わかんない。

 ほんと意味わっかんない。

 まずもって、俺がこんな禁猟区の山奥に行かされてる意味が理解できない。

 

 えー、これなんか夢でしょうかね? 悪い夢。

 げんなりしながら俺は思う。

 なんか、寝る前にあくびしないと夢見が悪いとか、そういうの言いますよね。俺も、前にどっかで聞いたような気がするんだけど、やっぱこれって、そういうたぐいのやつなんでしょうかね?

 ああでも夢だったらよかったな。しみじみ思う。

 夢なら、どんなに最低最悪な夢でも、覚めたら終わるもんな。

 

 消そう消そうと揉んでいるのに、さっきっから眉間の谷間が消えない。もう最悪。ほんと最悪。

 急に間近の下生えから野鳥が飛び立った。

 姿が見えたのはほんの一瞬だったんで、種類まではよくわからなかった。あの大きさだとたぶんキジかなと思うけど、飛び立った瞬間、俺の硝子(がらす)の心臓がぎゅうううっとなって、もうそれだけで死にそうになる。

 比喩じゃなくてさ。ほんと、肝つぶれそう。

 もういや。おうち帰りたい。

 え? お前弓かまえてんだろって?

 たしかに俺は弓かまえちゃいるが、けど、いつどっから襲い掛かって来るかわかんねーのにおびえてんだよ。

 ビビって脂汗(あぶらあせ)かきながら、俺は油断なく弓をかまえ、涙目であたりを見回した。

 こわい。

 もうしょんべんチビるほどこわい。

 

 ここいらであれですかね、ことの発端ってやつを説明した方が、流れ的にいいんでしょうかね。

 いいんでしょうね。

 

 

 あのね、なんかね、昨日、宿に泊まったんです。馬宿。

 馬宿ってね、ほら、名前の通り、乗りついだ馬を休ませるための宿でしょ。なもんで、俺の大好きな天使ちゃんたちがいるわけでもなし、ふかふかの羽根布団があるわけでもなし、ただちんまりした部屋に寝台が備え付けてあるだけの、一階の食堂部分でメシ食ったらあとは寝るだけの、本当になんの変哲もない宿なわけです。

 まあ、馬宿ってそういうもん。

 お楽しみなんてない。

 ちなみにここの馬宿は、ちょっとした事故物件みたいなもんで、って言っても別に泊まると呪われるとかそういう話じゃなくて、単純に、俺の知り合いが経営している宿、っていうことなんだけれど。

 知り合い。

 知り合いって言ったって、べつに馴染みの友人とかそんなもんじゃない。いやもうほんと、そんなんじゃないです。

 友人と言うよか、知人だと言いたい。

 俺は声を大にして言い張りたい。

 ただ昔、ほんのちょろっとだけ、一緒に仕事したことがある関係、腐れ縁だなんてぜったいに言いたくない、なにしろ俺もそいつも、同じ空間にいるだけで超絶いらいらしてくるんだから、断じて仲がいいなんてありません。

 いるだろ。

 そういう、うまく説明できないけど、とにかくウマが合わない相手ってやつ。

 もうこれは理屈じゃないんだよね。直観だよね。

 ひと目見てビビっときたのがひと目惚れって言うんなら、まさにその正反対だって思う。そういうの、なんて言うんだろうな。

 

 まあとにかくです。

 そんな知り合いがやってる宿に、俺は泊まった。

 気にくわないそいつと、そいつの旦那がやってるその宿の名前は、……、あー、ええっとなんだったかな、……「イボイノシシの鼻でか亭」? だとかなんとか、まーくわしくは忘れたけど、そんなような名前だ。

