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  ◇ ◆ ◇


「カブト……? カブトー……?」


 カブトを拾って、共同生活数日目。

 相変わらず須賀京太郎という男は、腑抜けていた。

 本当に内臓をどこかに落としてきたのではないかと、正直疑ってしまうレベルに。

 あの日見せた好戦的で獰猛な、危うい表情はどこへやら。

 そんな様子はすっかり成りを潜めて、狼は老犬に逆戻りだ。

 カブトはと言うと、彼に懐いているが……。

 それも、自分に纏わり付く子供の相手を、厭わしいと尻尾で払う老犬の如く、

 彼は煩わしさを顔に出さず、死んだ魚の昼行灯で躱していた。


 ――そいつの相手より、こっちにおいで。


 そう呼びかけてみたって、カブトは聞きもしない。

 猫の癖にまるで犬のように、彼の元を目指すのである。

 しょうもないと思う。

 だってそいつは、今は家主である灼とも碌にコミュニケーションをとらない無礼者である。

 腕によりをかけて作った料理を、ただ黙々と食べやがりますし、

 ちょっと察して手伝って欲しいところでも、退屈そうにそっぽを向いてるし、

 おまけに、今までどうしていたのかとか、昨今の風潮を話しても生返事だ。

 その為にあまり好きではないテレビを見て、話題を集めてるのに――。


 エプロン姿のまま、歩き回る。

 別段深い意味なぞないが、エプロンは新調した。

 本当に別に深い意味はないのだが、体型があまり変化しないからと、騙し騙し作ろって昔のものを使ってきた。

 ただ、さすがに限界が来たらしい。

 いい加減あまりにも薄汚れてしまったので、ちょっとかわいいワンポイントの入った、機能性のあるエプロンを買ってみた。

 本当の本当に真実他意はないが、新しいものを買ったのだ。

 まあ、一応は変人とはいえ同居人がいるのである。

 多少――そう、多少は気を使って清潔そうなものにするべきだったのだ。

 その過程で、機能が十分だから、ちょっと気に入ったデザインのものを買った。


 だというのにあの男は、


「タヌキですか?」


 なんて、罠にかかったタヌキを鍋にでもする――みたいな目付きで、

 心底どうでも良さそうにエプロンを一瞥して、宣わりやがったのである。

 許すまじ。

 それにこれは、アライグマである。その辺、違うのだ。

 洗い物をするのと、アライグマを掛けているのである。

 全く……だというのに……。


(あ、カブト……)


 どこか赤茶けた体色の、カブトの尻尾が見えた。

 ボウリング場の裏手。ゴミ捨て場などがあるところであった。

 にゃーんと可愛らしい声を上げながら、擦り寄っていったその先は――


「……お前、ここには来んなよ。つーか俺に近寄んな」


 ――あの、ふてぶてしいもう一人の同居人、須賀京太郎であった。


 げっ、と咄嗟に顔を引っ込める。

 いや、何故隠れてしまったのだろうか。この家の主は今自分であり、奴はただの居候だ。

 仕事は、できるともできないとも言えない、骨無し野郎。

 気が利かなく、会話を盛り上げようとせず、ぶっきらぼうで、皮肉屋の金髪男だ。

 どこか人を食った態度で、飄々としていて、その癖実態はただのぐうたら野郎。

 はっきりいって、好きになれないタイプである。


(そう、これは観察……観察だから)


 ひょっとしたら奴は、影で灼の悪口を呟いているかもしれない。

 一人っきりになると、人の本質が出るらしい。そう聞く。

 もしかしたらカブトに辛くあたっている、そんな可能性はなきにしもあらじ。

 だから、こうして見付からないように人目を避けている。

 そういう場合も想像された。だから何となく身を隠すのは自然であるのだ。

 自然である。


 ……あいつは一体、何を言うんだろうか。

 いや、別に、気にはなりはしないし……気にしないけど。


「ったく、ちょっと火ィ消すから待ってろな」


 おい、お前吸ってたのか。いつのまに。

 人が知らない間に、たばこなんて吸ってやがりました。

 部屋に匂いが移ったらどうするのだろう――って、ああ、だから外にいるのか。

 全く、変な気を回して……しょうもない奴だ。

 というか、そんなそぶりは全く見せていなかった。隠してたのか、あいつ。


「お前なー、俺よりも灼さんとこ行けよ」


 自分の名前が出たことにドキリとして、声の方向を見やる。

 携帯灰皿に煙草を押し込んで、須賀京太郎がカブトに視線を合わせる。

 さて、何を言うんだろう。ちょっと気になる。

 居候の状態を把握するのだ。そう、人となりが判らなければ危ないからだ。


(な、何を言うの……?)


 ちょっと、覗き込んでないで先を言って欲しい。

 隠れつつも慌ててそちらを向いたので、若干ながらに首が痛い。

 早く続きを言ってくれないものか。


「あの人、寂しがってたぞ? お前が、あんまり懐いてくれないってさ」


 煙草を持っていたのと反対側であろう手で、カブトの喉を掻いぐる。

 そういえば憧が、前に言っていた気がする。

 確か、野良出身の動物は、頭に手のひらを翳される状況を嫌がると。

 野生の世界では、見上げる側に――人間や烏など――の危険を覚えるらしい。

 それを許すのは、相当の信頼の証だとか――。


(別に、寂しがってなんかな……)


