<<ボクの下僕になりなさい。>>


  人生、理屈じゃあ通らないことがいくつだってある。
  例えば、朝飲もうと思った紅茶に茶柱が立ったとか。
  書かれた材料しか入れてないのに、劇薬認定された風邪薬とか。
  絶対絶対絶ッッッッ対、今度こそ受かると思ってた試験の合格者一覧に、自分の名前が無いとか。
  落第連続記録――10回目。
  目下記録更新中。

 「わああああああもう何?なんなの?一体何が悪いって言うんだよッッ」
  喚きながら――土グモの巣みたいだと見るたびに思う――我が家のドアを叩き壊す勢いで押し開けて、
  そのままボクは、入ってすぐのリビングの暖炉前のソファに飛び転がり込んだ。
  げふ、とか、ごわ、とか。
  体の下で膨らました紙袋がツブれたような、奇妙な音が出たけど、そんな些細なことは気にしないことにして、寝転がったまま地団太を踏む。
 「筆記テスト頑張ったし!実地テストだって頑張ったし!面接だって、多分そんなにボロ出してないし!じゃあなんなのさ?何でいつまでたってもたってもたーーーってもボクだけ落ちるワケ?一体ボクが何したって言うワケ?斜向かいのミヨちゃんだって、通り向こうのナっちゃんだって一発ストレート合格かましてんのに、ボクだけ落ちるっておかしくない?てゆうか理不尽じゃない?」
  ソファの背もたれに立てかけてあったクッションを、ばんばん力任せに叩きつけながら、
 「それとも何?ボクは、試験官の個人的な恨みでも買うような行動を、したって言うワケ?そりゃあ、面接のときの試験官は、ちょっと目と目が離れてタロワナに似てる顔してたから、思わず斜め四十五度の角度で見ましたよ?でもそれは面接内容とは関係ないじゃん?てゆか見たの一瞬だったし気付かれてなかったし」
  タロワナと言うのは、主に泥沼で取れる、えらくでっかいカニのことだ。
  ひとつ取れたら四家族は満足できるって言う、財布にも近所づきあいにもやさしい珍味なんである。
  泥臭いのが玉にキズ。
  わあわあとしばらく喚いているうちに、ボクの中で渦巻いていた、やるせない怒りは段々陰をひそめて、今度は無性に悲しくなってきた。
 「もう嫌だ……人生のお先真っ暗だ……運命の女神にボクは見放されてるんだ……て言うか才能が無いのは判ってるんだ……夢は夢のままだから綺麗なんだね……欝だ死のう」
  いい加減ホコリの出きったクッションに顔を埋めて、ボクは最大限に落ち込んだ。
  試験会場から家までは何とか堪えていた、悔し涙が湧いてくる。
  いっそ、そこの梁に縄かけてブラ下がろうかと、一瞬本気で思った。
  今度こそはと、半年前から勉強し始めて。試験一週間前、それこそ徹夜で予習復習バッチリクッキリ、本番に備えて。いざ、臨んだ試験だった。
  試験なんである。
  医療都市と二つ名のある、王都カスターズグラッドの年に一度の国家試験なんである。
  試験に受かると、免状がもらえる。なんの免状かって言うと、「魔法介護士」の免状なんである。
  女の子であるなら、小さい頃に一度は「お嫁さん」か「魔法介護士」のどっちかに、絶対憧れる。
  何でって、理由はない。そうゆうモンなのだ。
  チョコレートケーキとチーズケーキ、どっちが好きって聞かれたって、困るのとおんなじ感覚だ。
  多分。
 「もしもし」
 「ああ、でもお嫁さんも介護士も、ヒラヒラズルダラ白くて長い服着てる辺りが、似てるっちゃあ似てるな……」
 「もしもーし」
 「なんだよもうヒトがせっかく二つの職業の共通点探そうとしているのにうるさいな!」
  ばふん。
  どこからか響いてくる地を這う声に、クッションをもう一度、膝の下辺りに叩きつけてやると、ぐえ、とか言う声を上げて、真下の声は完全に沈黙した。
  真下の。
 「ん……?」
  叩きつけたクッションの下を見下ろす。
 「あ、」
  なぜかボクの下敷きになって、
 「シラス」
  口から泡を吹き、失神しかけていたのは、この家に居ついている居候だった。

                   *

 「いるならいると言ってくれれば、そりゃボクだって少しは遠慮したのに」
 「いるもいないも言う前に、帰ってくるやいなや、キミの体はもうソファめがけてかっ飛んでたじゃあねぇか」
  ごめんと言うのは、シャクにさわる。
  ボクの非だと認めるのは、もっとシャクにさわる。
  言えば言うだけ言い返してくる男と言うのは、さらにシャクにさわる。
  どうやら、ボクが家に戻る前から、暖炉前のソファでぬくぬくと寝転がって昼寝ぶっこいてたところに、ボクが帰ってきてそのまま上に飛び乗った、
  と言うのが状況らしい。
  それをを数秒自分の行動を思い返して、初めて気付いた。
 「悪くないボク悪くない何が何でも悪くない」
  わわわと耳に手を当てて、それでも言い募ろうとする居候の男――シラス――の言葉を、ボクはシャットアウトすると、やれやれと言うように、コイツは肩をすくめて、苦笑いして見せちゃったりするのだ。
 「そうゆう大人の余裕、みたいなところもシャクなんだよね」
  試験に落ちた腹いせに、シラスに八つ当たりしてるのは判ってる。
  判ってるけど、判っているということと、判ってるから止められるかどうか、と言うのはまた別のことなのだ。
 「まーた落ちたのか」
  なのにこの、デリカシーのかけらもない男は、そんなハートブレイクなボクにニヤニヤ笑うのだ。
 「『また』ってなんだよ『また』って」
  クッションの下の小憎らしい吊り目顔に、ムッときて言い返すと、
 「こりゃもういっそ、落第記念パーティでも開かなきゃいけねぇかもしれねぇな」
  ああもうほんっとデリカシーがない。
 「なんだよそれ。もうちょっと優しい気の利いた言葉とかかけられないワケ?『お前は悪くないよ』とか『俺のテストならお前は満点だ』とかなんとか」
 「そんなん言ったら言ったで、レイディまた怒るだろ」
 「怒んないよボクそこまで理不尽じゃないよだいたいそんな言葉かけてくれてもないのに勝手に想像して諦めないでよね」
  あーもうなんかヤケクソだ。
  八つ当たりしながら、再びボクは落ち込み始める。
  そう。
  現在、ボクの下敷きになってるシラスは何にも悪くない。
  どころか、ボクが必死に徹夜した一週間、律儀にも付き合って勉強を見てくれていたのは、他でもない、シラスだ。
  見かけによらず、変なところで博学だから、参考書を手元に置くより手っ取り早いんである。
  でもそんなんヌキにしたって、口は悪いけどその実やさしい。
  試験勉強でへなちょこになったボクを見捨てられない、甘いヤツだ。
 「あー……せっかく……せっかくさぁ。シラスの夜食のおにぎり食べて頑張ったのにさ……なんかもう苦労水の泡だよ。やっぱ、努力したってしたって、才能ないのは仕様が」
  なんだかこの期間のことを思い返して、苦しかったんだか悲しかったんだかよく判らなくなって、涙が滲んでくる。
  仕様が無いよね。
  ついでにそう言おうとしたボクの頭に、シラスはいきなりぽんと手を置いて、
 「頑張ったな」
  大きな手でぐしゃぐしゃとボクの頭を撫ぜた。
  その言葉に不覚にもボクは、ジンと、き――
  いやきてないきてないきてない。ぜーったいきてない。
 「な、ちょっ、やめてよね!頭ぐちゃぐちゃになるだろ!」
 「とっくに中身はぐちゃぐちゃになってるだろうが。外も中も変わんねぇよ」
  言って呆れたように、シラスは笑って。そこで初めてよっこらしょ、と体を起こした。


