あのあと、男に言いつけられた通り街道を進んだのだった。
体の動きが思い通りにならないのか、半分以上、男はコロカントにもたれて、結果背負うような形になった。荒い息を吐く男は、体の動きが思いのままにならないのか、鞍の上で位置を変えようとして変えそこね、
――すみません。すみません。
ひたすら彼女に恐縮していた。
……やめてください。いいんです、こんな時までわたしに気を使わなくていいんです。
怒った声で答えた気がする。
泣きわめいて誰かに助けを求めたかったけれど、求める相手はどこにもいなかった。
自力でなんとかするしかなかった。なんとかしなければ、そう思う。
(……わたしは助けてもらったんだもの、助けてもらうばっかりではいけないもの)
もたれてくる男は熱かった。
花冷えというにはまだ早い春の寒風の中で、人肌のぬくもりは本当ならば心地よく温かなものであるだろうに、男の触れている肌は温かというよりははっきりと熱くて、不快なほどじりじりとした。
火傷をしそうだと思った。
不愉快なのに、その熱が続くあいだは男がとりあえず生きている証のように思えて、コロカントはほっとした。
街道であったから、少ないながらも行き交う旅人の姿はある。
ぐったりと意識のない男と、半べそ顔で手綱を握る少女に、じろじろと好奇の目を向けてきて、これは悪目立ちしているだろうなとコロカントはすぐに気付いたけれど、どうすることもできなかった。
ただ、追手に見つかりませんようにと祈りながら進んだだけだ。
半日ほどそのまま進んで、宿場にたどりついた。
宿の裏手の馬留に回ると、聡いハナが足を折り、鞍高を低くしてくれたので、そう苦労なくコロカントは馬を下りることができた。
つられて男がぐらりと傾いで、とっさに彼女は受け止めようとする。けれど腕で抱えたものの、男の自重を受け止めきれるはずはなくて、結局潰れるように尻もちをついた。
ど、とそこそこ強くずり落ちる形になって、男が呻き、慌ててコロカントは男の顔を覗きこむ。
体はやはり熱かった。
「大丈夫ですか。バラッド。……しっかり、しっかりしてください、」
「……ああ、……、すみません、……すみませ……、」
お手数をおかけしましただとか、ひとりで立てますだとか、不明瞭な言葉を口中で呟いて、男は立ち上がろうともがく。
膝を立て、その膝に腕を置いて立ち上がりかけ、ずるり。崩れてそのまま地面に顔から突っ込んだ。
「……バラッド!」
驚いたコロカントが小さく悲鳴を上げかけると、ああ、と悲鳴に気を取り戻した男が、また緩慢な動作で体を起こしかけ、けれどそのまま唸るようにして頭を抱え、うずくまってしまった。
すみません、大丈夫です、すぐ動きますから、……、すみません。
そう言いながら今度は動かない。
このままでは駄目だとコロカントは悟った。動かないのでなく、男はもう動けない。
半泣きのまま、うずくまった男を置いて、コロカントは足を引きずりながら宿の出入り口へ向かった。
人手を借りようと思ったのだ。
速度としては、ほとんど走る、とは言えない速さだったかもしれないけれど、気持ちは急いて彼女は懸命に宿を目指した。
半開きの木戸をくぐると、中はむっと煙草だの、肉を焼く煙だの、そうして人いきれで充満していた。
もうもうとしていたし、設けられたランプに十分な明るさはない。
折しも夕暮れどきであったので、ひと晩の寝床を求める疲れた男たちがコロカントの脇を行き来し、戸をくぐり、思わず足を止めてしまった彼女へ、おっと悪いな。悪気はなかったのだろうがすれ違いざまに軽くぶつかった。
ぶつかったはずみに踏ん張りの利かない彼女はよろめいて、
「……ちょっと」
入り口脇の椅子に腰を下ろし、食事中だったらしい他の泊り客の膝の上に転げてしまう。
「――ごめんなさい!ご、ごめんなさい」
