(なんだかいつものバラッドじゃないみたい)

 

 バルコニーから部屋へ戻りながら、コロカントはこっそり自分を抱きかかえる男を見上げた。

 普段ならここで、抱えられていることにたいしてひと悶着ある。重いのじゃなかろうか、そのくらい自分で歩くのに、だとかいったり言わなかったりなのだけれど、今日はさすがに言う気力がない。そもそも自分で歩こうにも、残念なことに足に力が入らないので、部屋へ戻るには、四つん這いでもどるしかない。

 文字通りぐずぐずに、頭の中までなんだか溶かされた気がする。ゆらゆらした熱い液体がみっちり詰まっているような気分だ。

 こっそり見上げた彼女が考えたことはと言えば、喉仏のあたりにまで色気があるなんてずるいなあ、だとか、このくしゃくしゃ絡みそうな赤い猫っ毛はついさわりたくなってしまうな、だとか、二連の泣きぼくろがならんだ目元が好きだな、とかとかいう、もうほとんど色ぼけしたものばかりだ。

 好きで困る。

 自分の夫に惚れてそわそわするというのも、おかしな話だけれど。

 格好いい、と口に出して言うと、困ったような顔をして笑われるので、コロカントはあまり口にしない。

 男前とか、水もしたたるとか、冗談ではよく口に上らせるくせに、本当のところ、バラッドは自分で自分の素材の良さに気づいていない気がする。

 もっと簡単に言えば、格好いいことを一番本人がわかっていないのだ。

 

 ……生まれたときからこの顔だから、わからないのかな。

 心の中でコロカントは首をかしげた。

 そうかもしれない。

 

 酒場にやって来る常連客の何人かは、酒を飲みに来るわけではなく、常駐している赤毛の歌うたいを目当てにやってきていることを、本人が理解しているのかどうかも、あやしいところだ。

 酒を介する場は、どうしたって距離の取りようがゆるくなる。あからさまではないにしろ、甘い言葉を囁いたり、ふざけ半分しなだれたり、時には盛り上がって、頬にあいさつ代わりに口紅をつけられたりもする。

 これは商売なのだから。愛想だってひとつの売りものなのに、こんなところで悋気(りんき)したってしようがないのだから。

 バラッドにからむ女性客を見るたびに、そんなふうにコロカントは自分に言い聞かせて、手元に集中するふりをした。

 仕方がないと思う。

 仕方がないと思う一方で、面白くないものは面白くない。

 ――ミシュカ。

 自分の聞きなれない名前で呼ばれ、そうして自分の知らない男の顔を、客はたぶん知っている。

 心がざわついてしまう。

 だったらいっそ、まるでちがう仕事場で働けばいいのかもしれない。目に入るから気になるのだ。

 けれどあいにくコロカントが手伝うのは、ここ数年のうちに引退を考えている店主の男の酒場で、その酒場にはバラッドも居ついている。

 追い出すわけにもいかない。

 男は彼女のことをきれい、と表現するけれど、そんなにきれいなものでもないのだけれどな。コロカントはよくそう思う。

 自分だって嫉妬もするし、不満をもったりもするのだ。

 ――ただそれを上手く言えないだけ。

 思い出すうちに、さっきまでのふわふわ甘い気分はすこしずつ薄れて、なんだか釈然としない、もやもやした気分になってきてしまう。

 顔にも出ていたのかもしれない。

 ふとこちらを見た男が、おや、と片眉を上げた。

 

「どうしました」

「……どうしましたって、」

「なにかいやでした?」

「どうもしません」

 顔を伏せようとすると姫、と男がちいさく呟き、その動きをとどめてしまう。

 

「どうもしないって顔じゃあないでしょう。口がこう、とがってタコになってますよ」

「どうもしません。ただ勝手に拗(す)ねているだけです」

 なんだか面白くない気分のまま呟くと、いぶかし気に男が首をひねった。

「拗ねている。どうして……、やっぱり、バルコニーでの無理強いはよくなかったですか」

 言われて慌てて首をふった。雰囲気に思い切り流された感はあるが、べつに自分も嫌ではなかったのだ。

「ちがいます。バルコニーは関係ないです」

「ええと、じゃあどうして」

「バラッドが格好いいことに自覚がないからです」

「……え、は?自分ですか」

 言うと、まるきり想定外の答えだったのだろう、男が目をぱちぱちさせた。

 