  ボクの名前はレイディと言う。女。16歳。
  ファミリーネームはない。
  てゆうか、ネームどころか家族がいない。
  まぁ、ボクは人間なので、でもって、生まれたときには木の股やコウノトリが運んできてくれるワケじゃないので、父さんも母さんもいて、ボクが生まれたんだろう。
  だけど気付いたときにはどちらもいなかった。
  唯一、家族と言やあ家族みたいなもの――でも絶対に家族なんて呼びたくはない、得体の知れない男が一人。
  一緒の家に暮らしている。
  シラスと言う。
  こっちもファミリーネームなんてない。
  なんせ、こっちは人間ですらないからだ。
  見た目20後半。黒髪はいいとして金色の目。先っちょが少し尖った耳。
  ってだけでかなり人間離れはしている。
  金目なんて、物語には出てきそうだけど実際にはいないモンね。
  闇夜に見ると結構ぎょっとなる。
  見た目はそこそこの美形。
  街の女のヒトに、ラブレターとかタマに貰ってるみたいなんだけど、なにせ中身がアレな男なので、結局長続きしないのが真相。
  何でこんなヤツと一緒に暮らしているのかって言うと、一応理由はある。
  ボクはまだおっぱい飲んでた赤んぼ頃の話なんで、ちっとも覚えていないんだけど、ボクを連れた両親の馬車が、事故にあったらしい。
  旅行だったのか、商売だったのか、それとも流浪の民だったのか。
  詳しいことを、シラスは話してくれないけど、事故と言っても車両事故とかではなくて、生き物……魔獣と呼ばれる獰猛な生き物に襲われた事故だったらしい。
  魔獣と呼ばれているのは、例えば犬を縦と横に万力でギュっとつぶして、なおかつゴテゴテ成金悪シュミーにしたカンジの、見た感じあんまり可愛くない生き物のことだ。
  可愛くないというか、だいぶ怖い。
  異変を感じたシラスが現場に駆けつけたときには、もう父さんも母さんもダメだった、って、たった一度だけ静かな声で話してくれたことがある。
  馬車の奥に押し込められていたボクだけは、運がよかったのか、シラスの駆けつけるタイミングが絶妙だったのか。
  両親が死んじゃったことも知らずにスヤスヤ寝ていたそうだ。
  横転しまくった馬車の中にいたはずなのだ。爆睡を続けられる赤んぼっていうのも……、自分のことながら、ニブいと言おうか度胸が据わっていると言おうか。
  とにかく、騒がなかったおかげで無傷で助かった。
  ……助かった、と、この場合言うのだろうか。
  と、言うのも、シラスがボクを助けた理由って言うのがまた、

 「おいしそうだったから、だもんねぇえ」

  紅茶を入れる後姿に、ちくりとイヤミを言ってやった。
  イヤミでも言わないと、やってられない。
  そうなのだ。
  人間ではないシラスも、れっきとした魔物なんである。
  年齢は、確か2000いくつとか言ってた気がするけど、詳しいことはよく判らない。
  てゆうより本人も、300歳を越えたあたりで、数えるのをやめたらしい。
  どうでもよくなった、と言っている。
  魔物なんだから、見た目はそれなりに人間に似せてても、やっぱり本質的な生態は違う。
  まず、食べ物が違う。好き嫌いが違う。行動パターンが違う。
  食べようとすれば、人間の食事も食べられないことないみたいだし、シラスはよくボクと一緒に食べたり飲んだりしてるけど、それはあくまでも嗜好品。ボクら人間が、お酒をやったりするのと、同じ感覚なのだそうだ。
  まあ、あったらそれはそれで、って程度の。
  あと、太陽が嫌いだ。
  どのくらい嫌いかって言うと、直射日光に当たっただけで、人間のする立ち眩みの十倍はひどい立ち眩みが起こる、って言うんだから、相当念が入っている。
  まぁ、ボクは気にしないで連れ出すんだけど。
  人間で言うなら昼夜逆転、魔物なんだから夜昼逆転、とでも言ったらいいのか、僕の生活パターンに律儀に合わせたりしちゃってるもんだから、必然的に昼間起きて夜寝ているのだ。
  太陽の下にも出て行くワケ。
  だって、散歩は外に出かけるモノだもんね。
  おかげでこのところ……と言うかボクを拾ってからずっと、かな。偏頭痛に悩まされているらしい。
  それと、ボクにはその仕組みが理解できないけど、月にも左右されやすい。
  前に、図書館で見つけた狼男の本で、「狼男は満月になると人間の姿から狼に変身する」ってなってたけど、狼男でも女でもないのに、干満の差に敏感だ。
  新月は特になーんにもやる気が出なくなるらしい。
  そこを突っつくのも楽しい、んだけど。
  んで。
  さっきの続きだけど、ボクの両親が倒れていた事故現場に、なんでシラスが駆けつけたかって言うと、正義感や義務感に駆られたからってワケじゃあもちろんなくて、
 「おいしそうだったから」
  それだけなのだ。
  おいしそうだった。誰が?――ボクが。
  ボクは人間だから、その気配だとか気……?だとか言われても、全ッッッ然理解できないんだけど、魔物は、人間一人ひとりの気のにおいが判るんだそうだ。
  においと言っても、体臭とかそうゆうんではなくて。
  良いにおい、悪いにおい、甘いにおい、辛いにおい……そんなのなのかな。
  ボクは嗅げないので、なんとも表現できないんだけど、とにかくそう言う「におい」に敏感なんだそうだ。
  シラスに言わせると「生気」とか「オーラ」とか言うらしい。
  で、ボクのは「とてもおいしそう」だったんだと。聞いたとき、そこだけはなぜか自慢そうに胸を張って、シラスは言った。
  言い切りやがった。
  でもねー。
  ボクだって16の女だ。
  世間で言えば、酸いも甘いもなお年頃ってヤツだ。多少は変わってるけど見た目それなりな男が、付かず離れず小さい頃から一緒にいたことに対して、少しぐらい夢と言うか憧れ、期待を持って過ごしてきちゃったとしたって、それは仕方が無いこととして大目に見て欲しい。
  父さんといえば父さん代わり、兄さんといえば兄さん代わり。
  なのに、小さい頃からちっとも見た目が変わることなく、いつ見ても小憎らしいほど涼しい顔で、ボクの生活から切っても切れない、そんな食い込んだ関係。
  それを、この男、いたいけなボクの期待も夢も希望も!
  なーんもかーんも、全部粉々に打ち砕いてくださった。
 「このにおいは、百万人に一人いるかいないか」だとか、そんな風に目を輝かせて熱く語ってくださったのだ。
  魔物の目からボクがどう映るのか、ボクは生涯判らない。判らないけど、
  いや。
  判ってたまるか。
  むしろ判りたくない。
  とにかく、聞かされたのはかなり大きくなってから……10歳過ぎた頃だったと思うけど、そのときのパラダイムシフトをボクはきっと一生忘れない。
  衝撃だ、なんてモンじゃなかった。
  足元から世界観のすべてが、ガラガラと音を立ててきれいさっぱり、崩れて消えていったのだ。
  血の気が引くっていうのはこのことなんだな、とボクはそのとき初めて知った。
  ああ、血液ってホントにザザザーっと下がっていくんだな、って。
  しかもこの男、その時その場でいとけなくも初々しい、赤んぼだったボクの生気を喰ったんだったらまだしも、
 「いやしかし待てよ」
  そんなためらいが、よぎったと言う。
  倫理感が芽生えたとかじゃない。
  突如として沸き起こった、良心の呵責に苛まれたワケではもちろん、ない。
 「今せっかちに食べるより、大きく育ててから食べたほうが、より熟成して美味いんじゃね?」
  言い回しや節々は異なるけど、その時ヤツが思ったのは、多分その程度だ。
  そう。
  ボクは、お伽話のお菓子の家に住む魔女に捕まった兄妹よろしく「大きくして食べる」と言うたったそれだけのとんでもない理由で、シラスに拾われ、育てられて今に至るのだった。


