「拝啓
連日の雨もひと休み、今日は久しぶりの青空です。晴れているとはいえ、それでも空気はじっとりと蒸していて、すこし動いただけで、とても暑く思います。
あなたはどうですか。
せめて、気分だけでも鬱陶しさを忘れようと、今日は久しぶりに表通りを歩きました。仕事上がりに出向いたのですが、夕暮れ過ぎでも、相変わらずこの町はとても賑やかで、景気がよいです。
いっとう最初に訪れた折、目まぐるしさに眩んだことを思い出しました。
店じまいすこし手前の売店は、呼び込みに熱心で、ふと足を止めた仕立て屋の軒先に、うすく淡い緑の紗を見つけました。
手に取ってみるととても軽く、梅雨の合間の風にやわらかに揺れています。
首に巻いても、頭に巻いてもいいのだそうです。
あなたに似合うと思いました。
さて、打ち明けて言いますが、この手紙、書こうかどうか迷いました。今も迷いながら書いています。
あなたと別れてから、実は何度も、あなたに手紙を書きたいと思い、思い立つと筆をとるのですが、とったはいいが何を書いていいのか判らず、道具をしまい、また別の日に思い立っては道具をしまい、それを繰り返してだいぶん経ちました。
差し出すあてのない手紙です。
そんなことは万が一もありえないとは思いますが、仮令あなたに渡ったところで、きっとあなたは迷惑するだけの手紙です。
だから、本当は今日もこれまでと同じように、よしておこうと思っていたのですが、梅雨の合間の晴れ空がたいへん気持ちがよかったことと、仕立て屋の軒先で見止めた紗の襟巻の緑が、あまりにあなたの瞳に似ていたので、こうしてあなたへしたためることを、許されたような気分になりました。
トルグでは、もうすぐ夏の大祭があります。商業都市の名を揚げて、盛大に昼夜を問わず七日間ひらかれる祭りです。
今年で五度目です。さすがに慣れましたが、一晩中どころか、七晩中明るいのです。明かりが昼以上に煌煌と夜空を照らし、賑やかしさに惑った蝙蝠(こうもり)が目を回し、ぶつかり合って落ちてしまうほどのまぶしさです。
大通りと言わず、細い路地にも、掲げられるところにはみな提灯を掲げ、その橙に照らされた石畳の町がとてもきれいなのです。
この町に所属する組合(ギルド)も、それぞれ競いあうように面した通りを飾り付け、その絢爛豪華さたるや、話にだけは聞く皇都にも、ひけをとらないのではないかと思われるほどです。
普段でも、色とりどりの街並みで感心するところへ、普段以上にますます豪勢に立派に飾り付けられるのです。
開催期間中は、周辺の村町からたくさんの人が観光に訪れて、大通りを歩くだけで、芋の子を洗ったようにもみくちゃになります。
それでも一見の価値があります。
祭りが好きなあなたにも見せたいと思いました。
祭りと言えば、あの、しばらく逗留した農場近くの村で開かれていた、秋の終わりの花火を思い出します。
祭りを楽しんでいたあなたは、とても可愛いらしかった。
しかし中途であなたは姿を隠しました。
会場のどこを探してもその姿は見当たらず、心配というよりは置いて行かれた焦りで自分はいっぱいでした。
見つけたときのあなたはどうにも寂しげで、しおれていて、けれど自分はあなたの気持ちを慮ることができなくて、ますますあなたを悲しませてしまいました。
今なら判りますが、自分は、無知で、人の心の機微というものが、よく判らずにいたのです。
農場の娘と歩いていたところを、あなたは見たのだと思います。
自分はあなたにはっきりと、娘のことをどうとも思っていないことを、告げればよかった。自分にはあなたしかないのだと言えばよかったのです。
あれからもう、五年ほど月日は流れているのに、あの夜の晩秋の空に上がった花火と、あなたが髪に飾ったからす瓜は、自分の中で色あせることがありません。
あのときのように、あなたともう一度、花火を見ることができたなら、今度こそ自分は、あなたに言いたいことがあるように思います。
この際なので、いまひとつ打ち明けますが、あなたと別れてからしばらくの間、自分は実にあなたを恨みました。
気を悪くなさらないでください。でも、捨てられたのだと思いました。
自分を市場で買い上げた当初から、あなたはたいそう優しくて、あの斡旋所の店主や、売春宿の用心棒たちのように、自分に手をあげることもなく、親切にしてくれました。
親身になって世話をしてくれるあなたが、しかし時折、手前にかたくて冷たい一枚の壁を作り、ことあるごとに自分はそれに撥ねつけられたように感じました。
自分は、あなたが好きでした。
そうしてあなたも、自分のことを憎からず思ってくれているだろう思い上がりがありました。
実際問題、当時自分は、あなたに嫌われていたのではないと思います。今でも思っています。しかし触れるたびにあなたは、身をこわばらせ、表情を硬くし、どうしてよいかよく判らないと言った体で見上げましたね。
触れるべきではないと思いました。
自分は、あなたに嫌われることが何より怖かったのです。
働き口を世話してくれると言ったあのときも、口ではどうとでも言いながら、ああやはり自分はお荷物なのだと思いました。
俺はあなたを好きになってはいけなかった。
それ以上拒まれることが怖くて、自分はあなたから手を放しました。あのとき、みっともなくすがりつき、いやだ置いて行かないでくれ俺はあんたと一緒にいたいと駄々をこね続けたら、なにかが変わっただろうか。
変わらない毎日の中で、あなたのことを憎んで、嫌いになろうと思いました。嫌いになったらきっと忘れることができると思ったからです。
しかし、あなたの厭なところを指折り上げてみようとして、ひとつとして上がらないのです。そうしてあらためて、自分はしんからあなたが好きだったのだと気がつきました。
今さらせんのない恋だと思います。しかし自分はこれまで、これが恋だということにも判らずにきたのです。
恋というものに、自分は一生縁のないものと思って、生きてきたのです。
恋というのはもっと、一心不乱で、高い熱を持ち、迷惑だとか相手の都合も顧みずにがむしゃらに突き進むような、そういうものだと思っていたのです。こんな、湿気った花火のような、白い煙だけをほそぼそあげ続けるだけの、あきらめ悪いものだとは思わなかったのです。
大通りを散策して戻った寮の玄関口で、この建物の管理人に会いました。
ちょうど今はくちなしの花が、玄関横の猫の額ほどの狭い花壇に咲きこぼれていて、それが湿った空気とまじりあって、くらくらするほどの甘いにおいをあたりに漂わせているのです。
よいにおいだと言うと、枝をぽきんと折って、一輪、花をくれました。
折角くれたのだから枯らしてしまうのもかわいそうで、水差しに水を張り、いま窓際に飾っています。
不思議なもので、花が一輪あるだけでわび住まいの自分の部屋が、まるでちがった部屋のようです。
よくよく見ると、くちなしの花弁は白いですが、その白は洗練された冷たい白ではなく、あたたかみを帯びたやさしい白です。
あなたのような花だと思いました。
あなたは今どこにいますか。なにをしていますか。夏の大祭を見に、ここを訪れる気はありませんか。
気障に思われるかもしれませんが、ふと語呂のよい言葉が浮かんだので、ここに書き留めておきます。
くちなしの花を窓辺に君を待つ
会いたい。
敬具」