イツハァクは大都市だ。

 その町の一角、居住地区のかなり奥まったところにその宿はある。商業地区からも市場からもかなり離れた位置にあるここは、いってみれば高級住宅街とでも言った場所だ。

 住宅街、とは言っても、家々が密集してこまこま立ち並んでいる町中とは、おもむきがだいぶ違う。建物と建物の距離がだいぶ離れていて、しかも周囲に噴水だの庭園だのをかまえた家ばかりで広々として見える。やや小高い丘に位置し、見晴らしもいい。

 ひと通りはほとんどなく、生活感もない。整然と並ぶ、おもちゃの町のようだ。

 

「住んでいる人間はあまりいないようですね。ここに土地を持っているというのがこの町の金回りがいい方の一種のステイタスといいますか、……つまり別荘というよりは投資みたいなものなんですよ」

 目を見張り、すごい、と感想を漏らした最愛の妻に、バラッドは説明してみせる。

「持っているのに住まないなんて、なんだか、……なんだかもったいないですね」

「もったいないですよねぇ。お金持ちの考えることは、庶民のわれわれにはわかりませんねぇ」

 深くうなずいて同意して、それから彼はおのれの前にいる体をそっと見下ろした。

 馬のハナの前鞍にまたがる彼女は、もの珍しそうにあちらこちらへ頭をやっていて、彼の視線に気づく様子はない。

 髪を結いあげたコロカントは、今日はとびきりよそ行きの格好をしている。

 大陸向こうの、固くしっかりと体を覆う衣装ではなく、こちらの暑い風土に合った、うすい素材の半分透けた生地だ。一枚ではもろに見えてしまうので生地を何枚か重ね、うまい具合に見えそうで見えない、ぎりぎりのラインを保っている。内心、それがたまらんよと、バラッドは思っているが、さすがに口には出さない。

 腕には折れそうに細い金の環。動くたびにしゃんしゃんと触れあって、鈴のような音を出した。

 腰には長い飾り帯を巻いている。その色と刺繍になんとなく見覚えがある気がした。

 ……いったいどこで見たのだったかな。

 結いあげたためにあらわになった彼女のうなじを、見るともなしにじっと眺めて思いだそうといるうちに、彼の視線を感じたのか、ついと彼女が肩越しに振りかえり、長くしなやかな首をかしげる。

「バラッド?」

「はい」

「どうしたんです、ぼんやりして」

「……いやあ、うちの嫁さん可愛いなあって」

 素直に告げると、一瞬きょとんとしたあと、コロカントの頬がぽっと赤くなった。照れたのだ。

「な、なんです急に」

「だって、自分とお出かけするから、せいいっぱいおめかししてきてくれたんでしょう。それが嬉しいなあって。……あ、そうか」

 言っているうちにふと思いだして、自然に声が出た。そうして後ろに垂れ流したそれへ手をやり、指の背で撫ぜる。細かな花の刺繍がされていることにも気がついた。

「思いだしました。これ、あのとき、祭でつけてたやつだ。やつですよね?」

「え?お祭」

「姫と一緒に行った」

「……ああ、……ええ、そうです。ミシュカさんだったバラッドと行ったお祭で着けてました。この帯。……座長の女将さんが譲ってくださったんです。きれいでしょう」

「素敵な色ですね」

「バラッドといっしょだって思って」

「自分ですか」

 うっとりと笑んで、コロカントが彼を見上げる。その目がきらきら澄んで輝いていて、……ああきれいだな。吸いこまれるように、バラッドも思わず見つめ返す。その耳に、

「あなたの色だと思ったから、わたし、あの日着けたんですのよ」

「……え、」

 素面で聞くには、すこし恥ずかしい告白が飛び込んで目をむいた。意味を理解するうちに、今度はだんだんバラッドの方が照れてしまう。

「え、……え、自分ですか」

「そう。あなたの髪の色といっしょ」

 言ってコロカントがほほ笑んだ。それを目にして、彼は思わず片手で口を覆う。計算ずくではなく、こうして芯から天然の言葉に、自分がひどく弱いことを最近自覚した。

「バラッド、大丈夫ですか。なんかとっても赤いですが」

「あー……、……、見ないでください。なんか今ものすっげぇ恥ずかしい」

 ――やってられん。

 いちゃいちゃ照れ合う夫婦を乗せたハナが、そう言うように鼻を鳴らし首を大きく上下させた。

 