 「そう言えば、教会から手紙着てたぜ」
  ふんわりと湯気の上がるフレーバーティーと一緒に、真っ白な封筒を差し出しながら、シラスはボクにそう言った。
 「なんだろ」
 「仕事依頼」
 「ふむ」
  受け取った封筒を裏がえして、そこに押された封蝋を眺め……、それから今しがたのシラスの言葉にふと引っかかって、ボクは顔を上げた。
 「ちょっと。また中見たでしょ」
 「見てねぇよ。封開けてねぇだろう」
 「開けたとか開けてないじゃなくて。勝手に魔法で中透視しないでって、いつも言ってるだろ」
 「見られるような封筒で送ってくるのが悪い……あ、砂糖とって」
 「何さこの盗視魔」
  テーブルに置かれた砂糖ポットから角砂糖をひとつ取り出して、少し離れた魔物に投げつけてやりながら、
 「大体、国家機密でもない、人間相手に手紙を出すのに、わざわざ魔力封じの加工されてる封筒なんか使うワケないでしょ」
  ぶうたれてボクは、封筒を開けた。
  赤い蝋で閉じられている包みを開く瞬間と言うのは、なぜか好きだ。
  ぷぅんと古いにおいがする。
  昔のにおい。そう言うと、シラスは面白がって笑う。俺には理解できない、そう言って笑う。
  別に使われている紙が古くさいワケでも、蝋が鹸化しているワケでもないんだけど、なんとなく、昔っぽいにおいがする、と言う話なのだ。
  中には黄色い羊皮紙が一枚。
 「えーと。なになに」
 「シュトランゼ古墳に怪しからぬ気配あり。調査及び問題の対処を乞う……あ、砂糖。もひとつ」
 「だーかーらー。読む前に中身言うなっての」
  角砂糖をもうひとつ投げつけながら、羊皮紙の一番下に印されている、サンジェット教会のシンボルマークの透かし彫りを、暖炉の炎に向けて透かしてみる。
  マークの向こう側に、だいだい色の炎が見えた。
  うん、本物だ。
 「シュトランゼ古墳って、あのシュトランゼ湖の真ん中にあるアレ?」
 「アレだな」
 「あああアレかー……」
  イヤな予感に鳥肌がたった腕を擦りながら、ボクはうんざりとした声を出した。

                    *

  たとえ、何度も何度も何度も!魔法介護士の試験に落ちているとは言え、――ああ自分で言ってて悲しくなってきた――それとは別にボクだって仕事をしている。
  してなきゃ、暮らしていけないもんね。
  他所の国ではどうなのか知らないけど、ここ王都カスターズグラッドでは、15にもなったら大人に混じって仕事をしているのが普通だ。
  だいたい、13、4くらいから働き始めてその時はまだ「半人前」と呼ばれて。世間の荒波にもまれて色々苦労を重ねながら、20になる頃には「一人前」と認められる。
  そんなところだ。
  もっと上流階級の、例えば貴族だとか。ボクにはちっとも縁が無いきらびやかな人たちは、どう言う暮らしをしているのか知らないけど、通称「半日通り」と呼ばれる、この界隈に住むボクと同じ年頃の子はみんな、何がしかの仕事をしている。
  ちなみに、なんで「半日通り」と言う名前かって言うと、日光が半日しか、当たらないからだ。
  けど、大きな建物があるから、とか山が日陰を作って、と言うワケじゃあない。
  建物同士がえらく密集してて、太陽光の差し込むスペースがほとんどない、んである。
  仕事はそれぞれで、親のやってる店仕事の手伝いだったり、畑仕事だったり、大工仕事に回されたり。例えば、魔法介護国家試験に一発合格した、斜向かいのミヨちゃん――ミズティヨなんかは、しっかりと真っ白な介護士の服を着て、医院にお勤めしている。
  彼女なんかは、ボクと同じ16歳ながらも、資格試験に合格してるワケだし、才能もあるし、可愛いし、スタイルもいいしで、既に医院では一人前扱いだ。
  天は二物を与えないとかゆう格言、アレ絶対、ウソだ。
  現にミヨちゃんは今の時点で、もう四物与えられてる。
  ああ。指をくわえるほどうらやましい。
  で、ボクはと言えば、試験には合格しないし、特に目立った才能もないし、可愛くもなければスタイルは悲しいほどにナインペターンだし。
  取り得がないって言うのは、こういうことを言うんじゃなかろうか。
  ダメだ。また落ち込みたくなってきた。
  とにかく、そんなワケで、日々のパンを買うお金を稼ぐために、ボクはささやかに細いツテのツテをたどって、サンジェット教会の下働き――僧侶のタマゴ――として、鍛錬、鍛錬の日々なんである。
  僧侶と言っても、教会に来る信者の人に説教したり、告解を聞いたりするワケじゃない。
  それは、もっと司祭だとか、司祭長だとか、お偉いさんの仕事だ。
  タマゴのボクらが言いつけられるのは、例えば教会の毎日の掃除だとか、供えられている花の水換えだとか、銀器を磨くだとか。
  経理書類を一緒に片付けるだとか、上司の肩もみだとか、三軒向こうのパン屋から毎日決まった時間に、上司好物のツイストパンを買ってくるだとか。
  もう何でもアリの、ありとあらゆる雑用と言う名の仕事が、山のように積まれている。
  その上、教会に勤めるものの日課だとかで、毎日二時間、聖書を開いての司祭の説教。
  毎日家に帰ってくるとクタクタで、テーブルに向かって、夕ご飯を食べてるんだか寝てるんだか判らなくなることも、たまにある。
  お風呂で寝るのはザラだ。
  好きじゃなきゃ、やっていけないよね。
  仕事内容はとにかく、勤め先のみんなのアットホームな雰囲気が、ボクはとにかく大好きで、おかげで二年……もう少しで、三年になる。
  このまま憧れの介護士になれなかったら、僧侶になってもいいかな、なんて思ったりもする。
  そんなこんなで、だいたいは雑用に追われて毎日が過ぎてゆくんだけど、そんなタマゴのボクたちに時には僧侶らしい仕事が押し付けられるときもある。
  上司が留守中だったり、面倒くさかったり(こっちの方が圧倒的なんだけど)、他の仕事にかかりっきりだったり、つまりは「今手が放せない」状況のときに、こっちにお鉢が回ってきたりするのだ。
  そのときだけは、口約束や「これやっといてあれやっといて」の言葉ではなくて、公式依頼として、教会のシンボルの入った「依頼書」なるものが、郵送と言う形で送られてくる。
  なかなかそんな機会はないんだけど、ボクはその瞬間が好きだ。
  一人前の大人として扱われてる気がするから。
  そんなこと言ったら、口さがない同居人は必ず何か言ってくるだろうから、口が裂けたってボクは言わない、んだけど。

