01.

犬が死ぬ夢をみて起きたんだ、だとかそのひとはいきなり言った。
 犬といっても比喩によくある忠実な部下のそれじゃあないんだ、正真正銘、ふさふさとしたうつぶし色の毛を生やした四つ足のやつだよ、黒い目が鬱陶しいほどこちらを見つめてかわいかったな、そのひとは続けてそう言っていたけれど、たまたま側にいて聞いていたわたしに言わせてもらえば、そのひとの見た夢に犬がでたかどうとかよりも、えー、このひとでも夢をみることがあるんだ、ってびっくりしたのだった。
 勝手な思い込みだけれど、なんだか夢を見そうなひとに思えなかったから。
 寝ているときはいつも死んだように、っていう言い方がぴったりの、息をしているのかどうかたしかめないと不安になるくらい、なんかもうほんとうに、ぴくりとも動かないで寝ているから、むしろ寝てるっていうより気絶してるっていうほうがただしいかもしれない。そんな寝方をしている。だったから、申し訳ないけど、普通のひとみたいにやすらかに寝て、そうして寝ている中で夢をみることもあるんだってそんなふうに思って、このひともわりと普通のひとと同じようなところがあるんだなって感心して、でも、そんなこと口に出したら、ぜったい、ごめんなさいって謝りたくなるくらい、ものすごい嫌味がかえってくることはわかっていたから、わたしはへえ、とだけ言った。
 ほんとうはもっと、上手なかえし方とかあるのかもしれないけど、そんなかえし方をわたしは知らないし、もし知っていて使ったとしても、やっぱり嫌味みたいなものがかえってくるような気がした。わたしたちの上に立つひとはそういうひとだった。
 そのひとはこっちをちょっとだけ見て、意外なんだろうって言う。
 言いながらすこし笑っていた。苦笑いだったのかも。
 うわあ、結局読まれてるってわたしは思って、どきどきして、でも結局、意外ですって本心をかえした。だってほんとうにそう思ったから。
 意外なのかあ、とそのひとは言った。機嫌は悪くなさそうな声だった、
 俺でも夢をみることはあるんだぞ、とそのひとは言った。
 言った背中がちょっと、なんだろう、さびしそうともせつなそうとも違う、でもなんとなくしんみり湿気ているような気がして、あ、とわたしは思う。

 そのひと、マクスウェル、わたしたちが所属する十三課の局長と、わたしや相方のハインケルは、同じ孤児院で育った。育った、といっても院に先に入っていたのはわたしたちだったし、マクスウェルがきたのはもう最後の二年くらいのことだったから、何年も何年も一緒に院にいた他の子にくらべると、ずっと一緒、っていうわけでもなかったし、とくだんこのひとと意気投合したってわけでもないのだから、育ったというよりは、いた、と言いあらわしたほうが正しいのかもしれない。でも、それぐらいの関係でも、会話だとかの底に流れる親しみやすさみたいなものは、なんとなく互いにあって、このひとが見せる、ちょっとした油断みたいなものも、その親しみやすさからきているものなんだろうなって思う。
 たとえばわたしやハインケルとどうでもいい話を話しているときだけ、俺って言うとか。
 それってとても些細なことで、他のひとにしてみたら、だからなにって言うレヴェルのことかもしれないけれど、いつもがちがちに理論武装しているこのひとからしてみたら、ものすごく重要なことなのかもしれなかった。
 そうして、その湿気ている雰囲気が、話の続きを聞いても冷たくあしらわれずにこたえてくれそうな気がしたので、どう聞こうか迷った末に、犬ですかってわたしは言った。
 とても平凡な聞き方。
 でも、どう考えたって、このひとが犬だとか猫だとかを可愛がるようには思えなかったから。
 可愛がるようには思えない、というのとはちょっと違うのかもしれない。
 わたしが勝手に思っているだけかもしれないけれど、もしかするとこのひとは、もとのもとの芯の部分はものすごくもろくてよわいひとなんじゃあないかって気がしていて、だってたぶん孤独だからこそ、わたしやハインケルに気を許している部分もあるんじゃないかとわたしは思っていて、だから余計にがちがちに、堅く、高く、周りの礎の部分をかためてしまっている気がしてならないのだけれど、たとえばフェルディナントルークスでも年に一、二度、拾ってきてはいけませんよと院の先生たちにきつく言われていて、見つかったら怒られることはわかっているのに、犬とか、猫とか、巣から落ちた鳥とかを拾ってきて、こっそりベッドの下だとか、裏庭の用具倉庫の陰だとか、院の中で先生たちの目が行き届いていない場所なんてないのだから、絶対にすぐ見つかるのがわかっているくせに、隠れて世話をしている子たちがいたのだった。
 世話といっても、水をあげたり、パンのかけらをあげるくらいのことだったのだけれど、犬猫を拾ってきたことに気付くのは、先生たちよりもマクスウェルが先で、そうして、気付くと必ずすごく怒って、その子たちに莫迦かと言うのだった。
 集団生活のルールを守れないような人間と同質であると思われることが心外だ、とか言っていて、そうして、誰もいないときに犬や猫をどこかに棄てに行ってしまったりして、拾ってきた子たちからものすごい目で睨まれたりして、なにさまなんだよとか言われたりしていて、拾ってきたのが女の子だったりすると、その子は泣いてしまったりして、そうして、そうやって泣く女の子はきまって、自分がいけないとされている犬や猫を拾ってきたことはないしょにして、マクスウェルが嫌がらせをしたということだけを先生たちに告げ口するのだった。
 夜、先生に呼び出されて懲罰室へゆくこのひとの背中を、何度もわたしは見た。
 わたしは一度も犬や猫を拾ってきたことはなくて、でもそれは、先生たちから拾ってきてはだめですよと言われたからそれを守っていたわけではなくて、ほんとうはわたしも、あのふわふわしたかたまりをさわりたくて仕方がなかったし、自分だけの「特別」ななにかがあったらいいなって思ったりもしたから、もし棄てられていたりしたらきっと拾ってきてしまって、マクスウェルからすごい目で見られたにちがいないけれど、あいにく、どんなに探しても、わたしの探しかたが下手なのか、犬や猫が棄てられているところを一度も見つけたことがない。だから拾わなかったというより、拾えなかったという方が正しいのかもしれないけれど、このひとはうまいこと勘違いをして、お前はわかっているな、だとかあるとき言ったこともあるくらいだった。
 言われて、わたしはどきどきしながら黙っていた。だってほんとうは、このひとに褒められるほどいい子じゃあなかったから。
 そうしてそのときはよくわからなかったけど、このひとは実際のところ、集団生活のルールとかどうでもよかったのじゃないかって、いまは思う。
 きっと自分の見えるところで死なれるのが厭だったんだ。
 たいてい、棄てられているのは、まだ乳離れもできていないような子犬や子猫で、そんなちいさくてもろい生き物を、パンと水だけあげて隠れて飼おうとしたって無理な話で、拾ってきたふわふわのかたまりはすぐにがりがりに痩せて、弱ってしまうのだった。こっちがびっくりするぐらい、一日か二日で震えて丸まって動かなくなってしまって、そうしてそうした弱った犬猫を見つけては棄てに行くこのひとの唇をゆがませたのは、軽蔑や、嫌悪や、罪悪感ではなかったのだと思う。
 かなしみ。
 言葉にしてしまうとどうも陳腐な言い回ししかできなくて閉口してしまうけれど、このひとが歯を食いしばったのは、何重にも綿で包んで隠したその感情だった気がする。
 弱って、死なれるのが厭だったんだ。

