うだるような暑い午後だった。
暑いと言うよりは、熱い。
街道筋の馬宿もその暑さの例外ではない。屋根があり、日差しが遮られている分、熱波はいくらかましかもしれないが、それでも「まし」であるだけで、暑いことには変わりがない。
食堂の長テーブルに頬杖を突き、ぼんやりと中庭を眺めながら、ロワジィは滴る汗をぬぐい、ジョッキのエールをあおる。
商業都市トルグから幾分離れた街道筋を旅している。
「あっちぃ、マジあっちぃ、やっべぇ、暑さ半端ない」
胸元をだらしなく開け、ばたばたと風を入れながら、小男が階段を降りて姿を現し、長テーブルの端にぐんにゃりと腰かける。
汗で無造作に伸びた髪が張り付いている。
「昼寝してたんじゃないの」
「寝てた。寝てたけど、無理。もう無理。二階、熱気が上がってものすごいことになってきた。暑くて寝てらんない。死にそう。頭煮えて死にそう」
「煮えたら、すこしは世の中の為になるんじゃない」
「俺が死んだら、人類の英知の損失に決まってんだろ」
悪口を垂れながら、ロワジィは手近にあったエールのピッチャーを、男の方に押しやってやる。
「なに、真昼間からご機嫌に、酒あおってんの。いいご身分ですね。いただきます。あ、ジョッキもください」
「やることないし。暑いし」
言われてジョッキもすべらせてやる。
「やることない、ねぇ……、……」
「なによ、」
モグラからもの言いたげな目で見られて、彼女は眉をひそめた。
「あんた、本当に、護衛稼業から足洗う気なんだな」
「……そうね」
聞かれて頷く。やめる、と言ってもすぐに仕事を手放しては生活していけないので、まだしばらくは、荷下ろしや害獣狩りなどの仕事は、受けるつもりではいたけれど、
「悪者退治はやめたんだな」
「そう。正義の味方は廃業したのよ」
薄く笑って頷いた。深意はない。ただ、故郷を蹂躙された行き場のない怒りを、八つ当たりで振り回すのは、もうやめようと思った。
「あーそう。なんでまた」
「いいかなって思えたから」
「ふーん」
横目で見やりながら、一杯目のエールを一気に小男は流し込み、すぐに二杯目を注ぐ。喉が渇いていたらしい。
「まあ、あんたが決めたことなんだから、別に俺はどーでもいいんですけども」
二杯目も半分ほど乾して、小男は肩をすくめる。
「年増の冷や水ってね。いつまでも若くないんだから。ずぶずぶの底なし沼から抜け出すには、ちょうどいい機会なんじゃねぇの」
「そうね、」
それはそうだと思えたので、素直にロワジィが頷くと、面したモグラが訝しげな顔になった。
「……なに、気持ち悪い。殊勝な中年女とか、ものすげぇ気持ち悪い。どうしたの。雹でも降るの」
「……。……。……前々から、あんたに一度言おうと思ってたんだけど」
すごみを聞かせてロワジィは前にかがみ込む。
「年、年、年、年、あたしのこといちいちそうやってつついてくるけど、あんたの方があたしより上でしょう。あたしが若くないのは事実だけど、あんた、ひとのこと言えた義理なの」
「うわ、怖い。切れ?逆切れ?」
おーいおかわり、けろりとした顔をして、空になったピッチャーを厨房奥へ振ってみせる小男を睨みながら、ロワジィは渋面になり、そうしてすぐに、
「でも、」
気を変え、イーヴ。小男の名を呼んだ。
「あ?」
「きちんと言わなきゃって思ってた。――今度のこと、いろいろ、ありがとう」
名を呼ぶと、すこしぎょっとなって、モグラがこちらを見る。その顔をしっかりと見返しながら、彼女は頭を下げた。
「あんたがケリつけてこいってドヤしてくれて、あたしは本当に助けられたと思ってる。自分一人じゃ、トルグに行く勇気すら持てなかった」
ギィともう一度会って、話をして、そうしてまた同じように並んで歩きながら旅ができるなんて思いもしなかった。
「本当にありがとう」
「……やめろよそう言うの」
わりと本気で感謝の意を述べたのに、頭の上から降ってきたのは、ぶっきらぼうな小男の声だ。ロワジィが顔を上げると、頬杖を突きそっぽを向いた小男が見えた。
「え、」
「いやあんたはさ、なんて言うか本気で射程外なわけじゃん?つーか俺的に、ストライクとかないでしょ?ありえないでしょ?でもさ男心的にはさ、なんて言うの?仮に年増だとしても、そういう普段ツンケンしている女が急にしおらしい態度見せるとか、あと不意打ちで名前呼ぶとか、そう言うの、ちょっと本当にやめてほしいんだよね」
そう早口でモグラは一気に言うと、卓上に置いてあった輪切りのレモンを口に数枚突っ込み、むしゃむしゃ食べながらすごい顔をしている。
