腹が立った。

 なんか最近の中じゃあわりと久しぶりに、本気で腹が立った。

 それも、なんて言うか、頭にドカーンとくるタイプのムカつきじゃなかったのよ。

トサカに血がのぼる怒りってのは、結構、一気に沸騰するだけ勢いで怒鳴り散らしたりすれば、あと腐れなくすっきり、みたいなことにはなるんだけど、そうじゃなくて不完全燃焼みたいな腹の立ち方だったから問題だ。

 ぶすぶす煙だけ上がるけど、炎は燃えないみたいな。

 あー、生木とか葉っぱくべちゃったんですね、みたいな。

 沸騰しない分、なんだか胃のあたりにものすごいモヤつきが溜まってたりして、正直反吐でも出そうだった。

 だってそうでしょ?俺そんなに悪いことしてなくない?そう思う。

 

 

 ハーランって町の酒場の話だ。

 前に、ここで仲良しになった可愛い子ちゃんたちにたまたま会って、それから飯を食おうぜって流れになった。

 いっつも思うけど、透き通るような膚って言うので、もう十代前半にかなうものないよね。まぁもしかすると赤ん坊とかもっとやわらかなのかもしれないけど、母親のおっぱい吸ってる赤ん坊に欲情してたら、さすがに倫理的に問題あるでしょって。

 ありゃまだひとじゃねぇよ。言葉話せない獣だよ。

 だからストライクゾーンは、十から十五、六って心に決めてる。決める。これ大事。

 で、天使ちゃんの話なんだけど、肌理細(きめこま)やかって言葉があるだろ。あれ、本当に文字通りだよなって、なでなでしながら思った。

 なんていうか、理屈抜きで、膚が手にしっとり吸い付いてくんのよ。俺はもう四十超えてますからね、でもって日に当たる仕事してますしね、シミもできるし肌もガサガサになるから、余計に水分を含んだ膚って言うのはもう宝だなって思う。人類の宝。

 

 

 で、なんか、酒場で楽しくやってたんだけど、俺の知らないところで、天使ちゃんたちがあの大女にいろいろタレたらしい。マジか。

 なんか俺、絶体絶命じゃないですか。このあとの展開が読めません。

気持ち悪い虫唾が走るとか言われちゃうんでしょうか。それとも、無言で見下されてぺっとか唾吐かれちゃったりするんでしょうか。あ、でもそれもいいかもしれない。新しい世界が開けそう。

 けどとにかくそのとき俺の頭の中にあったことはと言えば、しくじった、寝物語に自分の身の上話すとか、まさかここにこうやって戻って来るとは思わなかったから、うっかり話しちゃったりしたけど、話すべきじゃなかった、それだけだった。

どこまでバラされたのか、俺はよく判んなかったけど、でも、とりあえずあの女はよく判っていないような顔をしていた。

ふーん……?みたいな。

 あれこれギリギリセーフなんじゃねって思った。

 勢いでごまかしたらいけるんじゃないのって。

 ごまかせるなら、ごまかすに越したことはない。なんかいろいろ今後の対応が変わって来るとか面倒くさいし、俺はその女との今の距離感がわりと悪くないって思ってたから、もうこのままうやむやにできるなら、しようと思った。

 そうしたらなんか、クマ男が、ちょっと顔貸せとか言うの。無害な俺のこと拉致ろうとするのね。

 はあ?ってなるでしょ。てめぇ、発情期かよ。

 ぼくちゃんのものは誰も手を出したらいけないんでちゅ、とか言うんですかね。どんだけ独占欲強いんですか。ふざけんな。

そもそも俺は手も足も下半身も出しちゃあいないです。

 そんで、天使ちゃんたちの、うすっぺたなおっぱい枕を楽しんでたのに、外に連れてかれた。あほか。俺は図体だけデカい男とデートする趣味はねぇよ。

 しかもいちいち連れ出すときに首根っこ掴むな。俺は猫じゃねぇし。猫じゃねぇにしても、首回り伸びるからやめろって思う。

 そこらへんからもうムカついた。

 

 

 で、人気のない繁華街の裏路地とか連れてかれて、さっきのは本当か、とか言われた。ひっくい声でさあ、ドスきかせて、それで俺がビビると思ってるんだとしたら、舐められたもんだなって思う。

 なんかね、かちーんときた。

 なにが本当か、だよ。てめぇなに様のつもりだよ。

 だいたいさあ、なんか、俺にジェラるって間違ってるでしょ。なんで怒りの矢印方向が俺なの。てめぇ自身に向けろと俺は言いたい。

 もう本当ありえない。

 てめぇが悪いんだろ。言いたくてたまらなかったから、言ってやった。

 五年も放置してるてめぇが悪いんだろって。おさみしいひとり寝を、じっと膝かかえて耐え忍んでいれば、あの女が戻ってきてくれるとでも思ってたのかよ。デカい男がじっと耐え忍ぶとか、絵ヅラとして正直怖ぇよ。

