じゃあ行ってくる、どこかうきうきとして出て行ったグシュナサフの背中を、ララと青年は階段下で見送った。

 はあ、と長いため息が出る。

 

「……なんかさ、あのひと、ものすごく楽しそうだったわよね」

「楽しそうだった」

 同意を求めると、ブランシェが素直に頷いた。

 

 そういうところがグシュナサフにはあるのだ。

 知り合って四年経つうち、次第にララにもわかってきたことがある。

 普段は寡黙で、無愛想な男だ。大事なこと以外口に出さず、大事なことすら口に出さず、態であらわして良しとしているようなところがある。

 不言実行、だとかいうけれど、不言どころか、こちらに告げずにひとりで事態を収めて、以降知らんぷりで、いけしゃあしゃあとしているようなところがある。

 小憎らしい。

 信頼における男かと聞かれれば、ララはそうだとこたえると思うが、女として、時には口に出してほしいと思うこともある。

 そうして、そんな男が、実はわりとガキくさい衝動を持っているということも、今ではララは知っている。

 もめ事が意外に好きなのだ。

 もめ事が好き、と言うよりも、つまりはそのもめ事に首を突っ込んで、力で伸(の)して黙らせることが好きなのだ。喧嘩好きと言ってもいい。

 乱闘に率先して参加したりする。

 口の端を切らし、頬に黄色だのだいだいの痣を作って、にやにや機嫌良さそうにしているときがある。

 さっぱり理解できない。

 

「あたしね、あんたってもうちょっと落ち着いた男だと思ってたの」

 いつだったか、寝物語の合間、そんなふうに男に言ったことがある。

「酔っ払い同士の喧嘩とか、なに莫迦なことやってんだって、眺めてる方の人間だと思ってたのよ」

 まさか嬉々として参加する方だったとは思わなかった。

 言うと、グシュナサフは顎を撫でながら、男は永遠のガキなんだ、だとかなんとか、くだらない言い訳をもっともらしい顔で言った。

「ばかじゃないの」

 むかついたので、脛を蹴ってやった。

 そんな覚えがある。

 

 定職にもついていない。聞けば、ミランシアと言う領の、元騎士だったという話だが、その領もずっと前に亡んでいる。

 荷下ろしをしたり、賊退治をしたりして、たつきを得ている。芸人一座に同行しても、一座の用心棒の役割だ。

(まあつまり、ならずものよね)

 なにせ、剣を手入れし、その手入れした剣を振るっているときが一番に楽しいというのだから、たぶん、どうしようもなくろくでもない人間の部類なのだ。

(そんなのに惚れちゃったあたしもたいがいだけど)

 そんなようにも思う。半分は諦めだ。

 

 その、心に永遠の少年がいるとやらの男はすでに出かけた。残ったのは、

「ほら」

 階段の下端に腰を下ろした青年に、店から持ってきたはちみつ酒のジョッキを差し出して、やりなよとララは言った。

「え、」

「酒。飲めたでしょあんた」

 ぐいとその手に押し付けると、戸惑う青年の瞳が左右に揺れる。

「なによ。葡萄酒(ワイン)じゃなきゃ飲めないだとか、エールじゃないと悪酔いするんですぅとか、あんた、そう言う面倒くさいタイプじゃなかったわよね」

「いや、べつに、飲める、が、……けど、グシュナサフさんとの約束が」

「約束ってなに」

「ひと晩おかしなやつが来ないか、下で張るって」

「くそ真面目ねぇ」

 四面四角に返事が返ってきて、彼女はため息をついた。

「来るわけないって。飲みなよ。どうせあのひとが、片端からぶちのめしてお役人に渡すでしょうよ」

 喧嘩さわぎや女に因縁をつけこます程度で済んでいたから、今まで目こぼしされていた彼らも、今度のボヤ騒動はさすがに許されるとは思えない。

 路地裏に置かれた不要物や、街路樹が燃えた程度で運良く済んだようだが、下手をすれば町が燃えたのだ。

「それはそうかもしれないが、でも……、あんたは俺に付き合ってていいのか」

 顎でうながすと、おずおずと青年はジョッキに口をつけ、それから彼女に目をやった。

「いいのかって、なにが」

「あんたさっき、眠いって。帰って寝るんだろ」

「ああ、……うんまあ、そうなんだけどね」

 こういうお気遣いができるところ、嫌いじゃないんだけどなあ。感心しながら彼女は薄く笑った。

 グシュナサフも爪の垢を煎じて飲めばいいと思う。

「ほら、なんていうか、……、あんたひとりにしておくのは気がひけるっていうか?」

「俺を」

「お節介ってやつよ」

「お節介」

 おうむ返して首をひねる青年に、……こういうこと言っていいのか判らないけど、渋い顔で前置いてララは言った。

 