「別にさあ、惚れるとかさあ、そう言うのじゃないのよ?でもさ、なんつーか、いろいろ、ほら、複雑なとこあんじゃん?」
「……えっと、……ありがとうとか駄目だった、」
モグラの言っている事がさっぱり判らなくて、ロワジィは首をひねる。とりあえずあんなに一度にレモンを口に突っ込んだら酸っぱそうだな、とか、それは直に食べる物でなく、暑気払い用にエールに絞って飲むやつじゃ、だとか、そんなことを考えながら小男を眺めた。
「違ぇし。そういうことじゃねぇし。面倒くせぇ。あああもういいんだよ終わったことだろ。過去だよ過去。過去なんて振り返ったってロクなことねぇんだよ」
言ってモグラは運ばれてきたピッチャーを傾け、盛大にこぼしながらおのれと彼女のジョッキにエールを注いだ。
「おら飲め。……で?これからどうするつもりなんだ?」
「これからって、」
機嫌がいいのか悪いのかよく判らない。とりあえず怒っているわけではなさそうだ、そう彼女はあたりをつける。
「これからはこれからだよ。あの唐変木引き連れて、全国行脚するつもりじゃあねぇんだろ」
「……まだ具体的には考えてない」
乱暴に差し出されたジョッキを受け取り口をつけながら、ロワジィは曖昧に笑った。
「とりあえず、一旦生まれた村に戻ってね。きちんと整理してこようと思って。飛び出すように村を出て、……もうずっと帰ってないし」
飛び出したまま突っ走り続けて、それこそ振り返らずに生きてきた。先だってふと思い返したら、村を出てから十五年経っていて、その年月に唖然となった。
「そのまま、故郷に引っ込むわけじゃねぇのか」
「……どうかな。あそこは、いろいろ悲しいことがあったから」
――あんたの好きにしていい。
一度村に戻ってけじめをつけたいこと、そうしてまだその後のことは決まってないことをロワジィが話すと、じっと聞いていた男は彼女にそう返して頷いた。
あんたがどこに行っても、俺はついて行くから。
「で?」
「え、?」
「で、その、生まれ故郷に連れて行くウドの大木は、なにしてるんだ?」
顎をしゃくられて聞き返すと、億劫そうに小男が言った。ああ、とロワジィが表の戸口を見やる。
「車輪見てる」
「車輪?」
「ここの宿の泊り客の荷車が、なんか心棒のブレがおかしいとかで、……。このあたり鍛冶屋も近くになくて、直せなくて弱ってるって言ってるのたまたま聞こえて、そうしたら、あのひとが、たぶん自分が直せるからって」
「このクソ暑い中」
「そう。クソ暑い中。ご苦労様よね」
ロワジィは頷く。
「荷車で運ぶほどの荷物があるなんて、どうせ金持ってる商売人だろ。がっつり礼を要求してやりゃあいいんだ」
「ね。あのひと、タダでいいとか言いそうで、怖いよね」
そこは互いに顔を見合わせて笑う。
「……で?」
「あ?」
「あ?じゃないわよ。で、一体あんたは、どこまで付いてくるつもりなの」
しばらく黙ってエールをなめていたロワジィは、今度は逆にモグラに聞いてやる。聞かれて小男が意外そうな顔になった。
「え、なんで」
「なんでって、……、」
「俺、あんたが生まれたクソ田舎、興味あるし。絶対ぇ何もないだろ。何もなさ過ぎて笑えるレヴェルだろ。観光してやろうかとか思ってたんだけど」
「ええ……、」
まだ付いてくる気なの。眉間に皺を寄せて呟いた。本気で厭だ。いい加減にしてほしい。
「わあひどい。なにその超迷惑そうな顔。――つれないねぇ。寝食を共にした、あんたと俺の仲じゃねぇのよ」
「……あのね。その言い方、ものすっごく誤解を招くから、やめてくれる」
寝食を共にした。ものは言いようだと思う。小男との距離を、説明しろと言われてもうまく説明できる自信はロワジィにはないけれど、確実に、なにもなかった言い切れることだけは確かだ。
小男が優しさや慈愛だのの精神で、ロワジィと行動を共にしていたとは思えない。
いまだにどうしてモグラが付きまとうのか、理解できないのだ。
いればいるだけで互いに不愉快になる相手なのである。距離を置いてほしい。できることならどこかに行っていただきたい。
「今度あいつの前で、同じこと言ってあげるね」
「吊るして日干しにしてやるわ」
モグラなら本気でやりそうだ。わりと真剣に脅しを入れると、うへぇ、言って小男が首をすくめた。
それからしばらく、話すこともなくなって、互いに口を噤み、無言で酒をあおりながら暑さにうんざりする。