 今も顎や頬を擦り付けて、挙げ句、額で頭を触るのを急っつく動作。

 実にあっさりと受け渡された信頼の証だ。

 別に、羨んでなんてない。ないったらない。


「お前が来てから、あの人もよく笑うようになったよ。ありがとな」


 そこには、普段とは打って変わって柔和な笑みを浮かべる京太郎。

 やはり動物が好きなのか、猫に話しかけている。聞いてるのか聞いていないのか、カブトは足に擦りよっていた。

 それを言うなら、自分の方が笑うようになっているじゃないか。

 少なくとも、自分と一緒のときにはまるでしたことのない、朗らかな笑顔だ。

 あと、然り気無く――実はこっちのことを気にしていたのか。

 素直じゃない奴め。それを少しでも、態度に現せばいいものを。

 まあ、多少は減点を除いてやってもいいかもしれない。今夜は何か、好物でも作ってやろう――。


「初めて会ったとき……あの人仏頂面すぎて、こけしかと思ったもんな」


 ――訂正。やっぱり、あいつが苦手なものにする。

 言うに事欠いて、こけしとは何事だ。年頃の女の子に向かって。

 有罪。

 有罪である。紛うことなき有罪だ。有罪意外の何物でもない。


「お前もそう思うよなー?」


 まだ言うか。

 そんなに死にたいのか。そこまで殺して欲しいのか。この自殺志願者め。

 決定だ。

 夕飯は四十八の処刑メニューのうちのひとつ、バーニング灼定食にしてやる。地獄を楽しむがいい。

 カブトは質問の意味が判らないのか、それともやんわりと否定しているのか、にゃーと鳴いた。

 よし、いい子だ。カブト。


「やっぱりお前もそう思うよなー。かわいい奴め!」


 カブトの額を撫でる手に力が入る。あの、かつて自分の頭にも置かれた男の手だ。

 まあ、そんな手のことはいいとしよう。

 ちょっと待て。

 今、カブトは否定していただろう。否定していた筈である。否定していたに違いない。

 よしんば、同意の色が見てとれても、それはカブトが飼い主を気遣ったに過ぎない。

 それを見抜けずして、何が飼い主か。この駄目男が。


「……でも、あの人は優しい人だよ」


 んん?

 いや、これは一体どういう風の吹き回しだろうか。何が起きたのか。

 というか、そう思っているなら態度に出せ。あんなだらけた姿を見せずに、感謝の言葉を出せばいいのだ。

 全く、本当に素直じゃない奴だ。


「こんな俺なんかに……俺みたいなどうしようもない奴に、わざわざ構ってくれてる」


 ……。

 ……いや、まあ。

 別に優しいとか、須賀京太郎を放って置けないとか、そういう話じゃなくて……。

 こう、同居している以上はある程度コミュニケーションをとるのが普通だからだ。


「だからこそ――俺は、怖い。あの人と親しくなりたくないんだよ。お前にしても、そうだ」


 だからこそ、次にそんな言葉が出たときに……心底驚いた。

 空虚な笑いが零れて、それから、背中が今にも消え入りそうなくらいに小さくなった。

 カブトから、京太郎の手が離れる。

 すっかりとその手のひらを堪能していたカブトは、唐突な事態に寝惚け眼でにゃあと漏らす。

 見上げる形のカブトを前に京太郎は肩を落としていた。


「俺は、誰かを裏切っちまわないか……また、裏切るんじゃないかって怖くて仕方がない」


 俺さ、と京太郎が続ける。

 果たして、彼のそんな告白を――ここで聞いて良いのだろうか。知ってしまって良いのだろうか。

 これは、自分に向けられた言葉ではない。勿論、カブトにだって。

 ただあいつは、独り言を言っているだけだ。

 猫に話しかけるという形で――誰かや何かに己の罪状を打ち明ける――懺悔をしようとしている、だけだった。


(駄目だ)


