それは土砂降りの雨の晩だった。
――お子を、頼む。
全身べっとりと、返り血と、おのれの血と、汚泥にまみれた男が、ふるえる腕で胸もとに抱えた布ぐるみを、扉を開けたバラッドに差し出した。
呆然としながらも両腕を同じように差し伸ばし、うやうやしくその包みを受け取りながら、相手の地肌いろが見えないすざまじい様子に、思わずかくしから手ぬぐいを取り出し、彼は死にゆく男の汚れを、わずかなりと拭いさってやろうとした。
無意識の行動だ。
だが、いらぬ、とがくがくとした動作でその腕を払いのけて、相手は切羽詰まった様子で彼を見た。
「もういけない、」
「しかし」
「もう、いいんだ」
言われてそのあとの言葉を、彼は続けることができない。
おのれの体が保たないことを、目の前の男自身がなにより判っているのだということに、彼は気付いたからだ。
日ごろより沈着な男だったなと思う。ひどく親睦を深めた間柄ではなかったが、戦場で何度も顔を会わせた仲だし、同僚だった。
「たのむ」
せっぱつまった色を両眼ににじませて、男の口から水のように血がすべり滴る、為すすべなくこわばる彼が見下ろすその先で、たのむたのむと男は何度も繰り返した。
「お子だけが最後の……、」
「ああ」
「われらの旗印なれば」
「ああ」
いよいよ膝をつき、上体をささえることもままならなくなり、傷ついた男はどうと倒れ、それでもなおたのむとうわ言のように繰り返しながら、いまわのきわの痙攣を体へ走らせた。
だが。
無駄だと判っていながら、それでも言わずにはいられない。
「だが、なぜ俺なんだ、」
たまらず死にゆく男の脇に膝をつき、バラッドは苦み走った声で吐き棄てた。
倒れた男は、壊れたぜんまい人形のように頼むとくり返すばかりで、彼の望んだ応えはない。
「――バラッド」
かぶりを振る彼の後ろから、こと切れる男の様子をうかがっていたグシュナサフという同僚が、咎める口ぶりで声をかけた。
「いじめてやるな」
「だが、」
「もう聞こえていない」
もうおおよそは、ここへ至るまでに苦しんできたのだろうと思う。
たいしてもがくこともなく、あっけないほど簡単に、目を見開いたまま、男は動かなくなった。
鳥のような音を喉から漏らしたのが、男の挙動の最後だ。
……このひとは、最期まで騎士だったのだろうな。
鉄の胸当てに彫られた花飾りの模様を眺めながら、バラッドは口中で呟いた。
男は職務を全うした。
知らず腕に力が入り、反動で、布包みがもぞもぞ動いた。その動きに存在を思い出して、彼はこと切れた男から腕の中へ目を移す。
ここまで必死に抱きかかえてきた男の指の跡が、もとは白かった布に赤黒く生々しかった。
その布にくるまれていたのは子供だった。
ぱっちりとぶどう色の目を開け、彼を見つめている。
子供は女だった。
ついこのあいだ、三つを迎えた祝いの言葉を、彼女の両親に述べたばかりだったことをバラッドは思い出す。
「ああ――、参ったな」
苦々しい思いと共に、頭を掻いていた。
その両親は、つい先刻亡くなった。
このちいさなものは今夜、父と母だけでなく、兄姉そうして遠戚に至るまで、一族すべてを失ったのだ。
だが、それを知るにはまだあまりに幼い。
「コロカントさま」
彼女の名前をバラッドは口に出して呼んだ。おのれを推し量るようにじっと見つめられていると思った。
安心させるよう、穏やかな口調で腕の中の彼女へ、語りかける。
こうべを垂れた。
「バラッドと申します。共におりますのは、わたしの同僚グシュナサフです。――今より、わたしどもが御身をお守りいたしますゆえ、ご安心なさいますよう」
