退屈な話をする。
大陸のひとはしに、その国はあった。
国、と一応地図には記されているものの、住んでいる人間は領だと認識していた。それほど小さかったのだ。
領主の住む館がひとつ、付随して町がひとつ。それから荘園と村がいくつか、たったそれだけの小領。
皇国エスタッドが大陸全土を平定してゆくよりも、百年ほどむかしの話だ。
ミランシアという名の領だった。
いまは無い。
数年前にほろんでいる。
のちの大陸史に「暗黒時代」と記載される、群雄割拠の時代である。どこも戦に明け暮れていた。
国の強さは、豊かさだ。産出される鉱石がどれだけのものかで、貧富の差が出た。
それから、住んでいる人間の数。人間の割合は、そのまま徴兵される数だ。
数は力だった。
ミランシア領に隣接する二領がある。ハブレストとセイゼルと言った。
「暗黒時代」の例に漏れず、この三領は領土を獲った獲られたの応酬に明け暮れていたが、国交を取りまとめ、なんとか友好休戦協定を結ぶまで漕ぎつける。
「戦にくたびれた」
三領どこかの領主が、そう言って協定を取りまとめたと記されているが、実のところは、じわじわ版図を広げる近隣の大国への対処だったと思われる。
矢は一本では折れるのだ。束ねなければ、強い力にあらがえない。
だから、束ねた。
訪れた平穏が一過性のものであることは、ほとんどの人間が判っていたが、それでもつかの間の休息は訪れた。
平穏は数年だった。「それ」は突然はじまった。
休戦協定をあっさりと「なかった」ことにして、ハブレストがミランシアに侵攻したのだ。送り込まれた内偵が、内から火を放ったのもいけなかった。
隙を衝かれたミランシアは二日ともたず、あっけないほど簡単に陥落した。
ごうごうと暗夜に燃えさかった館の周辺で、領主の関係者は次々と討ち取られていった。悲嘆が響き渡ったそうである。
ミランシアの形骸はなくなったが、ここで面白くないのは、ハブレストに勝手に協定を破られ、勝手に領土を拡大してゆくのを、してやられたと眺めていることしかできなかった三領の最後のひと領であるセイゼルである。
「ずるい」
持って回った言い方を取っ払えば、結局はその一言である。
自分勝手に協定を破って領土を拡大するのはずるい。
そこで、国内外へ向けて、ハブレストを遠回しに糾弾する声明を発した。
「協定は覆らず」
つまり、セイゼルはハブレストの暴挙を認めず、ミランシアとの友好関係を続けるとしたのである。
ただし、
「ミランシアの血をもって協定は継続する」
とした。つまり、ミランシアの領主の血筋を証明できるなにがしかが残っているのであれば、セイゼルはそれを支持するということだ。
領主一族の生き残り。
領主および第一、第二夫人の遺骸は館の焼け跡から見つかった。混乱のさなか逃がされた子供は全部で五人で、そのうち四人までは首の検分が済んでいる。
ひとり足りない。落ち延びたものと見える。
ハブレストは行方知れずの一児を、血眼になって探したようだ。
各地へ散ったミランシアの諸侯を、ひとり残らず屠ることは不可能だ。そうして、諸侯をたとえ鏖(みなごろし)にしたとしても、その土地に根付く領民がいる。何代にもわたってその土地に根付いた彼らは、亡びたミランシアを支持している。
生き残りを掲げ、ミランシアの残党とセイゼルが手を結べば、ハブレストにとって脅威になる。
「草の根を分けても探しだせ」
厳命だった。
厳命だったが、捜索に駆り出された末端の兵士に判るのは、生き残りは三歳の子供だという、ざっくりとしたそれだけの情報である。それで探せというのが土台無茶だ。
探しあぐねたハブレスト軍は、腹いせに百を超える数の三歳児を吊るしたそうだが、これはただ現地の反感と、周囲の国の非難を買うだけだった。墓穴である。
「数うちゃ当たるだろうから、きっとこの中にいる。いやいるに違いない」
これはもうやけくその域だったろう。
こうしてひとまず報告書上は、ミランシアに連なる人間は、ひとり残らず葬られたことになった。
ひとり残らず。
彼らは知らない。