 街道筋に面してることもあって、客の入りもそれほど悪くないようだった。

 あ、べつにちゃんと稼げてんのかな、とか気にしてるわけじゃないからね。

 なんで他人さまのおうちの台所事情を心配しなけりゃなんないのって。そんなやさしさ、俺にはないですからね。

 俺はただ、年間契約みたいなかたちで、その宿の一室を借り上げているだけで、いやだって、いちいちそのあたりに泊まるときに宿空いてるかどうか、たしかめるの面倒じゃん。

 私物とか部屋に置いておきたいじゃん。

 どっかの町で思わず買っちゃったクマの置物とかさ、ずっと鞄に入れとくとか、重いじゃん。

 

 俺の稼業は――なんて言ったらいいかね、賞金稼ぎ? でもないんだよな、べつにそんな大げさなもんじゃない。おたずねものの首を狙うだとか、生死問わずみたいな、そんな血なまぐさい仕事はしてない。したくないし。

 だっていやでしょ。首持ち歩くのよ? 想像してみて?

 人の頭って結構重いのよ。ずっしりしてんの。

 仮にさ、賞金首切りとって、それ布に包んで持ってったとするじゃん。

 で、たまたま町中で知り合いに会ったとするじゃん。

 元気そうだなとかいうあいさつのあと、お前なんか荷物重そうだな、ひとつ持ってやろうかって言われて、

「あ、これ首なんでお構いなく^^」

 とか言うの? 言えないでしょ?

 

 だめだなんか話がわき道にそれた。

 俺は別に人間の首の重さを主張したいんじゃあない。

 

 俺の仕事の話だ。

 

 だいたいさ、普通に暮らしてたって、いろいろ面業ごとや厄介ごとって大なり小なり降ってわいてくるのよ。生活するって、つまりそういうことだろ。

 そういうのをまとめてる情報元みたいのが町ごとにあるのよ。

 そう言う場所は、情報屋って呼ばれてたり、仲介所って呼ばれてたりする。

 大きな町じゃあ、それ専用の建物があったりするけど、たいがいは酒場だとか、商工所の世話役だとか、町じゃない街道筋なら、馬宿のおっさんだとかがその紹介役に当たる。

 そういうところでさ、なんかいい仕事ない? って聞くわけだ。

 危なくなくて、楽に終わって、報酬がいいやつが理想です。ほんと、そんな仕事お願いしたいです。

 そんな案件、いまだにお目にかかったことないですけど。

 

 仕事は分類わけなんてできない感じでさまざま、赤ん坊のお守りだの、ボケ老人の話し相手だの、畑の草取りだの、倉庫の荷下ろしだの、帆布の繕いだの。

 そうした、日常の雑仕事の中にときどき、ちょっと物騒なやつが混じってたりする。

 

 おしのびの旅の護衛を頼みたい、だとか。

 卵の味を覚えちまったカラスを退治してくれ、だとか。

 野犬が増えてて数を減らしてほしい、だとか。

 嫁が間男と駆け落ちしたので嫌がらせしてこい、だとか。

 訳ありのナイフが近々競りにかけられるらしいから、代わりに落としてきてくれ、だとか。

 

 中には、近場の山塞に盗賊が住みついたんで追い散らしてほしい、だとかそういうちょっと大がかりなものもあったりするけど、俺は体力ないですからね、そういう、力任せの、ばっさばっさ大剣だのまさかりだの振るって血風まき散らす、的な仕事は受けたくないです。

 いやじゃん。一対一でもいやなのに、ヘタこきゃむさ苦しいヒゲ面のおっさんに囲まれるとかいう仕事。

 偏見ですけどね、盗賊の男とか、どう考えたってひと月ふた月風呂に入ってないでしょ。清潔好きの盗賊とか聞かないし。

 ぜったい臭いわ。

 しかも囲まれるだけでもいやなのに、そのおっさんたちがみんな手に手にナタとか鎌とか持ってて、こっちの首ねらってくるって。

 もうほんと勘弁。

 いくら他とくらべて報酬が破格って言ったってさ、自分がケガしちゃったら元も子もないじゃん。

 ましてや、腕もげたって誰も看病してくれもしないし、そのあいだの収入もなくなるんだぜ。

 体が資本です。

 

