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【summer/少年時代】



「……」


 じわじわと、蝉の声が響く。

 脂ぎったバイオリンを奏でているような音は、空気と共に木々の合間を切り裂いて、夏の空をなお青く染める。

 赤髪の少女――宮永照は、パタンと本を畳む。

 暑いとは感じているが、顔には中々それが出ない。他人からしたら、本を読み終えたと錯覚するだろう。

 木陰のベンチ。少女は、本に落としていた顔を上げる。

 太陽が眩しい――。


(嫌だな)


 また、てるてる坊主とか同級生にからかわれるのだろうか。

 夏なのだから、晴れるのは当然だというのに……。

 やれやれ――というよりは、沈みがちに息を漏らすそこに、ボールが転がってきた。

 この時間、ここにいるとしたら――。


(京ちゃんだ)


「すみませーん……って、照ねーちゃん」

「おはよう、京ちゃん」


 京ちゃんと呼ばれた彼は、ちょっと困ったかのような笑いを浮かべた。

 何故だろうか。

 京太郎だから京ちゃん――なんら、不思議はない筈なのに。


「もう、こんにちはの時間だけど……」

「……。じゃあ、こんにちは」

「こんにちは、照ねーちゃん」


 几帳面というか、細かいというか、こまっしゃくれたというか……。

 まだ十一時なのだから、別におはようでいい筈なのだ。

 正午にはなってないんだし――いいじゃないか。おはようで。

 我が家は、休日は朝昼兼用のご飯だ。

 だから、まだ、朝ご飯を食べる前だから――おはようである。


「ねーちゃん、ボールいい?」

「待ってて」

「へ?」

「蹴るから」


 それこそ朝飯前だと、やや得意気に照は気持ち胸を張って言った。

 なお、まだ小学五年生なので――張ってない胸を張るという表現は野暮だ。

 それこそ早い娘はブラジャーを購入しているが、そんなのその娘が早いだけ。照は至って普通。

 まだまだ、小学生。この先があるのだから胸の話はナンセンスだ。


「……痛い」

「だから、蹴らなくていいって言ったのに……」

「言ってない。ボールいいとしか、聞いてない」

「その後、投げてって言ったんだけど……」

「……。……変なタイミングで声をかける京ちゃんが悪い。だから失敗した」

「……あ、うん」


 右足でボールを蹴ろうとしたが……なんの因果か、ボールに乗り上げてしまった。

 それから尻餅をついた。痛い。

 それもボールが丸いのがいけない。四角いボールだったら、照は無事だったのだ。


「照ねーちゃん、四角いボールはないんじゃ……」

「ある。京ちゃんは子供だから知らないだろうけど、四角いボールはある」

「ええ……?」

「お姉ちゃんは大人だから知ってる。京ちゃんは子供だから知らない」

「うーん……」


 釈然としない様子で、少年――須賀京太郎は呟いた。


(……ラグビーのボールはあんな形。ホッケーのは平べったいから、四角いのもある)