身を起こし、焦って謝ったコロカントは、気を付けなと追いかけた声が、おのれの方へ向けられていないことに気がついた。
見上げると、倒れ込んだ泊り客は女だと判った。
女は戸口を見ており、今の声もそちらへ放られたもののようだ。そうして戸口からすぐにコロカントの顔へ目を戻し、乱暴な男だねと誰に言うでもなく言った。
ぶっきらぼうな物言いだったけれど、険はない。
「ああいうのは駄目だね。モテない。親切心がなってない」
「あ、あの」
「あんた、あれかい。いまので足でも挫(くじ)いたの」
「……いえ、その。大丈夫です、……、」
踏ん張りがきかず倒れ込んだのを心配してくれたらしい。コロカントは小さく首を振った。広い意味なら怪我をしているともいえるけれど。
すると、……ああ、悪いね、察したらしい女が頷いた。
「足萎えかい。聞いて悪かったね。だとしたら、連れがいるんだろ?あんたのその年じゃあ、おっとさんかおっかさんか、……、」
「連れ、」
連れの言葉で思いだし、コロカントは飛び上がった。
……こうしている場合じゃあなかった。
まろび立ち上がり、
「あの、」
彼女の慌てた様子に、軽く驚きの目を張った女へ、無礼を承知でたずねた。
「宿を、……、ええと、ひと晩、……もしかしたらもっと……、ここに泊まりたいんです。その、いったいどこでお願いすれば、」
「泊まるって、……。そりゃここは宿だし、部屋は空いてるだろうけど……あんたが部屋をとるの?とって来いって言われたの?」
「わたしでは無理ですか」
「いや、できるよ。できると思うけど。でも、……、あんたの連れは?」
「一緒に来た人は、その、いるんですが、とても具合が悪くて、」
訝しみ、推し量るようにして目を細めた女へ、胸の前で手を揉むようにしてコロカントは言った。
宿の人間はあそこにいるけどさ、女が顎で指し示した先へつられて彼女も目をやって、そこに退屈そうな顔でカウンターに立つ小太りの中年男を見止める。
「ありがとうございます」
「あ、ちょっと、」
まだ何か言いたそうな女の声を背に受けながら、彼女は次に教えられたカウンターへ不器用に走った。
カウンターの高さは、大人の胸のあたり、コロカントからしてみれば鼻の高さで、
「あの、……!」
せいいっぱい背伸びをしながら、そのぶ厚い板越し向こうに見える宿の親父へ声をかける。
生あくびを噛み殺し、早くも泥酔し小競り合いを始めた暖炉前の客どもを厄介そうに眺めていた男は、うん、と胡乱な視線をコロカントへ向け直した。
「……なんだァ、どこのガキだ」
あっちへ行け。しっしと犬猫を追い払う態で睨まれたが、
「泊まりたいんです」
怯まずに彼女は言い返した。
「――あ?」
「ここは泊まれる場所なのでしょう。どうか部屋を貸してください」
言いながら、まるで見知らぬ人間と会話をすることが、そう言えば初めてなのだとコロカントは気がついた。今まで彼女は限られたたいそう狭い世界にいて、言葉を交わす人間の数も両手に収まるほどにしかなかったのだ。
気後れしそうだった。けれどここで気圧されて、結局宿が取れないだとか、役に立たないにもほどがあると思う。
(わたしがなんとかしないと)
裏手でバラッドはうずくまって待っている。
「……てめぇが?ひとりで?」
睨みをきかせても怯まない彼女を、不審味たっぷりの目でじろじろ眺めた親父は、それからようやく口を開いた。
「いえ、わたしと、……ええと、もうひとりいるんです、」
「ふん、」
胡散臭そうに鼻を鳴らし、そうして宿の男は唐突にぐいと太い腕を伸ばし、彼女の前に手を差し出す。
「……あの、」
突き出された手の意味が判らなくて、コロカントは思わずぽかんとし、次いでおろおろとした。
「金は」
「え、?」
「前払いだよ。金を出しな」
要領の悪い彼女に男は舌打ちし、ほら、とさらに手を広げて催促する。
「ひとりなら七十五。二人で二百」
(……お金、)
