温度調整の効いたケージに戻った途端、カークは膝から崩折れた。
  拳を握り、何度も何度も力任せに床に打ち付けたのに、痛みはまったく感じない。
  無くなってしまいたかった。
  一番大切な人を傷つけて。
  鷹揚に立つレンブラントの言葉に、主は横面を不意に張り飛ばされた犬の目をしていた。
  その驚きに見開かれたヒューの瞳に、レンブラントの毒がゆっくりと浸透し、次第に不信の色に染まってゆくのを、カークは見ていることが出来なかった。
  最後は耳を塞ぎきつく目を閉じていた。
  どのくらいの時間が経過したのか、彼には判らない。気付くと室内にはカーク一人きりで、ヒューやマルゥはもちろん、レンブラントの気配もすでに無かった。無音の空気がカークをさらに打ちのめす。
  ヒューは、家に戻ったのだ。
  足を引きずるようにして通路を戻った。
  絶望的な孤独感だった。
  帰れと、もう自分に構わないでいいから帰ってくれと、あれだけ願ったのに、それは本心だったのに、
  だのにひどく淋しかった。
  置いていかれたのだな、と思った。
  あたたかな木漏れ日の夢は無残にも雲散霧消して、残ったのは白々とした孤独だけだった。
  頭の片隅が麻痺したように動かない。
  自分が一体何をしたかったのか、判らなくなっていた。
  消えてしまいたい。
 「No.9074――キィ」
  打ち付け続ける拳に手を伸ばし、そっと包み込む様子を見せた手のひらがある。
  透き通る真っ白な、投影された姿。
  ゴスペルだった。
 「血が――出ている」
  唐突に現れた姿に驚くことも無く、その身体に目をやることも無く、打ち付ける行為を咎められたことにすら、何の感慨も無い。けれど、痛ましそうにゴスペルが顔をしかめるだろうと予測できたので、動きを止めてうなだれた。
 「治療しましょうね」
  あやすように言って、アルビノのD-LLはカークの拳に手を翳そうとする。弾かれたように己の手を引っ込め、胸の前で固く握ると、
 「キィ?」
 「――先生」
  優しく咎めたゴスペルの声を聞き流して、床上を見つめたまま強張った顔でカークは言った。
 「私は――」
  見つめた床の継ぎ目が、不意に歪んでぼやける。
 「――キィ」
 「あの人の身体も心も傷つけて。私は一体何を――したかったのでしょう」
  とても大事なものを失ってしまったよ。
  ささくれ立った心に涙は流れない。代わりに浮かんだものは、笑いだった。
  咎めるように、哀れむように。慰め方が判らない、そんな顔でゴスペルがカークに手を伸ばし、
 「ああ。泣かないで――No.9074」
 「泣く?――泣きませんよ」
  私は。
  頬に触れようとしたゴスペルの手のひらは、けれど光に淡く透けてカークの頬には届かない。
 「私が泣いたところで、許されるとも思っていない。泣いて逃げるのは――卑怯です」
  泣く資格すら己には無い。
  物憂げに瞳を上げて、ようやく目の前を見る。痛ましそうな顔をしている真っ白な顔に焦点を合わし、薄く微笑んだ。
 「――逃げることも――出来るのですよ」
  しばらく口を噤んで、そんなカークの様子を眺めていたゴスペルが、やがて密やかに囁いた。
 「逃げる……、」
 「そう。ここから――、博士の支配下から――逃げる」
 「あの時と同じように?」
  一年と少し前。彼は、同じ部屋、同じケージから何も持たずに逃げ出した。空虚な胸の内を埋めるために、外の世界へ探しに出かけた。
  その際、一つたりとも警報がならなかったのは、
 「先生が……止めたの、――ですか」
  唖然としかけてカークはゴスペルを見つめる。
 「まったく警報が鳴らなかったことについて、おかしいとは思いませんでしたか?」
 「思いました。思いましたが――、その。私が単独で逃げるという可能性確率が、博士の中でゼロになっていたからなのだと――そう思っていましたが」
  あまり深く考えたことも無い。
  逃げることに必死だった。