 説明しようとしてずいぶん長くなっちゃったけれど、つまり、置いてゆかれるのが死ぬほどきらいなこのひとが、犬が死んだ夢をみた、とかひょいと何気なく口にしたとして、わたしがどう返事すれば一番いいのか思いつかなかったとしてもしかたがないように思う、ということが言いたかったのだ。
 泣いたのかな。
 目の前のうねった金髪を見ながらそう思う。
 わたしは、たまに、悲しい夢を見たりして夢の中で泣いて、その夢の中で泣いた自分の声にびっくりして起きることとかもあるけれど、たいてい、目がさめてああ夢だった、いまのは現実じゃない、よかった、だとか思っているあいだに、目の前にあった夢の切れ端がすいすいと遠くに流れて行ってしまって、涙をぬぐっているうちにあれいったい今どんな夢をみていたのだっけ、なんて思うことが多くて、悲しい夢だったということはおぼえていても、それ以上おぼえていないことがほとんどだ。夢なんだし、どうせ泣いて起きたんならそう楽しい内容ではないはずの夢で、だから別に思い出したところで自分に得になんかならないってわかってたけど、でも、さっきまでたしかに掴んでいたものが、いきなり、ドライアイスの煙のようになって指のあいだから逃げてしまう感じで、なんとなく尻座りが悪くてもぞもぞとする。
――寝ていたはずのそいつのわき腹に耳をつけて、」
 意外ですとこたえたっきり、わたしが黙ったままでいると、そのひとがまたぽつんと呟いた。
「聞こえるはずの心音が、もう聞こえなくなっていて、」
 でもまだ体はあたたかいんだよ、だからもしかすると俺の聞きちがいなんじゃあないのかな、こいつは眠っているだけなんじゃあないのかな、
「何度も何度も確認して、……
 ああ、このひとはたぶん泣いたのだろうな。
 そうわたしは思った。
 うつぶしの毛が泣いた頬に貼りつくさままで目に浮かぶようだった。

 

 

 02.

 そのひとの顔はちょっとピエタに似ているとわたしは思っている。
 世界中のいろいろなところに、いろいろな芸術家のつくったピエタがあるけれど、わたしの所属しているヴァチカンには、たぶん多くのひとたちが、ピエタ、と聞いたときに真っ先に頭に思い浮かべるんじゃないかってと思う有名なミケランジェロのあれが展示されている。ここに来る観光のお客で、あれを見ないで帰るってひとはほとんどいないのじゃないかしら。
 ヴァチカンの、表の顔の代表。
 裏の裏の裏、とでも言ったらいいか、実際存在しているのに「ない」ことにされている十三課のわたしたちとは、きれいに対照的な存在だとも思うけれど、あの有名なイエスさまを抱いたマリアさまと、自分たちを比べるなんておこがましいと神さまから怒られてしまうかもしれない。
 比べるだけでも怒られてしまいそうなのに、だからマリアさまに似ている、だなんて言ったら、雷くらいかるく落ちてきてしまいそうな気もするのだけれども、でも、あ、似ている、とそのひとを見たときに思ってしまったのだからしかたがないようにも思う。
 とくに、しばらく姿を見なかったそのひとが、十三課のまとめ役になるにあたって、所信表明とでもいうのか、先に配置されていたわたしたちを前にして、棘だらけの嫌味とも釘刺しともとれるようなお説教を五分ほど垂れたのだけれど、その身がすくむようなお説教がふと途切れたひとまじろぎ、こもった空気を半ベソ顔で吸って吐いているようなわたしたち十三課の局員を見回していったいそのひとはなにを思ったのか、は、とちいさく息を飲んだ間があった。たぶん、お説教を聞いていた局員の誰も気がつかなかったと思う。それくらいのちいさな間。わたしや、ハインケルだけが気付けるような、ささやかな気の緩み。そのゆるんだ気の合間に、たしかにわたしは愁いを見た。
 久しぶりに見たもとから色の白いそのひとの顔は、何年も陽にさらされていなかったようにますます真っ白になっていて、なんだか石みたい、とわたしは思ったのだ。
 血の流れまで透けて見えそうなうすい膚。
 でもきっとその血の色は、不恰好に騒々しい赤色ではなく、つめたい青だ。
 雨にさらされうち捨てられた、墓石の色と同じ。

