【DANDAN心惹かれていた/君が好きだと叫びたかった】
- 本編IF
- もしも心が一度折れる前にマホの解放に成功していたら
- 穏乃エンド
「……ふう」
夕暮れの空を眺めながら、携帯灰皿片手に息を漏らす。
なぜ煙草の煙が紫煙と言われるかは――蛍光灯の明かりがある暗闇なら理解できるだろうが、これでは生憎判らない。
紫どころか、唯の白い煙だ。
不完全燃焼を起こさないだけマシかもしれないが。火事なんてのは、御免である。なんか灰色の怪物になりそうな気がする。
「ちょっと、何黄昏てるのよ」
「……憧か」
後ろから、背中を叩かれた。
軽くよろめく。
女の細腕と言っても――京太郎も、軽くトレーニングしている以外は唯の常人と変わらないので、不意打ちをされればそりゃ当然よろける。
「ん、いや……俺もこれで二十四歳かなーって思ってなぁ」
「なに、爺むさいこと言ってんのよ。あと、生徒の教育に悪いから没収」
「……マジっすか」
「ほら、早く」
「いや、だって一口しか……」
「いいから」
はいと、肩を落として灰皿に煙草を仕舞う。
まだ長い煙草が、フィルターと火口の中間で折れた。三つ折になったその姿が、どこか悲しい。
「でもさ、結構生徒にはワイルドで格好いいって言われるんだぜ?」
「ばかなの?」
やれやれと、フェンスに寄りかかった。
せっかく買ったのに……これでは……きっと……。
「はい、残りも」
案の定であった。
ここで見逃してくれるほど――
新子憧は、心優しい人間ではないようだ。知ってはいたが。
「というかさ、アンタ……やめたんじゃなかったっけ、煙草は」
「んー」
やめたのだ。生徒の教育にも、差支えが出るから。
須賀京太郎二十四歳――阿知賀女学院の教諭。麻雀部の顧問。T大教育学部卒。
女子高に男子の教諭が――それも年若い――がいてもいいのかと思うが、割となんとかなっている。
まあ、バレンタインデーやら調理実習やらなんやらでは、中々に良い目を見させて貰っていた。
生徒としてもまあ、身近に男がいるというそのシチュエーションがうれしいのだろう。
なんだかんだ高校生活で、男子と触れ合いたいと思っているらしい。
ただ、そういうものはそういうもので、本気で京太郎と付き合いたいとかどーこーなりたいと思っている人間はいないと思う。
……いや。
時々はラブレターを貰ったりもするが――憧曰く「浮気したらとっちめるから」だそうなので、勿論手は出していない。
時々、中々すばらしいものをおもちな生徒もいるので――軽く揺らぎそうではある。
「なんていうか、色々あったよなって思ったら……つい吸いたくなってさ」
「色々って?」
「色々だよ……本当に、色々」
ちらりと――フェンスにかかっていた新聞を眺める。
『
荒川憩プロVS
大星淡プロ 因縁の対決』――楽しそうに、色とりどりの文字が躍っていた。
遠い世界の話。
そんな遠い世界に、知り合いがいるというだけの話。
「……ああ、プロになりたかったんだっけ」
「一応はな。そっちも考えてたんだよ……約束もあったから」
しかし須賀京太郎は結局、プロになることを諦めた。
自分が麻雀を続けていたのは――。
あの日、穏乃との約束に身を任せていたのは――。
きっとあの日に、ああなってしまった
夢乃マホを止めるためだったんじゃないかと思う。
最後の最後、心が折れそうになったそのときに――穏乃と交わした約束を杖に、立ち上がった。
そうして、かろうじて浴びせたその杖の――槍の一撃が、夢乃マホを正気に戻したのだ。
……もう、マホはああはならない。
そう確信したそのときに――須賀京太郎の中にあった何かは、消えてしまった。
その杖に――槍に食われるように、魂とも呼べた部分がなくなったのだ。
一撃に全てを懸けた。
そして、その一撃と引き換えに、京太郎の中の麻雀に懸ける魂というのは喰われてしまった。