 「管理塔を統治する権限を持つ私が、あなたの動きに気付かないとでも?」
 「しかし、何故。管理者である先生が」
 「博士に逆らったか」
  静かに笑ってゴスペルは首を振る。
 「博士に逆らう気はありません。と、言うより、私にはその選択肢が残されてはいない。私が――管理者に設置されたときから、私は常に博士に従順であり続けました。それは現在も違うことはありません」
 「では、では……何故」
 「管理者である私にとって、博士の命令は絶対無比のものです。それは覆るものではありません。けれどNo.9074――キィ。私は管理者である以前に、あなたの教育係として。あなたを原子レベルから見つめてきたものとして。あなたの望むことを一番に叶えてやりたい」
 「せん――せい」
 「それに、あなたはデータ移行を望むのでしょうけれど。はっきり言わせてもらいますが、私はお断りですね」
  まじまじと見上げたカークに向かって、ゴスペルはきっぱりと言い切った。
 「――え?」
 「あの程度のことで挫けるような、そんな心の弱いあなたに――伝えてやれるものは何一つ無い。私の教育が間違っていたのか、あなたが元々物分りの悪いD-LLだったのか。何せあなたは集中力に欠ける。情緒が不安定で、すぐに疑問を抱きやすい。管理者としてこれほど不適切なD-LLは――いない。データの全てをあなたに移したところで、管理の成り立つはずが無い。これ以上期待させては博士もいい迷惑です。早々に管理塔より出て行きなさい」
  呆気に取られぽかんと口を開けたカークは、けれど、きつい言葉の裏側に潜む管理者の優しい微笑を見た。
 「先生?」
 「丁度具合の良いことに、先程管理塔のC区画の壁をブチ壊して突入してきた礼儀の無い人間がいる。再びここを訪れることがどんな意味を持つのか、あれほど痛めつけられてまだ判らないらしい。大変に愚かです。そうして懲りない人間だ。――不出来なあなたと、きっとよく合うでしょうから、こんなところで腐っていないで、せいぜいあなたもあの人間と一緒に管理塔の外に出ると良い」
 「懲りない人間――まさか」
  逡巡する間もなく、言葉の途中からカークの頭に思い浮かんだ顔がある。
 「博士はまだ――気付いてはいないから」
  最大限その時間を引き延ばしてあげるから。
  言外にそう言ってゴスペルは不敵に微笑む。
 「でも。でも先生。先生の身体は、もう、」
 「私の身体がもう保たないことと、あなたが管理者になることは別の問題です。確かに。確かにD-LLは、造られたものの一つなのでしょう。アダムから造られたイブ以上のものには、決してなれは――しない。けれど私にとってはキィ、あなたは――P-C-Cに住まう人間たちと同じ価値で、愛おしい――のですよ。私はP-C-C全ての目であり耳であります。あなたがここから逃れた後も、ずっと――見ていた。路地裏に蹲っていたことも。あの人間に拾われたことも。あなたは――あんな顔で笑えるのですね」
 「先生」
 「あなたが、あんな風に幸せそうに笑う姿を、この管理塔で見たことは無かった。あの笑顔を見た瞬間に、私の心は決まったのですよ。あなたは――あなたの世界で生きていきなさい」
  行きなさい。
  カークを真っ直ぐに見据えた白銀の瞳が、彼に別の人間の眼差しを思い出させる。
  貫く鳶色の。
 「さあ」
  そんなカークの心を読んだように、ゴスペルは彼の傍らから勢いよく立ち上がり、センサー・ドアを無音で開かせ、
 「さっさと行きなさい。稼げる時間はそう多くはありませんよ。博士の命令に――私は逆らえないから」
  颯爽と促したのだった。
  戸惑いの時間は無い。考える間もなくカークは駆け出していた。


  拍子抜けるほど守りが緩い。
 「……なんだァ?」
  全力に近いスピードで走りながら、器用なものだ。首を捻ってぼやいている。
 「オネェちゃんたちとデートしようと覚悟キメて来た割に……オネェちゃんいねぇぞ」
  ヒューだ。