 そのときからまたずいぶんと時間は経っちゃったけれど、今日わたしは久しぶりにそのひとを見て、そうしてああピエタに似ているって、やっぱり見た瞬間に思ってしまったのだった。
 わたしは、マクスウェルを見るときはいつもひさしぶり、と思ってしまう。でもそれってよく考えると、わたしが任務以外で彼と接することはまずないし、わたしたちの仕事は、一度出向すると結構かかって、長い時にはヴァチカンに戻るのにひと月ふた月かかることもあるから、それは当たり前の感覚かもしれない。
 久しぶりに見たそのひとの顔は、やっぱりとてもきれいだった。
 淡く黄味がかった灰白色の外套をきて、いつもひっ詰めている髪をゆるく結んで垂らして、顔も、中身も、そのひとだとわたしは知っているのに、見た目がちょっと違うだけでなんだか知らないひとみたいだって思う。折からのならいに吹かれて、寒がりのそのひとはからだを固くしてすこし寒そうにして、そうして腕になにか抱えていた。大切に抱いているように見えた。そのポォズがあんまりさまになっていて、余計にわたしはピエタのマリアさまだと思ったのだった。
 そのひとがフェルディナントルークスに姿を見せるだなんて、とてもめずらしいことだった。わたしが知っているかぎりでも、ここを出てから片手に入るくらいしかない。マクスウェル自身がヴァチカンの地下からの外出をかなり制限されている立場っていうのももちろんあると思うけど、そうでなくたって、そのひとはおいそれとここに近づくようなひとではないのだった。それから、でも前にマクスウェルが掴まったときは結構長くいたな、だとか思う。掴まる、というと、なんだか大げさなことのように思えるけれど、でも実際彼は文字通り掴まったのだ。そうして掴まった経験が一度や二度ではないほど、彼の在する居場所はあやういのだった。
 彼の識っている情報を引き出そうと頭の中をぐちゃぐちゃにされたらしくて、いっときは、なんだか見ていて気の毒になるほどふわふわと頼りない感じになってしまって、そのとき彼はフェルディナントルークスに身を置いてここの職員や子供たちに世話になっていたけれど、そんなことでもないと、そのひとはここに足を運ばないのだ。

そうして、そのひとがひとりで外出するなんて、ずいぶんめずらしいことだということにわたしはおくれて気がついた。どうしたってそのひとが持っている情報というものは、秘匿厳守だとか非開示契約だとか、なんだかとてもむずかしい、後ろ暗そうな言葉がたくさんつくものばかりで、いま言ったみたいに、拉致してでもほしいやつらにとってはほしい情報だったから、ある程度融通のきくヴァチカン市内ならともかく、ローマの郊外にお供も連れずにいるなんて、絶対に他の課がいい顔をしない。しない、というかたぶん全力で止めると思う。でも、そのひとがそうしてひとりでいるというのは、なんだか珍しいことなのに、当たり前のようにも思えた。どうもそのひとがほかのひととつるんでいる図というのが想像できない。誰かと肩を組んで、どうでもいいくだらない話をしながら笑い転げるだなんて、そのひとのいままでの生涯にあったのかしら。
 昔からそのひとはひとりでいることがとても多かった。院にいるときからずっと、そのひとは自分の居場所を図書館に定めて、いつ行ってもむずかしい本ばかり読んでいた。周りに誰も寄せ付けず、というか寄せ付けないようにたくさん本の壁をつくって、見ているこちらが気の毒になるぐらい、必死に本に没頭していた気がする。誰に脅迫されているわけでもないのに、読まないと死ぬ勢いでそのひとは自分の世界にいた。
 放っておいてほしいそのひとと、見捨てられたくないそのひとが入りまじって、あと一本抜いたらあっという間にがらがらと崩れてしまうジェンガみたいにものすごく不安定で、でもそのことにたぶん誰も気づいていなかった。気むずかしい子供だから、たぶんそんなぐらいにみんな思っていたにちがいないのだ。面倒を見てくれた先生たちも、同じ院にいた子供も、誰ひとり近付こうとしなかった。でもわたしはなんとなくわかっていた。わかっていたけれど、なにもしなかった。わたしなんかじゃなにもできないと思って、このひとをすくいあげるのはわたしじゃないと思って、見ているだけでなにもしなかった。だから結局、その他大勢と一緒だった。
 久しぶりに見たそのひとは、玄関口から出たわたしを見て、おや、というように目をすがめてみせた。埃よけに伊達めがねをかけていた。なんでお前がここにいるんだ、という疑問がほんのちょっと銀縁の奥に流れて、ああでも、お前がここにいるのは何らおかしいことじゃあないな、お前はこの場所も、この場所にいる教誨師らにも、懐いているものな、その結論まで一瞬。見ていてちょっとおかしい。考えが読まれているよって言いたくなる。でも、そんな顔をするのは、そのひとが誰も見ていないときだけ、そうしてわたしとハインケルにだけっていうことをわたしは知っていた。
 近付きながらわたしは、マクスウェルが腕になにか大事そうに包みを抱えていることに気がついた。こわれもの。ちいさなもの。保護すべきもの。やわらかくて重みがあってあたたかなもの。大理石でできたようなマクスウェルとは正反対に思えるその、
――これで何人目なのだろうな、」
 生まれたばかりに見える赤ん坊をのぞきこんで、マクスウェルが頬をゆがめた。笑おうとして笑えなかったのかもしれない。何人目。数の中にはわたしやハインケルや、そうしてマクスウェルも入っているのかなってちらっと思う。
 様子をうかがったらあっちもわたしを見ていて、そこまで自虐になっていないぞってたしなめられてしまった。考えが読まれているのはわたしも同じ。
 でも、そのひとが呆れたようにすこし笑ったので、それだけでわたしはうれしい。
「け、けど、ほ、ほんとうに、」
 捨てられたのかな。
――孤児院の植え込みの陰に、ひとりじゃあ生きていけない赤ん坊を置いていかなきゃいけないほど急な用事が、母親にはあったのか?」
 わたしが言うと、そのひとは今度は本気であきれたように顔をしかめた。しかめながら、ああ、爆発物を仕込むだとか、そういう線はなくもないのか、そんなことをこともなげに言う。わたしは赤ん坊に爆発物、と聞いただけでぎょっとして、え、と思わず声が漏れたし腰も引けた。そうしたらそのひとは横目でこちらをちらっと見て、
「ばぁぁぁぁか。」
 本気で莫迦にしたようにわたしを鼻で笑う。