垂れてはじめて彼は、館からここまでこの三つの子供が、泣きもしなければ暴れもせず、男に抱えられ、連れてこられたのだということに気がついた。
気づいてそそけだつ。
まだなにも知らないでは済まされない。
ひと声たてれば、おそらく命はなかったのだ。
「――バラッド」
じっと彼を見つめていた彼女が口を開く。
発音した名前は、まだすこしたどたどしいものだったけれど、
「はい」
呼ばれて男は微笑んだ。安心させるためにというよりは、自然こぼれた笑みだ。
その頬をゆるめた彼を見て、同じように腕の中の彼女もにっこりとする。
だが、微笑みの中に、すでに賢(さか)しい理解の悲しみがある。
子供にあるという、あどけなさとやらでは決してない。己の命運とやらを受け入れた、達観の悲しみだと思った。
「コロカントといいます。…どうぞ、」
幼子が彼らに頭を下げる。
「どうぞ、よろしくおねがいいたします」
彼女が頭を下げた瞬間、同僚が乞うた最後の願いを男は思いだす。
……お子だけが最後の。
かたちだけではない畏敬の念に、自然背筋が伸びた。隣に控えたグシュナサフも、頭を下げている。
「今生かけましても」
裏表のないバラッドの、芯からの言葉だ。
*
*
藁(わら)の中は温かい。
温かくて、気持ちがいい。
藁のにおいは、お日さまのにおいだと彼女は思う。
こうして、頭のてっぺんまですっぽりと藁床の中に埋もれていると、自然発酵のぬくぬくしたあたたかさがあって、なんとも気持ちが良い。
湯に浸かる心地よさでも、布団にもぐる心地よさとも違う、これはもう藁床に突っ込んだことがあるものにしか判らない、無類の心地よさだ。
コロカントはあくびを噛み殺す。
このまま自分も一緒に、足の先あたりからふやけていってしまいそうだと思った。
ところが、そうしてとろとろとしていた彼女のいる藁山へ近づく足音と、かき分ける気配があった。
がさがさとしばらくかき分けられた音のあとに、ひんやりとした外気がしのび込む。
そうしてああ、とほっとした声が頭上から降ってきた。
「……寝ていらっしゃったんですか」
掛けられた声音はやさしい。
あちらこちら彼女をさがしたと見え、掌の主が頬をゆるませ、
「姫」
みじかく呼んだ。
「はい」
くずされた秘密基地をすこし残念に思いながら、コロカントは返事をし、呼んだ女を見上げた。
「おはようございます」
乾燥させ、つみあげた干し草のざくざくとした感触に、思わず吸い寄せられるようにもぐりこんだのだ。寝ているつもりもなかったが、いつの間にかうとうとしていたらしい。
まだ重ぼったいまぶたをこすっていると、……おや寝ぼけていらっしゃる、女がおかしそうに笑った。
肉付きの良い、中年の女だ。
名はオゥルという。コロカントはこの中年女のことを、あまり詳しくは知らない。
ものごころ、というものを、どのような状態になったら「ついた」とあらわすのか判らないけれど、現在六つになる彼女の一番古い記憶をたどったときには、女はすでにここにいた。
ここにいて、コロカントは女と二人で静かに暮らしていた。それだけのことだ。
「午後のお仕事の時間ですか」
コロカントが尋ねると、
「午後のお仕事の時間です」
女が答える。
わかりましたと頷き、彼女は昼寝の藁床から、体を起こした。
このところすぐに日暮れが迫る。
冬が近いのだ。
夜の冷え込みのはじまる前に、済ませておかねばならない用事がいくつもあった。
ばたばたと体についた藁くずを払っていると、気付いた女が傍らに膝を着き、彼女の届かない背中や、頭のてっぺんを同じように払ってくれる。
その手にふれられることがうれしくて、コロカントはにっこりとした。
彼女はその大きな掌も、掌の持ち主も大好きだった。
コロカントは女と、森の奥で暮らしている。