どうせどこにいても暑いのだ、いっそ川っぺりに行って行水でもしてこようかと思いはじめたロワジィの耳に、開け放した中庭への戸口の向こうから、コ、コココ、優しい声が聞こえてきた。
鶏の声である。
うん、見るともなしに見やって、ロワジィは中庭にいる一羽のおんどりと、その近くに屯する数羽のめんどりを見た。雛の姿はない。おそらく宿の者が卵をとるために飼っているのだろうと思った。
見ていると、砂浴びするもの、毛づくろいするもの、地面の虫を探すものとめんどりどもは思い思いに散らばっている。
その間を一羽、悠然と鶏冠をもたげた立派な牡が、歩いているのである。
優しい声は意外にも、牝ではなく、その牡が発しているものだった。
ロワジィがぼんやりと眺めていると、牡はひとの手のひらほどの石を蹴爪で転がしては、先ごろの優しい声を出すのである。
「あれな」
不意に声がした。モグラも同じように暇をもてあまし、中庭を眺めていたものらしい。
「呼んでんのな」
「うん、」
言われて頷く。優しい声は、牡が牝を呼んでいるものだ。
「石の下に虫でもいるのかな」
「たぶん」
頬杖を突き、眺める。暑いので思考は停止している。
めんどりは好き勝手自由に屯っているので、おんどりの声にはじめは気づかない。石を転がし、つんつんと口に何か餌をはさんではまた地に置き、牡は牝を呼ぶのである。
そのうちたまたま近づいた一羽のめんどりが、牡が示したそれに気づき、ひょいとつまんで飲みこむと、またすぐに離れてゆく。
するとおんどりはまた別の地面を掘り、餌を探し当てては優しい声で牝を呼ぶ。
――ここに餌があるよ、ここに餌があるよ。
今度はそう言っているのだとはっきりうかがい知れた。
コココココ。なかなか来ないめんどりどもに、辛抱づよくおんどりが動作をくり返していると、また気まぐれに近寄っためんどりが、ひょいと餌を咥え、飲みこんでゆく。
するとまた飽きもせず、同じように牡は餌を探しては、再び牝を呼ぶのだ。
「……けなげとか言うのかねこういうの」
眺めていた小男が、ふと呟く。
「なんか、誰かさんみたいじゃね?」
「うん、……?」
同意を求められて、ロワジィは中庭からモグラへと目をやる。誰かって、目で問うと判んねぇかなあ。呆れた口調で答えられてしまった。
「なんか、こう、一途にさあ。懲りもせず何度も何度も、同じことをさあ。やってる莫迦がいたよな?」
「……、」
「報われようが報われまいが、関係ないっていうかさ?」
「……、」
「なんかあいつ、外出すると、いっつも食いもん抱えてこねぇ?もらった、とか、うまそうだから買った、とか」
「……、」
「んで、自分はたいして食いもしないで、あんたに食わせて、満足そうにしてるところとかさ。そっくり。鶏とそっくり」
「……、」
思いあたるふしがないでもないけれど、相当に無意識だったロワジィは、合点したのち妙に尻座りが悪くなって、もぞもぞと身じろぎ、片手で顔を覆う。
顔が赤くなっているのは自覚している。
「……あー、」
その時折よくと言うべきか、折悪しくと言うべきか、車の心棒の修理を終えたらしいギィが、表の戸口から大きな身を屈め、宿の食堂に入ってきた。
白昼の表から室内の暗さに慣れるまで、汗をぬぐいながら目をしばたたいて佇んでいる。
話の流れから、思わず二人の視線が男の手元に集中した。集中し、そうして見止めた瞬間、唐突にモグラが大笑した。
「な?」
男の手に、皺の入った赤い果実が山と盛られていたからだ。
げらげら笑うモグラに怪訝な視線を一瞬向けてから、ロワジィ、掠れがちの声で男は彼女の名を呼び、近づいてくる。
「これ、車を治した礼にって、売り物をすこし分けてもらった。……干しナツメ、あんた好きだっただろう」
「……うん、」
笑ってはいけないと思いつつ、同じように男とおんどりの姿が重なって、ロワジィもまたにやにやとする。
「……駄目だ、クサくて見てられないわ、お腹いっぱいです。ごちそうさま」
揶揄して小男が席を立つ。涼みにあたりを散策するつもりなのだろう。ひらひら手を振って、男のかわりに宿を出て行く。
「――ロワジィ、?」
「ううん、なんでもない。どうでもいい話してただけ」
首を傾げて小男と彼女を見くらべる男へ、ロワジィはそう返すと、男が持ち帰った土産に視線を移し、おいしそう、ひょいと指を伸ばし、ひとつ摘まんで口に運ぶ。
「うん、」
おいしい、言うと男が満足そうに、目元を緩ませる。
そこだけくっきりと切り取ったような中庭へ続く戸口で、今度は四つ葉をくちばしに咥えたおんどりの姿が、ちらと見えた気がした。
(20180710)