<<月へと還る獣>>
ハルガムント攻城戦
1
「――届いていましょうか」
不安な声を上げて、尖塔の小窓から遥か向こうを見下ろしたのは、グラーゼン司祭長だ。
つい先ほどまで、キルシュがちかちかと手鏡で陽光を反射するのを、
遠くの丘陵に向けて何度と無く暗文を送るのを、
半信半疑で眺めていた彼である。
「――届いていよう」
今は椅子に深く腰掛け、キルシュは頷く。
「届いていると今は信ずるより他ない」
「でございますが」
「案ずるな。我が国の策士はな、控え目な見た目に反して、えらく出しゃばりな性格の持ち主であるから、恐らくはエスタッドの一軍の中に混じっていよう。あれの耳に入りさえすれば、必ず解読する」
確信に満ちた声である。
「あとは、エスタッドの斥候が、目敏いことを祈るのみだが」
「でございますが」
「まぁ、腐ってもエスタッド皇軍、そこは信じても平気であろうな。無能がハバを利かせられるほど、あの皇帝。心優しいようには思えぬ」
「でございますが」
「――なんだ。心配性だな、グラーゼン」
ゆっくりと首を回して、キルシュは司祭長を見やった。その視線から迷いの色は消えている。
「何が起きようと、わたしが必ずそなたを逃す。こなたは何も考えず、ただ落ちぬよう、ひたすらに馬の背にしがみついておれば良い」
「しかし。しかし、陛下はどうなされます?私めを逃し、逆に彼らの目を引き付けて」
「わたし、か」
苦い笑いを頬に浮かべて、
「ふむ。ラグリア教本から引用するなれば、『為すは子羊の努力、成されるは神の恩寵』……とでも言うか」
自分にすれば珍しく、こんな殊勝な言葉が出る。ふた月の徹底した神殿修行は、あながち無駄でもなかったかもしれない。
そんなことを思いながら、キルシュは短くなった髪を撫ぜた。
首筋が寒い。
「エスタッド皇の度肝を抜くために、長かった髪を切ったが。早計であったと、今になって後悔する」
「……それは、どう言う」
「身の回りの素材で、人毛は一番丈夫だそうだ。髪を切って縄をなえば、決して切れない綱になっただろうに、と」
そう言ってキルシュが差し出したのは、簡素な寝台のシーツを細く裂いて、編みこんだロープだ。
「ちと頼りはないが、人間一人の体重ならばこれでも十分だろう」
「陛下は、私がために……残られますか」
「否」
下唇を噛み締めて、責める口調で司祭長が問うと、
「思い上がるなグラーゼン」
悠然と構えたキルシュが、不意に瞳に炎を宿らせて老人をひた、と見据えた。
「――人はな。誰も、誰かのために為すなどと言うことは、真実、ない。人のためと思って為していることであろうとも、だ。……気付くものは少ないだろうが、実際は誰かのためではなく、己がために為しているに過ぎない。言うなれば、自己満足獲得のために、人は何かを為す」
「……」
「これは、わたしのための策である。策とは、数ある思案の中から、一番に成功が高いと思われるものを選ぶものだ。こなたにわたしは、書を預けようと思う。そのままエスタッド皇軍陣地まで突っ切ってほしいのだ。二人で逃げるは、愚策だ。必ず死に物狂いの追っ手が掛かるし、それを振り切るだけの馬術や武芸は、わたしにもこなたにもない」
「……」
「二つ目の候補は、こなたがここに残るということだが、残ったところで、質としての利用価値は低いのだ。ハルガムントは既に、ラグリア教団と結びついておるのだからな。ラグリア筋のこなたを質に取ったところで、ラグリアへの押さえになるものでもなければ、支援がもらえる訳でもない。逆に、司祭長を軟禁していると、教皇の不興を買うだけかもしれない。――となると、こなたがハルガムントの荷物になるのも時間の問題だ。これ以上ハルガムントの管轄にいるのは、得策ではない」
「……」
「すると、こなたが逃げてわたしが残る、と言う策しか、わたしには残されていないように思えるのだ。彼の夫人の欲しがる血判とサインを、わたしは未だ記していないのだからな。これはまだ、利用価値があろう。となると、迂闊に殺すわけにもいかない。今のところは歯軋りしながらでも、生かしておくしか道はない」
