ムカついた。
めちゃめちゃに、どうにかしてやりたいと思った。
そいつとの初対面の印象なんてそんなもんだ。
俺の名誉のために先に注釈しておくが、めちゃめちゃに、っていうのは別に俺に惚れさせるとか、そういう意味のめちゃめちゃに、じゃない。
そいつの着ている服引ん剥いて、あの目ざわりな赤い頭ひっつかんで、日照ってる服役囚の地下牢にでも放り込んで、そのザマを見物したい、っていう方の意味だ。
そいつは女だ。
図体も態度もデカい女だった。
あの女が、ビキビキにおっ立った汚ねぇイチモツにヤられまくっているのを、傍から眺めて嘲ってやりたい。
よだれだの涙だの鼻水でどろどろぐっちゃぐっちゃになったアヘ顔に向かって、ねぇねぇ今どんな気持ち?って言いたい。
そんで、その女がどれだけ入れて許してと懇願しようと、俺は絶対に突っ込まない。襟を正して、そよとも服を乱れさせることもなく、涼しい顔して汚れたそいつを見下ろすのだ。
完膚なきまで徹底的に叩きのめして、俺に絶対服従させたい。
俺の足元あたりに土下座して、ご主人さまわたくしめは汚い汚いメス豚ですぅだとか、そんな殊勝な台詞を吐けるようになったら、まあ、爪先くらいは舐めさせてやってもいい。
一言で言うと気に食わない。
目に入れた瞬間から、なにもかも気に食わない女だった。
まずでかい。
そういうのありえないです。
俺の中で女として認めてやれるのは、
ひとつ、俺より華奢である。
ひとつ、俺より細くて小さい。
ひとつ、強く力をこめたらぽきんと折れっちまいそうな、そんな儚い雰囲気を持っている。
ような女で、だから俺より上に頭があるとか、その時点でもう俺の中で女、という枠から外れている。残念。
もうそれ大猩猩(ゴリラ)枠ですよね。猩猩のメス。
それに流しの護衛とかしてる。そいつが。
鉞(まさかり)とか振り回してる。超振り回し。
それでばっさばっさ野盗とかなぎ倒してるの。もうあたり血煙。そんで平然としてる。
俺の獲物はもっぱら弓だから、下手すると俺より二の腕太いかもしれない。俺より腕太いとか。丸太かよ。
そりゃたしかにメスだから、そいつと同じ背丈の男と比べたら、全体的に筋肉ついてても細いとは思うが――、思うが、まあ、とにかく俺よりたくましいかもとか、ありえないだろ。
護衛稼業なんて九割九分が男の世界だ。というか、そいつ以外に、この仕事をしてて女がやっているのを見たことがない。
話には聞くからどこかにはいるんだろうが、見たことがない。
だから浮いてしようがないはずなのに、なんともまあ、男どもの中に入っていても見劣りしないのだからご立派なもんだ。
見劣りしない、って言うとものすごくいい言葉のように思うけど、それってどうなのって思う。
それってつまりものすごく男みたいってことでしょ。
でも、だからと言って男じゃあない。それが厄介だった。
動きはがさつで品がなく、同業と野盗の中でもみくちゃになってもブレてなくて、だのにそいつはメスであって、オスじゃない。
身ぎれいにしているし、近づきゃあ香水だか匂い袋だかのにおいがするし、うすく化粧してたりするし。
女らしいかって言われるとどうなのって思う。でも男は身繕いとかしないよね。
だから、何日も洗ってないような汗と垢と小便くせぇオスどもの中で、その女は結構目立った。
あと頭が赤い。それだけで十分目立つ。
別に赤毛自体は希少種ってわけじゃあないし、田舎町ならともかく、それなりに大きな町をブラついてれば一定数の赤毛はお目にかかったけど、まあ、もう、なんていうか見事な赤毛なのよ。
あんまり不自然に赤いんで、最初は染め粉で入れてるんだろうなって思ったぐらいには赤かった。
詩的な表現とか言いたくもないが、沈む前の、空に溶けちまいそうな夕日あるだろ。
ちょうどうまい具合に茹でられた卵の黄身みたいなやつ。
あんな色。
あれぐらい赤い。
しかもそれが、うねうね蛇みたいにのたくって長い。超目障り。
やっぱ頭は金色がいいと思う。絵画の天使って基本金色だし。金は難しくても、せめて茶色にしろよ。赤はねぇよ。視界に邪魔だよ。