 それを聞いてはいけない――。

 そう思いつつも、足はその場から離れようとはしなかった。


 猫に対する為に、短く纏めようとしたのだろう。

 しかしそれでもその様子はどこか辿々しく、未だ整理のついていないなにかを、辛うじて言葉に置き換えているようだった。

 誰でもなく自分に――或いはいるかも判らない、神のような“何か”に語りかける。

 猫を通して、その後ろに別の存在を置いている風だった。


「俺さ、初めて……麻雀部に入って、後輩ができたんだよ」


 初めは嬉しそうに。


「そいつはまあ、2つ下だから――初めての後輩って訳でもないけどさ」


 自分の言葉に苦笑して。


「で、そいつ初心者なんだよ。入ったころの俺と同じくらいかな」


 懐かしむように。


「それで――またさ、そいつ、本当に純粋に麻雀が好きって面してるんだ」


 喜びながら。


「ただ、打てるのが楽しいって感じだった。昔の俺みたいっつーか、ありゃ、俺よりもかな」


 やや、恥ずかしそうに。


「だから、あいつの手助けをしてやりたかったんだ。自分が昔、してもらったみたいにさ」


 染み入るような声色で。


「本っ当、素直な奴だった。ちょっぴり抜けてて、元気一杯で、どこか子供っぽい奴で」


 そのときを、思い返しているような。


「先輩、先輩って……俺の後ろをついて回ってた。だから、尚更可愛くてなー」


 手のひらを握りながら、目を閉じる。


「ただ、俺よりも才能はあった。それなのに、先輩そんけーしてますって来てな」


 その手を、何度も握って開きながら。


「だから、それを伸ばしてやろうと思った。他にも、目指せ――脱初心者ってさ」


 段々と、乾いた笑いに変わっていく。


「それが、間違いだった。あいつは初心者だからアイデンティティを保ててた。あいつの能力は伸ばすべきじゃなかった」


 そしてついに、笑いは止んだ。


「そのことに気付いたのは――全部が、終わっちまったあとだ」


 ただ静かに、京太郎が漏らす。


「麻雀自体が好きだった奴が、ただ麻雀で勝つだけになってた。打つこと以外はどうでもいいって、能面みたいな面してた」


 目を閉じた京太郎の声は、震えていた。


「それで――打つときは、変わるんだよ。元にした奴の性格を足して、ごちゃ混ぜにしたみたいに。毎局毎局」


 段々と、声の震えは増していく。


「あのときは、夢乃マホなんて奴はどこにもいなかった。目付きも、何もかもが変わっちまってた。悪夢みたいに」


 その様子を想像してみる。

 多重人格めいた様子で、刻一刻と表情を変化させる可愛い後輩――大切な人物。

 まさに、ホラーだ。そうとしか言いようがないだろう。


「俺さ、止めようとしたんだ……何も判らなかったけど、俺がいるって示して、あいつ自身の記憶から呼び起こしたかった」


 それしか道は思い付かなかったと――京太郎は呟く。


「ああなってからのあいつは負けてないって言うから、それを実現すれば戻ると思った」


 だけどと、京太郎は笑う。


「俺じゃそいつは無理で……蹴散らされた挙げ句に、昆虫の手足をもぐみたいに弄ばれた」


 握っていた手が力を失い――だらりと、垂れる。


「おまけに……笑っちまうよな。最後の最後にさ、あいつ、俺のことを見下してこう言ったんだ」


 だけど京太郎の声は笑っていない。


「『誰だか知りませんけど、しつこいだけでどうしようもなく弱いですね』――って」


 彼は、泣いていた。


「それで……あいつが死んだ……約束したのに、俺が何もできなかったから。いつまでも麻雀を打っていたから」


 この場合のあいつとは、後輩とはまた別の人物であろう。


「俺が出掛けてる間に、死んでた。早ければ間に合ったかもって、獣医は言ってた」


 獣医――ということは、動物か。

 だから、動物は苦手なのか。


「血を吐いて死んでたらしい。俺は、直接見た訳じゃないけどさ……」


 京太郎が、鼻を啜った。


「あんだけずっと一緒にいたのに俺は、最後の最後にいれなかった。俺がいなかったから、だから最期になった」


 たかがペットのことで――と、思っていただろう。

 灼も、カブトと出会う前なら。

 どこかひとつだったらきっと、彼は立ち直れていた。廻り合わせが、悪かったのだろう。


「それから……目のことで病院に行った。なに言われたかは、覚えてない」


 やたらと目を閉じているのは、そういうことか。


「家に帰って……ちょっと寝て、あいつのいたところの整理をしてて、俺はボロ泣きした」


 家族が死んだという実感は、すぐには追い付かないのだ。

 その感覚は、理屈としては判った。

 灼は――遠い昔のこと過ぎて、判らないが。


「そんで気付いたら俺は、牌が握れなくなってた」


 チャラと、ポケットから何かを取り出した。

 よく見ればそれは麻雀牌で、京太郎の手のひらの上で音を立てる。

 それも道理だろう。京太郎の手が、身体が震えてるのだから。


「もう、無理だ……俺は牌が握れない。触るだけで精一杯だ」


 それから、ポケットに牌をしまう。

 その間も彼は、凍えていた。


「だからさ……もう、お前との約束は守れない。俺は、ここが限界なんだ。これ以上は……もう」


 壁に寄りかかって、震える指先でつまみ上げた煙草に火を着ける。


「……俺は、約束も守れない。後輩も、大切な家族も……何もかもどうにもできない。どうにもならない」


 紫煙に紛れて、言葉が宙を漂った。


「そっからはもう……何をやってもどうしようもなかった。色々やらかしたよ、俺」


 煙と言葉が、混ざりあって紛れていく。

 カブトはそれでも、傍にいた。動物は、その手の臭いが苦手である筈なのに。

 動物は群れの中で、弱っているものを見逃さないと聞いた。特に畜獣化された動物はそうだと。

 だから、カブトは彼に対して執拗に寄っていったのだろう。

 この話を聞いて、灼は――。


(それがどうした)


 何も思わなかった。

 というかむしろ、ムカっ腹が立った。なんだこいつと思った。

 なるほど確かに、それは悲惨だっただろう。悲劇だったろう。

 実際彼は不運で、不幸だと思う。それに関しては事実であるので、否定はしまい。

 灼には彼の心の痛みは知り得ない。

 だけれども――。


(それとこれとは別)


 だからって、他人に気を使わなくていいのか。

 自分が不幸なら、それに酔ってる間はなにもしなくてもいいのか。

 他人に迷惑をかけても許されるのか。

 ――いいや、否だ。否である。


(せめて、最低でも、料理の感想ぐらい言え)