「あー、……それはどういう、」

「ひとり占めしたいのに、お店にくるみんながバラッドをほうっておかないから、ときどき札を付けておきたくなるってことですよ」

 くちがとがっている自覚はあった。うつむいてボヤくと、男がますますきょとんとする。

「え、札ですか、」

「そう。売約済みって」

「……、……?ええと?」

「もういいです。わたしが勝手にふて腐れているだけ」

 素だろうか。わざとだろうか。

 彼のにぶい反応に悔しくなって、コロカントは男の腕を軽くつねった。

「いてて。……ええっと、……、あー、つまり姫は、自分に焼いてくれてるってことですか」

 口とは真逆に、まるで痛くなさそうなそぶりで、バラッドは彼女をそっと寝台に下ろし、そうしておもむろにのしかかってきた。

 顔を彼女の横の布団にうずめ、うふふふふと不審な笑いを漏らしている。

「あの……、?」

「どうしよう、……、……どうしよう、むちゃくちゃ嬉しいんですが」

 言いながら彼の器用な手が、そっと彼女の足首を持ちあげ、はまった金環を外しはじめた。のしかかられ、足を割りひらかれた体勢なので、コロカントはされるがままだ。

 割りひらかれていることに対して、恥じらおうかとも思ったが、今さらだ。

 外したついでにそのまま脛(すね)をさすられる。くすぐったさと快感は紙一重だなと思いながら、口から息が漏れた。

「……がっかりしないんですか」

「がっかり?なぜです?」

 男がくふんと鼻から息を漏らし、そのままやわやわと脛に歯を立てられて、肩甲骨のあたりが痺れるように疼く。

「自分が店に来るおねーさんたちと仲良ししてたから、姫がやきもきしてくれてたってことでしょう」

「……そうですけど」

 なんだか、ただ駄々をこねて聞き分けのない子供みたいだ。言っているうちに恥ずかしくなって、ぷいとそっぽを向いてコロカントは答えた。

「それって、俺のこと、好きってことですよね」

「そんなの、あたりまえです」

「あたりまえ。あたりまえかあ……くふふふ」

 不審な笑いを漏らしながら、次第に愛撫が脛から膝、そうしてもっと上の方へとのぼってくる。

 足首の金環をはずし終わった手が、今度は手首へ伸び、同じように強く握ったら折れてしまいそうな細い輪を、慎重にはずしにかかる。

 その手の甲に浮いた血管やら筋やらを見ているだけで、どきどきしてしまう。

 ああ、重症だ。

 八つ当たり気味に、かるく男を睨みつけると、こちらへ目を上げた彼が、でれでれに緩んだ顔で見返した。

 

「俺ね。……ずっと、自分ばっかり姫のことが好きで、自分ばっかり姫に声かける男に嫉妬してるんだとばかり思っていました」

 そうしてそんなことを言う。

「――え、」

「あー、姫の好意を疑ってるわけじゃないですよ。疑ってるわけじゃないです。……でもね、俺の方が姫のことずっとずっと好きで、姫は俺の勢いに押されて、それに付き合ってくれてる部分もあるんだろうなあって、……ううん、なんていうんですかね。……割合として、姫が俺のこと二好きだったら、俺は姫のこと九は好き、みたいな。……三倍になったら、姫は六だけど、俺は二十七になっちゃってるみたいな。ひとりで浮かれて暴走してるんだろうなって……そう、」

 言って男が脇腹を唇で食み、それから乳房へとのぼってくる。

「……バラッド、」

 手を伸ばして、彼女はそのやわらかな赤毛に触れた。

 

「ここだけの話。あの店、前はもっと、静かだったというか……寂れてたってわけじゃないんですが、ほんとう、一日に来る客なんてたかが知れてたんですよ」

 ないしょ話をするようにして、男が口を開く。

「近くを通った馴染みがふらっと寄って、一杯ひっかけてさっさと帰る、そんな感じの店だったです。腰落ち着けて長居するってよりは、尻半分スツールに乗せて、ぽつーんとひとり飲み、うまい酒とつまみ腹に入れて、はい、さようなら、みたいな」

 赤毛をなでられ、気持ちよさそうに目を細めて、バラッドは彼女の手のひらへ顔をすり寄せる。

「――それがいまじゃあ、連日大盤入り……とまでは言わなくたって、わりとカウンターが埋まることも多いでしょう。……多いですよね?べつに新規の客を呼び込みかけたわけでも、親父さんが急におしゃべりになったわけでもない。……つまりね、姫が店にいるからなんですよ」

