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 それから半日、執務机に戻って俺は一心不乱に仕事をした。前述の通りだ。仕事をこなすのに、感情はいらない。可決、不可欠、書類に目を通し、それぞれの書類箱に分けてゆき、必要とあれば訂正して認印を捺す。最小限の動きは、むしろ自分が機械にでもなったような錯覚すら覚える。
 勤務時間内であったし、普段から局室に詰めている事務員どもももちろんいたわけなのだが、彼らは常と変わらず彼らの仕事をするだけで、また時々は俺のところに確認にやっては来るものの、それだけで、だから俺は激しく怒ったり、罵ったりなどということもなく、どころか腹に転載された厄介なアレすら忘れて、淡々とおのれの責務を片付けていった。
 こうした、ある種、機械的な作業は心地いい。仕事で頭が埋め尽くされて、他の余計なことを考えなくても済むからだ。
 少し遅くなった昼食を食堂で済ませ、午後三時の休憩も事務員と一緒に、今度のワールドカップのイタリアメンバーは誰が選ばれるか、だとかごくごく一般的な雑談をしながらコーヒーを飲んで過ごし、実に穏やかな半日だった。余計なことを考えないよう書類に専念したおかげで、だいぶん仕事もはかどった。
 朝のアレさえなければいい一日だった、と言ってもよかった。


 だのに就業間際、もうほとんどの事務員が今日の仕事をまとめ上げ、帰り支度をはじめようとする頃合いで、ジリリ、と一本の電話が入った。
「――局長、」
 鳴ったのは、俺の机の上の黒電話じゃあなかった。だから俺も相当油断して、きっと事務局か何か、提出書類の期日だとかなんとか、確認の電話をかけてきたに違いない、そう思い、うん、なんだ、とたぶん弛んだ顔を、電話を取ったそいつに向けたのだと思う。
「緊急連絡です。」
「緊急。……誰から?」
「イルクーツクのトニオ・スカリエッティですね。」
「……イルクーツクのトニオ、」
 挙げられた名前をおうむ返ししながら、俺は頭にトニオ・スカリエッティなる人物の詳細情報を、ピックアップしはじめる。十三課局員、武装神父隊隊員、外征任務をこなすために各地へあちらこちら飛ぶ役割の方ではなくて、現地に定住し、地域に潜り込む諜報活動員のはずで、ナンバーもわりに数字が若かったはずだ。
「……たしか彼はスパスカヤ教会の調査だったな?」
「はい。」
「替われ。」
 電話を受けた事務員に大またで近づき、もしもし、と俺は受話器へ話しかける。話しかけながらいったい何があったのかとこちらを眺める局員らに、お前らは帰っていいと目配せで合図した。
 イルクーツク。ロシアの地方都市だ。キナくさい話題が多いロシアの都市の中でも、かなり硝煙のにおいの抜けない町だ。ロシア正教が住人の大半を占める中で、いくらかのカトリック教会も残されており、そこに派遣員を潜入させている。いまは郷土博物館として利用されているスパスカヤのその施設で今回極秘で追加調査依頼があり、
「あ。局長ですか。」
「どうした。」
「あのっ、アンデルセン……、アレクサンド・アンデルセン神父が、」
「……、」
 名前が耳管を通った瞬間、ずくんと視界が点滅するのが判った。眩暈をこらえるように一旦目を瞑り、そうして開いて局内を見渡す。帰っていいと合図した事務員らは、これ以上ここにいて、うっかり残業を追加されちゃかなわんとばかり、さっさとみな退出し、部屋には俺ひとりだ。それで少しだけほっとし、俺は首元のカラーへ手を伸ばした。
「――アンデルセンがどうした、」