近くにほかに住むものもない。聞いた話だとここから馬で二日の村が、一番近い人里とのことだった。
住んでいるのは、三階仕立ての円塔状の建物だ。
ぐるりと内径をなぞるように螺旋階段がしつらえてあって、外に出ずとも上階までゆけるつくりとなっている。
もとは、見張り塔であったのだそうだ。
有事の際には、少人数でも数日持ちこたえられるような造りになっているのだという。「有事」、というものがいったいどれほど差し迫ったものか、彼女にはよく判らなかったけれど、なるほど、塔の積み石は重厚であるし、建物周りにも人の手で掘られた堀があった。
今はすっかり水草が蔓延(はびこ)っている。川魚でも放したら可愛いんじゃないかと、そんなふうにコロカントはこっそり思っている。
見張り塔と言っても、元来の目的で使用されていたのはずいぶん前の話で、たとえば、跳ね橋はもうせんから下げられたままになっている。いちいち上げ下げさせるのは、労力を使うし面倒くさい。
鎖は錆びついている。
その「元」見張り塔の一階部分に暖炉があり、台所兼居間として使っていた。家畜の寝床もここだ。
二階が寝室。
三階部分は半ば崩れ、埋まっていて部屋として使用はできないので、すこしだけ開いている部分を、納戸がわりとして使っている。
三階がどうして崩れたのか、彼女は知らない。
きっとその、「有事」の際に崩れてしまったのだろうなと思ったけれど、だとすると、ここに住んでいた人間はどうなったのか。
安全な場所に逃げたのだろうか。
疑問には思ったけれど、聞くことはできなかった。
ただ、「いけなかった」のだろうなと、幼心に感じた。
ここで暮らす人間は、コロカントと女の二人だ。あとは家畜がいくらか。それらの世話で、毎日はわりと忙しい。
ものすごく足の太い大きな馬が一頭。
それから牝のやぎが一頭と、最近これが産んだ仔が一匹。これが毎日乳を出す。
それからめんどりが一羽。一日か二日置きに卵を産む。
それから畑。堀を渡ってすぐ目の前の土を開墾し、ここで二人が食べる芋やら玉ねぎやら、それからすこしの青ものを栽培している。
森での暮らしは、ほぼ自給自足である。
まず朝起きて一番に、家畜を外に出してやる。
そうして朝食。これは昨晩の残りで簡単に済ませる。
掃除や洗濯、畑仕事も午前中の仕事だ。
昼食をはさんでまた畑仕事。長い冬に備えて薪拾いや干し草刈りもあった。
そうして少し休憩をはさんで、午前に放したやぎやめんどりを、暗くなる前に納屋も兼用している塔の中へ入れる。
とにかく、働き手は女一人しかいない。だったから、女の仕事を率先してコロカントは手伝った。
手伝うことは楽しい。
このあいだまで持てなかった木桶が、持てるようになった。
力が足りなくて絞れなかった雑巾が、絞れるようになった。
去年よりも今年、先月よりも今月、昨日よりも今日、ひとつひとつ手伝える仕事が増えてゆくということが、単純に彼女は嬉しいと思う。
自分が役に立ち、ありがとうと言われることは嬉しい。
「ああそうだ」
階段を降りかけたコロカントに、後ろから思いだしたように女が言った
「やぎは家の前にいたので、もう中へ入れておきました」
「はい」
たとえ家畜であってもそのあたりは聡い。夕方には建物へ戻るのだと理解している。そろそろ寒さにしおれかけている青草をむしり食ってはいても、決して塔よりはなれて遠くへは行かない。
かしこいですねと彼女が感心する。
生きのびるすべと言うものでしょうと女が応えた。
「群れでなければ、生きてゆけない生き物です」
「やぎは、群れで生活するのですか」
「野生では群れをつくりますね」
そうですか。