 だから俺は、俺に見合った仕事をえらんじゃあ金を貰って、そうして町から町へ流れて暮らしていた。

 そのとき利用する宿のひとつが、その、「イボイボのやかた」とかいう、馬宿なわけです。

 

 

 前置き長くなったけど、とにかく、何度も言うけどその宿に泊まったのね。

 泊まったんです。

 さっきも言ったけど、僻地の宿に娯楽なんてないわけです。

 メシ食って、酒飲んで他の泊り客にからむか、明日に備えてさっさと寝るか、流しの歌うたいでもいたら、そいつに一曲たのむか、せいぜいがそんなところだ。

 

 本当はさ、その宿に泊まると、いつもなら、俺が将来お嫁にもらってやってもいいなって思ってるきゃわわな幼女がいるんだけどさ。

 俺はその幼女と、おままごとしたりお人形遊びしたりして、なかなか充実した至福のひとときを過ごしたりもするんだけどさ。

 あいにくその子は、父親と一緒に近隣の村に泊りで出かけてて、留守だった。

 つまんねぇ。

 もう俺がその宿に顔出した意義、九割がたなくなったって感じです。

 いたのは、そのきゃわわちゃんの下のションベンくせぇ双子のガキだけだった。

 俺のこと見て、あの、幼児特有のひぎゃあーみたいな喚声あげて、もろ手あげて駆け寄って来るの。

 うるっせーよ。こっち寄ってくんじゃねーよ。俺はオスガキにはまっっったく興味ねーんだよ。あとそんなに急いで走んじゃねーよ。

 転ぶだろ。

 

「あら、来てたのあんた」

 

 駆け寄ってきた瞬間から、いきなり俺をのぼり棒認定したオスガキ二匹にもみくちゃにされていたら、裏口から女が顔を出して俺にそう言った。

 来てたの、じゃねぇ。こいつらをきちんと繋いどけ。

 その女が、俺がさっき言ってた昔の知人、ってやつなんだけど、まあ見るたび年々ふてぶてしさを増してるなあって思う。

 貫禄って言うんでしょうか。女は子を産むと貫禄が出るとかいうけど、おかしら、とか言って差し支えないんじゃないでしょうか。

 俺がちいさく親分、と呟くと、耳ざとくそれを聞きつけたそいつが、じろりと俺を睨んだ。おお怖ぇ。

 

「なんなの。来るたびケンカ売ってんの、あんた」

「売らねぇよ。売らねぇし、買うなよ。あんたのそのふとましい腕でぶん殴られたら、俺の顔面めり込むだろ」

 

 俺は言ってやった。言うとそいつがちょっとしょげた顔をする。あたし太ったかな。そんなこと言うので、幸せ太りってやつじゃねぇのって俺は一応訂正しておいた。

 一応ね。一応。

 太いとか細いとかでうじうじされると、こっちまで気が滅入るだろ。

 そうしてやっぱり年増は面倒くせぇなと思った。

 

「え、やっぱり太ったってこと」

「いやー、どっちかって言うと、『仕事』してたときより細くなったんじゃねぇの。当社比で。あ、べつに、だから華奢、とかそういうんじゃないからね。触れなば落ちんとか夢物語だよね。骨太なのは変わりないからね。山女の宿命だよね。あと、褒めてやったんで、酒付けてください」

 

 顔面にずり落ちてくるガキのひとりを脇に置きながら、もうひとりがいつの間にか肩に乗っている。

 肩に乗るのやめてほしい。俺は君らの父ちゃんとは作りがちがうんだよ。

 君らの父ちゃんは縦にも横にもいかついクマみたいな大男だからね、君らが乗ったくらいじゃびくともしないんだろうけどね。

 俺はウドの大木族でなく普通の人間ですからね。

 肩車すると、あとで背中までばっきばきに凝るんですよね。

 

