街道を歩いている。

 街道に沿って歩く俺の後ろに付き従うようにして、女も歩いている。

 歩いている女は、ドロシーと呼ぶことになった、|獣被り《ドロシ》の部族の女だ。

 女は俺よりだいぶ立端(たっぱ)がある。だから本当なら、後ろに立たれて威圧感というか、存在感がありありでもおかしくはないのに、その気配はひどくうすい。

 うすいというか、ふとすると後ろにいることを忘れてしまう身のこなしだった。

 隠密に長けているというよりは、たぶん、存在そのものが人間じゃあないんだろうなって思う。人間じゃないって言うと語弊があるけどさ。なんていうんだろう。空気に溶けこんでるんだよ。

 それも、努力して溶けこんだわけじゃなくて、これはきっと生来のものだ。森の中で生まれて、森の中で暮らして、だから呼吸がそこいらの木や草なんかと同じなんだと思う。

 姿かたちはたしかに人間ではあるけれど、どっちかって言うと、やっぱり森の獣に近いのかもしれない。

 

 うん、気配はな。うん。薄いんだよ。たしかに。

 

「くせぇよ」

 臭気が濃いんだよ。

 

 舌打ちし、思わず呟くと、女がきょとんとこちらを見た。女は即席で作った筵(むしろ)を引いている。その筵の上に、怪我人がふたり乗っている。

 やめといたほうがいいと止められたにもかかわらず森へ突っ込み、怪我をして動けなくなった莫迦どもだ。

 五人乗り込んで行って三人は死んだらしいが、もうそれ自己責任なので、なんの感想も抱かない。あ、そうですかって思う。

 それよりも、よかったねって気持ちの方が強い。だって|獣被り《ドロシ》がいるって聞いて、わざわざ制止振り切って、ものめずらしさに突貫していったやつらだ。

 俺ならね、俺なら絶対ごめんだけど、世の中には常識では測れない頭おめでたいやからが一定数いるのだ。

 それがまあ、|獣被り《ドロシ》に会えただけじゃなく、巣に持ちかえられて、ひと月近く介抱されて、触れ合い体験満喫しまくれたよね。しまくれてよかったね。

 そんな感想しかない。

 代償が、全身複雑骨折と、今後農夫さんたちから請求されるであろう捜索代で高くついたけど、だって見たかったんだもんね。本望だよね。

 俺は別にどうでもいい。俺はただ、こいつら持ち帰って、報酬を受け取り、それを馬宿の借金にあてるだけだった。

 

 ちなみに、俺が真面目に依頼をこなしていることが、ばかに思えるかもしれない。

 とんずらすりゃいいと言われるかもしれない。

 クソ真面目に仕事こなしてないで、どこかに姿くらまして、借金踏み倒しちゃえばいいじゃねーかって、まあその通りだよな。

 身を守るためには当たり前の発想だし、借金踏み倒して、それで多少馬宿の女将から恨みを買ったって、以降付近に近寄らなけりゃいい話だ。

 まあちょっとだけ、馬宿の永久賃貸してる部屋の私物がもったいないかなっていう気がしなくもないけど、命あればなんとやらで、危険と金を天秤にかけて金をとるのは大ばか野郎のすることだ。

 

 わかるよ。

 わかってる。

 ただそれは、身ひとつで動ける場合の話だった。

 残念なことに、今回俺は、借金のカタに大事なものを女将に取られてるんだよね。

 最初の方に言ってただろ。いわくつきの刀やらナイフを蒐集家(コレクター)がほしがってるのを、俺が運んでうんぬんって。

 つまり、手に入れて運搬中だった短刀を、俺は女将に取り上げられてるんだよね。

 もちろん短刀ほっぽりだして、雲隠れするって手もないではない。

 いわくつきのものだから、もしかすると預かった馬宿にいろいろ面倒なことがおきるかもしれないが、まあ言うても逃げちゃえばね、俺自身はその後どうなったかなんて知りようがないし。

