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 手を引かれて、男が熾していた火のそばに戻る。

火にかけた鉄鍋からは、くつくつと芋や肉の煮えるいい匂いがただよっていた。

 

「――ああよかった、焦げていなかった」

 荷物から新しい手布を出し、傷口に当てきつく縛ったあと、ふたを取り、木杓子を突っ込んで煮え具合をたしかめた男は、うん、と嬉しそうに頷いて、またふたを閉めた。

「さっき、さほど流れはないんですが、水が湧きだしている場所を見つけましてね。汲んでいたらちょっと向こうに、ウサギを見つけたんですよ。たまたま小刀を持っていたので、昔覚えた軽業の投げナイフの要領でね、投げたら運よく当たって」

 水を飲みに来ていたんですかねぇ。暢気に呟くバラッドは、まるで四年前の彼のようだ。少なくとも再会してからの慇懃な、ぎこちない彼とは違って饒舌だった。

促されるままに火の近くへ腰を下ろしたコロカントは、香草を刻みはじめる男に、

「手伝います」

声をかけた。

「いや、姫はそこで温まっていてくださって、」

「足は不自由でも、手は動きます。働かざるもの食うべからずです」

強引に手を差し出し、横から奪うようにして男の仕事を奪うと、一瞬呆気にとられた彼が、

「……変わらないなぁ」

 どこか安心したように薄く笑った。

「変わらないって、」

「自分の知ってる姫と同じで安心したってことですよ」

言って、それから彼女の隣で岩塩のかたまりを取り出し、削りはじめた。

 

 

 二人並んでうつむいて、もくもくと手を動かしていると、

「――さっきの」

 手元に目は落としたままで、バラッドが不意に思いだした態で口を開いた。

「さっき、?」

「さっきの話の続きですが」

 いきなり話を蒸しかえされて、コロカントには一瞬何の話か判らなくて瞬く

 その彼女の隣で、言いだしたもののいったん区切って、また男は口を噤む。うまい切り出し口を考えているようだった。

 刻んだ香草を男に渡し、じっとその続きの言葉を待つコロカントへちらりと視線をやって、男はひとつ嘆息した。

「あー。……本当はですね。こんなこと言うのは極まり悪いというか、自分のアホさ加減をもうほんと晒すだけなんで、できれば言いたくないんです。けど、……、姫は誤解されているようだし、そのままにしておくのも、まあ、どうかと思って」

「……、」

 香草と塩を鍋に放りながら男は言った。

「ええと、……つまりですね、姫は自分が怒ってるって仰ってましたけど、別に自分は怒っているわけではなくて……、ただ……、なんていうかですね、……あのう……想像力の欠如というか」

「欠如、……、」

口中で男の言葉をくり返す。何のことを指しているのか、まったく意味が判らない。

首をひねるコロカントの前で、男はぐるぐると鍋の中身をかき回し、それからうらめしそうに彼女を見上げた。

じっとり恨めしそうに眺められて、思わず顎を引いてしまう。

 

「……姫」

「は、はい」

「あのー……、こんなこと言って、自分は姫に軽蔑されませんかね」

「こんなことと言われても、わたしにはいったいバラッドがなにを言っているのか、さっぱりです」

正直に彼女が答えると、男はもう一度大きくはあ、と息を吐いた。そうして、暮れてきた空を見上げ、

「じゃあもうぶっちゃけて告白しますけど」

 覚悟を決めたように口を開く。言われてどき、と心臓が跳ねあがるのをコロカントは感じた。

予想はしていても、面と向かってお荷物だ、迷惑していると告げられるのはやはり辛いと思う。

「あのですね」

「はい」

 

「人間って大きくなるんだなあって」

 言った。

 

「あ……、は……、……え?」

 

 言葉は耳に入ったものの、一瞬なにを言われたのかが頭で理解できなくて、動きどころかコロカントは思考まで停止した。そのままゆっくりと顔を上げバラッドを眺めると、こちらの様子を窺っていた彼が、

「ですよねー」

 また嘆息した。

「呆れますか。呆れますよね。いやほんっと呆れるってのは理解してます。――でも、絶対お前は莫迦かって怒られるんで、頼みますからグシュナサフにだけは内緒にしてもらえると助かるんですが」

 勝手にそんなことまで言っている。

「つまりです。自分はアホすぎて、この四年のあいだに姫が成長してるっていうのがすっ飛んでいて、……、もうずっと、自分の中では、姫はお別れしたときのまま、小さな七つの姿だったです。……だから、大きくなられた姿を見たとき、えー、うわあどうしようって頭が真っ白になって」

「……、」

「……シワが増えるだの、頭が白くなるだの、ただ老けるだけでたいした変化はない自分が当たり前になってて、姫は成長するってことに思い至らないとかもう究極にアホです」

 言って男は顎を撫ぜた。ずっと前には、短く切りそろえられていた顎髭も、今は伸び放題で顔のほとんどが毛むくじゃらだ。

頭が赤いと、髭まで赤いのだな。思考停止したコロカントは、ふとそんなことを思った。

「本当はもっと、きりっと参上したかったですよ」

顎に手を置いたまま男は言った。

「それこそ、物語の騎士みたいに、颯爽と、涼しい顔で赤いマントをなびかせながらとか、ちょっと格好いいじゃあないですか」

 まあ、こんななりで颯爽も何もないんですけども。よれよれになったおのれを見下ろして男は苦く笑う。

「……でも、一度躓(つまづ)くと、もういけなかった。背負えば、前よりずっと手足が長くなってるし、馬に乗れば、自分が覚えているよりも頭がずいぶん高いところにあるしで、もう、うわあどうしよう、のしっぱなしなわけです。手綱を握る手も、声も、ああ、姫はこんなに大きくなられたんだなと」