嫌いなんだったら見ないようにしろってよく言うけど、でもやたらデカいやつが目の前うろうろしてたら厭でも目に入るでしょ。不可抗力だ。不可抗力というより、俺にしてみれば視覚器官への侵害だ。訴えたい。
どこに、って言われると困るけど。
峠越えの荷馬車を護衛する仕事を請け負った。なんだかハナからキナくせぇ話で、襲われるの前提で隊列組んでるようなところあったし、他の護衛の連中がどう思っていたかは知らねぇが、最悪、俺は途中でとんずらしようかとも思っていた。
まず荷車の荷が、ほとんどカラだった。
荷自体はひどく重かったから、カラ、というと語弊があるかもしれないが、どうでもいいようなガラクタ、もしくはそのあたりに転がっている石っころでも積んでいるような感じの荷の積み方だった。荷紐の結わえ方も適当で、固定する気どこにもない。ぐらぐら。
だのに荷物には触れてはならない、だとか仕事を請け負う際に一筆書かされて、ああもう本当にしようもない任務だなと思ったのだ。
受けたのは単純に、報酬が良かったからだ。
そんな気の進まない仕事の中に、その女はいた。
結局悪い予感は当たって、老いぼれ馬じゃあ峠の坂道を登れなかった。まあ、あの馬を見て、登れそうって思う人間はあんまりいないと思う。俺が馬の持ち主だったら、とっくにシメて、皮にして、あと肉で一杯やってる。
それっくらいよぼよぼ。
どうするー、ってなって、とにかく、峠を越えないことには話は進まないんだから、仕方ないけど、誰かが車を押していくしかないよねとかそんな流れになった。
勘弁してくれって思う。
そういうの考えるの、俺たちの役目じゃあないでしょ。荷主の役目でしょ。峠越えられないなら戻ればよかったでしょ。
でもその女は、困った顔をしながら、上り坂を曳く力のない馬を手伝うことに同意とかしてた。えーって思う。
やめてほしいんだよね。そういう、契約以上の仕事させられるの。俺は好きじゃない。
だから、曳くなら、俺はごめんだって言った。そいつとか、そいつの横にぼさっと突っ立ってた、えらくデカいうすのろとか、そういうのにやらせときゃあいいと思ったし、実際そう言った。
そうしたらむきになってんの。むきになって食ってかかってくるとか。真面目かよ。
だって疲れるし。
峠を上るってだけでも結構しんどいのに、なんで必要以上の労力割かなきゃいけないのって。報酬上乗せしてくれるってんならまだしも、タダ働きなんてとんでもないって思う。
わりと一触即発みたいな雰囲気になって、俺もメンツの手前、その女と一戦やる気だったけど、その前でうすらトンカチが、ぼく頑張る、みたいなけなげなことを言って、車を押すことになった。
話がまとまって良かったです。どうぞ頑張ってください。俺は手伝いませんけど。
そのときの、女の射殺すような視線が忘れられない。
見ていてものすごくイライラする。
可愛い子ぶりっ子てあるけど、あれって、本当にその通り可愛い子がやってたら、わりと目障りじゃあないんだよね。目障りっていうか、それ普通に可愛いよね。
だけど、その女は可愛い子ぶりっ子してて、それでいてなんだかものすごく、自分のことに関して鈍いのだった。
もうどんくさいの極致。そういう田舎くさくてドジっぽいのって、十代の少女がやってたら微笑ましいなあって見てられるんだけど、三十の年増女にやられたって、ちっとも可愛くないんだよね。
ムカつくだけなんだよ。
峠越えの任務から半年ほどしたあと、たまたま、本当に偶然、とある町でまたその女と出会った。
あのさあ、言わせてもらうけど、この大陸結構広い。んで、定職やら定位置に居住しているやつならともかく、あちらこちら気の向くままに仕事探してぶらぶらしてる俺や、その女や、その他の流れの護衛の同業のやつらなんてもんは、基本的に一期一会、別れたら次はない。
俺も、この仕事始めてから、もう二十年以上するけど、未だにこないだ一緒に仕事した奴と鉢合わせした、なんてことになったことがない。
まあ俺の場合、仕事終わったらもう同業者の顔なんて覚えてないけど。
その女の顔は、運悪く覚えてた。顔合わせた瞬間、げってなった。
……これってなんていうんですかね、運命の出会いっていうんですか。