 

 たださ。これもさっきの天秤じゃないけど、どっちを選ぶかって話なんだよね。

 

 いわくつきの物品欲しがる蒐集家なんて、頭のネジが一本どころか三本か四本は抜けたやつらばっかりで、しかもその品物の値段なんてあってないようなものだった。

 ほしがるやつがいるから高いのだ。

 そんで、やたら値が張るのよ。

 三十人の生娘の血を吸ったナイフ――とかさ、俺にいわせりゃなんとなく古びた錆(さび)だらけのナイフってだけなんだけど、もう本当にお高いの。

 下手すると家一軒どころか三軒くらい建っちゃうの。

 そうした大金かけたブツを、俺が途中で放り投げてとんずらしたってなったら、まあ、たぶん、手に入れられなかった恨みってよりは面子(メンツ)つぶされたつらみの方で、報復が来ることはまちがいないんだよね。

 報復っていうのは、つまるところ、死だ。

 それも、俺は蒐集家の気を晴らすべく、なるべく惨(むご)たらしく殺されることになる。

 

 そうするとだ、素直に短刀預けて|獣被り《ドロシ》の生息地に出向くのと、短刀ほっぽりだして確実に殺そうと追ってくる追手から逃げ続けるのと、どっちがましなのって話だ。

 あと一応、第三の選択ってのもあって、俺が馬宿の女将の寝込みでもおそって、取り上げられた短刀奪って逃げる、っていうのもなくはなかったけど、あの女、いまでこそ馬宿の女将におさまってるけど、ちょっと前まで鉞(まさかり)ふるってわるいやつばったばったなぎ倒してたような女だよ。うまくいきゃいいけど、失敗すると俺はものすごくひどい目にあわされる気がするよ。

 

 つまりもう詰んでた。八方ふさがり。どれ選んでもろくな未来が見えない。

 

 だから俺は、その中でもなんとか、細い細い、蜘蛛(くも)の糸より細い希望が見えそうな気がする、|獣被り《ドロシ》の生息地に入り込んでひと探し、ってのを選んだわけで。

 まあその結果、なんでか知らないけど、その|獣被り《ドロシ》の女をひとり連れ帰る羽目になったわけなんだけども。

 

 あんたさあ、と俺は言った。

「あんたさあ、森の中からここまでそいつら連れだしてくれたのは、ものすごく助かったしありがたいんだけど、いつまで付いてくるつもりなの」

「いつまで、」

「いつまでっていうか、どこまでっていうかさ」

 その見た目も相まって、なんか本当に大きな野良犬になつかれて、ずっとついてこられた、みたいな状況になってる。

 まったく全然笑えないですけど。

「どこまでも。お前さまはドロシーの命を助けたからな」

 女は言った。

「いやだからさ、その助けたっていうのが、なし崩し的にっていうか、流れで助けた、みたいにはなったけどね? べつに助けようとして助けたわけじゃねぇんだよね? だからそこまで恩義に感じなくても、」

「命の借りは命で返さねばならない」

「重いわほんと」

 

 聞くとそれは、|獣被り《ドロシ》の流儀なのだそうだ。

 他のものに命を助けられたそいつは、同じような状況で助けたやつの命を助けかえすか、もしくは体を張って助けたやつを庇わなければならない。

 もう完全に堅気の世界じゃないよね。任侠の常識みたいになってるよね。

 けど、俺は住む世界がちがいますからね、|獣被り《ドロシ》の掟とか知らないですよ。

 