 ひとしきり俺で遊んだあと、オスガキどもはその女に部屋へと追いやられた。寝る時間でしょ、準備してきな、とか言われて、きちんと向かうあたり素直な坊ちゃんたちですね。

 追い立てながら、ものすごく不本意な顔で、それでもそいつは一本付けていった。

 いただきます。

 

 しばらくちびちびやってたら、ちょうど食堂に居合わせた、旅の人形使いと馬喰(ばくろう)が、賭け札をやり始めた。

 ジョッキ一杯分くらいの小金賭けて、手札とにらめっこしてるの。

 とくに珍しい札ってわけでもない。ごくごく普通の、互いに七枚配って、順番に捨てて山からめくって、役が強い方が勝ち、ってやつだ。

 酒場や木賃宿なんかじゃ、よく見かける風景だった。

 

 普段なら俺は、そう言うのに首突っ込まない主義だ。賭け事がきらいとかじゃないんだけどさ、小金だろうが、金がからむといろいろ言い合いになったりとかするだろ。ああいうの、本当だるい。なんていうの、いちいち無駄なエネルギー使いたくないっていうか。熱い血が流れててうらやましいですねって思う。

 うぜぇよ。

 瀉血(しゃけつ)しとけよ。

 だからその二人の勝負も、最初は酒を舐めながらほーん、て眺めてるだけだった。

 

 だけだったです。

 だけだったんですよ。

 

 それがどう言うわけか、ひと時後、俺は手札を睨みながらぎりぎり奥歯を噛みしめていた。なんか流れで、俺も参戦することになった、んだよな。

 たぶん。

 捨てた札に、ああああばかだなあ、そっちの札とっとけば役そろったのに、とか、野次飛ばして、じゃあ見てないでやれ、とかなったのかもしれない。

 かもしれない。そのあたりの経緯、よく覚えていない。

 そこまで飲んだつもりもなかったんだけど。

 

 手を出してみたら、続けて何度か勝った。

 小金だったけど、ふたり分だったから、明日一日のメシ代くらいにはなって、俺はちょっといい気分になった。

 あれ俺あんまりやらないだけで、もしかして結構強いんじゃないのって。

 で、本腰入れる気になったんだよね。

 あわよくば、次の町までの路銀を稼げるかもとか思った。

 たぶんそれが、いけなかったんだと思う。

 

 むかしさ。

 どこの町のなんの依頼だったか、そんなのもう忘れたけど、一週間ほど泊りの仕事をしたときにご一緒した同業者が、賭博キチガイだった。そいつと夜回りの暇つぶしに、そういう話になったことがある。

 人生で一番勝った話とか。

 逆に人生で一番負けて、命(タマ)とられかけた話とか。

 そのとき、その賭博狂いは、俺に必勝法を教えてくれた。

 これだけ守ったら、ぜったい負けないって。

 

「ツイてるときに抜けろ」

 これに尽きるんだと。

 

 まあねー。言うのは簡単ですよねー。

 

 

 何度かの場のあと、いきなり周ってくる札がブタばっかりになった。

 全負けってわけでもないんだけどさ、だいたい一勝って三負ける感じ。

 積んであった小銭はあっという間に持っていかれて、俺はいらいらしてムキになった。

 次だ。次で取り返してやる。

 そう思って、最初は酒一杯だった掛け金が、負けを重ねるごとに倍々になっていって、恐ろしいほど負けが込んでる状態になっていた。

 

 金入れは振ってももうなにも出てこない。

 別分けにしておいた、次の町までの路銀も全部なくなった。

 天使ちゃんに渡そうって買ってあった土産物も出していた。

 上着も脱いだ。

 気づけばもうすっからかんの状態になっていた。

 

 なのにやめられない。なにこれこわい。

 夜も結構更けてきてた。もうこんな時間に到着する旅人なんてそうそういないから、泊り客は俺ら以外、もう部屋に引っ込んでいて、明日のために寝床に入っていた。

 厨房の火も落とされて、暖炉の火もしぼられて、ガキども寝かしつけて来た女が、心配そうにすこし離れた席からこっちの卓を見ていた。

 なんかそういう、ちらっと心配そうな目むけられると、よけいに頭に血が上るんだよな。頭に血が上るのとはちょっと違うのかもしれない。けどとにかく、引っ込みつかなくなるんだよな。