運命とか、イヤすぎて全身の毛穴からなんか変な汁垂れそうだけど。
その女は相変わらず可愛げがなかった。減らず口だけは健在で、ぶっ殺したくなるくらい可愛げがなかった。
そんで、その可愛げのない女が、なんていうか、可愛くなってるのね。いや、可愛いとかいうと語弊があるっていうか、可愛いだなんて口が裂けても言いたくないんだが、あのウドの大木が、なんか、誤逮捕?というか、誤連行?されてた。笑える。
俺が、別口で、いわくつきのナイフを回収するように依頼されてたんだけど、そのナイフを持って行方をくらましたキチガイの犯行が、あのデカブツがやったってことになってた。
で、あの女一体どうなってるかなって、ふとした気の迷いってやつで様子見に行ったら、なんかしょげてんの。ものすっごいしょげてんの。
あれこれってもしかして可愛いとか言うんじゃね?って。
涙目になって、お願い、やめて……とか言ってんの。え、ちょっと、これ別人かよって俺は目を疑ったね。それぐらいの変わりようだった。
たしかに見た目はあのまんま、でかくて幅る赤い女だったんだが、なんていうの?ふいんき?が、ガラっと変わってた。ガラッとってのは言い過ぎかもしれない。でも、まるきり、どこにも取り付く島がない、百分のゼロの可愛げのない女が、百分の二十ぐらいには可愛げが出てた。すげぇ。
あれですかね、恋すると女は変わるのよってやつです?
でもそいつは、自分が恋してるって自覚が、ほとんどないみたいだった。自覚ないくせにとにかく必死なの。必死。あのデクの棒助けるためなら何でもするとか言ってんの。
なるべく平然としてたつもりだったけど、俺は内心たまげてた。いやあ、すごいですよね。あのプライドだけバカ高いみたいな女が、しおれて、何でもするとか言ってるんですよ。あのひとが牢から出られるならあとはどうでもいいとか言ってるの。
すごくない?
普通そういうの、日常生活でお目にかからないよね。俺、なんかの戯作本でしか、そういうの、見たことねぇわ。
でもそれを真顔で言ってる。超悲壮。こっちまでマジで付き合っちゃう感じ。
あのでっかいの、いったいどんな調教したんだよとか思った。
結局、赤毛好きなキチガイは、その女がデコイになったこともあって、わりと簡単に捕まえることができた。
俺としちゃあ、赤毛好きをおびき出して、ナイフを回収できりゃあ、もう生きてようが死んでようがどうでもよかったし、ぶっちゃけ、生け捕りにするより仕留めちゃった方が早いから、面倒くさいなーって思わないでもなかったけど、まあ、デコイ引き受けてくれたし、しかたないよね。生け捕りぐらいはやってやってもいいかって気になった。
ナイフを回収しながら、そのいわくを話してやったら、えらく厭な顔するの。信じてなんかないけど怖い、みたいな。ちょっとぞくぞくした。こいつもこんな顔するんだなって思う。
まあ俺は、怖がらせて、怯えさせて、そんで縋りついてくれるのは十代限定って思ってるから、その女が怖がったってなぐさめとかそういうのはないんだけど。
呪われるナイフを俺が拾って、持って、俺は取りこまれないのかとかそんなことを聞かれた。取りこまれると思ってるんですかね。
俺は結構前から、こうした仕事を受けることが多くて、たとえば百人の罪人の血で打ちあげた刀、だとか、生娘の骨を粉にして練り上げた鋼、だとか、鬼が宿っていて持つものがみんな憑かれて不幸になる、だとか、まあ、そういうのを収集する一定層がいるわけよ。そう言ういわくつきの集めてニヤニヤするの。
コレクターのみなさんは、自分では汗水垂らして集めに行かないので、その依頼を俺が受けるわけなんだけど、案外いい金になる。
期日までにもっていかないと、あっさり消される代わりに、成功報酬はバカ高い。そんな感じ。
俺がそうした仕事を進んで請けているって知ると、時々、とり憑かれないのか、とか聞かれるんだけど、結局こういうのって気の持ちようだと思う。
素直な奴ほど飲まれていく。
俺は別に、信じるも信じないもないですからね、俺はがっぽり稼いで、でもって、天使ちゃんたちと楽しい数日を暮らせればそれで満足です。
後先とかあんまり考えたこともない。