「……わたし、……ですか」

 彼から水を向けられて、今度はコロカントがまじろぎする番だ。若干顎を引くようにして男を見つめ返すと、そうですよ、と頷かれた。

「そう。まあね、お姉ちゃんと会話を楽しむようなお店じゃあないですし、……、親父さんいますしね。露骨に口説く、空気読めない阿呆(あほう)はいないみたいですけど……、俺ね。若い男がにこにこカウンター席座るたんびに、なんか無性にむかっ腹が立ってね。姫に深意はないのだし、カウンターはさんでるんだから、せいぜいいくらかやりとりするくらいのもんでしょう。わかってる。わかってますけど、……けど、何度か、ジョッキ投げつけてやろうと思ったことはありますよ」

「投げるって、」

「俺の嫁さんなんだから、コナかけるんじゃねぇって」

「……、」

 告げた男の目がきらめいている。

 緑まじりの灰色の瞳孔が、ふ、と細まった。

「だから、札付けておきたいっていう姫の気持ちはよくわかりますよ。俺だって姫に札付けておきたいですもん。札っていうか、もう看板たてておきたい。入り口に注意書きして、ずっとそれ俺のですって言いふらしまわりたい」

 俺の。

 言って、コロカントがなにか返す前に、バラッドは撫でられていた頭をずらし、ちゅ、と彼女の手のひらに口づけた。

「好きですよ」

「……、」

 面と向かって告げられる。

 またぼっと頬が赤くなるのを感じながら、困ります、とコロカントはつい呟いていた。

「……困る。なにがですか」

「わ、わたしだってバラッドのこと好きです。もう毎日どきどきしてるのに、……これ以上好きになるのは困ります」

「……、……、……、……、……、……、……、ああもう」

 彼女の言葉を聞いた男がなぜか硬直する。そうしてたっぷりの沈黙のあとに押し出した声は、剣呑と言えるほど低く抑えられていた。……困る、だなんてまずかったかな。声に彼女は思わず緊張する。

「……あの、」

 

「――殺し文句吐いてる自覚あります?」

 

 困ったというよりはやや苦しそうな表情をしたバラッドに、噛みつくように口づけられた。

 同時になだめるようにさすっていた手が乳房を揉みしだいて、その絶妙な強さに、知らず腰が跳ねる。乱暴なようでいて、痛みを感じさせない力だ。

 なにか言い返したいのに、塞がれた唇では言葉はつむげない。無理やり頭を左右にすればきっと逃れられるのだろうが、男のキスは巧くてなにしろむちゃくちゃ気持ちがいいのだ。

 口の中を滅茶滅茶にされているうちに、だんだん舌の動きと、男の次第に荒くなる呼吸で頭がいっぱいになる。きっと、自分の息も同じように荒くなっているのだろうけれど、それを聞き取る余裕もない。

 ただときどき、静電気のように快感がびりりと痺れと共に背筋を駆けて、そのたびにコロカントは背を反らせた。

 窓は開いている。そもそもこの季節、風通しのために窓を閉める習慣がこの地方にはない。なのだから、先ごろのバルコニーと、音の聞こえ具合としてはきっとたいして変わらないだろう。声をあげれば、誰かに聞こえるかもしれない。けれどもう、どうでもいい気がした。

 

「バ、バラッド……もう、……もう」

 代わりに口からこぼれたのは、そんな懇願だ。

 男は先ほどから、とっくに愛液でぬるぬるの秘所に、入れるでもなし、ただ入り口全体を舐(ねぶ)るように屹立を前後させている。

 知らないうちに、コロカントの衣服は全部はぎとられて、きれいに丸裸だ。男もシャツ以外はいつの間にか脱いでいて、そのシャツも汗でしっとり湿っている。

 そのシャツの裾をつかんで、彼女は腰をくねらせた。胎の奥が疼いてたまらない。

 入れてほしかった。宿に着いてからだいぶ経つのに、さんざん指と舌で焦らされるばかりで、まだ一度もきちんとつながっていない。

 ……きちんとおねだりが言えたら入れてもらえるのかな。

 快感にとろかされた頭でぼんやりとそんなことを考える。そうして、熱のこもった目でじっとこちらを見つめる男へ向かって、バラッド、ともう一度うわごとのように名を呼んだ。