 それから自然な動作でじゃあはい、だとか赤ん坊をわたしに渡して、そのひとはさっさと建物のどこかに行ってしまって、わたしは渡された瞬間からいきなり火のついたように泣きはじめた赤ん坊にかかりきりになった。ええこれもうどうしたらいいのって思う。
 わたしは女だけれど、子供の扱い方なんて知らない。そもそも、ここは孤児院ではあるけれど、乳児院ではないから、こんな小さな赤ん坊を育てる施設じゃあないのだった。でも、捨て置かれた子供をそのままにしておくわけにはいかないし、乳児院への連絡だとか、まったく、のんびり院に顔を出しに来ていたわたしに降ってわいた災難だった。ほんとうにその子供は捨てられていたのですか、捨てられたとあなたはどこで判断しましたか、いったいどんな状況で?電話の向こうから乳児院の担当者がわたしに聞いてきたけれど、見つけたのはわたしじゃないのだからどうにも説明がつかなくて、そうでなくたって、説明することが極端にへたなわたしにもとめられても困るというもので、こうした、とっちらかったやり取りをするのが面倒だったから、マクスウェルはわたしに押し付けてさっさと自分はどこかに行ったのだな、思うと心底恨めしい。そうしているあいだにも泣き喚く赤ん坊の世話だとかで、これがまた、わたしの要領が悪いのか、赤ん坊は泣くばかりで、すっかり時間を取られてしまった、器用にそつなくこなすハインケルがここに居ればよかったのにって思う。任務のときは一緒に行動することがほとんどだけれど、銃の手入れがあるとかで、今日は別行動をとっていた。
 ああ、もうほんとう、無理にでも連れてくればよかった。
 ぐったり疲れてひとまず電話の受話器を置いたころには、窓の外はうす暗くなっていた。赤ん坊は泣き疲れたのか眠ってしまって、子供たちの食事の用意の終わって職員室へ顔を出した寮母さんが、あまりに要領の悪いわたしを見兼ねたのか、乳児院からの迎えがくるまで見てくれることになって、そうしてわたしはようよう解放されたのだった。
 解放って言うとすこし聞こえが悪いのかな。でも、当たり前のように赤ん坊の世話をしてる世の中の母親ってものをあらためて尊敬する。
 世話できるって、普通なのだろうか。町を歩けばあちらこちらに子供を連れた母親を見かけるし、彼女らは極々当然、と言った顔で泣いたり、ぐずったりする子供をあやしていたりする。母性本能だとか言うけれど、産んだだけで湧いてでてくるものなのだろうか。だとしたら、その本能がはたらかない母親は、人間としてちょっとどこか欠けているのだろうか。
 ここにいる子供たちの母親は、ひととしてどこか壊れてしまっていたのだろうか。
 わたしのおかあさんは、わたしに鉈を振りおろしてみせたから。

 

 

 03.

 職員室から廊下に出るとため息が出た。ため息なんてあまり意識して出したことなんてなかったのだけれど、場所でいうとちょうど胃のあたりから、首から下の力がすべて抜けていってしまうようなとても長い息がでて、わたしはあ、ため息、と思ったのだ。なんだかやたら疲れたし、結局わたしはまだここにきた目的を果たしていない。わたしがここに来たのは普段とは雰囲気のまるでちがうマクスウェルを見るためでも、赤ん坊を押し付けられてあげく乳児院の担当者と四苦八苦しながらやりとりするためでもなくて、フェルディナントルークスに起居する先生に会いに来たのだ。

 アレクサンド・アンデルセン神父。わたしの大好きな先生。

 わたしたちの大好きな、と言いかえてもまったく同じ意味で通る。そのぐらい、ここフェルディナントルークスで保育された子供たちは先生が好きだった。先生たちは何人もいて、もちろんその先生たちひとりひとりみんな好きではあったのだけれど、その中でもやっぱりいっとうに、アンデルセン先生は好かれていた。休み時間といわず、寝る時間といわず、食事時間でもちょっとした習いごとの合間合間であっても、子供たちはすぐに先生にむらがった。むらがるって本当に、蟻や小さな羽虫のようにわらわらとどこからかでてきて目的物を囲んでひとかたまりになってしまう。そのむらがる一部分になっていたときは、まったくそうとは気がつかないのだけれど、長じてここを出て、ずいぶん経ってからまた戻ったときに、園庭にいた先生にわっと走り寄っていく子供たちを目にして、ああむらがるってこういうことなんだなとわたしは納得してしまった。文字通りっていう光景を見た気がする。

みんなが大好きな先生だった。でもここまで言っておいてなんだけれど、本当は好き、だなんて単細胞な言葉や意味ではないのかもしれない。なぜならここに置いて行かれた子供たちは一様に親も兄弟もいないのだ。いない、という点ではみな同じ境遇ではあったけれど、たとえば旅行中の交通事故で、自分以外の家族がみんな車と一緒にミンチのようになってしまって、天涯孤独になったような子供は、ここにくるとF、と呼ばれたりした。buona fortunaの略だ。幸運のF、の頭文字。車だか人間だかわからないこま切れしか残されていない子供を幸運というだなんてと、ここを知らない人は眉をひそめてそういうかもしれないけれど、でも、ここはそうしたところだった。家族旅行をしてもらえた子供なんて一割もいないのだ。たいがいはやっかいもの、いらないもの、いますぐなくなってしまっても困らないものとして扱われてきた子供たちばかりなのだった。

