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 ちく。

布に針先がつと沈み、顔を出す。

ちく。

生地を動かしまた針を沈め、わずかな先から顔を出す。

ちく。

変わりばえのしない反復運動にすがるようにして、少女は必死に針の先端を睨み、繕っている。言葉はない。

その姿と向かい合い、さてどうしたもんかとグシュナサフは息を吐いた。

うまい慰めのかけかたを、彼は知らない。

 

宿場で見かけた元同僚は、まったくひどい状態だった。

まず自身の足で歩けない。どころか意識も朦朧として、一応の受け答えはあるものの、どこまで判断力があるものやら、杳(よう)として知れない。ここまで馬に乗ってきたらしいが、たどり着いたのが不思議なくらいだ。

少女にたずねると、朝方までは会話ができていたということだったから、急激に悪化したということになる。

よくない兆候だった。

馬留で治療をおっぱじめるわけにもいかない。しようがなしに部屋まで運んだ。抱えあげた同僚の体は、垢じみて、臭くて、目が染みた。

そうして猛烈に熱かった。

一段ずつ階段を踏みしめながら、無性に腹が立って仕方がなかった。お前、もうちょっとなんとか器用にできなかったのか、とかそう言うたぐいの。

 

床へ横たえ、上着を引きはがす。腕が根元から腫れあがりどうしたって袖が抜けないので、小刀で切り裂いた。

放り投げた上着を緊張しきった面持ちの少女が拾い上げ、そこで一瞬、この彼女の前でいまから患部の手当てをするのか、してもよいものかと思い煩ったが、部屋の外に出すわけにもいかない。

しかたなく、壁際に寄るように指示して、グシュナサフはバラッドへ向き直った。

 

傷口をあらため、ぱんぱんに膨れた箇所へ小刀を当て無感動に引く。ぶつ、と生き物の皮の切り破ける音と共に、血膿がしぶいた。凝り固まったそれは、血というには黒かった。

顔にいくらか跳ね、しかめる。慣れているとはいえ不快だ。

何度も腕を扱きあげ、あらかた血膿を出し終えると、階下に一度降りて食堂の暖炉の火箸を手に取る。そうして戻ると、かんかんに焼けたそいつを、腕の傷口に押し当てた。

途端意識のないはずの同僚の体が大きくうねる。

勢い、上に圧し掛かり怪我人を保定していたはずの女が、振り落とされた。

莫迦野郎。思わず苛立った声が出る。きちんと押さえていろと言っただろう。

半分は八つ当たりだ。

言いながらグシュナサフ自身も、全力で同僚を押さえにかかる。大の大人が二人がかりで押さえつけても、バラッドはなんとか逃れようと無意識にもがき、身をよじり、呻いた。

グシュナサフにも覚えがある。傷口を焼くこの痛みは熾烈だった。痛いのだから、いっそさっさと気絶してしまえればどれほど楽かと思うのに、どう言うわけだか頭の芯だけはっきりと冴えて、前後不覚に落ちることもできないのだ。

厭だなと思った。戦場で何百と聞いた、だが決して慣れることのない、本能をじりじりと炙る原始的な呻吟。

耳にこびりつく吃音。

――……これを聞いているのか。

苦々しい気持ちで胸がいっぱいになった。

壁際で、誰にしがみつくこともできずに、ただ一人。目を見開いたきり、まんじりともせずコロカントはいるに違いない。

 

苦鳴を上げていた体がとうとう限界を超えたのか、押さえつけたバラッドの喉奥からく、く、と笛の音のような音が漏れ、次いでぐたと弛緩する。

「……おい!」

 思わず声が漏れ、脈を確認し、首の下へ折り畳んだ荷物を当てがって、気道を確保した。

「……死ぬの」

 全力で押さえ込み、汗みずくになった女がおそるおそるグシュナサフへ問う。いいや、と彼は首を振り、同じように滴る汗を乱雑に拭った。

「気絶しただけだ」

「そう」

 頷いて女は寝台から滑り降り、だいぶん冷めてしまった桶の湯で手拭いを絞ると、

「はい」

 グシュナサフへ差し出した。

「顔、ひどいよ」

「……、ああ」

 血膿まみれだと言いたかったのだろう。受けとり顔を拭うと、すこしはましな気持ちになった。

「このひとも拭いていい」

「ああ」

 聞かれてまた頷く。

「拭くって言うよか、たわしで擦りたいところだけど……、まあ気持ちの問題だね」

 小さく笑って女がバラッドの顔や手足を拭いはじめる。

 その女を横目に入れながら、グシュナサフはがりがりと頭を掻き、壁際で大人しくしていたコロカントに向き合った。

 