だけれども――寂しさはあっても、後悔はない。
巡り巡って後輩を助けるために、あの約束があったのだと確信しているから。
「ああ、シズとの約束……」
「応。まあ――それはそれは、大切な約束だったんだよ」
交わした約束を忘れない――。
それが京太郎を前に進ませた。それがあったから
弘世菫や
辻垣内智葉などを有するあの大学を目指すことに繋がったのだから。
多分、なければこうして今ここにはいないだろう。
あの日の涙はこの日の笑顔のために――などと格好をつける気はないが。
いつまでも女々しく引きずるつもりも、思い出すつもりもなかった。
思い出はセピア色に――――という奴だろう。
「でもまあ、今はこれでよかったんじゃないか――って思ってる」
「女の子に囲まれてるから?」
「……まあ、それもあるかも」
「サイッテー」
半眼で睨む新子憧に、冗談だと掌を振る。
愛する人がいるのに――そんな馬鹿みたいなことをまさか、本気で言うはずがない。
まさか、新婚早々浮気だなんだという理由で離婚とかはやめてほしい。かなり避けたい。真面目に嫌だ。
「それともまあ――所謂、マリッジブルーなのかもな」
「へぇ……新婚なのに、そういうこと言うんだ」
「いやー、その、まあ……なんていうかあるんじゃないのか? やっぱり、そーゆーのってどこにでもさ」
「なにそれ」
「大人だって、こうして中学生みたいに黄昏るときがあるってことだよ、うん」
「黄昏刻だけに?」
「……憧さん?」
「なんでもないわよ。忘れなさい」
ぷいと顔を背ける憧を見て、笑う。
そういう照れ隠しの仕方は、昔から変わっていない。
どれほどの付き合いになるだろうか。
高校、大学ときて――これからも一緒になる。もっと長い付き合いになっていくのだ。新子憧とは。
「おまたせー! ご、ごめん京太郎ー!」
――そう。同僚として、親友として。
「遅いわよ、しず!」
「ごめんごめん! なんか、店にすっごい人が来ちゃってさ!」
「へぇ? 俺も知ってる人か?」
「うん、京太郎もきっと――驚くと思うよ! 多分、まだいるから」
走りやすいように髪を括った
高鴨穏乃の左手には、指輪が輝く――。
正しくは、高鴨ではない。須賀穏乃だ。
すがしずの。
語呂がいいような悪いような、不思議な気持ちである。
「誰なんだ? それとも、会ってからのお楽しみとか?」
「うーん、どうしよっかなー」
「はは、なんだよそれ」
阿知賀に教官として赴任したのは――清澄ではなく阿知賀を選んだのは、全てはこのためだった。
夢乃マホを正気に戻したその足で、須賀京太郎は奈良へと足を運んだ。
穏乃との約束のおかげで後輩を助けることができたこと。
それがどれほどまでに嬉しく有難かったのかということ。
そして――自分が今でも、どれだけ穏乃のことを大切に思っているのかということ。
それら全てを、戸惑う彼女の前で晒した。並べ立てた。
「ほら、勿体つけずに言いなさいよ」
「んー? 憧がそう言うなら、仕方ないかぁ……」
「誰なんだ? まさか、松実プロとか? それとも、清水谷プロとか?」
「……ハハハ」
「しず、目が笑ってない」
だってさ、と京太郎は内心言い訳する。
そりゃあ――穏乃は可愛い。非常に可愛い。愛している。穏乃以外を愛するなんてのは、無理だ。
でも、おもち、ないんだもん。
これは浮気ではない。ただ、テレビの中の住人に興奮するのぐらいは大目に見て欲しい。
「まあ、残念。違うよ……来たのは、大星プロ」
「大星プロって言うと……穏乃と咲が、決勝で戦ってた――」
「そうそう! なんか、荒川プロ対策として新技の開発に付き合って欲しいんだって」
「……無茶苦茶だな、オイ」
「でも、ちゃんと売り上げに貢献してくれたからね。おかし、大好きなんだって」
「へー。和菓子のこと、好きになってくれるといいけど」
そのとき、改めて穏乃に誓った。
必ず迎えに来ると――今度はもう絶対に離さないと。