語っていて自分で、つたないと思うキルシュだ。
(あの仏頂面ほどには、頭が回らぬわ)
しかし、今の自分の能力ではこれが限界であったし、何より「あの男ならどう考えるか」と彼女なりに頭を悩ませた結果ではある。
「策とは、一割の真実と二割の見栄と、残る六割のはったりでございます」
策とは何かと、以前にキルシュが尋ねたときに、そう言い切られて唖然としたことを、彼女は忘れない。
「見せかけばかりではないか」
「それの何が悪いのでございましょう」
抗議した自分に、けろりとした顔で、男は言った。
「見せかけとは、見せかけるこちらが悪いのではない。見抜けぬ相手が悪いのです」
「……足すと九割にしかならぬが、残りの一割は何が入るのだ」
「『機』でございましょうな。時代の流れと言い換えても構いません。人事尽くして天命を待つ。運をつかみ取れぬ支配者は、支配者たりえませぬ」
涼しい顔で飄々と言い切られて、それ以上反論する気をなくしたキルシュだ。
(まぁ、今の状況で言えば八割方はったりの気もするが)
そんな思いはおくびにも出さない。
「しかし……」
「グラーゼン」
それでも尚ためらいを見せる司祭長に、
「では、賭けをしよう」
言った。
「賭け、でござりまするか」
唐突な提案をするキルシュに、老人は怪訝な顔をする。
「そう。賭けだ。こなたもわたしも、食べずに既に一週間。そろそろ限界であるな」
流石に枯死されては困ると、日に一杯の水は飲ませてもらえたものの、強情に契約書を見ないキルシュに、見せしめとばかり、パンの一欠けらも渡されてはいなかった。
(わたしはまだ持つ)
しかし、目の前の老人が、もとより少ない生命力を日々削られて行っているのは、日の目を見るよりも明らかだ。
「勝った方は、負けた方に……そうだな。エスタッド皇都で一番に美味い店で、たらふく奢ってもらうとしようか」
「エスタッド皇都の、でございまするか」
「わたしは、こなたもわたしも、無事にトルエに戻れる方に賭けよう――が。こなたはどうする?どちらか一人が、もしくは双方共に災難に逢うと賭けるか」
「と、とんでもござりませぬッ」
不意に平伏して、司祭長は首を激しく横に振った。
「申し訳ございませぬ。陛下の策の是非を、ほんの少しでも疑った私めを、どうかお許しくださいませッ。行う私自身が疑ってかかっては、成功するものも失敗に終わると言うもの。策の是非は、私自身が決めるのでございました。必ず、必ずや逃げおおせて、エスタッド皇軍に助けを求めて見せまする」
唐突な賭けの提案は、司祭長本人の決意を促すためのもの。
伊達に八十いくつを過ごしてはこなかったのだろう。純朴であるが、馬鹿ではない。
キルシュの本意をすぐに汲み取って、司祭長は彼女の差し出したロープを受け取った。
「こなたが下に降りた時分に、派手に騒ぎを起こして、ハルガムントの目は引きつけておく。わたしに出来ることはそれくらいだからな。無事を祈る」
「陛下こそ……陛下こそ、どうか神のご加護を」
祈りの印を胸の前で切る仕草の司祭長へ、
「案ずるな」
キルシュは皮肉な笑いを浮かべたという。
「……何せ、囚われの身には慣れている」
笑みの意味は、諦めだったのだろうか。
否。
彼女はそれすらも、受け入れたのだろうと推測する。
2
夜のしじまに馬の荒い鼻息が、煙となって立ち上る。
(今夜は特に冷える)
虹を周囲にまとわり付かせた、空の月を見やって嘆息したダインだ。
強風が吹いて、空気中の塵芥が吹き払われるせいか、乾燥した空気のせいか、はたまた気温にも関係があるのか。
冬は、特に月が映える。
輪郭までくっきりと見える天の黄色いそれは、雲も星も、寄せ付けない美しさをたたえていて、なのにダインの目には、どこか孤独そうに見えた。
冷たい、透徹な光である。
闇夜に慣れた目に、月光は思いの他明るい。
「……よしよし」