 おびえ、小さく縮こまっているかと思った彼女は、グシュナサフの意に反して黙々と手を動かしていた。

切り裂かれた上着を膝の上に乗せて、繕っていたのだ。

 縫い目を親の仇のように睨みつけ、への字に口を縛って、一心不乱に針先だけを見つめている。

 ――困ったな。

 本気でとまどった。

 雑菌が入り、ただれた患部の手当ての仕方は知っていても、泣くのをこらえ、むきになって繕いものに向かう少女を、どう慰めていいのかは知らない。

 毛を逆立てた子猫だなと思う。不用意に近づけば、ますます警戒されてしまう。

助け舟を求めるように思わず女へ視線をやったが、肩をすくめられてしまった。あたしは部外者だし、事情知らないし。女は言う。

自分でどうにかしろということらしい。

 

「……姫、」

 しばらく逡巡したのち、グシュナサフは口を開いた。

「腹減っていませんか」

「いません」

 打つように答えが返ってきた。固い声だ。

「水、飲みますか」

「いりません。……おかまいなく。わたしは大丈夫です」

 またかぶりを振られる。

「……」

 参った。彼は頬を掻く。気落ちした溜め息しか出ない。

きっと本当は、安心させてやれる言葉をかけてやるのがよいのだ。あとは寝ていれば治りますよだとか、もう心配はいりませんだとか。

だが、あの、人間の口が発しているとは思えない苦痛の声を聞き、手足をばたつかせ痙攣する一部始終見ていた彼女へ、安っぽい慰めの言葉はかえって逆効果だと思えた。

溜息をついて横に座る。

 同じように押し黙ると、階下の喧騒が、いやに大きく聞こえるような気がした。

 しばらくそのまま耳を澄ます。

 酔っぱらった客の上げる胴間声、いさかいのやりとり、けたたましい酌婦の嬌声、皿やジョッキの打ち鳴らされる音、合間を縫って聞こえる流しの歌うたいの弦。

 弦の音で連想し、グシュナサフがバラッドへ目を流すと、やはり連想したらしい少女が、彼をちらと見た。

 それからゆっくりとグシュナサフの方を見やり、また上着へ目を落とす。切り裂いた箇所はあらかた繕われていた。

 

「……もう一度聞きたい歌があります」

 そうしてずいぶん長い間、階下の演奏を聞いていたコロカントが、静かに口を開いた。

 窓の外の夜は、いつの間にかだいぶ更けている。

「歌」

「はい。わたしも一度しか聞いたことがなくて、……、それも途中までしか聞いていないので、ほとんど知らないんです。森の奥で、不思議な娘に会った樵の歌です」

「はい」

「不思議な娘に会って樵は恋をして……、恋をして、そうして、森から連れ出そうとするのですね。でも、娘は森から離れては生きていけなくて、……、……、そこまでしか聞いたことがないんです。続きを知らないの。最後はどうなったんだろうって思っていました」

「……、」

「そうして、おかしな話ですが、塔(あそこ)にいたあいだ、頭に回っていた歌は、ずっと同じ。その知らない歌だけだったんです」

「……、」

「続きを知りたかった」

 ずっと、言ってコロカントはあらためて顔を上げ、ぐったりと寝台に沈むバラッドを目に入れる。

 透明な目の色をしていた。

 なにもかも受け入れ、諦めた、透明な目の色をしている。

 さびしい色だと思った。

 その色を見たときに、ああ、と不意にグシュナサフへ腹に落ちる感情があった。同じように同僚へ目をやる。

 ……お前、この物分かりの良さをどうにかしたくて、ばたばた足搔いていたのか。

「歌の娘と同じです。わたしは森を出てはいけなかった」

 コロカントは続ける。

「森で、誰ともかかわらずに生きていけばよかったんです。わたしの面倒を見るだけで……、わたしの面倒を見るだけで、誰かに迷惑がかかるもの」

「姫、」

「バラッドの怪我もそう。わたしがぼんやりして、獣に追われたのがいけないの。バラッドひとりだったら、群れに囲まれることもなかったし、怪我することもなかった」

 グシュナサフも、言って今度はコロカントは彼自身へ目を向けた。

「グシュナサフのその傷も――、何かわたしに関係があるのでしょう」

 指摘されて思わず彼は眉間を擦る。二年は前の傷だ。太刀筋を避けそこねてえぐられた傷が、そこに刻まれている。

「いや、これは、その、そういうのではなくて、ええと、」

「……わたしは、――」

 言ってそのまま言葉が途切れ、少女はうなだれる。

 うずくまり膝を抱えた彼女へかける言葉はやはり見つからなくて、グシュナサフがしどろもどろとなったところへ、

「ほら、」

 グシュナサフとコロカントの両名へ、差しだされた椀がある。

 

「食いな」

 

