縁側に根っ転がって、ぼーっと空と雲を眺める。 @
「あちー…」 @
高校二年の夏休み、一緒に遊びに行くような親しい友達を作れなかった俺は、夏休みのほとんどの間、家でのんびりと過ごすしかなかった。 @
「…飲み物取って来るか」 @
呟いて、体を起こそうとする。 @
急に視界に犬っころが入ってきた。 @
「わふっ!」 @
「うお!?」 @
起こそうとした体は、小さな体の犬っころによって強制的に戻される。 @
ついでに頭をしこたま打ち付けてしまった。意外と痛い。 @
「っつー…ったく、いきなり飛びついてくんなよな」 @
「わふっ」 @
こいつは一年前の大雨の日の翌日、学校の帰りに見かけたのを拾ってきたうちの飼い犬だ。名前は犬っころからコロと名付けた。 @
正確には、隠して飼っているから「うちの」ではないのだが。 @
さらに正確には、意図して「隠して飼っている」わけでもなかったりする。 @
「わふっ、わふっ!」 @
「うひゃっ…こいつ、反省してないな?そーゆー奴には、お仕置き…」 @
「一人でなーに遊んどるんだ、バカ息子!」 @
「あ…」 @
すぐそこの部屋の入り口から、坊主頭がこちらを睨んでいた。俺の親父だ。 @
「遊んどるんだったら、少しは寺の掃除の手伝いでもしろ!仏像に埃がたまりでもしたら、 @
うちの評判がた落ちじゃろうが!」 @
「はいはい、わかりましたよ…」 @
てめえが言えたことか、この生臭坊主、と心の中で呟きながら立ち上がる。 @
…うちの親父にコロは見えない。 @
というより、コロは俺にしか見えていない。 @
なぜか分からないが、俺は物心ついたときから、幽霊が見えたり触れる体質だった。 @
なんで坊主の親父に見えなくて俺に見えるのかは、さっぱり分からない。 @
寺に住む俺は、子供の頃からこの体質のせいで家にいるのが苦痛だった…なんてことはなかった。 @
というより、寺はきちんと霊が供養されている上に霊が寄り付かないので、むしろ家にいたほうが落ち着いた。 @
逆に学校みたいな人の多い場所に行くと、守護霊や地縛霊を大量に見たので、学校のほうが苦痛だった。 @
他人と付き合うときは、相手とその守護霊を同時に相手しないといけなかったので、 @
それを嫌がるうちに、自然と人付き合いも少なくなった。 @
…そんな感じだったから、俺はいつも孤独だった。 @
家にいても、親父は俺が家にいる時は仕事か、家にいないことが多かったので、やはり家でも大抵一人だった。 @
たまに一緒に家にいても、さっきのような感じなので、まともな親子にもなれず、この体質を相談することもなかった。 @
そんな時に、俺はコロを拾った。 @
ずっと一人だった俺に、やっと心を許せる親友ができた気がした。 @
…本当に、コイツには感謝してる。 @
「…わふっ」 @
「おっと」 @
回想に浸って、すっかりコイツに構ってやるのを忘れていた。 @
「ゴメンな、後でゆっくり遊んでやるから、ちょっと待っててくれ」 @
「わふっ」 @
また怒鳴られる前に、さっさと掃除を済ませてしまおう。 @
俺は縁側にあったサンダルを履いて、本堂に向かった。 @
● @
「ふぃー…」 @
掃除が終わる頃には、日が落ち始める時間になっていた。 @
クソ親父め、次々掃除を押し付けやがって…。 @
「ふんふんふーん♪」 @
腹の立つ鼻歌が聞こえたのでそちらを見ると、サーファー風の茶髪ストレートカツラをかぶった親父が、 @
これまた軽薄な服装で門を出ようとするところだった。正直全く似合っていない。 @
「…どこ行くつもりだ、クソ親父」 @
「どこって、決まってるじゃろーが。もう夜の街に繰り出してもいい時間じゃからなー」 @
「まだ日も落ちきってないだろうが!人に掃除を押し付けて、勝手なことばっか言いやがって!」 @
「ふん、暇そうにしてる奴に仕事をさせて何が悪い。わしのライフワークを邪魔するない」 @
「この…!」 @
「じゃーなー」 @
「おい、待てよ!」 @
俺の言葉も聞かず、親父はさっさと出て行ってしまった。 @
…俺が物心付いた時からこうだった。坊主の仕事の無い日は大抵、こうやって家を空けていた。 @
こんなだから、俺は親父が好きになれない。 @
…そういえば、掃除が終わったらコロと遊んでやる約束をしていた。 @
すぐにさっきの縁側に戻ると、コロは縁側で丸くなって寝ていた。 @
「…ごめんな」 @
一言謝って、俺もコロの隣で寝ることにした。 @
● @
ぼんやりとぼやける頭に、電話のベルが響く。 @
寝ぼけた頭で立ち上がって、電話までたどり着く。 @