それから教員免許を取得して、何のかんのとツテを辿って、阿知賀女学院に赴任したのだ。
インターハイ、インターカレッジと好成績だったのも後押しになったのかもしれない。
阿知賀女学院は、高鴨穏乃や新子憧が属していたそのときのように――今度も、麻雀によるニューレジェンドを狙っているとかいないとか。
「夕飯も朝もお昼もそれでいいって」
「……え。っていうか、そのプロこっちに泊まるのか?」
「直ぐに必殺技ができればいいんだけどねー」
「なんか、玄さんのところに泊まって修行してくらしいよ。『絶対あの蟹にリベンジする! 百回倒す!』だってさ」
「蟹……? 憩さんが……蟹……?」
「らしいよ。よく判んないけどさ」
たはは、と頭を掻く穏乃。
なんだかんだと人付き合いがいいというか、お人よしというか……。
まあ、売り上げに貢献してくれるというし……有名人であるというし……。
それなら、修行に付き合うのも良いのかもしれない。穏乃がそれで言いと言うのであれば。
「じゃあ、帰ろうか」
「おう。カラスが鳴くからかーえろってな」
「カラス? 蛙じゃなかったっけ?」
「いや、そんな駄洒落みたいな……なあ、憧。どっちだっけ?」
「……知らないわよ」
確かに。
小学校の教諭ならいざ知らず、中学高校で童謡なんてのは専門外である。
特に、憧も京太郎も音楽の教師ではないのだから。
「なーんか、待たせたら『遅いー!』って言われそうだな。業界の人って、我侭かもしれないし」
「……ハハハ」
「ひ、否定しないのか……? えっ、いや、そんな人だったら本当にお引取り頼むぞ……?」
妻をぞんざいに、あるいは召使や付き人のように扱われたらいい気がするはずがない。
穏乃が良いと言っても、そのあたりはキチンとしておくべきだろう。夫として。
……なんて考えは、古いのかもわからないが。
「じゃあ、しずと京太郎は走って帰ったら?」
「えっ、そんなの悪いよ……憧を独りにできないし」
「ああ、そうだって。有名人かもしれないけど……そりゃ、それで友人ほっぽりだしてたら仕方ないだろ?」
そんな京太郎と穏乃の提案に、憧は手を振って応じる。
「別にこんなとこ、熊や変質者が出るわけないから大丈夫よ」
「あー、確かに……田舎だもんなぁ」
「熊は出なくても、鹿はでるんじゃ……」
「鹿が出たとして、人数揃ってても意味ないでしょ?」
「いや……なんとか……できる……かも?」
「俺は無理だぞ。そんな、正義のヒーローじゃああるまいし」
野生動物と相対して大丈夫だなんて、そんなことはとてもではないが言えない。
勿論――穏乃と憧を守るためだったら、熊でも鹿でもライオンでもスズメバチでも、その前に立ちはだかって見せるが。
……。
……ごめん訂正。やっぱり、ちょっと怖い。割と無理くさい。
そりゃあ、穏乃と一緒に山登りをしてるから、体力には多少なりとも自信があるが――野生動物をどうにかできるかなんてのは、無理って話だ。
「まあ、いいから行った行った。あたしも買い物があるし……その人の機嫌損ねても困るでしょ?」
「でも……」
「いいんだってば。ほら、京太郎。さっさと行っちゃいなさいよ」
後ろ髪をその場に留まりたがる穏乃の背中に手を回す。
憧がこう言ってるなら、多分大丈夫だ。彼女の言葉が外れたことなんて、ないのだから。
さすがに頼りになる女だった。こうして穏乃と結婚できたのも、彼女の援護によるところが大きい。
「んじゃ、また明日な」
「憧、知らない人からお菓子を貰ってもついてくんじゃないぞー!」
「あたしは子供か! ……ったく。じゃーね、また明日ー」
「……あはは」
先を行く自分の親友と――初恋の相手の背中を見て、新子憧は独り語散た。
「ちゃんと、言い出してたら……もしかしたら、違ったのかな……?」
その声は、風に溶けていった。
――了
最終更新:2014年02月08日 14:46