だからみんな飢えていた。

飢えている人間がたとえば目の前にあたたかい湯気の立つシチューが置かれていたとして、そのシチューを目の色変えてがつがつと手づかみで食べていたとして、それをシチューが好きということはできるのだろうか。わたしはちがうと思う。だからきっと、わたしたちが先生が好き、というのは、ほかにいいうまい具合の言い方が見つからないからそうして代用しているだけで、本当は好きなんて意味合いのものではないのかもしれない。

そういえばまだここで保育されているときに、マクスウェルが似たようなことを言っていたなと思う。お前らのあのひとたちに向けるその押しつけがましい愛情のゆすりがあさましくて見ていられない、とかなんとか。言われたときはさっぱり意味がわからなかったし、ハインケルに聞いてみても複雑な顔をして由美江は知らなくていいよ、だなんておかしななぐさめをされてしまったし、同じように言われていたほかの子はこぞってマクスウェルに嫌がらせじみたことをしていて、でも今なら図星を刺されたから嫌だったんだなと判る。人間って自分が言われたくない物事の芯の目玉のところをぐさと突かれてしまうと、その言ったひとに対してものすごく攻撃的になるものだ。

マクスウェルはその熾烈な集中砲火を受けてもしれっとしていて、わたしはそれを見て、ああこのひとはほんとうに正しいひとなんだなって思ったりした。そうして独りのひと。正しいひとってなんというか孤独なイメェジがわたしにはあって、彼はそれにぴったりなひとだった。孤高って言葉があるけど、あれはひとりでも気高いとかそういう意味合いだと思うからちがうような気がする。気高いというあたりで似ていないこともない、と言えるけど、もっとこう、そうじゃなくて、彼は正しくひとりぼっちのひとだった。

また話がだいぶんそれてしまったけれど、とにかくわたしたちは縦にも横にも大きくて何人かでいっぺんに飛びついたってびくともしない先生が大好きで、そうしてその腕につかまったりすると、おとうさんってこういうものなのかなと思ったりもした。

わたしは父親を知らない。名前どころか、いたのかどうかすらわからない。生まれたときからいなかったし、わたしの記憶にあるおかあさんはおとうさんのことについて一度も話したことがない。すこしでも音をたてたってたたかれるのに父親について聞くだなんてとてもできなかったから、わたしの中の父親像はあくまでもわたしの想像でしかないのだけれど、きっとこういう、あたたかくて優しくて大きいものかもしれない。けれどもし本当におとうさんというものが、あたたかくて優しくて大きなものだったとしたらわたしはこんなふうになってはいなかっただろうから、やっぱり先生と父親はまるで違うもののようにも思った。

わたしはその先生に会いたくてここに来たのだった。

 ヴァチカンはこのところ、いろいろとキナ臭いことがたて続けに起こっていて、わたしの所属する十三課はそのあちらこちらでぼつぼつくすぶる火種を消して回るのに大忙しなのだ。英国のあのアーカードのいるヘルシング機関にしてもそうだし、南米の町ひとつ分がいきなり吸血鬼化してしまう事件だとか、ナチ残党のミレニアムも首を突っ込んでいるとかで、とにかくそうしたものをひとまとめにして、もうまもなく大規模な掃討が発表されるという話だった。

 ひとたび任務に駆り出されてしまったら、かなりの間イタリアにもどってこられないことはざらで、自分がイタリアにもどっていてしかもアンデルセン神父も院にいる、だなんてなかなかない。とにかくひとところにいることが少ないひとなのだ。先生の再生者としての能力を買われてあちらこちらに派遣されているのだから、それは仕方のないことなのだろうけれど、だからわたしは、会えるチャンスが今日しかないことに唐突に気がついて、こうしてハインケルもなしに一人でフェルディナントルークスにやってきているのだった。

 このあいだ来たときは夏だったな。

 そんなことを思う。子供たちに向けて行われる宵祭りの人手が足りないから、院卒者で手が空いているものは自主的に手伝いに行くように、そんな趣旨の書かれた張り紙が局室に貼り出されていたことをふと思い出して、かかれた紙が黄色味を帯びたりしていて、それが妙におかしかったことを思い出した。わたしたちの所属する十三課は、ある、けど、ない、もの、ヴァチカンにつとめる人たちの間ではうわべは白々しく知らないふりをするけれど暗黙の了解とでもいうもの、臭いものには蓋、はちょっと違うかもしれない、とにかくそうした、表にはまるで出ない機関であったから、もちろん十三課はヴァチカンの地下に配置されていて、表に出られるほかの十二課からはモグラ、だとか言われたりしているくらいで、だから部屋はいくつもあったけれど、窓、だとかいうものは局室にはひとつも見当たらないのだ。だのにその貼られた紙は日焼けしてところどころ黄色くなっていた。いったいどこから日の光が差したのかしら。

 不承不承手伝いに来ていたマクスウェルを思い出す。もう断然、手伝いに来るなんてガラじゃないのは知っていたし、たのまれたって断ったろうになぜか、いた。ありとあらゆる理論武装でがちがちに身をかためて、一触即発の覚悟を腹に仕込んで彼は来ていた。だからわたしもハインケルもどうしてここにとは聞かなかった。聞いていけない気がしたから。

 ああそういえば今日も来ていたのだった。そう気づく。

 気づいたときにはわたしはアンデルセン先生の部屋のドアの前にいた。ここの建物はもうかなり老朽化と言おうか、あちらこちらががたぴししていて、施錠なんてあってないようなもので、ほとんどの部屋のドアの鍵や蝶番の部分は錆びたり壊れたりしていて、それを先生方が手直し手直しなんとか持たせているような状態だった。さすがに先生方の部屋は子供たちが勝手に立ち入りしないように鍵穴の部分は壊れていなかったけれど、風が吹くたびドアはがたつくのだから隙間風は相当のもので、たしかに鍵はかかってドアは開かないにしても、中の様子はうかがえるのだった。だから鍵なんてないのと同じだった。

