除しましてね。」
 うすく笑ってそいつがかえす。食えない、いつも何を考えているのかよく判らない男だった。腕はいい。だからここにいる。性格の善し悪しは土の下では優先基準はあとまわされて、才能を有しているか、才能を発揮させるだけの強い意思があるか、まっさきに注視も評価も、されるところはそうした部分だ。
 医局へ詰める人間は眠らないと聞いたことがあるがこいつらだって人間だ、どこかで休息はとっているにちがいない、けれど俺がどんな時間にたずねてもこいつらは常にここにいて、無味乾燥な表情でモニターを眺めているのだ。ほかのことに関心がない。仮令目の前で人間同士が殺し合いをはじめても、無感動でいるような気がした。興味は研究素体から得られるデータ、その一点に尽きた。
 素体の最もたるものが、「あれ」だった。再生者。ふぞろいなAのワンペア。
「アレクサンド・アンデルセンの資料については、こちらを参考になさってください。」
 あとで目を通しておいてもらえますか、まとめておきましたので。分厚い報告書の束を渡され俺は受け取りその重さにうんざりした。
「……これはまた、ずいぶんと、」
 目を通すだけで一苦労だと思う。
「まだ『その』段階だったのですよ。」
 ちらと俺を見てそいつが言った。
「『その』、?」
「αテスト段階だったということです。もっとも、基礎の部分は完成していたのですがね、細かな修正は何度も繰り返さなくちゃあならなかったし、いくつかやっかいなバグも取りきれていなかった。まだβと言えるところまで持ちこめていなかったんです。生体実験データも数が不足していました。バージョンをいますこし上げることができれば、機関長にも一報をと思ってはいたのですけれども、まだそこまでじゃあなかったんです。それを、どこで小耳に挟んだのやら、施せと彼に強く押し切られまして、……判るでしょう。彼を御せる人間は医局にはいない。」
 そうか、と俺は短くこたえた。わかるよと同意をしめしてやる。真偽は問わないつもりだった。
 御せないと、いまこいつは言い表したけれども、あれがどんなに凄んだところで、こいつらが狼狽するようなタマだろうか、むしろバージョンを上げるより先に、都合よく施術をなせる素体があらわれて色めき立ったのではないか、必要とあれば筋弛緩剤を大量に投与して、貴様を黙らせることも可能なはずだった。なにしろ月に一度、かならず貴様は検査と上書きに訪れる。儀礼を施されたはじめから、そう言う決まりごとになっていた。
 ひとの体はもろい。ぶつけた、切った、くじいた、おれた、その程度で簡単に傷むし、年年歳歳劣化する。生まれた日より若い日はない。今日より明日が覆ることは一度もない。そうしたものだ、わざわざ御主のありがたい言葉を引き合いに出さなくても判りきっていることで、生命活動を行う生きものすべての仕組みはそうした単純なもの、そのひとえにくりかえされる仕組みを、ひとは見ないふりをする。
 そうしてその仕組みから外れたのが貴様だった。外したのか、外されたのか、俺には判らない。この場合受能どちらでもいいと思った。知り得ないことだったし、知りたくもなかった。
 知ったところでなにが変わるのかと思う。
「で?」
 俺は聞いた。
「あれか、施術が失敗しただとかで、治療室に転がしてあるとか、そういうことか?」
「いえ、」
 儀礼は成功ですよ。そいつはこたえる。彼は帰りました。今ごろは子供らと食事でも摂っているのじゃあないですか。
「理論上は完璧なものではあったんです。とくべつ不具合もない。ただ、先ほど申し上げた通り、まだ中途であったので、生体実例がすくなくてですね、素体へかかる負荷がどれほどのものか未知数ではあったんです。……いや。正直に申します。詳しい数字はお判りにならないでしょうから割愛しますけれども、つまりどうにも見過ごせないバグがひとつふたつ残っていましてね。それを軽減させるバージョンを、どうにか研究している最中だったのですが、」
「……つまり?」