 差し出したのは女だ。さんざんな男の慰め方に、見かねたらしい。

「あのね。腹が減ってるとろくな考えにならないの。なんだか複雑な事情みたいだし、わざわざ首突っ込む趣味もないけどさ、……、食いなよ、温まる」

 女はぐいとグシュナサフへ器を突きだし、少女へはその指を開いて強引に持たせた。

 力なく首を振ろうとした彼女へ、

「甘ったれんじゃないよ、」

 女はぴしゃりとした口調になって言った。

「生きてりゃ、お先真っ暗に思えることなんていくらでもあるのよ。いいことばっかりじゃあない。食える気分じゃなくたって、口に無理矢理突っ込むんだよ。飲みこみな。飲みこんでしまえばなんとかなるし、なんとかなりゃあ一日生き延びられるさ」

「……、」

「ほら。冷める前に食う。くよくよ考えるのはその後だ」

 脅されて固い表情のまま、コロカントは頷き抱えさせられた椀へ口をつけた。倣ってグシュナサフも手にした椀へ口を寄せる。

 よく煮込んだ野菜のスープだった。蕩けた芋とやわらかい葱が喉を流れる。

「うまい」

 世辞ではなくうまいと思った。思わず口にすると、でしょう、と女が請け負う。

「宿の親父は顔も態度もいけ好かないけど、飯の味はいいね」

 腹にものが入ると、グシュナサフは俄然空腹を思い出した。一気に椀を空け、差しだされた蒸し饅頭をがつがつと喰らう。

「あんたも」

 言って女がコロカントへ饅頭を差し出した。差し出す動きを目で追い、そこでグシュナサフは、コロカントがひと口ごくんと飲みこんだあと、ぼろ、と涙をこぼしたことに気がつく。

「姫、」

 少女は泣きながら、懸命に椀の中身をすすっている。

 ごめんなさい。

 とうとうしゃくりあげ、彼女は言った。

「姫、」

「わ、わたしは、わたしは、あなたにもバラッドにも、も、申し訳がなくて、」

 椀を両手で抱えていたので、まぶたに手をあてがうこともできず、わっと手放しで少女は泣き出した。

「オゥルは死にました。わたしを助けようとして死んだんです。目の前でオゥルが倒れても、わたしはなにもできなかった。バラッドも同じです。どうしてこんなにぼろぼろになるまで、わたしを助けようとしてくれるのでしょう」

 顔をぐしゃぐしゃにして泣くコロカントに、ああそう言えばこの子はまだとても幼いのだと、グシュナサフはあらためて気がついた。

「このまま、バラッドの目が覚めなかったら、わたし、」

「姫、」

「ごめんなさい。どうしてわたしはこんなに力がないのでしょう」

 

「……あ、ちょっと!」

 不意に女の慌てた声がした。つられて振り向くと、先ごろまで意識のなかった同僚がいきなり頭をもたげ、体を起こそうとしている。

「ちょっと、……ちょっと!あんた、見てないで止めなさいよ」

「おい寝てろ、バラッド」

 急いでグシュナサフは立ち上がり、寝台へ歩み寄った。

 声は聞こえているのだろうか、押さえ付ける彼の腕を鬱陶しそうに振り払おうともがき、同僚は暴れる。

 姫。

 食いしばった歯の隙間から、絞りだすような声が聞こえた。

「おい、バラッド、」

「姫、」

 押しとどめるグシュナサフの手を振り払い、バラッドは少女を探している。

 

 

 泣き声がした。迷子のような声だった。

 ……どうしたのかな。

 なにを泣いているのかな。

 怖いことでもあったのかな。

 大切にしたい主の泣いている声だと思った。

 もしかして、うまくまとまらない思考でバラッドは思う。

もしかして、怖い夢でも見たのかな。

そうかもしれない。主の少女と逃げるこの十日足らず、彼女は何度も夜中にうなされていた。

腕の中に抱えていたから、否応なしに気がついた。

それも、手放しで泣くのでなしに、こらえこらえて、小さくすすり泣くのだ。細い悲鳴だった。

……どうして我慢するんです。

耳元でなだめながら囁いてやる。我慢しなくていいんですよ。泣きたいときは、泣けばいい。

――それとも泣けなかったのか。

ちり、と胸の奥にひりつく焦れた感情がある。

この四年間。誰が。何をした。

臆病なほど神経質になっていたバラッドだから判る。少女ははじめ、体勢を変える彼の挙動ひとつにすら怯えた。

八つ裂きにしてもし足りない、ひとりの男の顔が浮かぶ。――あいつか。

顔を見せるたび、実に厭な顔で笑っていた。

大丈夫ですよ。あいつはもういません。ここにいるのは自分です。自分はなにもしません。

固く冷えて震える肩を抱き寄せようとしたのに、どこに行ったのか近くにいないのだ。どころかおのれの体がうまく動かせないことにバラッドは気がついた。

 ……あれ。

 戸惑う。

 動かない、どうしてだろう。何があったかな。

そういえば、なんだか焦げた嫌なにおいがしていたな。ああ……、そうか、俺は戦で果てたのだった。

 そうしてきっと焼かれたのだ。

 納得し、また暗い闇の中に沈もうと思う。死んだ体は動いちゃならない。大人しく葬られる順番を待っていなければ。

 