 そうしてわたしはなぜか、ノックをすることもなくそっと足音をひそめて隣の部屋に入った。先生の部屋の両脇は物置になっている。これは部屋数が空いているというよりは、先生の職務の都合上ということらしかった。

もちろん先生にかぎって、化け物や異教徒の始末の跡を院に持ち込むなんてことは考えられなかったし、そもそも出立も帰還もわたしたちの座標は十三課になっているから、万が一にも仕事の痕跡を外部に悟られるほどに持ち出す、ということはないのだと思うのだけれど、それでも念には念を入れてということなのだと思う。再生者。天におわします父の恩寵によって、その父の定めた生命の摂理から逸れた存在。

 物置の部屋、壁板の板目の部分がすこしずれて覗ける幅の隙間ができていることをわたしは知っていた。わたしはそうしてその穴から先生の部屋をのぞいたことはなかったけれど、知ってる?アンデルセン先生の部屋の隣の物置から、先生が寝ているところが見えるよ、あたしこないだ見たんだ、本当だよ、ちょうどベッドのところが見えるんだ、だとかいう話を同級生がしていたことを覚えていたのだった。

その話を聞いたときは、いくら好きな先生だって、プライベエトってものがあるだろうし、もしわたしが先生だったら、部屋にいるときの顔なんて他の人に見られたくない。相部屋で寝ているのとはわけが違う、相部屋だったら同室の子にみられる、だとかそういう心構えというものができているけれど、ひとりの部屋にはそういうものがまるきりない。ひとりの部屋というのは、完全に個人の空間だと思うからだ。だからこの子たちってちょっと悪趣味というか品がないな、なんて思ったりしていたものだけれど、その子たちと同じことを自分がする日が来るとは思っていなかった。

好奇心は猫をも殺す。

塩の柱になるのはわかっていた気がする。でもわたしは覗いていた。

どうしてきちんと部屋のドアをノックしないのかって、見る人が見たら不思議に思うのかもしれない。中にいるかどうか確認するのが先でしょうってその通りだと思う。もし先生が部屋にいなくて、わたしが不在を隣の部屋から覗いてたしかめるなんて二度手間以外のなにものでもなかったし、そうでなくてもたとえば先生がそれこそ寝ていたら、わたしは昔ここに覗ける場所があることを教えてくれたあの子たちと同じっていうことになってしまう。でもわたしはノックする気は全くなかったし、というか、ドアの前に立った時になんとなく、わかってしまったのだった。

先生とマクスウェルが部屋にいる。

音はなかった。だから、気配、というやつなのかもしれない。

中をうかがったとかではなくて、だのにわかってしまうってことがわたしは時々、ある。別にわたしが特別ということではなくて、誰にもあることだと思う。動物的第六感だとかそういうたいそうなものではなく、ただ、自然に、いるな、とわかってしまったのだからしようがない。

ドアノブは握っていない。でも施錠されているのもわかっていた。

板目に目を当てる。最初に見えたのは髪だった。

 

 

04.

長くてうねってどうしようもなくまとまらないそのひとの髪が、ほつれて肩に流れていた。ヴェエルのようだと思う。

上半身はほとんど裸だった。生成りのシャツが肩にとどまっていたけれど、それは意図して羽織っているというよりは、ただずり落ちずにそこにある、程度のことだった。下はよく判らない。隙間から見える正面はベッドで、そのひとはそこに座っていたし、腰のあたりにぐるぐる蛹の繭みたいにシーツを巻きつけていたから。そのひとはそうして憂いているような顔で、うつむいていた。

 片膝を立てて、そこに先生がもたれるようにあおのいている。わたしは先生が、そんなふうに誰かにもたれる姿なんて想像したこともなくて、びっくりした。

こちらはマクスウェルとちがって、かっちり首元までボタンをはめてまるで崩れていない。先生はあらかたそのひとの体に隠れていたので、どういう表情をしているのかはわたしにはわからなかった。のぞきこんでいるそのひとだけがきっと見えている。だからあんな顔をしているんだな、そんなようにも取れた。怒っている、憐れんでいる、悲しんでいる、喜んでいる、それをみんないっしょくたにボゥルに入れてないまぜにしたみたいな顔だったから。

前にも言ったけれど、わたしはそのひとがサン・ピエトロのピエタのマリアさまに似ていると思っていて、だから素肌をさらしてそんな恰好でいるとますますあー似ている、としか思えなくなる。アラバスタの膚だとかいうけれど、そういう美辞礼賛のものではなくて、そのひとはただつくりものめいている。

壁の向こうに覗くそのひとの体のあちこちには鬱血のあとがあり、それが青白い肌のところにあまりに赤紫色になっているものだから、わたしは先生が神様の祝福を受けているひとで、カトリックの戒律どおりに動くひと、化け物なんて目の前にいたら絶対に見逃すことがないひとだっていうのを知っているはずなのに、もしかして吸血したのじゃあないかって勘繰りたくなるほどだった。

なにをしていたかは明らかだった。

よく周りから、由美江は初心だからなんていわれるけど、わたしだってなにも知らないわけじゃない。任務で泊りになるときはだいたいモーテルに泊まることが多いし、そこで明らかにただの宿泊目的だけじゃないカップルなんかがたむろっていたりする。治安の悪いところに派遣されることの方が多いから、あちこちの路地裏、チョークで書かれた死体痕の横でよからぬ動きでうごめいているのもちょくちょく見かける。わたしはどうも、男のひとに抱かれる自分、というのが想像できなくて、だからそういう意味では興味はないのだけれど、興味がないということと、知らないということは全く別のものであると思う。

だから、この部屋で、わたしに赤ん坊を押し付けたあとそのひとがここにきて、先生となにをしていたかっていうことはわかる。

わたしが乳児院の担当者とどうでもいいようなことで揉めたりしている間に、マクスウェルはここで先生とからみあい、舐めてしゃぶって、しごいてねじいれて、揺さぶられていたのだ。