「試験したソフトは、彼が被傷した際の再生速度を、生命活動維持に必要な部位に限って優先するのです。頭であるとか、心肺機能であるとか、そうした部分は通例以上のスピードで再生することが可能になった。ですが、かえってほかの末端末節部分がおそろかになるのです。もちろん、再生しないって話じゃあありません。ただ、今までのものとくらべると、格段に機能が落ちている。つまり頭を吹っ飛ばされたとしても、瞬時に回復可能ですが、代わりに腕や足が捥げた場合は、しばらく時間が必要になる。四肢と言うものは、生命維持においてはあまり必要のない部分ですのでね。しかしこの、『しばらく』がどの程度になるか、実験段階だったんです。特殊戦闘特化型と言ってしまえばその通りですが、実戦に投入するとなると、はたしてどの程度有効であるのか、それと回復再生時に痛覚を刺激するようでして、これも大きな問題のひとつです。痛みと言うやつを感じると人間の体はすくむんです。そういう風にできている。意思の力で、言うのは簡単ですが、実際その通り行動できる人間がどれほどいるのかということですね。……まあ、彼の場合は、痛覚の問題は問題なくクリアーできたようですけれども。」
「……。」
「慣れもあるのでしょうが、おそろしい意思力です。寸ともひるまない。信仰心というやつだけであれほど強くなれるものか、正直わたしには理解できる領域ではないです。」
 俺はわずかに俯き、瞑目する。痛みになれた貴様を思う。
「それと、」
 言ってそいつはあらたまった口調になり、以前提案した件について選出作業はすすんでいますかと俺にたずねた。
「……提案した、件。」
「これだ。」
 やれやれといったぐあいにそいつは苦笑いし、俺はその笑いを見て、そいつから言われていた選出とやらを思い出した。ああ、と嘆息する。
「再生者次候補の件な。」
「そうです。」
「……駄目なのか。」
 あれは。貴様ではもういけなくなったのか。昏い気持ちになって俺がつぶやくと、とんでもない、言って目の前で首を振られる。
「今日おこなったアレクサンド・アンデルセンの身体検査の数値は、基準値をクリアーしいます。クリアーしたというよりは、今までになく優良といったほうがよろしい。なにも問題はありません。」
 今に限ってですが、けれどそいつはそう付け加えた。
「前回お話しした通り、ここで候補者に施術を行い、驚異的な身体能力まで数値を上げることはできます。しかし再生儀礼を施された人体は、あくまでも人体なのです。我々は魔法使いじゃあない。再生者本人がもともと持つ、回復や再生、そうした能力を極限まで引き上げ引き伸ばすことは可能ですが、それ以上の働きをうながすことはできない。そうして、常の回復よりも数百倍、数千倍に速められた体にかかる負担は同じ数量あるはずなんです。彼に関していえば、まったくたいしたものですよ。さきほど、今日おこなった施術の中の重大なバグのひとつに痛覚を刺激すると申し上げましたけれども、再生者である彼は、もともと再生能力を発揮するたびに激痛を伴うものです。それを、呻きひとつあげずに任務をこなしているそうじゃあないですか。」
 そうだな。俺は低くこたえた。彼はよくやってくれていると思うよ。
「それにわたしが驚いているのは、ずいぶんと長持ちしている点です。いままでの他の素体にくらべると、倍以上長い。前のは……何年だったかな。」
「五年ですね。」
 そいつの言葉を受けて、モニターから顔も上げずにほかの局員が呟いた。五年。俺は頭の中で反芻する。前任者は五年しか保たなかった。
「五年はすこし短い気もしますがね、もともと再生者のボーダーラインは十年前後、その程度なんですよ。人間の体というものは、日々老化を進めるのが自然の道理です。それを意図的に止めている。しかし体の劣化は防げても、精神の摩耗は医学ではどうしようもない。せいぜい安定剤だのホルモンバランス調整剤だのを投与するしか手がないんです。なにしろ、からだが再生能力を発揮するたびに激痛を伴いますし、周囲のゆるやかに老いてゆく時間の中でひとりとどまるわけです。摂理に逆行しているわけです。まあどいつもこいつも心をやられる。ですから我々は常に新しいバージョンを開発していかねばならないし、施される素体も新しいものへと変えていかなければならないんです。……ところが彼は、もう三十年がところ今の位置にいる。老いず、病まず、いつ気が違ってもおかしくない状況で正気を保って生活している。おそろしい意思力です。私が先ほど申し上げた、彼の意思力とはそれです。」