頷きながら、やぎの群れとは、いったいどういうものだろうなと彼女は思う。
群れ、というと、春の訪れとともに、空を北へ帰ってゆく渡り鳥を思った。鳥は、緩やかな放物線を描きながら空を飛んで行く。
やぎも、鳥のように、並んで歩くものなのだろうか。
できれば見てみたいと思うけれど、この森で、その願いはかなわない。
コロカントは、自分がどうしてここに住んでいるのか、なんとなく知っている。
塔から離れて遠くへ行ってはいけないことを知っている。
一緒に暮らす中年女が、自分の母親や血のつながった叔母ではないことも知っている。
自分を生んだ父と母や兄弟がなくなり、生まれた場所が燃え、ここ以外に帰る場所のないことを知っている。
群れることが、やぎの生きのびるすべなのだとしたら、自分の生きのびるすべというものは、ここでの生活そのものかなとふと思った。
「……それから、『向こう』から連絡がありました。近いうちに、二人で戻って来るそうですよ」
「戻ってくる」
「はい」
「近いうちって、来週でしょうか」
「さあ。どうでしょうね。来週なのか、それとも月末までの話なのか……、」
「準備しなくちゃなりませんね」
聞いて急にわくわくとしてきたコロカントだ。
森の暮らしは基本的に女と二人のものだけれど、ここへ時々男二人が加わる。男どもは、普段は彼女が「向こう」と呼んでいる森の外へ出かけていて、ふた月かみ月に一度の割合で、森の外のものを抱えて戻ってくる。
戻るときに合わせて、日頃は質素な食事がすこし豪華なものになる。それが彼女は楽しみだった。
一階へ降りた。
彼女の姿を見たやぎの仔が、ぎこちない動作で近づき、すんすんと鼻づらをこすりつけた。うぇうぇと声を上げる。甘えている。
首のつけ根あたりを掻いてやりながら、コロカントは床に壁際へ寄せていた干し草を広げてやった。寒さしのぎ、また獣の餌食になるのを避けるために、こうして夜は建物の中へ入れてやるのだ。
おとなしく飼い葉を食んでいた足の太い馬が、彼女を見て鼻を鳴らした。
「ハナ」
おそれることなく近づいて、広げた手の平でコロカントは馬の胴をたたいた。
ハナと名づけたこの馬が、ひどく賢いことを、彼女は知っていた。口がきけないばかりで、人間よりよほど賢いのではないかと、女も褒めている。
馬は高齢だった。人間なら八十ほどになるのではないかということだった。
力だけ比べるなら、おそらく若駒の三分の一ほどに劣るだろう。持久力もかなり落ちている。無理はきかない。
だが、賢い。
馬鍬(まぐわ)をつけ、畑でひかせる際にも、その利口さを発揮した。
先導する馬自身が、畝目を読む。
開墾したばかりの土に踏み入れるときは特に慎重だ。おのれの曳く鍬を傷ませることがないように、土の中の頑丈な木の根や石を見つけると、ひたと足をとめ、それ以上は動かない。
聞けば、市場で殺処分されかかっていたところを、買い上げたのだそうだ。そうして、この森へ連れてきたと言う話だった。
コロカントは道具入れから毛櫛をとりだし、馬の毛の流れに沿って、腹のあたりを梳いてやった。本当に、冗談に思えるほど馬は大きい。梳いているというよりは、しがみついているようなものだ。
しかもかなりの力がいる。
彼女の力だと、思い切り擦るほどの勢いと強さでないと、梳いていることにはならない。
撫ぜてやるだけでは不十分なのだ。
腕をつけ根から動かしぐっぐと力をこめ梳いていると、昼寝で少し冷えた体はたちまちぬくもり、やがて汗ばんだ。
桶を逆さまにしたものを踏み台にして、上の方までしっかりと梳いてやる。
馬が心地良さそうに目をほそめた。