 ……これはあくまでも一例であり、本気の本気で、心底そうは思っちゃいない。

 だけど彼の不幸面にムカついたのは事実だ。

 黙って聞くのを取り止めて、そのまま物陰から飛び出した。


「……ッ、あ、灼さん!? いつからそこに!?」

「京太郎が店番押し付けて、煙草吹かしてるくらいから」


 決まりが悪そうに、目を反らす京太郎。

 意図せず聞かれてしまったとでも思っているのだろうが――。

 そもそもからして、懺悔なんてのは自分での整理もかねて、他人に聞いて欲しがってる状態だ。

 確かに、秘部だろう。恥部だろう。

 話して心から放しても、誰かに知られたくはないというのは判る。


「ほら、店番やるから。戻って……」


 京太郎が、意外そうに目を向いた。なんだ、その顔は。腹が立つ。

 確かに辛くなれば、誰かに甘えたくもなるだろう。休みたくもなるだろう。

 ただ、甘えるのも休むのも、また前に進む駄目だ。いつまでも不幸という美酒に酔うためではない。

 そんな酒が飲みたいなら、ロシアに行け。そんで凍死しろ。

 別に、すべての人間に前に進めとは言うつもりはないし、戦えとは言わない。そいつの人生だ。


 ただ――酔っ払いは嫌いだ。

 店に来ても騒がしいし、絡んでくるし、ボールを雑に扱う。

 もう一度言おう。

 酔っ払いは嫌いだ。酒に酔おうが、不幸に酔おうが一緒だ。

 そりゃあ、そいつの人生だろうが――そんな奴に迷惑をかけられているのを、灼は許せない。


 ただ、知らぬ仲じゃない。この間の件もある。

 だから、一言だけ言ってやろう。


「おばあちゃんが言ってた……」

「……は?」

「『手の混んだ料理は不味い。どんなに真実を隠そうとしても、隠しきれるもんじゃない』って」


 目を白黒させる彼に、もう一度言う。

 というか、噛んだ。噛んだというか間違えてしまった。

 仕切り直しでもう一回。


「おばあちゃんが言ってた……」

「え、また……?」

「『手の込んだ料理ほど不味い。どんなに真実を隠そうとしても、隠しきれるもんじゃない』って」

「え、いやさっきと違うんじゃ……」

「煩わし……」


 顔を背ける。

 まったく、なんて時代だ。折角おばあちゃんの名言を言えると思ったのに。

 ごめんなさい、おばあちゃん。

 それもこれも、この酔っ払いのせいだ。実に腹立たしい。


「確かに、京太郎は不幸だと思う。よくは知らないけど、不運だと思う」

「……」

「でも、自分じゃどうしたかった。これからどうなりたい。本当の本当は、どう思ってる」

「……それは」


 京太郎が目を伏せた。

 今の彼は、ただ不幸を言い訳にしていた。二度と進まないことの言い訳にしていた。

 でも、やめたいならやめたらいい。そんなことをうだうだ宣わずに、やめたらいい。

 本当にやめるのなら、やめた後に不幸を背負うだろう。

 懺悔をしたがるというのは――赦しを求めるということで。

 つまりはまだ、未練があるということだ。


「私から言うのはこれだけで、後は知った風な口は利かな……」

「……はい」

「ただ、何があっても扱いは変えない。そっちの事情があっても、私は私の道を行く」


 それが嫌なら、考慮してくださいと口に出せ。

 どんな形でもいい。ちゃんと、言葉にして伝えてこい。

 酔いたいなら酔いたいで構わない。ただ、酔っ払いは嫌いってのは変わらない。


 きっと誰だって、色んなものを背負ってる。誰かから受け継いだり、自分自身で誓ったり。

 ある日の赤土晴絵もそうだ。あの日の自分だってそうだ。

 ただそうして受け継がれるものがある。連なっていく道がある。

 ああ、確かに――確かにそれは勝手だろう。

 こっちがどれほど、向けられた視線に緊張することか。期待に応えねばなるまいと思うことか。プレッシャーを感じることか。

 大概のそんなのは、無関係だ。相手の事情なんだから。


 でも――それって、嬉しくないか。

 自分のことを、そんな風に評価している人がいる。それだけで、やる気がでないか。

 勿論、無責任な期待でもあるだろう。それは確かだ。

 それが余計だと思うんなら、降ろしてしまっていい。邪魔な荷物は捨てて、身軽になった方がいい。

 人生、そうも上手くはいかないだろう。

 それは知っている。それもまた真理で、そういう事情だってあるって。


 ただ、灼は嫌いである。非常に格好悪いと思う。

 自分にはそういうところがある。

 かつて、事情もよくは知らず――一線を引いた赤土晴絵に思っていたこともある。

 今は、あのときのように何でもかんでも戦えとは言わない。

 戦うために休むのも、そのまま戦いから退くのも好きにしたらいい。


 ただ、連れられてきたとは言っても――今はうちで働いているのだ。

 三食ちゃんと食べさせて、寝床も用意してる。ちゃんとバイト代も貯めてる。

 だから、あんまり腑抜けてこっちに迷惑をかけるのは許さない。

 嫌なら、電話を貸してやるから赤土晴絵に連絡をとって、帰ればいい。

 それをしないのは――。

 リハビリをしているというのは――。


「……灼さん」

「何……?」

「俺、悔しかったんだ……何もできない自分が情けなくて、悔しかったんだ……」

「そ……」


 つまりはまだ、立ち上がりたいと思っているのだ。こいつは。

 色んなことに押し流されて、気持ちにメスを入れられて、感情を忘れて――その想いを表現する言葉を、忘れていたのだ。

 振り向いてみる。

 少しは、いい目をしてた。酔っ払いじゃ、なくなった。


「じゃ、ゆっくりでも戻してこ……」

「え?」

「京太郎は急ぎすぎだから、転んで痛い目をみると思……」

「それは……」

「まずはひとつの仕事から。働かざるもの、喰うべからず……」


 これでようやく、夕飯の作りがいが出てきたというものだ。

 なんだか、実に気分がいい。


「あ、今日のおゆはんは鍋焼うどん」

「え、いやちょっと……時期的に、おかしいだろ」

「冬にアイス食べたりするし」

「冬にアイスや素麺と、夏に鍋焼うどんは大違いですって」

「夏場に辛いものを食べたり、熱いものを食べたりもする……」

「い、いや……俺はあんまり着替え持ってきてないから汗をかくのは……」

「……。……何だかんだ言って、否定するのは猫舌だから、でしょ」

「う……」

「さっき、人のことをこけしって言ったの、忘れないから。無礼には仕返しも当然……」

「い、いや、あの……あれはな、その」

「嫌なら、今日の食事当番やったらいいと思……」


 まあ、こいつの目が――この分なら。

 多少は認めてやってもいいし、きっと、この生活も楽しくなるだろう。

 晴絵みたいに、打ち負かされても時間をかけて立ち上がろうと言うなら――。