るる、と鼻を鳴らして頭を振る馬の首を叩いてなだめてやりながら、今しがた後にしたテントを振り返った。
帆布のくすんだ白が、月にぼうと浮かんで見える。
医療部隊のテントだ。
エスタッド軍本陣であった。
「緊急を要する」
トルエの参謀が倒れた際に、皇妹将軍は僅かに青褪めた顔で、ダインにそう告げた。
「兄を側に見ていたから良く判る。あれは……かなり傷んでいる」
トルエの参謀の身体のことだ。
皇妹将軍の命を受けて、ダインは意識のない男を鞍に括りつけ、エスタッド本陣へと向かった。
荷駄扱いであった。
無造作なのではない。
意識のないものと乗馬するにはそれしかないのだ。
馬の背と言うもの、見た目よりもかなり上下に跳ねる。
仮に、少しの意識があり、しがみつく力があるのなら、ダインは己の後ろに乗せたろう。
しかし、血泡を吹いて倒れたトルエの参謀は、到底目を覚ましそうになかったし、無理に正気づかせるのも上策ではないように思えた。
ミルキィユの部隊に、軍医はいないからだ。
治療行為が出来ない。
それはそのまま、「応急手当で回復の見込みのないものは切り捨ててゆく」と言った、一撃離脱を得意とするミルキィユ部隊の、冷酷とも思える軍規にも依ってゆくのだが、今は割愛する。
負傷したものは置いてゆく。
だが。
「本陣へ、送り届けて欲しい」
ミルキィユはダインにそう頼んだ。
軍医は、陽動作戦として、アルカナとハルガムントの気を惹く役目をしている、エスタッド本陣にしかいない。
「届けろ」、でなく「届けて欲しい」であったのは、ミルキィユなりの譲歩だったろう。
一軍を率いる将が、自身の感傷に左右されては部隊は乱れる。
それを判りきった上で、彼女は頼んだのだった。
倒れた他国の参謀に、病がちの兄の姿を重ねたか、
まだ会って間もない他国の公女に肩入れしたのか、
その理由をダインは知らない。
聞こうとも思わなかった。
黙って頷き、一人、原野を駆けた。
本陣とは、馬で半日の距離にある。
足手まといになったら棄てろ。
出発前にそう告げた、括った男を見下ろしながら、
「出来る訳ねぇだろうが」
ボヤくぐらいは、許して欲しいと思ったダインだ。
ミルキィユに必要以上、肩入れして欲しくはないと思っていながら、結局、自分も肩入れしてしまうのは、もう性分と諦めるしか、ないのかもしれない。
そうして、
「アルカナとハルガムントは水面下で内通。防備の手薄は南東。明日。夜。西門より騎馬一騎向かう。エスタッド軍にて保護されたし」
数刻前に、トルエ公女が送ってきたとおぼしき暗号文を、テントの前でダインは思い出している。
用件はひどく素っ気なくて、逆にそれが公女とグラーゼンの切迫した状況を表しているようにも見え、聞きながら顔をしかめていたダインだった。
どうか助けてくれだとか、無事だから心配するなとか、余分が一切ない。
施政者だ。
だが、女だ。
それも、周囲の状況に無理矢理仕立て上げられた、痛々しさを未だ残す、少女なのだ。
早く助けてくれと、ここにいるのが怖いからと、そんな弱音が覗いても良いのではないか。
大の大人のダインですら、周囲すべてが敵ならば、心底不安に陥る。
パニックになるかならないかは、また別の話だ。
「……それだけか?」
であるから、意識を取り戻すやいなや、公女からの暗号を解読したトルエの参謀に、思わずダインは尋ねてしまった。
尋ねた男は、静かに横になっている。
選び抜かれて配属された、軍医の手当ては正確だったらしい。呼吸も穏やかだった。
ダインに静かに頷き返した男に、それ以上かける言葉が見つからなくなって、「そうか」だとか、「じゃあ」だとか、まるで戦場に不釣合いな挨拶をして、彼はテントを出た。
「――傷んでおりますな」
付いてテントを出てきた軍医が、ダインにそっと耳打ちする。
四十半ばほどだろうか、ところどころに白髪が混じる男だ。
「傷む、か」
つい数刻前に同じ言葉を、上官から聞いた覚えのあるダインだ。
オウム返していた。
「あれは慢性的なものですな。よくトルエから移動できたものだ」