受話器を取ろうと手を伸ばしたら、電話が鳴り止んでしまった。 @
仕方が無いので部屋に戻ろうとしたら、またベルが鳴り出したので、今度はすぐに取る。 @
「もしもし」 @
「おおおーぅ、元気かー!」 @
…親父だった。明らかに酔っ払っている。 @
「…何だよ」 @
「おぅ、今4丁目のイチャイチャバニーっちゅー店にいるんだがな、お前も飲みに来い! @
可愛いねーちゃんいっぱいじゃぞー!」 @
…仕方が無いので、迎えに行くことにした。 @
● @
電話で親父が言ってた店に来た。 @
事情を話して店に入れてもらうと、カツラのちょっとずれた親父が、女性に囲まれてゲラゲラ笑っていた。 @
「…何なんだよ、呼び出したりして」 @
「おっ、来たか来たか!ほれ、お前も飲め飲め!」 @
「未成年の、しかも息子に酒を勧めるんじゃねえ!ほら、帰るぞ!」 @
「なんじゃツマラン、夜はこれからじゃぞー?」 @
「もう限界ってくらい酔っ払ってんじゃねえか!とっとと財布出せ!」 @
「なんじゃあ、実の親から金強請ろうってか!?」 @
「そうじゃねえよ!会計するっつってんだ、早くしろ!」 @
「嫌じゃ嫌じゃ、わしゃもっと飲むんじゃぁー!」 @
「ガキみてーな駄々のこね方すんな、クソ親父!」 @
…結局、15分ほどかかってやっと財布を出させて会計を済ませ、店を出た。 @
● @
「うぃ…」 @
「くそ、なんでこんなことに…」 @
親父に肩を貸して、きらびやかなネオンの町を歩く。隣から漂う酒の臭いが、俺を不快にさせる。 @
「あ、やば、吐きそう…」 @
「冗談じゃねえよ…」 @
「は、吐いていいか?」 @
「もうちょっと我慢しろ、頼むから」 @
4丁目の入り口に着き、脇の電柱の影に入る。 @
「ほら、ここなら一応大丈夫だから」 @
「お、おう…」 @
非常に不愉快な気分だった。 @
今から展開されるさらに不愉快な光景を見ないように、視界を上に上げる。 @
急に視界に犬っころが入ってきた。 @
「…あ?」 @
そこには、コロの写真の印刷されたビラが貼ってあった。 @
突然そんなものを目の当たりにし、漂ってくる嘔吐物の臭いを嗅がされながら、俺が考えることができたのは、 @
アイツってメスだったんだ、なんてどうでもいいこと位だった。 @
● @
次の日、やっぱり俺はごろごろしていた。 @
ただごろごろしながら考えることがあるという点で、昨日までとは決定的に違っていた。 @
ふと脇を見ると、コロが尻尾を振りながら俺の方を向いていた。 @
「…お前って本当はアニーって言うんだってな」 @
「わふっ」 @
「しかもメスだったのな、俺ずっとオスだと思ってたよ」 @
「わふっ」 @
こんなことをしゃべっても、何も変わらないのは分かってた。でも、どうしたらいいのか分からなかった。 @
昨日のビラは、大分ボロボロになっていた。 @
多分こいつが行方不明になってすぐ貼られたのが、場所の関係で雨風の影響をあまり受けずに辛うじて残っていたのだろう。 @
もしコイツが生きていたら、俺だって飼い主の元にためらい無く返していた。 @
けどコイツはもう死んじまっているし、飼い主が今もコイツを探しているかも分からない。 @
仮に飼い主のところにコイツを返しても、誰が幸せになるわけでもない。それなのにわざわざ返す意味があるのか。 @
とにかく俺には、何もかも分からなかった。 @
分からないまま、時間は黙々と過ぎていった。 @
● @
あの日から10日後、家の中をぶらぶらしていたら、親父を見つけた。 @
…珍しく、お袋の仏壇に手を合わせていた。 @
「珍しいな、そんなことするなんて」 @
「…ま、たまにはな」 @
本当に、珍しい光景だった。 @
だからなのか、ちょっと珍しく、親父に質問をしてみる気になった。 @
「…なあ、なんで坊主なんかになったんだよ。アンタそういう性格じゃないだろ」 @
「…ま、確かにな。だが、わしにもちゃんと坊主になった理由があるのよ」 @
「なんだよ、それ」 @
「ちょっと長くなるぞ?」 @
「いいよ別に。どうせ暇だし」 @
「…そうか」 @
俺は親父の隣に腰掛け、親父の話に耳を傾けた。 @
「最初は、寺を継いで坊主になる気なんかさらさら無かった。もっと華やかなことをするんじゃと息巻い取ったよ。 @
それで大学受験に向けて熱を上げておったら、その頃可愛がってた野良猫が野垂れ死んでな。 @
それまではわしがたまに餌をやっとったのだが、勉強に集中して頭から抜け落ちてる隙に死んじまいおった。 @