それをわたしは知っていた。知っていた、と言うと語弊があるけれど、意識の外でわかっていたとしか言いようがない、だからドアをノックする選択肢なんて最初からなかった。

正直にいうと、わたしはものすごくショックだった。

よく目の前が真っ暗になるっていうけど、本当に衝撃を受けたら暗転なんてしてくれない。気絶できるなんて、嘘だ。受け止める方のこちらが凍り付いていたって、現実は斟酌なんてしてくれない。ひたすら寸分も時を止めず、音もなくならず、むごたらしく粛々と脳髄に染み入ってくる。

でもそのショックの中身が、先生とマクスウェルがベッドの上で一緒にいたからということではなくて、どちらかというと、いままでこうしたことになっていなかったのがおかしかったんだって気づいた方のショックだった。うまく言えない。でもマクスウェルはフェルディナントルークスに来た初めの日からずっと、こうなることが決まっていたんだって気がする。それぐらい自然に見えた。

だからわたしはショックだったって言ったけれど、その一方でものすごく冷静だった。心の部分がきれいに氷のかたちに固まって、その上を今見ている映像がつるつるすべっていく感じだった。

そのひとの顔はいままで見たことがないくらいなまめかしかった。別の生き物なんじゃないかって思う。それから腰に巻き付けた白いシーツに赤い染みがたくさんついていることにわたしは気がついて、一瞬うえ、と思ってしまった。これ絶対出血してるよね。切れているところにこすりたてて、いろいろ大変なことになっちゃってるよね。あとで絶対泣くよね。よけいなお世話だろうけど。

先生の脇へ差し込んだ手の中指と薬指がとん、とん、と何かゆっくりとしたリズムで拍子をとっていて、ああこのひとはいま声には出さずに歌っているんだなと思った。聖歌かな。でもピエタならきっと子守唄だろうと思う。

ピエタで思い出しちゃったけれど、サン・ピエトロに飾られている、パンフレットにも絶対載ってる有名なミケランジェロのあれは、今と昔で飾られている高さが結構違う。70年代に起きた例の爆発のせいで、ヴァチカンのピエタはだいぶん高いところに飾られてしまうようになった。だから、観光客はみんな、マリアさまとイエスさまを下から仰ぐかたちになる。下からだとイエスさまのお顔がよく見えないのだ。ちょっともったいないなと思う。

イエスさまはマリアさまと同じように目をつぶっていらして、口もゆるく結ばれている。そういう意味ではどちらも同じだ。でも、それはけっして生きているお顔ではないのだった。石に掘られた像に生きているも死んでいるもない気もするけれど、そう思ってしまうのだから仕方がない。あれはきちんと死んでいるお顔だ。きちんと、というのもどうかと思うけれど、磔られて骨が外れ胸郭が押されて呼吸できなくなり心臓が破けて苦しんで、苦しんで、死んだあとの、弛緩した顔だ。かかえているマリアさまとは違う。

だから、こんなこと言ったら完全に現実をたがえていておかしいのだけれど、もしマクスウェルがマリアさまで、先生がイエスさまなのだとしたら、もしかして先生はもう死んでいるのじゃないかって不意に思って、思ったら心臓がぎゅうっと縮んだ気がした。わたしはきっと先生が死んだらもう生きていられない。

そう思ったときに、先生の手がすこし上がって、そのひとの髪の房をとった。そのままくんと下に引いて、つられてあのひとの頭も下がる。

ああ、生きている。

なんだかそんなことにへなへなと膝の力が抜けるほど安心した。

「――第三課への申請が昨日通った、」

 マクスウェルが口を開いた。髪を引かれても目は閉じたまま、うつむいたまましゃべっているので、いつもの鋭くて切り込む口調ではなくて、ぼそぼそとした、なんだか半分眠っているような、夢の中の話をしているような声だった。

 ああ、と同じようにくぐもった先生の声がした。先生ももしかしたら半分寝ていたのかもしれない、そんな声だった。

ようやく通りましたか。どうもずいぶん遅いと思っていたところでした。

 第三課って何だっけ、思ってでもすぐに思い出すことができた。マタイの名がつくそこは、聖遺物管理を主としている。骸布とか、釘とか、柱とか、十字架とか、槍とか、はては血とか骨まである。思うだけで決して口には出さないけれど、わたしはガラスの向こうに安置された聖者さまの骨を見るたびに、これを寸胴鍋で煮込んだらいい出汁とれそうだなーとか思ってしまう。罰当たりもいいところだ。でも牛骨と聖者さまの骨を並べられて、さあどちらが聖遺物か答えなさいと言われたとして、正解できるひとがいったい何人いるだろうか。

 骨はただの石灰質の塊じゃないのかしら。

 わたしはどうも、聖書に書かれているようなイエスさまのおっしゃった言葉はいちいちもっともだと感じるけれど、そのイエスさまの死んだお体を包んだ布に神聖性がある、といわれてもいまひとつピンとしない。だって布は布でしょうって思う。古いだけなら、エジプトのミイラを包んでいる布の方が古いと思うけれど、ミイラを包んでいるのはただの埋葬布と呼ばれて、パウロとかマルコとかイエスさまのお弟子たちが包まれた布は神聖ってあたりがどうもわからない。

けれど各地の教会がまつっている真贋入り混じったそれではなくて、三課が手をまわして集めている「本物の」聖遺物は、実際化け物どもにとても効いたから、ピンとこなくても信じるしかない。

 なにしろ実験に付き合ったのはわたしたち十三課だったから。

「うん、」

 しばらく目を閉じてうつむいたまま、そのひとは言葉を切った。でも指のやさしい動きはずっと続いていたし、寝てしまったわけではなくて、ずっと次の言葉をさがしているんだってわたしは知っている。

「あたらしい施術の方の、具合は、どうなんだ。」

 うつむいたマクスウェルがちょっとだけ目を開いた。開いた眼球が右に左に動いて、ああいまこのひとものすごく動揺しているんだってわかってしまう。ちがう、そういうことを聞きたいわけじゃないんだってぎりぎり歯噛みしている。目は口ほどに物を言うってあるけど、本当にそうだ。だのにあおのいている先生にはそのひとの顔はきっと見えないのだ。