  汗で張り付き気味な前髪を、鬱陶しそうに後ろに流して、隣を同じく走る少女に目をやった。
 「どう思う」
  聞かれて少女――マルゥも同じく首を捻って答えた。
 「とってもとってもとーっても幸運なことに、あの白衣のインケン男、アタシたちの侵入に気付いてないとか……ないかな……ないわね」
 「ないな」
  きっぱりと否定する。
  派手にブチ破ったのだ。
  これでもかこれでもかと仕掛けまくり、むしろ少しやりすぎではないかと、マルゥ本人が一瞬不安を抱いたほど、しこたま爆弾を塔の際に置いて、起爆させたのだった。
  弾け飛んだ壁面の唸りと共に、甲高い吃音に似た悲鳴が彼女には聞こえた気がした。けれどもそれは一瞬のことで、空耳だったのだろうと思う。
  爆炎と振動で、一瞬辺りの音が聞こえなくなったから、きっとそのせい。
 「罠かな」
 「俺ら二人のために、わざわざ塔を爆破までさせてくれるか?事前にいくらでも止められるだろ。オネェちゃんたちの動きは尋常じゃあねぇしな」
  正直、勝てる気がしねェ。
  苦笑いを浮かべながら通路を走る。
  迷路のような内部だ。
  すぐに方向感覚が狂っても良さそうなものなのに、迷わないのは物騒な突破のおかげ。
  岐路に差し掛かると、無言でヒューがマルゥを見やる。心得顔で頷く彼女が、はさ掛けにしたショルダーバッグからひとつ、小型の爆弾を壁に貼り付ける。
  きゅぶ、と耳障りな音を立てて、壁には大穴だ。直線距離を真っ直ぐ走ってやってきた。
  あの、博士と呼ばれた白衣の男がこれを眺めたらきっと怒り狂うのだろうなと、ちょっとだけマルゥは思った。
  カークならきっと呆れたろう。
 「カークさ」
  不意打ちで掛けた声に、驚いた顔でヒューがこちらを見やる。彼も同じ事を考えていたのだと、彼女は理解した。
 「さっきのは普通じゃなかったよね?アレは何か理由があった演技で……、アタシたちが迎えに行ったら、きっと付いてきてくれるよね?」
  さあ。
  元来深く考える性質ではない。
  思いついたら即行動がモットーのヒューは、マルゥのその問いに、初めてはたと悩んだ様子を見せた。
 「どうだろうな。本人に聞いてみねぇとなァ」
 「でもさ、本人にしっかり確かめてみて、それでも……ここにいる方がいいって言われちゃったら、どうするの」
 「無理矢理連れて行く」
 「抵抗するかもしれないじゃない」
 「小脇に抱えて連れて行く」
 「……ラグビーボールじゃないんだから……」
  呆れた顔で眺める彼女に、一つ笑いを返された。
 「大丈夫だ」
  根拠のまるで無い自信を、自信満々に言うのだ。
 「あんな下手な嘘吐きはそうそういねぇよ」
  まったく。
  隣で彼女が頭を振っているのに、主は気づかない振りをする。
  そうして再び出会った通路の三叉路で、目配せ。躊躇いもなく壁に爆弾を貼り付けた。
 「発射オーライー」
  どこか間の抜けた合図だと頭の片隅で思いもしたが、気にしないことにした。
  頷き、離れたヒューの姿を確認してから、マルゥも数歩後ろに下がる。
  タイマーのかかった小型のそれは、何度か赤く点滅した後に、大きさに似合わぬ獰猛な爆発を引き起こして、ぶ厚い通路にまた一つ穴を開ける。
  目測通りに開いた穴を、先に何気なくヒューが覗いて、しかし目に映ったのは予想だにしなかった姿だったらしく。
 「……っておい!」
  目をひん剥いて大声を上げた。
  釣られてマルゥも首を突っ込む。
 「あ」
  自然、声が出た。
  崩れた壁の向こう側、飛び散らかった元壁面の屑と共に、頭を抱えてうずくまる細い姿を見止めたからだ。
 「カ……カーク?」

 「……ほんっっっとうに、もう」

  腕の間から煤けた顔を覗かせて、カークが低い声で呟く。出会いがしらに吹き飛ばされた仄かな怒りも、口調には混じっている。
 「も……もしもしカークさん。怒ってる?……怒ってる?」