 そういう人間は好ましいし、是非とも応援したくなる。

 だから、リハビリはおまかせあれ。


「じゃあ、俺が作りますよ。作ればいいんだよな!」

「楽しみにしてるから」

「えっ」

「人のことを、日本じゃ二番目だって言った……その腕前に」

「マジかよ……なんでそんなこと、覚えてんだよ」

「さあ……?」


 とりあえず彼の手料理を、楽しみにして置こう――。


「……あ」


 そう言えば。


「カブトの首、寂しいから……なんか付けようと思うんだけど」

「……御守りとか?」


 ああ、こいつ、ペットを喪ってるんだった。さっき言ってたな。

 それについては、心底同情する。

 間に合っていれば死ななかったのかもしれないなんてのは、確かに自分を責めるだろう。無理もない。

 喩えそれが考慮に値しないIFだとしても――傷になることは間違いない。

 何年も共に暮らしていたのならば、相当だ。

 だからそこについて踏み込み、否定することは行わない。それはやってはいけないことだ。


「採用」

「よし。ま、採用されてなくてもつけてたけどな」

「……それが素」

「まあ、わりと素はこんななんだよ。……御守り、どこの神社にする?」


 どこの神社を選ぶにしても、結局御守りに何を求めるかは変わらない。

 安産祈願は――違う。

 ボウリング場の家猫なら、商売繁盛がいいだろう。

 ただ、こいつの望みでいうなら、家内安全・健康祈願だろうか。

 さて、どうしたものか……。

 あんまりいくつも着けるのは、邪魔になるので却下。ダサいし。


「――ちくわ大明神」

「えっ」

「真っさらな奴にちくわ大明神って刺繍して、色んなご利益を込めたらいいと思……」

「刺繍はいいとして……御守りの中身はどうすんだ?」

「さっきの麻雀牌の、拓を取ればいい」


 なるほどと、彼が頷いた。


「ちくわ大明神?」

「そ……ちくわ大明神」

「ご利益は、どうなんだよ」

「家内安全、健康祈願。商売繁盛、悪霊退散、また麻雀ができる……ってとこ」

「ちくわ大明神か」

「ちくわ大明神」


 彼が気に入ってた料理――ちくわ明太子。

 それを言い間違えてちくわ大明神。自分達には多分、これがぴったりだ。

 どうせなら、願えるだけ願ってしまえばいい。

 おばあちゃんが言っていたのだ。二兎を追うものは、二兎とも取れと。


「……でも、ちくわ要素なくないか?」

「一筒の拓なら、ちくわに見えなくもな……」

「ああ、まあ……確かにそうだよな」


 うーむと、彼が麻雀牌を太陽に透かそうとしてみる。

 一筒はちくわと違って穴ではないので、向こう側は透けはしない。当然だが。

 どちらかと言えば、その真円は太陽だ。

 だから尚更、相応しいだろう。お天道さまにはご利益がいっぱいある。


「じゃあ、さっさと作るか!」

「その前に、店番」

「マジかよ……今日の俺、やること多すぎないか……?」

「今までサボってたツケ。ほら、キリキリ動こ……」

「キリキリ働くよ。働くって」


 まあ、他にはボウリングでも教えてやろう。

 丁度いい、息抜きにはなるだろう――。


  ◇ ◆ ◇


「流石にこの辺になると、空気もいいな」


 などと、ヘルメットの中で呟いてみる。

 いっそ外して走りたい衝動にも駆られるが、それでミスって事故ったら嫌なので却下。

 流石に愛車を廃車に変えたくはない。

 別のものを即金で買えるだけの貯蓄はあるが、論外。それとこれとは別問題だ。

 気の赴くままにスロットルを開きたくなるが、我慢。

 自分一人の身体ではなかった。軽々しく、失墜に繋がる行為をしてはならないと肝に命じている。

 せめて気持ちだけは風と一緒に――なんて気障ったらしい独白を浮かべて、身体を倒す。

 この辺りの山。今も彼女は、駆けているのだろうか。


 もう既に、七年は昔のことだ。

 染みったれた気持ちなんて抜きにしたい――のも山々であるが(山だけに)、やはりどうしても忘れられない。

 男というのはこういうのを、どうしても引きずってしまう生物だと聞いた。

 事実、離婚後の男女の自殺比率だか死亡比率なんかは、十倍近くの開きがあるそうだ。

 勿論、男の方が死亡率が高い――。


(引きずってはいるけど、俺は、拘ってはいるのか)


 自分自身に問いかけてみた。答えはない。

 彼女たちとの別れが、自分に影響を及ぼし、果たして生き方を縛っているのか――。

 そう、悪いことはあって欲しくない。

 確かに失恋というのは、別離というのは辛かった。苦しかった。

 だけれども、そのことを思い出して――今もなお、当時と同じ気持ちになるかは別だ。

 流石にこうも時間が経って、そんなに気にしていたらそれは異常だろう。


 それに――。

 別に、悪いことばかりではなかった。

 というかむしろ、彼女たちとの付き合いを通じて得た財産は多い。良い影響の方が大きく、多い。

 それがなければ、今もこうして、空の美しさを楽しめてはおるまい。

 だから、沈み込むのは、それはそれで間違いであろう。


(ま、そんなに簡単にはいかねーんだけどな)


 そうは言っても、一抹の寂しさは残る。

 もっとも、段々と――吉野に近付くにつれて、あれほどまでに濃かったその気持ちは、なりを潜め始めていた。

 案ずるより産むが易しという言葉があるが、実に自分に合っている言葉だ。

 さきほど赤土晴絵にも言われたが、自分は心底、舞台に上がる役者気質なのだろう。

 何を考えていようが、どう思っていようが、その時になったら心は決まる。

 そういう意味では、切り換えが上手いのかもしれない。


 というかこれも、格闘技などの影響か。

 普段いかなることを思っていても、真剣勝負の場でそれが足枷とならぬように、気持ちを変えられる。

 その時には、その時に見あった表情と精神になる。

 この辺りを指して、宮永照は自分を雲――と証したのかもしれない。

 或いは片岡優希ならば、社会人ならそれが当然と笑うだろうか。


(……ま、んなことはいいか)


 これから自分は、新子憧に会う約束だ。

 学生のとき、しばしば彼女を後ろに乗せて遠出をしたり、遊びに行ったり。

 この間再会を済ませたばかりだが、お互い、あのときは時間が余りなかった。

 離れてからの数年を、語り合うにも少なすぎた。

 これが恋人なら、ベッドの中でしっかりと――となるのだろうが、生憎憧とはそういう関係ではない。


(っと、変なこと考えたな。……赤土さんが、あんなことを聞いてくるから)


 新子憧が果たして、自分とそんな関係を望むかという話だ。

 まあ、望まれたなら望まれたで、悪い話じゃない。

 ただ、余りにも親くて、そんな男女の関係を過ぎている――気がする。


(お……いた)