 なんだかずるいと思った。

 まるで問題ありませんよ。すぐにでも出撃できます。

 先生が静かな声でかえす。この空間にいびつなほど静かな声だった。

 そうか、マクスウェルが言う。

「回復値のデータも提出済みなんだな、」

「先週さんざん嬲られてきましたよ。焼き網の上の魚のようにね、」

「そうか――、」

 言って彼はまた目を閉じた。閉じた様子が観念したというか、諦観したというか、そんなように見えた。うつむいた拍子に、ゆがんだ口元がかすかに、本当にかすかに笑って、まるきりマリアさまみたいになって、見ていたわたしの心臓がきっとさっきとはまるで違う理由でぎゅうっとなる。これが笑っているというのだとしたら、なんてかなしい笑いなのだろうと思った。

三課が保有している聖遺物を十三課がゆずりうけて再生者自身に試す、その許可が下りたことをマクスウェルは言っているのだ。いままでは試すといったって、せいぜい刃先に塗るとか、銃弾の炸薬にしこむとか、その程度の話だった。聖遺物は有限で、使用する機会は慎重に選ばなければならない。なくなったから次、はないのだ。

だから実施テストに使用された遺物というのは、たとえば血の数滴や骨粉だとかの、多少目減りしてもあまり困らないものばかりで、けれどいま彼が言ったのは、そんなあってもなくてもどうでもいいようなものの話でないのは確かだった。

ヘルシング機関とミレニアム機関の双方に対抗できるような大物を持ち出してくるということだ。

槍とかかな。特性の銃剣でもつくるんだろうか。

十三課の中でも、そのあたりは特に重要機密事項で、局長のマクスウェルと、あとはそれに係わる数人しか知らされていないことだ。知ったらそれとなく消される、だとかいう怖い都市伝説的なうわさまである。だから末端の、鉄砲玉のわたしたちは知る由もないことなのだけれど、マクスウェルの様子でなんだかひどくろくでもないことだということだけはわかった。

俺は厭だ、無言で表情を変えず寸分も動かずにそのひとは身をねじって駄々をこねている。涙もないのに人間ってなくことができるんだとはじめて知った。

そのひとは哭いていた。汗だか唾液だか体液だかいろいろまじりあった汁にべたべたにまみれていて、体中これ以上つけようがないよねっていうほど所有の痕を散らされて、ザーメンと血の匂いが芬々と満ちている部屋で、だのに哭いている姿は原始的でとてもきれいだった。

でもきっと先生には伝わっていないんだろう。顔は見えないけれど髪をいじる指の動きに全く変わりがなかったから。鈍いひと、自分自身その鈍さを知っていてそれを最大限利用してうまく立ち回っているひとだ。マクスウェルの気持ちを理解していて、でも芯のところで気づいていないひとだ。複雑そうに見えて単純なひとだ。目の前に屠るべき神の怨敵がいたらなにもかも投げ捨ててまっすぐそれに向かってしまうひとだ。

つまるところマクスウェルと先生の関係は、首元にぶら下げている十字架と同じなんだと思う。関数。x軸とy軸。一点で交差しあうものの、同じ方向を向くことはけっしてない一本の線と線。いくら紙を足しても、どれほど線を伸ばしても、一度触れたあとは二度と交わることがない。

覗いているわたしの方がつらくなって、いったん目を閉じる。莫迦だと思った。わかってない先生は大莫迦だ。

だめなんだよ。いま先生を抱えているひとの手を離したらだめなんだよ。そう言いたかった。手を離したら、そのひとはなんとか追いかけようとして、片側の羽根だけで空に飛ぼうとして、もがいて、地面をはいずり回るんだよ。できないんだよ。ひとりじゃあもう立つこともできないのに、はるか高みを目指して手を伸ばすんだよ。伸ばして伸ばして、見当違いの方角を向いてしまっているのがわかるのに、もう戻ることがないんだよ。一度踏み出したら加速するしかなくて、でもその加速の方向は誰が見たっておかしな方向になってしまっているんだよ。自分じゃただすこともできない、減速することもない、そのうちカーブを曲がりきることもできなくなって、派手にパン!はじけて飛沫をあげて、粉々になってしまう。みんな知っている。サーカスの綱渡りよりも細い細い髪の毛より細い糸を、命綱なしに渡るそのひとを放っておくことができなくて、つられて熱狂してしまう。勢いに飲み込まれてしまう。

……きっかけはほんとうに些細なこと、先生に見止めてほしい、それだけだったのに。

いっそ壁のこちら側から叫んで、鈍い先生にわからせてやろうかと思った。たぶん先生はびっくりするし、というか、こうした状況を見てしまったことについて、あとでものすごく差しさわりがあるかもしれないけれど、そんなのなにもかも、かなぐり捨てて、大莫迦野郎って叫んでやろうかと本気で思った。でもわたしはしない。できなかったのではなくて、しなかった。

だってそれはわたしがやるべきことじゃないと思うから。

息を吐き出してわたしは目を開いた。結局昔からそう。わたしは見ていて、でも見ていることしかできないのだ。

わたしの開いたタイミングを、はなからそのひとははかっていたように思えた。ゆるゆると視線をあげ、確信をこめてこっちを見た。なんとなく目をやった、のではなくて、確かに彼はわたしを見た。薄い一枚の板を隔てていたけれど、きっとそのひとはわたしが電話を切ったあたりから、廊下を歩き、先生の部屋の前に立ち止まって、隣の部屋に忍び入ったのも全部知っていたのだ。

のぞいていたわたしを見てもそのひとはまるで驚くことはなかった。ちら、と膝上の先生へ視線を流し、もう一度わたしの方を見て、首をすこしかしげた。そうして、眉尻を下げてかなしいような困ったような、マリアさまみたいな顔をして、それから人差し指を唇に当てて、しいぃぃって言って、笑った。