 「――そりゃ、真っ直ぐに突き進むのが一番の近道でしょう。近道でしょうけれどね。爆破する向こう側に、人がいるかもしれないとか、その人が怪我するかもしれないとか、少しは考えないんですか――あなたたちは。二人して、無茶苦茶がすぎるんですよ。少しは、振り回される私の身にもなっていただきたい」
 「ご、ごめんなさい」
  吹き飛ばされた衝撃で、彼は反対側の壁に打ち付けられたらしい。額を少し切ったようで、つぅと一筋流れたものがある。
  けれどそれ以上に怪我は無かったのだろう、すぐに立ち上がった彼は、そのまま珍しく怒りを持続させたままで、
 「どうして戻ってくるんです!」
  ヒューに詰め寄る。
 「逃げなさいと。帰りなさいと、あれだけ言ったのに――!」
 「聞こえませんでした」
 「ヒュー!」
  即答したヒューに、咎めを含めてカークが小さく叫んだ。
 「博士に――レンブラント博士に、二度目はありませんよ。あなたとマルゥの安全は、」
 「それが何か」
  切羽詰った様子のカークを見ても、ヒューは鼻でもほじりそうな勢いである。
  てんで暖簾に腕押しな主の返答は諦めて、カークは肩を大きく落とすと、はらはらしながら眺めていたマルゥに、
 「マルゥもマルゥです――」
  恨めしそうな視線を向けた。
 「ア、アタシ?アタシが何よ」
 「どうして止めてくれなかったんです」
 「止められるワケ……止められるワケ。100パーセント無理に決まってるでしょぉおが」
  言い出したら引かない。主は頑固なのだ。
  とばっちりを被弾したマルゥがむっとなる。
 「アンタでも成功率低いクセに、アタシにそんなモン求めないでよね」
 「それは、」
  それはそうだろう。言われ返されてカークが言葉に詰まる。
  弁の立つカークですら、ヒューへの牽制は難しい。それは長年付き合った本人が、一番身に染みて判っている。
  自身の問題だというのに、どこ吹く風。面白そうに二人を眺めていたヒューは、
 「それはさておき、取り合えず、尻に帆を掛けて逃げ出したほうが良くないかね諸君」
  偉そうに腰に手を当て言い切った。
  聞いた二人が実に釈然としない顔で、振り向き――頷く。
  元凶は誰にあるのか、本人さっぱり判っていない。
  あとでカークにみっちり小言を言ってもらおうと、他力本願でマルゥは思った。


  帰り道は簡単だ。
  壊してきた通路を真っ直ぐに、戻れば良いだけだったから。
  先頭に、すばやい身のこなしの出来るか否か。ここでも差が出て、マルゥが露払いだ。
  真ん中にはカーク。背後を走るヒューの様子を気にしながら、つっかえつっかえ進んでいる。
  少し遅れてヒュー。
  足取りが重いのは、痛み止めがそろそろ切れてきたせいなのか、それともいくらかの出血が、今頃になって身体に響いてきているのか、前を走るカークにはよく判らない。
  言えることは、主はかなりの無理をしていること。
 「部屋に帰ったら」
  不安でいっぱいのカークの内心を知ってか知らずか、呑気な口調が背後から聞こえた。
 「部屋に帰ったらフロに入りてぇなァ」
  しみじみとした声である。
  帰ったら。
  帰るべき部屋はあるだろうか。
  ふと、深刻に思う。
  おそらくカークを発見したときより、レンブラントはあの高級区のマンションも構造も、そこに至るまでの道も何もかも、全て調べつくしてしまっていることだろう。場合によったら調べるどころか、建物自体が消滅している可能性も高い。
  三人が戻る部屋。
  そこまで考えて、不意にカークはどこでも良いのだと気づいた。
  暮らせるだけのスペースがありさえすれば、例えワンルームだろうと陽が当たらなかろうと、啖呵を切るならいっそ路地裏の突き当りであろうと、都市部を離れた荒地だろうと、そんなことはどうでも良い。
  必要なのはヒューがいて、マルゥがいて。そうして自分もいること。
  それだけだ。
  なんだ、どんな場所でも生きてゆけるじゃあないか。
  気付くと急におかしくなって、カークは一人忍び笑う。
 「なによ一人でくすくすと気味の悪い」