それが終わると、今度は水をためた木桶から、手桶に水をうつしいれ、馬とやぎとにわとりのための飲み水を足す。次に手桶をよく洗い、やぎの乳を搾る。手慣れたものである。
絞りおえた手桶を、夕飯の支度をはじめている女のところへ持ってゆき、差し出すと、ちらとコロカントへ目をやった女の顔が緩んだ。笑ったようだった。
「ついていました」
藁くずがまだ付いていたらしい。
おとなしく、藁くずを払われていたコロカントは、ばらばらと建物の周りの木立をたたく音に気づき、はっとなって女と顔を見合わせる。
「あられ!」
慌てて身を翻(ひるがえ)した。
不意にかきくもった夕間暮れの、通り雨ならぬ通り霰(あられ)に、洗濯物がまだ干してあったままなことを思い出したのだ。籠をかかえて外へ飛び出す。
最近は洗濯物が乾かない。朝早くから外に出しても、夕暮れまでに乾くことはまれだ。
日が出ていても空気が冷たいのである。
どうせ外干ししても乾かないのだから、最初から室内に干したままにしてしまえばよいのだろうけれど、天気がいいとどう言うわけか日に当てたくてうずうずとなる。これはもう性(さが)だ。
主婦の衝動、というやつかもしれない。
急いで走るところびますよ、気配る声を背中にうけながら、その心配通り、戸口から飛び出したところで、籠をもったまま派手に彼女はつんのめった。
わ、と息が漏れ、コロカントはそのまま顔面から盛大に地面に突っ込みかける。
「姫……!」
女の声が聞こえる。
ああこれはだめだ。これは痛い思いをするやつだ。
目前にせまったごつごつとした地面に、走る痛みを覚悟してぎゅっと目をつぶった彼女の体が、唐突にぐいと引かれた。
「え、わ、わ、」
引く力は、強いのに、やさしい。
「危機一髪ってやつですよねぇこれ」
耳元に間延びした声が飛び込んだ。
聞き覚えのあるその声に、ぱっと彼女は目を開ける。
そこには久しぶりに見る男の顔があった。赤毛の男だ。頭に霰(あられ)の粒を散らしながら、にこにこ笑って彼女を見ていた。
「だいじょうぶですか。お怪我はありませんか」
「――バラッド!」
竦んでいた手足をいっぺんに伸ばして、彼女は自分をすくい上げた男の首に飛びついた。ところが、飛びついたはいいものの、その勢いは予想外のものだったのか、わあ、と情けない悲鳴を上げ、彼女を受け止めきれず、男はひっくり返る。
「……何を」
やっているんだお前は。
呆れたため息とともに背後から伸ばされた腕が、バラッドと呼ばれた男の襟ぐりを掴み、ぐいと支えて引き立たせる。
「いたた、いた、痛いですって、痛い痛いいたおいこらこの莫迦力」
「危機一髪ってやつだ。助かっただろう」
「グシュナサフ」
「はい、」
尻もちをつきかけたバラッドを無造作に引き立てた男は、コロカントが呼ぶ声に、彼女の側へ顔を向け、しかめていた眉間をゆるませた。
胸に手を当て、軽く頭を下げる。
「ただいま戻りました」
「おかえりなさい」
「――ちょっと。ちょっとちょっとちょっと」
彼女とグシュナサフがにっこりと笑みを交わしたのへ、間にはさまれる形だったバラッドが、不満の声を上げた。
「ずるい。ずるいです。姫、俺にも、おかえりって言ってくださいよ」
「姫、こんなやつに言わんでいいですよ」
「……お前。すこし黙ってろ、」
むっとなってグシュナサフに突っかかるバラッドの腕の中から、コロカントはあらためて二人の男を見上げる。
ひょろりとした長身の男がバラッドだ。短く刈り上げた赤毛に、わりと派手目の、やにさがった顔つき。いつ見ても奇抜としか言えない色彩や柄の服を、着こなしている。
人混みにまぎれ込んでも、この色なら悪目立ちしてしかたがないだろうに、彼は好んで派手なものを身につける。