 徐々に回転数とギアを変えつつ、速度を殺す。

 新子憧は、自動車のボンネットに腰掛けながら、手の内側に着けた時計を眺めている。

 これがスポーツカーなら、実に絵になる美人だ。

 いや、今のままでも、十分であるが――。


「よ、悪いな。待たせた」

「ちょっと景色も見たかったから、別にいいわよ?」

「そう言ってくれると、助かる」


 バイザーを上げて、彼女に笑いかけた。

 退屈そうにしていた硬質の美貌が、花が如く綻んだ。

 視線の先に、目を向けてみる。確かにそろそろ夕焼けに向かう空は、実に具合がいい。

 桜の季節のここも好きだが、どうにも人が多い。

 それよりは、こうして静かな風景の方が好ましい。


「んで、どうして車で? 久しぶりに俺のバイクでって、話じゃなかったか?」

「んー、まあね」

「なんなら別に、お前ん家まで迎えに行ってもよかったんだぜ」

「流石に、彼氏でもない男にそこまでしてもらうのはパス」

「だったら、ついでに立候補するか?」

「ついでで始まる関係なんて御免よ、この軽薄男」


 手厳しいなとヘルメットをバイクにかけて、憧の隣に立つ。

 仄かだが、香水の臭いがした。


「んでさ、本当にどうしたんだ?」

「……何が?」

「なんか、悩んでるだろ? さっきの電話のときもそうだし、今もそうだ」

「……」

「こんだけ長い付き合いだから、お前のことなら分かるぜ」


 はぁ、と憧が溜め息を吐いた。

 ただ、心なしかその大きな溜め息には、観念以上の意味合いも含まれている気がした。

 考えてみるが――それについては生憎、思い当たりがない。

 まあ、ある程度相手がどういう状態か把握できると言っても、すべての思考が読める訳ではない。

 もっとも、よしんば読めたとて……それが闘いでもない以上、読もうとも思わないが。


「……しず」

「――っ」

「やっぱり、か」


 憧が、こちらを見据えてきた。

 やけに静かで落ち着いた瞳。無意識的にでも、表情から何かを気取られてしまうのを防いでいる風でもある。

 そのまま黙って、憧の顔を見る。

 この間会ったときよりも、薄化粧になっている気がした。

 それでいい、と思う。元が整っているのだから、変に乗せるよりもこの方が京太郎の好みではある。

 まあ、そんな京太郎側の気持ちが、女性の常識に通じるかは兎も角として。


「――京太郎。しずに、会わない?」

「……どういう意味だよ」

「別に、変な意味はないわよ。ただあたしは――今のあんたの反応を見るに、会った方がいいと思った」


 それだけよ、と憧が言葉を区切る。

 それから、バツが悪かったのかは知らないが……顔を背けてしまう。

 言葉を選びながら、慎重に問い返す。自分自身の気持ちと話し合って。

 一度口から出た言葉は止められない。現実が、言葉に沿ってしまう。それが言霊だ。

 言ってしまえば、自分自身が、ああそうだなと思う。

 聞こえてしまえば、聞いた誰かは、ああそうだなと思う。

 だから、言葉には力がある。


「……穏乃に、何かあったのか?」

「何かあったら、京太郎はどうするの?」

「それは――、それは……」


 どうするのだろうか。

 どうしたいのだろうか。

 何かをしたいと、未だにそう考えているのか。


「……ごめん。事情を知ってるのに、嫌な聞き方をした」

「いや、いいさ。……そうだな。何か、あったらか」

「……」

「その何かにも、よるよな。病気だってんなら当然、見舞いにいく。悪い男に騙されてるってんなら――」

「言うなら……?」

「野暮で、筋違いで、独りよがりかもしれないけど……止めるか、助けるか、良くしたいと思う」


 元恋人であるからするとか、元恋人であるからしないとか。

 そういったことを排除しても――敢えて考えないにしても――やっぱり。

 見知った顔の不幸は、見過ごせない。見過ごしたくない。

 責任というのは、便利で、優しくて、きっと残酷な言葉だ。

 だからそれには、触れない。


「……ま、あんたってそういう奴よね」

「騙されてるのか? それとも、なんか不幸があったのか?」

「別に何もないわよ。安心して」

「じゃあ、なんでそんなことを?」

「んーと……ただ、あんたがどういう男か、改めて確認したかっただけ」


 どういうことかと、首を捻ってみるも答えは浮かばない。

 ただ、新子憧は静かに納得した風であった。


「これから色々勝手なこと言うけど、聞いてて」

「……ああ」

「あんたは――まあ、格好いい奴だと思うわ。少なくともあたしはそう思ってる」


 そんな風に思われていたなんて、新鮮だ。

 思わず茶化したり、おどけたり、諧謔を交えてみたくもなるが黙って聞く。

 今は、そんな場面ではなかった。そんな気分でもない。


「何か一途で、明るくて、気が回って、軽そうだけど真面目で、でも堅苦しくない。ちょっと道化っぽく空かすとこあるのはマイナス」


 そういえば、本当に付き合いが長い。

 高校一年生からだから――もう、何年になるか。

 離れていた期間を考えれば、ひょっとしたら、咲と並ぶか。

 色々、あった。本当に色々と。


「覚えてる? あたしが絡まれてたとき、颯爽と助けてくれたの」

「……ああ。鍛えといて、よかったと思ったよ」

「インカレとか……先輩たちが居なくなって、和も顔を出さなくなった部活を二人で引っ張ったわよね」

「あったな……ああ、楽しかった」

「アスレチックに遊びに行って、登ったはいいけど降りられなくなったあたしを助けてくれた」

「……足場になるって、冴えない形だけどな」

「部活とか、授業とかテストとか……大学でもずっと顔を会わせてたわね」

「ああ。大体お前とつるんでたな」

「色々あったわ」

「色々あったな」


 他愛もない日常も、そうでない日々も――。

 きっと、一番両方の須賀京太郎を知っているのは、新子憧であろう。

 そう、きっと。誰よりも。


「だから、その上で改めて言うわよ。京太郎、あんたは格好いいのよ」

「……」

「確かに、あんたには色々あった。追い詰められたときもあった。でもあんたは、立ち上がった」

「……人の手、借りてもか」

「借りたとしても、立ち上がろうと思わなきゃ相手を引きずり倒して終わりよ」

「……」

「だから、その上で言う。あんたの相棒でも先輩でも恋人でもないけど――ファン一号として、言うわよ」


 一旦、憧は言葉を区切った。




「――もっと、格好つけなさいよ! 何がなんでも、格好つけて!」




 はっきりとそう言い放って、新子憧は須賀京太郎の胸に拳を当てた。

 あの日、抉られた場所。

 放たれた自分の武器が胸を穿ち、電撃が迸り、心に火傷を負わせた場所。

 今は癒えては来ていたが、そこに、あの日の憧が掛けた言葉の再来と共に衝撃。


「京太郎がどう思ってるとか、どんな事情があるとか知らないけど、言わせて貰うわ」

「……なんだ」

「元カノとか元カレとかそういうの抜きにして、それでさ」


 強い瞳で、京太郎を見据える憧。


「自分が今どうしてるのか、しずに伝えてきなさい。いけしゃあしゃあと、飄々と、いつもみたいに格好つけて」


 その表情の殆どは、逆光のせいで伺えない。