 俺べつにあんたに心配される筋合いはないですよって。

 見てろよ、次こそ勝ってやる。

 言って俺は最後の勝負を申し出た。

 

「ちょっと、イーヴ」

 

 女が、俺の名を呼ぶ。

 あ、イーヴっての、俺の名前です。

 よろしくお願いします。

 この稼業じゃ、なかなかお互い名前を呼び合う仲になる相手なんていない。だって、仕事で初対面の相手の名前ってあんまし呼ばないでしょ。仲良くなるまで、ちょっと、とか、おい、とか、なあ、とか。

 せいぜい、あんた、とか、おまえ、とか、そんな程度だ。

 そんな呼びかけで会話が済んじまう。

 だいたい、仲良くなる前に、仕事の上でのお付き合いですからね、契約終了と共にはい、さようなら、だ。

 次に会うことなんて二度とない。

 

 だから、俺の名前を呼ぶ人間って意外と少ないんだよな。そんなどうでもいいことに、俺はこの場で気がついた。

 なんだよって俺はこたえた。ふて腐れた声出してたかもしんない。

 その、俺の名を呼ぶ、唯一とまではいわないけど、なかなか希少なその女とは、五年、寝起きを共にした。

 あっ、もう本当、字面(じづら)どおりの寝起きです。それ以上はないです。恋人とか、本気でありえないです。

 寝て起きて、それだけのことなのに、五年過ごすとわりかしそいつがいまどんなこと考えてるのか、わかるようになる。情とかないのに。

 月日ってすげぇ。

 

 だから俺は、結構そいつが本気で俺の心配をしていることに気がついた。

 あんたそれ、巻き上げられてんのよってそいつは言った。そうなのかもしれない。でもさ、もう札をくばって、三者三様、めくっちゃったんだよね。

 ふつうここまで来て、場を下りるってない。っていうか下りさせてもらえない。

 あ、俺負けそうだからやっぱやめますわって言って、見逃がしてもらえるか? 無理に決まってんだろ。

 逆の立場で俺が誰かを圧倒的に追い詰めてたら、やっぱり見逃すわけはないと思った。

 

「……もう払えるものないんでしょ」

 いつの間にか、離れたところから近くに寄ってきていたそいつが、他に聞こえないように俺の耳に囁いた。そいつの赤毛がほんのすこし俺の首筋に触れてぞくぞくする。

 やめろって。くすぐってぇだろうが。

 言われてたしかに、俺が残りで持ってるものはといやあ、いま着てるシャツとズボンと、あと鞄の中の、配送中の依頼品だけってことに気がついた。

 そうなんです。いま俺、ひなびた馬宿でこんなことになっちゃってますけどね。

 お仕事中なんですよ。

 

 今回俺が受けた仕事は、持つと衝動的な殺意にかられる短刀、をコレクションしてた蒐集家(コレクター)が死んだんで、別の蒐集家のところへ移し替える、というもので、それは布でぐるぐる巻きにして鞄の中にしまってあった。

 こういう、いわくつきの武器とか宝石とか、欲しがるスジは一定数いた。

 なんなんですかね。集めてニヤニヤして楽しいんでしょうか。

 意図はともかく、そうした以来の報酬は、結構いいものだったから、俺はすすんでこの類の仕事を受けていた。

 

 ちなみにこう言う話すると、お前は呪われないのかとかだいたい聞かれるんだよね。けど、あいにく俺は、目に見えないものを信じない主義だった。

 怨念とかさ。

 もしかしたら、あるのかもしれない。俺が知らないだけでさ。

 それは否定しない。

 でも俺は、とりあえず今まで怨恨とかやらで迷惑をこうむったことがない。

 てことはないのかもしれない。

 目に見えないからさ、あってもなくてもよくわかんないんだよねって。

 だから、愛、とか友情、とかもほんっと大嫌いだった。

 そんなもん、わりと金貨一枚でころころ変わっちまうものだってことを俺は知っている。

 愛情も友情も、金で買えた。

 