 まったく揉め事を起こすのが得意なやつだと思った。
 報告をひと通り受け、次いで指示を出し、受話器を置いたころには軽く三十分経過していた。先ごろまでの仕事を上々にこなしたいい気分が台無しだ。俺は長々とため息をつきながら電話機を睨みつける。
 ヴァチカンの切り札だ? ジョーカーだの、判事だの、聞こえのいいご大層なふた名ばかりひとり歩きしているが、俺に言わせれば「歩く揉め事製造機」だ。なんなら「始末書量産機」でもいい。
 現地局員のトニオ・スカリエッティ隊員が報告したところによれば、今回極秘で追加派遣したアレクサンド・アンデルセン武装神父隊長が、現地で過激な正教徒と口論からの交戦に発展したのだそうだ。騒ぎを最小限に抑えようとしたものの、トニオ隊員ではあいつをいなせなかったらしい。過激派が数十名巻き込まれ、現在生死確認。現場が現場で遺産登録されている箇所もあったものだから、即時報告よりもまず建築物の破損被害の確認把握に奔ったらしい。
 だがまあよくやった、俺は受話器の向こうのトニオを褒めてやった。あれは暴走機関車みたいなやつだからな。走り出したら誰にも止められんよ。
 スパスカヤ教会周辺が、多少の弾痕と銃剣痕は残ったものの、大きな崩壊はなかっただけで良しとすべきかもしれない。というか、あんなところで交戦とかあいつはあほか。底抜けのあほか。
 時世を考えろと言いたい。
 旧ソビエトが崩壊してから数年、シベリア政情はいまだにおさまっちゃあいないし、そもそもイルクーツクにはロシア軍の駐屯地まである。軍の目と鼻の先で華々しくおっぱじめるだとか、いったいどういう頭しているんだ。それとも脳味噌まで筋肉なのか。
 蜂の巣になったって、自分は死なない自信があるのかもしれないが、その後必ず起こるだろうヴァチカンへの糾弾を、あいつはほんの爪の先ほどでも考えたことがあるのだろうか。
 そうして最近、ヴァチカンカトリックと東方教会が、互いに思惑はあるにせよ、交渉し、歩み寄ろうとの機運がなんとなく興りはじめた中で、なに水差すように銃剣ぶっぱなしてるんだ。本当にあほか。その非難と批判は全部十三課にブーメランで帰ってくるんだぞ。迷惑被るのは、現地で好き勝手やらかす貴様らじゃなくて、後方支援の事務室(ここ)なんだぞ。判ってるのか。

 ……まあ判っちゃあいないんだろうな……。

 空しいというより悲しくなって、俺はため息を吐く。あいつが帰還して、俺がいくらがみがみ説教したところでどこ吹く風だ。数歩歩けば忘れている。
 言うことを聞いたためしがない。
 ひどく息苦しい気がして、俺は再びカラーに手を伸ばし、ぐいと引き下げ喉元をゆるめた。それから空気清浄機に目をやる。きちんと作動しているはずなのに、なんだか空気が薄かった。酸欠に喘ぐ水槽の金魚の気分で、俺は口を開いて数度呼吸する。
 ここは地下だった。だったら換気ダクトでもいかれたんだろうか。
 は、と吐き出した呼気がいやに熱くてぎょっとなる。熱でも出したのかと思える熱さだった。
 なんだこれ。思わず手袋を外し、もう一度口元へ手のひらをかざして、はー、と呼吸を吹きかける。
 酒でも入ったように熱い。
 そこで俺ははじめて、呼吸だけでなく俺自身の体がやけに熱を持ち、しかも下腹部を中心にずくずくと疼きが広がっているということに気が付いたのだった。
「えぇ、……、」
 ちょっと待て。ようやく下腹の例のアレに思い当たり、俺は思わず声を漏らした。局室に誰もいなくてよかった。ひどく情けない声であることは自覚したからだ。
 ……待ってくれ。いまの電話で俺が激高するところはなかっただろ?
 ロシアで揉め事起こしたあほに対して、あのくそ野郎と確かに思いはしたが、思ったのは思ったというだけのことで、それ以上に激しく感情を高ぶらせるようなやりとりはなかったはずだ。
 次いでおのれの言動を思い返す。
 トニオ隊員から事件の経過報告を受け、現状の対応を聞き取り、今後の処置について指示しただけのことだ。腹立たしくはあったが、マックスウェルが貼ったアレが反応するほど、俺は怒りや驚きを表した覚えはなかった。
 ……ではこれは何だ。
 服の下にあるアレを凝視するように、おれは自身の臍のあたりを眺める。
 説明されたのがただの虚偽で、結局は効能が誰にでも現れる仕様だったのだろうか。激しい感情を抱かなければ大丈夫だと吹き込んで安心させておいて、あとから実は嘘でした、とバラして心を折るタイプの拷問用具なのだろうか。
 よく判らない。
 俺は尋問や拷問専門ではないので、いかにして効率的に相手の心をへし折れるか、よく判っていない。ただ、そんな不確定で曖昧な代物をあいつは製品化しないような気がする。
 ……では、いったいなんだ。
 なんとなく、ほんのささくれのように引っかかる違和感が俺にはひとつあって、おそるおそる俺は舌の先で唇を湿し、カメラやマイクに拾われない程度の動きで、
「……アンデルセン、」
 小さく呟いた。
 途端に体の中心をずくんと奔る微電気にも似た感覚に俺は硬直し、奥歯を噛んで噛み殺した。
 うわ、マジか、そんな品のない言葉が漏れていた。
 ――名前だ。
 どういう仕組みか知らないが、俺はあの猪突猛進野郎の名前が挙がると、脳内にノルアドレナリンが分泌され、それを下っ腹のコレが拾って快感に変換されるようだった。
 いや勘弁してくれ。
 頭を抱えたかった。洒落にならない。
 俺がアンデルセンに怯えている?俺は十三課をまとめる立場の人間で、あいつはその下で働くひと振りの銃剣にすぎない。恐れるいわれはさらさらない。
 それとも、恐れや怒り以外の別の感情が脳内で湧くというのか? ばかばかしい。
 とにかく、十三課の局室にいるのは得策でないように思えた。この淫紋シールの快感とやらが、どの程度の時間で治まるのか、治まらずに四十八時間続くのか、マックスウェルは説明していかなかったのでよく判らなかったが、とりあえずカメラがどこかに設置されているここでは駄目だ。……警備員にさらすのか? アンダーソンの声がよみがえった。
 絶対にだめだ。醜態を見られるとか軽く死ねる。
 俺は机の上を雑にまとめると、上着を取るのもそこそこに、慌てて自室に向かって歩き出した。


