はい。
はいはいはいはい。
あーたしかにね? 言いましたよ俺。全部見せろってね?
でもさ、俺が言ってた全部っていうのは、その顔の前にずるずる垂れている髪の毛をあげておデコまで出してみろってことで、べつにマッパになれっていう意味じゃあなかったんですよね。
ていうか、あれですね、毛皮の下ってフリーダムなんですね。
自由な民なんですね。
ほら、鎧着る前って鎧下って着るでしょ。綿入ってるやつ。鎧の打ち身とか軽減するやつ。あんな感じで肌着的ななにかをまとってからの毛皮、だと思ってたんだけど、そういうわけじゃなくて、もう裸の上に直なんですね。
直穿きってあるけど、直皮なんですね。
はいはい。
なにかのプレイかよ。
それと、見ちゃったから感想を言うけど、肌がね、また、……、……うん。白い。めちゃめちゃ白かった。
白いというと、日に当たってない不健康児みたいな感じがするけど、決してそういう意味じゃなくて、もうさ、丸見えちゃってるからこの際いろいろ言うと、肉付きはとてもバランスが取れていていいと思う。筋肉も付いているし腰の張りもいい。
たぶん、普段はほとんど毛皮を脱がないんじゃないかと思う。それが部族的な意味か、虫除けやらの目的かは別として、とにかくほとんど脱がないってことは、肌が日光に当たる機会が少ないってことで、お肌の大敵の日光に当たってないってことは、透き通るような玉の肌を維持できると言うわけだ。
娼館の天使ちゃんたちで肌ソムリエになった俺が断言するけど、彼女らだって、ここまで透きとおるような|肌理《きめ》細やかな肌の持ち主なんてそうそういないんじゃないだろうか。
それから胸も、大きすぎないのがいい。
とはいってもないわけじゃなくて、きちんとふくらみは確認できるというか、こう、手のひらに収まるサイズというか。
俺は風船みたいにやたら膨らんで主張しているわがままボディより、ひかえめに楚々としているおっぱいの方が好きだ。
だからこの膨らみ具合はまさにちょうどだと思った。まあ個人的な趣向なんですけども。
ただね、ここまで言っておいてなんだけど、現実問題として女の裸が目の前にあるよ?
均整のとれた裸体がたしかにある。だけど、丸見えやったぜって思いはまるで湧いてこなかった。
女の裸を見ているというよりは、半分牛とか馬の買い付けに来た農夫みたいな、一歩引いた気持ちですわ。
だってさ、買い付けにきてさ、たとえば目の前で鋤(すき)引く予定の馬が急に馬っ気だして、こう、ぐぅんとおっ立ててさ、それ見てむらむらってなる?
ならんだろ。わあおっきい、馬並ねぇくらいしか思わないだろ。なんだったら、竿見てそのオスの種馬としての能力を評価するだろ。
なんというか、裸を見ている俺のそのときの気持ちはそんな感じだった。
だってもう状況がとにかく特殊すぎた。
普通に考えてありえなさすぎんだって。なんかふっと正気に戻ったら、あたま沸騰(ふっとう)しそう。もうおかしくなってるかもしれないけど。
考えてみて?
|獣被り《ドロシ》の巣穴で、|獣被り《ドロシ》の女と向かい合って立っていて、相手は食人の噂もあるような熊とタイマン張れる人種で、だのに俺はまったく空手で、さらに現在の状況把握がすすまないままになぜか向こうが裸になりはじめたとか、もう意味わからなさすぎて笑う。
もしかすると俺は半笑いくらい浮かべているかもしれなかった。
そんなことを思っているあいだに、女は下半身の最後の一枚もはぎとろうとした。うん。潔(いさぎよ)いわ。
潔いのはいいことだけど、うん、ちょっと待って。
俺はそこを望んだんじゃあないわけで。
「待てよ」
声をかけると、なんだかちょっとびっくりした様子で女が手を止め俺を見た。ここで止められるとは思わなかった、そんな感じ。
いやまあでも止めるよ。だって完全マッパになられても困るもん。
こういう場合、なんて声かけたらいいのかな。服――ああ、この場合は皮――着ろ、って言ったらいい?