言われてようやく男の挙動を理解し、けれどもちろん彼女に持ち合わせがあるわけはない。
(お金)
知識はあった。ただ、森に住んでいた時分、そうして虜囚の時分、金というものに触れないで生活していた。
暮らしていくうえで、実際は必要だったのだろうが、周りがそれらをやり取りしてくれていたから、だからいま、宿に泊まるにも持ち合わせが必要だということに思い当たらなかった。
(……そうか、お金がいるんだ)
「なんだあ、持ってねぇのか。だったらとっとと出て行きな」
物乞いか乞食なら叩っき出すぞ。吐き棄てる調子の男へ、
「あの、お金、あります。……あると思うんですが、その、今なくて」
「はああ?」
からかってんのかてめぇ。男の声に不穏な色がまじった。のっそりと身動きし、その剣呑さに、コロカントが後退(あとずさ)ったところへ、
「――二百だな」
不意に背後から声がかけられて、コロカントは驚いて振り向く。店の親父の視線も、その声の主へ流れた。
だん、と荒々しい音を立てて、白貨がカウンターに置かれる。
「グ、」
「なんだよてめぇがこいつの連れか」
「いや。……、……、だが、まあ、連れか」
「――グシュナサフ!」
見知った顔にコロカントは声を上げ、思わず体に飛びついた。姫、と低く応えなんなく彼女を受け止めた男は、目先は親父に向けたまま、言いかける勢いを封じるように三人で二百、と圧をかけた。
「ああ?」
「三人で二百。ここいらじゃそれが真っ当な線だ」
「真っ当だあ?……知らねぇよ」
さすがに相手は海千山千だった。唐突に現れた助太刀の眼圧にもひるまず、親父はせせら笑う。
「ここは俺の宿だ。宿賃は俺が決める。気にくわねぇなら野宿しな」
「――なるほど」
はらはら眺めるコロカントの前で、グシュナサフが白貨の上に紙幣を二枚無造作に重ね、
「ではこれで手を打て」
「せ、」
せん。提示された大金に、親父が絶句する。
相場で言うなら二百でも相当吹っ掛けてはあるのだ。その数倍を軽くぽんと出されたのだから、目も丸くなる。
「小部屋を借りるぞ。飯もそこへ運んでもらう。……大部屋は鼾がうるさいからな」
いいな。唖然としたままの親父へ、釘を刺し、そうしてグシュナサフはやりとりを見守るしかなかったコロカントへ、ようやく視線を向ける。
「グシュナサフ」
「お久しぶりにございます。積もる挨拶が山とありますが、一旦置きます。……これはどういうことですか。どうしてあなたがひとりでいるんです。あなたをここへやって、あいつはいったい何をしているんですか」
「グシュナサフ、」
頼ってもいい人間がやっと目の前に現れて、いけないと思いながらコロカントの目にじわ、と涙が滲む。気を緩めては駄目だと思った。大声で泣いてしまいそうだった。
その彼女の背後に誰かの気配を感じる。振り仰ぐと先ごろ迷惑をかけた女のものだった。
「――子供連れの赤毛の男が寄ったら、教えてくれって頼まれてたのさ」
コロカントの視線を受けて小さな声で女は言った。
「赤毛が一緒に見えなかったから、ちょっと気づくのが遅れたけど」
追手はグシュナサフの顔も認知している。だからどこか別のところにいたのだろう。
塔を出てから数日、このあたりでおそらく宿をとると踏んで、グシュナサフは女に見張りを頼んだ。そうして女が風変わりな子供に気づいて、彼に知らせたのだ。
「何かあったんですね」
気遣う顔になってグシュナサフが問う。はい、と応えて彼女は鼻をすすりごしごしと目を擦った。
(泣いてる場合じゃない)
そう思った。
(泣くのはもっとずっとあとでいい、)
「バラッドの具合がおかしいんです。熱くて、苦しそうで、もう、わたしではどうしようもないの」
「どこに」
「裏手です。馬留のところに、ハナと」
聞いた男が頷き、さっと踵を返した。そのまま大股で宿の出入り口へと向かう。
「あ、」
慌てて彼女も続こうとしたその背中へ、絡む二、三人の姿がある。