 

 今日は、例年行われているイツハァクの夏の大祭だ。大祭と言っても、大陸のあちらこちらから見世物芸人が集まる演芸祭ほど十数日にもおよぶ盛大なものではなく、この町の夏の景気づけ、暑気払いの祭である。

 ただ、盛大なものではないとはいえ、前述したようにイツハァクは商業都市だった。人口も多い。夜には花火も上がった。『向こう』の感覚で言うと、十分盛大なものだ。

 開放的なこちらの大陸は、祭ひとつとっても自然と大がかりで派手なものになる。これはもう風土だろう。

 

 先ごろ約束した通り、今日はふたりで休みをとり、バラッドの提案した「~安らぎの隠れ宿に流れるゆったり穏やかな時間~二泊三日夏祭満喫コース」なる企画にそって移動している。

 特別なお出かけ、そう言った彼の言葉を、コロカントはきちんと覚えていたようだった。そうして彼も彼女に服を合わせている。

 これにはちょっと前日譚があって、鞍の前に座るコロカントは、いまバラッドが気付いたように、あの演芸祭のときに着けていた飾りや帯などで同じように着飾っている。ところが彼も着飾ろうとしたときに、手持ちがなくて、はたと困ったのだ。

 ミシュカとして祭りに参加したあの日、彼がしていた装いは、泥と煙と熱でちりちりにちぢれ、そのうえ頭のおめでたい暴漢からの殴るだの蹴るだので、だめになってしまった。

 借りものの、緑の上着。

 けっこう気に入っていたのにな、そう思う。

 なので、新調しようとしたのだけれど、

 ――お前の感覚ははっきり言っておかしい。

 美的センスをことあるごとに腐れ縁の同僚に突っ込まれているので、今回はその同僚の妻に見繕(みつくろ)ってもらったものを着た。主張したい部分も大いにあるが、

 

「あんた、横に奇天烈(きてれつ)なちんどん屋がいたら、姫ちゃんがかわいそうだと思わないの」

 

 真顔で聞かれたので、大人しく任せることにした。

 

 ララが見繕(みつくろ)ってくれたのは、綿と麻混紡の短上着だった。からすの濡れ羽色とでもいうのか、しっとりと落ち着いた黒だ。腕のところにふたつ洒落た金ボタンが付いている。

 中には襟の小さな白シャツを着た。上着の袖からすこしだけ手編みレースをのぞかせてある。それに麻でざっくり織った薄墨色のズボンに朱色のサッシュ。

 

「……あたし、あんたみたいなみょうちきりんで面倒くさい男、ちっとも趣味じゃないのね。ほんとう、これ、心から正直な感想なんだけど、全然、まっっったく趣味じゃない。――でも、こういう格好だけは正直羨ましいって思う」

 一式そろえたものを渡され、試着した際、バラッドはそんなことを彼女に言われている。

 はあ、と言われた意味がよく判らなくてあいまいに頷くと、

「あんた、見た目だけは上等でしょ」

 ずばずば言い切る物言いの彼女は、そう言って後ろに回り、裾の長さをたしかめていた。

「見た目だけですか」

「だけよ。決まってるじゃないの。あんたみたいに、こんがらがってこんがらがってこんがらがった毛糸みたいな男、あたしは引き取るなんて絶対にいや」

「……ひどいな」

 苦笑した。だが自覚はある。

「ひどかないわ。事実でしょうが。でもね、ほら、グシュナサフ、うちの旦那さま。知っての通り、頑丈と言えば聞こえはいいけど、肩盛り上がっててものすごくゴツいでしょ。着痩せするタイプでもないし。こういう、細身のぴっちりした上着、ぜぇったい似合わないのよね。……あんたは口さえ閉じてれば、わりと男前だしスタイルもいいし、貴族の放蕩息子っていっても通じる容姿でしょう」

「赤いですが」

「こっちじゃあ、頭が赤くたってどうってことないじゃないの。……口さえ閉じてれば。口さえ閉じてればね。口さえ」

「……はあ、」

 同じことをくり返し念押しされ、褒められているのかけなされているのか、とにかくそんなことを言われた。

 