「あのさ。こういうこと言っていいか判らないけど、けど、遠回しに探りを入れるのも面倒くさいからぶっちゃけて言うけどね。だってあんた、好きだったでしょう。姫ちゃんのこと」

「……、」

 単刀直入に突っ込むと、すこし驚いた顔で青年がこちらを見る。大げさに驚いたり、芝居がかった慌てふためきをしないところに好感が持てる。ちら、と二階にいる赤い頭のことを脳裏に走らせながら、彼女は思った。

「あんたは好きだったかもしれないけど、でも姫ちゃん、ずっとあのバカのこと待ってたでしょ。それで、今まではいなかったけど、でも今晩、あいつがでてきたってことは、つまり、あんたはフラれたってわけで」

「地味にな」

「……そうね、地味にね」

 一言付け加えて、青年は肩をすくめた。

「地味にフラれて、傷心抱えたあんた放って、あたしひとり眠いから寝袋戻って寝る、と言うのもなんだかなって思ってねぇ。ヤケ酒ぐらい、付き合ってあげるから、優しいあたしに感謝しなさい」

「そうだな、優しい」

 うん、と素直に頷かれて、なんだかララの方が照れてしまう。冗談なのか本気なのかもよく判らない。そもそも表情が極端にとぼしいのだ。

 照れ隠しに彼女はぐいとジョッキを呷った。

 

 そのまましばらく、階段に並んで腰かけ、ジョッキを空けた。

 二杯目を取りに行って戻ったララに、

「あんたは」

 訝しそうな声で青年がたずねる。

「うん、」

「あんたは、俺のことを牽制しているんだと思っていたんだが」

 なのに、慰めてくれるのか。面白いな。

「えー……だって」

 ごく、と酒を口にふくみ、飲み下してララは笑う。

「そりゃたしかに、あたしはブランシェ君が、姫ちゃんにちょっかい出さないように見てはいたわよ?まあね、ひとさまの恋路を邪魔するやつは、ハナに蹴られて死んじゃうかもしれないけどね。でもあの馬、頭いいからそんなことしなさそうだけどね。……でもさ。姫ちゃん一途だし。今までいろいろあったでしょう。幸せになってほしいし」

「……俺は無理だと思ってた。思ってる」

 ぽつ、と青年がジョッキを両手で包むようにして呟いた。相変わらずの無表情だったが、口元だけはうっすらと微笑んでいた。

「言うつもりもない」

「なにそれ」

 それはそれでおねーさん気になるわぁ、茶々を入れるとちら、とこちらを見上げて彼は片眉を上げ、大きくため息をついてみせる。

「なによ」

 その呆れ方が、いま嬉々として悪党どもをぶちのめしにいっている男に、ちょっと似ているな、と彼女は気がついた。

 師事していると似るものなのだろうか。似るものなのかもしれない。

「俺は、向こうに戻るのを諦めてない。けど、あいつは、戻っちゃいけない人間だろ。戻れば、必ず利用される。巻き込まれる。……俺だって、向こうに戻れば、きっとあいつを利用してしまう」

 亡んだとはいえ、一国の領土の肩書は、利用価値があるのだろう。難しいことはララには判らない。判るのは、

「巻きこみたくないのね」

「まあ、そうだ」

 青年は浅く頷いた。

「なんていうの、そう言うのって、……初心?……ちがうか、でも若さねぇ」

 ちょっと恥ずかしくなってしまう。自分にもそんな青い時代、あっただろうか。

 そう言った彼女の言葉に、青年が口を開き、何か返そうとして、

 