そのうち、どこかで野垂れ死ぬのかなって思ったりもするけど、でもそれを今から考えてもどうなのとも思う。なるようになれ、だ。先のことをくよくよ考えていても、しかたないだろうって。いまが楽しけりゃ、それでいいじゃないのって思ってた。
けど、その女は真面目だった。大まじめ。
困ったような顔をして、あのひとをあたしの人生に巻き込めないから的なことを言う。自分は荒事の護衛稼業で、あのでっかいのは一般人だからーとかって。
でもそれって、ものすごい思い上がりじゃないのか。自分の一言や行動で、誰か別の人間が、思い通りに巻き込まれるって思っているのか。
イライラする。
巻き込まれる相手にだって意思がある。相手がてめぇの頭で考えて、それで別に怖かろうが、痛かろうが、それでいいって判断したのだとしたら、それはもう相手の選択意思だ。こちらが巻き込んだんじゃない。相手が決めたことだ。
その女は、そこのところがよく判っていないようだった。
余計な気を回して、あの脳タリンの行く末を案じるふりをして、木工組合(ギルド)に掛け合って、あいつの仕事先を斡旋したりしてたけど、結局、逃げているだけだと思う。
あんたに付いて行くほど好きじゃない、俺は俺のやりたいことをする、そういうふうに答えられるのが怖くて、先に逃げ道打って自分が傷つかないようにしているだけだ。
そうして結局ひどく傷ついてひとりで膝を抱えて泣いている。
だから捨てられんだよ。舌打ちしたくてしようがない。
底抜けの大ばかだと思った。
泣けよ、って俺は言った。
言ったけど、その女がこれまたものすごく泣くの。もうぼろぼろ。え、ちょっとまって、これ、体内水分全部抜けて、ただでさえお肌の曲がり角過ぎてる年増が、もう目も当てられないことになっちゃうんじゃね?ってこっちが心配するくらい、丸一日、めそめそぐずぐず泣いてた。
俺暇だった。超暇。
でもさ、目の前に、こう、雑巾絞ったみたいにぼたぼた泣いてる相手がいて、さすがに、じゃあ、俺は先に上がるんで、どうぞごゆっくり、だとか言いづらいじゃん。そんなこと言ったら、俺、人非人みたいじゃん。
結局その女が泣き止むまで付き合ってた。
飲むしかないから飲んだ。俺、別に失恋もしてないのに、なんとなくヤケ酒みたいになって、ちびちび飲んでたけど、途中から頭が痺れて、なんの味の酒だか判らなくなってた。
前の日の夕方より前あたりから飲みはじめて、次の日の昼過ぎくらいまで付き合ってた。俺超いいひと。金貰ってもいいと思う。
ずっと座りっぱなしだったんで、ケツが石になるかと思った。
しかも聞かされるのはずっと、ずううううっと、あの唐変木の話。のろけ話。好きだったの、とか言われてもへぇ、そうですかとしか言いようがない。だって俺に関係ねぇし。
泣けよって言ったけど、のろけ話まで延々聞かされるとは想定外。
でも俺も超大人だから、黙ってその女の話聞いてた。途中眠くなったあたりで、トルグの店にいたあの十三歳の天使ちゃん、すごい天使ちゃんだったなー、とかちょっと考えてたけど、別に口に出さなかったし、真面目な顔して頷いてたと思う。
俺やっぱりいいひとすぎるわ。
自画自賛するね。
その女は、最終的には、泣き疲れて寝ちゃって、そこからがまたひと仕事ですよ。
あのね、何度も言うけど、俺か弱いのよ。女がトルグに置いてきた、あの筋肉バカとは違うのよ。脳みそがきちんと脳みそとして機能してるの。脳筋じゃないの。
でも、寝ちゃったその女を、そこに放置して、風邪ひかれても困るじゃん。なんか俺が放っておいたから悪い、みたいな流れになっても肩身狭いじゃん。別にまあ白い目で見られるのは慣れてるから、いいっちゃあ、いいんだが、なんとなくな、失恋した三十路の女が、どうせ二日酔いどころか三日酔いぐらいなりそうなのに、その上風邪ひいたとかちょっと可哀想かなって思った。思ってしまった。
すごいよねオレの仏心。
だから、二階まで運んでやった。
俺がだよ。俺がですよ。
しかも無償。もうこんな大盤振る舞い、後にも先にもねぇぞって。だのに運ばれてるその女は、もう泣き疲れアンド酒潰れで起きない。ピクリともしない。
そいつは俺よりでかいから、しようがなしに俺はそいつを背負って運んだ。
