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 あれはきっと、わたくしの見間違い、聞き間違いであったのでございます。
 そうでなければ説明のしようがございません。
 わたくしの普段のおこないがたいそうよろしくないから、主がわたくしをおためしになったのだと思います。そうしてわたくしは、そのこころみに克つことができなかった。楽園の知恵の実は、口にした行為自体に罪はないのだと、おさないころ敬虔な信者であった母にわたくしは教えられて育ちました。ただ、口にしてはならぬと言い付けられ、その言い付けを守ることをしなかった。蛇の唆しに踊らされて手を伸ばした心のよわさ、それこそ主がお腹立ちになったものであり、悲しまれたものなのだと、そうした風にわたくしはさとされました。
 ですので、負けた。そんな具合に言いあらわしてしまうことは主への冒涜になるのでございましょうが、それ以上の表現をわたくしはもたないのでございます。負けた。言いしれぬおそろしさと敗北感にうちひしがれ、わたくしはたしかに負けたのでございます。
 わたくしが教会へ出向いたのは、まだ初冬の、木枯らしの強く吹く午後でございました。その前の日の午前に、告解をさせていただきたいとわたくしは教会の方にお願いしていたのでございますが、その方から、教会に住んでいらっしゃる顔なじみの神父さまに不意の私用ができ留守なこと、たまさか近隣へ滞在しておられたヴァチカンの司教さまが直々にこの鄙びた村へ足を運ばれているということで、わたくしは、ぜひそのヴァチカンよりいらっしゃる司教さまのお姿を拝見させていただきたいと思い、一日日をずらしていただいたのでございます。
 なんという吉祥。
 田舎もののわたくしが、中央にいらっしゃる司祭司教さまがたを目にする機会はなく、これがたとえば諸国へ旅することが趣味の人間であればまた話は違ったのでしょうが、清貧をモットーとする両親に育てられたわたくしはそのような趣味嗜好もなく、ですから、わたくしにとって、高邁なお姿をひと目でも見られる幸運というものはまさに千載一遇の好機、そうでなければ拝見させていただく確率はほとんどゼロにひとしいのでございますから、わたくしは心から、天におわします主に感謝したのでございました。
 そのうえ、曽祖父の代から延年、教会へ修繕費と申しまして献金をお納め続けてきたことが幸いしましたか、わたくしが指定の時刻にまいりますと、その司教さまにお目通りがかなうと教会の従者に告げられました。そのおりの、わたくしのどくどくと震えたこころもちをあらわすすべをわたくしは知りません。天に昇る心地と申しますにはどうにも語弊がございましょうが、ふわふわといった態、なにか失礼あってはならぬ、粗相があってはならぬと思いながらどうにも取り繕いのないおどおどと落ち着かない気持ち、ちいさな客間で三十分ほど時間を割いていただいたのでございますが、正直なところ、どれほど時間が流れたのか、どう言った会話を司教さまと交わしたのか、わたくしは一切おぼえがないのでございます。我にかえると部屋を辞し、経堂の床に膝を着き祈っておりました。
 気が付くまでにかなりの長い時間、膝を着いていたらしく、石の床に体温をうばわれからだはこわばり、わたくしはきっと青い顔をしていたのでしょう、おもての通りを掃き清めていらした従者へいとまを申し出たわたくしを見てその方は驚いた顔をして、このままではきっと風邪をひいてしまう、よければお茶を飲んであたたまっていらっしゃいとわたくしを教会の裏口から再度神の家へと招きいれ、わたくしはそのお言葉に甘え、お勝手口の椅子に座りストーブへ近づいて、ほっと肩の力を抜きました。
 思ったよりも体を冷やしていたのでございましょう。
 従者とは、ほとんどあいさつ程度のものしか言葉を交わさない間がらとは言え長年見知った顔であり、お互いに気を許し合っているところもございましたので、わたくしをストーブまで案内すると、では、とその方はおっしゃられて、わたくしをその場へ置き、ご自分のお勤めに戻られたのでした。
 熱く湯気の立つお茶もいただいて、小一時間そこへ留まっておりましたでしょうか。
 ふと外を見ると次第に日も陰り、そう言えば日暮れまでには戻ると家のものに告げてあったことも思い出し、そろそろ戻らねば言い置いてあった時間までに帰宅できないと気付いたわたくしは、腰を上げ、お勝手にはどなたもいらっしゃらなかったのでちいさくお礼の言葉を口の中で呟いて、それから建物を出ましてございます。
