No Nukes! / Minamatabyou



『なぜ水俣病は解決できないのか』

  • 水俣病とは、「世界最大の公害病


第一章 公式確認、そして胎児性患者 (P28)

水俣病公式確認の翌年の昭和32年、地元の漁協や被害者団体は、水俣病の原因はチッソの工場排水の可能性が高いとしてチッソに排水を中止するよう申し入れた。
<略>
ところが抗議を受けたチッソは、排水を止めなかっただけではなく、翌昭和33年、密かに排水路を変更して水俣川に流した。汚水は川の流れに乗ってさらに沖合へと流出していった。これ以降、河口周辺や沿岸域、さらには対岸の島にも新たな患者が発生していく。
一方で、水俣市や市議会、商工会議所は「排水の停止はチッソに打撃を与える」として排水停止反対の陳情を知事に行った。
<略>
結局国がチッソの排水規制を行ったのは昭和44年。この時既にチッソは、水銀排出の原因となったアセトアルデヒドの製造を終えていた。

第二章 差別都市 (P43)

まず、「市民」と「患者」という言葉が二項対立として用いられていることに気がつくだろう。考えてみれば、「患者」だって水俣市に住民票がある「市民」に変わりない。しかし水俣においては、「市民」は「市民」であって、「患者」ではないのだ。この構図は、ずいぶん縮小されたとはいえ、今に至るまで続いている。
そして「患者」はさすがに攻撃できる対象ではないと気づいた「市民」は、攻撃の矛先を前述したところの「金に汚い」患者にすり替えることになる。こうして生まれたのが「ニセ患者」である。

第四章 巨人と巫女 (P94)

「医学的な結論が出ていないことが救済を遅らすひとつの口実になされた」
科学は証明の上に成り立つ学問である。事実を冷静に証明することが正しい科学者のあり方である。
しかし、原因と結果が存在し、そこには因果関係が存在していると推論でき、そして緊急事態が進行し、多くの犠牲が出ているという状況の中で、「証明ができていないからなにもしない」のは正しい科学者の態度なのであろうか。「証明できていないから」なにもしあいことで、責任を回避しているだけではないか。水俣の悲劇を拡大させた原因の一旦は医学・科学界にもあることをこの国の学者たちは肝に銘じ、責任を取るべきだ。

第五章 水俣病研究―いばらの道で (P123)

丸山(定巳)は会議についてこう嘆く。
「補償・救済というのがまったくいまだに放置され、混乱して、遅れて、という現状がありますよね。だからこの補償の問題をどうするかというこの問題について、環境省は積極的な対応策ほほとんど出さなかった。これは行政としての責任を放棄している。しかも今の段階では、法的に水俣病が拡大した責任が国にあると最高裁で断じられたわけですから、国は第三者的な立場じゃない。加害者ですね。加害に関わった当事者でもあるのですから、補償にどう対応するために何らかの新たな対応策を出すべきだと思うんです」

第五章 水俣病研究―いばらの道で (P127)

ノーベル経済学賞の候補に目される経済学者にして戦後日本を代表するリベラリスト・宇沢の一歩は終戦後の混乱から始まった。多くの人が貧困に苦しむ中で社会が抱える問題を解決したいと考えたのが経済学を志した理由だという。
<略>
当時の経済学では、自然環境はタダ(無料で提供される資本)なので汚染しても問題ははいという考え方が一般的だった。
しかし、水俣病をまのあたりにした宇沢はそうした認識に憤った。
「社会にとって共通の財産をチッソが徹底的に破壊し、壊し、汚染し、その結果魚が有機水銀を大量に含み、それを食べた人たちが悲惨な病気になっている。
それに対して、地元のイメージが壊れるとか、チッソの営業が悪くなるとかいうことばかりおそれて、患者さんたちを犠牲にする。それが僕は水俣病のいちばん悲惨なところだと思います。それに経済学が協力していたということはちょっと許せない。
それで、そのころから経済学の基本的な考え方に対して非常に大きな疑問を持つようになったんです」
その後宇沢は経済学の基本的な考え方を問い直す作業に入る。
新たな理論構築の中で宇沢は、自然環境こそが社会にとって最も大切な財産であると位置づけた。
それ以降宇沢は、現在に至るまで自然環境の重要さを指摘し続ける。しかし宇沢は、平成18年に久しぶりに水俣を訪れ、状況はむしろ悪くなっているのではないかと感じた。
「私は現在の水俣を見て、水俣病の問題がかつてよりも、もっともっと深刻な状況を生み出しているというふうに思いました。それは風化現象です。水俣病のあの深刻な被害、それをもたらした日本社会の欠陥、そういうものがまったく無視されて、そしてただ地域に経済的な、政治的な安定さえ図ればいいということに焦点が置かれているように思いました。
かつて30年、40年前は、多くの学者も学生も市民もあの公害問題を日本社会にとって非常に重要な、最も重要な問題であるという強い危機感を持っていました。ところがその危機感がこの30年間の間に非常に薄らいできています」

第六章 メディア―水俣を伝える (P140)

そうするとチッソがあって、擁護する人たちが多数派で、被害を受けた人たち漁民が少数派という構造ができている。少数派の漁民の人たちが工場廃水を止めろと言い、こちらの多数派は止めるなと言っている。
何でこれが気になっているかと言いますと、多数の利益が少数の犠牲の上に成り立っているんです。この構造は今もひょっとすると続いているのではないかと思う。これは決して前の事件ではなく、私たちの今の社会にそのまま投影できる構造を持っているのではないかという気がします」

第十章 関西、そして新潟 (P200)

関西訴訟原告団の坂本美代子は今、自らの人生と引き換えに獲得した最高裁判決と患者認定から国とチッソが逃げようとしている現状に怒りを隠さない。
この国の行政と政治はどこまで無責任なのか、と。

終章 なぜ水俣病は解決できないのか (P241)

現在問題になっている「重篤以下の人々」、つまり慢性水俣病と言われる人々を救うのなら、当然それに見合った基準を作らなければならない。この議論を曖昧にしたまま場当たり的な対応ばかり続けるから、水俣病問題はいつまで経っても終わらないのである。
本来なら「汚染レベルがどの程度までなら水俣病と認定するのか」ということが重要になる。しかし国は認定基準で一線を引くだけで、その努力も怠ってきた。
公的機関としてここに初めて取り組んだのが裁判所である。福岡高裁で進められた和解協議では、裁判所の主導により原告の症状をランクわけし、それぞれに見合った補償を受けさせようとした。結局和解は頓挫したが、この考え方は原告を三ランクにわけた最高裁判決まで生きている。これが「司法の水俣病」である。
つまり水俣病問題を解決するためには、認定基準を見直し、新たな基準を新設する他はない。


参考文献

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レビュー

  • 水俣病問題には、市民の患者差別の問題が根底に存在する
    • 水俣病「ニセ患者」は、生活保護バッシングにおける「生活保護不正受給」報道と同根
  • 水俣病とは、国、県、チッソが起こした「世界最大の公害病
    • 福島原発事故とは、国、県、東電が起こした「世界最悪の公害
  • 経済優先、利益優先主義が水俣病を生み出した
    • 経済優先、利権主義が福島原発事故を生み出した
    • 「自然環境こそが社会にとって最も大切な財産である」宇沢経済学
  • 最高裁判決を無視し、認定基準を見直さず、患者を見殺しにする国(官僚)
    • 原爆症認定集団訴訟においても、同様のことが起きている!


関連リンク



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最終更新:2013年06月24日 09:32