わしのせいとか、そんなこともちらっと考えはしたが、それ以上になにか心に引っかかるものがあってな。 @
それについて考えながら大学に受かって、悩みながら大学生活を送って、 @
気が付いたら寺を継いで坊主になっとった」 @
「…それだけかよ」 @
「そんなわけあるかい。聞くんなら最後まで聞けい」 @
「……」 @
「そうして坊主になっても、悩みは晴れずに時は経った。 @
そんなときに、ある葬式で母さんと出会ってな。いろいろあって、わしらは結婚することになった。 @
それなりに幸せじゃったが、お前が生まれてすぐに母さんは死んじまってな。 @
そのとき、母さんを看取りながら、ようやっと悩みに答えが出せた気がしてな。 @
多分、わしはあの猫がああも簡単に死んじまったことにショックを受けてたんだろうなあ。 @
そして母さんも、わしにがどうすることもできないうちに死んじまって、 @
その時初めて自分が命っちゅうもんについて悩んでたことに気づいたんじゃ」 @
気が付いたら、俺はじっと親父の話に耳を傾けていた。 @
「それで決めたのよ。命がこんなふうに無くなっていっちまうなら、 @
せめて無くなった命に精一杯敬意を表してやるのが、わしがやるべきことだとな。 @
だからわしは、一生坊主として、なくなった命を供養しつづけるのよ」 @
「……」 @
「…なんか言わんか。恥ずかしいじゃろが」 @
「…じゃあ聞くけどさ、そう思うならなんでお袋のために女遊びはやめようとか思わないんだよ」 @
「そんなもん、母さんが死の間際に自由に生きてくれと遺したからに決まってるじゃろうが」 @
「いや、だからって女遊びは無いだろ」 @
「何を言う。遺言通りに人生を過ごすのが、死者への一番の手向けなんじゃよ」 @
「そういうもんかね…」 @
「そういうもんじゃ」 @
「…ま、いいや。ありがとな、クソ親父」 @
「ふん、どういたしまして、バカ息子」 @
…その日布団の中で、そういえば今まで、葬式の仕事の日の前後に夜遊びに行ったことは無かったなとか、 @
なんとなくお袋が親父の守護霊になってない理由が分かったなとか、そんなことを考えながら眠った。 @
● @
次の日の朝、俺はごろごろせずに出かける支度をした。 @
庭に出て、コロ…本名アニーを呼ぶ。コロは割とすぐに駆け寄ってきた。 @
「わふっ」 @
「…お前、一年も飼い主に会ってなかったんだよな。寂しかったよな」 @
「わふ」 @
「…行くか」 @
「わふっ」 @
● @
4丁目のビラを剥がし、住所のところを探す。 @
地図が読めずにさまよっていると、あるところに来た途端当然コロが走り出した。 @
「わふっ、わふっ!」 @
「お、おい待てよ!」 @
何もいないところに向かって待てと叫ぶ俺を見て、道行く人は妙な目で俺を見ただろうが、そんなの気にしてる場合じゃない。 @
なんとか頑張って振り切られないように追いかけると、ある家の前でコロが立ち止まった。 @
「わふっ」 @
「…ここか?」 @
1年経っても、元の家への道は覚えていたらしい。 @
多分コロが走り出した場所は、散歩のコースの折り返し地点か何かだったのだろう。 @
ふと家の庭を見ると、犬のいないにも関わらず、手入れの行き届いた犬小屋があった。 @
…間違いない、この家だ。 @
意を決して、俺はインターホンを押した。 @
「…はい?」 @
家からは、一人の女性が出てきた。 @
「あの…どなたですか?」 @
「…すいません。あなたに、お返しに来ました」 @
「…?」 @
コロを抱き上げ、女性の方へ寄る。 @
すぐ近くに寄ったところで、コロが俺の手からすり抜け、女性の元へ跳びあがった。 @
そして女性に当たる直前のところで、コロはきれいな光になって消えていった。 @
「…そっか、もう満足したんだな」 @
「あの、一体何なんですか?」 @
「…すみません。人違いだったみたいです」 @
「はあ、そうですか…」 @
「あの、ところであの犬小屋は…」 @
「ああ…去年、行方不明になってしまったうちの子の小屋です。 @
あれから一度も見つからなかったらしいから、きっともう…それでも、やっぱり忘れられなくて…」 @
「…そんなふうに思ってあげられているなら、その子もあなたのことを忘れてないですよ」 @
「…ありがとうございます、そんなふうに言ってくれて」 @
「いえ…どうも、お邪魔しました」 @
…ちゃんと覚えてたもんな。ホントにいい奴だったよ、お前は。 @
そんな見送りの言葉を思い浮かべながら、上を向いたまま家路に着いた。 @
おわり @
最終更新:2010年12月26日 04:04