「……それ着ろ」
結局なんて言ったらいいのかわからなさ過ぎて、俺は顎をしゃくって皮を指した。
「もういい。あんたがなにもしないのを信じるし、あんたが俺の言うことを聞くっていうのも信じてやる」
だからひとまず早く皮着てください。俺が正気に戻って頭おかしくなる前に。
顎をしゃくった俺を女はしばらく見て、それからわかった、とうなずきまた皮をまといだした。
そこでようやく俺はほっとする。
いやまだなにひとつ片付いちゃないわけなんだけど。
「あのさ」
女が皮をまとうあいだ、待っている俺は手持無沙汰(てもちぶさた)だったので、とりあえず解決できそうな問題をひとつずつたずねてみることにする。
千里の道も一歩からっていうだろ。
「ここ……、今いるこの場所な、あんたたちが生活してるところなんだよな」
「そうだ」
女が短くうなずいた。
「生活してるっつーわりには、ちっとも生活感がないけど、狩りとか、なんかの祭り……儀式? とかで、みんな出払ってるのか?」
もしかしたらものすごく静かに暮らす皆さんなのかもしれないが、それにしたって大人はともかく、ガキどもまで黙らせるのは無理なように思う。
大人数で暮らしてるんなら、咳払いとかさ。赤ん坊のむずかる声とか聞こえていいはずだろ。
「……言っただろう。皆いなくなった」
俺の問いに女が首をふる。
「いなくなったって」
そこのところがよくわからないんだよな。
俺は顔をしかめながら女にさらに問いただす。
「その、いなくなったっていうのは、つまりなんらかの部族間抗争で奴隷になってつれていかれたとかさ……、それとも疫病とかで、みんな死んじまったってこと?」
「そうではない」
「じゃああれか、……たとえば共同秘密みたいな? いない理由を口にしてはならない、みたいな」
「そうではない。……ヌィ・ンッムョボ・ゲャワもわからないのだ」
女はまた首をふる。あらためて毛皮をかぶったので、頭の上に、もうひとつ獣の頭があり、それも一緒にぷるぷる首をふっていて、こんな状況なのにちょっとおもしろい、とか思ってしまった。
「その、わからないっていうのはさ」
「わからないのだ。ヌィ・ンッムョボ・ゲャワは森に行った。そうしていくつか寝た。戻ってくると誰もいなかった」
「いないって、」
「ヌィ・ンッムョボ・ゲャワもさがした。このあたり全部探した。だがどこにもいなかった」
「……心当たりはねぇの? なんか全員で移動する、とか話をしてたみたいなさ」
「ない。聞いていない」
「えじゃあつまりさ、あんたが狩りだかなんかの用事で森に出かけて、そのまま何泊かした。そうして戻ってきたら、部族の人間ひとり残らず、そろって煙のように消えてたってこと?」
「うむ」
「そんなことありえるのかね」
「わからない。ヌィ・ンッムョボ・ゲャワも、考えることはためした。なにかよくないものがやってきて皆やられたのかと思った。だが争った跡、どこにもない。血の跡も、毛も、落ちていない」
「身の回りの物……たとえば貴重品が盗られたとかは」
「……キチョウヒン?」
俺が言うと女が不思議そうにくり返す。聞いたことのない言葉らしい。
「あー……わからんか。ええと、なんだ、つまり大事なものだよ。ひとに盗られちゃ困るような大切なものだな」
言うと盗られては困る、と女が口の中で何度か呟きそうして、
「ひとに盗られては困る、……、……皮?」
「いや皮はとらんだろ」
思わず素で突っ込んでしまった。
盗らんでしょう。皮。だってがちがちに大事に着込んでんじゃん。これ奪うのって結構大変だと思うの。さっきの熊とタイマン張ろうとしていたのから見ても。
そもそも|獣被り《ドロシ》が着てる皮を欲しがるやつなんているだろうか。俺は目の前の女をじろじろ眺めながら考えてしまった。
皮なら、罠でも張って仕留めるか、それこそ猟師からでも買えばいい。わざわざ未開の地に住む部族の巣に押し掛けて奪い取るようなものじゃあない。
でもそこまで考えて、逆説的に、まあ、いるかもしれない、そんなふうにも思った。いないとは言い切れないのが蒐集家(コレクター)の怖いところだ。
「まあいいや」
そこまですこし考えて、けれどそれ以上考えたところで答えが出ないものなので、俺は思考を切り上げ、次の問題に移る。
「得物を返しちゃくんねぇかな」
俺はそう言って女に手を差し出した。