もし自分が混みあう場所に行くときは、彼を見習って派手に行こうと、彼女は思っている。迷子になっても、きっとすぐに見つけてもらえそうだからだ。
彼の向かいに立つグシュナサフは、品がないだけだ、といつもばっさり切り捨てているけれど。
「チンドン屋か道化に転向しろ」
バラッドの身なりを見るたびに口にするグシュナサフの癖だ。
こちらは黒髪に黒目の、地味な顔立ちの男だった。身なりも簡素で、いい意味でも悪い意味でも目立つバラッドと対比にあるような男である。
バラッドよりやや低い背丈だが、その分体つきががっしりしている。
悪口をかけあう二人をコロカントは眺めた。だいたいいつも彼らはやりあっていたけれど、険悪な雰囲気にはなる前にはやめていたから、これはもう挨拶のようなものだろうと思っている。
眺めていたコロカントの後ろから、まあまあ一体何です、いさめる口調の中年女オゥルの声がした。
「いい年した男がこんなところで口喧嘩ですか。ほんっとに毎度毎度、飽きませんね。いっそ感心しますよ。やりあうのは別に止めやしませんが、姫の前でやめてください。これじゃあ、悪い大人の見本市みたいなもんでしょうに」
「ああ、……、オゥル、ご無沙汰」
声に振り向き、赤毛の男が手を上げると、女は顔をしかめて鼻を鳴らした。
「ご無沙汰じゃあありませんよ。なに言ってるんですか。到着がすこしばかし早くはないですか」
「そうかな、」
「そうですよ。手紙には、近いうちに戻ると書かれていたじゃあありませんか。姫とも話してたんですよ。来週あたりになるのじゃあないかって。これじゃ、『近いうち』じゃなくって、『一両日中』って書くべきでしょうよ」
「……お前、そんなふうに書いたのか」
「だって姫に早く会いたかったんですよぅ」
呆れた顔の二名の視線を受けても、男は平然と、腕の中のコロカントの頭を嬉しそうに撫ぜながら答えた。ね、彼はそのまま彼女の目の中をのぞき込む。
のぞきこまれたので、お互いの目の色がよく見えた。男はコロカントのぶどう色の目がきれいだなぁとよく褒めるけれど、彼女は男の灰色の目がとてもきれいだなと思う。
「会いたかった、じゃあないですよ。こっちにも、用意ってもんがあるんです。寝るところは、まあ、そこいらに転がってもらうからいいとして、急に来られて、なにか食わせろって言ったって、今日は二人分っきりありませんし」
「えぇ、」
頭を撫ぜ、女の小言を適当にへらへら対応していたバラッドが、その言葉に眉尻を下げ、情けない顔になった。
「ええ、……、俺ら、飯抜きですか」
「さあ。どうですかね。こっちは忙しいんです。……ほら、洗濯物が濡れっちまう。そこの戸口のところをふさがれちゃあ、あたしは外に出られませんよ。どいてくださいな」
ぶっきらぼうにかえし、女は外へ出て行った。ええー。抗議の声を上げる男に、
「大丈夫ですよ」
コロカントは女の仕事を手伝おうと、彼の腕から抜け出しながら言った。
「オゥルは、ご飯作るのが上手だし、早いです。きっと、すぐ二人の分も作ってくれます」
それに、彼女は言い添える。
「それに、もし足りなかったら、わたしの分あるでしょう。わたしと、バラッドと、グシュナサフで、半分こしましょう」
「いえ、俺は、」
「わあ、ありがとうございます」
遠慮して首を振りかけたグシュナサフの横で、厚かましくバラッドは破顔した。途端にずうずうしい、文句と共に横から脇を小突かれている。
「……痛いって。なんだよ、」
「お前な、成長期の姫の飯を貰おうとするな」
「えぇー……、」
またやりあいはじめた二人の声を背に、くすくすと笑いながら、彼女は女を手伝うために籠を拾い上げ、女の後を追った。
数日は賑やかになりそうだ。
(20180908)