 そうして、裏庭の落ち葉をかいていらっしゃった従者の姿を見止めましたので、近寄りお礼を申しますと、気にしなくてもいいですよとその方は実ににこやかにほほ笑まれ、それからわたくしの顔を見て、ああ、となにか思い出した風に声をお上げになられました。
 どうなさいましたとわたくしがたずねますと、帰るのなら百合を持っていらっしゃいとおっしゃるのです。聞けば、先ほどお話しさせていただいたヴァチカンからの司教さまが、朝方のお祈りの際に飾られた花に触れ、聖別をなさったそうで、それまでにも何人か教会へ訪れたものへせっかくだからと分けて配られた、まだいくつか残っているから、どうせ明日の朝には新しいものと変えてしまうのだから全部持っていってかまいませんよとその方はそうおっしゃるのです。
 わたくしはたいそううれしく思いまして、これも、日ごろから、真摯に主へお祈りをささげているご褒美かしらんなぞと、もちろん祈りに見返りのものがあると心からは思っておりませんし、主への信仰とはそうしたものではないことぐらい十二分に承知しておりましたけれども、きっとすこし浮ついていたのでしょう、ちらと俗なことも考え、ぜひ聖なる花をいただいて帰りたいとその方にこたえて、そうして聖堂の中へ入りました。
 夕刻の気配が漂いはじめた聖堂は、しんとおだやかに静まりかえり、明かりのほとんどない中は、影絵のように黒に浮かされた燭台や椅子が並んでおりました。わたくしはそのあいだを縫うようにして、教えていただいた花瓶まで進みますと、挿してあった百合の花を数輪いただき、それからふと、なにか物音がしたような気がいたしまして、あらと耳を澄ませたのでございます。
 とくになにか心当たりがあったわけではございません。ただ、門戸は万人にひらかれると神の子のおっしゃられた通り、昼日なかの間じゅうは教会の入り口というものは裏口も扉を開きはなしでございましたから、猫の子でも紛れ込んだのではないか、もしそうであったなら悪さをする前に外に追ってしまおうと、ほんとうに深く考えもしない行動であったのです。
 もとより聖堂内には、古びて擦り切れているとは言え絨毯が敷かれており、わたくしひとりがその上を歩くほどには、ほとんど足音が響かないのでございます。そうしてもし、猫の子であるなら、わたくしの足音を耳にしてさっと姿を隠してしまうかもしれませんから、わたくしはなるべくそうっと、息をひそめるようにして、音が聞こえてきた気のする壁のがわへ、歩を進めますと、そこには告解室がしつらえてあって、音はそのあたりから聞こえてきたようにございました。
 しばらく様子をうかがっておりますと、また、二たび、三たび、ゆるやかな衣擦れの音が告解室のなかより聞こえて、するとこれはひとの気配というものでございます。猫の子ではございません。
 せんごろ話をした従者は、わたくしが本日最後の訪問人だとおっしゃった、では誰か、いそぎ心のうちを聞いていただきたい信者が小部屋に籠もっているものでもなし、そもそもこの教会に起居されている神父さまは昨晩から留守だということで、ですからヴァチカンよりいらした司教さまが、代わりに今朝のミサも行ったのです。
 では子供でしょうか。わたくしはそう思いました。
 この教会の位置する集落は、そう大きなものではございませんけれども、それでも十ほどの姓、百を超える人間が生活しておりましたので、そのいずれかのいたずら盛りの子供が、神父様ご不在の教会の中にしのびこんだ、音から察するにたいした悪さはしていないようにも思えましたが、それでもここは遊技場ではなく教会です。軽い気持ちで入りこんではならないはずです。
 子供であるなら、誰何し、必要とあれば懲らしめてやらねばなりますまい。
 そう思い、わたくしは厳しい叱責をあげるために告解室の板壁に手をつきました。途端、中より、みしと大きくひとつ板のたわむ音がいたしまして、わたくしはどういうわけか、ぎくりとし、息をのんだのでございます。
 子供がかくれんぼうをしている音ではございません。これは大人のからだを持った人間が、からだをよじり、もがいた音にございます。
 いったい、なに、が。
 そろそろと顔を寄せ、告解する人間が入るがわの部屋、通路の外へたらされた緞帳の隙間から、わたくしはうちをうかがいました。
 ひゅっと、自分の喉が鳴った音がいたしました。
 まずわたくしの目に飛び込んだものは、部屋の空間に散らされた一面の金糸でございます。目をむき、ぱちぱちとまじろぎ、それがひとの髪の毛であることを理解いたしましたのはしばらくしてからのことでございました。散らされた金糸が、持ち主の身をよじるたびに、やわらかにうねり、みだれ這い、呆気にとられたわたくしの耳に、次いで押し殺した苦鳴がしのびいってまいりました。