 ……でも。

 でも、声が。

 

 声は泣いていた。泣きじゃくり、おのれの名を呼んだ。

 ごめんなさい。ごめんなさい。

 ……どうして謝るんです。

 大きな声でさえぎりたかった。

 言ったでしょう。あなたは何も悪くない。……それどころか、あなたはもっと怒っていいんです。

周りの大人に勝手に持ち上げられて、勝手に見捨てられて。

世間一般の生活もできずに、どこにいても幽閉状態で。

あげくに腱を切られて、まともに歩くこともできなくなって。

いい加減にしろ、てめェらの都合で振り回すなと激怒したっておかしかないんです。すまなく思う理由なんてどこにもないんです。

 

 さえぎりたいのに喉から声が出ない。

 ひどく寒くて、そのくせ熱かった。

 

 声が聞こえる。

 少女が、怖い夢を見て泣いている。

 

 ――助けて、

 

 細く悲鳴を上げ、飛び起きる彼女の体を抱きしめ、どうしましたとバラッドは言った。

 夢です。ぜんぶ夢ですよ。大丈夫。自分はここにおります。必ずお助けしますから、だからどうか、

 

――助けてください。

 

眠るたびにうなされる少女を、何度もバラッドはなだめた。

どうか彼女に穏やかな眠りが訪れるようにと何度も祈った。

 

……だのに。

 

寝るのは怖いと少女は泣いた。寝るときっと、またあの人が来るから、あの人がわたしを連れ戻しに来るから、

……大丈夫。

……大丈夫ですよ。

 穏やかに言い聞かせながら、ぎりぎりと奥歯を噛みしめる。

殺してやりたいと心の底から思う人間がいる。

 

泣き声がした。

……もしかしてあいつが追ってきたのか。そう思った。泣き声は止まない。きっとそうなのだろう。

軋む体を無理矢理突っ張らせて、なんとかうつ伏せになろうともがいた。金縛りにあったような、無駄な努力が要った。

激痛の走る腕を突き、ぐるりと反転させて、頭をもたげる。

ぐらぐらと視界がぶれて前がよく見えない。

……どこだ。どこで泣いている。

姫、とようやくかすれた声が出た。

 

「おい寝てろ、バラッド」

 端から強引に寝かしつけようとする腕に、よしてくれと首を振った。よせ。焼くのはまだよしてくれ。俺はまだ死んじゃいない。

 それに俺を押さえるお前は誰だ?

 俺はあの方と二人で逃げていたはずだ。なぜここにいる?

「姫、」

 呼ぶと、転げるようにして近くへ膝をついた体がある。涙でぐしゃぐしゃになった顔。……まるで七つの頃のあなただな。思うと薄い笑いになった。

 よく見えないから、もうすこし近くに顔を寄せてくれるといいのにと思う。

「バラッド」

「……大丈夫ですよ」

 腕を差し伸べる、たったそれだけの動きなのに、満身の力が要りようだった。感覚が遠い。体全部が鉛のようだ。

 ……だけどとにかくあなたを安心させてやらなくては。

 束の間意識が飛んだようだ。

 

 気がつくと元の向きに寝かし直されていた。目を開けると天井が回っている。……俺はそんなに飲んだかな。

 吐き気がこみあげてバラッドは目を閉じた。

「……バラッド」

 寄り添うコロカントの声に、一瞬正気を取り戻す。

 ひんやりと涼やかな声だ。

 彼女の手が、差し伸べたはずのバラッドの手を拾い上げ、ためらいがちに握られる。泣いているな、と思った。

 ……泣かないで。

 渾身の力でもう一度腕を持ち上げ、彼女の頬にあてた。今度はうまくいったようだ。涙で濡れた彼女の頬を親指の腹で撫ぜ、

「泣かんでください」

 バラッドは言葉を絞り出した。

「……自分は姫の笑った顔が好きなんです」

 あてがわれた手を両手で包んで、はい、と頷きながらコロカントはまたぼろぼろと泣いた。

 ……泣かないで。

 何度も何度も彼女の頬を拭う。

「……はい」

 自分の言葉へ、律義にその都度頷いて返すコロカントに、ひとがひとを愛おしむ感情がいったいどういうものだったか、バラッドはふと理解したように思った。

 

 

 

最終更新:2019年05月04日 00:01