  前行くマルゥには聞こえてしまったらしい。咎められて首をすくめた。
  それでも微笑みは止まらない。
 「大きな考え違いをしていたのですよ」
 「考え違い?」
 「今ある状況に固執して――私は先を見ようとはしなかった。いくらでも、求める回答は足元に落ちていたのに、私は目をつぶったまま宙を探ってもがいていた。――愚かでした」
 「……なにに開眼したんだかアタシにはよく判らないけど、取り合えずアンタが愚かだってのには、両手放しで大賛成しておくわ」
 「それはどうも」
  答えて深呼吸。それからカークは顔を上げ、前方の人影に気付いて――、

  時を。
  止めた。


  ……俺は。
  俺は一体何やってんだろうなァ。
  こんなに必死に走って。こんなにあちこちが痛くて。
  そうして結局、無駄になるかもしれないことをやっているのかもしれない。そう思うと膝から萎えてしまう。
  親父と同じ莫迦げた事をするものだと、嫌味なヤロゥが言っていた。
  腹が立った。腹が立ったが……もしかするとその通りかもしれない。そう考えると怖くなるんだよ。
  ”完全高度管理社会都市”。通称P-C-C。
  なんでそんなけったいな名前が付いているのか、考えたことも無かったから、
  そもそもD-LLが惑星丸ごと管理していること自体が……まるでホラのようで信じられないんだ。
  しかも、今の管理者とか言うD-LLがもうボロボロで、次の候補がお前だとかなんだとか、ぜんたい、なにかの間違いじゃねぇのかと、実は今でも疑っているんだぜ。
  つぅか、お前がそんなたいそうなD-LLだったなんて、お前ひとっことも、俺に言ってなかったじゃあねぇか。
  お前みてぇなドン臭いヤツが、この惑星数十億人を管理する?冗談だろ。
  上手く行くワケねぇじゃねぇか。
  自惚れるのもたいがいにしろ。
  せいぜいお前の特技と言えば、ストーカー行為まがいの逆探知とか。個人情報の検索とか。掃除とか洗濯とか。クソまずい創作料理作るとか。
  そうだ。料理で思い出したけど、お前が下味だけつけて冷蔵庫に入れておいたあの魚、もうイヤな臭いたててんだぜ。
  早く片付けねぇと他のものまで臭くなるじゃあねぇか。
  俺?
  俺は片付けねぇよ。だって俺は食べる専門だもんよ。
  それに、勝手に冷蔵庫いじると、お前意外と怒るじゃあねぇか。
  前に冷蔵庫に入ってた七面鳥、お前のいないときに俺とマルゥで食ったら、そのあと二日間フテ腐れてたろうが。
  明日のヒューの誕生日に食べるはずだったんですよ!とかなんとか。ほんとーうに、お前ってヤツはキモの小せぇヤツだよな。
  いいじゃねぇか。怒ったってもう戻ってこないんだから。
  次の日いざ、俺の誕生日当日に、フテ腐れて、メシなんにも作らなかったもんな。
  俺、あの時ライスにタマゴかけて食べたんだぜ。
  マルゥは……、なんかケーキもどきなヤツ作ってくれてたけど、アレは致死量超えた何かの物体だったな。
  実に惨憺たる日だったな、あの日は。
  ……なんだよ。
  ……俺だって、「惨憺たる」って言葉くらい知ってるんだぞ。
  いつも「ヒデェ」とか「スゲェ」とかしか言わないから、俺のコト馬鹿だと思ってんだろ。
  ふふん。
  見直したか。
  そいでもって、誕生日。作らなかったら作らなかったで、一人でえっらい自己嫌悪のドツボにハマるんだよな、お前は。
  後悔するならやんなきゃいいのにな。
  ご馳走なんていいじゃねぇか。
  準備もお祝いも何もいらねぇじゃねぇか。
  いいんだよ、俺がいいって言ってるんだから。
  お前とマルゥがいれば、俺は他には何も要らないんだよ。
  前からそう言ってるじゃねぇか。
  ほんっとにお前は物覚えの悪いD-LLだな。
  一度記憶したことは忘れないとかなんとか、アレ、嘘だろ。
  俺の言うコト、ちっとも聞きゃあしねぇもんな。お前はよ。
  それとも本当に……全部覚えているっていうのか?