 うんざりする。

「もうさ、いいんじゃねぇの。あんたはここまでこいつらを抱えて持ってきた。俺はとても助かった。はい、これで、差し引きゼロ」

 森へお帰り。

「お前さま」

「……な、なんだよ」

 急にじ、と黒毛の下からこっちを見つめる視線を感じて俺はちょっとうろたえる。

「ドロシーはお前さまに借りがある。ドロシーは借りを返さなくてはならない。そうでないと、ゲャワがドロシーに怒りを下す」

「なんだそれ」

 また聞きなれない言葉が出てきて俺は一瞬思考が止まり、

「あー……、あれか、あんたがかぶってるそいつか」

 思いあたって頷いた。

 学習能力というのか適応能力というのかわからないが、なんとか理解しようとしている自分が正直いやだ。

「そうだ」

「それ、あんたの力を示すためだけのものじゃなくて、あんたの守り神的なかんじなのか」

「そうだ。ゲャワはかぶったその日から、ドロシーを監視する。ドロシーが死ぬまで」

 ひとりで狩りに行き、その狩った獣をかぶってようやく成人とみなすらしいから、そこではじめて個として認識されるのかもしれない。

 

 ん、あれ、ちょっと待てよ。

 

 死ぬまで監視、にちょっと引っかかりを覚えて、俺はあのさ、とまた言葉を続ける。

「昨日さ、脱がせたじゃん。俺」

「うむ」

「じゃああれ、なんかものすごい禁忌とかだったんじゃねぇの」

 俺はただ、女がほんのちょっと困ったり恥ずかしがったりしたら楽しいな、くらいの感覚だったんだが、部族の掟を破るだとか、そうした物凄いことをさせてたんだとしたらさすがに気が引ける。

 だってたたりとかありそうじゃん。俺に。

 

「かまわない。ドロシーにも、皮を外すときはある」

「ほー、」

 それはあれかな、水浴びるときとか、そういう、毛皮が邪魔になるときかな。

 相づちを打ちながら俺はふところから紙巻き煙草を取り出し、とんとんと湿気よけの革箱を叩きながら、

「まあいいや。じゃあさ、外して洗えよ。くせぇよ」

 言った。

 

 そりゃさ。

 俺だってさ。

 俺だって、とくべつ清潔にしてるわけじゃない。きれいにしてるか否かと言われたらぜったい不潔属性の人間だと思うし、風呂に入るってのがまず高級志向だったから、普通は手拭いで顔やら手やらを拭って、月に一度か二度湯を使う程度だ。

 最近は気温が高くなってきたので湯すら使わない。水場か川で済ませることが多い。

 服だって年中一枚を着たきりで、袖口だの襟のところは黒く汚れている。さすがに虱(しらみ)が食うのはいやなので、時々は洗って干したりもするけれど、それだって最低限のものだ。

 何枚も所持していて、洗って繰り返し使う、というのは地に足がついた生活の、余裕があるやつのすることで、かつかつで生きている俺みたいな人間は、だいたい着崩れるまで着たおして、ぼろぼろになったら捨てると言うことが多い。

 だからぜんぜん、きれい好きってわけじゃない。ただただ一般的な感覚、それもかなりずぼらな方の人種だと思う。

 でもね、森の中ならともかくひらけた場所で、そうして俺が|獣被り《ドロシ》の禁猟区域から抜け出て緊張がほぐれたのも相まって、ちょっと心に余裕ができたというか、嗅覚が戻ってきたというか、まあ感じたままに言わせていただきますと、濡れた外飼いの犬ってこういう臭いしますよね。

 獣くさいっていうか脂くさいっていうかさ。

 それが女の汚れから来る臭いなのか、それとも纏ってる毛皮のにおいなのかよくわからなかったが、とにかくちょっと立ちくらみがしそうなにおいだってことは事実だ。

 

 俺がそう言うと、引き綱を持ちながら洗う、と口の中でくり返していた女が、さっと顔色を変えたのがわかった。いや、正確に言えば、相変わらず顔はもさもさで隠れてよく見えないから、たぶん、この感じだと、血相が変わったんだろうなあ、っていう予測なんだけれども。

 