「だが、」
 俺は言った。声に張りがないのは自分でも変えようがなかった。
「示した数値はいいものだったんだろう。」
「ですから、」
 そいつはいらえる。
「ですから私は次の候補者をと申し上げている。……マクスウェル局長は、星に興味がおありですか?」
「え?」
 不意に話があさっての方向へ飛んで、俺はまじろぎ、星と言うのはあの天体の星かとたずねた。
「その星です。きらきら光ったり、お空にまたたいたりする、あれですな。」
「星が、いったい、」
「私は宇宙法則についてまったくの専門外でありますがね。恒星と言うやつは、星としての活動が大きく盛んなものであればあるほど、活動期は短いんですよ。あっという間に燃え尽きてしまう。まあ、あっという間、の『間』が、我々人間のスパンにくらべると数百万、数千万年単位ではあるわけですが。」
「――」
「中心部までの燃料を使い果たした星と言うやつは、バランスを崩します。星としての形態を保てなくなるわけです。そうして、吹き飛ぶ。壮絶なもんです。ものすごい光を放って大爆発を起こすわけですね。」
「それが、」
 それがいったいなんだと俺は言った。局員が話している内容を理解できないわけじゃあない、だが俺は理解したくはなかった。
 あれもそうだと言いたいのか。
「まあ、たとえ話で。杞憂であればよいと思っています。」
 ですから早急に次の候補者を。言われて俺はしかたなしに頷く。頷くよりほかなかった。
「検体をいくつも見ていると、だいたいパターンがあるんですよ。」
 別の席にいたやつが、やはり下から上にながれる数字の羅列から目を離さぬまま、ぼそとひとりごとのように呟いた。会話が聞こえていないわけではないのだ、ただ関心を示さないというだけで、
「パターン。」
 聞き流すことができなくて俺はくり返す。
「ええ、おかしくなる前の再生者は自傷行為に走ることが多い。」
「――」
「今回の無理を通した施術が、彼の前向きな希求であれば問題ないんです。ただ、ほら、このあいだの十三課のだめになった機関員、」
 さきほど報告書へ目を通したばかりの彼女の名前が医局員の口にのぼる。顔は知らない、目にしていたはずなのに俺はおぼえていなかった。
「気になったので調べましたがね。彼女。フェルディナントなんとやら孤児院の出だったんじゃあなかったですか。」
「――」
 それも報告書で知ったことだった。俺もあそこに放り込まれていたことがあったけれど、そう長い期間じゃあなかった、なにしろ俺は、初等部を出てすぐに神学校へ推薦されてすすんでしまっていたから、寮のまわりの人間は俺よりも四つも五つも上だったし、俺よりあとに孤児院へ連れてこられた同じ境遇のガキが何人いたのか人数すら知らなかったし、だから勿論名前は把握していない。
 ああそうだ、コンソールを叩いていたそいつがそう言って浅く頷く。
「やはり、同孤児院ですね。彼も担当したでしょう。」
「……ですから、そうした些細な感傷がですね、積もれば大きな瑕疵にもなるわけです。」
 受けて先ほどのもう一人が言って俺を見る。すくい上げるような視線だった。俺は顔を背け眉をしかめる。試されるのも読まれるのもまっぴらだと思った。
「十三課だけの問題じゃあありません。我々も責任を問われる問題になりかねない。ここの最終兵器が、空席というわけにはいかんでしょう。次候補を幾人か揃えておいていただかないと、」
 わかった。
「次までには何名か挙げておく。」
 俺は短くこたえ、それで話を打ち切ろうとする、これ以上その件について今は考えたくなかった。超新星。貴様がそうだとでもいうつもりか、おこがましい、鼻で笑って、笑い飛ばしてやりたかったのに、けれど俺は化け物を目の前にした貴様が前へ前へと生き急ぐたびに、どういうわけかひどい焦燥感をおぼえるのだった。どこへゆく。俺は言いたかった。貴様はまっしぐらに前を見る、獲物ただ一点だけを睨めつける、視界に他になにも入らない。
 俺は?
 俺はどうだ?