「さっきの顔からして、まだ引きずってるとこあるでしょ?」


 新子憧が言うなら、きっとそうなのだろう。

 京太郎が憧のことをおおよそ理解できるように、憧も京太郎のことが解る。

 付き合いが長くなると、そうであった。そうなるのだ。


「だから、どんな形になってもいいから……それを解決してよ」


 だから彼女が言うならやはり――自分は、それを、割りきれてない。

 割りきろうとも、思ってなかった。


「あたしは、あんたの……そんな顔を見たくないのよ」


 割りきろうとも、思ってない。それは今もだ。


「頼むから、ファン一号を失望させないでよ」


 あの日より、自分は経験を積んだ。未成年から、公然と酒を飲める歳にもなった。

 でも本当に大人になれたのかは、常々疑問として付き纏う。

 だけど――。

 だけど――ああ。

 だけど――女にここまで背中を押させて、それが出来ないなんてのは……。

 大人である前に、男失格だ。


「ああ、そうだな……。お前の言う通りだ」

「……そうよ」


 赤土晴絵には、舞台に立つ役者気質だと言われた。

 だけども、そんなに大それた理由なんかじゃない。これはそんな、性質云々の話だ。

 情けないのが嫌だ。

 失望されるのが嫌だ。

 格好悪くへらへら笑うなんてのは御免だ。

 そんなのは恥ずかしくて、甘んじるなんて悔しすぎる。


「会ってくるよ、穏乃にさ。……そんで、今の俺のこととか色々伝える」

「そうしなさい。そうしてくれると、あたしも嬉しいから」

「ああ、そうするから」


 言って、バイクに跨がる。

 ヘルメットを再び被って、上げたバイザー。


「悪いけど、俺は行くけど……一人で平気か?」

「ついでに、買い物に行こうと思ってたしね」

「そっか。じゃあ、悪いな」

「ま、門前払いされたら……自棄酒くらいには付き合ってあげるから」

「つまり、どっちに転んでも俺は美味しい訳だな」


 軽口を交わしつつ、バイクの用意を調える。

 唸り声をあげる鉄の馬が、静かに血液を巡らせた。

 そんな速さへの胎動を感じつつ、「ああ、そういえば」と京太郎は口を開いた。


「俺も、お前に思ってることがあるんだけどさ」

「なーに?」

「お前、自分で知ってるかわからねーけど……お前もかなり、格好いい女だぜ」


 じゃあまたと笑い上げて、咆哮と共に駻馬は動き出す。

 疾風を帯びた男の影が、夕日を衣裳に過ぎ去って行く。

 そんな様子を眺めて――。


「……あんたの前だからよ」


 新子憧は、小さく呟いた。


  ◇ ◆ ◇


「よう、今暇か?」

「へっ……あのさ、お客さん。ちょっとそういうのは……」

「……いや、影が薄いとは知ってたけど。マジに凹むぞ、これ」

「あの……どういう……」


 見慣れぬライダージャケットの男に、その店員は目を白黒させていた。

 そんな風に声を掛けてくるなど、性質(たち)の悪い相手だと思われたのか。

 やれやれと、京太郎は息を吐こうとして――止まる。

 それよりも先に、その女性が口を開いたからだ。

 見開いた目の色が変わる。

 当惑から、困惑混じりの驚愕に。そして、それから――。


「うそ、京太郎……?」

「嘘じゃねーよ。ま、こんなイケメンが世界に二人と居るなら話は別だけどな」

「あ、え……」


 そういえば、穏乃と別れたときの自分は、こんなキャラではなかったっけ。

 いや、別に今も普段からそうという訳ではないが……。

 いつの間にか、この手の台詞を言うことへの恥ずかしさがなくなっていた。

 これじゃあ、格好つけ野郎なんて言われても否定できない。

 ……まあ、今だけは。

 今日だけは、精々目一杯格好をつけさせて貰おうか。


「……なんで、ここにいるのさ」

「こっちで仕事があって、その前にここで落ち着こうと休暇とった」

「そっか……」


 答えあぐねるように、穏乃の目線がさ迷う。

 それを眺めつつ、京太郎も辺りを見回した。

 近くに人影はない。客もいないし、ここで話すのもいいかもしれないが――。


「少し、時間取れるか? 色々話したいことがあるんだ」


 思った以上に、言葉はすんなり出た。却って拍子抜けするほど。

 やはり、舞台に上がってしまえば自分はこうなるらしい。

 ここからはあの日の京太郎であり、あの日からの京太郎。

 そして、オカルトスレイヤーとなった自分の時間だ。


 ショータイムだと、心の中で呟いてみた。


 奥に引っ込んでやや置いたのち、高鴨穏乃が顔を出した。

 パーカーに、Tシャツ。パンツルックだった。

 戸惑いがちな視線ではあったが、格好から考えても、店を抜ける許可は得たらしい。


「なんて?」

「思い付かなかったから……ちょっと、憧に呼ばれたって言っといたけど……よかったかな」


 まあ、確かにそれもある種は真実だ。嘘から出た真と言おうか。

 最初はてっきり憧が呼び出してくれているか――と思ったが、よく考えたらそれは駄目だ。

 穏乃と憧の仲に置いてはありえないと思うが、余計な邪推を生むことになる。

 マジックの基礎と一緒。

 それが意味のある行為でないなら、余計な注目を集める場所を作らないのだ。


 そうして、目指す先は決まっていた。穏乃もそれを察したのだろう。

 常識的に考えたら、あまりしようとは思わない――特に坂道が多い場所で――だろうが、身体を寄せて大型の愛車を手押しする。

 穏乃がそれを、物珍しそうに見ていた。

 だけど、声は掛けない。お互いに無言で、目的地へと歩き出す。

 そう――あの日の公園へと。


 お誂え向きに誰もいない。

 高さのある遊具がひとつ減って、代わりによくわからないバネの平均台が導入されていた。

 まだ、この公園は忘れ去られてないのだろう。

 そう思うと無性に嬉しくなるが、そこだけ真新し遊具はどこか場違いだ。

 今の自分達二人のように。


「さて、ここまで着いてきてくれたってことは――話を聞いてくれるってことだろうけど」

「……そうだね」

「その前に……ポニーテールやめたのか?」

「さすがに子供っぽいってさ。憧に言われて……店に立つとき以外は」

「そっか。そっちも似合ってんな。……昔、そう言ってもあんまやってくれなかったのに」

「……ごめん」

「いや、違う。そういう意味じゃないんだよ。ただ、お互い時間が経ったって、言いたかった」


 別に何も、咎めるつもりで言ったんじゃない。

 ただ、捉えようによってはそう聞こえるのも事実ではある。

 別れた男の、フッた男の言葉なら――尚更そうか。

 無理もない。

 自分でそう言ったように、時間が経ってしまったのだ。あれから。

 互いに、相手は変わっていないと思いたい。信じたい。

 だけれども、現実がどうなのかって不安はいつだってある。


「とりあえず――お前に会ったら、これだけは言おうと思ってた」

「……」

「ありがとう。お前の言葉のお陰で俺は――誰かの涙を止められた」


 あの、二人の魔物級の少女――後に聞いたら龍田早苗と九頭竜琉生というらしい――との戦い。

 彼女たちの気持ちを推し量り、だからこそ勝とう/勝たねばと思ったその仕合。

 相手の絶対的な能力に心が挫けそうになったそのときに。