深い森。
森の名はワールーン。
その森の奥に彼女は生きている。
籠によっつ分、山ぶどうを摘んだ。
「……すごい量ですね」
隣でひとつふたつと数えていた主が、あらためて積みあげた黒玉の量に目を丸くしている。多くなるだろうなと予想はしていたバラッドは、驚くと言うよりは呆れて、はあとこたえ、黒いつぶつぶの山をながめた。
自分でもここまでの量になるとは思っていなかった。
主の少女が、森に入って山ぶどうを集めるというので、付いてきたのだ。
歩いているうちにたまたま群生地を見つけた。
最初はわりと付き添い気分で見守るつもりだったのに、摘みはじめると興が乗った。摘み残して、獣にくれてやるのももったいない、だとかいう貧乏根性が湧いて出たのもある。集めているうちに彼の方が一生懸命になって、結果とんでもない量になった。
「困りましたねぇ」
言いながらたいして困っていない声が出る。
面白かったのだった。
あった、またあったと摘まむのが面白かった。子供のころ夢中になった宝探しを思い出した。
籠はずっしりと重い。ひとつをコロカントが、残りを彼が持っている。
「どうしたって、食べきれませんよね、これ」
しゃがみ込んだ彼女は山ぶどうをつつく。
やわらかな皮がすでに自重に耐えきれず、下の側からつぶれているのが判った。染みている。日持ちしないそれは、今日中にどうにかしてしまわないと、明日にはよくないにおいをはなちはじめるだろうと思う。
「そうですね、」
「今日の昼ごはんと夕ごはんと、明日の朝と昼と夜、みんなで頑張って食べたら、なくなるでしょうか」
「山ぶどうが飯ですか」
言われてすこし真面目に思案した。リスなら喜んで主食にしたと思うが、
「俺は肉が食いたいです」
「そうですよね……」
向かいで大真面目に少女が悩んでいるのがおかしい。バラッドは笑いながら、あまりたくさん食べると腹を下しますよと告げた。
「――帰って、煮詰めてみましょうか」
「これをですか」
「つぶして煮込んで、水分を飛ばして甕(かめ)に入れてしまいましょう」
そうするといつでもパンの上にのせて食べることができる。味気なくつましい食事でも、すこしはいろどりでましになるかもしれない。
バラッドが言うと、少女は嬉しそうな顔になった。わかりましたと頷いて立ち上がる。
――本当は、ぶどう酒も捨てがたいのだがな。
その後ろ姿についてゆきながら、彼は思う。
しかし彼女が酒を口にできるのはずっと先のことだ。
だったら、大人だけが楽しめる酒よりも、彼女の喜ぶジャムがいい、そのほうがずっといい、彼は顎を撫ぜふとそう思った。
……またこんなに集めてきて。
呆れる女の声を聞きながら、すまんすまんとバラッドは謝った。
悪ノリして、摘めるだけ摘んだのは自分だった。巻き添えで、少女が非難されてはかわいそうだと思う。
「どうせ、お前だろう」
暖炉前で木を削って何か作っていた同僚は、小言を食らい頭を掻く彼に、顔も上げずにそう言った。
「なにが、」
「量だ。姫は加減を知っている。消費量も考えず採れるだけ採ったのは、お前だろう」
「――それは、そうなんですけども」
口をとがらせて彼はこたえた。たしかに調子に乗ったのは自分で、少女をそそのかしたのも自分だ。女からぶうぶう言われるのも承知の上だったけれど、こうして知った顔でいる同僚の言葉だけはどうもむっとなる。
「だって、一生懸命集める姫の顔が可愛かったんですよぅ」
「お前の趣味嗜好にまでいちいち口をはさみたくないが、考えていることを口に出すな。気持ち悪い」
「悪かったですね」
主の少女のもとへ戻ると決まってうきうきと浮つくバラッドへ、グシュナサフは時に諫める言葉を口にする。同僚は、彼が少女へ忠心とは別のものを抱いていることを勘づいている風だった。
――度を過ぎるな。
釘を刺すのである。
(……判ってるよ)
肩をすくめて彼はおどけてみせた。
少女は大恩ある主君の娘。自分は主君の情けに拾われた一介の人間にすぎない。
(……でも、叶うはずがないからこそ、憧れたっていいだろう?)