「『彼女』に、もう会われましたか?」
 またべつの局員に問われて俺は床にうろついていた視線をそいつの顔へと引き上げる。墓石のように無感動な顔は、人形だとかロボットと評するよりはどちらかというと無機物の鉱石に近いような気もした。冷たいのじゃあない。もとよりあたたかみなど存在しないのだ。
 いやまだだと俺は言う、そうですかとそいつはこたえて椅子より立ち上り、俺は軽く驚いた。根が生えたように動かないこいつら、他にまるで関心を示さないこいつら、能動的に行動することがあるのかという、そうした驚きだった。
「彼女の治療に自分も担当しましたのでね、ご案内しましょう。」
「場所は、」
 場所は知っているよと俺は言った。そうじゃあないんですとそいつの言う。
「だめになってよりこちら、どうも知らない顔がゆくと怖がることがあるんです。暴れるようなことはないので心配はほとんどいりませんが、声をたてて騒がれても面倒でしょう。」
 気の違った人間が発するきいきいと耳障りな高音。黒板に爪を立て引っ掻き回すあの音に似ている気もする。
 廊下にすこし離れて立ちそいつが先導する、そいつの背をながめて、俺は正直うろたえた。なぜなら俺はそれこそひょいと、文字通りの意味で顔をのぞかせる程度の訪問を思い描いていたので、こんな風に真正面からしっかりと、みっちりと、見舞うつもりはなかったからだ。
 彼女。十三課の人員の割合からすると、女はかなりすくなくて、これは単に戦闘人員として個々の能力を考えたときに、男とくらべて女はやはり数値が劣るからに他ならない。狂信度合いの問題ではないのだ。筋肉が違う、骨格が違う、内臓が違う、どんなに鍛えたところで女は女の枠を超えることはできないし、それは男尊女卑うんぬんそうした話ではなくて、体のつくりがもとよりそうなのだから仕方がないというよりほかない。
 けれどときには、その元来の肉体的数値を超える、突出した特技を持つ女もいたから、割合としてはゼロではなかった。ざっと名前が上げられるだけでも十数名はいて、男にはできようのない潜伏方法や諜報活動も期待できたから、体のつくりの差と言うものはただの差でしかなくて、実際はマイナス要因にはなっていないのかもしれない。
『彼女』には同じ顔を持つ双子の姉がいた。機関員はだいたい二人一組で行動することが多いのだけれど、彼女は姉とペアになり任務地へ赴いていた、何度となく経験しているお互いの呼吸に誤差はなかった、ただ、
「怪我の具合はどんなだ。」
「外傷はわずかなものでした。もうほとんど塞がっているはずです。ただ、目の前で血のつながった姉が千切られむさぼり食われたことが、相当ショックだったようですね。見つけたときは、片割れの臓器まみれだったというじゃあありませんか。かわいそうに、狂ってしまった。」
 まるでかわいそうに聞こえない口調に、ああそうかこいつもまた他人事なのだよなと俺は思った。
 しかたがないことだ。俺は思う。
 いくら親身になったところで、結局は別の脳髄を抱えて生きているのだ。すり寄ることはできても、同化することはない。慮ることはできても、そのものにはなれない。
「ところで、ねえ、話はまったく変わりますが、局長はラジコンを触られたことがありますか。」
 口調をあらためた不意の話題転換に、俺はせんごろの星の話を思い出し、こいつらときたらいつでもこんな風に話が急に吹っ飛ぶ傾向にあるのだろうかとそんなことを考えた。理解に苦しみ、ちいさく笑ってしまう。笑いながらないよと俺はこたえる。
「休日の公園に行くと、たまに見かけるから知らないわけじゃあないけどな。触ったことはない。結構細かな部分までつくられているように見えるが。」
 そうですか、そいつは言った。
「そうですか。……自分はちいさいころからそうした機械を分解したり、組み立てたり、改造したりするのが好きでしてね。暇があると部屋にこもってそればかりしていた。おかげで、すこし方向は違うが、こうした人体を切ったり貼ったり開いたりする職種に就いたとも言えますが。最近のは、いやあ、すごいですよ。実によくできていますよ。本物の車と同じメイカーから、本物の車と同じ工程で、本物の車と同じ職人が手掛けて、製造され、出荷されているんです。車そのものだ。精巧な何分の一だかのスケールです。それを、まあ、自分はもう大人なのでね、多少値が張っても買えるわけでしょう。買ってきて、しかしやることはちいさいころとたいして変わりないわけですよ。まっさきに外側のボデーを外しましてね、シャシを調べる。それからモーターを外したり内角を削ってみたりね。別の部品を買ってきて、自分なりにカスタムしたりする。」