お姫さま抱っことか無理です。
まあ仮に、できるとしても、年増を腕に抱える趣味は俺にはない。
背負って階段上るのがまた重労働。一段上がるごとに、なんか俺の膝がみしみし言ってんの。
背負ったそいつは、思ったより軽くてやわらかくて、あれ、こいつ見た目よりふわふわしてんな、とかちょっぴり思ったけど、それでも、大の大人を、しかも、意識ないやつを運ぶってすごい大変。一瞬ぐらっと来たときは、なんかあれ俺死ぬかもって思った。
でも、天使ちゃんにうずもれて死ぬならともかく、こんなデカい女と階段転げ落ちて、打ちどころ悪くて死亡、とかマジ洒落にならないから、なんとか踏みとどまった。
おかげで大汗かいた。
背負ってるから、物理的にそうなるんだけど、そいつの顔が、こう、俺の肩に乗るわけで、横向いたら、その女の顔がドアップで迫ってきて焦った。ぎゃー夢に出るとか思う。
ああでも、わりときれいな顔してんな。まつげ結構長いな。ていうか、赤毛の女って、眉毛もまつげも赤いんだな。
わき毛とか、下の毛も赤いんでしょうか。ふと気になった。今度見てみよう。
目をつぶってると、よくあどけない顔になる、とか言うけど、泣き疲れて、まぶたも鼻も真っ赤に腫らしたその女は、あどけないっていうよりは、本当にちいさな子供みたいだった。
唇赤いですね。紅をいつも挿してるのかとも思ったけど、これ、地色ですかね。
ためしに指でつついてみたら、への字口だった口元がうっすらと開いてますます幼い顔になった。
ていうか口開けんなよ。よだれ垂れたらどうするんだよ。俺の肩とか背中汚れるだろ。
天使ちゃんたちがぺろぺろしたらご褒美だけど、てめぇが垂らしたら拷問だよ。
悪態吐きながら部屋まで運び入れる。重かった。
寝床に下ろしたら、なんか、足が生まれたての小鹿みたいにぷるぷるしてんの。俺がんばったでしょって。でも誰も褒めてくれないんだよね。
こういうの、骨折り損っていうんだろうか。
寝床に下ろすのも、できればそっと下ろしてやればよかったけど、体格差ってもんがあって、結構どさっと下ろす感じになった。なんていうか、投げ技的な。そのはずみで、寝入っちゃってたその女がすこし目を覚ます。
うん、とか目を開こうとしてて、でも泣きすぎて目が腫れぼったくて開かない。笑える。
ああもう寝とけよって思った。起きるなよって。どうせ起きたら、あんたまた泣くだろ。
あんたが泣いたら、気のやさしい、人のいい俺は、またあんたが泣き止むまで付き合わなきゃいけなくなるだろ。いい加減寝てくれ。面倒くせぇ。
よく開かない目を擦りながら開けようとして、それからその女がちいさくイーヴ、とか言った。
はあ?ってなった。
え、なんで俺の名前呼んでんの。なんでこのタイミングで呼ばれてんの。こわい。
そんでこいつが、俺の名前知っていたってことに二度びっくりした。あんた、とか、ちょっと、とか呼ばれたけど、名前で呼ばれたことなんてなかったし。想定外。
顔には多分出なかったと思うけど、かなり俺はぎょっとなって、だから、その女が俺の名前呼んだって判っても、返事もできなかった。
……イーヴ。ごめんね。今日はありがとう。
そうして、勝手に女は謝って、感謝して、ぽかーんとなってるきりの俺の前で、また寝落ちてしまう。
しばらくして、俺はようやっと自分ってものをとりもどしてから、恋しい恋しい男と別れて寝落ちた、女の顔をまじまじと眺めた。
てめぇ勝手に解釈して、あの唐変木を振り回しまくって、ひとりで傷ついた女。
男しかいないこの仕事で、男に負けじと必死に肩ひじ張って虚勢を張り続け、その虚勢を解けなくなってしまったあわれな女。
この女が、どうして護衛業に就いたのかとか、そんなのこの先も俺は聞きたくもないし、聞く気もなかったが、まあ、こいつがもうちょっと、よちよち歩きからひとり立ちできるようになるまで、なんていうのかね、見守り?いや見守るなんてしたくないし、観察?というか、傍観?うまく言葉は知らないが、二百歩の距離は取って眺めていてやってもいいかな、だとか思ったりなんかした。
「同業」相憐れむってやつかもしれない。
(20180618)