 中で誰かが苦しんでいるのです。
 そうしてうまくはたらかないわたくしの頭は、けれどその苦悶をあげた人間が、さきほどにお会いした司教さま、石膏のように固めた冷徹のうつくしさをもった司教さまであることを認めていたのでございました。
 司教さまが告解室のなかで身をよじり、脂汗を流して苦しんでおられるのです。
 急な病でもおこされたのだろうかと、わたくしはまず一番最初に思いました。どうして司教さまがこちらにいらっしゃるのかは判りませんが、聖堂を見まわる途中に不意に体の具合がよろしくなくなり、とりもあえず告解室の中に転がり込んだ、いまなお苦痛をこらえながら痛みのために助けを求める声も出せず、ただ身を震わせることしかできないのではないか。
 こちらへ顔を向けている司教さまの視線はうつろで、あちこちへとぼんやりと動いておりました。おそらく半ば意識を飛ばしてしまっているのかもしれません。はやく助けをと思ったわたくしは、けれどなにがしか他に知られたくない病、たとえばこれが一時的な発作のようなもので、しばらく経つうちに楽になられるのではないか、それを司教様ご自身は知っておられて、誰かを呼ぶこともなくここで身をひそめこらえていらしたのではないかと思い、するとわたくしが気を利かせて人を呼んでしまえば、ことは公になり、司教さまはたいそう迷惑をこうむることになりかねません。
 迷惑をひきおこしてしまうことは避けねばならないと、わたくしは思いました。
 そう思ったわたくしの前で、ひときわ大きくからだをふるわせた司教さまは、歯を喰いしばりそれでもこらえることができず、片手を口元へあて、指と指のあいだより細く高く笛の音にも似た悲鳴をお上げになられました。顎よりしたたり喉元あたりにたむろっていた汗の粒が、身を動かしたはずみで鎖骨のほうへ伝ってまいります。
 そこでわたくしははじめて、司教さまが胸のあたりまで上着をくつろげられていることに気が付き、思わず赤面いたしました。
 わたくしは、この年まで廉潔を通しましてございます。つれはおりません。神の家に住居はしていないものの、主に一生をささげるこころもちで幼い頃より育ってまいりましたし、それが正しいと信じて生きてまいりましたから、男の方の裸を目にする機会もこれといってなく、もちろん、夏の畑などで下男などがシャツを脱ぎ、汗をぬぐうさまを見かけたことは何度もございますが、こうして、緞帳をはさんだひどく間近で素肌を目にしたことはないように思いました。
 いいえ、何度もみていたのかもしれません。
 ただ、差し向う司教さまの素肌があまりにもきめ細やかでしろく見えたから、薄暗い聖堂の、さらに暗い告解室の木枠のなかで、思えばどうして司教さまの肌を転がる汗のさままでわたくしは見止めることができたのか、常識的に考えれば見えるはずのないものが、ぼうと浮かび上がっていたのでございます。
 その司教さまが、ひくんと背筋を強張らせ、はずみでまたすこし金糸が位置を変えました。
 青白い素肌に散った噛み痕。
 そこでわたくしはしんから冷えたようになって、あっと声をたてないように口を両手で固くおおいましてございます。
 これは病などではけっしてございませんでした。
 未通娘であったわたくしが一見にどうして理解したのか、説明することはできませんけれども、あれは経験のあるなしに関わらず、ひとという生きものとしてのなにか勘のようなものであったのでしょうか。わたくしの頭にずんと雷が落ちたように、ああとひらめいて、そうして、納得してしまったのでございます。
 足音をおさえて、告解室へ近付いたのはなぜか。
 ひとを呼ぼうとして、無意識にひかえたのはなぜか。
 ほんとうに安否をたしかめたいだけなのでしたら、外から無粋に声をかけてしまうこともできたはずです。大丈夫でございますかとたずね、だいじょうぶですといらえる。それだけのことにございます。だのに、わたくしは、こうして家に盗みいる泥棒のように息を殺し、緞帳の隙間からうちをうかがいなおも声をたてることもなく、あえやかな吐息を漏らす司教さまを見ているのです。
 下劣根性。