感心したような口ぶりに、思わず振り返っていた。
「悪いのは何だ。皇帝サマと同じように心臓でもイカれてんのか」
「詳しく検べてみないと、はっきりとしたことは申し上げられんが。九割方、肺の腑でしょうな」
「肺……」
己の胸元を見下ろすダインである。
「……肺が何だって言うんだ」
「肺病を患った痕がある。病後も片肺が機能しておらんようです。と言っても、今すぐどうこう、と言う状態じゃあないですがね。日常生活を送るには、さして問題はないはずです。……が……、激しい運動をする、過度に神経を使うなど、負担のかかることを強いれば……、……さて、」
語尾は濁して、軍医は軽く頭を下げた。
「まぁ、医師として出来るだけの手は尽くしましょう。この戦が終わるまでには、回復させておかねばならんのでしょう?……ワシはただの医師だからね、政治だとか国交だとか、難しいことはよう判りませんがね、無事に、本国へお返ししなければ……ははは。後が怖い」
「……難しいことが判らねぇのは、俺も同じだ」
あの皇帝の不興を買うのは、守銭奴傭兵と過去に呼ばれたダインですら、どんなに金を積まれ頼まれても御免である。
御免だ。
絶対に嫌だ。
エスタッド皇帝の陰険とした弄りに付き合わされた記憶が不意に蘇り、肩をすくめて、ダインは馬の背に飛び乗った。
これからまた、全力で馳せ戻り、彼の鬼将軍の部隊に、公女からの伝言の意味を、伝えなければならない。
「今夜は徹夜か」
「お気をつけて」
「ああ」
軽く溜息をついて、ぽんぽんと二つ。馬の首を叩き、
「頼んだぞ」
そう言うと、ダインは再び月明かりの下を駆け出した。
3
その男。ひどく肥えていた。
口さがの無いものは、陰で「豚」だと噂している。
どのくらい肥えているのかと言うと、例えば湯浴みをした身体で部屋に戻ると、既にびっしりと玉のような汗を浮かべている。
たいした運動もしていないくせに、肩で息をしていた。
もともとが大柄な体質の上に、美食に美食を重ねて、どうしようもなく後戻りの出来ないところまで至ってしまったらしい。
「並の男の軽く四倍」
と、時の伝聞帳には書かれていたというから、相当横に広がっていたのだろう。
なにしろ、自身一人では立ち上がることも出来ない。
日常生活のすべてに、支障があった。
これが一般市民であったなら、大いに困り果てたのであろうが、あいにくと男には顎でコキ使える部下が数多くいた。
それも、数千と言う単位で。
男は大将軍である。
軍部の頂点にいた。
今は亡きアルカナと云う国の。
この大将軍、
「暑い」
と言うのが口癖であった。
仮に、水の入った飼い葉桶が朝方凍るような気温だったとしても、その口癖は消えることがなかった。
脂肪によって、痛点ならぬ冷点が麻痺していたのであろう。
「暑い」
その夜も、陣営のど真ん中に座椅子を置いて、鷹揚に構えた大将軍はそう漏らした。
新しく配属された護衛兵が、耳を疑い目を剥いている。
篝火の側であろうと、立っているだけで骨の髄まで凍えそうな寒さの夜である。
鉄鎧の上にも下にも何重にも着込んで、首元には毛まで巻いて、それでもなお身震いがするほどに寒い。
「閣下」
季節感なく汗水垂らして酒を煽る大将軍に、腰を屈めた幕僚の一人が近づいた。
手には紙切れを持っている。
「何だ」
「屋敷からの伝令で」
「ほう」
僅かに揺れ動いただけで、全身の肉がぶるぶると揺れる。
一部でなく全身が揺れるものだから、まるで場違いに大笑いしているようにも見えた。
「良い知らせと、悪い知らせが届いております」
「ふむ」
部下の男には一瞥もくれず、ただ真っ直ぐに酒肴へ気を取られながら、大将軍はあいまいな声を出した。
「……まず、悪い方の知らせですが、ハルガムント邸に監禁していたトルエの司祭長が、西門より逃げ出したとのことです。詳細は不明。トルエ公女が手引きをしたものと思われます」
「神に捧げていても、命が惜しくなったのか?……まあ彼の司祭長は、公女の脅しに使うため、侯爵夫人がついでに捕らえていたようなものであるからな。逃げてくれていい厄介払いが出来たであろう」