「洗う……、あ、洗えというのは、ドロシーを洗えと言うことか」

「まああんた本体もだけど、あとかぶってるソレとさ。両方かな」

「両方……、両方洗う……、洗う、洗わねばならないのか」

「えあの、なんか思った以上の反応で正直こっちドン引きなんだけど」

 

 俺はなんかものすごくひどいことを言ったでしょうか。

 ひどいことと言うなら、脱げよとか、呼びにくいから別の名で呼ぶとか言った時点の方が、えぐみとしては上のような気がしていたんだけど、俺の認識は間違っていたんでしょうか。

 

 それか、あれかな。泳げないとかそういうのなんだろうか。

 それとも水恐怖症とかそういうのでもあるんだろうか。

 煙草をふかしながらたずねると、そうじゃない、と女が左右にかぶりを振る。

「ゲャワの加護が落ちる」

 震えながらそんなことを言っている。

 ……いやそこまでビビるもんか?

 続けてぶつぶつ呟いている言葉を総合的にまとめると、とにかく俺にはよくわからない世界だが、洗うとその守り神? 的な力まで洗い流してしまうと、たぶんそういうことなんじゃないかなと解釈した。

 しかし加護って、くっついたり落ちたりするもんなんですかね。ゴミじゃねぇんだからさ。

 俺はまったく信心深くないから、そのあたりのところに疎いんだけど、なんか聖職者って身ぎれいにしてるイメージがあるんだけどな。水垢離(みずごり)とか。禊(みそぎ)とかするんじゃねぇの。

 

 無理だ、到底できない、男ふたりをひょいと抱える力のあるやつが、そんなふうに唇を青くしながら呟く姿はちょっと哀れみを誘うけれど、

「でもあんたさ、俺に付いてくるつもりなんだろ」

 俺は言った。

「その、やたら重い、命の貸し借りがどうのってのを、あきらめるつもりはないんだろ」

「む、」

「俺はくっせぇ女連れ回す趣味はねぇぞ」

 獣くさいのと脂くさいのだけで本当によかったと思う。これが糞尿くさいのまで含まれてたら、とてもじゃないけど俺はこいつと同道できる気がしない。

 

「なんならちょうどいいから、ここではっきりさせとこうぜ」

「……はっきり、」

「そうだ。いままであんたが生きてきた領域ってのは、せいぜいここいらまでだってことだよ。今から付いてこようとしているこっち側は、あんたの知ってる森じゃない。つまりあんたの常識が通じる世界じゃないってことだ。|獣被り《ドロシ》の縄張りじゃない、あんたらの言う『皮無し』の区分になる」

「……、」

「あんたらにはあんたらの決まりごとがあるように、こっちにはこっちのルールってもんがある。たとえば肉は生で食うのはあまりしないとか。虱(しらみ)とか蚤(のみ)をわかさないようにきれいにするとか。……皮無しの縄張りに足を踏み入れるつもりなら、皮無しの常識に従うのがスジってもんじゃねぇか? なあ?」

 

 ここぞとばかりに俺は押す。いっそ諦めて森へ帰っちゃくれねぇかなと思いながら。

 

「『皮無し』は風呂に入るんだ。体を灌いできれいにするんだぜ」

「……、」

 

 俺の言葉に口をつぐみ、呻吟していた女は、しばらくしてうつむきがちだった顔をあげて、

「わ、わ、わかった」

 言った。

「……わかったって、」

「ドロシーは皮無しの決まりごとにしたがう」

 この上なく悲愴な決意でもって宣言した。

 ……まあ、体を洗うっていうだけで、そこまで悲愴感を漂わせんでもって気はしなくもなかったけど。

 落ちるのってたぶん守り神? の加護じゃなくて、汚れとにおいだと思ったけど。

 

「あそうじゃあちょっと川に入ってみようか!」

 俺は街道から離れるように指示しながらそう言った。

 後ろに怪我人いることだし、このまま馬宿まで連れ帰ってもよかったんだけど、……でもさすがに……、さすがに他の客もいるのにね? 連れていける? 宿に入った瞬間、ぜったい他の客そっと場を離れるすると思うんだよね。

 それってある種の営業妨害じゃないのって思う。なんか女将に恨まれそう。

 かといって、馬留あたりでお前はここで待ってろっていう? 厩で寝ろとか?