 そんなララとの会話をぼんやり思い返していると、徐々に照れが引く。そうしてふと腕の中で、身動くコロカントに気がついた。

「姫、?」

「……あの、これ、……、ええと、その、グシュナサフから聞いたんですけれど」

「やつから?なにをです?」

 またなにかあいつが吹きこんだのだろうか。返しながら眉を寄せた。余計なおせっかいの予感しかしない。

けれど彼女が手荷物から取りだした飾りを目にして、バラッドは絶句する。

 彼女が差しだしたのは、白い端切れ布の花飾りだ。

 ……それは、

「あの、これと同じものを、あなたがずっと持っていてくれたって聞いたんです。それで、これをなくしたとき、あなたがだいぶがっかりしてたって、グシュナサフが言っていて……、同じものを作ってやってくださいって言われたんですけれど、その、こんなものでよければ、あの、……また受け取っていただけますか」

「……自分に?」

 答えた声が妙にしわがれている。咳払いして言いなおした。

「もらっていいんですか」

「ええ、その、ちっともたいしたものじゃあありませんが」

「たいしたものですよ」

 言いながらみっともなく声がまたかすれるのを感じる。見つめているうちに視界が若干ぼやけてきた気がして、バラッドは片手で目を押さえた。

 自分にとっては、あのときこれが全てのよすがだった。会いたかった、だのに会えなかった。

 諦めよう、彼女を諦めようと自分に言い聞かせて、結局、諦めわるく彼女を思い続けることしかできなかった。

 なくしたものと同じ花飾りに、数年寄せていた思いがいっぺんに噴きだしたような気がした。

 手をおろし、頬をあげて無理にほほ笑んでみせる。

「姫からいただいたとき、言ったでしょう。自分にとっては値千金だって」

 言ってすこし胸をそらす。

 ふたりが乗っている賢い馬は、彼が手綱を取っていようとなかろうと、鞍の上に気をつけてきちんと進んでくれるので、すこしのあいだ放したところでまるで支障はなかったのだけれど、

「着けていただけますか」

 コロカントの手で着けてほしくて彼は言った。

「はい」

 小さくうなずいた彼女は、体をひねって後ろを向き、揺れる馬上で慎重に彼の襟をつかむと、針の先を布地に刺していく。

 胸もとに刺し、また前に向き直るかと思った彼女は、そのまま彼に抱きついた。

「――姫?」

 不安定な鞍の上で、後ろ向きになるのが怖かったのだろうか。

 それともここまでの道程で、すこし馬酔いでもしたのだろうか。

 心配になってたずねる彼の耳へ、

「……感動しちゃいますよ」

 抱きつきすこし不明瞭なコロカントの声が聞こえた。

「感動しちゃいます」

「え、感動……、え、あれ、……、姫、泣いてます?え、え、ど、どうしたんです?」

 もしかしてこの花飾りを作る際、彼女の身に降りかかった怖かったことや嫌だったことも一緒に思いだしてしまったのかもしれない。涙でくぐもる声に、バラッドは慌てる。

「あの、あの自分、なにか姫に失礼なことでも」

「ちがいます」

 ちがうんですと首をふって彼女はこたえた。

「ちがうの。……あのとき、バラッドに頼まれて、馬車の上で渡したあの飾り、……、……。わたし、そんなに気持ちをこめて作ったものでもなかったんです。ただ、あなたの傷がよくなるまですることがなかったから、じっと座っているのもなんだか気持ちが落ち着かなくて、気分転換に作ったようなものだったんです。あなたに渡したあのときも、だから、ほとんど何も考えずに渡しただけだった。くださいって言われたから、はいどうぞって。……わたし、あなたがそんな大事に持っていてくれたなんて知らなかった」

「……、」

「グシュナサフに聞いて、わたし、なんだか胸がいっぱいになって……。あなたは大事なことをなかなか口に出してくださらないけれど、でも、わたしは大切に思われていたんだなって思って……、……。これ、うぬぼれでしょうか」

「いいえ」

 愛しい妻の顔にそっと手をあてがうと、おずおずと彼女が顔をあげる。その睫毛(まつげ)に宿った涙を指の腹で拭ってやりながら、

「大切に思っていますよ。――いつでも。いつまでも」

 静かに告げると、一瞬ぱちぱちとまじろいだコロカントが、やがて花がほころぶように笑った。

 

 