  次の日、聖水だの聖書だの十字架だの。昼ごはんのパンだのチーズだの水筒だの……とにかくもろもろを詰め込んで、パンパンに膨らんだカバンを肩に掛けて、ボクとシラスは指定された場所へと向かった。


  シュトランゼ古墳跡地。
  王都カスターズグラッドから、徒歩で半日ちょっと丘陵地帯を北へ歩くと、ぽっかりと巨大な湖が不意に目の前に広がる。シュトランゼ湖だ。
  青く透き通った静謐な湖は、カスターズグラッドからの結構お手軽なピクニックコースでもある。
  魔獣にだけ、注意すればね。
  その湖の真ん中の、小さな泡のような浮島に、古墳の入り口はある。
  なんだけど。


 「わあ」
 「わああ」
  現場についた瞬間、ボクらは揃って声を上げた。
  今日も絶好調にいい天気だ。
  さんさんと降り注ぐ日光にもめげず(てゆうかボクが引き連れてきたんだけど)、ボクの側に立ったシラスは、まぶしそうに目を細めながら、湖を同じように眺めている。
 「すごいですねぇ」
 「いやあこれはとてもとてもいい眺めですねぇ」
  声があまりにも棒読みだ。
 「なんて……なんて素敵に」
  そうなのだ。
  目の前に広がった、青く透き通っているハズのシュトランゼ湖は、
 「なんて素敵に……って見たまんま呪われてんじゃねぇか」
 「ああああ」
  ボクは膝から崩折れた。
  湖がどうしてこうなっちゃったのか原因は判らない。
  だけど、透明だったハズの水はドロドロに濁っているし、
  なんとなくドブ臭いし、
  死んだ魚は白目をむいて浮いてるし、
  おまけになにやらうっすらと霧がかっている。
 「……なんだろ。寒い」
  さっきまで、歩いているうちに汗ばむほどの陽気だったハズなのに、そこはどこかひんやりとしていて、思わずぞぞぞと背中が毛羽立った。
 「ヘンな物が湧いてやがるかもしれねぇな」
  腕を擦ったボクの肩を、シラスはさり気に引き寄せて、
 「妖気だ」
  出かけるときに羽織って来た、薄手のショールの下に入れてくれた。
  魔物の癖に高体温なヤツのマントの下は、ぬくぬくとあったかい。
  夏は鬱陶しいけど冬は珍重するあったかさだ。
 「手紙に書かれてた『怪しからぬ気配』も何も。こりゃあ、おそらく中に……いるぞ」
  何が「いる」、とは明言しないで、そのままシラスはボクを見下ろすと、
 「どうする」
  そう尋ねた。
 「うーむ。どうしよ」
  湖の真ん中の浮き島に行かないと、その問題の古墳への入り口はないのだ。
 「どうしようって、キミどうするつもりだったんだ」
 「いやー。こんなコトになってるとは思わなかったから、まぁ浅いトコ選んで、ちゃっちゃっと泳いじゃおうかなって思ってたんだけどね。泳いでカゼひくような季節でもないし。……でもなぁ。これはなぁ。ちょっとなぁ」
  綺麗な水ならまだしも、このドブくっさい水に飛び込んで泳げっつーのは、なかなかに勇気がいる。
  片足つけるのもためらう、かも。
  ううむ。
  すると、腕を組んで悩むボクが、ショールにおとなしく入ってるのをいいコトに、
 「なあ、レイディ」
  見下ろしていたシラスが急に、耳元へ顔を寄せてきた。
 「食わせてくれたらあそこまで運んでやる」
  囁く低音は、麻薬の甘さだ。
 「却下。やだ。ダメ。ぜーったい不可」
 「いいだろう。ほんの一口」
 「ダメ」
  ぶんぶんと振り切らんばかりに首を横に振って全身で否定すると、シラスががっくりと肩を落とした。
 「この前食ったのいつだよ……」
 「だって。だってだって。いつもいつもいっつもシラス、ちょっととか言ってちょっとじゃないし。痛いし。ぼわぼわするし。そのあとしばらく貧血になるし」
  食わせろって言うのは、つまり魔物に見える生気?のことだ。
  他の魔物が、どういう形で摂取するのか、あいにく、シラス以外の魔物の食事風景をボクはじっくりと見たことがないけど、シラスはボクの血を吸う。
  俗に言う、吸血鬼、とやらに似ているのだろうか。
  でも別に、日光に当たって灰になるワケでもない。
  コウモリにも化けない。
  心臓に白木の杭を打ち込んだって、多分死なないと思う。
  試したコトはない、けど。
 「手加減するから」
 「ダメ」
  駄目押しで頼むシラスに、ボクはきっぱりと首を横に振った。
  そりゃボクだって、鬼じゃない。年に一回か二回は、いつも空きっ腹で可哀相だなって同情するときもある。
  だけど、実際の被害が伴うボクの方の身にも、せめて百分の一くらいはなってほしい。
  血を吸うってことは、その血が出るほどの傷を付けるってコトだ。
  薄皮一枚切った位じゃ、滲んで終わってしまう。
  生気を吸収できるほどに傷を付ける――多くは、噛み付かれるんだけど――のは、これは相当痛い。
  噛んだあと、どういう仕組みか、シラスはちゃんと傷口を消してくれるけど、だからいいよって言う話じゃあないのだ。
  苛められるのがカイカンな性格のヒトはどうなのか知らないけど、あいにくボクにはそんな奇特な趣味はない。
  痛いものは痛い。
  軽くトラウマなのだ。
  でも、毎回ボクが断ったりしてちゃあ、他の人間を襲って生気を吸うのじゃないかって話になる。
  たぶん、きっと、それはない。
  シラスはボクと約束したんだ。
 「ボク以外の人間の血は吸わない」っていう。
 (言い過ぎたかな)
  うなだれてしまったシラスに、そんなことを思いつつ、ボクは左の手の甲をチラと見る。
  赤褐色の、おかしな形の文様がある。
  今は長袖に隠れて見えない、シラスの右手にも同じような文様があることをボクは知っている。
  ボクが、シラスのご主人様だって言う、契約のしるし。
  この文様に縛られている限り、シラスはボクに逆らえない。
 「じゃあキミ、どうやってあそこまで渡るつもりなんだ」
 「シラスはどうするつもりなの」
 「や、俺は」
 「……ねぇシラス。ボク、あそこに渡りたいなぁ」
 「――」
  さり気なく、
  さり気なーく左手の甲を撫ぜながら、ボクはシラスを上目遣いで眺める。
 「別にボクはこの水の中泳いだっていいんだけどさぁ。泳いだ拍子に、もしこのニオイが染み付いて取れなくなったら、どうしようかなぁ。あまつさえ、このニオイが表面だけじゃなくて、中まで染み込んで取れなくなったら、どうしようかなぁ」
 「――」
 「ボクは別に平気だけど。でもシラス困るんじゃないかなぁ。臭くなったら、おいしくなくなるかもしれないなぁ、ドブのニオイのする生気ってどんなんなんだろうなぁ。あ、別にボクは気にしないけど」
 「――」
 「いやホント。別にボクは気に」
 「――判ったよ」
  やれやれと溜息をつくのは負けを認めた証拠。
  よく「食欲」「性欲」「睡眠欲」で、「三大欲」と言われるけど、食欲の示す割合って、大きいモノがあるんだなぁとしみじみ思う瞬間でもある。
  内心ガッツポーズを決めるボクを尻目に、シラスは手近に生えている睡蓮の葉を次々にちぎり取ると、口元に指を当てたまま、ボソボソと数言となえた。
  そうして、あらためて水面に浮かべる。
  すると、まるで葉っぱの下に何か生き物でもいるみたいに、スイスイと順序良く葉っぱが並んで、中央の浮き島まで、一筋の道が出来上がる。
 「わあ」
  いくら魔物が毎日側にいるからって、日常生活、そうそう魔法にお目にかかる機会はない。
  そうでなくても、なるべくシラスは人前で魔法を使わないようにしているらしいし。
  もちろんボクには魔法の「ま」の字も使えない。
  せいぜいが、薬草を調合して色水のようなものを作ったり、札やお守りを買って、そこに込められた力を解放すること位だ。
  珍しいものは何度見ても珍しい。
 「飛び石みたいだね」
  感心してボクが呟く。
 「気をつけろ」
  本当に沈まないものなのか、おそるおそる睡蓮の葉っぱに片足を乗せかけたボクの後ろから、シラスが不意に声をかけた。
 「……何を?」
 「キミの平衡感覚まで統制してる訳じゃあないからな」
  つまり落ちるな、と。
  振り返りかけたボクは早々にバランスを崩して、引っくり返るところを危うくシラスに引き上げられたのだった。
  ふー。