――なぁ兄弟。
呂律の回らない口ぶりで、しなだれかかり、肩に手を回す。息を飲み足を止めたコロカントには、その酔漢どもの動きが、親しみのこもったそれではないことが見て取れた。
――ずいぶん羽振りがいいじゃあねぇか。
荒稼ぎでもしたのかい。こっちにもすこし回してくれよ。なにここの支払いだけでいいんだ。
ばんばんと肩を叩き、ただしまなこはまるで笑っていなかった。ぎらぎらと獲物を見定める目になっている。
今しがたの店の親父とのやりとりを見られたのだろうと思った。
「大丈夫よ」
(あのひとたちはきっと悪いひとだ)
どうしよう。
こわばった彼女の肩を、気さくにぽんぽんと叩いて宥める女の手がある。
「……詳しい事情は知らないけどさ。大丈夫。あのひと、強そうだよ」
言っている二人の目の前で、グシュナサフの懐をぶしつけに探ろうとした酔漢のひとりが悲鳴を上げた。ひとひねりに腕をねじり上げられたのだ。そのままごきり、と鈍い音が鳴る。
今のは簡単に肩が外れた音なのだと、コロカントは遅れて気がついた。
「失せろ」
ぎゃああ。外された肩を押さえ喚く男とその連れを一瞥して、グシュナサフは顎をしゃくる。
「ほら」
言ったでしょ。含み笑いと共に女の吐息が耳元にかかる。はい、と必死に頷いて、コロカントは足早に戸口を出て行ってしまった男の背中を追いかけることに集中した。
ふわふわする。
いちどきに色々ありすぎて、なんだか夢を見ているようだと思った。
馬留に回ると、コロカントがここを後にしたときと同じ姿勢で、バラッドがうずくまっていた。思わし気に馬が鼻づらを押し当てるが、男は動かない。
「……お前、」
傍に寄り、男の体をざっと眺めまわしたグシュナサフが顔を曇らせたのを、追い付いたコロカントは見止めた。おどけてくるくると表情を変えてみせる男と違って、森にいた当時からグシュナサフは表情の変化に乏しかった。不愛想というよりは、単純に不器用だからとも思えたけれど、つまり、そのグシュナサフが憂うるということは、男の具合が思ったよりずっとよくないということなのだろう。
不安で胸が痛くなる。
「……このひと、」
同じようについてきた女が息を飲む。このひと、死んでるの?
「――いや、」
首を振り、グシュナサフはバラッドの脇に手を差し込んだ。相手の腕をおのれの首に回し、しこたま飲んだ酔っ払いを支える要領で立たせようとする。
「ここで手当ては無理だな。……部屋に運ぶ」
「……ああ、……、どうもすみませ、」
「おい。重い。立て」
グシュナサフだと気づいているのかいないのか、熱に浮かされうわ言のようなバラッドの口ぶりに、返した彼の口調はぶっきらぼうだが、その動作は丁寧だ。
「あれ、」
そこでようやくおのれを支えているのが見知った顔だと気がついたようで、男は顔を上げ、とろんとした目をグシュナサフへ向けた。
「あれ。あんたですか。……、……、……。おかしいな?なんであんたがこんなところにいるのかな」
「どうでもいい。おら、歩け」
「……はあ。そうしたいのは山々なんですが、どうも、体が、……うまく言うことを聞かなくて、」
「歩け。男を抱きかかえる趣味はない」
「ええー、……つれないなぁ、……、抱きかかえてくださいよ?お姫さま抱っこ。あんた、俺を助けに参上したんでしょう」
「言ってろ」
喉奥でくつくつ笑った男が、ゆらゆらと揺れはじめる。
「おい、」
結局そのまま膝からぐにゃりと崩れ落ち、グシュナサフに受け止められた。気を飛ばしたらしい。
ち。舌打ちしたグシュナサフは、諦めて大きく息を吐き、糸の切れたような男を膝裏からすくい上げ、抱えると、
「湯を頼む」
コロカントに並んで立つ女へ目をやってぼそりと呟き、そうして宿へ取って返した。
二階へ運ぶ際、男のあまりの身汚さと臭いに仰天した宿の親父が、一瞬追いすがりかけたが、グシュナサフが一瞥すると渋々下がった。