「得物、」
「俺が背負ってた弓と矢筒だよ。手に持ってた山刀もあっただろ」
「お前さまのキチョウヒンか」
「そうだな……、貴重品だわな」
たずねられて俺はうなずき、すこし笑った。突き詰めると世の中金らしいが、その金を稼ぐための手立てが手元になけりゃ、稼ぐことすらできない。
「それと、さっきあんたは皮無しの俺の同族を保護していると言ってたな」
動けないとも言っていた記憶がある。
「生きてるんなら会わせてくれ。死んでるなら骸(むくろ)か証拠を見せてくれ」
「わかった」
じっとこちらを見ていた女はうなずき、皮を留める最後のひもを結び終わると、こっちだ、と俺をうながす。
さっきとは違い、今度はそれほどビビらずに、俺は女について行った。
恐怖が七割がた消えた理由はいくつかある。
まずは女が俺を襲う意思があるなら、気絶してぶっ倒れているあいだにやれたのにやらなかったこと、そうして俺の頬にべったりと貼りついているやたらでかい葉っぱは、さっき俺がぶっ倒れるときに壁でずりずり擦ったかなんかして、女がその傷に手当てをしたあとなんだろうと気付いたからだ。食おうと思ってる獲物に普通手当はしないだろ。たぶん。
……たぶん。
根拠は薄いけどさ。
まあ、一番落ち着いていられたのは、他の|獣被り《ドロシ》がここにはいないらしいっていうのがわかったからかもしれない。
もしかすると女が言っていることがまるごと嘘っていう可能性もあったが、さっきから見ている感じ、この|獣被り《ドロシ》の女は策を弄するのが得意なようにも見えないし、これはひとつ女の言うことを信じてもいいのかもしれない。
弓矢が取っ払われたのも、おそらくあまり深く考えてのことではないんだろうなと今は気付いている。仰向けに寝かせるのに、背中にいろいろ背負っていると邪魔だから、とかそんなところだろう。
全面的に信用するのがいいことだとは言えないが、だからと言って全部疑ってかかるのも、神経すり減らして自滅するばかりなので、とりあえず一旦、女に俺への敵意はない、という前提で話を進めることにした。
女について蟻塚なみの隘路をもう一度進む。恐怖心なしに進む通路は、ただ狭くて不快なだけで、今度は女の姿を見失ずについて行くことができた。
そうして、さっき俺が寝かされていたような、ぽっかりとひらけた空間にたどり着く。
どうやらこんなような空間があちこちにあって、それを部屋として利用しているようだった。
そのひらけた空間の真ん中に、人間がふたり転がされている。
全身、おそらく軟膏か生薬のようなものを塗られて、包帯代わりの大葉でぐるぐる巻きにされているものだから、ぱっと見巨大なミノムシにも見える。
「崖下に落ちていた」
転がったミノムシ二匹を同じように眺め下ろしながら、|獣被り《ドロシ》の女が言った。
「足を踏み外したのだと思う。すでに死んでいたものは獣に食い散らかされていた。息のあるものだけ連れて帰った」
「意識はあんのか」
俺はそのミノムシの側に膝をつき、傷口をあらためながらおい、とそいつらに呼び掛けてみる。返事はなかった。
「痛みを減らす薬、飲ませている。薬、強い。飲ませると眠ってしまう」
「あんたが手当てしたのか」
俺にはまったく医療の知識はない。かゆみ止めと血止めの草の見分けも付かない。だから女の手当てがどの程度正しいのかさっぱりわからなかったが、素人目には折れた腕に当てた添え木は、きちんと添えられているように見える。
「うむ。ヌィ・ンッムョボ・ゲャワはトコクヮだからな」
「え、あ? なに、トコ、……トコ、なんだって?」
「ヌィ・ンッムョボ・ゲャワはトコクヮだからな」
「ちょっとやめろ、くり返すなそうじゃねぇ。ていうか聞きとれん言語増やすな」
そのなんだ、独特の固有名詞やめてほしい。|獣被り《ドロシ》の女からしても俺との会話はそうなんだろうとは思う。だからものすごく一方的な言い分になっちまうんだけど、でも、とにかく、聞きとりにくいんだよ。
「つかな、その、そもそものあんたを指す名前、ほら、ヌほにゃらら、」
「ヌィは『乗せる』、『かぶる』、ンッムョボは『上』、『頭』という意味だ」
「いや意味を聞いてるわけじゃないんだって。嬉しそうに解説しないでいいって。言いたい論点はそこじゃねぇんだって。――でもじゃああれか、その流れから言うと、ゲワ?