 「シュトランゼ湖の名前の由来を知っているか」
  なんとか無事に落ちることなく、対岸にたどり着いたボクの目に、まず入ったものは一枚の石版だった。
  古墳に祀られてる英霊の名が書かれている……いた、かな。
  この古墳、文献にもほとんど載っていないほど、すごく古い時代のものだそうで、だから石版自体も雨風にうたれ磨り減ってて、書かれている文字はほとんど読めない。
  まぁ、仮に新品のモノだったとしても、使われてる文字が古代精霊文字と言う、ものっすごいややっこしい上に、コレ本当に文字か?ちっちゃい子の落書きなんじゃないの?てくらい複雑な読み方をするので、並大抵の人間には、読めない。
  そんな骨董モノの石版を眺めているボクに、シラスは急にそんなことを言う。
 「由来?」
 「そう。由来」
 「知らない」
  ボクが首を振ると小さく笑ったシラスは、
 「どうやって開けるんだったかな」
  そう言って古墳の入り口の岩扉を調べ始める。
  前にも来たことがある口ぶりだ。
 「あ、教会から開封の魔法印もらって来てるけど」
 「それ、出してくれ……よし」
  今は誰も入らないことになってる古墳だけど、まぁ中に入れてあるモノがモノだけに(だって昔のヒトたちの遺体だもんね)、粗雑に扱えない、てことで、教会の管理下に置かれている建物だ。
  他にもいくつかあるんだけどね。
  うっかり探検好きな子供とかが遊び迷い込まないように、入り口には特定の魔法錠が掛けられてることが多い。
  これは、ボクみたいに魔法が使えない人間でも扱えるように、閉める呪文や、開ける呪文を紙に記してある。魔法陣、てほど大きくも複雑でもない。
  簡易ケータイ魔法陣とでも言ったらいいかな。
  所定の場所にかざせば、開く仕組みだ。
  ボクがカバンから、魔法印の書かれた薄紙を取り出して渡す。受け取ったシラスはその紙の印の書かれたほうを、扉にあてがった。
  印の描かれた部分が、ぼうと白く光って、扉に染み出して消える。
  残っているのは、真っ白な紙だけだ。
  ごご、と重い音が響いて、岩扉に人一人通れるほどの隙間が開く。
 「わあ……」
  中を覗き込めば、目の前はほんの小さなスペースの踊り場。後は真下に続く石階段が数段うっすらと見えて、その先は全く見えない。
  明るいところにボクがいたから、目が暗順応してない、てよりは、もちろん誰も住んでないし、しばらく使われてもいないから、灯りひとつ灯ってない、真っ暗闇なんである。
 「見えないね」
 「丁度いい」
  ごそごそとカバンにしまいこんだランプを探すボクの横で、ようやく気分よさげにシラスが言った。
  魔物のヤツは、太陽光よりこのくらいが心地良いのだ。
  半日通りの家でも、一人になりたいときは、地下室に篭もっているし。
  ふうっ。
  暗闇に続く階段から、冷たい風が吹き上げてくる。
  どことなく、饐えたニオイがしなくもない。
 「うう」
  ランプとついでに、聖書と聖水、それにそこそこの大きさ(コブシ大)の鉄槌をカバンから引っ張り出して、ボクは泣き声を上げた、
  あ、鉄槌って言うのは……そうだなぁ、でっかいトンカチみたいなモン、と思ってくれるといいかもしれない。
  何でこんなものを持っているのかと言うと、
  僧侶は聖職者なんである。
  でもって、ボクがどんなにタマゴであろうと、一応僧侶の部類に入るんである。
  刃物は、もてない。
  血は不浄のものだからだとか、刃自体に魔物を呼び寄せる悪い力が宿っているだとか、教会では色々説教してくれるけど、なんていうか聖職者がもてない基本のようなモンらしい。
  じゃあ、銀製品はどうなるんだ、って話だけど、銀で作られた聖具としての剣やナイフは、刃物には数えないんだそうである。
  まぁ、そもそも教会においてある式典用の剣なんかは、形だけで、刃はついてないんだけどね。
  だからと言って、聖職者用に開発(と言うのかどうか)された武器って言うのが、これまたゴッツイのばっかりなんだ。
  杖の先にでっかいトゲ玉ついてるヤツとか。
  僕が持っているような鉄槌とか。
  血が不浄のものだと説かれた瞬間に、剣で切り裂かれるのも、鉄槌で殴り殺されるのも、どっこいどっこい、イイ勝負なんじゃないかとボクの頭に浮かんだことは内緒だ。
  どっちにしろ、血はでるだろうに。
  とにかく。建前上、刃物は持っちゃいけないコトになってるけど、それでもやっぱり必要に迫られて、って言うときが時にはあって。
  今は平和な時代だからないけど、戦のときとか。
  あとは、人間相手じゃない、魔獣退治だったりとか。
  今みたいな状況とか。
 「キミ、そんな重いモン持ってきてたのか」
  そんなボクの様子を眺めていたシラスが、呆れたような感心したような声を出した。
 「道理で漬物石でも入っているのかってくらい、カバンが重い訳だ」
 「だって。一応、調査だけならまだしも、『問題の対処を乞う』ってあったし。教会に行ったらネイサム司教に『よろしくな』とか言われたし」
  ネイサム司教とは、ボクの直属の上司だ。
 「ソレと聖書と聖水持ってたら、ランプ持てねぇだろうが」
  見かねたのか、
 「貸せ」
  そう言って、シラスが腕を伸ばして、ボクの手からランプを取っていった。
 「俺には必要ねぇんだけどな」
  ばっちり夜目が利くのだ。
  そうして、ボクの前に立って、階段を下りていく。
 「あ、待ってよ」
  ボクも慌てて後を追った。