 どちらも京太郎は知らないだろう。

 だから、四角いボール――というより丸いボール以外には思い至れない。

 実際のところ、照も寡聞にして四角いボールというのは聞いたことがないが……多分あるだろう。

 麻雀牌、四角いし。

 とにかく、世の中のボールは丸いと思い込むのは良くない。京太郎には、そんな見識の狭い人間になって欲しくなかった。


「はい、照ねーちゃん」

「?」

「麦茶。照ねーちゃん、暑そうにしてたから」


 と、思えば……この京太郎少年は、中々に目敏い。

 ナップザック――家庭科の時間に作ったのだろう――から、タオルを巻いた水筒を。

 彼の母親が持たせたのかもしれない。


「それとも、アクエリの方が良かった?」

「私はポカリの方が好き」

「…………次からはそうするね、ねーちゃん」

「うん」


 ――うん。温くなってるけど、悪くない。


 ありがとうと、蓋の水滴を切って京太郎に手渡す。彼は嬉しそうに笑った。

 喋らなくても照の機微を何となく接してくれるこの少年は、一緒にいて心地よい相手だった。

 他の男子みたいに、煩く騒ぎ立てない。変な自己主張もしない。

 活発で、外で皆と遊ぶのも好きだけど――温厚な少年なのだ。聡いと言ってもいい。

 それとも、お家の躾がちゃんとしてるのかな、って思った。


「ねーちゃん、本を読んでたの?」

「うん。京ちゃんは、本は好き?」

「……読書感想文は嫌いだな、俺」

「じゃあ、本は好きなんだね……良かった」

「サッカーの方が、好きだけどさ」


 と、少年は巧みに足の裏でボールに逆回転をかけた。

 巻き取られるヨーヨーみたいに、ボールが足の甲に上り、そのまま跳ね上げられて広げた両手に収まった。

 いつ見ても、こういう回転というのは見事だな……と思う。

 運動が苦手な自分には、縁のない話だが。


「そういえば、照ねーちゃん……俺の知り合いに似てる」

「知り合い?」

「うん、名前は――」


 そう口を開きかけて、小さく咳を漏らした。

 喉が渇いたのだろう。須賀少年は水筒からその筒蓋に麦茶を注ぎ、口を――


「うおっ!? な、何するんだよ、照ねーちゃん!?」

「駄目。それは駄目」

「駄目って、それ……俺の麦茶……」

「お姉ちゃん命令。駄目、飲んじゃ駄目」

「……ねーちゃん、喉が渇いたのか?」

「いや……」

「じゃあ、俺はアクエリ飲むからねーちゃんに麦茶上げるよ」

「う、うん」

「照ねーちゃん、外に出るときはちゃんと水分持ってかなきゃ」


 こちらの気も知らずに、あっけらかんと笑う須賀少年。

 まるで意識していない。やっぱり、子供か。

 その、か、か、か、間接キスとか意識しないのだろうか。いや、間接であって別に本当にキスしてる訳ではないし――。

 ましてや、こんな、間接キスにすら気付かない二つも年下のお子様であって、色気の“い”の字もないような、

 高々小学三年生のサッカー少年なんぞと、別に間接キスのひとつやふたつはものの数ではないが。


 ……うん。


「あ、照ねーちゃん」

「どうかした、京ちゃん?」

「麦茶、結構俺飲んじゃったからさ……足りなくなったら、アクエリで良ければ上げるから」

「――」

「……照ねーちゃん?」

「――」


 ……。

 ……つまり、既にか。既に使っていたのか、この上筒。

 けしからん。

 そうやって、二つも年上の大人のおねーさんを相手に罠を仕掛けるなど、本当にけしからん少年だ。

 全く、京ちゃんは……。


「京ちゃん」

「ん……どうかした、照ねーちゃん」

「……なんでもない」

「そうか?」


 この無邪気な笑み。

 そんな顔をされたら、怒るに怒れない。まるで自分が汚れた大人のようじゃないか。

 こういうところが、狡い。狡い子である。


「京ちゃん、サッカー選手になりたい?」

「……好きだけど。俺より上手い奴、いっぱいいるからさ」


 だから今、修行中――と少年は笑う。

 ただし、どことなく寂しそうな顔だった。不貞腐れたり、挫けたり、自分の弱さを嘆いてる風ではない。

 快活そうな少年には、似合わない笑みだ。


「どうかしたの、京ちゃん」

「そいつ――――麻雀か何かのしょーれーかいに行っちゃってさ。なんか、勝ち逃げされたままなんだ」

「……そっか」


 競技人口で言えば、サッカーは麻雀よりも多い。だけれども、麻雀の方が目にする機会は多い。

 メディア展開が、上手いのだ。

 戦後からの復興の最中に、それまで抱かれていた「賭博・危ない・不健全」というイメージを払拭して、巧みにメディアに食い込んだ。

 それからは、『体格がものを言わぬ知のスポーツ』『しかし知が全てを決定しないスポーツ』『最後までどうなるか判らないスポーツ』――なんて。

 そんな要素がウケて、人気スポーツになっていた。