  楽しいこととか嬉しいことは、まだいいけどよ。
  覚えてたって生きていくのに問題はねぇだろう。
  せいぜい、思い出し笑いして、ニヤニヤ気味悪がられるくらいだろうから。
  でもよ。
  辛いこととか苦しいこととか。
  さっさと忘れたほうが気楽に生きられることまで、お前は全部を記憶しているって言うのか?
  忘れちまえよ。
  ……無理なのか?
  じゃあお前は、例えばあの部落が焼け焦げた日のこと何もかも、その日俺が被っていた、毛糸の帽子の裾から糸が一本ハミだしていたコトまで、覚えてるって言うのか?
  村人が蒸発したことも、
  親父が殺されたことも、
  ……俺が目ン玉抉られたことも。
  ずっとずっと覚えてるって言うのか?
  忘れちまえよ。
  お前のせいじゃない、お前が悪いんじゃない、そんな安っぽい慰めは言うつもりねぇけどよ。
  お前のせいだろう、お前が悪いんだ、そう責めるつもりもねぇからよ。
  もういいじゃあねぇか。
  お前はもう……じゅうぶん苦しんだろう?
  俺?
  俺はそんなに、悩んでないぜ。悩むような賢い頭持ってないしな。
  ニセの記憶覚えさせられていたって言うのだけは、頭に来たけどな。
  それ以外はもう過ぎたことだろう。
  俺はただ、お前の美味いメシ……、しまった。うっかり美味いって言っちまった。
  ……まぁ。いいか。
  判ったよ。認めてやるよ。ああ、ああ、お前の作るメシは美味いよ。
  俺はただ、お前のメシが毎日食えるだけで、もう良いって気がするんだよ。
  朝お前が起こしにきて。メシが用意してあって。待ちきれないマルゥが先に食べてて。
  それでいいじゃあねぇか。
  他に何を望むって言うんだよ。
  なぁ。
  俺さ。
  あのインケン野郎に、”管理者”っていうヤツを見せてもらったよ。
  どエラい技術とか、情報とか、そんなのはちっとも判んねぇけどな、
  真っ暗な空間に、”管理者”とやらは浮かんでた。
  ガリガリに痩せまくった、骸骨のようなナリでな。
  手足がまるで、枯れ木のようだった。
  ……死んでるのかと、思った。
  生きているんだと、あの野郎は得意げに言ってた。
  あの管理者は、もう1000年も生きてきたのだと、本当に得意そうだった。
  俺には衝撃だったよ。
  なんだかクモの糸にひっかかった、虫を思い出したぜ。
  このP-C-Cで人間が、快適に暮らせるように、このシステムを作ったのだと、あの野郎は言っていたが、
  あんなことってあるか。
  数え切れねぇ数のチューブを身体に繋げて、地肌が見えている箇所なんかほとんどねぇじゃあねぇか。
  口にも幾千本の管突っ込まれてよ。
  両目だって耳だって……。
  あんなことってあるか。
  ほんとうに、苦しそうだった。
  口から泡を吹きながら、管理者はシステム操作をしていたよ。
  当たり前だろ。この惑星に住むほぼ全域を、あのD-LL一人でまかなっているんだろ?
  それを、1000年。
  ボロボロじゃねぇか。
  お前。
  お前、自分は管理者になるために造られた、とか言っていたよな。
  もう次の管理者になれるのは、自分しかいないんだと。
  だから仕方ない、だとかそれが存在意義、だとか。
  あー。なんか難しいコト考えてたら頭グラッグラしてきた。
  え?
  血が足りねぇ?
  はん、二、三日ツバつけて寝てりゃ治っちまうよ。
  ……なぁ。
  お前、本当にアレになるのか?
  あんな風に張り付けられて、身体中チューブまみれにされて、P-C-Cそのものになっちまうって言うのか?
  今までのこと何もかも無かったコトにして。
  不器用なお前は、忘れるということひとつ出来ねぇくせに、ますます膨大な情報に押しつぶされて、そうして……、
  そうしてお前も、あんな生きた死体みたくなっちまうって言うのか?

  なぁ。
  俺、ガラになく真面目なコト言うけど、お前笑わないで聞いてくれるか。
  俺は……俺はさ、

  お前がああなるのは、イヤだよ。


Act:24にススム
人間と機械にモドル
最終更新:2011年07月28日 08:19