                    *

 「そう言えば、さっき由来がどうとか言ってたよね」
 「ああ」
  シーンと静まり返った階段を下りながら(音が聞こえたら聞こえたで怖いんだけど)、ボクが思い出して言うと、シラスが頷いて返す。
  ぼやぼやとしたランプの光が、前を行くシラスの影を長く長く伸ばしている。
 「唄がある」
 「うた」
 「ああ」
 「どんなの?」
 「――とき遥か。いまむかし。ひとりの姫がおりました」
  聞くと、シラスがバステノールで静かに歌い始めた。
  シャクだけどいい声なんだ。
 「羽毛のように柔らかな
  金の巻き毛が背にこぼれ
  ひとみは深く水底の
  うす氷に似た青水晶。
  一目見たさに近隣の
  男がこぞって花を手に
  甘い言葉を囁いて
  我と我が身を差し出さん
  しかども姫は花露の
  零れる様にも微笑まず
  水晶鏡をのぞき見て
  重き吐息をつくばかり。
  何故なら姫が一番に
  大事に思うは我が容姿
  他のものなぞ目もくれぬ
  心は常に冬のよう。


  その日も姫は岸に立ち
  日がな水鏡のぞき込み
  さんざ揺らめく立ち姿
  眺めて飽きぬ我が姿
  思わずみなもに手を伸ばし
  届かぬ思いに焦がれ憂る。
  そこへ近づく一片の
  唸りを上げた石つぶて
  見惚れる姫の頬かすめ
  しぶきと共に水底へ
  たちまち崩れる水鏡
  泡立ち消える我が姿。


  頬を朱に染め振り返る
  高慢ちきな姫君の
  瞳に映える新緑の
  若枝にも似たその男。
  思わず言葉を失った
  姫に涼かな眼差しと
  だいじなものを何ひとつ
  君は知らずにいるのだと
  一声かけて微笑んで
  そして男は背を向けた
  あとに残るは水面を
  波紋で乱した湖と
  反論忘れて立ち尽くす
  不意に折られた天狗鼻。


  水晶鏡をのぞき見て
  姫は我が身に問うてみた
  だいじなものとは何かしら
  きらきら光る石かしら
  空に橋なす虹よりも
  涙の零れるものかしら
  あまたの花を贈られて
  あまたの言葉をかけられて
  あまたの男が訪れて
  けれど動かぬ我がこころ。
  だいじなことは何一つ
  誰しも告げはしなかった。


  かくして姫は水鏡を
  のぞく代わりに岸に立ち
  あの日の男を待ち焦がれ
  初めて判る恋心。
  氷の棘を引き抜いた
  在りし時の礼を告げたくて
  滲む涙は睡蓮に
  割り捨てた鏡は白魚に
  今なら判る訪うた
  あまたの男の語の意味が。


  待てど暮らせど現れぬ
  彼の日の男の立ち姿
  けれど果たせぬ憧憬に
  しまいにある朝気がふれて
  世にふたつとない宝石は
  みなもにからだを投げ入れた。