 もちろん、中には正真正銘、真実の愛、だとかいうのもあるのかもしれない。怨念といっしょでさ。

 まあ真実の愛、とか言うとゲロ甘すぎて反吐が出そうだけど。口が曲がるわ。反吐どころか砂吐きそう。シジミかよ。

 だってさ、だいたいの夫婦やらアベックなんて、妥協でしょって思ってる。妥協しか考えられないでしょ。

 本当に、その相手のことが好きで、心底好きで、もう身も心もこのひとにささげますー、みたいな、天使ちゃんたちがよく読んでるような恋愛本、そういうのに載ってるような関係の人間っていったいどれくらいいる?

 くっついたやつらの多くは、理想と現実をとくと見比べて現実をとったやつらだよね。結局。

 顔はマズいけど収入はいいとか。口は臭いけど貴族とか。ないぺただけど口技がうまいとか。赤毛でゴツいけど、――いやこれはどうでもいいわ。

 

 とにかく俺が言いたいのは、どこかで妥協してくっついてるだけでしょって。

 そういうの、俺は求めてないんだよね。

 だったらべつに特定の相手決めなくたって、娼館でいいじゃん、そういう話になった。

 

 ……ごめんね。

 また話ズレたわ。

 

 とにかく俺に残されてるのは、あとは鞄の中にあった依頼品だけだった。

 これ出さないで、この勝負蹴倒して、俺がこのふたりにさんっざんボコボコにされるっていう選択肢もあったけど、痛いのいやじゃん。鼻とか歯とか折れるかもしれないし。

 ていうか、負け確で話が進んでるけどさ、俺が勝つっていう可能性だって残ってるわけでしょ?

 勝ちゃあいいんだよ勝ちゃあ。

 

 そうして俺は、卓の上へぐるぐる巻きにされた短刀を叩きつけた。

 依頼品を依頼主に届けないのってさ、ものすごい重大な契約違反で、ことによっちゃあ表ざたにしたくない依頼主から刺客がさし向けられたりとかもあるんだけど、大丈夫。

 俺は、勝つんだから。

 正確には、包みを叩きつけようとした。

 

「待って」

 

 ばん、と格好良く俺が叩きつける寸前で、後ろにいた女が場の空気をぶち壊した。

 包みを握りしめた俺の手の上にそいつの手が重なって留められ、鞄の中へ戻すように命じられる。

 なんだよあんたは俺のかあちゃんかよ。

 

 ただの女だったら、きっと俺も、それから人形師も馬喰も、いいとこまで高まってる勝負に水を差すそいつを許さなかったにちがいない。

 男には、負けるとわかっていてもやらねばならない勝負がある、みたいな。俺かっけぇ。

 だけど水を差したそいつは、この馬宿の女将だった。

 一応ね、敬意は払うわけですわ。女将だしね。一応。

 宿追い出されたらいやだしね。

 

「……なんだよ」

 むっとなって俺は言った。

 他人ごとに首突っ込むんじゃねーよって。さっきも言ったろ。あんたにゃ関係ない話だろ。

 しぶしぶ鞄につつみは戻したけどさあ、じゃあどうすんの? って。この勝負はわたしが預かりますキリッ、っていうのは、見てみたいし格好いいと思うけど、たぶんできねぇよ? って。

 だって場の三人とも、掛け金の大きさに頭に血がのぼっている。

 酒も入ってるしさあ、目の前に高級娼婦ひと晩貸し切りできそうな金ぶら下げられて、あっはい、じゃああきらめますね、とはなかなかなりっこない。

 引くに引けねぇよ。

 

 

 

最終更新:2020年05月23日 23:53