 こんな辺鄙な村でございます。わたくしは、自分がたいした家の出ではないことも、高等な教育を受けているわけではないことも、よく存じております。存じておりますが、けれど、いままでものごころついてより、ひとさまに恥じない真っ正直な生き方をつとめて選んで生きてきた気持ちでございました。そのわたくしに差し込んだよからぬこころもち、普通に考えてみれば聖職者である司教さまがこのようなことをなされていること自体、ひどく間違ったことで、わたくしは正論をかざし、声高く言及することもできたはずでございます。
 けれどわたくしはそれをいたしませんでした。
 しなかったのではなく、したくなかったのです。
 けれど申し上げます、決して、わたくしは、司教さまの体裁や建前、お立場を慮ったわけではないのでした。
 見たかった。
 わたくしが見たかったから見続けたのです。薄っぺらなわたくしの上っ面をはずした、芯の芯の部分の気持ちは、そうだったのでございます。
 信じたくないだとか嘘であってほしいだとか、そんなものはのちにつけ加えた言いわけにしかすぎません。わたくしは愉悦によがる司教さまを見続けたかったのです。
 うつくしい動物でございました。
 わたくしはさきほど、しんから冷えたように思ったと申しましたけれど、それも嘘でございます。嘘。
 泥棒とわたくしは自分のことを思いました。まったくその通りなのでございます。緞帳の隙間を盗み見るわたくしは、蛇に唆された女、もしくは開けてはいけない箱の蓋へ手をかけた女、それ以外のなにものでもございませんでした。見たくて、見たくて、仕方がないのです。
 中で、後ろから司教さまを羽交い絞めにも似た様子で衝きあげるもうひとり、たしかにそこに息遣いを感じるようにも思われたのですが、姿はまるで見えないのです。影にしずんでおりました。ただうすぼんやりと、司教さまのお姿だけが見える。こうまで生々しいものでなければ、活写劇といってもおかしくないほどたいそううつくしいものにわたくしには思われました。
 もちろん背後から衝かれる司教さまのしかめられた眉や、かきむしるようにつかんだ胸もと、ふるえこぼれる舌の端、ぐずぐずと泡立つ貝の身をこすりあわせたのと同じ、血の通う肉と肉の摩擦音、ひとつひとつを注視してみれば、たいそう淫靡でみっともなく、低俗で卑猥なものでしかなかった、においたつ青臭さ、栗の花が咲きました折に、男を知った友人が、この花のにおいと男の方のあれはたいそう似ていると得意顔で下の話をしたものでございますが、その彼女が言ったとおりのにおいがいたします。だというのに、せまい板枠のなかで窮屈そうに壁に手をつきのけぞった首筋、その腕にもつれまとわる髪、反復される前後の衝きあげにひそやかに漏らされる吐息、ほとんど声を押し殺し、やめろと呟くすべてから目を離すことができないのです。
 きつく噛みあわせた犬歯がぷつと唇にささり、赤さがじわりと滲みますと、ぱっと、汗と精のまみれた空気の中に、鉄さびのえぐいにおいも交じるのです。
 そのにおいにいっとう反応したのが、司教さまの背後に立つ男でございました。
 わたくしは司教さまをおさえこむ人間の姿がまったく見えないと申し上げましたけれども、どういうわけか、それが男だということを理解していたのです。大きな男にございました。司教さまの後ろから覆いかぶさるようにして腕を伸ばし、鉄さびのにおいに反応すると、その腕が司教さまのお口許へ伸ばされ、無骨な指が三本、口に差し入れられましてございます。
 ゆるゆると首をふり、いやだとかすれ呻いた司教さまの喰いしばった歯列を無理やりにこじ開け、舌をなぶり喉奥へ指を差し込もう、差し込もうとするのです。信じられないと目をむき、苦悶の顔になった司教さまが、酸吐きかけても、なおその男は行為をやめません。ぐうと司教さまが喉を鳴らし見開いたまなじりから生理的な涙がぼたぼたとこぼれ落ち、それを知った背後の人間が低く笑いました。そうして、助けを求めぬのかと言った。
 先とは違った意味で口もとを歪ませた司教さまが、きさま、言いかけたところを的確に狙いうって、男は司教さまを片手で抱え上げ、ぐるりとそのからだをおのれのがわへと向けました。
 ひ、と息を飲みこみかね、悲鳴を上げることすら男は承知していたのでございましょう。嬲っていた指を抜き、いつのまにか大きな手で司教さまの口を覆い、がくがくと小刻みにふるえる司教さまへくつくつと笑いを吹きこみました。その呼気に司教さまの膚が震えるのが、間近で盗み見ていたわたくしには手に取るように判りました。
 ひめやかに、善がり声をあげておられるのです。しんからいやならば、いくらおさえこまれているとはいえ、けたたましく声をあげ、罵倒し、暴れ、物音をたてることができたように思います。またかりになにか理由がおありになり、強要されていたのなら、ここまで淫猥に身をよじるものでございましょうか。