先の金が効いたらしい。
「ああ――、これは大部屋でもよかったな」
男を抱え、階段を上がりながら、グシュナサフが口元を歪めた。笑ったのだということはしばらくしてから気がついた。
「え、」
聞き返すコロカントに、
「……いえ、このにおいなら、相部屋の相手が逃げ出して、結局個室になったかなと」
無駄金だったか。言っているその目にあまり真剣みはない。ふざけているのだ。
「姿を隠しながら進む方に必死で、身綺麗にする余裕がなかったって言うのは判ります。判りますよ。――、でも、だからって、もうちっとぐらい小奇麗にすることもできたはずだ」
「……、」
「こいつは、ちょっと、こう、……、一途というよりは視野狭窄というか……、器用なんだか不器用なんだかよく判らんやつですね。まあ、阿呆なんだな、たぶん」
「それは、」
「限度ってもんがあるでしょう。くさい。これじゃあ、一緒にいる姫が病気になります」
そう言いながら、グシュナサフはたどり着いた部屋の戸を開けた。
寝台に意識のない体を横たえ、グシュナサフがあらためてバラッドの体をしらべ始める。
膿んだ男の左腕は、えらく腫れて袖口をまくりあげることができず、小刀で切り裂いた。
あらわになった傷口を覗きこみ、コロカントは束の間目を閉じた。
まったくひどい傷口だった。
襲撃された際の、ぶつぶつと深めに獣の牙が突き立てられ、出血していた患部は、膿み、だいだいと緑に変色し、腐臭を放っていた。人の肌の色ではないと思った。
「毒素が体に回ったな」
傷口へ酒をかけ、膿んだ皮膚が破れるのもいとわず、ごしごしと汚れを拭いながら男が言う。
「どうせ見栄でも張って、たいしたことないだとかで、ろくろく手当もしなかったんだろう」
「――お湯貰って来たけど。あとなにか、やる」
部屋にまで付いてきた女が、消毒するグシュナサフに声をかけた。ちらとその声に顔を上げ、ああ、眉間に皺を寄せて彼が返す。
「手伝いの手はありがたいが、あんたへの頼み事は終わっただろう。駄賃はもう渡した。湯を置いていってくれ」
「まあ、そうなんだけどさ。……なんて言うの?お節介?」
「お節介か」
「困ってるひとを見たら、見捨てられないでしょ」
「――建前はな」
「まあ、そうよね。きれいごとだわね。じゃあ言うけど、あたし、そのひと知ってるのよね」
「知っている、」
「知ってるっていうとちょっと違うかな、……何度か、ほら、つまり……、……、寝た?」
「ふん、」
寝た、の瞬間、グシュナサフと女の双方から、意味ありげな視線をちらと流されて、コロカントは面食らう。
寝た、とそのまま口の中でくり返して首を傾げた。
意味が判らない。
「惚れたか」
「莫迦だね。そういうんじゃあないの。でもさ、縁があって知り合った人間が死にかけてるのそのままにしちゃあ、いろいろと夢見が悪いだろ。気になるし」
「そういうもんかな」
「そういうもんよ。だから手伝わせなさいよ」
「そうか、」
それ以上の追及をやめたらしいグシュナサフは、ひとつ息を吐くと、じゃあこいつを押さえてくれ。そう言った。
「押さえる、」
「ものすごい力で跳ねるからな。合図したら、力いっぱい、全力で押さえてくれ」
「判った」
女は頷き、寝台の上に乗り上げる。男をまたぐ態になり、それから伸び放題に伸び、ほつれた髭だか髪だか判らない赤毛に手を伸ばした。
――まったくねぇ。
哀れむような慈しむような声が聞こえた気がした。黙りこくったままコロカントは女の顔に目を向ける。
やさしい顔をしていると思った。
「目が悪くなるって言ったのに。伸ばしっぱなし。しかたない男だねぇ」
そっと赤毛をかき分ける様子に、どう言うわけだかコロカントの胸がざわつく。
……あれ。
戸惑った。
……なんだろう、これ。
ごしごしと胃の腑のあたりを上から擦る。しばらくざわつきは消えなかった。