 でもそれはそれで、相手を獣あつかいしすぎじゃないとも思う。白い目で見られそうな気もするし。

 だから、一番いいのは、馬宿に顔を出す前に小ぎれいにしておくことなんじゃないかなって。

 

 うまい具合に街道からすこし離れたところに小川が流れているのを、俺は往路で知っている。すこし離れているから、人通りもない。すれ違う人間の数なんてたかが知れていた。

 これが大きな町の近くとかだったら、荷運びの馬車が結構行き来したりもするんだが、このあたりじゃあせいぜいわら積んだ農夫がのんびり一日に一便、通るか通らないかだ。

 獣の皮をかぶった女を後ろに引き連れている俺にとっちゃあ、ものすごく好都合なことだった。

 

 

 小川と言ったって、せせらぎ、と言ってもいいくらいの川で、腰の高さほどもない。

 だのに小川の近くまで来ると、明らかに女の腰が退(ひ)けているのがわかった。悪いけどちょっと笑う。熊とやり合うのに何のためらいもないのに、水が怖いの、って。

 背中に負っていた荷袋の中から、小さな石鹸を取りだした。これは別に、俺がいつでも身ぎれいにできるように持っているわけではなくて、たまたま、いいにおいのするやつを娼婦の可愛い子ちゃんから貰ったからだ。

 ひと晩買った天使ちゃんがとてもいいにおいがしたんで褒めたら、使いかけだけど、とか言って、くれたのだった。

 くれると言うなら貰ったけれど、あいにく俺は男で、しかもいい年をしたおっさんなので、女子的でフローラルなにおいをぷんぷんさせるのもどうかと思った。だから油紙に包んでしまっておいたのだ。

 

「あー……、なんか大丈夫? ちょっと深呼吸する?」

 くさいから洗えと言った俺が心配するものなんなんだけど、唇を噛みしめている相手を見ていたら、なんかものすごいいじめっ子の気がしてきた。

 俺は、いじめられるよりいじめる方が好きだけど、本気で相手が恐怖しているのはどうかなと思う。いやよいやよも好きのうち、じゃないけど、許容範囲内でいやがってるからつついて楽しいのであって、血の気をなくしているような相手をことさら追い詰めるのは、あんまり好きじゃない。それもういじめじゃなくて虐待だよね。

 まあでも、あんまり、であって、楽しいの楽しくないのって聞かれたら、そりゃあすこしはどきどきするわけですけれども。

 あ、下衆(げす)ですいません。

 

「……うまれてはじめて水に入る瞬間に俺は立ち会ってるとかじゃねぇよな」

「いや」

 女は首をふった。

 そうして、魚を獲るだとか、水辺のトカゲ的な獲物を獲るだとかで、入ることは割とあると言った。

 まあただね、水に入るっていうのとね、洗うってのはちがうよね。根本的にね。

 

「ええと、」

 石鹸を渡しかけて俺は一瞬悩んだ。

 体をきれいにする習慣がある相手なら、このまま石鹸を渡して、はいじゃあきれいにしてきてね、俺は向こうで待ってるからね、でいいかもしれないが、おそらく石鹸を使ったことがない、というよりかは石鹸という存在を知っているのかも疑わしい相手に、それって通じる気がしない。

 泡立てるっていうのから教えないと意味なくないか。

 現に、女は俺が差しだしかけた石鹸に鼻を寄せくんくんと嗅いで、食べ物か、だとか言っている。これ、渡したらそのままかじる気がする。

「――……うーん」

 今日もよく晴れた空を見上げて俺は迷う。

 やっぱ誰かが手伝うべきなんでしょうね。

 この場合手伝うべき人間は俺しかいないので、俺が手伝うべきなんでしょうね。

 