「――」
 うきうきとした話しぶりがおかしくて、俺は口角を上げて判るよと同意をしめしながら先をうながす。俺はこいつのように精密な部分にまで興味を覚えることはないけれど、それでも分解図をながめたり、仕組みを理解することは嫌いじゃあなかった。機械は設計以上のはたらきはしないけれど、設計以下のはたらきもしない。そこに意思は介在しない。組み立てた通りの、ことわりのある動きをする。明快単純なはなしだった。そうして俺はその単純さが楽だと思っていた。
「変わらないんですよ。もうせん、ちいさいころから何台も、何台も同じことをするわけです。別に誰と競うって言うんじゃあないのに、何種類もつくって試用してみるんですね。」
「競わないのか。」
「競うことに興味はないんですよ。改造すること自体が楽しくてしようがないんです。誰に勝とうが、負けようが、自分にとってそんなことはどうでもよろしい。」
「ふうん。」
「これは、スピード特化だとか。これは、周回用。なかでもコーナー特化とか。これは荒地、とくに泥濘でも走る水陸両用だとかね。淡水と海水でもことなりますし、ただの水と泥や砂まじりのみずでも別ものになるんです。それをうまい具合に調整してやって、走らせてみる。いや、走るかどうかはほんとうのところ、自分にとってどうでもいいんです。走るんじゃないかな、走るといいな、それぐらいのもんでしかないです。とにかく機材を手にして一心にあれこれためしてみる。それが楽しくて、楽しくてね。夢中になって、気が付くと明かりもつけずに真っ暗な部屋のなかで部品を削っていたりね。我ながら笑ってしまいますよ。いい年した大人なのに、ってね。」
 でもねえ、そいつは唐突に数呼吸黙り込む。話しているうちに彼女の病室にまでたどり着いたようだった。廊下の突き当たり。隔離された一室。
 でもねえ、こちらを振り向きもせず、いきなりしんとした空気に俺はどうしたことだとぎくりとして、黙り込んだそいつのうなじあたりを眺めた。
「――でもねえ、」
 やがて今までの面白くて仕方がない口調とはうって変わって、えらく低く、静かな声でそいつはぼつりと呟く。
「何台も、何台も、何台も、部屋の隅に積み上げるほどつくってね。つくってみて思うんですよ。」
「――」
「結局ね。いつも思うんです。変わらないんです。……自分がどんなに手をくわえるものよりも、もとのね。素のままのそれが、いちばんに美しいものだってね。」
「――」
 聞いた刹那おのれの体の芯をずぐとうずくなにかがあって、俺は声をあげまいと頬の内側を噛みしめる。こいつはなにを言いたかったのか、どうしてこうして先導するかたちでわざわざここまでついてやって来たか、先に行きますよ、言って彼はドアを開け、気の違った機関員のおさまる部屋へ入った、俺は廊下に金縛りにあったように立ち尽くしたままに動かない、動けない、無理に進んだ瞬間に膝からみっともなく崩れてしまうように思えて、しばらく身をこわばらせたまま俺はドアノブを意味もなく凝視する。
 ややして俺は震える片手で顔を覆った。
 ひとの手を加えるほどに、ぶざまな。ひとの手を加えるほどに摩耗して、消極して、劣化して、もとの「かたち」を忘れて、三十年。
 彼が言いたかったのは結局そう言うことだったのだろう。
 三十年。それは貴様にとって長かったか。それとも短いものであったのか。
 彼女の声だろうか、赤ん坊が泣くような、ぐずったあどけない声が室内から漏れ聞こえ、俺は壁に身を寄せ目を閉じた。どうせここは誰も来ない。
 畜生と俺は口の中で毒づく。素のままの姿をうしなった貴様。さらに手を加え未完成な儀礼を施して前だけを視界に入れ、そのほかのすべてを捨て去ろうとしている貴様。
 バージョン。カスタム。そんな言葉が使われる時点で、そんなものはもう人間じゃあない。だが貴様は化け物でもなかった、なかったはずだった、だったら突き進む先はなんだと俺は思った。貴様はいったい、なにになろうとしている?
 判らなかった。ひどい顔をしているにちがいない。
 俺はドアノブをながめたきり、いつまでもそれに手をかけることができず、廊下に立ち尽くす。

 

 (Sabaoth:「軍隊」の意)

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最終更新:2020年08月08日 23:17