汗のため吹き出物の出来た首筋を掻きながら、のんびりと大将軍、呟いた。
楽観主義であった。
逃げた司祭長が何か指令をおびていたのでは、だとか、どこへ逃げたのか、だとか考えない。
凡将である。
「で?」
「は、」
思わず嫌悪に目をそらしていた部下の男は、不意を衝かれて頓狂な声を上げる。
通常、ある程度性格に難があったとしても、仮にも「大」の付く将軍である。下のものからなにがしかの尊敬を受けているものであるのだが、この大将軍、アルカナ王国の腐敗しきった裏事情を上手く利用して、この地位まで上り詰めた男であった。
つまりは袖の下――贈賄である。
金で解決する男に、尊敬の得られようはずが無い。
「豚」と呼ばれる所以である。
「『は』ではない。……良い知らせ、とは」
「あ、は、はい。その、ハルガムント侯爵夫人が、こちらに公女を送りつけてまいりました。閣下の夜伽に花を添えられては、との」
「ほぉう」
ようやく気を惹かれたのか、食より色への興味の割合が強い性分だったのか――とにかく大将軍はそこで初めて酒肴から目を離し、部下の男を眺め見た。
「来ているのか」
「は。ここへ」
陣幕の入り口より、痛々しく両手を後ろ手に縛り上げられ、薄着を羽織っただけのトルエ公女キルシュが、両脇二名に固められて引きずり出される。
気丈にも顔を上げていた。
背筋がしっかりと伸びている。
不安な様子はまるでない。
どころか、むしろ連れて来た兵士の側が、圧倒されている。
華厳。
見目艶やかな立ち居と、凛然とした振る舞いが一体となる。
「ほう。……ほう、ほう、ほう」
意地汚く酒肴に手を伸ばしながらも、大将軍、思わず身を乗り出した。
見蕩れたのである。
自身で立てるほどの重量であったなら、思わず椅子を蹴立てて立ち上がっていただろう。
それほど、トルエ公女の姿は月下に映えていた。
「これはこれは……また」
言葉が続かない。
続けるほどの語彙も、大将軍、持ち合わせてはいなかった。
淡い月の光にも、透けて見えるほどに、肌は北部特有の、陶磁器の白。
うねりを帯びた、やわらかな癖のある短髪が、うなじに淡い陰りを落としている。
真っ直ぐに大将軍を見据える瞳は、透明度の黒曜石だ。
通った鼻梁と、下に続く紅を差さずとも尚、つややかな唇はほころびかけた花芯である。
未だ固さの残る青柿の雰囲気を醸しながらも、後数年も待てば、誰しもが惹かれずにはおれない、馥郁と濃艶な香りを放つ妖花になるだろう。
それが、薄物一枚をまとって立っている。
大将軍ならずとも、喉を鳴らして凝視する光景だった。
その、周囲の視線を一身に浴びているはずの虜囚が、
後ろ盾を何も持たぬ、無力な小娘が、
臙脂の唇を、不意に吊りあがらせた。
「アルカナ王国軍――大将軍閣下であらせられるか」
嗤ったのである。
「初めてお目にかかる」
捕縛されている現況を、まるで介する様子がない。
「一度、膝を交えて話をしたいと思っていたところだ。こんな形で願いが叶うとは、だから人生は面白い」
場の空気を呑んでいる。
上下がはっきりと逆転していた。
「……噂を耳にしたことが、ある」
「ほう」
まじまじと公女を視線で嘗め回しながら、掠れた声を大将軍は上げた。
「『トルエの国は顔で持つ』と」
「顔ひとつで持つものならば、誰もが苦労せずに済むものを。いずれ大した国ではあるまい。そう、どこぞの……、元アルカナとか言う、巨大な白豚が未だに幅を利かす国の如くな」
強烈な痛罵である。
仮令陰で「豚」と囁いていようと、面と向かって告げた強者は今のところいない。
言葉を失って大将軍以下、その場にいた男たちは、口をぽかんと開いた。
人間、真実を真っ向から言い当てられると、言い返せないものだ。
「貴様ッ」
内心その通りだと喝采を上げていようと、面目は幕僚である。
まず我に返ったひとりが、公女を地へ打ち伏せた。
最終更新:2011年07月21日 21:02