「ええっと、隠れ里……なんでしたっけ」

「“~安らぎの隠れ宿に流れるゆったり穏やかな時間~二泊三日夏祭満喫コース”です」

 宿の入り口に着き、馬から下りると、またきょろきょろあたりを見回してコロカントがたずねた。それへ答えてやりながら馬留(うまどめ)にハナをつなぎ、そうしてバラッドは彼女を促し、入り口へ進む。

「……なんか、……」

「はい」

「なんか、すごいですね」

 自然ひそひそ声になって彼女が言った。

 門戸の構えからして、堅牢さよりも通気性が重視されるこちらの大陸では、あまり見られない意匠(デザイン)だ。がっしりとした樫の扉に鉄鋲が打ってあり、しかもそのひとつひとつが細工物である。

 張り出し窓はひとつひとつ積み上げた土レンガのそれで、その窓には嵌(は)め殺しの硝子(ガラス)が入っている。技術を要求される、大判のものだ。透きとおるそれが、陽光をすこしやわらかくして室内へ入れている。

 光を受け止める室内の床には幾何学模様の入った絨毯(じゅうたん)が敷かれ、おかげで歩く音は打ち消されていた。

 宿というよりは、貴族の館といった感じだ。

「お城みたい」

 コロカントも同じような印象を抱いたようだった。

「特別な感じがしていいでしょう」

「身の丈に合わなくて、気が引けます」

「……なに言ってるんです」

 彼女の言葉におかしくなる。含み笑いながら、バラッドは肩より下にあるコロカントへ目をやった。

 二人の身長差は、ちょうど頭ふたつ分だ。

「望めば、手に入る境遇でしたでしょうに」

「……そういえばそうでしたねぇ」

 バラッドの言葉に笑いながら頷き、そうして、

「でも、」

 彼女は横に立つ男の手を探ると、そっと指をからめてくる。

「分不相応な、どこにあるのか、手に入るかわからない大きなしあわせを望むより、……、……ささやかでいいんです。手に届くほどの……、ちょうど、自分の背丈くらいのしあわせが、わたしはずっといい」

「……等身大の、ですか」

「はい。わたしはバラッドと一緒にいるだけでしあわせですから」

 からめられた指を握り返して、バラッドも口角をあげて無理に笑った。笑っていなければ口が情けなくへの字になって、なんだかベソをかいてしまいそうだと思った。この宿が、極端に人気のない場所でよかったと思う。

 こんなふうに、隣に立つひとがいて、笑えば笑い返してくれて、手を握れば握り返してくれる。

 これ以上に望むものは何もない。

 

 なんとなくしんみりした雰囲気になって、やがて部屋にたどり着く。

 隠れ宿、と名乗るだけあって、廊下に宿の人間の姿はないし、客は互いに顔を合わせないつくりの館内になっている。部屋を案内したのも、入り口での鍵のやりとりだけだ。従業員は部屋まで付いてこない。

 