  かくて姫のうつし身は
  泡ときえると思えども
  それを惜しんだ湖が
  とわの力を吹き込んだ
  金の巻き毛は水草へ
  細い手足は浮き島へ
  形を変えた姫君は
  今は安けく微笑んで
  だいじなものとは何かしら
  きらきら光る石かしら
  だいじなものとは何かしら
  きらきら光る石かしら――」
  ぷつ、と途切れた声に、知らず聞き入っていたボクは驚いたような、もっと聞きたかったような、複雑な気持ちで顔を上げた。
  そんなボクの気持ちを知ってか知らずか、こつ、こつと一歩一歩地下へ降りてゆきながら、
 「湖に身を投じた姫君の名がシュトランゼ。もともとここは、古墳と言うよりは斎場とでも言うかな……姫君の魂を祀ってた訳だ。古墳として利用されたのはその後だな」
 「どこで聞いたのそんな話」
 「聞いたんじゃない。古墳の内部の壁に書いてある」
 「壁……てどこ?」
 「ここ」
  そう言って、シラスは手にしたランプを一瞬だけ、足元ではなくてボクの真横の壁に向けた。
 「昔興味が湧いて、調べに来たことがある」
  淡い黄色の光に照らされて、どこかの子供の落書きが見え――、
 「って、シラス。これって」
 「ぅん?」
 「これって、古代精霊文字じゃんか!あの、シアンフェスタの研究者たちでも、一行解読するのに何ヶ月もかかるって言う」
  シアンフェスタと言うのは、学術の街として知られる、ここ王都カスターズグラッドから東の方向にある街のことだ。
  この大陸のほとんどの知者、学者、賢者が集う街として知られている。
  その、大陸きっての知恵者たちが、古代精霊文字を一行解読するのに数ヶ月かかるって言うんだから、読み方の複雑さは押して知るべし。
  てより、解読方法自体が、未だに曖昧模糊としていて、はっきりと「これが読み方です」だとか、「これが文字数列で、使われている文字は何種類です」だとか、マニュアルが無い状態って言うのが、現状かな。
  何も無いところから手探りで調べて行くって言うんだから、楽しそうなような、気が遠くなりそうなような。
 「シラス、キミ古代精霊文字読めるの?!」
 「レイディもしかして俺のことバカだと思ってるだろ」
 「うん」
  あ、うっかり口が滑った。
 「キミね……」
 「あ、いや、そこまでバカとは思ってないけど、ないけど。でもそんなのが読めるほど、頭イイとは思ってなかった」
  不穏な色が声に混じるのを感じたので、ボクは慌ててフォローする。
  前々から物知りだとは知っていたけど、まさかそこまで物知りだとは知らなかった。
 「キミ、シアンフェスタ行ったら?いい就職先見つかると思うけど。てゆうか、精霊文字読めるってだけで、王都でももう引っ張りダコだと思うよ」
 「タコは嫌いです」
 「でもアレだよ、きちんと通勤する仕事したら、もう近所のヒトからヒモ呼ばわりされなくなるよ」
 「風聞は気にしません」
 「なんだよせっかくの才能なんだからさ、人類の考古学学術発展の輝かしい業績の一筋の光に……って、あ。キミ、人間じゃなかったね」
  そこまで言って、ボクはようやく気付く。
  そうだ。コイツは人間じゃあない。
 「そういうコト」
  うっすら笑って、シラスは再び足元にランプの光を当てて、階段を下り始めた。
 「発展とか。どうでもいい」
  魔物と言う種がそうなのか、シラスが独特なのか知らないけど、ボクが知ってるのは、コイツはかなり「個」を大事にするヤツだ、ってコト。
  たとえば、人間だったら多少やりたくないこととか、イヤなことがあっても、左にならえ~の精神で、ついつい周りに調子に合わせちゃうことがある。
  で、あとから「本当はそうしたくなかったのになぁ」なんて後悔することもしばしばだ。
  シラスにはそれがない。
  しない、と言うんじゃなく、多分元から持っているものにそう言う要素が含まれていないんだ。
  自分がしたいことはやる。徹底してやる。その追求っぷりたるや、凄まじいものがある。
  でも逆に、自分の気が進まないことは、やらない。絶対やらない。テコでも動かない。
  コレは時に、「単なる自己中心」だとかに捉えられがちだけど、でもそう毛嫌いするモンでもないって気が、長年一緒に過ごしたボクにはするんだよね。
  いいイミでも悪いイミでも「我がまま」だってことだ。
  我がままと聞くと、ボクなんかはすぐに悪いイミに思っちゃうけど、もともとのイミはそう悪いもんでもないのかな、って最近になってようやく思うようになったんだ。
  われがまま、あるがまま。
  もちろん、自分自身も含めて、関係する相手のことも、そのまんま眺めている気がする。
  基準がナイというか。
  突き放してるんじゃなくて、きっと、そのあるがまま受け止めちゃってるのだ。
  それって結構、スゴイことなんじゃないかって、ボクは思う、んだけど。
 「前にここに来たコトがあるって言ったね」
 「ああ」
  ただでさえ、なんとなく不気味な空気だって言うのに、そこに無言は耐え切れなくて、ボクは無理矢理話題を見つけ出す。
 「どのくらい前?」
 「さあ……もう6、70年も前になるか」
 「うわ十年一昔を軽く越えてる」
  自分で言ってておかしな感心の仕方だなあと思い、ふと、
 「ねぇ」
 「ん?」
 「70年時間が過ぎる感覚って、どんなカンジ?」
  湧きあがった疑問をボクは口にした。
 「さあ」
 「さあ、ってなんだよ」
  地下空洞にたどり着いたシラスがぴたりと足を止めて、ボクの方へランプを照らしてくれる。
  他に光源のない空洞の中で、ランプの光はあまりに頼りなくて、明かりが揺らめいた拍子にボクは数段踏み外して、派手に尻を打った。
 「い――ッだあッ」
  しこたま尾骶骨を打った。
 「何で何も障害のないところでコケられるんだキミは」
 「それはボクが聞きたいです……」
  痛さにしくしくと泣いていたボクを見下ろし、呆れたように手を伸ばして引き上げてくれたシラスは、特に怪我のないことを確認すると、そのまま、また背を向けてしまった。ので、ボクは結局時間の過ぎる感覚を聞きそびれてしまったのだった。
 「侵入者は二人だな」
 「二人……何で判るの?」
 「床に足跡がある。二つだけだ。……派手に蹴散らされてるな」
  地下空洞をざっと見回したシラスが、感心したように呟く。
 「蹴散らされている?」
  夜目の利かないボクは、せいぜいがところ目の前の床に石のかけらが転がってるかも。とか、そんなのが判る程度だ。
  遠くまで見渡せない。
 「墓石が崩されている」
 「なんで?自然劣化?」
 「――いや」
  そう言ってシラスは、つかつかと数歩先の墓石に躊躇いなく近づくと、ひょいとしゃがみ込んだ。
 「人為的なものだな」
 「誰が。何のために」
 「――判らねぇな。ただの悪戯か……、安寧と平穏の永久の眠りに就いていられちゃ困る事情でもあったか」
 「修復できそう?」
 「修復も何も、辺り一面メッチャクッチャだぜ。これ直すのは相当大変なんじゃ……ねぇか」
  また数歩先に進んで、つま先で墓石をつつきながらシラスがそう答えた。
 「むう」
  腕を組んで唸りかけたボクの肩に、ポン、と置かれた手のひらがある。
 「あー……ちょっと待ってよ。今どうするか考えてるんだから」
  背後から肩にポン、と。
 「とりあえず先に進もうか……。それとも今日はここで引き返して、教会にそう連絡するか。悩むなぁ」
  背後から肩にポン、と。
  ――ん?
  シラスはボクの少し先にいる。
  ん?
  背後から。
  背中を一直線に冷たい汗が伝い落ちるのが判った。
 「……ッ」
  聖水の入った小壜と鉄槌を、汗ばむ手の平で握りなおして、ボクはおそるおそる肩越しに置かれた手のひらと、それを辿ってその腕の持ち主を――顧みた。
 「ぎゃあああああああああああッ」
  振り返ったのが先か、ボクの喉から絹を裂くような――とは出したボク自身到底そうは思えない、ええとつまりは雑巾を裂いたような――悲鳴が先か。
  叫んだ拍子に、握っていたはずの鉄槌と聖水を腕の持ち主に投げ渡して、
 「ででででででたッでたッでたッッ」
  何事かと振り返ったシラスに飛びつく。
  ……と思ったのも束の間、飛びついたシラスの体は何だかやけにカラカラと細くて頼りなくて、
 「ひうわああああああああああッ」
  振り返ったその渋茶色の表面と、何の知性も感じられない落ち窪んだ眼窩に、ボクはみっともなく腰を抜かして尻餅をついたのだった。
  ぎくしゃくと不自然な動きで振り返ったソレは、
  ランプの弱弱しい明かりにでもよく判るソレは、
 「レイディ!」
  無表情で(顔の肉なんて疾うに落ちちゃってナイんだから、無表情なのはそりゃ当たり前なんだけど)そのままボクの方へと腕を伸ばしかけたソレは、
  あわや届くかと言うところで、シラスの投げつけた墓石の大きなカケラに、胴体ごと吹っ飛ばされてがたがたと床に崩れ落ちた。
 「大丈夫か」