 名を呼ぶと、男はこたえるようにわずかに目を見張る。その彼が見えるように、おそるおそる足を左右に大きく広げた。

 足だけでは足りない気がして、腰をすこし持ちあげ、ぐしょぐしょの割れ目へ指をあてがい、それもそっと左右に広げた。

 コロカントは自慰経験がない。だからほとんど、はじめての行為だ。

「入れてください」

 舌足らずな言葉になってしまい、唇を湿らし、もう一度。彼女は男に告げる。

「バラッドの。か、固くて太いそれを、わたしのここに入れてくださ……っ……っ、っ、!」

 瞬間、突然にびりびりと脳天に強烈な刺激がはしり、コロカントはのけぞった。それが快感というもので、男が不意に突き入れたのだと気づいたのは、嵩張(かさば)ったそれが、半ばまで埋め込まれてからあとだ。

 強烈なそれに、一度すべての空気を肺から吐ききってしまい、かるい酸欠におちいって目の前がちかちかする。

 

「……悪い子だ」

 

 ず、ず、と穂先を埋めてゆきながら、バラッドが唇を歪めて笑った。

 悪い子。うまく息継ぎができないままに彼女は混乱した。……褒められると思ったのに。

 その彼女の額の髪をかき上げ、男はそっと唇を落とす。

「どこでそんな誘い方おぼえて来たんです、」

「ど、どこも、……あっ、あ、あ」

「……痛くないですか」

 問われて急いで首をふった。苦しいところも、痛いところもどこにもない。待ち焦がれた刺激をあたえられた体が、ただただ気持ちいい。

 これまで彼女が経験したことのある男との行為とは、はなから違っていた。圧迫感やすぎる充溢感がなにもない。

 この一年は、どちらかと言えばバラッドとつながる行為そのものが嬉しかった。普段は見せない彼のすこし苦しげな声や、追い詰められたように眉をしかめるしぐさを見るだけで満たされていたのだ。

 もちろん彼は、彼女を満足させようと気を配ってくれてはいたし、それで拾い上げる快感もたくさんあったけれど、こんなふうに、全身のどこもかしこも、触れられるだけでびくびく震えるほど直情的に気持ちいいのは知らない。

「ふ、あっ、あっ、あ、」

 声がもう押さえられない。

 のけぞった喉に軽く噛みついて、男がう、と低く呻く。最奥まで突き入れた彼のそれを、知らず知らず彼女が締めつけたからだ。

「……やばい。姫、その締めるのだめです。やばいです」

「そ、そんなこと言ったっ……、んう、う」

 恥骨を押し付けた男が、怒張を落ち着かせようとぐりぐり中で回す動きに、コロカントの言葉が途切れる。回した先端が、彼女の「イイ」ところをダイレクトに擦り立てたからだ。

「ここですよねぇ」

 バラッドはなんだか嬉しそうだ。切羽詰まった中にも、どこか余裕があるのが憎らしいと思った。目を細めて、彼が得たりと何度もそこを先端でつつく。

「バラッド……っ……だめ、だめっ」

「だめじゃない。いいんでしょう?」

「そこばっかり擦ったら、わたし、わたしっ……」

 つつかれるたびに全身が総毛だつ。

「ほら。――『気持ちいい』?」

「きっ……気持ち、いっ……あっ」

 男の言葉を夢中でくり返すうち、びくんとまた体が跳ねて、コロカントは無我夢中で彼のシャツを握りしめた。

「あっ、あっ、あっ、あっ」

 まだほとんど何もされていないうちから、あっけなく達してしまう。

 そうして、速攻で達したのに、男からはすこしも休ませてくれる気配が感じられない。達したてっぺんからまだ戻ってもいないのに、彼はゆるゆる抽挿をしはじめて、強制的にてっぺんへ押し戻される。

「バラッドっ……まって、すこしだけ、……すこしだけ、まっ、……!」

「待ちませぇん」

 どこか間延びした口調で返して、男がくすくすと笑った。その彼の顎からぽたんと汗がしたたり落ちてくる。

 したたり落ちた汗が肌に落ちる刺激さえ気持ちよさに変換されて、コロカントはまた声もなく達した。

「俺ね、姫とちがって若くないです。若くないんですよ。おっさんですからね。一回イっちゃうと、なかなか次まで長いんですよねぇ。――だからね、先に二、三度、姫にイってもらえると、つり合いが取れてちょうどいいかなって思うんです」