裏を読む、だとか。顔色をうかがう、だとか。脅しを適度に交えながら飴をちらつかせて見せる、だとか。
この場所も、少女も、そうした汚いものとはまるで無関係だ。
それがバラッドには心地よく思えるし、ひどくうらやましい。
うらやましいからまぶしいのだ。
「バラッド、手伝ってください」
思いにふけかけた彼へ、大きな鉄鍋を抱えたコロカントがひょいと顔を出し、三階の階段上から呼びかけた。
「普段使わないからここにしまったんですけれど……、重くて、わたしひとりでは持てないの」
「わあ、今行きます」
慌てて彼は腰を上げる。鍋の大きさに、押さえている少女の体がゆらゆら揺れている。あの高さから転げ落ちるのは洒落にならないと思う。
「待っててくださいよ、姫は動かんといてください」
「はい」
言われた通りおとなしく彼を待つ少女のところへ、急ぎ階段を駆け上がりながら、そう言えばおとぎ話の姫君はみな高い塔の上に閉じ込められているな、だとかどうでもいいことをふと、思った。
大きな鉄鍋をよく洗い、その中に荒くつぶした山ぶどうと糖蜜を混ぜ合わせ、しばらく置いたのちに火にかける。
ぷつんぷつんと音をたて、表面の黒い粒粒が下からの熱にちいさくはじけては、気泡を散らして沈み込む。焦がさないように薪の量はいつもよりずっと少ない。はじける音と様子が面白かったらしく、少女がわくわくしたような顔で、鍋をのぞきこんでいた。
木べらを渡し、時々かきまぜるように指示すると、真剣な顔をして首を縦に振る。
焦がさないようかきまぜる、ただそれだけのことなのに、もっとひどく重い任務を請け負ったような風をして、それがまたバラッドにはおかしかった。
「そういえば」
へらを構え、山ぶどうジャムの表面をのぞきこむコロカントの背へ、軽い口調で彼は言った。
「明日、また『向こう』へ戻ります」
数日滞在してしまった。この森の外側とはまるで異なる時間の流れが心地よかった。なるたけ未練のない声で話せていたらいいが、そんな風に思う。
聞いた彼女がふり向いて男を見た。ジャムの表面を眺めるときとは別の目の色で、じっとバラッドの顔を眺めている。
この目は苦手だなと、彼は内心思う。この、年の割に大人びた、こちらの思惑を見透かしてくる目は苦手だ。
「グシュナサフも、いっしょにですか」
「彼も一緒に戻ります」
「――そうですか」
しばらく間を置いて、それから息をひとつ吐き、そっとコロカントがこたえた。
「静かになりますね」
さびしいだとか、自分も連れていってほしいだとか。少女は決して口に出さない。自分のわがままが、大人たちを困らせることを知っているからだ。
「また、じきに戻りますので」
「はい」
同じ年頃の遊び相手もいないこの森の奥で、退屈でないわけがない。だのに、バラッドの言葉にこっくり頷き、木べらを鍋に突っ込みかき混ぜる。
それが不憫だと彼は思う。
「――……今はまだ、無理ですが」
心なしか悄然としている少女を笑わせたくて、彼はことさら声を明るく張り上げた。
「もうすこし情勢が落ち着いたら、ちょっぴり遠出をしたいですねぇ」
「遠出、ですか……、」
聞いたコロカントが首を傾げる。
「遠出というのは」
「野掛けですかね。……まあ、野、じゃなくて町ですけど。いいですよ。町。人がいっぱいいて、店がいっぱいあって。お弁当持って、おやつも持って、出かけましょう」
「出かける」
「そう。オゥルは留守番してもらって、それで、姫と、俺と、グシュナサフで。ハナに乗って行くんです」
「ハナに」
「はい。姫は、馬の背に乗って駆けたことはありますか。早いですよ」