 そこまで話して、男はすう、と一息入れて彼女を真正面から見た。

「その大きくなられる間、四年。自分はお傍にいられなかった」

 不意に緑灰色の目にじっと見つめられて、なぜかもう一度コロカントの心臓が跳ねる。落ち着かせるように拳を軽く握り、彼女は男を見返した。四年ぶりにまっすぐに向けられた眼差しを、逃したくないと思った。

「あの狭い部屋で、不自由を強いられて、――どんな思いであなたがひとりで大きくなったのかと思うと、俺は自分が許せなくて」

 男の緑の目が焦れる。

 

 それは奇妙ないっときだった。

 こんなに長い間、誰かと見つめ合ったことがあるだろうかと、彼女が思えるいっときだった。

 実際は、視線を交わしたままただ黙っていられる時間というのも、そう長くはないだろうから、見つめ合っていたのはほんの数呼吸のことだったのだろうと思う。けれど、それはあとでひとりになったときにコロカントが考えたことで、その瞬間は本気で時が止まったように思った。

「でも……、来てくれたでしょう」

 魅入られたまま開いたコロカントの口からは、自分のものとは思えない掠れた声が出る。

「あなたも、グシュナサフも。物語の騎士と同じ。助けに来てくれたもの」

「いえ、自分は、」

「――こんなになってまで」

 言ってコロカントは隣に座る男の爪のはがされた手を取る。そのまま押し頂くように額に当てた。

「姫、」

「わたしは、この尊い手だけで十分です」

「姫……、いやあの手が汚れるってさっきも、」

 うろたえた声を出し、垢で黒ずんだ手を引こうとする男の手をしっかり握って、汚れません、と彼女は語調を強くした。この行き場のない憤りが男に届けばよいと思った。

「わたしも言ったはずです。汚れません。こんなになって助けにきてくれたのに、どうしてあなたは自分を責めるの」

 男は困惑し、口を開きかけ、また閉じる。

「『何も悪くない』。あなたはさっき、そんなふうにわたしに言ってくれました。だったら、バラッドだって一緒です。何も悪くない。そうでしょう?……あなたはあなたの最善を尽くして、助けに来てくれた。わたしも、バラッドも、きっと仕方がなかったんです。そこに良いも悪いもない」

「……、」

 

 ぱちん。

小枝の爆ぜるわりと大きな音に驚いて、コロカントが一瞬バラッドから目をやると、そこでいましめが解けたように男がゆるゆる肩の力を抜き、はあ、と息を漏らした。

 もう一度男に視線を戻した彼女は、彼が苦笑を浮かべながらうつむいていることに気がつく。

「バラッド、」

「厭ですねぇ。お互いに謝ってばっかりで、話がちっとも先へ進まない」

「……そうね、……そうだわ」

 たしかに先刻から互いに謝ってばかりだ。言われてふとおかしくなったコロカント自身からも、ふふふと笑いがこぼれた。

 

 笑う彼女の手の中から、さりげなくバラッドの手が抜けてゆき、そのまま彼は鉄鍋を火からおろし、焚火に土をかぶせ始める。ひと晩点けたままで暖を取ることができたら、野外の寝床もずいぶんましに思えるけれど、火も煙も遠目からよく目立つ。とくに夜が濃くなってくると、良い意味でも悪い意味でも目印になりやすい。

 

「――ずっと、お会いしたかったですよ」

 バラッドがまた口を開いた。

 火を消し、宵暗がりに沈んだ男の表情は、木立の影も相まって窺(うかが)えない。それでも気配で、男がこちらを向いていることが判る。

「会ったら、話したいことがたくさんあったです。あったはずなんですが、……、その、さっき言った通り、姫が成長されていて、びっくりしたらみな吹っ飛んでしまって」

「まあ、もったいない」

 聞きたかったのに。こぼれた小さな彼女の不満に、男がすみませんとまた苦笑した。

 苦笑しながら、男は暗がりの中で鍋から器に盛りつけて、湯気の立つ汁物を彼女の前へ差し出す。器用なものだと思った。

……もしかしたら見えているのかも。

コロカントにとって不思議な特技をいくつも持っている男なら、ないと言いきれないとも思う。

「バラッド」

「はい」

「次は、忘れないように思いついたらすぐ、口に出してくださいね」

「そうですね、そうします」

 器を受け取り、冷えた掌を温めながら彼女が告げると、男が生真面目な声で正して返す。

 

 そうしてなんとなく沈黙が広がって、互いに並んだまま、手の中の汁物をすすっていると、ああそうだ、とバラッドが不意に思いついたような声を出した。

「ええとその、思いついたから忘れないうちに言うだけで、別にたいしたことじゃあないんです」

「はい……、?」

「いやもう本当にくだらないことなんですが。……つまりです、……、――月がきれいだなあって」

 ぽつんと呟く彼の声に誘われてコロカントが仰ぐと、東の空をだいぶ上ったあたりに白く光る月が見えた。この形だと十三夜かな。見上げて思う。

そうですね、頷きながら彼女は応えた。

「とてもきれいです」

 コロカントの言葉を聞いて、男がふ、とちいさく息を吐く音が聞こえた。

ひと呼吸おいて、それが吐息ではなく男がやわらかく笑ったのだということに、彼女は気がついた。

そうして気配でなんとなく理解する。バラッドは月でなく自分の方を向いている。

月のことを持ち出しながら、男はどうして上を見るでなく自分の方を見ているのだろうとコロカントは不思議に思う。

 

 

 

最終更新:2019年02月24日 00:41