「そ……、そんなの、むり、むり、むっ」

「無理かどうか、試してみないとわかりませんよねぇ」

 ずりずりと内壁を往復されて、首をふりながらコロカントは早々に降参の悲鳴を上げた。

 いま達しただけで、もう頭の中でちいさな火花が散っている。高みから、まるで降りてこられる気がしない。

これであと二、三度だとか、いったい自分がどうなるものだか判ったものじゃあない。純粋におそろしい。

 なんとか押しとどめようと彼女が慌てて腕を伸ばすのへ、無慈悲に男が腰を一度引き抜いて、

「――、――っ!」

 的確にその一点を狙って、再度ぐっと突き入れてくる。

 歯を喰いしばり、なんとか愉悦を外へ逃がそうとしているのに、内から擦り立てられ、捕らえられて逃れようがない。

 絶頂まで持ちあげられたと思ったら、今度は性急に叩き落とされ、その高低さにもう何も考えられなくなる。

 なにか言葉で言い返したいのに、口から出てくる声はと言えば、鼻にかかった声ばかりだ。

 そうして彼女の足を抱えあげ、男はうん、だとか言いながらその敏感なあたりへ何度も刺激をあたえ、

「……気持ちいい」

 うっとりと呟いてみせるのだ。

「ここ。……姫のここ、当たるとざらざらしていて、前からちょっと思ってたんですけど、名器って言うんじゃないかなあ。こういうの」

「め、い……、」

「つまり俺もむちゃくちゃ気持ちいいです」

 そうか、バラッドも気持ちいいのか。

 目の前の男の顔を見つめながら、沸騰してぐらぐらになった頭でそんなことを思う。

 ……気持ちいいなら、もういいか。

 なけなしの自制がとうとうほぐされてぱらぱら落ちていく気がした。

 

 それからどれだけ時がすすんだのかはよくわからない。

 気がつくと、コロカントは男の腹の上に跨(またが)っていた。

 

 視界の端のバルコニーはすでにうす暗くなっていた。午後のまだ早いあたりに到着したはずだったから、ふた時ほどはこうして鳴かされていたのかもしれない。

 どうして彼の上に跨ることになったのだろう。彼女はもうよくわからなかった。

 自分からねだって上になったのか、バラッドが上下を逆にしたのか、記憶があいまいだ。

 腰に手をあてがわれ、好きに動くよう促されて、彼女は彼の腿のあたりに手を置き、膝立ちになって男自身を受け入れている。

 腰を上げると男自身がずるずると内から抜け落ちてゆき、雁首(かりくび)が壁のひだを丁寧になぞってゆく。

 ぎりぎりまで引き抜くと、今度はふっと太股の力を抜いて腰を落とす。すると最奥まで彼の先端が到達して、押し出されるように自分の口から嬌声があがるのだ。

 その動きを飽きもせず、反復する。

 緊張と弛緩を交互にくりかえしている体は、とっくにへとへとになっていて、だのにやめたくない。やめられない。

 

 宣言通り、男はまだ一度も漏らしていなかった。こういう、快感をうまく他所へやるすべを知っているあたり、羨ましいと思う。そうしてずるいと思った。

 気付けば、バラッドも全裸になっている。その裸の上半身にあちこちはしる傷が、見ようと思わなくてもどうしたって目に入って、コロカントは上下に揺する動きをゆるめながら、体をやや前に倒し、彼の古傷に触れてみた。

「……どうしました。くたびれましたか」

 くすぐったいのか、つつ、と傷をなぞる動きにちいさく息を漏らして男がたずねた。いいえ、とこたえかけて、もうあらぬ声でさんざん喘いだ喉がかすれていることに気がつく。

 仕方がないので首をふった。

 

「おや、」

 目ざとく男は気付いたらしい。肘をついて上体を起こし、枕元の水差しを手を伸ばして取ると、どうぞ、と彼女に差しだそうとして、なぜか一旦その手を引っ込める。

 受け取ろうとしたコロカントは、やや肩透かしを食らって、いったいどうするつもりなのか彼を眺めた。すると男は手にした水差しをおのれの口に含み、それからはい、と彼女を引き寄せ口づける。