お花畑過ぎて怖い。

 我慢して、妄想の女オカズにして、しこしこ待ってるくらいなら、どうして五年前にみっともなくしがみついても行かないでくれって言わないのって思った。それって結局自分の体裁とか気にしたんでしょ。すがりつくあわれな自分が許せなかったんだろって。

 蹴られても踏まれても、片足にかじりついて、厭だ置いて行かないでくれって駄々こねるくらいの根性みせろよって思った。まぁそれが本当に根性かどうかは今は置いとくとして。

 それっくらいの心意気も見せないで、あの女は俺のものだとか、どの口が言うんですか。本当におめでたい頭ですね。

 きれいごとで人間ひとり、手に入れると思ったら大間違いだろって俺は言った。

 そこまで言ったら、発情期のクマは、なんかちょっと怯んだ。ウケる。

 でさあ、結局どうしたいわけ?俺は言った。

 正直、あんたなんかより、俺はあいつと長い時間過ごしたんだぜって言ってやった。

 こいつがあの女といたの、せいぜい一年くらいでしょ。一年とか。短いにもほどがある。俺は五年ご一緒したし。まあ、特別なにか一緒にしたわけじゃないけど、物は言いようってやつだ。

 うたた寝しちゃったときの、赤毛に埋もれた顔とか、何度見ても見飽きないよね、って言ってやった。

 まつ毛まで赤いしなって言ってやった。

ひとり分の飯作りすぎちゃったからおすそわけね、って言うときの照れくさそうな顔とか、結構いけるよねって言ってやった。

酒飲むときに、口元に持ってって、最初くんくんってちょっとにおい嗅ぐよね、あれ猫みたいで可愛いよねって言ってやった。

あと寝るとき、絶対、最初横向きで体丸めて寝るでしょ、で、寝入るとうつ伏せになるよね、って言ってやった。あんたそう言うの見てんのって。

そしたら発情クマは無言になった。

ああほらやっぱり見てないんだあ、そっかぁ。俺は追い打ちをかける。

残念だよねぇ、でもしようがないよね、判るよ。あの五年は、二人が思いを確かめ合う、大切な空白期間だったんだよ。その間、俺が代わりに「傍にいた」けどね、悪いね俺なんかが代役でね、でも二人が決めたことでしょ。仕方ないよね。

 

――離れちゃったあいだ、相手がなにしてるかなんて、そんなの判らないもんね。

 

理解してるっぽい感じで、うんうんって頷きながら俺は言った。かわいそうねって。

言いながら、言葉の毒が発情クマの耳からしみ込んで、じわじわ全身に広がってるさまが、手に取るように判って、なんかもうおかしくて仕方がなかった。

なに、その、ぼく傷ついてますみたいな顔。

俺がいじめてるみたいじゃん。でも、そもそもここに連れてきたのって、あんたが俺のこといじめるために連れて来たんでしょ。

脅すつもりだったんでしょ。俺のものに手を出すなって。

深い考えなしにそういうことするから、反撃喰らうんだよ。莫迦じゃねぇの。

それにさあ、そう言われて傷つくくらい大事な女なんだったら、もう箱に入れてしまっておけよって思う。

箱に入れて、これぼくのですって名前書いておけよ。

昏い感情が腹の中にどろどろしている。

とくに口に出すことでもないと思って、旅の途中も言わなかったけど、俺はそいつがあの女にプロポーズしよう、みたいなことしてるのを知っていた。プロポーズだってさ。真面目かよ。俺、一生縁なさそう。

だってさ、隠しようがないじゃん。

野宿のとき、交代で寝るから、そいつは女が寝ているのをたしかめると、いつもこそこそ荷物から小さな木片を取り出して、背を丸めてしゃりしゃり音を立てて、なんかしてた。

見るつもりはなかったんですよ、本当ですよ。でも音が鳴ると、目が行くんですよ。

あと、こそこそされると気になるでしょ。

なにしてんのかな、女の寝顔見ながら、木片でサオ擦り立ててんのかなとか思うでしょ。

それとも鮭獲ってる木彫りのクマとか彫ってんのかなって、思うでしょ。

でもクマが作ってるのは、クマじゃなかった。

はじめ、切れ端を適当な大きさに切ってて、んでそのあと削って輪っかに仕立ててて、それからご丁寧にご丁寧にやすりをかけてたりした。

何日もかけて、ひたすらやすりがけ。ちょっと執念を感じる。

あれですかね、修行とかですかね。

大きめの輪っかと、それよりちょっと小さいやつ。

あー、てなる。

ああ、指輪ねぇ、って。

給料三か月分とかいうところじゃなくて、せっせと自作しているあたりが、お涙頂戴というか、いじらしいというか、まあでもあの女こういうの好きなんじゃないの、よかったねきっと喜んでもらえますよ。そう思った。

でもどうせだから、指輪とかじゃなくってさあ、もう首輪とかにしとけよ。で、首輪に紐付けて、いつでもつないどけよ。

そうしたら盗られる心配ないだろって思った。

だって結局のところ、指輪だろうが、首輪だろうが、そういう意味でしょって。これはわたしが先にツバつけてますので、皆さん手を出さないでくださいねってことだろ。

だったら判りにくい小さい指輪なんかより、目立つ首輪にしとけよ。お揃いで首輪付けたデカい男と女、わりと名物になるよ。そう思った。

ムカムカする。

 