 自室にカメラやマイクが仕掛けられているのかどうか、調べたこともないし、俺は知らない。
 仕事の特殊な事情上、誰かに漏らしたり、部屋を襲撃されたりしてはまずいわけで、もしかしたらどこか、シーリングプラグの中だとか、壁の隙間、床板の割れ目、そんなところから監視されている可能性はたしかにある。だから俺はなるべく自室に灯りを点けないし、物音も最小限に抑えている。盗み聞きされて興奮する性癖は持ち合わせていないからだ。
 俺は居住区までの自分の部屋への最短の通路を知っていたし、のろのろ歩いたってせいぜい数分の道のりなのだが、こんなに通路が長いと思ったのははじめてだった。
 酔っぱらってもないし、貧血のわけでもないのに、足がもつれ真っ直ぐ歩けない。これだけよろけて歩いていたら、カメラを眺めて不審に思った警備員が駆けつけてくるんじゃないだろうか。せめて前屈みであるのが腹痛を催したとでも思ってくれているといいんだが。
 ひやひやした思いで壁伝いにもたれて歩き、震える指で自室の鍵を回して中へ転がり込んだときは、ああなんとかここまでたどり着いたという気持ちでいっぱいだった。

 ……助かった。
 寝台にそのまま倒れ込む。灯りも窓もない部屋は、鼻を抓まれても判らないほど真っ暗だったけれど、俺は煌々と照らされる自室より、暗いほうが落ち着いた。
 暗ければ、部屋の境がどこまでなのか、目認しなくて済む。体温が立ちのぼり、手の届くまでが自分の生息範囲で、それ以上はいらない。
 靴を寝台の下に脱ぎ捨て、ついでに手袋と靴下も抛って、俺は寝具の隙間に潜り込む。カソックまで脱ぐ余裕はなかった。皺になるなとちらと思ったが、何も考えずに寝てしまいたかった。
 固く目を瞑り、寝よう寝ようと言い聞かせて、いつの間にかおのれの爪を噛んでいることに気が付いた。ぞくぞくと波打ち際に寄せては返す波のように、這い上がる快感を逃したかった。
 しかもこの波はどうやら満ち潮らしい。次第に砂浜を侵食し、その押し寄せる手のひらを広げてゆくのだ。
 ……これはまずいな……、……。
 てっぺんまで被った上掛けの中で半分酸欠になりながら、ぼうとなりはじめた頭で俺は考える。これが朝まで続くのか。いや、あいつは四十八時間持続するだとか言っていた。午前に貼った時間を差し引いても、それでも四十時間ほどまだ効果は残っているわけだ。
 思い出したくもなかったが、前回夢魔と遭遇したときに施された淫紋を思い出した。全身の皮膚の内側から快感が湧きおこって、寝そべったシーツに触れるだけでイった。正直もうどこもかしこも気持ちよくなって、最後の方は自分が何をしているのか判らなかった。
 あれになるのか。考えただけでぞっとする。あれはまだ、相手がいた。癪ではあったが発散させる方法を知る相手が、好き勝手に俺の体を弄り回し、何度も何度も突き上げ絶頂に導いてくれた。
 ここには誰もいない。
 ――アッパルタメントにおいでね。
 マックスウェルの声が頭によぎる。行くか? 答えは否だ。行くくらいなら死んだ方がましだと思った。
「……くそ、」
 舌打ちし、上掛けをスラックスのホックを外して、肌着の中に手を突っ込み、すでに兆していた自身へ指を這わせる。
 カトリックは自淫を禁ずるだとかいうが、あれは建前だ。華々しい嘘だ。神学校の寮のやつらで、誰ひとり自慰を罪とし控えていた奴なんていなかった。無論おもてには出さず自室か便所でこっそり処理するのが通例だったが、つまりはそういうことだ。行為ではなく処理だった。排泄と同じ、生理現象だ。
 下着の上から数度確かめただけで、がちがちにおっ立つおのれがうらめしい。
 だいたい俺はこんなふうに自己処理することもほとんどなくて、へとへとになって寝床に転がれば性欲よりも眠気の方が強かった。そうでなければ、少ない自分の時間は読書に費やしたかった。もちろん男であるので、全くのゼロ、というわけではないのだけれど、触って出したいかどうかよりも、面倒くさい、の日の方が圧倒的に多かった。
 だのに、ふ、と口から息が漏れるのを自覚し、顔に血がのぼるのが判る。自分で扱いているだけなのに、腰が砕けそうなほど気持ちがいい。
 寝具の闇の中で下半身を見下ろせば、淫紋のあたりがぼうと光っているのが見えた。自ら発光しているというよりは、蓄光している時計の文字盤のような、うすらぼんやりした光だった。
 右手は自身に添えたまま、左手をそろそろとその発光している辺りに沿わせてみる。指先で軽く押すだけで腰ががくがくとヘコつき、俺は奥歯を噛みしめる。とんでもないと思った。
 ……これがあと数十時間だって?
 脳内麻薬という言葉があるが、快感も過ぎれば苦痛だ。せめて抑制剤でもあればいいのに、マックスウェルは置いてはいかなかった。ないのかもしれない。
 とにかく、何も考えず一旦抜いて落ち着いてしまおう。男というものは一度出してしまえば、それなりに冷静に戻ることができる。俗にいう賢者タイムというやつで、つまり裏を返せば、興奮は持続しないということだ。そう思った。