 部屋に入り、そうして荷物を台の上にぽんと抛(ほう)ると、

「ああくたびれた」

 伸びをしながら大きく開かれた窓際へ足を進める。泣きべそをかいてしまった照れ隠しもあった。

 同じように横に付いてきたコロカントが、部屋つづきのバルコニーと、その向こうに見える景色に目を丸くする。

「どう、絶景でしょう」

 ちょっと得意になって、バラッドは胸を張った。張った胸元には白い花が揺れている。ゆらゆら揺れるそれが嬉しかった。

「素敵なところ……、ここ、イツハァクなんですよね。なんだか、まったく別の町に来た気分」

 景色に目をうばわれながら、ぼうぜんと彼女が呟く。

「気に入りましたか」

「とっても。……ありがとうございます」

「喜んでいただけて光栄です」

 にっこり笑ってバラッドが大仰に会釈すると、ちら、とこちらをうかがった彼女が、またすぐ目をそらした。あからさまな逸らしかたに、彼は眉を上げる。

 思えば、森を出る前からそうだった。

「姫?」

「はい、あの、ええ」

「姫」

「はい」

「姫。こっち向いてください」

 言うと、また居心地が悪そうにコロカントが彼を一瞬目に入れ、そうして、

「だーめ。目をそらしちゃいけません」

 そらしかけた彼女の頬をはさみ、やさしくだが強引にこちらを向かせる。

「なんです、自分のこと見たくないですか」

「ええ……、ちがいます、そんなんじゃありません」

「自分の顔になにかついてますか」

「いいえ、なにも、」

「じゃあもっとちゃんと、こっちを見てください」

 くすくす笑いながら囁くと、もう、と彼女が真っ赤になった。

「わ、わかっているんでしょう」

「なにがです」

 ぶどう色の目を覗きこむと、よけいに彼女がうろたえる。いつもとこれじゃあ真逆だな。思っておかしくなった。

 朝、起きたあたりのときには、彼女に変わった様子は見られなかった。普段通りだったはずだ。

 明らかに態度がよそよそしくなったのは、出かけるすこし前、バラッドが用意された一式を身に着け、きちんとホックを留めたあたりからだ。

「姫」

 普段はこちらの深淵までのぞきこむようにじっと見つめてくるのに、今日はそれがない。どうやら自分の正装姿に弱いのだな、と言うことにはうっすら気付いている。

「自分、どこかおかしいですか」

 空とぼけてそんなことを聞くのは、単純に、彼女の反応が楽しいからだ。

「どこもおかしくありません」

「姫と並んでも恥ずかしく思われないように、めかしこんでみたんですが……、自分にこの色は、似合わなかったかなあ」

「そんなことありません。とても似合っていると思います」

 わざとらしく嘆いてみせると、ぎこちないまま彼女が答えた。

「そう。……じゃあ、もっとよく見てくださいよ」

 ほらほら、と促して頬を撫ぜると、ますます彼女が赤くなる。

「バ、バラ……、」

「……うん?」

 ぐいと彼女の体を引き寄せて、面白半分にやにやしながら間近にせまる。薄い肌に血の気が上って、それが透きとおってきれいだ。ああむしゃぶりつきたいな、だとか彼が思いながら眺めているととうとう、

「バラッド……!」

 悲鳴のような小さい声があがって、こぶしでひとつ、彼の胸を非難するとコロカントはうつむいた。

「わわわかってるんでしょう。わかってるくせに」

「おや、気付きましたか」

「……、……いじわる」

「いじわるしたいんですよ」

 くくくと喉奥で笑って、顎をすくいあげ、その唇をうばう。

 急な口づけにちいさく驚いた彼女は、けれどたいした抵抗もなく、彼の唇を受け入れた。

 こうして、ここ半年ばかり、朝に晩にあいさつ代わりにいたずらしているうちに、彼が口を寄せただけで素直に薄く唇を開くようになっていた。それがなんだか親鳥に餌をねだるひなのように思えて、床に転がって悶えそうになる。

 やわらかな感触の唇が気持ちいい。唇どころか頬も耳も腕も、正直どこもかしこも、触れるところ全てすべらかでやわらかいので、許されるのならば、日がな一日、ずっとさすっていたいバラッドだ。

 中年の自覚はある。

 