とかが、あんたが今かぶってる獣の名前なんだな」
「そうだ」
「なるほどなー」
いやちがう。納得してんじゃねぇぞ俺。言いたいのはそれじゃない。
「あのさ、ちょいとした頼みごとなんだが」
「なんだ」
「すっげぇ申し訳ないこと言うんだけどさ、いやな、べつにあんたのヌほにゃららを莫迦にしてるわけじゃないんだぜ。あんたの部族のならわしをないがしろにしてるわけじゃない。……でもな、なんだ、ちと俺が聞き取れる名前……いや名前じゃなくてもいいんだが、とにかく、俺といるあいだは、俺が聞き取れて判別できる名前にしてくんねぇかな」
「……名前か」
言われて女が首をかしげる。その声にとくに機嫌をそこねた色がないことに俺はほっとなった。だってわからんだろ。なんか部族のほこりとかで、名前傷つけられただけで決闘申し込むとかありそうだろ。
勝てる気がしません。
「お前さまが呼びやすい名で呼べばいい」
「は、」
しばらく黙ってこちらを見ていた女が、唐突に口にした言葉はそれだった。
「お前さまはヌィ・ンッムョボ・ゲャワの命を助けた。言っただろう。ヌィ・ンッムョボ・ゲャワは、お前さまの言葉に従う」
「え、俺が付けるの? 名前? ……、……、いやだなあ。俺、そういう方面のセンスないんだよね」
女の名前なんて、せいぜいが娼婦の名前ぐらいのもので、他に交流がないものだからさっぱりわからない。
ガキなんて毎年あちらこちらで生まれているんだろうから、今年の流行り廃りの名前、みたいなのがきっとあるんだろうなとそこまで思いはするが、じゃあ今年の流行りの名前はと聞かれたところで俺は知らない。
知るわけねぇだろ。自分にガキが生まれるんじゃなし。
どうしたらいいんですかね。お花の名前でもつけておけばいいんでしょうか。花の名前なんて知らないんですけれども。
半ばのけぞってええ、とひきつる俺を眺めていた女が、さっきの、と赤い唇を開いて言った。
「うん、さっき?」
「お前さまが、ヌィ・ンッムョボ・ゲャワを指した言葉があった」
「え? あ? 俺なんか言った? ……えーと……ああ、……、|獣被り《ドロシ》?」
「うむ」
「|獣被り《ドロシ》がどうしたって、」
「それでいいのではないか」
「それでって」
「|獣被り《ドロシ》。そう呼べばいい」
「ええー……、」
思わず顎に手を当てて考え込む。
それってつまり、犬を犬、って呼ぶのと同じ理屈だよなって思う。いや間違っちゃいない。間違っちゃいないんだけどな。
「|獣被り《ドロシ》なあ」
「うむ」
「ドロシ。ドロシ……ドロシ……ドロシ……ドロシー……、まあいいか、なんか名前に思えてきた」
「うむ」
にぃ、と女は唇を吊り上げた。笑ったらしい。
そのあともう語ると長いからざっくり端折るけど、ヌほにゃららなんとか、からドロシーになった女と、俺はだいぶ長い時間をかけて意見のすり合わせをした。
まず|獣被り《ドロシ》の他のやつらがいきなりいなくなってしまった期間についてだが、おそらく半年から一年前ってところらしい。
とにかくほんのついさっき、暦の概念を理解した相手との会話だったので、詳しくはわからなかったけれど、ざっとそんなところだと思う。
いきなり一人で取り残されて、こんな広い巣穴に孤独に住んでいたのかとか、よくよく考えはじめるとちょっと胸にくるものがあるので、そのあたりは深く考えないことにする。