 息を殺し、寝具の中でしばらく無心で擦りたてるうちに、ガン立ちした自身はあっけなく終わりを見せる。女の裸を妄想するでもなく、岡惚れしている誰かの名前を呼ぶこともなく、くっと小さく息を詰めただけで俺はイった。
 びゅくびゅくと尿道を精液が走る感覚に眉を寄せ耐えているうちに、先端に当てたちり紙が湿り気を帯びて重くなる。半日もしたら臭うから、明日はごみを捨てに行かなきゃあならないな、そんなことを思いながらひとまずこれで落ち着くと息を吐こうとして、
「……勘弁してくれ、……、」
 いま出したばかりの自身がまるで萎えていないことに気づいて、ええ、と声が漏れた。
 ありえない。
 俺はもともとその方面にほとんど興味がなかったし、というよりも裸で抱き合い粘膜を擦り合わせるということに嫌悪感の方が強かったから、一度出せばそれで満足したし、ヌカ二だの三だの、俗説だと思っていた。
 万一その状態の人間がいるとしたら、おそらくそれは勃起不全の薬を飲んでいるか、性欲を非常に持て余す十代に限ると思っていた。まれにポルノ・フィルムでそうした男優がいると聞けば、つまり特異体質なのだと思っていた。特異であるからそれでフィルムが売れるのだ。
 ……強壮効果でも盛っているのか、これ……。
 げんなりしたまま下腹部の紋様を眺める。
 強壮効果はともかく、治めないことにはどうにも落ち着かない。半立ち程度なら見て見ぬふりして寝てしまえないこともないが、出したばかりでがちがちでは、さすがに寝入れる自信は俺にもなかった。
 仕方なしにまた扱きはじめる。一度出して落ち着きを見せても良さそうなものなのに、萎えるどころか先だってより固くなっている気もして少し怖い。
 勃起持続症、だとかいう名前がふと浮かんだ。店の待合席の大衆紙で読んだ程度の知識なので真偽は定かじゃあなかったが、なんでも数時間完立ちが持続する状態のことで、続くと壊死を起こすらしい。読んだときは災難だな、としか思わなかったが、いざ自分がその立場になりかけてみると災難どころの話じゃあない。
 一度目と同じ要領で擦りたてるのに、二度目の到達は先より長かった。同じ快感を拾おうとするのに、どこかでぱっと散ってしまうのだ。おかげで常なら五分も擦ればいいものを、倍の時間扱いても弱い快感ばかりが持続して、イけそうでイけない。これはなかなかに辛い。
 辛いし、まるで経験のないものだったから、次第に不安になってくる。これ、本当に大丈夫か。
 するとすかさず不安に淫紋が反応しやがった。たいした不安でもなかったのに、多幸感に変換され、俺は今度こそ声を殺すためにぎりぎりと歯を食いしばり、それでは足りなくてシーツの端を噛みしめる破目になる。
「……ッ。ぃ……っ。」
 それまで温い快感の沼で揺蕩っていたような体が、不意にぐんと引き上げられ、強制的に出口へ押し出される感覚だった。
 自身の先端をシャツの端で包み射精する。今度はちり紙へ手を伸ばす間もなかった。ヤバい出る、から一気だった。
 先より激しく下半身を引き攣らせて俺は吐精する。一度出したはずなのに、精液の量はほとんど変わらない。快感に足が突っ張り、攣りゃしないかとひやひやした。
 肩で息をしながら起き上がる。カソックとシャツを脱ごうとした。シャツで拭ったので、結局どちらにも精液は付いたし、もしかするとシーツにもついているかもしれない。早いところ洗わなくてはならないと思う。なのに、
「ええ……、」
 食いしばった口の隙間から、悲鳴にも似た声が漏れる。陰茎はいまだに、そうしておのれの知る限り、かつてないほど反り返り充血したままだったからだ。
 どうする、どうすると萎えないそれを情けなく思いながら俺は口中で呟く。ずっとなのか。朝までどころか、のこり四十時間弱このままもあり得るのか。
 混乱しはじめた頭で、脱ぎかけたカソックへちらりと目を落とす。胸元の隠しには携帯電話が入っているはずだった。
 ……コォルするか? だが、誰に? 元凶(マックスウェル)に助けてくれとみっともなく泣きつくのか? アッパルタメントに行ってもいいかと聞く? それともそちらに行けそうにないから、部屋に来て抜いてくれとでもいうつもりか?
 いやだ、と即座に否定の感情が湧いた。そもそもあいつが俺に淫紋シールを転載しようと思いつかなければ、俺はこんな目に陥っていない。もともとの原因にお助けねがうだとか、死んでもごめんだ。
 だが、自己処理で治まるのだろうか。例えばあと一度か二度、同じように吐精したとして、それで治まる確信もないのに、このまま放置するのか。
 まるで先行きが判らないまま、とにかくまた怒張へ手を伸ばす。覚えがないほど浮き出た裏筋に数回扱いただけの先走りが滴り、それが竿から腿の狭間へ伝ったときに、
「は、……ァっ……ア、アッ、……え、?」
 どく、視界が赤黒く明滅した。
 局室で感じたものより数段強烈だった。頭まで被った寝具の中で俺はのけ反り、身悶え、震えながらうずくまる。