 

俺だって莫迦じゃない。できるだけうまい汁を吸いたい。

純情だけで生きている、精通もきてないようなガキとは違うんで、別に酒場で言われてたような、胸のうちに秘めた純愛だとか、そういう綺麗な気持ちは持ち合わせていない。

誰とは言わないが、惚れた女なら、もうめちゃくちゃに弄り倒して、突き回して、アヘアヘ言わせたい。

もう許して、とか言わせたい。あの口がそう言うの言ったら、とか考えただけでぞくぞくする。

じゃあさ、さっさと奪っちゃえば?って思うだろ。五年もあったんだし。

ひとのことけしかける前に、自分が行動にうつすべきだよねって。わかる。

でも俺は厭だった。

やろうと思えばできた。

酒飲ませてぐでぐでにしたところを襲ったって良かったんだし、それこそ、俺が横流しして小金稼いでいる媚薬でも垂らしておけば、多分前後不覚に陥って尻を振ったはずだった。

そういう強硬手段に出ないとしたって、千丈の堤もアリの一穴から、的な、足元から徐々に徐々に崩して行って、ぐずぐずにしてやって、それから優しい優しい俺を、染み込ませていくって方法もあったはずだった。

心の隙間に付け入るってあるだろ。未亡人とか。

ああいう感じ、孤衾に枕を濡らす女に、俺がいるよとかなんとか、吹き込んでやればよかった。

でも俺はしなかった。別に二番手が厭だとか、出涸らしは厭だとか、処女厨だったわけでもない。

手間が面倒くさかったってのは、正直ちょっとあるかもしれないけど、でも、そんな理由でやらなかったわけじゃないのは確かだ。

だってさ、考えてもみて?

ことあるごとに、好きだった男の話きかされるんですよ。酔うたび。五年のあいだ。しつっこく。

泣き上戸って言うのかね、あの野郎と別れてからその女は、酒が入るとクダを巻いた。好きだったなあ、好きだったなあって何度も言うんです。

俺の心、結構ヘシ折れるでしょ。

そんで、泣き疲れて寝ちゃうのね。どうしろっていうの。泣き疲れて寝ちゃったところ裸にひん剥けばいいの。

でもこの流れだと、寝言とかで呼ばれるのは俺の名前じゃないだろって思った。絶対あの男の名前だろ。

アナに突っ込んで腰振ってて、最中に別の男の名前呼ばれるとか、俺そう言うプレイは特に望んじゃあいないし、それでインポとか、使い物にならなくなっても困るし。

男って意外に繊細なんだぜ。

力ずくは厭だった。まあこの場合、その女と力は拮抗している気がしたから、力ずくっていう言い方じゃおかしいのかもしれないけど、無理矢理突っ込むのは俺は好きじゃない。

だって結局濡れないし、泣かれても面倒だし、俺は、俺に惚れている女とじゃないとヤりたくなかった。

だから何もしなかった。

その話を天使ちゃんたちに、それとなく脚色してお話したんだけど、そうしたら俺はものすごい純情の、清らかなおじさんってことになった。

俺はそんなにきれいな人間じゃないんだよ。そう思った。

ただ、誰かの代理品はごめんだったってだけだ。

腹の中も、いつもどろどろのぐちゃぐちゃで、色で言うなら赤黒いとかそういう感じじゃないですかね、だからちっとも清らかじゃあない。

誰も俺のことを知らない。

 

 

最終的に、黙りこくった発情期のクマと、いつまでも向かい合わせているのもアレだったので、行くならさっさと行けよって俺は言った。

もう言うことないだろって。

そいつは背を向けて去っていこうとして、それから不意に肩越しに、すまなかった、だとか言いやがった。

え、なに、ここで唐突ないい子ちゃんですか。

おのれの非を認めて謝るとか、そう言う系ですか。

泣きべそみたいな顔して去っていったのはそいつで、俺は泣かした方だったのに、おいてかれた俺は、なんだか負けたような感じになって最悪に気分が悪かった。

なんだよふざけんなって思う。

 最後にそう言う一言置いて行くなよ。余計だよ。

 反吐が出る。

 結局あんたがあの女を手に入れるんじゃんって思った。もう最初から。俺の入る余地なんてなかったですよね。

今から行くんでしょ。あの女のところに行って、プロポーズでもするんですか。いいですね、帰るところがあって。

俺にはない。俺かわいそう。笑うわ。

天使ちゃんのところに行くかな、たそがれてきた空を見て、そう思った。

店に行って、有り金はたいて、買えるだけの天使ちゃんたち買って、そんで肌理(きめ)こまやかーな膚に埋もれて寝ようと思った。

年増にはない若さに埋もれて、忘れようと思った。

そうしたらきっと、この腹の内も、少しはましになるかもしれないって思った。

 

 

 

20180813

最終更新:2018年08月13日 01:41