 さわさわと触れていた指先が、うなじあたりを弄(なぶ)ったときに、一瞬ぴくんと彼女の肩がちいさく揺れる。くすぐったかったのだろうと思う。

「バ、バラッド」

 その彼女が反応するあたりを、重点的にいたずらしはじめる彼の手をさすがに抑えて、コロカントが口づけから逃れ、抗議の声をあげた。

「んー?」

「別の部屋からも見えますから、」

「大丈夫。ここ、隠れ宿っていうだけあって、どの部屋がどの部屋からも見えないつくりになっているんですって」

「そう言うことじゃあありませんでしょう……!」

 放す気もなく、肩口のあたりに鼻をうずめ、ふんふんとにおいを嗅ぐ彼に鳥肌をたてながら、すこし怒った口ぶりでコロカントが言うのへ、

「おや、だめですか」

「だめに決まってます」

「姫は相変わらず身持ちがかたいですねぇ……。それをくずすのが燃えますが」

 言いながら、けれど指先のいたずらはやめない。

「バラッド……!」

「姫、いつもとにおいちがいますよねぇ」

 肩口から首筋へ鼻を移動し、くぐもった声で吹きこんでみると、え、ととっくに上気していた彼女が、動きを止めた。

「え、わたし、」

「香水、かえました?」

 鼻の頭で首筋のちょうど太い血管のあたりを愛撫する。この下をどくどくと脈を打ちながら血液が流れているのだなと思うと、妙に興奮した。

「甘いにおいです」

「バ、バラッドの」

「――はい?俺?」

「バラッドのいつも入れてる匂い袋……、あれと同じにおいのものを、このあいだ、町で見かけて……、」

 自分の名前が出てきょとんとしかけた彼は、続いた言葉にでれでれと顔が崩れてゆくのを自認する。

 自分のふところにしのばせているそれは、常にしのばせているせいでもうとっくに鼻がばかになっていたし、煙草の煙のせいでいがらっぽいものになっている。

 同じものとは気がつかなかったのだ。

「俺と同じにおい、?」

「はい、あの……、……。わたし、バラッドのにおいが好きなので、それで」

 ああもうクッソ可愛い。

 口中で呟き、バラッドは鼻をすり寄せていた首筋に、我慢できず噛みついた。

 予定は、まるでちがっていたのだ。二泊三日の初日の今日は、到着したあとはゆっくりと部屋で過ごしながら宿自慢の貸し切りの大浴場に入り、部屋で二人きりの食事を楽しみつつバルコニーから花火を眺め、そうして彼女の負担にならないよう、悪戯(いたずら)は最小限におさえて就寝する、だったのだけれど、

「そう言うの、反則ですよ」

「え、え、バラッド、」

「理性がぶっ飛んじゃうでしょう」

 言って彼女の非難の声を口中に封じて、唐突にバラッドは動きをむさぼるそれへと変えた。

 

 バルコニーの手すりに彼女の体を押し付けるようにして、腰をすり寄せる。ことここに至ったら、本気でいやがられるまで逃がすつもりはない。両腕で手すりを押さえ、彼女を囲い込み、閉じ込める。

 そうして押し当てた下半身をゆっくり上下に動かしていると、やや兆していたおのれのそれが、みるみる固くなっていった。

 冬物ならともかく、肌着と、麻の生地一枚では、そのもたげた形はまるわかりだ。太腿(ふともも)に擦りつけられているコロカントには余計だろうと思う。彼の腕に置いた彼女のこぶしが、ぎゅっと縮こまるのがわかったからだ。

 口づけからも逃がさない。舌をからめ、歯列をひとつひとつ裏までなぞり、舐(ねぶ)って、抵抗がなくなるまでくり返す。

 口づけが好きだった。ついばむようなものも、深いものも、ただ互いの唇と唇、粘膜と粘膜をすり合わせて吸いあっているだけの行為なのに、どうしてこうも没頭できるのか不思議になる。

 気持ちがいいのだからなおさらだ。

 無心にむさぼり、わずかにできた隙間から、ふ、と相手の息が漏れ、それが耳に届くのも好きだ。漏れた吐息の湿り具合で、相手がいまどれだけ快感を拾っているか、手に取るようにわかるからだ。

 こういうところだけは、数をこなした功かな、とも思う。

 褒められたものでないのはわかっているけれど。

 ときどき、ほんのすこし唇を放して確かめてやると、追うような動きをしてひらめいた相手の舌先から、白く糸がつながった。つつ、つと垂れるそれにそそられる。

 そしてまた口づける。

 形ばかりなりとも、はじめはあらがい、腕の中でばたついていた彼女が、徐々におとなしくなっていった。

 こんなところで、だとかの道徳心が、陶酔に、うすれてゆくのが手に取るようにわかる。そのまましばらく、彼女がくったり身を預けてくるようになるまで、バラッドは口づけを続けた。