 待ってくれ。冗談じゃない。冗談じゃない。冗談じゃない。冗談じゃない。

 どくどくとこめかみが脈打ち、それに合わせて視界が明るくなったり暗くなったりで、うるさいほどだ。
 衝撃に指は陰茎から離れ、シーツを掴んで手のひらの中に握りこんでいた。
 局室から今まで、俺はおっ立った前部ばかりに気が行き、それさえ処理して鎮めてしまえばあとは四十時間弱、なんとか誤魔化して過ごせるのじゃあないかと思っていた。
 最悪、局室へ明日は顔を出すことができないとしても、部屋から電話で指示を出し、だましだましできる範囲で執務も可能なんじゃないかと思っていた。
 だが、これは無理だ。これでは無理だ。問題はかつてないほど高ぶった竿じゃない。その竿の下、玉袋を辿ってさらに後ろのすぼみの方だった。後肛だった。
 全身が細かく震えていた。うずくまっているからまだ何とかなっている。うつ伏せに伸びたが最後、手足を突っ張ってのたうってしまいそうだった。
 ……どうにかしないと。自分で。自分ひとりで。
 気づかなければよかった。けれどどうかこちらの快楽の方で我慢してくれ。祈りながら俺は体を丸めたままに、三度目のてっぺんに導くために自身を扱きはじめた。

 

 

最終更新:2021年01月25日 21:38