女は、部族の中では、薬師(くすし)とか呪(まじな)い士的な役割にいたらしい。
トットコなんとか、とかいうのがそれだ。
呪術師(シャーマン)、とでもいったらいいんだろうか。だけどそう呼ぶと、なんか頭に牛とかの頭骨かぶって、焚火のまわりで原始的な踊りをえっほえっほしていそうなんで抵抗があるんだが、まあかぶっているっちゃあかぶっているわけで、あながち的外れってわけでもない。
「ドロシーは力が劣っているからな」
そうして女は言った。
|獣被り《ドロシ》の部族は、ガキの時分は皮をかぶらないそうだ。ひとりで狩りをし、獣をしとめて持ち帰ってはじめて、一人前と認められるのだという。
そうして生涯その獣をかぶるんだそうだ。
強い獣を狩ればそれだけ力のあるものとして認められるし、弱いものは弱いものしか狩れない。
それについては、まあわからなくもないなっていうのが俺の感想だった。なぜなら、俺が存在してる方の世界だって、結局その人間の力を示すのは結果だけだったからだ。
大の男が、日がな一日赤ん坊の守りをしているのと、役場の経理やってるのとじゃあ、周りの評価はまるで違う。職業に貴賎なしだとかいうが、ありゃ嘘だ。
どれだけ稼いだかとか、どれだけ高名な仕事をしたかとか、そんなことで俺のいる世界は回っている。
それがしとめてくる獣か、請け負った依頼かの違いってだけで。
だからまあ、その価値観に異論はないですよ。うん。とくに言うことはないです。
ただひとつ、俺が異議を唱えたいとすれば、女の力が劣っている、とかいう一点だけだ。
最初さらっと聞き流しちまったけど、あれ、うん、……あれ?
ってなってから俺はいきなり愕然とした。
え、だってさっきのですよ、あの小山みたいな熊に恐れをなさず、真っ向から挑んでいったような女がですよ、力が劣っているっていうんですか。それが非力の部類に入るんだとすれば、いったい今ここにいらっしゃらない|獣被り《ドロシ》の皆さんの筋力たるや、どれほどのもんなんですか。
ていうかそれ、人間なんでしょうか。人間というくくりに入れてしまっていいんでしょうか。
大猩猩(ゴリラ)とか、何か剛力を持つ動物との間(あい)の子だったりしないですか。
あれだろ、握手しただけで指の骨砕けるわ。砕ける自信あるわ。
もう筋肉むきむき軍団確定だろ。絶対ぇ遭いたくねぇわ。
とにかく、そんなわけで、部族の中では非力の部類に入るらしい女が、森の中で怪我をした部外者を見つけ、手当てをし、面倒を見ているということだった。
女の話からは、どれくらいのあいだ面倒を見ていたのかはわからなかったが、おバカさんたちが
禁忌の森に乗り込めーしたのがひと月ほど前だったのを考えると、そのままひと月ほど面倒を見てたんだろうなって思う。
だって森の中で何日もサバイバルできそうな気がしないし。
何日も自力で生き残れるような慎重なやつは、そもそも思い付きで森に乗り込まないし。
「……こいつらこれからどうするかなー……」
おバカさんたちを見下ろしながら俺はため息をついた。
一応五体満足で転がっている彼らは、しかしとても自力歩行できるようには思えない。どころか意識がないのでたぶん座ることすら無理だ。
ということは、一旦彼らをここに置き去りにして、俺だけ馬宿に戻り、生きてましたよーって報告し、運ぶ手立てを考えてもう一度戻ってくるかってことになる。
でもさあ、運び賃とか、お手当割り増ししてもらえますかね?