 ……そろそろいいかな。

 見極めて口を離すと、ほうと息をこぼしたコロカントが、うるんだ目をゆっくり持ちあげ、彼をすこしうらめしそうに見た。言葉はない。

 見つめられて背筋のあたりがぞくぞくする。

 その目の中に、拒む色がないのをたしかめてから、もう一度バラッドは彼女にゆっくりと顔を寄せた。

 彼女の鼻先や頬に唇を押し当て、手は薄物の裾をたくし上げ、肌着の脇から指を滑り込ませていく。

 一枚一枚剥(は)いで裸にし、若い肌を存分に味わうのも捨てがたいけれど、よく似合っているよそ行きの姿を、もうすこし眺めていたいと思ったからだ。

 裾をたくし上げても、陶然としている彼女はもうあらがいはしなかった。ただ身を震わせ、すがるように彼の胸元に顔をすり寄せただけだ。

「……可愛い」

 ちゅ、ちゅと音をたて舌をからめる合間に、彼は彼女に囁き続ける。

「可愛い、……可愛い……、……、姫……、」

 もじもじと膝をすり合わせ、恥じらいから閉じようとする動きを、強引に片足で割りひらき、ゆるゆると彼女のあわいを刺激しはじめる。

 すでにうっすら湿り気を帯びていたそこは、指で触れるとたちまちうるおいを増し、にちにちと粘着音をたてはじめた。

「……ああ、もうぬるぬるですねぇ」

 口に出してやると、コロカントがうつむく。耳朶(じだ)まで真っ赤になっていた。

「これじゃあ、せっかくのよそ行きがだいなしになってしまうかもしれないなあ」

「……だ、だって」

「だって、なんです」

「だって、……、……、バラッドがさわるから……、」

「おや。自分がさわるからですか。じゃあさわるのをやめましょうか。服を汚してはいけないでしょうし」

 片眉を上げて、大よわりの素振りで指を放そうとすると、待って、とコロカントの手が彼の手を押さえる。押さえる手は震え、ほとんど力が入っていない。

「どうしました、姫」

「……その、大丈夫です。……服は汚れたら洗いますから、だから、」

「だから?」

「だからその、……その」

 言葉に詰まり、彼女は気の毒なほど真っ赤になってうつむいている。その姿に興奮した。拗(こじ)らせているなと自分でも思っている。

「どうしましょうか。自分、頭悪いですし、言葉に出して言ってもらわないと、わからないなあ」

 その先を言わせたかった。心配する態で下からのぞきこむと、追い詰められ、涙目になった彼女が、いじわる、とかすれ声で呟く。

「いじめている自覚はあります」

 これ以上はかわいそうかな。

 見計らい、そうしてバラッドは止めていた指の動きを再開した。つぷと中ほどまで彼女の内へ指を埋めると、

「……あ、……、っうぁ、」

 かすかな声をあげて、コロカントが一瞬こわばり、次いでかくんと膝から力が抜けた。

「おっと」

 自由な方の手を脇にさし入れ抱きとめて、彼は彼女が崩れ落ちるのを押さえる。

 どっと内部から蜜が溢れ、ぬめるのを指先で感じて、

「姫」

「知りません、」

「……もしかして、いじわるされて、軽くイっちゃいました?」

「知りません……!知りません。知りません。……もう、もう、……きらいです。いじわるなバラッドはきらい」

 言うと、半泣きになりながらコロカントが彼の肩をぶった。

「俺は好きです」

 ……ああ泣かせてしまった。

 にやけ顔を隠しもせず、彼女の真っ赤な目もとへ唇を落としながら、埋めていた指をさらに奥へ進める。きらわれて喜ぶ自分もどうかしていると思う。

 根本まで埋めきり、ぐるりと縁をなぞるように動かしながら、思わずバラッドは欲の混じった息を吐いた。

 彼女の内は熱かった。熱く、やわらかくて、すすり上げるたびに、きゅ、きゅと指を締めつける収縮がたまらない。

 今すぐここに入れたい、入れて突き上げ、欲望の赴くままに果てたい。

 擦りつけていたおのれの下半身はきっちり臨戦態勢になっていて、その正直さに苦笑してしまう。

 ……でも、まだ。

 入れてしまうには惜しかった。

 入れたらきっと、すぐいってしまう。強烈な快感に引きずられて、がむしゃらに腰を振り立て、快感を追うことだけに必死になってしまう。

 安直な快楽も悪くはなかったけれど、なにしろ今日は特別な日にしようと思ってやってきたのだ。

 まだだよ。辛抱しろ。

 くすくす笑いでまぎらわし、すぐにでもおっ立てたいおのれの愚息をなだめながら、バラッドは彼女の前に跪(ひざまず)く。

 形ばかりは、主に忠誠をちかう騎士だ。

 ……忠義の騎士は、こんないけないことをしないだろうけどな。そう思っておかしかった。

 そのままたくし上げた彼女の裾をさらに持ちあげ、

「申し訳ありませんが」

 下からすくい上げるように彼女を見上げ、その視線でもって貫く。

「今日は、とことんいじめるつもりですので」

 言ったきり、コロカントがなにか反論する前に、彼女の下部のふくらみを舌で舐めあげ、ふたたび言葉を封じてしまった。

 

 

 

最終更新:2020年05月02日 00:01