「うん、?」

 ばた、がたんと二階の部屋で椅子が倒れたような音がして、とっさにララは階段上を見上げ、それから横の青年と顔を見合わせた。

「聞こえたよね」

「聞こえた」

「なんだろ。宣言通り、バカが姫ちゃん押し倒しでもしたのかな」

 それはそれで、ここで耳を澄ませているのもどうかと思ってしまう。言うと、ぱっと青年が顔を赤らめた。

 ああやっぱりまだ青いな。そう思ってしまう。ここでうろたえるほどの青さを、彼女はとっくに売春宿においてきてしまった。

「まあさあ、なんかおかしなところで遠慮しあって、お互い、お互いの気持ちがまだよくわかってなさそうだけど、……、でも、言ってみれば両想いみたいなもんよね。姫ちゃんもうちょっとで十六で成人だし、あたしらが口をはさむ問題じゃ、……、……ああ、でも、まだなってないんだから、これは一応、様子をうかがいに行くべき?」

「聞かれても困る」

 急に引け腰になって、青年がジョッキの中身を呷った。

「なによ。あんたちょっと、部屋の様子見てきなさいよ」

「無理。無理。無理」

 水を向けると、赤らめた彼が今度は青ざめて、慌てて首を振る。

「もし中の様子が、その、……、なんていうか、心配したようになってたとして、……なってたとして、俺、そのあとどうしていいのかさっぱりだ」

「ええー……じゃあ、あたしが行くの?面倒くさいなあ」

 これこそ、馬に蹴られるんじゃないの。思いながら仕方なしに、空になったジョッキを下に置き、一段一段、上の様子をうかがいながら、ララは階段を上った。

 先に聞こえた一連の音以降、部屋は静かだ。

「どうするー?」

 最上段を上り終え、ララはもう一度下を見る。

「一応、バカの方も、良識……はないかもしれないけど、大人なんだし、放っておく?」

「いやでも、あいつが押さえ込まれでもしたら」

 はらはらした顔で青年がこちらを見ていた。今現在、バカの方が怪我をしているから、力の差としてはどっこいどっこいな気もしたが、それでも青年の言うように、男に押さえこまれでもしたら、少女はきっと抵抗できないに違いない。

 まあ、一応、念のため。出歯亀の理由を自分自身に言い訳しながら、足音を殺してララは部屋の戸へ近づき、取っ手を握り、細く開いて中をのぞき見た。

 

 そうしてそっと音を立てないように戸を閉め、息をひそめて階段を下りて青年の元へ戻る。

「どうだった」

 気になってしようがない顔で、彼がこちらを見ている。うーん、とララは天井を見上げ、いま見た光景を自分なりに整理しようとした。

「手を取り合って、泣いてた」

「……、」

「まあ、あの感じだと、心配したようなことにはならないんじゃないかな」

 泣きじゃくる二人は、男女の甘い雰囲気と言うよりは、迷子がようやく相手を見つけて安堵する姿だった。

 

(あのバカでも、あんなふうに泣いたりするんだ)

 

 昔の彼をすこしだけ知っている身としては、それがちょっと意外で、ちょっと悔しい。

 少なくとも、娼館で、そうして自分の前で、彼はあんなふうにおのれをさらけ出す顔を見せたことはなかった。

「なんだろう、ちょっとあてられたわ」

 もやもやする胸のうちを酒でごまかそうとして、持ち上げたジョッキの中が空だったことにララは気がつく。

「……お代わり、貰ってこよう。お店のマスターがね、自分は帰るけど、酒の樽は勝手にさわっていいからって」

「ああ、……うん、」

 同じように消化不良の顔をした青年が、空になったジョッキを手に、立ち上がる。

「店には椅子があるんだろ。そっちに行く」

「そうね、どうせ飲むなら腰落ち着けて飲むのがいいわね」

 朝にはグシュナサフも戻ってくるだろう。

 べろんべろんに酔った体を、グシュナサフに担がせて戻るのも悪くはないかなと女は思う。

 

「ああ、そう言えばね、さっきの二杯と……、それから、いまから飲むお酒なんだけど」

「うん、?」

 店主の帰った店で、ふたり、思い思いの席に座って三杯目の乾杯をしながら、ララは言った。

「あの二階にいるバカのツケに、全部しといてもらったから、ブランシェ君、もう気兼ねなく、飲んでいいわよ」

「そうだな。……そうする」

 聞いたブランシェが、一瞬きょとんとしたあと、めずらしく声を立てて笑った。

 

 

最終更新:2019年09月30日 22:24