仮に割り増ししてもらえたにしても、大の男ふたりを足元の悪い森の中運ぶ労力って、もう考えただけでげんなりしてくるんですが。ほんのちょっとの距離じゃないんだよ。|獣被り《ドロシ》の巣穴から人里までだよ。めちゃくちゃ重労働だよ。
そこまで考えて、それから俺ははた、となった。
さっき女は、息のある二人を崖下から連れて帰ったー、とか言ってたような気がする。すごい自然な言い方だったし、俺も話の流れ的にうんうんそうだよな、ほうっておいたら獣に食われるもんな、とかそんなことしか思ってなかったけどさ、うん、あらためて考えるとさ。
どうやって連れて帰ったの。
目の前のものが同じ人間として見れなくなった俺が震えながらたずねると、やっぱり女が運んだらしい。
担いで。
両肩に担いで。
なんかさっきからちょぃちょい非力みたいな話をしたような気がしたんだけど、あらためてあのさあ、こいつに力がないとしたら、俺なんかどうなるんだよ。
ガガンボかよ。
人間としての価値観を根底からひっくりかえされながら、俺は女に森の出口までおバカさんたちを運んでもらうように頼むことにした。
まあ俺のことなんでも聞くっていってるんだから、これぐらいやってくれるだろって計算は含んでいる。
俺は別に女を助けようと思って助けたわけでもないし、女ととくだん仲良くなりたいわけでもなかったが、こっちの言うことなんでもするっていう相手がいるなら、利用しない手はないだろ。
女は二つ返事で引き受けた。
そうして、話が終わったころには夕刻の気配になっていた。
夜行性の獣がうろつく夜の森を、急いで戻らなきゃいけない用事でもなかったから、ひと晩やすんで、明朝、出かけることにする。
女から弓やら矢筒やらを受け取り、一息つくと唐突に思いだしたように腹が鳴った。
考えてみれば、朝から水以外何も口にしていない。
歩きながら食えるような乾きものも持ってきていたんだが、なにしろ|獣被り《ドロシ》が出るという恐怖の方が強くて、まるで食う気になれなかったのだ。
思いだすとなんだかたまらないほど腹が減って、俺は干し肉の細く裂いたやつを口にくわえながらメシにするわ、と言った。
そうして包みを広げる。
なんかいろいろ気疲れした。眠っちまいたいが腹がとにかく空いている。できれば湯でも沸かして、スープとまではいかなくても熱い茶の一杯でも飲みたい。
でもここ、わりと閉ざされた空間だから火を使うのはまずいよねって思う。自分が燻製になりそうだ。
「煮炊きできる場所はあるか? 共同炊事場みたいな」
「……煮炊き」
言うと女がまた首をかしげた。出会ってから何度かこのしぐさをしてるので、そろそろ理解してきたが、これは女が考え事をするときの癖なんだろうなって思う。
「火だよ。火を熾してぇんだ」
「お前さま」
「なんだよ」
「お前さまは食うときに火が必要なのか」
「必要なんだよ。当たり前だろ。あんたらだって煮たり焼いたりするだろ」
「煮たり焼いたり……なにを」
「なにをって、……、なにをって、肉だの野菜だのをさ」
言葉を続けながらだんだん不安に尻すぼみになる。なんだろう、この会話が暖簾(のれん)に腕押し感。
「焼いた肉を食うのか」
「ああ、やっぱ焼かないんですね」
生か。激レア食か。
まあいいんですよ。他人の食事形態がどうだってね。文化の違いですし、口出しすることじゃないですよ。
その場面は直視したくないかもしれませんけれども。
なんかまたひとつ知りたくもなかった|獣被り《ドロシ》の知識が増えてしまった気がする。
頭痛がしてきた気がして、こめかみをぐりぐりと指で押しながら、俺はほれ、と隠しに入れていた干し肉を割いたやつのもう一切れを女に抛(ほう)った。
「食ってみろ。たいしてうまいもんじゃねぇけどな。燻製だ」
「くんせい、」
「さばいた肉を煙でいぶして日持ちするように固めたやつだよ」
「木の皮のようだな」
ためつすがめつ、受け取ったそれへ鼻を寄せ、くんくんとにおいを嗅いで、それから女はおずおずと口元へ干し肉の細切れを運び、ぱくんと咥えた。
「いきなり飲みこむんじゃねぇぞ。のどに詰まるからな。口の中で噛んでしゃぶって、やわらかくしてから飲みこむんだ」
「ふむ」
はむはむと言われた通り口を動かす女を見て、俺はやっぱり茶だけじゃなくスープも作ってみようという気になった。
なんか面白そうじゃん。煮炊きしたもの食ったことないやつが、はじめてそれを口にする瞬間。
まあ、熱いもの耐性がまったくない超絶猫舌だってことがわかるだけだったんですけれども。