「ハナは大きいですけど、……でも、三人乗れるかしら」
「グシュナサフは歩かせましょう」
「おい」
少女と彼が山ぶどうを煮詰めるのを、遠巻きに黙って見ていたグシュナサフが、聞き捨てならないといった態で口をはさむ。
「お前が歩け」
「か弱い俺を歩かせたら死んじゃいますって」
「鍛えろ」
薄情な言葉に薄情な言葉で返されて、バラッドはええぇ、と泣きを入れた。
「……バラッドは、弱いのですか」
グシュナサフとバラッドの交互を眺めていた少女が、彼らの会話に訝しげな顔になって疑問を口にした。
「からきしです。物語に出てくる英雄とはちがいます」
「でも、……、お父上と一緒に戦に出た、騎士なのでしょう」
「――俺は、騎士ではないですよ」
聞かれて苦笑を浮かべながら、彼は首を振る。
「騎士ではないのですか」
「騎士ではないです」
「騎士になるのに、なにかきまりがあるのですか」
「それがね。あるんですよ。あのですね、騎士って言うのはですね。もっとこう、立派で、強くて、礼儀正しくて、そうして皆から彼こそがふさわしいと認められたものがなるんです」
「バラッドは」
「俺は、なりそこないですので」
「……なりそこない、」
はい。少女の言葉に彼は頷く。
「赤い頭じゃ、ダメなんですよ」
「……頭……、」
聞いた少女の目が、おのれの頭に移動するのを感じ、彼はがりがりと頭を掻いた。
「頭の色が赤いと、騎士になれないのですか」
「なれないんですよ。……戦場ってやつは、なにかと縁起だの、ツキだの、願掛けだの、気にしたりするんですね。鎧の留め具の紐の結び方にこだわるヤツとか。戦が終わるまでは髭を剃らないだとか。お守りがわりに女の毛を懐に入れるとか。わりといるんですよ。他人が聞くと、けったいに思える風習まで、信じてたりするんです。……、……まあ、運も味方のうち、だとか、信じるものはすくわれる、だとか言う言葉もあるくらいですから、あながち間違いじゃあないんでしょうけども」
「でも、それと赤いのと、なにか関係が」
「赤は、血の色ですので」
肩をすくめて告げると、ひゅ、と少女が息を吸った音が聞こえる。
「でも、そんな、」
「そうなんです。頭が赤い、血も赤い、だから赤い頭が陣営にいると血が流れる、流れたら負ける、だから不吉だ。――そういう理論ですね。参りますよ。こっちだって、好きで赤毛に生まれたわけじゃあないんですが」
「……、」
彼の言葉に、少女はうつむき、黙って鍋へ木べらを突っ込む。困っているようにも見えた。……参ったな、困らせるつもりはなかったんだが。
語りすぎたかと同僚を眺めれば、眉をしかめてこちらを睨んでいる。お前はひと言多い、あとでそんなように言われるのだろうなと思った。
しばらくそのままコロカントはぐるぐると鍋の中身をかき回し、そうして、
……でも。ぽつんと小さく呟いた。
「――え、」
彼は思わず聞き返す。
「でもわたしは、バラッドの髪の色、好きですよ。朝焼けと同じ色です。とてもきれいだと思います」
「ありがとうございます」
褒められ、おどけてバラッドは赤い頭を下げた。……朝焼けか。頭を下げていたので、口の端が皮肉に上げられたのを、少女に見られなくてよかったと思った。
たまさか表現した色が、その色だっただけだ。深意も意図もない。
だからバラッドは、彼女が、というよりも、彼女が発した言葉を、賞賛そのままに受け取れないひねくれたおのれの心根が、すくえないなと思った。
きれいだとせっかく言われているのに、素直に喜べないおのれが醜いなと思った。
心底厭になる。
戦場では、朝焼けは凶兆のしるしだ。
(20180914)