 そうするのが自然なことのように、彼女は男の口から水をうつされ、飲み下した。

「……もっと?」

「……っと」

 頷いてまた男の口元に唇を寄せた。そうして与えられるまま、水と共に男の舌を吸いしゃぶる。体温であたためられた、ぬるい水が嬉しいなんてどうかしている。餌をねだるヒナみたいだ。自分でそう思い、それから無性に気持ちが高ぶって、知らずきゅ、と体内を締め上げていた。

 男が息を詰め、くっと声を漏らす。

 その苦しそうな呻きに、先とは違ってうっすら笑いがこみあげた。意識的に下腹へ力を入れ、内の彼を締め上げてみる。

「……バラッド」

「なんです、」

「『気持ちいい』?」

 眉間に皺をよせ、追い詰められる彼の顔に、してやった感でほくそ笑んでしまう。俄然(がぜん)やり返す気でコロカントがたずねると、

「……まったくもう」

 おもむろにバラッドが上体を起こしたまま、下からやや力強い動きで突き上げはじめた。

「本当に、そういうのどこで覚えてくるんです」

「ひ、ぃっ、あっ、あっ……!」

 せっかく水を飲んで、すこし声が出るようになったばかりの喉から、また嬌声があふれてくる。

「……姫」

 先とは逆に、今度は男がヒナのように彼女の口へ唇を寄せ、口の端を舐めあげながら腰を推し進める。

「気持ちいい……っ、きもちいい、っ、い、いいっ」

 自重も手伝って、奥の奥まで蹂躙(じゅうりん)されてしまう。舌を出して食みあい、目の前の彼の肩にしがみつき、壊れたぜんまい仕掛けのおもちゃのように、同じ言葉をばかみたいにくり返した。

 意識は下半身に集まっていた。自分自身が一本の暗いトンネルになっているこころもちがする。

 それ以外の、たとえばシーツの湿った感触だとか、外から吹きこんでくる風だとか、そんなものはどこか別の次元に飛んでしまって、ひたすら喘ぎ、男からもたらされる感覚だけが今の彼女の全てだ。

 

 そのまま無心になって、バラッドの動きにあわせ、同じように腰を振りたてたところへ、彼のおや、という小さな驚きの声と共に、どん、とひどく重低い落雷に似た音が響いて、いちどきに現実に引き戻される。

 戻されたものの、いったい何が起きたのか理解できず混乱した彼女の体に、びりびりと空震が届いて、それと同時に、花火、と男の声がした。

「はっ、は、……はな、」

 揺すりたてられたまま、バルコニーのむこうへ目をやると、打ちあがった軌跡をうっすらと宙に残し、一拍おいてどん、とまた夜空に大輪が浮き上がる。

 こんな間近で打ち上げ花火を、コロカントは見たことがない。

 快感に蹂躙(じゅうりん)されながらも目を見張った彼女に、

「ここ、穴場なんですよぅ」

 相変わらず眠たげな男の声が聞こえた。

「打ち上げ場所がすぐ近くでね。……近すぎて、音もうるさいし、逆に見にくいってんで、祭のあいだは敬遠されているんですが……、……。だから人の出もない」

 ふたりきりにはうってつけですね。

 言って一旦ゆるめた挿入を、再度容赦ないものへと変化させて、

「ああ、……ほら。花火の色が、姫に映えてきれいですねぇ。うん……、可愛い。……可愛い、姫、可愛い、可愛い……、」

 余計にがつがつと突き上げが強くなる。

 一定の間を空けながら、どん、どんと肌にひびく花火の音、結合部から聞こえるひどい泡立ち音、そうして男の荒い呼吸、ときどき漏らす、欲のまじった呻き、聴覚から犯され、コロカントは思わず片手を下におろしておのれの秘所へと触れた。