 京太郎を再び立ち上がらせたのはあくる日の、高鴨穏乃の言葉だった。

 日常の波に追い立てられて、遠く忘れてしまっていた言葉。

 それが、すんでのところで京太郎を助けた。

 そして、二人の少女たちを――救った。


「俺はあれから、プロになった。麻雀を続けて、負けても勝てなくても続けて、プロになった」

「……」

「何度も挫けそうになった。腐りそうになった。辛いことも、多かった。プロになる前も、なってからも」

「……」

「ひょっとしてお前は――俺にそこまで求めて約束したんじゃないかもしれない」


 確かに――。

 麻雀を続けて欲しいとは言われこそすれ、プロになってくれと穏乃は言わなかった。

 あの日の自分には、それは馬鹿らしいほど遠すぎる目標だったから。

 だから恐らく、穏乃からしたらここまでなっているのは予想外であったのかもしれない。

 京太郎は麻雀が好きだった。強くなりたかったし、勝ちたかった。

 でもだから、プロになるのとは繋がらない。


「それでも、ありがとう。俺にきっかけをくれて……本当にありがとう」


 勿論、穏乃との約束があったから、それだけではない。

 それだけを理由にできるほど京太郎は強くもないし、弱くもない。

 でも彼女の言葉は、プロ雀士須賀京太郎の土台の、紛れもないひとつであろう。


「俺は今――麻雀を、楽しんでるよ」


 やや置いて、高鴨穏乃は言葉を漏らした。


「……そっか、麻雀楽しんでるんだ」


 嬉しさも、寂しさも、喜びも、安堵も混じった言葉だった。

 彼女は――きっと優しい彼女は、自らが重荷を背負わせてしまったなんて思っているのかもしれない。

 確かに自分は彼女の言葉に縋った。

 彼女の言葉を道標に、たったひとつの道標として歩き出した。

 勝てなくても、負けても……何度それを繰り返しても、麻雀に拘った。

 辛くて苦しくても、折れかけて茨の道に紛れても――自分は進んだ。進もうとした。

 ときには、その約束自体が辛苦となって降りかかった。


 でも――。


 そういうのを全部含めて、自分は麻雀プロになった。プロになることができた。

 多分、ここまで届かせようと、進むことはなかった筈だ。進んでも届かなかった筈だ。

 空の星に手が届いたのは、高鴨穏乃との約束であり、故の夢乃マホへの敗北であり、鷺森灼との邂逅だ。

 きっかけがあって、支えてくれるものがあり、立ち上がる思いがあったからこそ。

 自分はこうして、プロとしてここにいるのだ。


 辛いことも苦しいことも多く、未だにままならないことばかりだけど。

 それでも自分は幸せだった。

 好きになってしまった特異な存在に手を伸ばすことができた。

 憧れであった相手に、喰らいついていられる土俵に並ぶことができた。

 麻雀を通して、素敵な人々と知り合うことができた。

 そんなのを抜きにしても――。


 大好きだった麻雀を、打って生活することができている。


 だから、須賀京太郎は幸せだった。


「それを伝えに来たの? 奈良まで?」

「ああ。テレビでは情けないところを見せちまったし……ひょっとしたら、お前が気にしてるんじゃないかって」

「それは……」

「誰かの涙を止めるなんて言って、俺が泣かせてりゃ世話ないからさ」


 涙目程度と、嬉し泣きはカウントしないで。

 それを言ったら、いよいよどうにもならなくなるので許して欲しい。

 つまりは、心の涙という意味である。


「それと、お礼だな。本当にここまで、ありがとうって……伝えたかった」

「こっちこそ、京太郎みたいなトッププロがそう言ってくれてさ」

「おう」

「私との約束を守ってくれてたって、言ってくれて……嬉しいんだ」

「……おう」

「――ありがとうね、京太郎」


 だからこそ、ここから先は謝らなければならないだろう。

 自分の胸に、彼女の言葉は――出会ってきた少女たちの言葉は、血肉となり同化している。

 それは、今の京太郎を成り立たせる肉体の一部。


 でももう、道標は必要ない。

 ここから先は、自分で進んでいくと決めた。すべてを受けた上で考えた。

 道標は、自分自身の心であり覚悟である。

 その気持ちを胸に――進むべき道を、己の意志で切り開いていく。己の手で。


「俺の今までは、誰かや何かを言い訳にしてたのかもしれない。お前との約束も」

「……京太郎?」

「そういうのはもうやめだ。俺がやりたいことを、俺の責任でやる番だ」


 勿論、約束を捨てるなどとは言わない。

 約束は約束、言葉は言葉。自分の意志は、自分の意志。

 ただ、それに負んぶに抱っこはもうやめだ。杖として頼りすぎて、約束自体を歪めなどはもうしない。


「だから――こっからはオカルトスレイヤーの第2部だ!」


「え? いや、えっ?」


 唐突な変化に、よくも事情が飲み込めていないのだろう。

 高鴨穏乃は、ただただ目をぱちくりぱちくりと閉じたり開いたりを繰り返す。

 まあ、いきなりこんな事を言っても判らんだろう。

 判らんよな。


「どうした、穏乃」

「いや、な、なんだか凄いってのは判ったけどさ……何がなんだか、さっぱりで」

「それだけ判れば、十分だぜ」


 要するにつまり、こっからは……くよくよしないって、それだけだ。

 別にどうするのかは決めていない。まるで未定だ。

 勿論、ぼこぼこにやられりゃあ凹むだろう。

 ままならなければ苦しいとも思うし、どうにもならないって絶望するときもあるだろう。

 ただ、諦めない。腐らない。気負い過ぎない。燻らない。

 こっからは、そんな自分でいく。


「……とりあえずさ」

「あ、急に落ち着いて話すんだ」

「ま、今日だけだとしても……あのときできなかったことをひとつ、やりてーんだ」


 お礼とか、感傷とか、諸々全部含めて――吹き飛ばして。

 そうしてみたいと、やってみたかったことを。できなかったことをひとつ実行する。

 穏乃に、ヘルメットを投げ渡した。

 咄嗟に受け取りはしたものの、「何ゆえ」と首を傾げる彼女に、笑いかける。


「――折角だし、こいつでどっかに行かないか?」


 ひとつ、やってみよう。これが新しいスタートだ。

 穏乃との関係をどうしようとか、これから先をどうするかなんて考えない。

 お互いの未練とか、慕情とか、事情とかも構わない。

 そんな未来なんてきっと――お互いに下手に踏み込みはしないだろう。


「――うん! これ、見たときからずっと気になってたんだよねー!」


 でも。

 そんなのは兎も角としても。

 あのときは出来なかった事をひとつ、ただやってみるのも好いと思えた。


 そしてバイクは気の向くまま、あの日を下ろして走り出した。

 その風で、ブランコが静かに揺れていた。


  __ __ __ __ __ __ __ __ __ __ __ __ 



【新子憧の好感度が上昇しました!】

松実玄の好感度が上昇しました!】

【鷺森灼の好感度が上昇しました!】

松実宥の好感度が上昇しました!】

【赤土晴絵の好感度が上昇しました!】

【高鴨穏乃の好感度が上昇しました!】

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最終更新:2013年11月29日 22:16