 板についた手の爪先が表皮を削り、鼻にかかった、赤ん坊が癇をおこした声にも似た啼き声をちいさく漏らし、やめろ、ひとがくるとうわ言を吐きだしながら、もう片手は煽動する動きで男の肩口あたりを鷲掴んでおられたのでございます。力が籠められ指先がぎりぎりと食い込み、男のがわもそれなりに痛みを感じていましょうに、上下にゆする動きにためらいはなく、長衣と髪に隠れてくつろいだ胸もとより下は見えなかったものの、あらぬ場所に男の陽物が抜き差しされていることを想像させる動きでございました。
 見てはならぬ。わたくしのなかで叱責する主の声が、そのときたしかに聞こえたのでございます。これはわたくしが見てよいものではない。
 だというのに固唾、いいえ、生唾を飲み、わたくしはその声の聞こえてくるほうへ蓋をいたしました。目前の光景に靡いたのでございます。
 蓋をしたわたくしの目の前でいっそうみだらに司教さまがもがき、いまではもうゆすりあげる男の顎下へこうべを擦りつけて、なんとか声だけは押さえているもののそれもいつまでの辛抱か、たのむ、もういやだ、たのむとそればかりをくり返し、聞いた男がやれやれと言った調子で鼻先で笑い、そうしてがつがつと激しいばかりの差しこむ動きになって、まなじりをいっぱいに開き、喘ぎかけた司教さまの顎を掴み噛み付くばかりに深く口付けて、そのあいだも空いているてのひらは肌に振りおちる金糸をまとめ、指にからめ、そのまま下へぐいと引ききったあたりが幕にございました。
 はげしい吐精、ひきつる司教さまの耳朶へ歯を立てて、締めろと男が命じるのです。その声すら司教さまは聞こえているのかどうか、やがてかくんと膝を折り、けれどそこはひどくせまい小部屋でございましたので床に着くようなことはなく、つまり男に抱きとめられたかたちになり、ただせわしなく呼吸をくり返すだけの生き物になりました。
 無抵抗になった司教さまのからだを男は引き上げ、あらわになった膚へ顔を寄せてぴちゃぴちゃと舐めまわし、痣を重ねて再度吸い、それからまるでいまはじめて気が付いた風にひょっと顔を上げ、緞帳の隙間からうちを窺うわたくしのまなこを真っ直ぐにとらえましてございます。
 闇に浮く目玉の色は緑灰色でございました。
 おやといった具合、まったく気づかなかったといった白々しい驚き、真っ直ぐに視線をまじえて、わたくしは疾うに男がわたくしの存在に気付いていたことを直感したのです。気づいていてなお行為を続けたのです。ですから男のそれは、戯れの演技に過ぎませんでした。
 おざなりな繕いです。
 見られていたことを知り、恥もせず、やにわに司教さまの喉元を齧り、男は、わたくしへ挑むようなまなざしを投げかけ、にいと口角を上げるとわたくしを嗤いました。
 わたくしはようやくいましめがとけ、緞帳より視線をはずし、ぎくしゃくと両手両足を動かして聖堂の絨毯を踏みしめると、音をたてぬよう足早に教会を後にいたしましてございます。
 目のくらむような憤怒がわたくしを支配しておりました。怒りでこうまで身が震えるものなのか。はじめて思い知ったのです。
 あの野郎。とんでもない言葉がわたくしの頭に浮かび、不躾に舌打ちをし、それを悪いこととわたくしは思っていないのでございます。
 あの野郎わたくしをわらった。わらいやがった。
 手の内に握りしめた百合の茎が、ぼきんと折れ曲がる音すら遠く聞こえるほど、わたくしは怒りに支配され、ようやく小路を歩いている態でございました。
 男が嗤った瞬間たしかに、わたくしは男の声を聞いたように思ったのです。
 うつくしいだろう。男は気を飛ばしかけた司教さまへ歯をたてながらわたくしへ言ったのでございます。誰にもやらぬ。これはおれのものだ。
 渇望という言葉がございます。わたくしはぐったりと身を折る司教さまを手に入れたいと熾烈に願い、瞬時にその望みがどう足掻いてもかなわぬことを理解したのでございます。あの方は、あの男のものにございました。
 気のちがったようにあの野郎、あの野郎と歯軋りながら、わたくしは手に入ることのどうしたってできぬあの方の艶姿を脳髄でいま一度、今度はおのれが犯しつつ、強い西風に打たれながら家路につきましてございます。
 暗い夜道にございました。
 
 
(Noli me tangere :「わたしに触れるな。」新約聖書ヨハネ伝20章17節)

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最終更新:2020年08月08日 23:28