 受け入れた男の形をたしかめようと思ったのだ。

 けれど陰唇と屹立のきわ、自分がぎりぎりに開いて男を受け入れていることをたしかめたとたん、一気にたまらなくなって、

「あ、あ、あ、っ……!」

 男の肩にかじりつく。

 ぞくんぞくんと明らかにいままでと異なる波が下から押し寄せて、限界が近いことを知る。

「うわ、すごい締め付け、」

 耳元で、バラッドが苦しそうに漏らした。

「やだなあ……、もうちょっと、楽しみたいんだけどなあ……、」

「バラッドっ……、バラッド、もう、もっ、」

「うん、……、『イく』?」

 ボヤく余裕な言葉とは裏腹に、切羽つまった目で男は彼女をのぞきこむ。そうして、

「――ここに、」

 尽き上げながら、不意に片手を彼女のへその下あたりにあてがい、焦れた色を浮かべて男が切なげに囁いた。

「ここに、……、出していいです?」

 律動に振り回され煮えた頭へ、彼の言葉がじんわりと染み込んで、コロカントはがくがくと頷いた。

 出していいか、その確認だけで、上がりきった体温がもう一度ほど上がった気がする。

「出して、……。おねがい、出して、……出して。……ここ、バラッドでいっぱいにしてくださ、っ、」

 懇願する途中でとうとうてっぺんが見えて、彼女は全身をこわばらせ、

「あ、あっ、イっ――いっちゃう、いっちゃ、……イっ――っ!」

「は、出る……、」

 びくんと大きく跳ねた体を、バラッドにきつく抱きしめられた。一瞬内奥がふくれあがった錯覚を覚え、それが熱くてまた震える。ぐ、ぐ、と腰が突きだされ、雄芯から白濁がはじけ、内奥へ注ぎ込まれるのを感じた。

 

 そうしてひと呼吸、ふた呼吸、なんとか息を継いで肺へ空気を送る。

「は、……はっ、……、あ……、」

 全速力で走りきったあとのように、いちどきに全身が弛緩し、コロカントは抱きしめられるまま、くたくたと遠慮なく男にもたれかかった。

 もうどこもかしこもおかしな具合に痺れていた。頭の中まで痺れているのだ。なにも考えられない。考えたくない。

「可愛い」

 だのに、ちゅ、とこめかみに口づけられて、それから中に納めたままの屹立を、ゆるゆる動かされる。

 男のそれはまだしっかりと芯を持っていて硬かった。

「……ラッド……、……、」

「はいはい?」

 いましがた出したはずで、そうして男はたいてい一度達すると、だいたい満足して抜いてしまうことが多かったので、彼女は油断していたのだけれど、

「……あの、……あのいま、出しましたよね」

「出しましたよ?」

 実際、体はへとへとにくたびれていた。本当ならこのまま布団にもぐりこんでしばらく休みたいくらいだ。

 けれど、これだけははっきりさせておかないと、今後に差し支える気がして、しわがれる喉を咳払いして、コロカントはたしかめる。

「あの、……なんでまだ、その、」

「いやあ。まだ花火も終わってないですしねぇ。一度で終わらすのがもったいないかなあって」

「……、」

 もったいないと思うと、持続力が増すのだろうか。

 そうして花火と交わりと、なにか関係があるのだろうか。

 どう返していいかわからなくて、コロカントは無言になった。

 こめかみへのいたずらを、次第に肩口へ落して、……回春したんじゃないですかね?飄々(ひょうひょう)とした声で男が呟いた。

「回春……、」

「そう。姫のおかげで自分まで若返ったみたいな」

「……、」

 そんなこと、本当にあるんだろうか。

 深く考えようにも、考えがまとまらない。半分酸欠のようになっているところに、また男が仕掛けてくるのだからたちが悪い。

「姫はどうぞ、休んでいてください。……自分が勝手に動きますんで」

 そんな彼女を、ゆっくりと寝台へ横たえて、バラッドが上からじっと見下ろし、口先ばかりは心配そうな声をあげた。

「む、無理です」

 体の中の気持ちいいところを相変わらず刺激されて、感じないままに休むことなんてできるはずがない。

「おや。じゃあ、一緒にもう一度気持ちよくなりますか」

「それも無理です……、あ、」

 ぐっと一度鋭く突きこまれ、思わず声が出た。その勢いで、先だって注ぎ込まれた白濁がぬぷ、と結合部から漏れてきてしまうのを感じて、ああ出てしまう、そんなように思う。

 ……ずっと中にいてほしいのに。

「もう一度いっぱいにしましょうね?」

 切ない顔をしていたのかもしれない。男がちらとこちらをうかがって、そんなことを言った。

「――腰が立たなくなるまで、ばかみたいに腰振りたくって、今日はお互い気持ちよくなりましょう?」

 そうして不敵に笑う。

 ……ああもう降参だ。

 目を細めて、結局抽挿を再開しはじめるバラッドに下からしがみつきながら、心の中でコロカントは白旗を上げ、そうして自分も没頭するためにぎゅっと目を閉じた。

 

最終更新:2020年05月17日 23:47