「まあいいや」

 とりあえず皮も女も全部きれいに洗いたかった俺は、石鹸をそのまま手の中で転がし、

「おら、水に浸かれ」

 腕まくりと足まくりをして、体を濡らすように指示した。

 女を脱がせて俺が洗ってやる、とか字面だけだとものすごいアハァン的なものに思えるけど、現実は非情です。

 たいして桃色要素はありません。

 毛皮を洗うのは、そんなに難しいことじゃない。毛の一本一本にしっかりこびりついた泥汚れだの脂汚れを落とすのは面倒だったけど、大きい犬を洗っているような感覚で、ちょっとおもしろい。

 汚れが取れてつやつや毛が輝いてくると、なんかひと仕事やってやった気になってくる。

 

 だが問題は本体の方だよ。

 

「ええと……、じゃあ次、あんたが毛皮脱ごうか?」

 三本目の煙草に火を点けるころに、ようやく女の方に取りかかる。

 泡立てた石鹸で撫でる程度じゃ、積年の汚れは取れないような気がしたんで、俺は腰の手拭いに泡を擦り立てて、それから女に脱ぐように言った。

 さっき、あまり毛皮を脱がない、というか基本的には脱ぐものでない、みたいなこと聞いたような気もしたけど、もう一回脱いじゃってるでしょ。一度脱いだら、二度も三度も、同じことじゃねって思う。

 脱ぐと聞いて、またうろたえるかと思った女は、思ったよりすんなり毛皮をとった。

 その体を力を入れてこする。

 娼館で天使ちゃんとふたりきりで泡風呂とか、ものすごい楽しいひとときだってのに、ことこの状況だとなにも嬉しくない。

 あでも、垢じみてところどころまだらになってた皮膚が、本来の輝きの白さを取り戻し、すべすべのすべになった瞬間なんかはちょっと楽しかったかも。

 なんかむだにやってやったぜ感がある。

 俺はやったぜ。

 

 体を洗い終わり、獣の頭の下から現れた、ぼさぼさの頭に水をぶっかけて、俺はわしわしと頭で石鹸を泡立てる。

「目ェ閉じてろよ。あと口で息しとけ。泡がしみただの鼻に入っただの、やかましいのはごめんだからな」

「わかった」

 うつむいて大人しくしているのをいいことに、おれは思う存分洗ってやった。

 髪で石鹸泡立てるのって結構好きだ。なんかものすごい勢いで、泡がもこもこもこもこーって発生するだろ。楽しくて好き。

「……こんなもんか」

 合図すると女が水に潜る。水場でちまちま手桶でかけるより、よっぽど早いので川での水浴びは楽でいい。

 潜ってると、女の黒髪がぶわあって水の中に広がる。長さ的には腰のあたりまであると思った。クセがわりと強くてうねってるので、藻のようだと思う。

 そうして充分泡が流れたころを見はからって合図すると、女が立ち上がる。立ち上がった拍子に、こう、長くてもさもさの髪が水に左右に分けられて、こっちとしては思ってもみないタイミングで女の素顔があらわれた。

 

「ふへ、」

 

 頭を拭いてやろうとした俺の口から、おかしな息が漏れた。

 いきなり目の前に絶世の顔があらわれた衝撃を、想像してみてほしい。

 頭真っ白よ。真っ白。立ったまま気絶、っていうけど、たぶん俺は気絶していたのかもしれない。

 咥えていた煙草はどこかにいっていた。落としたのか、燃え尽きたのかもわからない。

 

「え、なに、まって、ちょっとまって、頭が追いつかない」

 

 目の前に現れたのは、不安そうな顔をした、とてつもない美女だったからだ。

 

 

 

最終更新:2020年08月07日 23:06