  強く腕を引かれて立たされ、その手にボクはぎょっと反射的に縮み上がりかけ。だけど掴まれた手のひらの持つあたたかさと力強さに気付いて、
 「シラス!」
  恥も外聞もなくしがみ付く。
  そのまま、涙目で顔を上げた。
  シラスの細いけどがっしりした肩越しに、幾人もの――いや、「元」幾人もの、かな。
  ゆらゆらと無感情に立ち尽くす影、影、影。
  魂を失った、生ける屍――。
  骸骨だ。
 「何コレ!て言うかなんとなく判ってたけど何コレ!いやもう半分以上いるだろうなって思ってたけど何コレ!むしろ半分以上って言うか限りなく確信に近いものがあったけど何コレ!!」
 「――墓石の下に埋葬されていたヤツらだな。眠りを妨げられて出て来たんだろう」
 「そんなコトくらい判ってるけどボクが言いたいのはそうじゃなくて!」
  ええい、常に平常心を失わないヤツめ。
  喚いたボクに、冷静にシラスが分析してみせる。
 「ところでレイディ、キミ、もう少し色気のある悲鳴上げられないのか」
 「とっさの判断で可愛らしい『キャアアア』なんて声上げられるほうが間違ってるんだッ」
 「その勢いで、勇ましく構えてた鉄槌と聖水はどうしたんだ」
 「そんなモンない!知らない!どっか行った!」
 「鉄槌の使い方は、相手に叩き下ろすんであって、投げ渡すモンじゃあねぇぞ」
  囁いた声が、明らかに状況を楽しんでいる。
 「お願いだからシラス何とかして何とかして何とかして!」
  目を固く閉じなおして、ボクはシラスのショールを顔の前に引っ張り、叫ぶ。
  みっともないとかこの場合、言ってられないのだ。
 「この状況、俺の魔法より僧侶の退魔行為の方が上手く効くと思うんだがな」
 「無理!あからさまに無理!もう視界に入るのも無理!!」
 「――ったくウチのお姫サマは……仕様がねぇな」
  諦めたように笑って、そこでシラスはボクを片腕に抱いたまま、ぶつぶつと口の中で唱える。
  唱える言葉は結構早くて、しかも普段使っている発音や単語とはまったく別の、どこか異国の言葉に聞こえるから、どういう言葉をどのくらい発しているのか、ボクにはさっぱり判らない。
  硬くて乾燥してて軽いものが、ぱん、ぱん、ぱん次々と砕けるような音がした。
 「うううう」
  何をしているんだろう。
  怖いものは見たくない。苦手なものも見たくない。だけど魔法は見てみたい。
  葛藤にボクが目を開けるべきか否か悩んでいると、
 「――レイディ」
  耳元で声がした。
 「終わったぜ」
  え。
  おそるおそるショールから顔を覗かせると、うすら寒い風が頬を弄った。
  一瞬だけ。
  シラスの起こした風だ。
 「俺には退魔だの浄化だのはムリだからな。とりあえずぶっ壊しておいた」
 「ぶっ壊して……って。ホ、ホ、ホネの人たち、怒らないかな」
 「怒るような脳ミソも、もう持ち合わせちゃいないだろう。アレはもう、魂の抜けたガラみたいなモンだしな。特に恨みを抱いて死んだ訳でもなし、もともと、きちんと埋葬されてここに眠っていたんだろうから、あとで手厚く供養してやれば、特に何の悪さもしねぇさ」
 「そ、そっか」
  何とかしろと、シラスに自分で言っておきながら、それでもなんだか悪い気はする。
 「なんだか悪い気」てよりは「かなり悪い気」がする。
 「ごめんねごめんね」
  上司のネイサム司教に報告するときは二割り増し、現状を重く伝えておいて、厚く厚く手厚く法要してもらえるように手配してもらおうと、ボクは心に誓った。
 「謝るなら、最初から怖がらずに浄化してやればいいだろう」
  僧侶の浄化行為は、手厚い供養と同じ効果がある。
  死者が手っ取り早く納得して、安心して、あの世に行ってもらうには、それが一番効率的だということも判っている。
  がしかし。
 「それが出来れば苦労はしないよ」
  冷静に指摘されてボクはそっぽを向く。
  そもそも、最初から、なにも頭ごなしにホネ――と言うよりも、こう言う不死者(アンデッド)系統――が、嫌いなワケじゃあ、もちろんないのだ。
  仮にも聖職者なワケだし。
  教会に依頼された葬儀の手伝いに行く事だってある。
  死者への最低限必要な礼儀は欠かしてはいないつもりだ。
  けど。
  なにせちっちゃい頃に、50からなるホネとゾンビの一群に、小一時間追い掛け回された記憶が、未だに尾を引いているんである。
  そう。アレは忘れもしない。
  泣き叫びながら逃げまくるボクと、そのあとに連なる一連の不死者を目の前に、教会に通報するのも忘れて、しばらく唖然と見つめていた周りの人たちと。
  その時は何て薄情なと思ったけど、まぁ、当然だったろうな。
  なぜか蘇った彼らは真っ直ぐに、ボクだけ追ってきてたから。
  腐乱した肉がずり落ちて、それでも尚追ってくる姿は、
  筋肉も筋も疾うにないのに、奇妙にかくかくとした動作で追ってくる姿は、
  オシッコちびりそうなほど、ほんとうにほんとうにほんとうに怖かった。
  一度植え付けられた苦手意識なんて、そうそう取れるもんじゃあない。
  今回は古墳(まぁ古いからこその「古」墳なんだろうけど)だったから良かったものの、もっと苦手なのは、埋葬されたての新しい屍体……いや、新しい屍体ってなんか言い方ヘンだけどさ。とにかく、死んで埋葬されてからそうまだ時が経ってない、でも程よく土中分解されている位には経っている、と言う、絶妙なバランスの、つまりはゾンビが一番ダメって言えばダメだ。
  ニオイがもう何とも言えない。
  臭いからイヤとか、腐ってるから汚いとか、そう言うレベルじゃないんだ。
  何ていうか、涙が出る。
  怖くて、ではなくて腐敗してるガスの、あまりの強烈さのために。
  その強烈さたるや、痛くて目が開けてられないほど。
  ――なんて思っていたら、その、例の特有の、強烈なニオイが、シラスの起こした小さな風と共にふわぁっと、
 「うわうわうわうわうわ」
 「新しいな」
  しがみついたボクを特に引っぺがそうともせず、抱えたままシラスはそのニオイの方向に進んだ。
 「ちょっと何もあえてこの方向に行かなくてもいいじゃないか」
 「――二体あるな。コレが侵入者か。……安心しろ。コレは多分、起き上がることはねぇよ」
 「な、ななんで判るんだよそんなコト」
 「レイディ。これ、見えるか」
  そう言ってシラスは、真っ暗闇の方向へ、ボクにも見えるように指先から一つ二つ、小さな青い鬼火を飛ばした。
  薄明かりにぼうと浮かんで見えるのは、首と胴体が泣き別れになった、
 「あううあああああ」
  そんなモン乙女に見せるな!
  そう言ってブン殴ってやりたかったけど、コブシを握り締めたところでボクは自分の職業と、今回ここに訪れた目的とを思い出し、振り上げるにはいたらなかった。
  相変わらず片手はシラスの服を固く握り締めたまま、それでもボクは振り返って、鬼火に照らされた二つの遺体を見た。
 「み、見ました」
 「おかしいと思わねぇか」
 「思いません首が綺麗に飛んでます」
 「だから、だ」
 「……え?」
  言われて嫌々、もう一度振り返る。
 「おかしいって、どこが?」
 「――例えばだ。古墳に、墓荒らし目的で――まぁそこに宝石の類も転がっているようだし、墓泥棒としておくか――侵入した人間が二人いたとする」
  言いながらシラスは、首チョンパの死体が握り締めている青く透き通る宝石を、指し示した。
 「ほ、ホントだ」
 「で、だ。宝を見つけて、分配方法で口論になったとする」
 「うん」
 「そのうち行為がエスカレートして、刃物による斬り合いになったとしよう。片方が無傷で、もう片方の首を刎ねる、これは考えられる話だ。この場合、無傷の方は逃げるよな。だがここには遺体が二つある。逃げ切れてないと言うことだ」
 「片方が傷を負いながら、もう片方の首を刎ねる。でも受けた傷が深くて、力尽きちゃった、とかは?」
 「それもない。何故ならこれは二体とも、綺麗に首を刎ねられているからな。考えられるのはもう一人、もしくは二人三人、同行者がいたってことだが――」
 「……だが?」
 「床の上に足跡が無い。足跡があるのは二人分だけだ。全員分消して歩いたというならともかく、だ」
  おかしいだろ?
  そう呟いて、それからシラスは床に置いていたランプを手に取り、
 「ほら」
  しがみついていたボクに向かって差し出した。
 「両手開いたんなら、持てるだろう」
 「も、持てるけど」
 「あんまり俺にずっとくっ付いてると、喰っちまうぞ」
 「わわわ」
  最高のおどし文句に、ボクは急いで、そこでようやくシラスから離れる。
  こんなムードもロマンスもへったくれもないところで、ホネに囲まれてお食事中継、てのだけはどうか勘弁願いたかった。
 「まだ奥があるはずだ。……行ってみるか」


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最終更新:2011年10月15日 17:59