 完全な運ではなく、完全な技術ではなく、然りとて巧拙が現れ、ギャンブルであってギャンブルではない面か。

 或いは鬼気迫る殺し合いのような打牌が人気なのか。

 それとももっと単純に、テーブルスポーツだから女子も綺麗な娘が多いから――なのか。

 まあ、照とて詳しくは知らない。


 ただ、サッカーのプロリーグよりも先に麻雀のプロリーグが生まれていたのは、確かだ。

 故にある程度計算が出来る年齢になると、それまでとは打って変わって麻雀の道に進む――というのも、しばしば見られる話だった。


「……京ちゃん、麻雀はやらないの?」

「俺はまだ……身体を動かす方が好きだし」


 それに――、と。


「照ねーちゃんのこと、あんな風に呼んだ奴らとは……一緒に遊びたくないからさ」

「……京ちゃん」


 それは大体、須賀少年と宮永照が出会ってから少々経ってからのことだった。

 照が――照はまた、巧みで力強い打ち手であったが――だからこそ、尊敬を集めるとは限らない。

 あまり他人と親しげに話したり、況してや騒いだりすることのない宮永照は、子供の内にあっては些か異物であり――。

 だからこそ、『てるてるお化け』とか『お化け宮永』と呼ばれた。(後者の渾名を須賀少年は聞いてはいないが)

 そうやって、照を囃し立てる少年たちへ向かって――京太郎は怒りを露にした。


 普段決して見ることはない怒り顔。

 京太郎少年は、そのボールを囃し立てる男子――彼より二つ年上の顔面に蹴りつけた。

 怒るという行為に、馴れないのだろう。どこか泣き出しそうになりながら、彼は叫んだ。


 そうやって、高々ゲームで人のことを差別するなんて、お前らはダサくてカッコ悪くて最悪だ――と。

 年上の癖に情けない奴らだと、声を大にして叫んだ。

 ……照の代わりに京太郎が不興を買うことになってしまったけど。

 幸いにして、照と京太郎は生活範囲が重なっていても、学区が違うから……彼らが京太郎の直接の上級生ではないので、大丈夫だろう。


「大丈夫だよ、照ねーちゃん」

「なにが?」

「今は照ねーちゃんの方が大きいけど――俺が追い抜いて、ねーちゃんのことを守ってやるから」

「……生意気だな、京ちゃんは」

「え?」

「お姉ちゃんの方が年上だから、京ちゃんのことを守るのはお姉ちゃんだから」

「だって、お姉ちゃんは女だろ……?」

「男とか女とか、そういう細かいことを気にする男にはなって欲しくないんだけどな」

「でも……」

「じゃなきゃ、モテないよ?」


 そう笑いかけると、プイと顔を背けられてしまった。

 それからブツブツごにょごにょと、「別に女に興味ない」とか「モテたいとか思わない」とか「そんなダサい男じゃない」とか。

 ああ、これぐらいの年齢の少年はそんなもんだっけ――と思うと、なんだか微笑ましくなる。


「俺、モテようとか、モテたいとか……そういうの、興味ないから」

「ふーん?」

「うえっ!? ちょ、て、照ねーちゃん!」

「何慌ててるの?」

「顔、ち、近……っ!」

「女に興味ないんじゃなかった?」


 先ほどまで、こちらを慌てさせてくれたのだ。これぐらいの仕返しをしたっていいだろう。

 やはり、なんのかんの言っても二つ年下のお子様だ。

 なんとも可愛らしい――――


「は、放せって! このぽんこつ! まな板! 鉄板絶壁!」

「――」


 ……。


「……あ、て、照ねーちゃん?」

「私は怒りました」

「ねーちゃん、顔、怖っ……というか、指、痛い」

「お姉ちゃんに向かってそんな諸行、京ちゃんには教育が必要です……!」

「うわっ」







 ……その後。

 走って逃げる京ちゃんは転んで頭を打って盛大なたんこぶを作って気絶して、何とか起こそうどうしようと覗き込んでいたら、

 その場を例のいじめっ子が通りがかった為に、「吸血鬼」だの「悪魔」だの「究極生命体」だの「柱の男(スリーサイズ的な意味で)」だの、

 なんだか不名誉かつ喧嘩を売っている渾名を受けて、畏怖と恐怖の元に虐められなくなり、

 その後、何となく気まずくて御見舞いのケーキやお花を届けたりしたけど顔を合わせないでいたら、

 幼少期特有の記憶の曖昧さと、姉妹ゆえの類似点の所為から、


 いつのまにか――咲と同一視されるようになっていた。





 私は泣いた。



                                                           ――了


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【宮永照の好感度が上昇しました!】

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最終更新:2014年04月05日 20:37